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2018年1月19日金曜日

(増補版)574E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年1月~1893年1月)

題:(増補版)574E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年1月~1893年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1893年、歌・流行・世相:
・流行:松の内に、トロロ汁を食せば、感冒にかからない
  という行為が流行し、山芋の値段が急騰した。
・流行:芸人の間で写真入の名刺が流行る。
・流行:碑を建てること
・流行:花合せ(3人で遊ぶ花札の遊戯のひとつ)
・流行:紙風船(花びら形の色紙を、袋状にはり合わせて
  作った玩具。息を吹き入れて膨らませ、手のひらで打
  ち上げて遊ぶ)
.
1893年、発明:
・ディーゼル(ドイツ)が、ディーゼルエンジンを発明し
 て自書で原理を理論的に解説した。
1893年、医・衛生:
・天然痘流行で11852人が死亡し、また、赤痢で41284人が
 死亡した。
.
1893年、環境・災害・防災:
・1890年代、バッファロー(アメリカ・バイソン)が、ア
 メリカの大地から姿を消す状態になった。
  絶滅寸前となった。
  1000頭を割った(約750頭というデーターがある)。
  白人のキリスト教徒が現れる前のアメリカバイソンの
 生息数は、約60,000,000頭も居た。
  この様に多かった野牛を白人アメリカ人は殺した。
  99.9987%のアメリカバイソンを、殺してしまったとい
 うアメリカ人だった。
  0.0012%しか生き残っていなかった。
  日本へ鯨のことでとやかく言う資格はない。
  更にひどい事に、この様にした行為の理由が、このバ
 イソンは、アメリカ・インディアンの方々(先住民)の
 大切な食糧だった。
  アメリカ・インディアンの方々の絶滅作戦の一環でこ
 のバイソンを射殺しまくった(非人道的な極悪行為)
  そして、そのバイソンを食べる訳でもなく、そのまま
 放置し、腐るがままにした(動物愛護の話もあったもの
 でもない)。
  1870年代中期の写真がある。
  バイソンの頭骨を積み上げた山の写真。
  その山の頂上で、白人アメリカ人が誇らしげに立って
 いる。
  この関係者が集めただけでも、この様な山のようなバ
 イソンが殺されたことを示している。
  30メートルもの高さがあろうかという巨大なバイソン
 の頭蓋骨の山・・そして、今・現在、そのアメリカ・イ
 ンディアンの方々が絶滅に瀕(ひん)しているという現状。
  非人道的な話この上ない卑劣な話である。
  衣食住のすべてを、バイソンに支えられていたアメリ
 カ・インディアンの方々だったのに・・、
  長い歴史の中で、このように暮らしを育んで来たアメ
 リカ・インディアンの方々のすべてを奪い取った。
  白人アメリカ人は、自分だけ良ければ良いというキリ
 スト教の教えに洗脳されて、この様な最悪行為をしたの
 だった・・キリスト教の神の義があれば、やってもいい
 のだという「まったく勝手な教義」に洗脳された輩の行
 為だった。
  アメリカ政府が、その行為を率先して奨励していた。
  卑劣極まりない。
.
1893年、その他:
・清水次郎長が死去した。
・自殺者調べ、1887年:5,823人、1988年:5,256人、
       1889年:5,852人、1990年:7,479人、
       1991年:7,499人、1992年:7,240人、

1893年1月1日、「度量衡法」が施行された。
  度量衡取締条例(明治8年8月5日太政官達第135号)を
 継承して、1891年3月24日に公布され、
  1893年(明治26年)1月1日に施行された(明治24年3月
 24日法律第3号)
1893年1月7日、星亨が、自由党の演説会で改進党を攻撃す
 る演説を行い、両派が対立した。
  改進党との対立が激化の結果、自由党は、政府の伊藤
 博文に接近して行った。
  1893年1月12日、衆議院は、明治26年度(1893年度)予
   算案を修正(軍艦建造費削減、官吏俸給・官庁経費
   の減額など871万円を削減)して議決した。
  1893年1月16日、政府が、「予算案修正は不同意」と表
   明した。
  1893年1月23日、衆議院が、内閣弾劾上奏案を上程し、
   15日間の停会を命じられた。
  1893年1月26日、貴族院が、田畑地価修正法案を否決し
   た。
  1893年2月7日、衆議院が、181対103で、内閣弾劾上奏
   案を可決した。
  1893年2月10日、「在廷ノ臣僚及帝国議会ノ各員ニ告グ」
   の詔書が出された。
   内容:「軍備拡張のため、内廷費毎年30万円ずつ6年
   間下付、同期間中は文武官俸給の1割を納付させて製
   艦費補助にあてることを命ずる」(建艦詔勅・和衷
   協同の詔勅)。
  1893年2月22日、衆議院が、予算案を修正(製艦費を認
   め262万円のみ削減)し、可決した。
  1893年2月26日、貴族院が、修正予算案を可決した。 
1893年1月8日、全国新聞記者同盟が、「新聞紙条例」の改
 正運動(交渉)を開始した。
  そして、1893年2月に、出版法・版権法、集会及政社法
 が先に成立した。
  その出版法・版権法の条文には、「新聞紙法」の文字
 が盛り込まれており、新聞紙法の成立が織り込まれてい
 たにもかかわらず、結局、新聞紙法案は同議会において
 成立をみなかった。
  そして、1897年、第10議会に、ようやく条例改正とい
 う形で改正が実現した。
  新聞紙条例改正は、議員によって他の言論関係条例の
 改正よりも重視されていたにもかかわらず、その改正の
 ハードルは高く、改正の実現に時間がかかった。
1893年1月16日、アメリカがハワイを奪い始めた。
  アメリカ公使の要請によりアメリカ海兵隊がイオラニ
 宮殿を包囲した。
  1893年1月17日、共和党が政府庁舎と占拠し、王制廃止
   とハワイ臨時政府樹立を宣言した。
  1893年1月22日、ハワイ王国でリリウオカラニ女王が廃
   位された(ハワイ王国の滅亡)
  1893年1月16日の出来事・・、
  ハワイのカメハメハ王朝の滅亡への策謀・・、
  アメリカ合衆国の息のかかったものが実権を得た。
  アメリカ合衆国からの移民で、アメリカと関連の深い
 サトウキビを扱う業者らが、さらに親米的な政権を打ち
 立てるため、政権の転覆を計画した。
  アメリカ海軍の軍艦ボストンは、首謀者サンフォード・
 ドールとロリン・A・サーストンを保護する名目でホノル
 ルに到着し、リリウオカラニは幽閉状態となった(デッ
 チアゲによる政権転覆)
  1月17日、ドールはハワイ臨時政府を打ち立て、王政の
 廃止を宣言した。
  翌年の1894年7月4日に、ドールはハワイ共和国の成立
 を宣言し、同国の最初で最後の大統領となった。
  サンフォード・ドールは、アメリカ合衆国メイン州出
 身の白人のキリスト教プロテスタント宣教師の家に生ま
 れた。
  そして、ハワイに移り住み、アメリカ合衆国の多国籍
 企業であるドール・フード・カンパニーを創業したハワ
 イのパイナップル王を従弟(いとこ)に持った。
  ドールの家はハワイで政治的な力を持って行き、また、
 ドールはハワイ王の弁護士となった。
  そして、1887年に至って、アメリカ合衆国系の経済人
 や政治家やサトウキビ農場主らが結成した政治組織・ハ
 ワイ連盟が武装蜂起に参加した。
  そして、白人市民たちが民兵組織を作った。
  そして、アメリカ合衆国生まれのドールは、その民兵
 の武力組織を後ろ盾にハワイ王の退位を迫った。
  そして、アメリカ人たちの系統の政治組織・ハワイ連
 盟は、ハワイ王・カラカウアに退位の代わりにアメリカ
 人のサーストンの起草して作った憲法を受け入れる様に
 迫り、受け入れさせた。
  この憲法は白人のみに投票権があるとした。
  不公正なそして不平等な憲法であった。
  そして、先住民のハワイ人を排除する目的で、一定以
 上の収入や資産があることを条件としていた。
  結局、アメリカ合衆国から来た白人のアメリカ系およ
 びヨーロッパ系の者たちだけに選挙権があるという憲法
 だった。
  これで選挙をすれば結果は明らか、表面は合法的に見
 えるが、不公平な基準のもとに白人のアメリカ系とヨー
 ロッパ系にハワイは乗っ取られることになった。
