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2011年11月26日土曜日

げに仏陀は 百劫(ひゃくごう)にも 会うこと難し 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 13」

題 : 「げに仏陀は 百劫(ひゃくごう)にも 会うこと難し」
                五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 13」

ナレーション: 悟りを開いてから45年の間、苦しみの海に沈む人々
     を導き続けた仏陀。
      病と如何に向き合い、老いをどう受け入れ、そして、死に
     どう臨むのか、仏陀は、最後の旅で身をもって示しました。
      仏陀の遺体は、クシナガラで荼毘にふされました。
      その遺骨は、仏陀にゆかりの深い8ヶ所に分骨され、それ
     ぞれストゥーパに納められました。
      大パリニッバーナ経は、この様に締めくくられています。

        その遺功によって、
        この豊かな大地は、
        最上の供養物をもって飾られているのである。
        この様に、
        この眼のある人(=ブッダ)・仏陀の遺骨は、
        よく崇敬され、
        種々に、
        いとも良く崇敬されている。
        最上の人々によって、
        この様に供養されている、
        合掌して、
        彼を礼拝せよ。
        「 げにブッダは 
             百劫(ひゃくごう)にも
                     会うこと難し 」
                              (完)

(参 考)五百塵点劫: (ごひゃくじんてんごう)とは、法華経
     如来寿量品で、釈迦の成道の久遠をたとえた語である。
      正しくは五百億塵点劫である。
      法華経の如来寿量品第16に、「今の釈迦牟尼仏は、
     釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に座し
     て阿耨多羅三藐三菩提を得たりと思えり。
      しかし、われは実に成仏してより已来(このかた)、無量
     無辺百千万億那由他劫なり」とあり、
      続けて「たとえば、五百千万億那由他阿僧祇の三千大千
     世界を、仮に人ありて抹(す)りて微塵となし、東方五百千万
     億那由他阿僧祇の国を過ぎて、すなわち一塵を下し、かくの
     如く、この微塵が尽きんが如き(無くなるまで)、東に行くとし
     たら、この諸々の世界の数を知ることを得べしや、不(いな)や」
     と弥勒菩薩に質問している。
      これは、化城喩品第7にも同様の記述がある。
      「たとえば、三千大千世界のあらゆる地種を、仮に人ありて
     磨(す)りて墨となし、東方の千の国土を過ぎて、乃ち一点を
     下さん。大きさ微塵の如し」
      この化城喩品のたとえ話を三千塵点劫と称される。
      これに対し、寿量品(本門)の「五百千万億那由他阿僧祇」
     を、五百(億)塵点劫と称して、化城喩品(迹門)の三千塵点
     劫よりもはるかに長遠であるかが示されるようになった。
      法華経における釈迦成道は「われは実に成仏してより
     已来(このかた)、無量無辺百千万億那由他劫なり」と
     説いており、経文の記述に素直に従うならば、この五百
     塵点劫はあくまでもたとえ話として出されただけであって、
     釈迦が成道した時ではない。
      また化城喩品の三千塵点劫も、たとえ話として持ち出され
     た話に過ぎない。
      しかし日蓮は、『釈迦御所領御書』などで、「過去五百塵点
     劫より、このかた、この娑婆世界は釈迦菩薩の御進退の国土
     なり」などと、五百塵点劫の言葉に開近顕遠の意味を持たせ
     たことから、釈迦が本当に覚った時と解釈されるようになった。
      なお一般的に、釈迦はインドで生まれ菩提樹下で成道した
     とされる。
      これを伽耶始成、また始成正覚というが、法華経においては、
     釈迦はそのようなインド応誕の仏ではなく、本当は遠い過去に
     成道していた、と打ち明ける。
      これを久遠実成をという。
                      (Wikipediaより)

     字幕:NHK 第一集 ブッダ最後の旅 インド
     語り:高橋美鈴
     朗読:長谷川勝彦
     資料提供:『ブッダ最後の旅」中村元訳
           増上寺
           文芸春秋
           中本徳豊
     ディレクター:正岡裕之
     制作総括:  山本辰也
           菊池正浩

2011年11月25日金曜日

破壊さるべきものであるのに、それが破壊しないようにという事が、どうしてあり得ようか 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 12」

題 : 破壊さるべきものであるのに、
         それが破壊しないようにという事が、
             どうしてありえようか 
                  五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 12」

