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2014年2月12日水曜日

NHK、ソチ・オリンピック開会式で、安倍首相を放映せず、完全に無視した。

☆題:NHK、ソチ・オリンピック開会式で、安倍首相を
  放映せず、完全に無視した。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 ソチ・オリンピック大会は・・
 2014年にちなんで、2014・2・7、pm20:14から開会
式が開始され、2時間48分間に渡り挙行された。
 日本においては、2月8日の深夜となった。
 NHKが生中継した。
 しかし、NHKの放送態度に、大変な『異常さ』を感じ
た。
 まず、オリンピック開会式への参加を表明し、多くの国
民の方々が知っていた『安倍首相のオリンピック開会式の
参加」を、肝心のNHKが、開会式の中継の重責を担って
生中継しているNHKの実況アナウンサーが、その事を知
らないのである。
 また、その参加された日本を代表する賓客の『その安倍
首相の姿』を、NHKは、まったく、実況中継放送しない
のである。無視したのである。
 国の代表として参加された、賓客の安倍首相を、何故、
映さないNHKなのか?
 一番大切な、映さねばならない、中継しなければならな
い、いくつかのシーンの中の『大切なシーンの中の重要な
シーン』であるのに、
 何故か? NHKは、安倍首相の開会式に臨んだシーン
を、実況中継しなかった。
 故意なのか?
 また、失策か? ミスなのか?
 そういえば、最近、安倍首相は、『NHK改革』に取り
組まれているなと思った。
 これが絡んでいるのかと感じた。
 NHKは、こんなことでお返しをしているのかと感じた。
 NHKは、気に入らないこと、NHKのイデオロギーに
合わないことは、よく「無視する」行為をする。
 安倍首相の場合もこれなのだと強く感じた。
 キリスト教に偏するNHKは、イタリアのローマにある
バチカンに、わざわざ行って、ローマ法王から、日本の宗
教について御託宣を貰っている。受信料の無駄遣いである。
 日本の『神社神道の放送は良い』が、『仏教はダメだ』
・・との御託宣を貰う。
 キリスト教に偏するNHKは、キリスト教と日本の神社
神道は良く放送するが、仏教に関しては『無視』と『蔑視』
である。
 安倍首相の場合も、この様な場合の『無視行為』がなさ
れているのである。
 幼稚な行為をするNHKの『よくやること』なのである。
 安倍首相が映っていたと言う友人も居た。
 その方によると、遠いところから、小さい映像で安倍首
相が映っていたという。それだけだと言う。
 これでは、『無視同然』であるとその方も言う。
 何しろ、安倍首相の姿は、中継してないことと同然だっ
た。無視だったと言える。
 しかも、安倍首相の顔の真ん中に、オリンピック施設の
物体があって、あたかも安倍首相の顔に大きな絆創膏が張
られているのか?と思わせるようだったという。
 安倍首相が怪我でもなされたのかなと思わせる映像だっ
たという。
 何しろ、変な顔の状態の安倍首相の映像だったと言うそ
の方も、『NHKは安倍さんを無視した』と表現した。
 私も、生中継しているNHKの女性アナウンサーが、音
声で、「阿部首相、来られているんですね」と言ったのを
聞いた。
 私は、実況中継するNHKの放送担当者が、各国のメダ
ル数だとか、各国の選手の細々としたこととかの、実況中
継のためのデーターを集め、そして、持っているNHKの
実況中継の担当者が、
 また、その様な資料を、NHKから与えられている実況
中継の担当者が、
 何故、この様な、大切なことである、また、国民の多く
が知っていること=『安倍首相のソチ・オリンピックの開
会式への参加』を知らないのだろうと驚いた。
 NHKは、中継担当のNHK職員に、知らせていなかっ
たのである。
 カットしたのである。無視したのである。
 また、この時のNHKの男性アナウンサーの態度が、ま
た、おかしかった。
 男性アナウンサーと女性アナウンサーが、対話形式で実
況の生中継している最中で出た、この「女性アナウンサー
の『阿部首相、来られているんですね』と言ったこの言葉
の、この一瞬の後に、無言の空白時間が流れた。
 そして、その男性アナウンサーは、この女性アナウンサ
ーのこの言葉を完全に無視した。
 スムースな対話の中継が続いてきていたのに、途切れて、
まったくの無言状態の空白が続いたのである。
 さらに、おかしいのは、各国の来賓のアップ映像がよく
映るのに、「阿部首相の姿は、一度も映らなかった」こと
である。
 因みに、各国の賓客がアップになった国は、イギリス、
スペイン、イタリア、カザフスタン、中国、モロッコ、モ
ナコ、オランダ、韓国、アメリカ、台湾、ウクライナ、フ
ィンランド、フランス、モンテネグロ、チェコ、スイス、
スウェーデンなどなどなどの国々がアップ映像で、NHK
は中継放送した。
 その数々の国々の賓客のアップの映像が映る中に、賓客
の方々が映って行くのに、「肝心の中継国の日本の、安倍
首相」が、まったく映らなかった。
 何故、映らなかったのか?