  この不名誉な憲法を武力で認めさせたので「銃剣憲法」
 と蔑(さげす)んで言われている。
  ハワイ王及びハワイ王室および大多数のハワイの先住
 のハワイ人の方々は実権を失った。
  ドールは最高裁判所判事になった。
  この後、余りにも横暴な白人のやり方に、ハワイ王の
 妹のリリウオカラニ女王が、1891年に、白人と対立して
 即位した。
  そして、白人が銃剣で作った憲法を廃案にして新しい
 憲法を起案した。
  ハワイは騒然となった。
  白人たちは危機感を持った。
  1893年1月16日、アメリカ合衆国は、アメリカ海兵隊を
 出動をさせ、ハワイ王宮・イオラニ宮殿を包囲した。
  翌日の1月17日には、ハワイを銃剣憲法で奪った白人た
 ちは、ハワイの政庁舎を占拠した。
  そして、ハワイの王政は廃止だと宣言した。
  そして、臨時政府が打ち立てられたのだと叫んだ(宣
 言した)。
  ドールは大統領に就任した。
  そして、合法政府だと周りの国に言わせた(承認させ
 た)。
  臨時政府は、アメリカ合衆国と併合したいと意思表示
 した。
  そして、ハワイの臨時政府の大統領にアメリカ合衆国
 の大統領が兼務する形で就任した。
  その後、報告書が出されるなど、半分、演技と思われ
 ることをやったりしたが、結局、ハワイは、アメリカ合
 衆国の一つの州となった。
  今、大多数だった先住民のハワイ人の方々は影も形も
 ない。
  この最後のハワイの女王であるリリウオカラニ女王の
 心を謳った、若い女王によって作られた「アロハ・オエ」
 がある。
  この歌は、白人たちの横暴を暗喩していると言われて
 いる。
  強引な国を乗っ取る行為に抗議していると言われてい
 る。
  また、女王は日本へ助けを求めたという話もある。
  多くの日本人が居たことも関係していると考えられる。
  その日本人たちの誠実な生活態度を見ているからだっ
 た。。
  1893年のハワイ王国の滅亡への動きは下記・・
  ハワイ王国のリリウオカラニ女王が、アメリカとの不
 平等条約を撤廃する動きをみせると、これに強く反発し
 たアメリカ系移民であるアメリカ人農場主らが、アメリ
 カ海兵隊160名の介入・侵略をさせて、ハワイ王国を滅
 亡させてしまった。
  ハワイ王政を潰(つぶ)して「臨時政府」を樹立した。
  完全な元アメリカ人のハワイ移民を使ったアメリカの
 傀儡(かいらい、人の手先となって思いのままに使われ
 る)のハワイへの乗っ取り行為・侵略だった。
  この時、日本は、あまりにも卑劣な行為の侵略である
 ので、邦人保護を理由に、東郷平八郎の率いる巡洋艦「
 浪速」他2隻をハワイに派遣した。
  そして、ホノルル軍港に停泊させて乗っ取り勢力・偽
 クーデター勢力を威嚇した。
  先住民の正統政府のハワイ王国女王を支持する先住民
 らは、日本の軍艦の来航を涙を流して喜び歓喜した。
  また、ハワイ在留日本人も、先住民の方々の女王支持
 派と同じ気持ちで行動をとった。
  しかし、アメリカによるハワイ併合は、この年・1898
 年に実現されてしまった。
  そして、その66年後の1959年8月21日、アメリカは、ハ
 ワイをアメリカの州とした・・当初の目的どおり・・
  今、中国が、このアメリカと同じことをやっている。
.
  (今日の言葉)
.
  題:今、中国が、このアメリカと同じことをやっている。
   そして、富を吸われ続ける庶民は、もっと怒らなければならない。
   そして、外国から「ポルノレベルだ」と軽蔑されている。
   そして、何故?、日本の自衛隊は、アメリカ軍に信用されて、
       韓国軍は信用されないのか?
   そして、EUでは、どこの国も本音は移民に大不満。
.
紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャのダリウス大王が、西
 はエジプト、トルコから・・東はインド国境におよぶ史
 上最初の大帝国を建設した。
  そのダリウスが、自分の宮殿として作らせたのがペル
 セポリス。
  ペルセポリス:ペルシアのダリウス(ダレイオス1世と
 もいうペルシャの3代目の王)の建設したアケメネス朝の
 首都で・・、
  紀元前330年、アレクサンドロス大王によって破壊され
 た。
  現在のイラン南西部の都市・シーラーズの近郊に遺跡
 が残っている。
.
紀元前5世紀、オリエント世界の最初の大帝国の統一者・ダ
 リウス一世とクセルクセス王が、三度、ギリシャの奥深
 くに侵入し、戦ったが、スパルタやアテネの連合軍に敗
 北した(ペルシャ戦役)。
  この後、アテネは繁栄し、ギリシャ文化が完成した。
  これを通して、世界文化への貢献したという点で、画
 期的な意義を持つ。
.
紀元前331年、ペルセポリスの裏に「慈悲の山」と呼ばれる
 丘がある。
  そこに登り眺めると、この年、アレクサンダー大王の
 軍によって放火された「ペルセポリス炎上」の情景がよ
 みがえる。
  このマケドニア王の侵略戦争によって、どれだけのハ
 レムが燃え、女たちが引きずられ、男たちが虐殺された
 事であろうか・・、
  それからこの宮殿も焼失し、砂に埋もれ、ペルシャは
 幾度も異民族の支配を受け、王朝も四転五変した。
  そして、1925年に、パーラビ王朝が成立し、イランの
 独立がなった。
.
1582年6月21日、本能寺の変
  織田信長が、本能寺で「明智光秀が謀反(むほん)」
 と聞いた時、「是非(ぜひ)に及(およ)ばず」と言っ
 た。
  「信長公記」に書かれた言葉。
  信長の近くにいて、生き残った奥務めの女性が、この
 言葉を聞いていた。
  良し悪しなんかを判断したりする必要は無い!
  議論する暇などない、四の五の言わずにやれ!
  光秀をとやかく言うとか、和睦なんかとかに頭を巡ら
 す暇などない・・攻めてきたのなら戦うだけだ!
  蘭丸から「明智が者と見え申し侯」と聞いただけで、
 聞き返し確認することもなく、また、その他の情報を得
 ようともしなかった信長だった・・
  すべてを、その一言で分かった信長・・明智ならやる
 だろう・・と・・、
  この「是非に及ばず」を聞いた後、信長から離れてい
 た信長の息子である織田信忠がいる妙覚寺へ駆け込み、
 救援を求めた人物が居た。
  その人物を弥助と言い、キリスト教宣教師のアレッサ
 ンドロ・ヴァリニャーノが所有する黒人奴隷だった。
  救援に向かった信忠、戦い敗れて(多勢に無勢)この
 弥助は捕らえられる・・しかし、光秀は解放した。
  そして、後、結城秀康の側近として仕えたという。
  結城秀康は越前北の庄藩の初代藩主、そして、越前松
 平家宗家初代。
  因みに、この黒人の弥助は、勇敢に秀光軍と一生懸命
 戦ったという。
.
1808年、フェートン号事件。
  イギリスの軍艦のフェートン号が、長崎港に侵入した。
  そして、当時、イギリスと対立していたオランダの長
 崎商館をイギリスへ渡せと要求した。
  そしてまた、オランダ人を2人を捕らえたり、乱暴狼藉
 をした。
.
1837年、モリソン号事件
  日本は、1825年に異国船打払令を出していた。
  その12年後の1837年、浦賀(神奈川県)に、アメリカ
 船のモリソン号が来た。
  幕府は、モリソン号を砲撃し打ち払った。
  高野長英は、1838年に、日本の近海にはイギリスが支
 配する国が多くある。
  イギリス船は絶えず航行している状態で、この後、日
 本が海上輸送をするようになった時、その様に外国船の
 打ち払いをやっていては、今度は、逆に、日本の海運の
 邪魔をするようになるだろう」と言った。
  (注:高野長英は、イギリス船と勘違いしていた)
.
1890年、「うたかたの記」森鴎外の短編小説が、雑誌「し
 がらみ草紙」に発表された。
  識者は憂えた。
  1886年8月13日の夕の7時、バワリア王ルードビッヒ2世
 は、発狂し、ステルンベルヒの湖に身を投げ、死んだ。
  王は恋に悩んでいた。
  ドイツ留学中の森鴎外は、この事件に、驚き、心に衝
 撃を受け、1篇の創作をした。
  「うたかたの記」である。
  この時、鴎外自身も、あるドイツ少女と恋し、「うた
 かたの恋」を経験していた。
  鴎外が日本へ帰国した後、この少女は、鴎外を追い、
 日本へ来た。
  遠い日本へ、一心、はるばる来た、その娘を、鴎外は
 追い返した。
  若い鴎外に、その悲愁が、湖水に投身した美貌のバイ
 エルン国王に重なった。
  国王は、国の十数万の民の事も忘れ、恋に囚(とら)
 われたという。
  急峻な山の中にある国、その山の中腹に、贅沢な城を
 築いた。
  大工事に多くの犠牲になった民が居た。
  「国王のロマンの中の民」へ心がおよぶ。
.