映 像:  涅槃堂への道を歩く五木さんに涅槃堂の鐘の音が響く。
ナレーション: 敷地内には、沙羅双樹の木が、代々、植えられ涅槃
     堂を見守り続けております。
     (涅槃堂に入っていく、五木さん、そして、涅槃像の前で座り、
     祈る、五木さん)
ナレーション: 仏陀が入滅したときの姿を顕す大涅槃像。
      死を間近にした仏陀の周りには、多くの弟子や信者が集まっ
     たと言います。 
      大涅槃像の台座には、25年もの間、仏陀と共に歩んできた
     弟子・アーナンダの像が刻まれています。
      今にも訪れるであろう師との別れを悲しみ号泣する・アーナ
     ンダ。
      仏陀は、アーナンダを呼び寄せ、こう、諭しました。

        止めよう、アーナンダよ。
        悲しむな
        嘆くな
        私は、あらかじめ、この様に、説いたではないか。
        すべての愛する者
        好む者からも
        別れ
        離れ
        異なるに至るという事。
        およそ、
        生じ
        存在し
        つくられ
        破壊さるべきものであるのに
        それが破壊しないようにという事が
        どうしてありえようか 」。

ナレーション: 仏陀は、死の間際まで、この世に残される者たちを、
      励まし続けました。
映 像:  涅槃堂から出て行く五木さん。出口のところで手を合わせ、
      静かにあたまをさげる。
ナレーション: 五木さんの仏陀を辿る旅は、ここが終着点です。
      (大きく鐘の音が響く)
五木さん:(五木さんにとって、理想的な死と言うものがあるのでしょ
     うか・・の、問いに、五木さんは) 
      それは、僕・個人の事は、旅の途上で消える様に、死んで
     行ければ幸せだと思いますね。
      あのー、子供の頃から、ずーっと、小学校は4回転校し、中
     学校は3回変わり、ほとんど自分の家というものを持たずに、
     転々と過ごして来ましたから、ずーっと自分の人生は旅だと
     考えて来ましたのでね。
      生涯の終わりというものも、何かの形での旅の途中で、世を
     去るというのは本当に理想な終わり方ではないかと思います。
      その意味で、仏陀の旅は、本当にうらやましい、齢80を重ね
     て、大変な旅だったでしょうけども、旅の途中で、しかも豪華な
     都や宮殿の中でなく、美人の中でもなく、そういう寂しい寒村の
     林の中で亡くなった、
      そういう仏陀の姿に、本当に共感と言いますか、憧れと、尊敬
     というか、そういうものを感じます。
      人間の死に方と言うのは、その様なものだろうと感じます。
ナレーション: 仏陀は、自分が死んだ後、いかにあるべきかについて、
     修行僧たちに説きました。
      そして、最後に聞いておくべき事はないかと、三度、訊ねます。
      修行僧たちは、己のなすことを充分に理解し、黙っていました。
      そこでアーナンダは、この様言いました。

        尊い方よ。
        不思議であります。
        珍しい事であります。
        私は、この修行僧の集いを
        このように喜んで信じています。
        仏陀に関し
        あるいは、法に関し
        あるいは、集いに関し
        あるいは、道に関し
        あるいは、実践に関し
        一人の修行僧にも
        疑う疑惑が起こっていません。

ナレーション: 満足した仏陀は、最後の言葉を口にします。

五木さん:  さー、修行僧たちよ。
        お前たちに告げよう
        もろもろの事象は
        過ぎ去るものである
        怠ることなく修行を完成なさい 」

      ・・・と。
      こう、言った訳ですね。
      仏陀の生涯・悟った法というもの、まあーダルマと言いますか、
     宇宙・自然・人間存在の真理というもの、それを最後に一言で、
     もろもろの総てのものは過ぎ去るものである、変化しないもの
     はない。
      こういう風に最後まで、修行僧たちへ告げて、そして、怠る
     ことなく、その真理というものを学びなさいと、こういう風に、
     あたかも自分達の同胞・友達に向けて語る様に、語りつつ、
     仏陀は、ここで生涯を終える訳です。
      仏陀を考えて見ますと、仏陀は、求道(ぐどう)の人と同時に、
     そして、偉大なる求法(ぐほう)の人、あるいは、伝道の人であ
     った。
      死の直前まで、人々に向かって自分の悟った真理というもの
     を語り続けようとした。
      ここに、仏陀の宗教者としての存在、それから、人間としての
     魂のやわらかさ、そういうものを感じないではいられません。
      体制の保持者である王とも語る、貴族とも語る、財界や商人
     たちとも語り合う、それでいて、差別された人々とか偏見を持
     たれた人々に対して、まったく率直に、そういう人々の立場に
     立って、ものを考え、法を説くという、こういう事を考えますと、
     仏陀の持っている現代性といいますか、こういうものの大きさを
     改めて感じたことでした。仏陀のイメージが随分変わりました。
                            (つづく)