 これは、本当に異常な状態と感じた。
 NHKに何か、明らかに、『恣意的なものがある』と感
じさせた。
 また、今までにも、NHKが、キリスト教に偏すること
をズーット申し上げさせてきましたが、このキリスト教が
忌避する「国旗と国歌」を、NHKはまったく放映しなか
った。
 NHKに問い合わせると、「軍国主義に戻るから」とN
HKは言った。
 キリスト教と同一歩調を取るキリスト教に偏するNHK
なのであった。
 オリンピックにおいても、NHKは、折角、選手が努力
を重ねて金メダルを取っても、その選手を讃える『表彰式』
の国旗掲揚と国歌斉唱を放送しなかった。
 この度のソチ・オリンピックでも、この様な開会式の放
送態度では、同じ様に、表彰式の国旗掲揚と国歌斉唱もし
ないなと感じさせた。
 また、今回のソチ・オリンピック開会式中継で、おかし
いなと感じたのは、『習金平氏の中国主席のアップ映像が
長い時間放映し、また更に、複数回も放映した』のに、肝
心の安倍首相は一度も放映ないという状態。
 また、中国選手が習金平氏に手を振るシーンとか、何か
と、長い時間、丁寧に放映した。
 そして、音声でも、NHKの男性アナウンサーが、「習
金平主席に、選手が止まって手を振っていますね」などと
丁寧に説明した。
 しかし、日本の選手入場の場合、まったくその様な状況
は放映せず、また、当然、安倍首相が、日本選手団の入場
を、多分、立っておられるだろう姿(NHKが、多く映し
た他国の賓客が、どなたも立っている姿だったので、安倍
首相も、そうなされたのだろうと思うが)、その安倍首相
の姿などは、まったく放送されていなかった。
 また、選手が、安倍首相に手を振る姿も放映せず、音声
による説明も、まったくなし、まったくせずの「完全無視」
の状態だった。
 中国とのその差は、驚くべき大きな差があった。
 まったく、NHKは偏している。
 特に、日本の賓客を、無視しているのは、国の代表する
放送局として『代表する意味がない』、また、『代表とな
る資格がない』。失格である。
 今後、この様な中継の権利は、自動的にNHKに行くと
いう方針は『変えるべき』である。
 実況放送権は、自動的にNHKになる方式ではない様に
すべきである。また、NHKもこの様な失態なので、次は
「ない」と感じなさい。
 NHKは、国民の総意を代表していない。
 また、『その意思がない』・・と断ぜられる。
 国民および国家にとって、損失のNHK組織の行為であ
る。
 当然、日本の国民が『託した資金』を託する意味がない。
 民放を含めて、公に実況する権利を、どこにするかの選
択をすべきである。
 NHKの、今までの担当者が、この様な体たらくで、
 やらないのなら、また、やれないのなら、
 NHKが行なう実況の権利は、NHKから剥奪すること
は、やむを得ないと断ずる。
 誠実な放送局に、中継権が行く方法を、今後、検討する
必要性があると申し上げる。
 当然、その中継予算は、NHKに支払った国民の受信料
で賄(まかな)うこととなる。
 また、ソチ・オリンピックは、150台の映像装置を使っ
て、入場する各国の国の姿を、メイン・グランドに映し出
していた。
 そして、これも、何故か、NHKは、この日本の国の姿
を、日本選手団が入場した時に映し出されただろうその姿
を、NHKは映さず、放送しなかった。
 この国家を思わせる姿をNHKは嫌った。NHKのイデ
オロギーからである。
 国旗・国歌は、『軍国主義に戻るからと言うNHKの偏
見による無視行為』と同じく、NHKイデオロギーは、「
日本の地図の姿」を、その様なNHKの偏見でもって、他
の国については映したが、日本は映さずに、無視した。
 先に記した様に、NHKは、中国もそうだが、韓国も詳
しく放送した。
 以上のことを、NHKに電話で問い合わせた。
 この返事は、NHKの『ふれあいセンター』の『放送担