1895年、孫文が日本へ逃れた。
  日清戦争の終結後に、孫文は、広州での武装蜂起(広州
 蜂起)を企てたが、密告で頓挫し、日本へ亡命した。
  1897年、宮崎滔天の紹介によって、政治団体・玄洋社
 の頭山満と出会い、頭山を通じて平岡浩太郎から東京で
 の活動費と生活費の援助を受けた。
  また、住居である早稲田鶴巻町の2千平方メートルの屋
 敷は犬養毅が斡旋した。
  長い間、清朝の満州民族の植民地にされていた漢民族。
  その漢民族の孫文は、「独立したい」「辮髪もやめた
 い(満州族の風習)」と言ってきた。
  この年・1897年、宮崎滔天らの援助で東京府池袋にて
 興中会、光復会、華興会を糾合して中国同盟会を結成し
 た。
  ここで、東京に留学中の蒋介石と出会った。
  清朝没落の前後、中国各地は、革命軍が放棄して大動
 乱の兆しが満ちる中国だった。
  1911年10月10日、共進会と同学会の指導のもと、武昌
 蜂起が中国で起きた・・各省が、これに呼応して独立を
 訴える辛亥革命に発展した。
  当時、孫文はアメリカにいた。
  独立した各省は、武昌派と上海派に分かれ、革命政府
 をどこに置くか、また、革命政府のリーダーを誰にする
 かで争った・・、
  1911年12月25日、孫文が、上海に帰着すると、革命派
 はそろって孫文の到着に熱狂し・・、
  翌年になって・・1912年1月1日、孫文を臨時大総統と
 する中華民国が南京に成立した。
  孫文を大総統に推戴(すいたい、おしいただくこと)
 する臨時政府が南京に樹立されて、国号を中華民国と改
 め、黄竜旗を廃して五色旗を掲げた。
  しかし、間もなく、旧軍閥を背景とする袁世凱(えん
 せいがい)が、共和政体を宣言するに至ったので、孫文
 は、事態を円滑に収拾するため、彼に地位を譲った。
  だが、政党の乱立と軍閥の割拠が前途多難を思わせる
 時代だった。
  この様な中国に、各国が政治的介入をした。
  この様な中、袁世凱は、軍備と財政の強化を図りたい
 と、この各国から借款を仰いだ。
  これに、イギリスが大きくかかわった。
  中国には、大国の各国が、複雑に関わっていた。
  この様な形で強くなった袁世凱政権は、孫文の民主革
 命派に弾圧を加えた。
  敗れた孫文は日本に逃れ、中華革命党を組織した。
  1914年(大正3年)7月のことだった。
  この月に世界大戦が起こった、8月に、日本が参戦した。
  日本は、イギリス軍とともに協力して、青島(チンタ
 オ)のドイツ要塞を包囲し・・、海軍は、南下してドイ
 ツ領南洋諸島を攻撃し上陸した。
  1897年~1898年にかけて、列強各国は、中国に独占的
 な特殊権益を獲得して来ていた。
  例えば、イギリスは長江流域に、ロシアは東三省(と
 うさんしょう、中国東北部)、フランスは広東、広西(
 こうせい、広西チワン族自治区)、雲南など・・を。
  日本は、この時、初めて、これ等の列強各国の様な山
 東省を得た。
  これまでのヨーロッパ諸国やアメリカによる中国大陸
 植民地化の歴史に、この時、日本も入った。
  また、満蒙に大きな脅威を築いてきたロシアに対して
 の、防衛地帯を築けた。
  日本産業の原料市場と消費市場が出来た。
1917年2月23日、ロシア革命(二月革命)
  ペトログラードで国際婦人デーにあわせてヴィボルグ
 地区の女性労働者がストライキに入り、デモを行った。
  食糧不足への不満を背景とした「パンをよこせ」とい
 う要求が中心となっていた。
  他の労働者もこのデモに呼応し、数日のうちにデモと
 ストは全市に広がった。
  要求も「戦争反対」や「専制打倒」へと拡大した。
  ニコライ2世は、軍にデモやストの鎮圧を命じ、ドゥー
 マ(ロシアにおける議会)には停会命令を出した。
  しかし、鎮圧に向かった兵士は次々に反乱を起こして
 労働者側についた。
  (史料)ロシア革命の時、ハルピンは無政府状態に陥
 (おちい)り、本月7日同地総領事は外務大臣に出兵準備
 を請願したる次第なり。
  9日黒沢中佐よりの電報によれば過激派の外務大臣トロ
 ツキイは、労兵会にて、日本は露国に宣戦することなか
 るべきも自己の為め如何なる奇策を行なうやも計り難し
 と述べたり。
.
1924年12月、中国の錦朝線が開業した。
  中国(支那)大陸における最大の利権国であるイギリ
 スが、満蒙の利権や儲け話を掘っておくわけはない。
  錦州から赤峰に至る錦赤鉄道を計画し、その第一歩と
 して錦州から朝陽に至る錦朝鉄道の敷設権を秘かに獲得
 していた。
  たまたま第一次世界大戦があって着工が遅れていた。
  この様なイギリス利権に対し、日本も、同様な利権を
 求めた。
  しかし、日本人が一生懸命努力をしても、イギリス人
 たちに、その利権はさらわれて行った。
  歴史・・、
  1921年4月、錦州駅~北票駅間の建設が開始された。
  1924年12月、「錦朝線」として開業した。
  1933年2月、金嶺寺(現:北票南駅)~凌源駅の建設が
   開始された。
  1933年10月、凌源駅~平泉駅間の建設が開始された。
  1934年4月28日、平泉駅~承徳駅間の建設が開始された。
  1936年6月16日、錦州駅~承徳駅間が全線開通して「錦
   承線」に改称された。
  1938年11月、承徳駅~古北口間が開通し、「錦古線」
   に改称された。
  1945年、日本の敗戦、および、国民党軍の補給路遮断
   のために共産党軍によって古北口~承徳間が廃止さ
   れた。
  1953年、京承線建設のための測量が開始され、承徳~
   古北口の旧線は大坡道~拉海嶺間の連続四段スイッ
   チバックが非常に非効率であることから、新線を作
   り直すことになる。
  1960年、承徳~古北口間が新線が開通し、京承線とし
   て開業した。
  全長は、447キロメートル。
  中国からは感謝の言葉の一つもない。
.
1929年、大恐慌が起きた。
  アメリカ・イギリスの先進諸国は経済的打撃が大きく、
 大幅に経済が縮小した。
  しかし、日本及び日本傘下の朝鮮・台湾は、若干、停
 滞する程度で、経済が発展し進展した。
.
1932年3月1日、満州国が建国された。
  日本は、満州の建国を応援した。
  その建国の理念に「五族協和」があった。
  しかし、民族のるつぼというべきカナンの地の宗教=
 キリスト教には「異民族排斥の考え方・教義」の「異教
 徒は殺せ」があった。
  しかし、この様な考えとはまったく違う理念「五族協
 和」の下に満州は建国された。
  日本が応援する満州には、満州人(女真族)も、ウィ
 グル人も、モンゴル人も、「皆、懐に抱かれる」の考え
 の下にあった。
  しかし、今・現在(2017年)、この地に満州人はまっ
 たく居なくなったという・・殺されたのか? 移住させ
 られたのか?
  そして、今・現在(2017年)、中国は、チベットの地
 へも、ウィグルの地へも、モンゴルの地へも、漢民族を
 大量に入れて(移住させて)、どの地域も一番多い民族
 は漢民族という地へと変えた・・
  その様な形で、国柄を変えて、すべてが漢民族の地と
 している行為が行なわれている。
  沖縄が、北海道が、この様な憂き目にあわないとは言
 い切れない状況の現在となっている。
  対馬は、韓国人の移住が酷(ひど)いという。
  中国は、武力を伴う「力によって」この行為を遂行さ
 れている。
  チベットの場合、チベット仏教の僧侶の方々が、自分
 の身を焼くという悲惨な形の抗議行動を行なっている。
  2016年の時点で、160人以上の僧侶の方々が、尊いこの
 行動をなされた。
  ベトナム戦争時においても、アメリカの「力による抑
 圧」に対し、ベトナムの仏教僧侶の方々が、やはり、焼
 身することによって抗議活動がなされた。
  まったく痛ましい事である。
.
1938年、日本・朝鮮・台湾がつくるグループは、1913年以
 来、飛躍的に発展した。
  F・ヒルガート著の「工業化の世界史」には、世界各
 国の工業生産の伸長率が記されているが・・、
  その著によれば、1913年=100として、1938年の時点で、
 1番伸長したのが朝鮮で560(5.6倍)、2番が日本で510
 (5.1倍)、3番が台湾で490(4.9倍)となっている。
  これに対し、アメリカは150(1.5倍)、イギリス120
 (1.2倍)である。
  この数字を見ても、いかに素晴らしい発展を、日本・
 朝鮮・台湾がしていたかがわかる。
  韓国は文句を言う理由はない・・
  アメリカ・イギリスの4倍以上の伸長をして発展をして
 いた。
  この時の世界の平均の伸長率が180であるから、アメリ
 カ・イギリスが特に悪いと言う訳ではない。
  この時代は、不景気の時代であった。
  その影響下に、それなりにアメリカ・イギリスも受け
 けていたという所だった。
  ただ、日本・朝鮮・台湾のグループは、その世界不況
 の影響を受けずに、破竹の発展を遂げていた。
  だから、台湾は、日本統治時代を感謝している。
  国が発展したと、しかし、朝鮮・韓国は、この事に、
 まったく触れずに日本を貶(おとし)めてばかりしてい
 る。
  恩を仇で返す国となっている。
.