2011年11月24日木曜日

供養の食べ物を食べて・・ニルヴァーナの境地に入られた 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 11」

題 : 供養の食べ物を食べて・・・ニルヴァーナの境地に入られた 
             五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 11」

五木さん: 気持ち良さそうだねー。
映 像:  水浴びをしている水牛を見ている、五木さん。
字 幕:  カクッター川
ナレーション: パーバ村とクシナガラの間に流れる、このカクッター川
     のほとりにさしかかった時、仏陀は、ついに耐え切れなくなり
     ます。
      ここで袈裟を敷いて腰をおろし、アーナンダに水を汲んで来
     るように頼みます。
五木さん: 仏陀は、弟子に対して、こういう風に語る部分があります。
      非常になんか こう、人間味のあるエピソードなんですけどね。
      それは その、もしも自分に何かあったならば、そのことで
     自分に供養の食事を出した鍛冶屋の子の責任が、問われる様
     なことになりはしないか、彼はけっして悪くないんだと、彼が
     その事で自戒の念に悩まされ、自分に悪徳がないのではない
     のかと、こういう風に考えない様に、彼によく言って聞かせて
     くれと、当時の鍛冶屋と言いますと、芸能人とかその他の職業
     と同じ様に、いわば当時は、カーストの外にあった、大変こう、
     大きな差別を受けていた階層の人たちですね。
      そういう人たちの供応を喜んで受け、そういう人々に心を配る
     という、そういう遊女だ、あるいはアウト・カーストの人だという
     人々にも、全く平等に、自分の思いを伝え、接することを、日常
     の事としていた、仏陀の偉大さというものを、今の、近代を超え
     て来た私達、人権なんていう事をですね、改めて学んでいる
     私達以前に、仏陀は、自ら、率先してその事を教えてくれたよ
     うな気がして、感動しないわ訳にはいきません。
ナレーション: 仏陀は、アーナンダに、今夜、クシナガラにある2本並
     んだ沙羅の木の間で、自分は死ぬだろうと予言をしました。
      そして、こう続けました。

        アーナンダよ、
        鍛冶工の子・チュンダの後悔の念は
        この様に言って、取り除かねばならない
        『 友よ、
        修行完成者は、
        最後の供養の食べ物を食べて
        お亡くなりになったのだから
        お前には利益(りやく)があり
        大いに功徳がある。
        友・チュンダよ、
        この事を尊師から
        目の当たりに聞き、承った 』。

ナレーション: 仏陀が、35歳の時、悟りを開いたのは、供養の食事が
     きっ掛けでした。
      自らの死のきっ掛けとなるチュンダの食事も、それに劣らない
     ほどの功徳があると、仏陀は言います。

        この二つの供養の食べ物は、
        正に等しい実り、
        正に等しい果報があり、
        他の供養の食べ物よりも、
        はるかに優れた、
        大いなる功徳がある。
        その二つとは何であるか?
        修行完成者は、
        供養の食べ物を食べて、
        無常の完全な悟りを達成したのと、
        及び、供養の食べ物を食べて、
        煩悩の残りのない、
        二ルヴァーナの境地に入られたのとである。

ナレーション: クシナガラに達した仏陀は、もはや、動くこともままなら
     ず、頭が北向きになるように、床をしつらえさせ、病み、疲れた
     身体を横たえました。
      大パリニッバーナ経は、仏陀が横になると、沙羅双樹に変化
     が現れたとしています。

        さて、
        その時、
        沙羅双樹は、
        時ならぬのに花が咲き、
        満開となった。
        それらの花は、
        修行完成者に供養するために、
        修行完成者の身体に、
        降りかかり、
        ふりそそぎ、
        ちりそそいだ。
        また、
        天のマンダーラヮ花は、
        虚空から降って来て、
        修行完成者に供養するために、
        修行完成者の身体に、
        降りかかり、
        降りそそぎ、
        ちりそそいだ。
        天の楽器は、
        修行完成者に供養するために、
        虚空に奏でられた。
        天の合唱は、
        修行完成者に供養するために、
        虚空に起こった。

ナレーション: 仏陀、入滅の地、クシナガラ。
      今も尚、仏陀の死を悼み、参拝に訪れる人が絶えません。
      町の中心には、仏陀・入滅を祈念する涅槃堂が建てられて
     おります。                    (つづく)

(参 考)ニルヴァーナ: サンスクリット語の仏教用語で、涅槃
     (Nirvana) のこと。
(参 考)利益: (りやく)仏教の言葉。ためになること。法力によって
     恩恵を与えること。自らを益するのを功徳(くどく)、他を益する
     のを利益という。