当』という部署の女性に繋(つな)がったが、荷が重かっ
た。その事情から、上司に代わってもらった。その男性の
○○氏の名は、今回は、匿名にさせていただきます。
 そのNHKの男性上司は、NHKの開会式を見たと言っ
た。
 『安倍首相が映っていなかったでしょう』と尋ねると映
っていたと言った。
 そして、『1回、映った』と言った。
 『安倍首相と解からない状態だったでしょう』と言った。
 そして、『安倍首相と解かる状態でしたか』と聞くと答
えなかった。
 やはり、安倍首相が怪我をした様に見えた『遠景の安倍
首相の映像だけ』だった事がはっきりした。
 友人が見た、私は見落とした『1回だけの遠景だけ』だ
ったのだ。(その様な、見落とすような映像だけだったの
だ。それを以って、NHKは放映した。『無視しなかった』
と言いたかったのだと言える)。
 そして、この上司氏は、私が知らないのだろうと『ごま
かしの弁』を言い始めた。
 NHKの上司氏が言うには、『NHKが、撮影を担当し
ていないので、安倍首相は映っていなかった映像しか送ら
れて来なかった』・・と。
 これは全くのウソである。NHKは嘘を言った。
 映像は送られて来ているのである。
 安倍首相のアップで映った映像は、NHKは受信してい
るのである。
 ただ、その映像を選んで、NHKは放送しなかったので
ある。
 安倍首相の映像を『恣意的にカットした』のである。
 安倍首相のアップで映った映像を、NHKは受信してい
たが、NHKの放送網へ乗せて、放送しなかったのである。
 これは、明らかで、NHKの上司氏のウソは、はっきり
している。
 私はそのことをNHKの上司氏に言った。
 この上司氏は、私の言葉に反論しなかった。反駁はしな
かった。
 認めたのである。
 そして、これ以降、この上司氏の態度は変わった。
 習金平主席は、あんなにアップで何度も映り、選手たち
も手の振っている姿を、NHKは、丁寧に映し、音声でも
説明を加えると言うことを、NHKは、日本は、同じか、
それ以上に放送しなければならない。その日本の中継権を
持っているNHKなのだ。代表放送局の顔をしたNHKは、
まったく放送しなかった。
 国民とは何ら関係のない『NHKイデオロギーで以って』
完全に無視したのであった。
 NHK職員も『1回しか見ていない』と言っているのだ。
 それも、安倍首相が、お忙しいところを時間を割いて御
出席された姿を、はっきりと中継していないのである。
 この様な、私の追求を知ったその上司氏は、その後は、
NHKがよくやる手で、「私は分からない」という手を使
った。
 NHKは、「私は、分からない」「今、ここでは分から
ない」という手を良く使う。
 つまり、今回もこの手を使い、私が言う事について、『
言われることは担当部署に伝えます』に変わった。
 表彰式も、選手の方々が精進し、努力した結果の栄光な
のだから、表彰式でその選手を讃(たた)えなさい、日本
中に放送してあげなさいと言った。
 NHKの上司氏はそのことに直接答えず、答えられず、
『担当部署に伝えます』となった。
 表彰式を放送したと言ったって、1回、言い訳的にした
のだろう。
 私は、NHKが放送をカットして放送しなかったことし
か頭にない。
 そのほとんどを無視し、放送しなかったのだ。
 この件についてもNHKの上司氏も無言であった。
 『担当部署に伝えます』だった。
 何しろ、最初の時点でも、この様な話になると感じた上
司氏は、女性に、上司に変わってもらうように頼んだ時、
 電話を待つ間流れる音楽が消え、切れて、雑音に変わる
ことをした。
 当分続いた、電話が切れたかと思った様に、雑音が鳴り
続けた。
 それでも、私は待った。私は雑音を聞きながら待った。
 そうしたら、その上司が電話口に出て来た。
 今までの、雑音で長く待ちましたという事を言うと、接