1947年6月8日、日教組(日本教職員組合)が出来た。
  日教組は、子供たちの「個性を育てるのだ」とか、「
 感性を育てるのだ」とかという理屈で、何でも好き勝手
 に、教師自らやり、また、子供たちにやらせていて、そ
 れを良いとしている。
  この「個性」と「感性」を育てるという名目で、日教
 組は、子供たちを「自由放任」にする。
  下手に日教組の教師が口を出さない方が「良いのだ」
 という方針でいる。
  だから、子供たちの思った通りのことが出来る。
  そして、「何でもあり」の状態となる。
  卒業式でクラッカーを「バン!」と鳴らす。
  「個性のある卒業式ではないか」という理屈で問題に
 されない。
  この様な子供たちが育って、成人式の式場でも、クラ
 ッカーを「パン!」と鳴らす、
  酒に酔って式場で大声を上げる・・
  この様な人間が出来てしまう・・日教組方針の教育の
 結果がこの状況となっている。
  教師が口を出さないという日教組方針は間違っている。
  何ら指導をされない子供たち・・子供たちの教育を受
 ける権利が無視されているという状況にある事に、日教
 組は気付かない。
  放任していることで・・個性が育てられているので・・
 教育しない放任が「教育なのだ」と日教組は言う。
  これは詭弁である。
  キリスト教徒のアメリカ人たちは、アメリカに渡って
 来た初期に、厳寒期のアメリカの厳しい環境の地で越冬
 ができずに、若い女性を殺して食したが、この殺人を越
 冬のために殺したのだと、「悪」という論理を薄めたり、
 隠したりしているが、この論理と同じ詭弁なのだ。
  日教組も教師の立場を放棄している事に気付いている
 が、気付かないふりをしている。
  また、中には洗脳されて気付きもしない教師がいる。
  教育の破壊現象が起きている。
  教師の本分が尽くされていないのを気付かない。
  悪の指導をしている日教組は、鉄面皮に、半分、悪と
 分かっていても「よし」としている。
  卒業証書を校長先生から、後ろ向きでもらったり、背
 中に、垂れ幕を付けた服装で卒業式に出たり・・、
  教師もジーパンとジャージーで・・「アメリカの作業
 服姿で出席」したり、国旗・国歌をないがしろにしたり・・、
  この様な「何ら指導がなされていない」状況にしてい
 る日教組の指導方針に問題の原点がある。
.
1971年、この頃のトルコ労働者の夢は、西ドイツやスエー
 デンに行き、そして、働き、そこで、ドイツの女性と結
 婚して、永住して、もう二度とトルコに帰って来たくな
 い、
  そして、今、大量に人々は流れている。
  このトルコ・・まだ、9割の家に電気が来ていない。
  ドイツの産業は、安い労働力だと大喜びしている。
  今、日本も同じことをしている・・中国人と韓国人の
 大量流入となっている。
.
2013年3月11日、東日本大震災二周年追悼式が行われた。
  東日本大震災の震災一周年の追悼式で、民主党政権は
 台湾にひどいことをした。
  台湾代表は、各国大使と同じ席すら与えられず、一般
 の招待者と同じ二階席に行かされ、指名献花も無かった。
  総額300億円近い、アメリカに次ぐ額の募金をしてくれ
 た国に対して、この態度は極めて失礼と言う以上に非人
 間的だった。
  二周年追悼式は、自民党の時は、台湾を国賓として参
 列して戴いた。
  中国と南北朝鮮は欠席した。
  中国は、台湾を国として認める態度に反発した。
  韓国の欠席理由は、いつもの様に「意味不明の話」が
 伝わってきた。
  ここに記すのも馬鹿々々しい話だった。
  安倍首相は、台湾を国賓として参列して戴いたことに
 ついて、「礼節を大切にしたい」と語った。
.
2016年4月15日、アメリカの1%か、せいぜい数%の大金持
 ちが、富の99%を所有している。
  まったく不公平なキリスト教国・アメリカという国で
 ある。
  この富の不平等さは、「まったく卑劣だ」と・・唾棄
 する以外にない。
  当然、『民の富を収奪しなければ』こんなことが出来
 る訳がない。
  99%の大多数の民の富が、せいぜい数パーセントの大
 金持ちによって奪われるという封建状態の政治となって
 いる。
  これを、「格差」という言葉でマスコミは綺麗に表現
 する・・「掠奪状態的だ」などと露骨に糾弾したりはし
 ない。
  そして、この格差は、「ますます、拡大している」。
  こんなきれいな表現で、この問題を終わらせてはいけ
 ない。
  合法的とされる現行の法律規制のなかで、民の富を収
 奪している「ほんの一部の金持ちたち・富豪たち」。
  民へ利益還元すべき事も行わずに・・
  「民への分配」をしないから、この富豪たちのところ
 に富が、『ますます蓄積』されて行く。
  当然、社会システムが、適切ではないのだと言える。
  適切なら・・こんな極端な状況になる訳はない。
  この調整の方法の一つが「税制」である。
  税の財源を、当然ながら富が蓄積している所へ求める。
  それが当たり前なのだが・・
  金持ちや、富を蓄積している大企業へ求めるのが当然
 なのだが・・、
  ここにグローバル化なる「お化け」がある・・
  グローバル化が進んでいるので、税を高くすると、恩
 になった母国を、恩も何も関係ないと、その母国を出て
 行ってしまう。
  だから、「おいしいグローバル化への道」を大きな声
 で叫ぶ輩・グループが居る。
  ある意味でキリスト教もグローバル化を利用したいた
 めにグローバル化を叫んでいる。
  大企業やお金持ちが、逃げて行っては母国にとっては、
 元も子もなくなってしまう。
  今、世界一の投資家が、アメリカからシンガポールへ
 移っているが、個人的にもこの様な事がなされているが、
 (そして、子供には中国語を習わせているという)この
 様な事が簡単になされてしまう。
  限りなく税金を0へ向けて行かねばならないという性格
 を持ってしまう。
  むやみやたらに大企業に税はかけられない。
  逆に、大企業が国外に逃げるのをつなぎとめる様にと
 税金を安くする行為がなされている。
  または、逃げた大企業は戻っておいでと・・
  これを、今、アメリカのトランプ大統領がやっている。
  そしてまた、他国の大企業に進出してもらいたい国は、
 税金を安くして大企業誘致に懸命になる・・大富豪も同
 じに・・、
  税金の安い海外へ資産を移したりしないようにと・・
  その様なことのできない大多数の貧民は、「それは税
 金逃れだ」に見える・・
  それを躍起にやる世界になっている。
  (読売新聞、2016年4月15日)で、三木義一氏が、税負
 担を軽くするには「節税」「脱税」「租税回避」の三つ
 があり・・、節税は合法、脱税は違法、税制回避は節税
 と脱税の間にあるグレーゾーンだと言う。
  租税回避が、「タックスヘイブン」だ。
  (参考)タックスヘイブン:「租税回避地」という意
     味で、外国資本&外貨獲得の為に、意図的に税
     金を優遇(無税または極めて低い税率)して、
     企業や富裕層の資産を誘致している国や地域。
  産業が無い国や地域が、外国から投資を呼び込むのに
 つかっているが・・有効。
  「パナマ文書」が世界で取り沙汰されている。
  利益追求する大企業が、活用したいという面があり、
 利益拡大を求める大株主も租税回避を促している面があ
 る。
  多くの税負担をすべき富裕層や大企業が、国境の外へ
 と逃げる。
  国境の外の法律の届かない所へと逃げる。
  社会の破綻である。
  節操のなくなった大企業や大金持ち層が、こんな事を
 今、している。
  日本に育てられた子供や家族、残した日本の人たちに
 大きくしてもらった大企業が、恩も何も感ぜずに、日本
 から出て行く。
  「パナマ文書」に、国の模範となるべき「国のリーダ
 ーたち」が、自己だけの利益追求の欲に負けて、名を連
 ねている・・公表された名は、ここでは伏せるが・・
  世の末の形相を呈している。
  税のシステムの破綻行為をしている。
  アイルランドと言う国も、この手を使って大企業を誘
 致している。
  民主主義の破壊行為国となっている。
  周辺国からの苦情に、「税率の決定は各国の権利だ」
 と「けつまくりの反論」をしている。
  (参考)尻を捲る:しりをまくる・けつをまくる:
     居直ること。物腰を急に変えてけんか腰の様相
     を呈することなどを意味する表現。
  アイルランドへ、国際社会があってこそ、貴方の国・
 アイルランドも成り立っているのでしょうと反論したい。
  大企業は多国籍企業となり、大富豪も、莫大な資金を
 投入して節税と称して税金逃れをしている。
  アメリカというキリスト教国は、この流れに節操なく
 先鞭をつけた・・グローバル化が都合が良いと・・
  富を吸われ続ける庶民は、もっと怒らなければならない。
.
