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2014年7月11日金曜日

明らかに・・因している・・

 題:明らかに・・因している・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 怖い話であるが・・、
 キリスト教聖書には、「騙(だま)した」とか、「殺し
た」とか・・、それも父子、兄弟で・・、肉親で・・、
 本当に醜(みにく)いことごとを・・書き連ねている。
 これが聖書かと・・言いたくなる。
 『聖』などという言葉は・・返上して貰(もら)いたい。
 これを読んでいるキリスト教徒の方々は、本当に、心を
蝕(むしば)まれている。
 聖書なのだから、聖なのだと・・洗脳され、マインド・
コントロールされているので・・、
 聖なんだ、聖なんだと・・思い込みから読むから・・気
がつかない。
 キリスト教聖職者から、また、マインド・コントロール
を受けているから、この状況からは抜け出せない。
 知らず、知らず・・洗脳され・・心に・・染み込んでい
る。感化されている。
 心の底流に・・澱(よど)み・・留まっている。
 バビロン捕囚にしても・・、
 ただただ・・遠い昔のこと・・と、
 過ぎ去ったこと・・と、看過(かんか)し切れているか?
・・ということ。
 少しでも・・、何でこんなことを・・と・・
 私たちの信仰の方々を・・と・・、
 そして、なんで、こんなことをするの?・・と、
 思われているでしょう。
 キリスト教は・・、これ以上の事を・・、
 何百倍、何千倍の悪行を・・南米や、オーストラリアや、
アフリカや・・
 中米や、北米メキシコやそれらの離島などで、
 また、アメリカ・インディアンの方々・・などなど、
 また、ユダヤ民族な方々・・などなど・・の方々の殺戮
を・・あっちこっちで、やって来ていること・・、
 自分たちのことを棚に置いて・・、
 自分たちに与えられた・・事ごとを・・思われるでしょ
う。 そこに・・? 
 キリスト教聖書に書かれた・・それらの事ごとを読んで、
 満載された・・それらを読んで・・、
 隠れた怨念が生まれていたことは確か・・です。
 その隠れた怨念があったのか?その歴史のこと、ある1つ
の事をフト思う・・、
 紀元前600年の頃の・・歴史のことを思う・・、
 キリスト教の生まれた地・パレスチナの地は・・、
 生存をかけた『戦いに次ぐ戦い』が繰り広げられていた。
 まったく、自然に恵まれない地・砂漠の地の・・生き残
りをかけた戦い、
 そのあまりにもの悲惨さに・・気の毒さを・・感じる、
 そして、その逆の環境の・・恵まれた自然環境の下にあ
る日本の地の・・自然条件のありがたさに・・感謝する。
 瑞穂(みずほ)の国という言葉まであるが・・、
 その逆の地の・・紀元前600年の頃・・、
 このキリスト教を生む地の民は、戦いに敗れた・・、
 この民は、本当によく戦いに敗れた。
 王様の・・王子や臣下は、王様の目の前で殺された。
 そして、惨(むご)いことであるが・・、
 王様は、その殺戮を見せられた後、目をくり抜かれた。
 そして、その王と民は、バビロニアに・・捕囚として連
れて行かれた。
 キリスト教徒には辛(つら)い歴史的な史実だ。
 そのバビロニアとは・・、
 イラクは、チグリス川とユーフラテス川の両河の流れる
旧約聖書の地である。
 このイラクの首都・バクダット辺りに・・パレスチナに
居たキリスト教を生む民と王様が捕囚として・・
 連れて行かれた・・バビロニアがある。
 この様なことから・・、
 キリスト教にとっての怨念の地となった『バビロニア』
の所在である。
 このキリスト教の怨念の地に・・
 キリスト教徒の大統領が二度攻め込んだ。
 この二人の大統領は父子で、親子で、アメリカ南部のバ
イブル・ベルトと呼ばれるキリスト教の信仰の厚い地、こ
のキリスト教徒に支持母体を持っていた。
 当然、本人も・・キリスト教徒である。
 この二人のうちの・・子の大統領が・・、
 「イエスの夢を見た、決断した」と・・イラク戦争開始
の決断の経緯(いきさつ)を吐露し・・戦争を始めた。
 この大統領は、「現代の十字軍だ」と、熱にうなされた
様に・・また、叫んだ。
 ローマ法王が・・「間違っていました」と、謝罪のミサ
をした十字軍を・・この大統領はイメージしていた。
 この戦争で・・多くのアメリカの未来ある青年が亡くな
り・・、また、
 青年が、たとえ・・生きて帰ってこれたとしても・・、
多くの青年がPTSDで精神を病み・・、
 ニューヨークのホームレスの4人に1人は、この戦争の被
害者だという・・心の持ち主となった。
 また、『それ以上に悲惨』な状況が・・、