触が悪かったのでしょうねと軽く言った。あやまりもしな
かった。
 そして、この話の終わりに、この件はどのように処理し、
反映するのかと聞いた、更に問うた。
 NHKのオリンピック・スポーツ・プロジェクトチーム
の担当部署に伝えますと言う。
 『それで、終りで握りつぶすのですか』と問うた。
 握りつぶされるのを避けたかった。
 そして更に言った。
 『皆様がこの意見を、見ることができるところに出して
下さい』・・と。
 そして、更に、『NHKの皆様が、そして、NHKの会
長以下が見られるところに掲載して下さい』・・と言った。
 その様にしますと、『この時点』で、そのNHK上司氏
は、ようやく言った。
 (参考)ひんきゃく【賓客】 [共通する意味] ★招待さ
 れた、大事な客。[英] an honored guest[使い方]〔賓
 客〕▽国の賓客▽賓客を接待する〔貴賓〕
.
 そして、次の話。
 この度は、話がややこしくなるので、NHKに二度に分
けて問うた。そのもう一つの方を以下に書きます・・、
 NHKは、400字以下の字数でしか意見を聞かない状況
にしている。
 それ以上の場合の字数は、やむを得なく(その2)とい
う形でしか提案はできない。送信はできない。
 NHKからの返事の場合が、たまにではあるが、その時
は、NHKは、2000字以上の返事を送って来る。
 NHKは、自分が言う時は、この様な字数での行為をす
るが、聞く時はその様ではない、NHKは聞く耳は持って
いない。
 今回、2000字をどうしても越えた。2100弱であった。
 送信は(その6)までになった。
 しかし、NHKからの受信したとの証明メールは、5通
しか来なかった。何番の送信が、NHKが受信できなかっ
たのかが分からなかった。1つ掛けただけでも、送信した
意味が無になってしまう。
 NHKに提案した。そして、NHKが受信したという「
お問い合わせ番号」だけの返信の時、その受信番号だけで
なく、『内容を添付』して返信してくださいと、NHKに
言った。
 NHK担当者の返事は、一々返事を書いて返信はできま
せんと言った。
 NHKは、良くとぼけて返事をする行為をする。
 それも、その行為をするときは、長々と。今回もそれだ
った。
 私はそうではなく、多くの一般企業も行っているので、
NHKも出来ると思うが、受信証明番号だけでは、NHK
に送信した側が、はっきりと問い合わせたとの証明行為も
出来ないので、企業もしているので出来るので、それも自
動でできるので、一々返事を書かなくても出来るので、内
容添付の受信証明の形で送信にして下さい・・と言った。
 NHKは、視聴者からの『貴重な意見・提案』などの送
信を1年間しか保管しないという。
 これは、裁判の証拠にされることを畏れているのだと感
じる。『言質を取られることを畏れているのだ』と感じる。
 それで、この様な不誠実な番号だけの送信行為で済まし
ていると感じる。
 そして、1年で破棄をしてしまうと感じる。
 ならば、受信証明を添付して、一般企業もやっている送
信内容も同時に添付して送信するようにすべきだ。
 また、NHKの不正をただすために、公立図書館に、映
像資料を持つという名目で、その公立図書館は、NHKの
映像を、建っているその場で受信し、蓄積・保管すること
をお願いしたい。
 そして、その映像を、裁判時などに活用し、NHKを正
す行動に使用できるようにして戴きたい。
 その映像が、『確かにNHKの○○年○○月○○日の映
像です』と証明書付きで出せるシステムを公立図書館に持
たせて下さい。
 そして最後に、NHKは2000字以上の意見は聞かないと
いう事が、新たに分かりました。
 送信者には不明の事であるが、この様な基準が、行為が
NHKにはあった。
 2000字以上の部分に、肝心な大切なことを、最後に書
いた方は、NHKは受信してないと言う事になっている、