2016年、日教組は、「国際理解」という事を完全にはき違
 えている。
  また、意図的に詭弁(きべん)を弄(ろう)し、日本
 を冒涜している。
  また、日教組は、「ジェンダーフリー」を運動方針に
 している。
  だから、「ひな祭りなどの伝統文化」を否定している。
  この様な自分たちだけの判断基準を、子供たちに押し
 付けている。
  何でも屁理屈を付けて、理由なき理由を付けて反対す
 る日教組。
  日教組のこの言い掛かり的に、日教組の組織に付いて、
 文句を言うならば、日教組の組織は、圧倒的に、男性が
 多い組織になっている。
  故に、女性の日教組の組合員を増やせ、そして、どう
 しても女性組合員が増えないなら、女性組合員と同数に
 なるまで、男性組合員を減らせ。
  こんな男女格差のある組合員数は、ジェンダーフリー
 に反する。
  女性組合員と同数になるまで、男性の日教組の組合員
 の首を斬れ。
  毎日、この事を教室で、児童・生徒に言って洗脳教育
 せよ、マインド・コントロールせよ。
  そうすれば自分たちの主張が、程度の低い詭弁だと分
 かるだろう。
  もういい加減に、子供たちを繰る日教組活動を止めよ。
  頻繁に、性教育をするのが正しい訳がない、それも、
 だんだん過激な性教育をするようになっている事を日教
 組は反省せよ。
  また、低学年に、無節操に秘め事を話すことも悔い謹
 めよ。
  これは、電車の露出狂と同じ行為だという事に気付け。
  何も知らぬ子供たちへ、2時間も過激なレベルの性教育
 をするというのは「犯罪だ」。
  こんなことを6回も、7回もやるという。
  それも複数の露出趣味的手合いの教師が、複数で組に
 なってやるという。
  こんな異常さが許される訳が無いことを気付け。
  そんな行為、教育の名の下の犯罪行為をする権利はな
 い。
  10歳になるか、ならぬかの幼い子供に対して、教育と
 いう名に隠れた「言葉による性犯罪」である。
  「ペニスの洗い方」を多くの10歳の子供たちが、居並
 ぶまででリアルに話す必要はない。
  話したら犯罪行為だ。
  あまりに露骨なので、これ以上は控えるが、この紙上
 でも具体的指摘表現を憚(はばか)る犯罪行為をしてい
 る日教組の教師たち。
  外国から「ポルノレベルだ」と軽蔑されている。
.
2017年、我が国政府が表明している安全保障の方針・・
  我が国を守り抜く総合的な防衛体制の構築
 ☆厳しい安全保障環境の中、戦略環境の変化や国力国情
  に応じ、実効性の高い統合的な防衛力を効率的に整備
  し、統合運用を基本とする柔軟かつ即応性の高い運用
  に努める。
 ☆政府機関・地方公共団体・民間部門との間の連携を深
  め、武力攻撃事態等から大規模自然災害に至るあらゆ
  る事態にシームレスに対応するための総合的な体制を
  平素から構築していく。
 ☆その中核を担う自衛隊の体制整備に当たっては、統合
  的・総合的視点から重要となる機能を優先しつつ、各
  種事態の抑止・対処のための体制を強化する。
 ☆核兵器の脅威に対しては、核抑止力を中心とする米国
  の拡大抑止が不可欠であり、その信頼性の維持・強化
  のために米国と緊密に連携していくとともに、弾道ミ
  サイル防衛や国民保護を含む我が国自身の取組により
  適切に対応する(抜粋)
 https://www.cas.go.jp/jp/siryou/131217anzenhoshou/gaiyou.html
.
2017年、日教組は、「強制だ」と言って拒否し、最終的に、
 それを排除する行為をする。
  与えれば・・『強制だ』と言う。
  自分たちが好きなこと、すきなものには、その様な事
 は、当然、言わない。
  ・・が、しかし、「自分たちが気に入らないものに、
 『強制だ』と言って受け入れない。
  『強制だ』を、受け取り拒否の看板にしている。
  指示・指導をしても「強制だ」と言う。
  結局、自分たちの好き勝手をしている。
  しかし、自分たちの給料は貰う。
  たまには、「強制だ」と受け取りを拒否をしてみなさ
 いと言いたい。
  結局、「管理されたくない」というところに帰結する。
  自分の好きな事「だけ」を・・自分の好きにやりたい
 のだ。
  自分たちの好きに、「子供たちを教育したい」「自分
 たちの好きに洗脳したい」なのだ。
  だから、「法律で決まった事もやらない日教組」とな
 っている。
  日教組の、教師の、好きに、子供たちをマインド・コ
 ントロールをしたいのだ。
  日教組は、「強制」という言葉で、自分たちの好きで
 ないことは、『強制的に拒否』し、強制的に排除し、受
 け付けない。
  日教組は、この様な方法で、自らのイデオロギーを子
 供たちに『強制』している。
.
2017年、韓国軍は、アメリカ軍にまったく信用されていな
 い。
  それは、朝鮮戦争の時から始まっていた。
  昨日・今日、始まったことでは無い。
  朝鮮戦争という激戦を戦う中で、気が付くと周りに韓
 国軍が居なかったという窮地をアメリカ軍は体験した。
  アメリカ軍は、冷や汗をかく様なことを、朝鮮戦争の
 時から何度も味わされて来た。
  韓国軍の幹部が嘆(なげ)く・・「何故?、日本の自
 衛隊は、アメリカ軍に信用されて、韓国軍は信用されな
 いのか?」と・・この韓国軍幹部の漏らし嘆いた言葉の
 答えはこれだった。
  これに対し・・「日本軍は、いつの時でも、正面から
 堂々と来た」・・「汚い事は一切しなかった」・・「こ
 の様な戦い方をするのは日本軍だけだ」とアメリカ軍は
 その裏付けを話した。
.
2017年、日教組の子供たちへの思想教育は『大罪である』。
  日教組は、まだ、発達途上の子供たちの頭に、洗脳教
 育をし、マインド・コントロールをしている。
  「日の丸」や「君が代」の日本の国柄を示す根本を壊
 そうとしている。
  「日の丸」「君が代」は戦争になるからと、何ら脈絡
 のない恐怖をたたき込んでいる。
  「天皇陛下」を「天皇」といい、恐怖の対象のように
 教える。
  絶対尊称は使わない日教組。
  「日の丸」の赤は、日本によって殺された人々の血の
 色だと、どぎつい表現の悪印象をマインド・コントロー
 ルするやり方で、子供たちを洗脳している。
  日教組に言わせれば、赤だって、黒だって、黄色だっ
 て、こんな言い方で「日本のすべてを悪く言いたい」の
 だろうが??
  『いかにして平和を守るか?』という、本来、教えな
 ければならない事の微塵も日教組は教えない。
  教えるべきことをしない日教組のお粗末となっている。
  『いかにして戦争を抑止するのか?』という、これこ
 そ教育すべき課題で・・、
  この様な重要な教育課題を放棄している日教組となっ
 ている。
.
2017年、ECという形を使ってドイツは伸びた。
  EUでは、どこの国も本音は移民に大不満。
  今、香港が、チベットやウィグルと同じように、どん
 どん中国本土の中国人がどんどん入って、香港が中国化
 しているという。
  数年働いて、お金がたまると、家族を呼び寄せるとい
 うパターンとなっている。
  オーストラリアにも、どんどん中国人が入って、その
 様な中国人は、積極的な行動家なのでオーストラリアの
 子供たちが駆逐されるという。
  日本のゲームばかりして「のほほんとしている子供」
 は移民に駆逐される。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive

2018年1月14日日曜日

(増補版)573E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年1月~1893年1月)

題:(増補版)573E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年1月~1893年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1893年、出来事:
・内閣:第二次伊藤内閣(1892年8月8日~1896年9月18日)
・小学校の祝祭日の唱歌として「君が代」などが選定され
 た。
・海軍省が、下瀬火薬を水雷用として採用した。
・シカゴ万博(1893年5月1日~10月3日)
・エジソンが映画を発明した。
・野口英世が医師の書生となった。
・スウェーデンのスヴェン・ヘディン(地理学者、探検家)
 が、トルキスタン(西はカスピ海、東は中国、北はアラ
 ル海、イルティシュ分水界、南はアフガニスタン北部、
 イラン国境に及ぶ地域 )や、西蔵(せいぞう、チベット
 の西南部分)や、新疆(しんきょう、ジュンガル、モン
 ゴルとウィグル)の調査をした(~1897年)
・アメリカ移民の親米派によるクーデターで、ハワイに共
 和国が誕生し、ハワイ王国が滅亡した。
・松平容保が没した(1835年~1893年、58歳)
・毛沢東が中国湖南省に生まれた。
 中学校も師範学校もこの省の都の長沙で過ごした。
.
1893年、国際:
・ハワイ王国が滅亡させられた・・アメリカの属領となる
 (1893年1月22日)
・アフリカのギニアが、1890年にセネガルから分離してフ
 ランスの植民地となった。
  この後、フランス領ギニアと改称。
  そして、対フランス戦争が、1891年から7年間続いた。
  フランス領コートジボワールは、1880年代からヨーロ
 ッパ列強によって激しくアフリカ諸地域が争奪される卑
 劣な「アフリカ分割」が始まると、1893年に、フランス
 の植民地フランス領西アフリカとされた。
・モロッコで、スペインとリーフ地方のベルベル人との間
 で3次にわたり「リーフ戦争」が勃発した(~1925年)
 ヨーロッパの武力の強い国が、弱小のアフリカの国を好
 きに掠奪した。
.
1893年、経済・金融・貿易:
・アメリカに始まった恐慌は、各国で、恐慌の同時性とな
 って現れ、特に、鉄鋼、自動車、建設の諸部門では、ア
 メリカおよび西ヨーロッパ(EC)において深刻でだっ
 た。
.