 何らこの戦争に関係のない・・イラクの方々に・・、
 何と! 100万人以上もの多くの方々が・・命を奪われ、
無念のうちに・・亡くなって居られる。
 これも、忘れてはならない、悲惨なこととなっているが、
 またまだ、イラクの方々、500万人以上もの方々が・・、
 愛する家族もろとも、家を破壊され、家庭をも破壊され
ている。
 一介(いっかい)の・・キリスト教の大統領が・・、
 「イエスの夢を見た」と思い、始めた戦争が・・、
 この様な悲惨な・・悪事を引き起こしていた。
 キリスト教の「バビロン捕囚」から・・2600年の時が
流れていた・・悪宗教・キリスト教が起こした世界だった。
 キリスト教の愚かなる反作用・復習だったのか?
 この切っ掛けは、明らかに・・
 キリスト教と・・キリスト教聖書の記述が・・、
 因している。
 また、キリスト教には・・他民族を・・異教徒として・・
軽く見る・・洗脳が・・歴史が・・古代から・・連綿と・・
続いている。
 選民意識もあって・・、何をやってもいい・・という・・
唾棄すべき教義が・・洗脳が・・蛮行を生み易い土壌を・・
キリスト教は作っている・・持っている。
 次世代に伝えて行ってはいけない宗教である。
 人類は救済できません、
 また、皆様も幸せにはなれません。
.
 (参考)かん‐か【看過】 [名](スル)あることを目にし
   ていながら、そのままほうっておくこと。見逃すこ
   と。「―することのできない問題だ」
 (参考)いっ‐かい【一介】 《「介」は個・箇の意の「
   个(か)」に通じて一人の意、また「芥(あくた)」に
   も通じて微小の意という》一つのつまらないもの。
   「―の学生」
..
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2014年7月10日木曜日

ただ・・止(とど)まっているだけではない・・

 題:ただ・・止(とど)まっているだけではない・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教のイエスの言葉だとして・・、
 (「マルコによる福音書」2・17)に・・、
 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を
招くためである」・・とあるが・・、
 至極(しごく)、この上なく・・当然のこと・・、
 当り前の話・・である。
 医者は、皆様もご存じの様に・・丈夫な・・健康な人を
治療するのではなく・・、病人の方を治(なお)す人であ
る。
 故にだから、医者が、病人を治す様に、わたしも病人を
治すために来ました。だから・・、
 同じ様に、何も悪いことをしてない・・正しい人を・・、
 正しくしようと招くためではなく・・、
 正しくないことをしている罪人を正しくしようと招くの
である・・と、至極、当然のことを言っているだけ。当り
前のこと。
 このイエスの言葉は、佛教の親鸞の『悪人正機説』と、
よく比較されるが・・、
 同じだと・・キリスト教学者が言うが・・見方が甘い。
 佛教は・・佛になれると言っている。
 キリスト教と違い、佛教は・・
 「どなたにでも、佛になれる仏性があります」と説き・
教えている。
 キリスト教の様に「人には原罪がある」と性悪には見て
いない。
 そして、佛の境地へ導くことを目的としいる。
 ここが・・大きな違いです。
 救ってもらったで・・済んでしまうのとは・・違うので
す。
 ただ罪人を罪人と見ただけでなく、罪人だからこそ・・、
佛となり得ることに・・気付きなさい・・気付いて下さい
・・と、佛教の親鸞は 言われたのだ。
 ただ、罪人を招くために、救済してあげるだけに来たの
ではない(キリスト教とは違う)。
 佛教は・・罪人に説き・・悟って戴いて・・そして・・
 そして、佛の境地に至って戴いてこそ・・救済が成就す
る・・と、
 罪人が・・その様に・・自らなって行く事を・・共に行
こうとしている。
 育(はぐく)んで行こうとしている。
 ただ罪人を招くために来たのではなく、同じ様に見える
が、最高の佛まで、悟りの境地まで、共に往きましょうと
いう『意志』がある。
 キリスト教は気付いてない。
 故に、聖書にも書いてない。ただ・・、
 (「マルコによる福音書』5・34)に・・、
 「あなたの信仰があなたを救った」・・と、
 ただ励ますだけに止(とど)まる言葉だけが・・、
 そこに留まっているだけ。
 キリスト教は、「原罪がある」と、人を罪人にして・・、
 「私が来たから救った」に・・ただ、とどまるだけの宗
教となっている。
 『救ったから良いのだ』・・ではない。
 また、原罪意識が、本当に信徒の方々の心を蝕(むしば)
んでいる。
.
 (参考)し‐ごく【至極】 [名・形動] 1 極限・極致に
   達していること。この上ないこと。また、そのさま。
   「―の貧生で、…按摩をして凌いで居る者がある」
   〈福沢・福翁自伝〉 「女道衆道の―をあらはす要文」
   〈浮・禁短気・二・...
..
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2014年7月9日水曜日

本当に・・求める信徒のためを思ってやっているのだろうか・・

 題:本当に・・求める信徒のためを思ってやっているのだろうか・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、変化をして来た・・、
 変化ぐらいはあるのだろうと・・思われるでしょうが・・、
 また、平穏を装って書けば、ここまでの言葉となるが、
 その変化が、あまりにも凄(すご)いのである、酷(ひ
ど)いのである。
 あまりにも・・多くの人の手によって・・、神ではない、
 あまりにも・・長い期間に渡って・・、
 削られたり、加えられたり・・、
 元のものが見えなくなるくらい・・、
 過去のものは埋まり、そして、捨てられた・・、
 好きにやられ放題だった・・、
 そう言えば・・、
 キリスト教の聖書は、パピルスに書かれたため・・、
 その原典は・・崩れに・・崩れ・・、
 無くなってしまった・・という・・状態だという。
 これは物理的、科学的な変化・・、自然の力によって無
くなったという訳なのだが・・、
 キリスト教も・・その中身を・・、
 キリスト教の・・手によって・・、
 元のものが・・元の形が・・判別不能へと・・させて来
た。
 故に、これも、キリスト教が・・あちこち齟齬(そご)
が多い理由・・、
 繕(つくろ)っても・・繕っても・・
 食い違いや・・齟齬が多いという理由となっている。皆
が勝手にやっているんだもの・・、
 今、現代でこそ、元の、変える前のものを残してはいる
が・・が、しかし・・
 ○○訳とか、△△版とか、とか・・と、そのキリスト教
の歴史は何にも・・変わってない。
 DNAは、同じ作用をしている。
 信徒のあなたも・・これに感化され、洗脳され、マイン
ド・コントロールされているから・・ご注意を!
 以前は、変える前のものは棄てられた。焼却処分された。
 以前のものは・・分からない状態・・、
 今・現代は、○○訳とかとかと・・なっているが・・、
 以前は酷(ひど)かったのである。安易に手が入れられ
た。
 そして、その逆に、信徒に明かされないで、『その逆の
出所不明』が多い状態。
 例えば1例、パウロの手紙は、半分以上が、パウロでは
ないと言われている様に・・、
 「パウロだ」「パウロだ」と逆に入って来るものもある
という状態。
 何しろ、『神が与えし・・』などというのは、机上の空
論。実態は、シッ茶かメッチャカなのである。
 何ら、信じるに価(あたい)しない品物なのである。
 例えば、料理のレシピの様に、「まず、鍋に出汁(だし)
をカップ2杯入れ」・・などと始まる。
 キリスト教も、かくのごとく、料理ならぬ神を作る。
 ①:まず、高挙のキリストを主また神の子と告白し、
 ②:信仰において、サクラメント(洗礼・聖餐)を受け
   て、
 ③:その受けた者は主の運命に与かれる、
 ④:その与かりは、主と共に死に、ともに甦(よみがえ
   )る、
 ⑤:その甦りで、主のからだに組み入れられたことにな
   る。
 ⑥:これでキリストが出来たので、誰も見たことのない
   神を、信徒に対して関(かか)わらすことができ、
   信徒はこうして、キリストを通じて、神と結ばれる
   ことができる。・・レシピ完成となる。
 ホントかウソかは知らないが・・キリスト教は、だんだ
んと、レシピが手が混んだものになっている、信じ込ませ
たいのだろう、手が込んだら、信じさせられると思ってい
るのだろう、誇大に、虚(うつ)ろに、驚かすだけの不毛
の中に、ただただ、複雑さだけが、ありがたいと単純に思
い込ます素人芸になり下がっている。
 『宗教的深み』は・・まったくありません。
 すべて、人間様が、神を素材に作ったもの。
 ご忠告申し上げる。
.
 (参考)そご【齟齬】: 物事がうまく一致しないこと。
   [英] divergence[使い方]〔ずれ〕▽戦中派と戦後
   生まれの意識のずれ▽二つの語は意味にずれがある
   ▽画面にずれが生じる〔食い違い〕▽二人の...
 (参考)高挙:日本語の辞書には出でない、キリスト教
   の専門用語。「神によって高く挙げられること、引
   き上げられること」を意味する。
..
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2014年7月8日火曜日

バッハの曲が、カトリックの堕落に抗議しているところを聞き分けて下さい。

 題:バッハの曲が、カトリックの堕落に抗議しているところを聞き分けて下さい。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 詩人のゲーテ・・、
 彼は、キリスト教に嫌悪を覚えていた・・、
 故に、キリスト教文化にも嫌悪していた。
 多分、キリスト教の不誠実さ、そして、弱い者いじめの
行動を見抜いていたからだろう。
 彼は、ギリシャやローマに憧(あこが)れ、訪ね行って、
キリスト教会に行き、その尖塔に登るのは・・、
 その街を・・眺(なが)めたくてであった。
 町の展望は、街で一番高いキリスト教会の尖塔が・・一
番のうってつけの場所だった。
 そして、街を、そこから鳥瞰(ちょうかん)するのが、
彼の癖だった。
 有名な教会であろうと、そうでなかろうと・・、
 彼には・・その行動のために・・利用するためだけに
キリスト教会が存在しただけだった。
 彼には、キリスト教会の展望台から、その尖塔から・・
降りて、ちょっと、下から教会を眺めて・・事は十分だっ
た。
 キリスト教の不気味な悪行を・・感覚の鋭い詩人・ゲー
テは許せなかった。
 鈍感な人とは・・違った。
.
 そして、次の話。
 バッハはプロテスタント・・、
 カトリックではない。
 バッハの生家は、ルターの家
 (ルターが、若い時に、下宿していた家。ルターハウス
と言われている)・・が、近くにある。
 ルターは、御存じのプロテスタントの創始者。
 バッハの曲が、カトリックの堕落に抗議しているところ
を聞き分けて下さい。
.
 そして、次の話。
 神のいる天のみ清浄で・・、
 地は汚(けが)れが満ち・・また悪魔が満ちる・・と
した、キリスト教の教義。
 まったく憤(いきどお)りの覚える教義である・・が、
 キリスト教は表に出さない、おくびにも出さない・・が、
 今でも・・その底流に・・キリスト教に、相変わらずあ
る考え方・・、
 逆に、笑い話的な話にもなる、そんならと・・パリの
街では、パリの人々は・・糞尿を道に捨てた。
 汚れた道ならと・・いいんだと、
 道を歩いていると・・2階から糞尿が降って来た。
 キリスト教の教えが『劣悪なこと』を示している一端。
 不衛生な街には、ネズミが我が物顔に出没し、ペストが
流行し、ヨーロッパの方々の『3分の1』の方々が、亡くな
った。
 キリスト教は、この様な形でも、人々の命を奪った。劣
悪宗教。
 地にある自然のすべてへも、嫌悪したキリスト教。
 地上の木々・森林を、ことごとく切り捨て・・、
 何ら心を痛めない・・、
 そしてそこに、畑なら畑だけ、牧場なら牧場だけという
姿が出現した。
 日本の様な・・山里の様な・・人と自然が一体となって、
 自然を(むはぐく)む人が居る、自然がある、自然を生
かし、自然と共にあるという形とはまったく違う。
 しかし、キリスト教徒は、この景色を美しいという。
 しかし、この地帯は城砦都市、戦乱が満ちる地獄界とな
っていて、戦いが、人々を、民を、苦しめた地。
 この姿が見えず、キリスト教の偏するNHKは・・、
 「綺麗だ」「綺麗だ」と日本の人たちを洗脳した。
 キリスト教の地ばかりを放送するNHK。
 「巧妙なる伝道放送行為」をし続けている。
 そして、視聴者を洗脳する、マインド・コントロールす
る。
 この負の面の・・城砦に関する負の面には・・一切触れ
ずに、口を閉ざすNHK・・め。
 (参考)じょう‐さい【城塞/城砦】 城ととりで。また、
   城やとりで。「―を築く」
.
 (追伸)
 本日(2014・7・8)の読売新聞によると・・、
 物理学者のアインシュタインが・・、
 『ミツバチが絶滅したら、ミツバチの絶滅した4年後に、
人類も滅びる』と言ったという。
 それは、ミツバチが、世界中で生産される農作物の約3
分の1の受粉をしているからだという。
 そのミツバチが、今、激減しているという。
 そして、野菜や果物の栽培に支障が起きているという。
 その様な事情から、ミツバチが、人類の生活にどれだけ
大切なのかを、5年以上の歳月を掛けて、激減の背景を探
るドキュメンタリー映画を撮った映画監督がいる。
 マークス・イムホーフ氏である。
 映画の題名は、『ミツバチの大地』。
 米国の巨大農場では、ミツバチが受粉に働く脇で、人間
がせっせと農薬を散布している。
 また、女王蜂を輸出するオーストリアの業者など。
 監督の言葉が・・、
 「人間が、自然を支配しようとする姿勢こそが・・根本
の原因だ」との発言。
 キリスト教には、『自然を支配をせよ』という教義があ
るが、これが間違い。
 キリスト教の様な支配の思想ではなく・・、
 仏教の教える共生である。これが、近年、正しいと分か
ってきた。
..
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バス代を・・払っているが・・、真実は・・

 題:バス代を・・払っているが・・、真実は・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 ある日本の作家が・・若い時に、
 キリスト教聖職者に問うた話・・、
 その作家氏は・・
 「天国は必ずあると確信が持てますか?」・・と、
聞いたという。
 その時、この聖職者は目を閉じ、しばらく考えた後、
 「私はまだ行ったことがないので、はっきり言って、よ
く分かりません。
 だけど、私は、お客さんを乗せて走る天国行きのバスを
運転しなければならないんです。
 運転手が行き先も分からない、道も分からないんじゃ、
乗っている人は不安です。
 だから、私は毎日、自分に言い聞かせているんですよ。
 天国はあるんだ、この道は天国に通じるんだ、と」・・
と。
 作家氏は、この話に感動したという。
 一面、正直な話なのだが、・・しかし・・、
 これを読んで感じたことは・・、
 そして、この話を、よく考えてみると・・、
 自分は信じて居ませんが・・、毎日、「あるんだ」「あ
るんだ」と・・、
 『自分で自分に言い聞かせ』、『思い込ませ』、
 そして、お客さんを乗せているバスの運転手です・・と
言っている。
 そして、行き先は、『ある』という確信は・・持ててい
ません・・と、
 毎日、『ある』と思い込ませているだけなんです・・と、
 だから、お客さんは・・、
 バスの運転手さんを『信用して』乗って居るという・・
可哀想な・・お客さんとなっている。
 バスの運転手が、心の内を少しも明かせばいいものを、
不誠実にも明かさないで・・、
 そんなに自信が無いのか・・などと、言うかもしれませ
ん。
 お客さんは、何にも分からないで、
 そして、お客さんは、『すべてを任せている』・・、
 『運命を任せている』
 ・・・という図に・・なっている。
 このことの、事実関係から判断すれば・・、
 『詐欺的行為』となっている・・だましである。
 そしてまた、この運転手は言う・・、
 『バスに乗る人が居るから、天国はあるんだとし、この
道は天国に通じるんだとしているだけ』・・と、
 下駄を、『乗る人が居る』に預(あず)けている。
 乗った人に責任転嫁(せきにんてんか)している。
 卑怯(ひきょう)と言える話にもなっている・・
 本当は、そのバスの運転手・・、
 ほとんど、『あるとは信じていない』のを・・、
 『ある』という様な、その様な・・、
 振る舞いをする、ふりをしている・・のかもしれない。
 汚ないダマカシの一面が見えている。
 この『だまかしの聖職者が居る』から、騙(だま)され
る信徒が居るという関係になっている。
 そして、お客さんの信徒は・・その聖職者に献金支払い、
獲(と)られている。
..
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2014年7月7日月曜日

君子、危うきに近寄らず・・が、肝要・・

 題:君子、危うきに近寄らず・・が、肝要・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 本に・・・、
 パウロは、精神分裂だとの評判がたった・・とある。今
でいう統合失調症だが・・。
 現代科学でも、キリスト教の様な、性悪説の思考をする
と精神疾患になると立証されている。
 本ブログにもそのことを既に記したが・・
 キリスト教は、科学的にも怪しい宗教なのだと立証され
ている。
 『君子(くんし)、危(あや)うきに近寄らず』が肝要
というところだ・・、
 何しろ、この様な人・パウロが・・作ったキリスト教を、
 「ここは、こうだから、ああだ」とか・・、
 「あそこは、ああだから、こうだ」とかと・・やらない
と収まらない、ダメだという・・。
 人生の貴重な時間を使うには、もったいないという話に
帰結する。
 また、パウロは、ギリシャ近くの、「トルコの国のタル
ソという町で生まれた」。
 彼は、ユダヤ人なのでユダヤ的な面を持っているが・・、
 そして、彼は、ユダヤ教徒でパリサイ派だったが、律法
遵守のパリサイ派であるが・・、
 一方、ギリシャ近くの生まれ育ちで、ギリシャのヘレニ
ズム的な面をも持っている。この二面性が問題の根にある。
 故に、その様な面から・・ユダヤ民族の共同体の法とい
う大切な律法であるにもかかわらず・・、
 彼は、その律法に違和感を持った・・と言える。
 また、パリサイ派で・・律法遵守に疲れた面もあったと
言える。疲れたからって民族の決まりだったが・・、
 それで、ユダヤ民族の共同体の守るべき律法であったが、
簡単に容易に逃げることができたのだと言える。
 だから、簡単に、パウロは、(「ガラテア信徒への手紙」
3・12)で、「律法は、信仰のよりどころとしていません」
と、神の与えしという律法をダメだと棄てた。神も立場が
ありません。
 ユダヤ民族だけの意識下にあったパウロであり、
 ユダヤ民族共同体だけの律法だとはいえ、
 キリスト教自体が、その様なユダヤ民族の意識下の宗教
だとは言え・・、
 『永遠の生命は、律法の行いによって与えられる』・・
としているのにだ。
 キリスト教は矛盾だらけだから、どうという事はないが
・・、いつもの事だが・・。
 キリスト教に言える事は、原理主義的な理解・解釈から
歩を下げるべきである。
 その観点から、絶対的に凝り固まった『神の義』を前面
に出した、絶対の征伐理論から、謙虚に歩を下げるべきだ。
 キリスト教の征伐理論は、いかなる形においても間違っ
ている。
 今まで、数知れずのあまりに多くの無念の死の方々へ懺
悔し、悔い改めよ。二度とキリスト教の教理から、無残な
死を伴う殺戮の行動は起こさないと誓いなさい。
 そしてまた、キリスト教の聖職者の方々は、正業に就き
なさい。社会に尽くしなさい。陰に隠れる生活はお止めな
さい。優秀な方々は、特に、惜(お)しいと感じる。
 また、キリスト教が、根本的に宗教として統合された世
界宗教になり得ない論拠の一つが・・、
 一神教だとしながら、一神教になり得ず・・、
 キリスト教のすべての歴史を見ても分かる通り・・、
 そのすべての歴史において、悶(もだ)え続け・・、
 今・現代においても、その悶えが終わっていない、続い
ている事にある。
 キリスト教は、信仰の中心の神を『いじくり回し過ぎる』。
 そしてまた、ローマ法王の発言にみる様に・・、
 ローマ法王が、銃弾の危険から危うく逃れ、命が助かっ
た時に・・『助かったのは、黒マリア様の御蔭だ』と言っ
た。
 『キリスト教の神の三位一体神の御蔭だ』と言わなかっ
た。ここに、その問題点が象徴的にある。
 だからと言って、この三位一体神も苦肉の策だった。
 マジックの様にでき、作り、そして、一神だと思い込ま
されている形だ、神だ。
 事実は多神だ・・しかし、『一神なんだ』と言わされ、
言っている、思い込まされている形だ。
 そして、そこに、ローマ法王が、三位一体神とまったく
関係ない神を口にした事が、キリスト教の神問題を象徴し
ている。
 キリスト教には、一神教は無理なのだ。
 実質、多神教なのだから・・、
 多神教が・・相応(ふさわ)しいのだ。
 キリスト教のすべての歴史が・・多神教の歴史だったの
だ。
 天使の一例もまたそうだ・・、
 まったくの他宗教のものだった天使を・・取り入れて・
・、
 キリスト教は、何しろ、色々なものを他宗教から取り入
れる宗教。それが宗教癖。
 この天使の取り入れも、収拾がつかなくなって、今、「
限りなく神に近い天使」を・・登場させている。
 三位一体神の話と同じ、その三位一体神の話も理屈を作
って治めているが、この様な事ばかりしている。
 実態は多神教なのだからそこに変な軋轢(あつれき)が
生じている。何ら収まっていない。
 赤を、いろいろ言って、黒と言っても、無理なのです。
 人類は救済できませんし、世界宗教ともなり得ません。
..
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2014年7月6日日曜日

はっきり・・言いたくないこと・・

 題:はっきり・・言いたくないこと・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 イエスの頃・・、
 パレスチナの地は・・、社会は・・、
 真っ暗な・・まったく、不安のまっただ中に居た。
 希望を持とうとするが・・いつも・・打ち砕かれた。
 ユダヤの方々は、イスラエルの方々は・・、
 現実社会の中に・・希望を見い出したかった。
 悪魔の到来を実感させるような・・、民は実感するよう
な・・社会が・・展開していた。
 独立を掛けた戦争(マカベア戦争)にも・・敗れ、
 激しい焦燥(しょうそう)にかられていた。
 恵まれない・・可哀想な状態の中に・・いた。
 世の終わりを実感する・・民だった。
 民は・・希望を・・霊的な面に求めた。
 その社会の風潮の中に・・、
 民の求めるものでもあった「予言者」が・・、
 あまた・・居た。
 イエスも、その予言者の・・一人だった。
 予言者たちは・・、民の持つ・・希望のない刹那主義に
陥(おちい)った心に応(こた)えた。
 また、荒れた世情から・・懐疑(かいぎ)と失望に居た
民に応えた。
 物情騒然、混沌(こんとん)が立ち込めていた。
 愛国的な行動目的を持った武力集団が・・テロを・・
 活発に行っていたことも、一層、世情を混乱させた(熱
心党・ゼロテ)。
 こうした中で・・、
 ユダヤ教徒としての宗教を持っていたイエスだった。
 イエスの母・マリアも、供物の鳩を持って、ユダヤ教の
神殿であるエルサレム神殿へ御参りに行っていた。
 因(ちな)みに、マリアが供物として持って行った鳩の
供物は、安い供物で、イエスの一家の家計は、裕福な方で
はなかったようだ。
 また、イエスも、弟子と言われる仲間たちと・・、
 エルサレム神殿の前に・・たむろして、
 御参りに訪(おとづ)れる参拝者の人たちの品定め談義
をしていた。
 これは、イエスのユダヤ教信仰を示しているが・・、
 つまり、ユダヤ教に「反対している立場ではない」と、
はっきり言えるが・・、
 そのイエスが、この談義で言っている話の内容は・・、
 何ら深い話でも何でもなく・・、
 端的に言えば、安い供物でも信仰心があればいいという
当り前の話・・、
 母・マリアの鳩の供物のいい訳かもしれない・・。
 ユダヤ教を信仰しているイエスだが・・、