残念な結果となることを、勝手なNHKの基準だけでやっ
ていた。一般の方々には表明しないで、説明しないでやっ
ていた。
 ..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
http://www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
http://www.youtube.com/watch?v=EE_KtK311aA

2014年2月10日月曜日

キリスト教の『聖書理解』は・・・

 題:キリスト教の『聖書理解』は・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の『聖書理解』は・・、
 聖書学などの研究者の功績によって、
 『まったく、違うもの』になっている。
 イエスの実際の言葉は、
 『ほとんどが、イエスの言葉ではない』。
 これは、キリスト教の根幹をゆるがす『衝撃的な事実判
明』だった。
 キリスト教が、今、言って、説教しいる「第二イザヤ」
も、研究者が発見し、
 キリスト教聖職者ではなく、『研究者が、名付けたキリ
スト教聖書の名前』です。
 本当の名前は、著者は『不明』、まったく分からないが、
 『イザヤ』と同一人物と考えられていた。どこの誰だか
まったくわからないが、別人であるということが証明され、
いまやそれが受け入れられている。
 ドイツ人の研究者「エバルト」によって、別人のものと
指摘され、立証され、誰もが今では『それを認めている』。
 「イザヤ書・40章~55章」は、「イザヤ書」と別、
 イザヤ書と言ったら間違いとなっている。
 別の名を付けて、独立させるべきなのである。
 人間様が、古代の人間様が、別ものを『くっ付けた』の
です。この様にして、聖書ができたのですという、話のほ
んの1つ・一端なのだが、
 古代の人間が、「ああだ、こうだ、削れ、くっ付けろ」
という事が、頻繁に行われていたことが、今では、分かっ
ている。
 明治の『新島襄』は、分かっていない。
 キリスト教に偏するNHKは、その様な所は『ほっかむ
り』して、美しく作り上げて(実際は嘘の事を)、放送し
ていた。・・が、
 この1事例のように、人間様が作ったという聖書の姿の
ほんの一端を現わしている。
 『神が書いたもの』でもなければ、
 『神が啓示を与えて書かせたもの』でもない。
 その様な事が、現代研究者の学究の結果が、はっきりさ
せている。
 『キリスト教の神が居ない』と、一生、悩み続けた『マ
ザー・テレサ』。
 その本が、今、発売されているが、キリスト教の神が居
ないことが、はっきりしているのである。
 『キリスト教の神は、だから、啓示もしない』し、
 『キリスト教の神からの、啓示もない』のが真実。
 宗教の根幹が崩れているキリスト教の聖書。
 その大根幹の「キリスト教聖書」を、「キリスト教の神」
が作り、与えてないという事は、明らかに、『キリスト教
の神は存在していない』し、宗教の成立も『成り立たない
状態』なのである。
 そして、実は、『第三イザヤ』もいる。
 キリスト教聖書は、今では、あっちこっちが『シッ茶か
メッチャカ』なのである。
 第三のイザヤも、まったく違う時代の人である。
 そして、この様な書を信じたユダヤ人には、『良い事が
起きなかった』。
 国は破れ、
 王子や政治の重臣たちは殺され、
 そして、王は殺されることは免(まぬが)れたが、王子
や重臣たちが殺されるところは、目の前で見させられたが、
 その後、目をくり抜かれ、
 国民と共に、異国の地・バビロンへ引き立てられて行っ
た。「バビロン捕囚」である。
 民は、嘆き、悔いた。
 『何で、神を信じる私たちが、何故、こんなにも苦しま
ねばならないのか。
 神を信じない諸国が、あんなに繁栄しているではないか』
・・と。
 キリスト教を信じる民は、常にこの様な状態になった。
 宗教が正しくないからである。
 間違った宗教を信じていても、『幸せにはなれない』。
 また、周りの人たち、関わる人たちを、『不幸』にする。
 ヨーロッパで、どのくらいの人たちが、この宗教のため
に殺され、また、殺し合ったか・・・。
 また、南米、中米、北米・メキシコ、そして、それらの
離島で、キリスト教徒とキリスト教聖職者たちが、気が遠
くなる数のインディオスを殺しまくった。
 殺しまくった後の40年後に、『悔いたキリスト教聖職者』
が書いた本が、岩波新書から出ています。
 やったあとでは遅すぎます。
 読んでみてください。
 間違った宗教の、殺戮の卑劣行為が、累々と書いてあり
ます。
 アメリカ大陸のその地には、冷酷にも、誰も居なくなっ
たその地には、冷酷なキリスト教聖職者たちは、それでも、
キリスト教会を建てた。
 これからの、未来の方達にも、このキリスト教によって、
今までの歴史の様に、『殺し、殺し合う世界』が現出して
しまいます。
 『キリスト教の教義が、そうなっているのです』
 『キリスト教は、残してはいけない宗教なのです』。
 キリスト者は、過去に殺戮した多くの人たちのことを思
い、『悔い改めて下さい』。
 (参考)がっ‐きゅう【学究】 もっぱら学問の研究に携
   わること。また、その人。「―の徒」
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
http://www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
http://www.youtube.com/watch?v=EE_KtK311aA

2014年2月9日日曜日

日本は、質が高いからと、安心していて良いのか?

 題:日本は、質が高いからと、安心していて良いのか?
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 タイで、「明治」が、砂糖を使わないヨーグルトを作っ
た。そして、販売した。乳酸菌も独自の乳酸菌であった。
 固める技術を確立したところに『独自のブランド』があ
った。
 しかし、『中味が崩れている』とのクレームが、相つい
だ。
 日本では、この商品の運搬中による中味の崩れは無かっ
た、大丈夫だった。
 それは、『日本と違う運送法』にあったためだった、タ
イでは崩れた。
 対策として、商品を崩れないようにするという発想では
なく、
 また、運送法の改善など『外部へ解決法を求める』ので
もなく、
 自社でできる解決法である『梱包方法の改善』を思考し、
試みた。
 そこで、出た解決法、実施した解決法は、
 運搬時に商品が傾かない「梱包方法」だった。
 そのうまい方法を、考え出したのだった。
 問題は、乗り越えることができた。
 売れ行きは好調で、「おいしい」の評価で、評判も良い。
 中味の品を変えないで、運送を考えた。
 自分たちのブランドの中心である『乳酸菌を変えない』
に拘(こだわ)った。
 日本の「オンリー・ワン」を守った結果だった。
 その商品が、そのヨーグルトが、築いてきた市場を守っ
た。
 そして、継続して来た市場作りも、そのまま続けられる
ことが出来た。
 新たな挑戦であったが、そのリスクを受けるか否かの中
で、リスクを受け入れて、この商品作りを守った結果が、
現状の「継続ができるという大切さ」を守った。
 無添加も守れた。
 健康イメージも構築出来て行った。
 独自で価値を作り、価値観を作り、そして、出来た市場
をさらに大きく、市場作りをして行った。
 (日本の和牛肉の話)
 『しもふり』
 ・・美味しさの代名詞ともなっている。
 これはブランドになっている。
 しかし、
 『香港へ』、和牛を売り込んだ結果は・・、
 香港の業者からは良い返事が得られなかった。