1893年、物価:
・薬飴煉製20銭(7日分)
.
1893年、産業:
・御木本幸吉が世界で初めて真珠の養殖に成功した。
・エルモア・マニュファクチャリング・カンパニーが設立
 された。
 アメリカのオハイオ州クライドの自動車メーカー。
 最も小型は、1904年型の「エルモア・コンバーチブル・
 ラナバウト」で、4人が乗車でき650米ドルで販売された。
 当時市場で最も安価な自動車だった。
.
1893年、交通:
・新橋汽車課汽車監督雇のイギリス人フランシス・ヘンリ
 ー・トレビシックが、機関車・客車・貨車・線路縦断面・
 転車台・信号機・分岐器等の形式図面集を作った。
・北陸線の敦賀駅~今庄駅間の葉原トンネルが着工された
 (空気圧縮機のシュラム式削岩機を用いて掘削した)
・神戸・京都・横浜・品川の各停車場に連動装置を設備し
 た。
 連動装置は、駅構内の信号機と転てつ機を関連づけて全
 体的な保安機能を実現して、列車を安全に運行させるた
 めの装置のこと。
・下等車に「うすべり(薄縁、布の縁を付けたござ)」を
 取り付けた。
.
1893年、食:
・神谷傳兵衛が浅草「みかはや銘酒店」で日本初のカクテ
 ルを発売した。
 神谷バーの看板メニューでもあった。
 「夢のカクテール」と呼ばれて太宰治や林芙美子ら数多
 くの文学作品にも登場した。
.
1893年、報道:
・文学の分野が不振だというが、さかんだった時期などな
 い。これからの問題だ(毎日新聞)
・東京弁護士会の創立。
 予想どおり、発言者が多く、大声ばかりの混乱の会議(
 東京日日新聞)
.
1893年、論・文学・本・芸術:
・勝海舟『開国起源』、洋装3冊(宮内省出版)
  旧幕臣の勝海舟が編纂した書で、1893年に成った3巻で、
 日本がどのようにして開国し、開国後どのような外交を
 行なったかを記述した。
  対象とした時期は、1830年代~1867年まで。
  前半は重要な事件の項目別に、後半は編年体に構成さ
 れている。
  条約、幕府の達(たっし)、外国公使と老中との対話
 書、外国奉行をはじめ諸幕臣の上申書や評議書などを全
 文引載し、ところどころに勝が解説を付した。
・本:文芸雑誌 「文学界」 創刊
 1898年1月まで58冊発行された明治のロマン主義の月刊誌。
 北村透谷、島崎藤村、平田禿木、樋口一葉、上田敏、田
 山花袋らが書いた。
・本:「西伯利(シベリア)地誌」刊行(1893年12月出版)
 参謀本部:出版者、
 漢族と対立しているモンゴル族など歴史・社会・文化の
 深い理解が必要だった。
 軍事活動に民族学の知識が必要だった。
・本:陸羯南「原政及国際論(げんせいおよびこくさいろ
 ん)」 (1893年8月刊)
 西欧諸国は、自国に不利益な場合は守らないという万国
 公法なんて存在する意義があるかという論を張る。
 西洋キリスト教国の専横だと見る。
 西洋の規準を西欧以外に押し付けると見る。
 国の主権の平等性は無いと主張する。
 遵守の義務を負わされるのは、アフリカ・南洋・東洋の
 国だけだと主張する。
 今・現代にも、大いに通用する論を張っていた。
・本:井上円了「妖怪学講義録 第1号」
 妖怪学は、応用心理学の一部分として講述するものにし
 て、これに「学」の字を付するも、決して一科完成せる
 学を義とするにあらず。 ...
 今これを集録し、その部類を分かち、さらにその後、研
 究したる事実を増補し、左に「妖怪学講義」として掲載
 することとなれり。
 これを講述するは、哲学ならびに心理学研究に志ある者
 に、裨益(ひえき、ある事の助け・補いとなり、利益と
 なること)するところあるは明らかなり。
・本:田鎖綱紀「新式速記術」
 たくさりこうき、1854年8月、南部藩士の次男として盛岡
 在田鎖村で生まれる。
 15歳で上京し、大学にまなび、誌上で速記を始めて見て、
 1872年、カーライルから速記を見せられ、速記を学ぶ。
 1880年、東京麹町元園町に下宿し、日本語速記法の立案
 に努力した・・10年がかりで草案活動を続け、1882年9月
 19日、時事新報に「日本傍聴記録法」を発表した。
・本:東京書籍出版営業者組合「図書総目録」
 出版情報の基盤整備・・1902年に東京書籍商組合が上記
 名に改名され、改組され、9回に渡って刊行した「図書総
 目録」の序文には以下のように書かれている・・、
 「書籍と読書家との間に立つ所の目録が無かったならば、
 読書家の求める題目に就いて、又著者に就いて如何様な
 書籍が世に行はれてゐるといふ事、又読書家の求める書
 籍が如何様な出版事項の下に在るといふ事などが、一向
 に不明であるであらう」・・と。
・本:叢書「帝國文庫」
 1893年~1897年の博文館が発行した文学の叢書。
 毎月2冊発行した。全50冊。
 軍書、稗史(はいし、世間の噂などを歴史風に書いたもの)、
 人情本、黄表紙(絵を主として会話や簡単な説明で筋を
 運ぶ滑稽文学)、洒落(しゃれ)本(主に江戸で刊行され、
 遊離での遊びと滑稽を描写した読み物)などを網羅した。
 「真書太閤記」は特によく売れた。
・本:叢書「平民叢書」 (出版年:1984年説あり)
 出版者:民友社
 6冊(第1~10巻、号外合本)
 第1巻、19世紀之大勢
 第2巻、世界経済上之変動・・
 第9巻、哲学変遷史、附・近世哲学の大勢
・本:叢書「拾二文豪」(出版年:1903年説あり)
 著者:塚越芳太郎
 出版者:民友社
 トルストイ、滝沢馬琴、近松門左衛門、柿本人麻呂及其時
 代、シエレー、バイロン、頼山陽及其時代、トルストイ、
 シルレル、ユーゴー、エマルソン、ジョンソン、新井白石、
 カーライル、荻生徂徠、マコウレー、ヲルヅヲルス、ゲー
 テ、
・論:坪内逍遥「我が國の史劇」
 坪内逍遥は、1893年10月~1894年4月にかけて早稲田文学
 に、演劇における「小説新髄」ともいうべき「我が国の史
 劇」を発表した。
 日本で最初の史劇論である・・史劇=歴史劇。
 「史劇とは、件の個々の人物をば、專ら過去の世間に取り、
 且つ之れを過去の特殊なる事情境遇の間に立たしめて、件
 の千占唯一體なる自然人間の甼等旨を殊なる過去相のうち
 に現示せんと力むるもののみ。」。
・論:伊東忠太「法隆寺建築論」
 東京帝大大学院に在籍していた伊東忠太が、この年、「法
 隆寺建築論」を発表した。
 中門や金堂内部の柱の中間部は、膨らんだエンタシスで、
 これはパルテノン神殿などの円柱と同様のものと論じ・・、
 そして、これは、古代ギリシャ建築の影響であるとした。
 これに気付いたのは、伊藤が最初という訳ではないが・・、
 伊藤のこの論が世に広まった。
 そして、この法隆寺観が、当時の建築学界に受け入れられ、
 大勢が同意するところとなった。
 そして、この時代の支配的認識の枠組みとなった。
 (古代ギリシャ文化的な法隆寺観の原点となる)
・「老猿」(高村光雲)この年のシカゴ万国博覧会に農商務
 省の依頼で個人出品した。
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 (今日の言葉)
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 題:逆に、かつてのアメリカと強い結びつきのあったヨーロッパが
  疑問の行動をとる・・クエスチョンだ・・??
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紀元前430年、ギリシャのアテネという都市は、直接民主制
 だと・・理想的な様に言われ・・今・現代、その様に語
 られている。
  この当時を、よく見てみると、その直接民主制の政治
 に参加できた人は3万人。
  この人々の意見が、平等に、公正に、どのように諸意
 見が聞けたのか?・・そして、諸意見が言えたのか?
  そして、その諸意見がどのように討議され・・、
  そして、どの様にその討議の意見が収斂(しゅうれん)
 され、収れんが図られて・・理想論に近づいたのか??
  3万人の集団が・・できたのか??