2011年11月23日水曜日

転悪成善(悪を転じて善と成す)・・初めて他者への憎悪や責める心から解放される 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 10」

題 : 転悪成善(悪を転じて善と成す)・・
           初めて他者への憎悪や責める心から解放される 
              五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 10」

ナレーション: 霊鷲山を出てから、半年になろうとしていました。
      仏陀は、熱心な信者が居るパーバ村へ向かっていました。
五木さん: ナマステー。
ナレーション: 当時、この一帯にはマンゴー園が広がっていました。
      持ち主は、パーバ村の鍛冶屋の子・チュンダ。
      以前、仏陀が、パーバ村を訪れた時に帰依した敬虔な信者
     です。
      チュンダは、仏陀を歓迎するために、貧しいながらもできるだ
     けの準備をととのえ、首を長くして待っていました。
五木さん: 燃料に使う、牛糞ですか?
      あれなんか、積み重ねているところなんかも、何千年も同じ
     様に、燃料に使っているわけなんですね。
案内の方: 牛糞に、藁を混ぜて・・・。
五木さん: あっ、そのままでなくてね。
      あ、そうか、そのままでは燃えないのだ。やっぱり。
      あーそれじゃー、一応加工している訳なんだね。
      えー、だけど、昔の村らしい村ですねー。
      ナマステー。
      (加治屋さんのところに来て)
      あー、ふいごですね、昔のねー。
      あのー、なんか、鍛冶屋さんと言うにはあまりに素朴なー。
      でも、こんな風にして、農機具とか色々を作るのでしょうねー。
      (あるインドの方へ)ナマステジー。
      あのー、仏陀が最後の旅の中で、この村で病気をしたと、聞
     いたのですが?
インドの人: この村で言い伝えられてきた話によると、仏陀は、仙人
     に姿を変えて南から 来たそうです。
      日が暮れ始めていたので、仏陀は、この村に泊まることに
     しました。
      村の誰かが、夕飯を用意したそうです。
      いろんな言い伝えがありますが、豚肉料理を出したという説
     と、ククルムタと呼ばれるキノコ料理を出したという話がありま
     す。
五木さん:(手を合わせて)ナマステジー。(お礼を言って立ち去る、五
     木さん)
     (鍛冶屋さんの映像、鞴・フイゴを手でこいで風を送っている)
ナレーション: 仏陀は、チュンダが用意してくれた食事を、快く受け入
     れました。
      しかし、口に入れて直ぐ、それが、食べてはいけないものだ
     と分かりました。
      ここで、仏陀は、チュンダにこう告げます。
        チュンダよ、
        残ったキノコ料理は、それを穴に埋めなさい。
        神々・悪魔・梵天・修行者・バラモンの間でも、
        また、神々・人間を含む生き物の間でも、
        世の中で修行完成者(=仏陀)のほかでは、
        それを食して完全に消化し得る人は見出せません
        ・・・と。
        「かしこまりました」と鍛冶工の子・チュンダは、尊師に
       答えて、残ったキノコ料理を穴に埋めて、尊師に近づい
       た・・・。
       近づいて尊師に敬礼し、一方に座した。
       チュンダが、一方に座した時に、尊師は、彼を教え・諭し・
      励まし・喜ばせて、出て行かれた。
ナレーション: その時、仏陀は、激しい腹痛に見舞われていました。
      仏典には、こう記されています。

        さて、尊師が、
        鍛冶工・チュンダの料理を食べられた時
        激しい病が起こり
        赤い血がほとばしり出る
        死に至らんとする激しい苦痛が生じた。
        尊師は、
        実に、正しく思い
        良く気を落ち着けて
        悩まされる事無く
        その苦痛を堪え忍んでいた。
        さて、尊師は、
        若き人・アーナンダに告げられた
        『さー、アーナンダよ、
        我々は、クシナーラーに赴こう』・・・と。