 何故なのだ・・、
 理由は、
 オーストラリア産の「しもふり和牛」がすでに存在した。
 「しもふりWAGYU(和牛)」と称していた。
 商標としている。
 価格は半値だった。
 この肉の価格には勝てなかった。
 そして、すでに、
 これが香港に広がっていた。
 日本の和牛肉は、香港の高所得者層に広がってはいたが、
 それを中間所得者層に広げたいが、この度の行動だった。
 あるオーストラリアの牧場主が居た。
 3000頭の和牛系の牛を育てていた。
 牧場主は、日本の和牛を、長年、勉強し、
 そして、育ててきたという。
 そして、20年前に和牛の「精液」を手に入れたという。
 そして、今は、『生産が注文に追い付かない』という状
態だという。
 「WAGYU証明書」が出来ていた。
 この証明書があると、7.5万円の牛が18万円の価格に跳
ね上がるという。
 大きな利益を生んだ。
 今、18カ国にWAGYU(和牛)は広がっているという。
 肝心の大本(おおもと)の日本抜きで、世界制覇に向か
っているという。
 中国は、オーストラリアから遺伝子を輸入したという。
 日本は、今、この外国産WAGYU(和牛)の売り込みで、
追い込まれているという。
 日本のブランドは、岩手県産とか、宮崎県産とかで、
「和牛」というブランド名は、喧嘩状態となっているので
使えないという。
 「しゃぶしゃぶ」などの食べ方などと共に、日本産和牛
の売り込みを工夫しているという。
 (同時に、知的財産権戦略も構築しなければならない。
そして常に、知的財産権・特許権などを頭に入れておくこ
とが大切)。
 WAGYU(和牛)証明書を、日本でなくオーストラリアが
出しているという、この事を、この件を『重く反省』しな
ければならない。
 ここに、「マスター・ブランド」の大切さの認識と、こ
の戦い方の反省があり、今後の発展に向けての研究が必要、
戦略構築が必要である。
 市場の認識の仕方も、間違っていたのではないのか。
 かつて、日本が発展した時は、主に、欧米の高い所得者
層などを狙った。
 この層の人口は、7億人~10億人の規模であった。
 が・・しかし、今は、その市場は変わり、また、市場の
規は模拡大している。
 地域的にも、所得層も、変わり、そして、拡大し、
 今では、市場は、40億人規模となっている。
 市場の性格が、まったく変わったと認識しなければなら
ない。
 『トップの品質』さえ大切にすれば大丈夫が・・?、
 違う価値観となっている。
 価値観も広がっている。
 サブ・ブランドで満足する人たちも大勢いる。
 トップさえ握っていれば、市場は作れると思っていたら、
和牛の様に、逆に追い込まれている。
 トップブランドだけでは『輝けない実態』、市場なのだ。
 そのトップから外れた、ちょっと、すぐ下のところが、
本当は『大切な大切なところだった』などと言う。
 トップの少し下の質や層を握られ、
 市場を作られ、
 市場を席巻されている。
 最上級の市場は、確保しているものの、日本は市場を失
っている。
 日本の、自分勝手な商品イメージで、価値観で、
 「ボン」と「最高級和牛」を出されても、
 首は縦には振られない。
 それで満足とは・・ならない、
 また、食べる人は満足していない。
 最高の味が分からないなどなど・・と、言うなかれ。
 市場は、「サブのレベルから食べ始める」とも言えるのだ。
 日本には『そこがない』、
 そして、『幅広さがない』、
 そして、そこの市場と、そこから市場を奪われている。
 今、そこが、大切な時代になっている・・のだ。
 そこにつけ込まれている。
 質が低いから、品が低いからと、安心していてはダメ。
 また逆に、日本は、質が高いからと安心していてはダメ、
これでは市場は形成できない、・・。
 (日本食レストランの話)
 タイで、日本と同じ味を出そうと工夫し、頑張っている
姿がある。
 タイで作られた「ジャポニカ米」。
 それを安く、タイで作る。
 日本から取り寄せた米(種苗)を、タイで栽培する、耕
作する。
 チャレンジするのは岩手県の照井さん。
 ベトナムで試験栽培中。
 作り易いという。
 人件費も安いという、
 また、年に、3回も収穫ができるという、
 コストが、3分の1になるという
 (何と、67%のコストダウン)、
 メイド・イン・ジャパンから・・
 メイド・バイ・ジャパンへ・・、
 ベトナムで、技術指導をしながら、コメを作って、東南
アジアに売りたいという。
 今、ベトナムで、日本食レストランが増えているという、
 そして、ベトナムの畑に立つ照井さんが、しきりに水田
の稲の葉を見ている姿、
 稲が、病気にかかっているという、
 病気の原因は密植だ。
 現地の、収穫量を上げたいとの意思が、密植栽培となっ
ていたのだが、そのために、
 密植栽培で『病気に弱い苗』になっていたという、
 そして、現地の農法は、稲籾(種子)を、直播(直接、
田んぼに種をまく、田植えはしない)だった。
 そのために、密植状態になっていた。
 これを止めてもらって、苗を育てた。
 そして、日本の様に、田植えをする事を説いた。
 そうすることで、苗間隔がとれ、植える間隔もしっかり
保つことが出来ると説く。
 量産化するときは田植え機を導入したいと照井さん。
 「ノウハウは、日本にあるが・・・」という問題。
 その技術をどのように展開するかの問題。
 照井さんの例は、このことの良い実践例。
 トップはメイド・イン・ジャパン・・でも、サブは、メ
イド・バイ・ジャパンという戦略が。
 日本のノウハウを持った方たちが、現地・現場を指導し
て、作り、市場を作っていく。
 (台湾の個人ブランド米の話)
 日本の個人の方が、台湾で米を作って、台湾市場に個人
ブランドを確立させて、「個人ブランド米(玉木米)」と
して流通させたという話・・・
 台湾で、「玉木米」が、かつての200倍の収穫量となっ
ている。
 個人の方が、自分のブランド米を作って、メイド・バイ
・ジャパンで、台湾の方に米作りをしてもらった結果であ
る。
 (食生活と食文化と連動した戦略が大事という話)
 かつて、銀座の道で、ハンバーガーをほおばった笑顔の
日本人たちがいた。
 そこに、アメリカ文化があった。
 ハンバーガーをほおばったのは、アメリカ文化も、ほお
ばっていたのだった。
 味噌だけを、
 また、醤油だけを・・買ってくれでは・・ダメ。
 味だけでも駄目だし、「もの」だけでも駄目だし、
 食のパッケージ・すべてが詰まったパッケージで広がっ
ていく・・これが大事、
 そして、そこからローカル化して行き、発展していき、
現地化させていく。
 日本で広がったカレーがそうだった。
 インドから入って来たカレー。
 日本のカレーとして広がり定着して行った。
 今は、家庭、家庭の、
 お母さんの、お姉さんのカレー・・と、
 などなどとして、がっちりと定着している。
 (13億人の市場の中国の話)
 中国の方の日本産の和牛はやっぱり違うねと、
 日本産和牛をほおばって話す中国の方、
 その言葉が大切、
 以上は、NHKスペシャル(ジャパン・ブランド)を見
て、私なりに書いた文です。
 メモ:NHK総合、2014・2・8放送、 pm3:05~pm4:
03、番組名:NHKスペシャル(ジャパン・ブランド)、
 出席者:妹尾堅一郎氏(産学連携推進機構理事長)
    三輪泰史氏(日本総合研究所主任研究員)
    佐藤可土和氏(アートディレクター)、
 (参考)みっ‐しょく【密植】 [名](スル)間隔を開け
   ずに植物を密に植えること。⇔疎植。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
http://www.youtube.com/watch?v=EE_KtK311aA