  これは、非常に・・疑問である・・
  また、これ以外にも、この時代、アテネ市民は12万人。
  9万人が除外されていた。
  それが、女性と未成年者であり・・男尊女卑があった。
  また、8万人の奴隷が、市民でもなく、数も数えられる
 こともなく存在していた。
  奴隷という卑劣な地位に置かれ、考えの下に置かれた。
  この人々には、政治の「せの字」もなかった。
  これの、「どこが理想的だ」というのだ。
  人権さえ認められない人々が存在し、また、女性を除
 外するという卑劣な社会だった。
  こんな卑劣な社会を「理想だとデッチ上げる」のが、
 ギリシャを原点だと言う「ヨーロッパのプロパガンダ(
 嘘宣伝)」だ。
  そして、結局、この仮想を原点とするヨーロッパは、
 キリスト教を宗教とする国々は・・
  良く見れば仮想で空虚な状態を・・しっかりした原点
 を持っているのだとプロパガンダせざるを得ない・・そ
 して、それを引き継ぐキリスト教国のアメリカも、「正
 統なのだ」と同じ様にプロパガンダする・・嘘の話なの
 だ。
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1753年、J・P・プラッシーが生まれた。
  キリスト教の宗教性を、学問的に究めるための聖書学
 という事を始めたJ・P・プラッシーが、この年に生まれ
 た(1753年~1826年)。
  そして、この学問は、時代が進むほど、研究が進めば
 進むほど、
  キリスト教の悲劇が極まって行ったという経過をたど
 った。
  そのキリスト教の悲劇は、新約聖書学という近代の学
 問で、厳密に、精緻に、研究をすればするほど、万人を
 説得できるような、確実不動のイエス像の再構成の見通
 しが、暗くなって来ることであった。
  研究によって再建されたイエス像は、たかだか蓋然性・
 妥当性の域を出なかった。
  例えまた、再建されたとしても、イエスの思想は、新
 約思想の部分にしかならず、全体になり得ないというも
 のだという事が判明した。
  また、この部分的なイエスの思想を使って、新約思想
 の本質を探ろうとしたら、原始キリスト教団の多くは、
 切り捨てられてしまうという結果となった。
  また、そのイエスの思想は、その肝心な神学的根拠が
 明白ではない。
  つまり、
  『キリスト教は、基礎からしっかり積み上げられるよ
 うな宗教ではない』と、分析された結果となった。
  砂上の楼閣的な宗教だとの研究結果になって行った。
  キリスト教は、研究が進めば進むほど、宗教として成
 り立ちえない事が明白になって行った・・その様な、研
 究の歴史となった。
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1863年、朝廷の攘夷の要求に押された幕府は、この年、各
 藩に攘夷を行なうよう命じた。
  これを受けて長州藩は、下関海峡を通過するアメリカ
 商船に砲撃を加え、攘夷を決行した。
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1882年3月、伊藤博文は、「憲法取調の大命」をうけ、横浜
 を出航し、この年の5月に、ベルリンに到着した。
  ドイツの憲法学者グナイスと、モッセらに付いて講義
 を受けた。
  しかし、伊藤博文に、憲法の神髄を教えたのは、その
 後、8月8日、オーストリアに行き、ロレンツ・フォン・
 スタインに教えを受けた後だった。
  伊藤博文は、その感激を、その歓喜を、岩倉具視へ手
 紙で伝えた。
  「スタイン博士の講和は私の感格を興起(こうき、勢
 いが盛んになること)せしめました」と。
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1923年、日本郵船は、長崎~上海間に週2便の日華連絡船「
 上海丸」「長崎丸」を就航した。
  長崎市民にとって上海は「下駄ばきで行ける外国」と
 なった。
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1956年、地方教育行政法(「地方教育行政の組織及び運営
 に関する法律」の略称)が施行された。
  会社に入って、「入社」して、その会社の「社則」や、
 「社旗」や、「社歌」に対しての信義(しんぎ、真心を
 もって約束を守り、相手に対する務めを果たすこと)を
 果たし、重んじなければならない。
  そこを、「内心の自由」を主張して、反対を唱えたら・・、
 「退社が言い渡される」「減俸が言い渡される」・・と
 なる。
  これは当たり前だ。
  公立小学校~大学においても同じだ。
  今、日本で、「内心の自由」だからと、奔放な行為が
 日教組・教職者によって行われている。
  国旗や国歌を無視している。
  そして、それを、子供たちに押し付けている、子供た
 ちが見ている。
  それが、「思想」や「信条」に変わったって同じだ。
  私立においても同じだ。
  例えば、私立のキリスト教系学校において、「内心の
 自由」「思想」「信条」を主張して、キリストに反目し
 たり、イエスに反目したりしたら、その教職者の立場は、
 必ず失われる。
  国であろうと、地方自治体であろうと同じだ。
  何ら変わる所はない。
  教えられる側、児童や生徒には、罪はない。
  毅然とその罪を問わないところに問題がある。
  会社に忠誠を誓わない社員には、即、退社を命じるの
 と同等。
  法律で決まっていることをしない「法律違反者」を取
 り締まらずにいる異常な状態は改善されなくてはならな
 い。
  この問題を長らく放置し、法律違反者を野放しにして
 来た「お目つけ部署」が、この様な状況にした・・ここ
 が悪かった。
  締まりのない無法状態となってしまった。
  「教育長の指導なり、命令が、まったく無視されてい
 る」と報告を受けているのに、「困った事だ」で手をこ
 まねいていて、終りにしている。
  地方教育行政法43条の2項に、「上司の命令に忠実に従
 わなければならない」とある。
  この法律に違反しているのが、はっきりしているのに
 だ。
  違反しているのに、この上司(教育長)は、何年も、
 事態を改善しないで、手をこまねいて放置していた。
  職務命令が出せない「保身の教育長」が、見透かされ
 た。
  日教組と対立する事をしない、または、怖いと・・職
 務をまっとうしていない。
  日本は、この様な教育長を糾弾する部門が必要な国に
 なってしまった。
  だから、国や国民と、何ら関係ない日教組が、「日本
 の根幹の教育を牛耳る事態」となってしまった。
  いい子になっている教育庁・教育委員会との間に挟ま
 った「校長先生」が、大勢、自殺する日本になってしま
 った。
  日教組委員長が、北朝鮮に何度も行くような組織、そ
 して、職員から集めたカンパを北朝鮮に渡し媚(こび)
 を売るような組織・・日教組。
  (参考)地方教育行政の組織及び運営に関する法律
    (服務の監督)
    第43条:市町村委員会は、県費負担教職員の服務
     を監督する。
     2、県費負担教職員は、その職務を遂行するに当
     つて、法令、当該市町村の条例及び規則並びに
     当該市町村委員会の定める教育委員会規則及び
     規程(前条又は次項の規定によつて都道府県が
     制定する条例を含む。)に従い、かつ、市町村
     委員会その他職務上の上司の職務上の命令に忠
     実に従わなければならない。
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2017年、日教組とキリスト教が連携し、提携している。
  キリスト教の歴史で・・キリスト教を宣教していく過
 程で・・、
  キリスト教は、「信徒が増えてほしい」「金が欲しい」
 「権威が欲しい」・・と、あらゆるものと「くっついた」。
  他国の宗教の教義さえ、節操なくどんどん取り入れた。
  「宗教として、節操のない事でも、何でもやる」とい
 うキリスト教の体たらくだった。
  イエスの誕生日も、全く不明であったが、当時、隆盛
 を誇っていたミトラ教の「盛大に行われていた『冬至の
 祭り』の日」をイエスが誕生日としてしまった。
  馬小屋での誕生も、当時、その様な話が、あちこちに
 あったがそれを取り入れた。
  また、自分の宗教に無かった「天使」も、他宗教から
 持って来た。
  そして、真似たと思ったら、「大天使」の例のごとく
 天使をどんどん作った。
  そして、その天使たちをキリスト教のヒエラルキー(
 序列)と同じく、上下をどんどん作って言った。
  「ヒエラルキーのキリスト教」と言われる如く、序列
 の宗教性が強くなって行く。
  地場の宗教の「相手の教義」さえどんどん取り入れた。
  それは、信徒を増やしたい、金が欲しい、権威が欲し
 いが故の行為だった。
  権威が欲しいとして取った策の1つが「大学とくっつく
 こと」だった。
  特に、頭をもたげて来ていた大学の医学関係とだった。
  当時は、町の人たちは、人々が頼りにしていた人は、
 『助産婦さんたち』だった。
  農家の女性が、豊かな伝統を引き継いで、また、豊か
 な知識で・・助産婦の仕事以外にも・・病気からも人々
 を救っていた(医師の役目もしていた)。
  大学医学とつるんだキリスト教は、この助産婦の方々
 を狙った・・弾圧した。
  キリスト教は、この助産婦の方々を「魔女」に仕立て
 て攻撃した。
  そして、世間を煽(あお)って・・殺した。
  夜、野草を煎じて薬を作っている姿を「魔女だ」と言
 いふらした。
  町の皆が来るキリスト教会が、この悪行為の中心だっ
 た。
  キリスト教の魔女裁判所が、キリスト教会内に作られ、
 キリスト教聖職者が裁判官になり、拷問が行われ、絶対、
 生きて帰って来れない状況で監禁され・・殺され、魔女
 にされた女性の財産は、キリスト教会に没収された。
  焚刑に使った薪の代金まで、キリスト教会は請求した。
  この1例の様な悪行為は、まだまだ、キリスト教には
 たくさんある・・一杯ある。
  『東洋医学の漢方』のように、西洋にも薬草学が立派
 にあった。
  しかし、この西洋の薬草学は、キリスト教のこの魔女
 殺しの悪行為によって滅んでしまった。
  そして、今、キリスト教とつるんでいる日教組は・・、
 「日の丸」「君が代」を、この魔女の如くに「忌み嫌わ
 れるもの」として・・排斥している。
  また、何事にも偏頗(へんぱ)に考える癖のある日教
 組には・・、「『いただきます』という丁寧語を使って
 はいけない」という指令・指示がある・・教義がある。
  キリスト教と同じ様に、「害ある教義」の如くに唱え
 ている。
  「『いただきます』が差別を生む」というのがその理
 屈である。
  人間関係に上下関係を生んでいると言う。
  そんなことを言ったら、キリスト教なんて上下だらけ
 のヒエラルキー(序列)宗教だ。
  だから・・日教組は、提携しているキリスト教の「こ
 の序列の差別を治すこと」をするべき・・、
  日本語には「丁寧語」の他に「謙譲語」という言葉が
 あり、日本の素晴らしさ、良さを作っている。
  こんな日教組教師に、子供の教育を任(まか)せてい
 ると、言葉の使い方も粗雑になり、ガサツになってしま
 う。
  国語の勉強以前の問題だ。
  また、日教組は、儀式を、「権威を押し付けるものだ」
 と言う。
  儀式を悪いことだとする(ならば、提携しているキリ
 スト教のミサの宗教儀式はどうなるのだ?)