ナレーション: 80歳の老いた身に、血が出るほどの激しい下痢。
      立っていることさえままならない身体を、引きずるようにして、
     仏陀は、自ら終焉の地と思い定めた、クシナガラを目指しまし
     た。
      パーバ村からクシナガラまでは、およそ20キロの道のりです。 
                            (つづく)
(参 考): クシナーラー = クシナガラ
(解 説):チュンダは、釈尊への尊崇の念で食事の供養をしようとして
     珍味のキノコ料理をさし上げたが、結果、釈尊の死を早めるに
     至った。
       釈尊は、チュンダが後悔して嘆くであろうし、また、まわりの
     者たちがチュンダを責めるようになるであろうと、チュンダに
     同悲され、「私の生涯で二つのすぐれた供養があった。
      その供養は、ひとしく大いなる果報があり、大いなるすぐれた
     功徳がある。
      一つは、スジャータの供養の食物で、それによって私は無上
     の悟りを達成した。
      そして、この度のチュンダの供養である。
      この供養は、煩悩の全くない涅槃の境地に入る縁となった。
      チュンダは善き行いを積んだ」と仰せになった。
      最初のスジャータの供養とは、釈尊がさとりを開かれる前、
     極限にいたるほどの苦行をされていたが、極端な苦行は悟
     りへの益なきことを知り、それまでの苦行を捨て、村娘のス
     ジャータから乳粥の供養を受けられた。
      それによって体力を回復し、菩提樹の下に座り、「悟りを開
     くまではこの座を決してはなれない」という決意でもって坐禅
     瞑想に入られた。
      そして、この上ない悟りを開かれたと伝えられている。
      スジャータの供養は、悟りに至る尊い縁になったのである。
      そして、このスジャータの供養の功徳とひとしく、このたびの
     チュンダの供養は、大いなる涅槃に至る尊い縁となると、釈尊
     は、チュンダの食物の供養を讃えておられる。
      チュンダがさし上げた特別のキノコはどうやら食用に適さな
     かったようある。
      しかし、チュンダは自分のせいで釈尊を死に至らしめたとい
     う後悔をするだろうし、また周りの僧俗がチュンダを責めるで
     あろうと釈尊は思われ、チュンダの嘆きに寄り添って、「チュン
     ダは大いなるすぐれた功徳を積んだ。
      チュンダの供養で、私は煩悩の残りなき大いなる涅槃に入
     ることになった。
      「チュンダは善いことをした」と、チュンダの供養をほめ、起こ
     るであろうチュンダの嘆きと周りからの責めをあらかじめ取り
     除かれたのである。
      ここに釈尊の慈悲の深さ、同悲のお姿が伺われる。
     仏教で言われる慈悲の行いとは、具体的にどういうものなの
     かがよく示されている。
      しかも釈尊のチュンダへの言葉は、無理にチュンダを慰めて
     いるというものではなく、ご自分の死を「大いなる涅槃に入る縁」
     と見られてのものである。
      ご自分の死んでいくことに対して、不幸ともいわず、嘆きもせ
     ず、静かに受け止められるばかりではなく、煩悩が全く消滅す
     る大涅槃に入る尊い縁として見ておられるのである。
      そういう背景があってチュンダの供養を讃えておられるので
     あって無理にチュンダを慰めているのではなかろう。
      このことによって教えられることは、自分にふりかかるどのよ
     うな〈災厄〉をも、転悪成善(悪を転じて善と成す)で、善き縁で
     あると受け止める智慧があって、初めて他者への憎悪や責め
     る心から解放されるのであろう。
      もし、自分は内心で嘆いているけど、人を悲しませてはいけ
     ないという愛情であれば、それはそれで尊いとしてもなお暗い
     ものがある。
      このように釈尊は、ご自分の死を大涅槃の悟りに至る機縁と
     見られたが、この釈尊の死の意味は、浄土の教えを信じる者
     における死の意味と重なるものであろう。
      自らの死を大涅槃界である浄土に生まれる縁といただいて
     いる念仏の信心と、釈尊における死への智見とは、内面的に
     連なるものがある。
      真実の信心は、死をも浄土へ生まれる縁であるとの智見を
     生むのである。
                    (寺報「草菴仏教」より)

2011年11月22日火曜日

諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 9」

題 : 諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい 
                  五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 9」

五木さん: ある時、アーナンダに向かって、仏陀は衝撃的な言葉を
     述べます。
      それは、「自分は、もう、3ヶ月後には、この世に居ないだろ
     う」という、そういう予言です。
      アーナンダは、さぞかし、もう、驚愕し絶望したに違いありま
     せん。
      しかし、余命は、もういくばくもない、自分は3ヵ月後に、この
     世を去る。
      自分の言っていることは、決して間違いない。
      こういう風に、仏陀は、断定します。
      おそらく、仏陀の80年の生涯の中で、自分の人生の終わり
     というものを、すっきりと予感した。
      そういう瞬間だっただろうと思いますね。
      ・・・で、仏陀は、アーナンダに、「自分はこの世を去る、去る
     前に、自分が、色々、言っておきたいことがある。
      だから、「修行僧達を沢山集めなさい」 こういう風に、アーナ
     ンダに命じます。
      そして、アーナンダが、集めた大勢の修行僧を前に、仏陀は、
     この様に言われたという風に、経典には書かれています。

        そこで尊師は、
        修行僧達に告げられた
        さあー、修行僧達よ
        私は、いま、お前達に告げよう
        諸々の事象は過ぎ去るものである。
        怠ることなく修行を完成なさい。
        久しからずして
        修行完成者は亡くなることだろう
        これから3ヶ月過ぎた後に
        修行完成者は亡くなるだろう・・と、

        尊師・幸いな人、
        師はこの様に説かれた。
        この様に説いたあとで
        さらに、
        次のように言われた
        我が齢は熟した。
        我が余命はいくばくもない。
        汝らを捨てて、私は行くであろう。
        私は自己に帰依することを成し遂げた。
        汝ら修行僧たちは、
        怠ることなく よく気をつけて
        よく戒めをたもて。
        その思いをよく定め統一して
        おのが心をしっかりと守れかし
        この教説と戒律とに務め励む人は
        生まれを繰り返す輪廻を捨てて
        苦しみも終滅するであろう・・と、

      物事は、移り変わるものだという様な事を、いくら口で言って
     も、どんなものでも流転するという様なことを、自分の身をもっ
     て、みんなに語ろうとしているんではないでしょうか。
      例えば、仏陀という人が、尊敬され、そして、その教えが、広
     がれば広がるほど、その人を、偶像化して、永遠に戴いて崇
     拝していこうという気分というのは、強まってきますよね。
      どっかで自分は、もう、如何に仏陀といえども、自分も涅槃に
     入るんだという事を言って、それで、その時、突然、自分が居
     なくなって、周りが大混乱するよりも、あと3ヶ月というこの日々
     を、周りの修行僧やアーナンダ達が、しっかり心に刻んで、あと
     1日、あと1日という風に、大事にして生きるようにという、生き
     るもの・残されたものへの配慮だという風に、思いますけどね。
     ・・・・・。
      あのー、僕自身はね、余命ということを考えないんですよ。
      むしろ、天命という考え方、で、自分が何時まで生きるとか、
      何時死ぬとか、そういうことはね、ほとんど考えたことは無い
     んです。
      あのー、出来れば長く元気で生きられれば良いと思います
     けれども、人間の天寿というものは、あらかじめ決まっている
     んじゃないかなーという事を考える事がありましてね。
      その天寿を全うしたい、ですから、世の中というのは、すごく
     不合理なもので、30歳の天寿の人も居れば、10代で亡くな
     る人も居る、90歳、100歳まで生きる人も居る。
      ですから、僕は自分の人生と言うのは、ある時期から、「い
     つでも」と言うのは、おかしいのですけれども、「もういいよ」と
     いう、声なき声が、聞こえてきた時が、自分の寿命の尽きる
     時だと思っていますし、寿命が尽きると言うことがですね、何
     か終わるとか、無くなるとか、そういう風に考えていないので
     すね。
      ですから、何か新しい出発と感じもしますし、とりあえず、与
     えられた、今日一日、明日の一日、仏陀の言葉の様にですね、
     元気を出して、苦しみに耐えてという風に思ってますね。
      ですから、寝る時は、もう、明日は目が覚めないかもしれな
     いという風に思いますし、起きた時に、「あー、今日一日あった
     な」と思いますし、あまり、そういう風に先の事を考えたことが
     無いですね。
ナレーション: 自らの死を予言した仏陀。
      別れを惜しむ人々が、数多く後を追ってきました、しかし、仏
     陀は、彼らに戻るように説き、形見として自分の托鉢の鉢を
     渡しました。
インドの仏教歌: 
        金のお皿でご飯を
        食べて貰いましょう
        仏陀に乳粥(ちちがゆ)を
        差し上げましょう
        金の台の上に
        席を用意しましょう
        仏陀にお願いして
        座って貰いましょう
        ここで仏陀に
        静かに休んで貰いましょう
        私は、みんなに仏陀が
        来ていることを知らせます
     
映 像 : 長い汽笛を鳴らして走り、そして去っていく列車

2011年11月21日月曜日

直径123メートルの 巨大ストゥーパ 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 8」

題 : 直径123メートルの 巨大ストゥーパ 
              五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 8」      

インドのお坊さんの経: 
        お釈迦様が、
        ヴァイシャリーにいるときは
        いろんな処に
        仏教が広まっていきました。
        お釈迦様は、
        何事も正直に話すようにと
        繰り返し語っていきました。
        お釈迦様は、
        ヴァイシャリーの人々を
        誰よりも愛してくれました。
        お釈迦様が、
        クシナガラのサーラの森に行くときは
        老若男女、みんなが泣きました。



映 像 : お経を唱えながら、裸足で水に濡れた田の畦道を行く
     仏教僧の映像。
      畦の道に僧の経が流れて行く。
      ・・・。
      悪路を車で進む、五木さん。
      大きく左右にゆれる車。
      警笛を鳴らしながら、乗客を満載したバスと行き違う。
五木さん: イヤー、もう、照り返しがすごいですね。
      イヤー、もうこれは、死にそうだ。
      ナマステー。
      お茶を一杯下さい。
      (お茶の葉を沸騰している鍋に直接入れ、煮て、)
      なんか戦後を思い出すね。
ナレーション: 仏陀の足跡を辿り、連日、悪路を進む、五木さん。
      旅は、まだ、半ばを過ぎたところです。
五木さん: ありがとう。
      あちちっ、・・・旨いですね。
      もう、極楽という感じだな。
      (多くのハエが・・ それを手で払う店の人、周りを飛
      ぶ)
同行者: 五木さん、今までの旅の風情は?
五木さん: イヤー、なんか修行という感じですね。
      前にインドに来た時は楽な旅をしたもんですからね。
      本当は苦行修行の旅なんですね。
      こういう農村を見ないと、インドは分からないという
     のは、本当ですね。
      仏跡は地方の農村地帯に残っている。
      仏蹟探訪の旅 ロマンティックな感じはしますけれど、
      本当は苦行修行の旅なんですね。
      だから観光の積もりできたのでは、もうもたないでし
     ょう。
      お遍路の様な覚悟で、やはりやらなければならない旅
     ですね 苦行の・・・・。
      ナマステ。サンキュー。
      イヤー、またこれはひどい日差しだな。
ナレーション: ヴァイシャリーを出た仏陀は、更に北に向かって
     歩き続けます。
      ヴァイシャリーから北西に、およそ50キロ、当時の
     ヴァッジ国の国境にあたる場所に発掘中の巨大な遺跡が
     あります。
字 幕 : (ケッサリア・ストゥーパ)
五木さん: イヤー、これはすごい。あー。
ナレーション: このストゥーパは、紀元200年〜紀元700年
     の間に建てられたものと考えられています。
      本格的な調査が始まったのは、1998年。
      現在発掘されている部分だけでも、直径123メート
     ル、高さ31メートルにおよぶ、レンガ造りの巨大なス
     トゥーパです。
      さらに、この下にどれ程の遺跡が埋もれているかは、
     まだ、明らかになっていません。
     (遺跡を登り、進む、五木さん)
五木さん: あー、ここに仏陀像があるんだね、あー、
     (頭を下げ、手を合わせる、五木さん)
ナレーション: 大パリニッバーナ経によると、旅の途中、仏陀の
     前に悪魔が現れました。
      悪魔は、今こそ、尊師のお亡くなりになる時ですと告
     げます。
      まだ、その様な時期ではないと退けます。
     (カラスが、ぎゃーぎゃーと鳴いている)
五木さん: カラスがすごい。
ナレーション: しかし、その一方で仏陀は、死に向かう準備を始
     めます。
     (巨大ストゥーパの周りをくるくる歩く、五木さん。何
     匹ものカラスが木にとまり、ぎゃーぎゃーと鳴く)
五木さん: ストゥーパだから、中に入る事はないんだね。
     (ストゥーパの上も、何匹ものカラスが飛び回る)

2011年11月20日日曜日

この世界は美しい、人生は甘美である 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 7」

題 : この世界は美しい、人生は甘美である 
             五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 7」

ナレーション: 病を克服した仏陀は、回復するといつもの様に托鉢
     に出かけました。
      後ろには弟子のアーナンダが従います。
      仏陀の従兄弟でもあるアーナンダは、25年にわたって、
     常に行動を共にして来ました。
      この日、托鉢から戻り食事を終えた仏陀が発した言葉に、
     周りの弟子達はおどろかされました。
      それは、何時も身近に居るアーナンダですら、始めて耳に
     する言葉でした。
画 像 : インドの子供達が、大喜びで水浴びする姿を微笑みながら
     見る、五木さん。
五木さん: アーナンダとの対話 アンバパーリーとのいきさつ、
     そして、仏陀の老いと病と、そういうものが、いくつも
     つき重なった場所なんですけど、この場所で、ある日、
     仏陀とアーナンダの間に、こういう対話があります。
      「仏陀・最後の旅」の中から、とても印象深い対話です。