 エルサレムを中心に活動するユダヤ教の教派に・・、
 その主流派として・・、
 サドカイ派とパリサイ派があるが・・、
 イエスは、これとは違う考えを持っていたエッセネ派の
考え方に、イエスは同調していた。
 エルサレム市民の多くが同調していたパリサイ派は、律
法を守ることを主眼としていた。
 そして、イエスが同調するエッセネ派と対抗していた。
 ある意味、エルサレム市民と対抗する立場にいた。
 因みに、サドカイ派は、エルサレム神殿の司祭などの支
配層が同調していた。
 イエスは、自分の洗礼を・・是非にと・・頼んだ洗礼者
ヨハネ(従兄弟だという話もある)を師とし・・、
 洗礼者ヨハネの行なう『荒れ野の断食修業』を、イエス
も行ったりしていたが・・、
 洗礼者ヨハネは、そうは言われても、イエスを立てる様
な性格の人だったが・・、
 イエスは、この洗礼者ヨハネともども「エッセネ派」の
もとにあった。
 そして、このエッセネ派には・・「義の教師」と呼ばれ
る義を重んじる指導者が居た。
 イエスも、この指導者の元に居て、この義の教師の影響
も受けたのだろうが、活動は、エルサレムの街での予言者
活動だった。
 キリスト教は、はっきり言いたくないことだろうが、こ
の様な環境下から生まれて来たキリスト教であった。
 このキリスト教が、この様な経緯(いきさつ)から・・、
 また、環境下から・・、
 世界宗教としての性格付けが・・、
 なされたという、決してそのような状況・訳では・・な
かった、これが経緯だった。
 世界宗教としてのふさわしい性格付けはまったくない。
 キリスト教に、決して、人類を救済できるわけではなく、
 古代の一時期に、その役目を果たし終えたという、宗教。
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 (参考)マカベアせんそう【マカベア戦争】  :古代シリ
   ア王国治下のユダヤ人反乱。マカベア(ハスモン)家
   の指導のもとに戦われたのでこの名がある。前3世
   紀初頭以来,エジプト(プトレマイオス朝)とシリア
   (セレウコス朝)の支配と影響を受けつつ着々と進ん
   でいたパレスティナのヘレニズム化は,シリアのア
   ンティオコス4世の時代に頂点に達し,宗教的迫害
   の様相をも帯びるに至った。前168年のエルサレム
   略奪,神殿じゅうりんに続いて,異教が全国民に強
   制されるに及んで,ユダス・マカバイオス(ユダ・マカ
   ベア)Ioudas Makkabaiosを指導者とするおもに下
   級祭司を中心とするグループと,律法学者を中心と
   するハシディーム(敬虔主義者)とが手をつなぎ,ユ
    ダヤ教の伝統に固執した人々をも加えて,シリア軍
   とそれに同調するユダヤ人を相手に執拗な戦いを開
   始した。
 (参考)しょう‐そう【焦燥/焦躁】 [名](スル)いら
   いらすること。あせること。「事業の失敗に―する
   」「―感」
 (参考)かい‐ぎ【懐疑】 [名](スル)物事の意味・価
   値、また自他の存在や見解などについて疑いをもつ
   こと。「新療法の効果について私は―的だ」「人生
   を―する」
 (参考)物情騒然 (ぶつじょうそうぜん):世の中が落
   ち着かず騒がしいさま。▽「物情」は世の中の様子。
   人々の心。「騒然」は騒がしいさま。落ち着かない
   さま。
 (参考)く‐もつ【供物】 《「ぐもつ」とも》神仏に供
   える物。供養物。お供え。おそなえもの。
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 (詳しくは、以下のブログへ)
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