  日教組は、儀式の「厳粛さを感じさせるのもいけない」
 と言う。
  何でもかんでもいけないとして、やりたい放題にさせ
 ている。
  こんな教育だから、成人式で暴れる新成人が出来てし
 まう。
  日教組は、クラッカーを鳴らすのも自由と教える。
  踊り出すのも自由であると教える。
  自由が良いのだと洗脳する。
  「パーン、パーン」とクラッカーが鳴る卒業式がある
 が、日教組の考え・指導・意向で行なわれている。
  こんな日教組の洗脳がなされている子供たちなので、
 成人式も大騒ぎに騒ぎ出すのだ。
  あるべき姿を教えないで、自由だから何をやっても良
 いと間違ったことを教える日教組に責任がある。
  日教組もキリスト教も、日本の文化・良さを壊したい
 としている。
  日本の国柄を壊したいとしている。
  キリスト教が、「頑張るな」という運動をしている・・
 勤勉な日本の良さを否定している。
  キリスト教は、楽にする話ばかりをしている。
  受けの良い・・「いいとこ取りの宗教」となっている。
  結婚式のキリスト教・・、
  そして、「プレゼント」だとか、「眼前の楽な話ばか
 り」をする宗教となっている・・深さはない。
  日教組もこのキリスト教に洗脳されている。
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2017年、スリランカと中国の結びつきが強くなっている。
  中国の一帯一路政策の一端で、今、中国のスリランカ
 での巨大プロジェクトが動いている。
  中国が、この様にスリランカを重視するのは、スリラ
 ンカの位置が、シーレーン(海上交通路)の重要な位置
 を占めているから・・、
  シーレーンの要衝がスリランカなのだ。
  中国は、今、インド洋沿岸の国々で、次々と港を建設
 している。
  『真珠の首飾り』と言われる戦略を進めている。
  スリランカの最大の都市・コロンボの大プロジェクト
 は、習近平国家主席が出席して起工式が行われた。
  中国の第一の国家事業だ。
  今、強大な埋め立てが進められている。
  25万人が暮らす巨大な港湾都市を造るとされている。
  東京ドーム60個分の広さの土地で、投資金額が1600億
 円という。
  国際金融センターが設置され、港湾都市のモデルを作
 ろうとしている。
  2014年からすでに工事は始められ・・、
  スリランカ金融の中心地にしようとしている。
  この様なスリランカにインドは気をもむ。
  しかし、インドとスリランカは、2009年まで内戦が続
 けられていた。
  中国は、スリランカ政府に武器を提供した。
  そして、中国の存在感を高めた(かつて、アメリカが
 中国でやったこと)
  内戦が終了後、「スリランカ最大援助国としての地位」
 を確保した。
  かつて、第二次世界大戦直前、アメリカが、中国に武
 器を大援助して、日本に対抗させて、中国を戦わせて、
 日本の疲弊を狙ったように・・中国も最大のスリランカ
 の武器援助国となった。
  中国とインドは国境でもめている如く、犬猿の仲だ。
  スリランカ南部の小さな漁港・ハンバントタの場合は、
 中国は巨額な金を貸し付けた。
  そして、それをもとにして、開発が進められているが・・
 大きな問題がある・・そこが・・中国の狙いなのか??
  この港が利用される頻度は、1日に1隻・・程度。
  まったく理屈に合わないことに・・中国は金を出して
 いる・??
  何でか?? ここに中国は金を貸し付けて港を作るの
 か??
  返済が滞るのは目に見えている。
  中国が貸した金の額は・・9000億円・・こ様な巨額・・
 スリランカは、中国に対してこの様な債務を負っている
 という。
  『返済するのに400年かかる』と、スリランカのカルナ
 ナヤケ財務相は言った・・お手上げだと言いたいように・・、
  そこで・・、
  スリランカ政府と中国政府が取り交わした『合意文書』
 には・・見た目が美しくことが書かれていた・・、
  債務の軽減のために・・
  「中国へバンドン港の99年間の運営権を与える」、
 そして、その「治安警備の権限も与える」・・だった。
  スリランカ海軍に変わって『中国海軍』が警備を行な
 う・・と・・、
  スリランカ港湾局会長は・・言った、『これでは、中
 国の植民地だ』
  『どんな中国の船が入港してくるのか? 私たちには
 まったくわからない』・・と・・、
  そして、地元の僧侶は、『植民地化への道だ』、『大
 きな国の小さな国に対するやり方だ』・・と、
  内戦が終結した後、インドとスリランカとの間に「し
 こりが残った」・・その隙間に入って来た中国。
  2015年、インドのモディ首相が、28年ぶりに、スリラ
 ンカを訪問して、「関係改善に努めている』が・・??
  また、2016年4月に、インドによる経済協力を約束する
 関係強化も進められているが・・??
  そして、スリランカ東部のトリンコマリ港のインドの
 手による開発も始められたが・・??
  また、モディ首相は、インドから移り住んだインド系
 タミル人の人たちの地を訪ね、1万棟の住宅建設をすると
 約束したが・・?? 
  「同じ民族です」と繋がりの強さも話したが・・??
  スリランカの人々からも・・「インドとスリランカは
 家族なようなものです」との声も聞かれたが・・??
  インドは、中国の一帯一路の路線に多きな疑念の気持
 ちを持っている。
  2017年、北京で行われた一帯一路フォーラムに、イン
 ドは出席をボイコットした。
  インドの周辺国で進む、中国の拠点づくりが、「イン
 ドの大きな脅威」となっている。
  そして、インド外務省は言う・・、
  「中国の一帯一路は、国の主権を侵し、また、逆に、
 開発支援を受けた側が借金で苦しんでいる」と非難した。
  インドの隣の国・パキスタンでの中国がやる建設では、
 インドが主張している領土・国境を侵していて、これも、
 「インドの主権にかかわる」と強く批難されている。
  これに対し、案の定、中国も強く反発した。
  強い武器を持つ中国は、強気で押し切る態度を続けて
 いる。
  中国・潜水艦のスリランカ港の入港を、スリランカ政
 府は拒否した。
  また、これを、インドは、「中国による挑発だ」と言
 った。
  アメリカは、2006年に、インドに対する政策を大転換
 して、民生用の原発技術や、核燃料を提供する原子力協
 定を結んだ。
  これまで、アメリカは、NPT=核拡散防止条約にも
 参加しないで核兵器開発して、核保有するインドに対抗
 し・・30年間、関係が冷え込み・・関係が途絶え、対抗
 していた・・これを、大転換した。
  やはり、アメリカは、「中国と対する事・・対抗する
 こと」・・これを第一義(最も大切な根本的な意義)と
 した。
  インドは今、最大のアメリカ製武器の輸入国となって
 いる。
  それまでは、2006年までは、すべてロシアから買って
 いた。
  今、インドとアメリカの結びつきは強い。
  日本もインドとの結びつきは強い。
  これに、オーストラリアも入って・・4か国となってい
 る。
  インド政府筋も、この4か国との結びつきが強まる方向
 にあると発言している。
  この様な、世界での経過の中にある中国・・韓国との
 結びつきは強い・・が・・
  中国は、中国が捏造した南京事件で日本を虐(いじ)
 め、そして、中国にそそのかされた韓国は、無実の慰安
 婦問題で、日本を虐めて、中国の言いなりになっている。
  世界に慰安婦像を建てるのは、中国の金となっている。
  しかし、この図も、だんだん世界にその真の姿が分か
 られて来て、理解されなくなって来ている・・
  この後、ますます、バカにされる様になって行くだろ
 う・・そして、最後は、逆に、反発されることとなって
 行くだろう。
  中国と強く結びつく北朝鮮の核は、非常な脅威で、韓
 国は、その脅威によって北朝鮮に接近しているが・・そ
 の道は先細りとなるであろう。
  逆に、かつてのアメリカと強い結びつきのあったヨー
 ロッパが疑問の行動をとる・・クエスチョンだ・・??
  利益に目がくらんで・・金だけの状態で・・理念や理
 想はそっちのけの醜(みにく)い姿を見せている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive