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2013年10月18日金曜日

その様な宗教なのだ。

 題:その様な宗教なのだ。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 ブログを読んでつくづく思うが、キリスト教の『創造神』
なんて『失敗策の創造神だ』と言いたい。
 地球上の事のみにこだわっている傾向がある記述。
 『世界観が全く狭い』と、つくづく思う。
 また、地球上の生物の事を、聖書の世界観にお付き合い
をして、その範囲で考えてあげたとしても、
 地球誕生から、今までの生物だけでも、どのくらいの生
物が絶滅したと思っているのだ・・と、言いたい。
 ここに記すことができないくらいの、多くの、多くの数
の生物が絶滅しているのだ。
 これ等の多くの事の一部でも知っているのか? それと
も、知らなかったのか? 
 何にも知らなかったとしか言えない記述内容。
 無邪気に、今、見たことで「ああだ。こうだ」と、いじ
くりまわしている。
 これからも、これからの将来に渡っても、多くの生物が
絶滅していくが、人類を含めて・・・、ここのところを、
『創造神のキリスト教の神』は、
 どの様に思っているのか?
 失敗作を作ってばかりいる、失敗策の創造神の『キリス
ト教の神』ではないか。
 今・現代に生存している生物を創造したのだ・・と言う
古代の知識レベルの記述の聖書。
 これを、神が与えたという。
 その聖書、それでも多くの生物の絶滅が目に入らない。
 この様な状況を、この文明や科学知識が発達した現代に
生きるキリスト教聖職者、及び、キリスト教徒の方々が信
じることに驚きを感じる。
 また、生物の進化を認めたくないと言う人々。
 当然、この様な記述内容から、あなたがたが、幸せにな
れる道が見つかるはずがないし、そしてまた・・、
 人類が救済されるわけもない。
 その様なキリスト教の聖書なのだ。キリスト教が教える
道なのだ。キリスト教の教義なのだ。記述なのだ。
 キリスト教の考える限界があまりにも狭い、偏狭な宗教
である。
 古代のキリスト教聖書記述者が考えたのは、古代にのみ
通じること。その様な宗教なのだ。
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 そして、現代の一事例・・・、
 悲惨なパレスチナの対立の元凶は、キリスト教の教義に
その元凶がある。
 が、しかし、その元凶に火を付けたのはイギリスだった。
 1917年の第一時世界大戦の時、イギリスは、ドイツとト
ルコと戦っていた。
 その時、イギリスの外相バルフォアは、「勝利の暁には、
トルコの領土だったパレスチナに、ユダヤ人国家が建設さ
れる」事を宣言した。
 ユダヤ社会のシオニズム運動のパレスチナの地に、ユダ
ヤ人国家を建設するという目的に同調した。
 そこには、財力を持つユダヤの方々の戦争協力を得たい
という意図があった。
 しかし、イギリスは、卑劣にも二枚舌を使ったのだった。
 ユダヤの方々に対抗するアラブの方々にも、「勝利の暁
には」近東一体にアラブ人の統一国家建設を許すという約
束を与えていた。
 そしてまた、さらに卑劣な事には、イギリスは、三枚舌
的な行為もしていた。
 イギリスは、フランスとの間に、戦争終結以後の『近東
植民地分割協定』を結んだ(サイクス=ピコ条約)。
 そして、戦後、実際は、近東は、サイクス=ピコ条約で
分割された。
 (白人対白人の契約を重視するキリスト教の体質をここ
に見つけることができる)
 パレスチナは、イギリスの地となった(委任統治領)。
 パレスチナの地は、ユダヤ人の移民が増加した。
 アラブ人との約束は、『完全に』無視された。
 アラブの方々の怒りは、移民して来たユダヤ人の方々へ
向けられた。
 そして、アラブの方々は、この事態の打開のため、1933
年、ユダヤ人追放・絶滅を掲げた組織的テロを開始した。
 第一次神聖戦争(ジハード)、1933~1936年が起きた。
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  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/

2013年10月17日木曜日

『砂漠の地』の宗教について・・・

 題:『砂漠の地』の宗教について・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教の生まれた地は、『砂漠の飢餓』と背中合わ
せの地だった。
 キリスト教は、『その様な環境下で生きる民族』の宗教
だった。
 キリスト教は、飢餓の地の『自民族の生存だけを祈る』
宗教だった。
 そして、自民族が飢餓に見舞われ、飢餓にさ迷い、また、
飢餓が差し迫った時、
 「(キリスト教の)神の義」を掲(かか)げて、隣国へ
富を求めて、略奪の殺戮行為を行った。
 そこに、キリスト教は、『(キリスト教の)神の義』が
あるから正義であるとした。
 隣国の人たちを殺戮しても、誅したこと(正義を持った
者が、正義のない者を殺すこと)で、よいのだとした。
 その様な自分だけの考え方・教義で、隣国へ富を求めた。
 自民族だけが利する『利』を求めた。
 そして、その行為は、
 生きる糧のみならず、
 人家畜とする奴隷制度を認めるキリスト教の教え・教義
で、隣国の民を捕え、自分のものとし、奴隷とした。
 神は叫ぶ、『○○人は皆殺しにせよ』・・と、
 そしてまた、キリスト教の神は教え、洗脳した。
 『△△人は、男だけを殺せ』・・と、
 キリスト教の神は洗脳し、教えた。
 『生娘は生かしておけ』、『奴隷にせよ』・・と、
 神は叫びつづけた。これを、キリスト教の教義とした。
 あまりにも悲惨なその教義は、その後のキリスト教の歴
史をも性格づけた。
 悲惨な争いのキリスト教の歴史が連綿と続いた。
 キリスト教は、その様な宗教である。
 キリスト教は、『隣人を愛せよ』の言葉もあると言うが、
 これは、キリスト教のプロパガンダ(嘘宣伝)にまみれ
て宣伝されている。
 この『隣人』は、「自民族で、同じ宗教を信じている」
「我々の民」を、『隣人』としている。
 そして、その『隣人を愛せよ』と言っている。
 この様な、キリスト教の教義に、洗脳されたキリスト教
の民と宣教師は、悲惨な行為を世界中で行い、他民族の悲
鳴の中で蛮行を繰り返した。
 隣人愛の『愛の宗教だ』と言うのは、キリスト教のプロ
パガンダ(嘘宣伝)である。
 キリスト教の歴史は、この嘘宣伝・プロパガンダに明け
暮れている。
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 (追記)
 
 「飢えた獅子に、救ってやろうと、自らの身を献じる仏』
の話がある。
 が・・・、
 
 我が民族という視点で、他民族をとことんしゃぶり奪う
キリスト教の行動と教え。
 
 そこに『愛』があるなどとは決して言えない。
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 そして、
 イスラエルの民・カナンの人々は、多神教であった。
 一神教ではない。
 キリスト教による『作られた嘘宣伝・プロパガンダ』で、
一神教の民の様に思われているが、多神教の宗教の中で、
連綿と生きて来た民であった。
 エルサレム大学の教授は、一神教になった歴史は浅いの
だと言う。
 長い多神教の歴史の中にいた民であった。
 日本と同じ様な八百万(ヤオヨロズ)の神々を信じる民
だった。
 イスラエルの12の支族が定着する以前からの多神教で、
様々な神々が居て、拝まれていた。
 『太陽神のシャマシュ』や、『天候の神のランマン』や、
『電光の神のバラク』や、『後にぺリシテ人の神ともされ
たダゴン』や、『知恵の神のネボ』や、『幸運の神のガド』
や、『大地の母神のアシュタロテ』や、『その妹であって
蛇の化神だというアナト』や、『農業の神だというバアル』
などなどである。
 そして、カナンに定着し、だんだんと定着も進んで行っ
た。
 カナンの人々は、土着のカナンの人たちと交わり、結婚
した。雑婚であった。
 それによっても、定着が進められて行った。
 キリスト教が誇らしげに言う武力侵攻ではない。
 カナン人の神々の中で、中心的な神はバアル神で、カナ
ン人の信仰は、この『バアル信仰』であった。
 ヤハウェ信仰ではない。
 ヤハウェ神の信仰になるまで、まだまだ歴史を要した。
時間を要した。数百年後の歴史の後でその様になって行っ
た。
 キリスト教の聖書が、連綿と続くことを強調するが、そ
れは作られたことで、『嘘』である。
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  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
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