        さて尊師は、
        早朝に、内衣を付け
        外衣と鉢とをたずさえて
        托鉢の為にベーサーリー市へ行った。
        托鉢の為にベーサーリーを歩んで
        托鉢から戻って食事を済ませた後で
        若き人・アーナンダに告げた。
        アーナンダよ、
        座具を持って行け
        私はチャーパーラ霊樹の元へ行こう
        昼間の休息の為に。
        そこで尊師は、
        チャーパーラー霊樹の元に赴いた
        赴いてから、あらかじめ設けられていた座席に座した。
        若き人・アーナンダは、尊師に敬礼して一方に座した。
        一方に座した若き人・アーナンダに、尊師はこの様に
       言われた。
        アーナンダよ、
        ベーサーリーは楽しい
        ウデーナ霊樹の地は楽しい
        ゴータマカ霊樹の地は楽しい
        七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい
        タフブッダ霊樹の地は楽しい
        サーランダ霊樹の地は楽しい
        チャーパーラ霊樹の地は楽しい。

      これは中村元さんが、パーリー語から訳された言葉なんです
     けれども、あのー、色々ありまして、サンスクリットの方から訳
     されたこのくだりにはですね、非常に印象的な言葉が加えら
     れています。

        この世界は美しい
        そして、
        人生は甘美である

      まあ、こんな風に、サンスクリット語の本の方には書かれて
     いる訳なんですけれども、そこまで本当に、仏陀が、言われた
     かは分かりません。
      この物語を編んだ人が、霊樹の地は楽しいという言葉を、
     さらに、普遍して、その様に自分の思いを付け加えたかもしれ
     ません。
      この辺は分かりませんですけれども、人々が、仏陀にそうい
     う風な言葉を言って欲しいなーという風に、心から思っていた
     ことが伺えるのですね。
      仏陀の信仰と言いますか、法の教えの第一歩は、人生とい
     うものは、苦であるという、いわば、ネガティブ・シンキングと
     言いますか、どん底から出発する訳です。
      この世というものは苦しいものである、そして、生老病死、
     様々な苦しみに満ちている。
      この苦しみの中から人はどのように苦しみに耐えて生きて
     いくか。
      仏陀は、その事を終生、ずーッと追求し続けた人なんですが、
     それでも苦から出発したこの世界、この認識がですね、仏陀の
     最後の旅の「 末期の眼 」の中で、
       『 この世界は美しい、人生は甘美である 』、
      例え、苦の世界であったとしても、こんな風に、最後に、仏陀
     に呟いて欲しいと思った人々が、どれほど居たことなんでしょ
     うね。
      人間というものは、『 決定的な絶望の中に生き続けることは、
     本当は難しいこと 』です。
      そして、私達・弱い人間というのは、どうしてもその様に、物語
     の中で自分達の思いを、仏陀に託して、そして、こういう事を
     言って欲しかったという事を付け加えて、伝承というものが生
     まれてきます。
      ですから、それは、仏陀が、言った言わないとは別に、人々
     が、その様に、苦から出発して、あるいは楽の世界、醜の世界
     から美の世界、辛い世界から甘美な世界へ行きたいという願い
     を抱き続けて、2500年も生き続けて来たという事を表してい
     る訳ですから、それはそれで真実であろうという風に思う所が
     あります。
ナレーション: 若き人・アーナンダに、尊師は、この様に言われた。

        アーナンダよ
        ベーサーリーは楽しい
        ウデーナ霊樹の地は楽しい
        ゴータマカ霊樹の地は楽しい
        七つのマンゴの霊樹の地は楽しい
        タフブッダ霊樹の地は楽しい
        サーランダ霊樹の地は楽しい
        チャーパーラ霊樹の地は楽しい。

ナレーション: 雨季が明け、再び、旅に出る日がやってきました。
      ヴァイシャリーの人々は、何時までも、別れを惜しんだと言
     います。
      町の郊外にあるレリック・ストゥーパは、ヴァイシャリー王に
     よって建立されたと伝えられております。
      小さな半円形のストゥーパからは、仏陀の遺骨の一部を納
     めたシャリ容器が、半世紀前に発掘されました。
      インド人のプッドゥ・バランさんは、このあたりで布教活動して
     いるお坊さんです。
      バランさんは、ここで、毎日、経を上げています。
バランさんの言葉: 今から2500年も前の話になりますが、お釈迦様
     は、好んでこの地で法を説いていました。
      ある日、ヴァイシャリーの人々に、この様に語ったと伝えられ
     ています。

        私は、この地にずっと留まることは出来ません。
        西にあるクシナガラという町へ向かいます。
        名残惜しいけれど、どうか、私を行かせて下さい。
        この物語に基づいた歌を唄いたいと思います。
インドのお坊さんの経: 
        ヴァイシャリーの人々は
        お釈迦様が歩き出すと
        泣き出しました。
        お釈迦様は、クシナガラの
        サーラの方へ出発しました。
        村の人々が、皆、泣き出しました。
                            (つづく)
(補 注): アンバパーリーは、徹夜でご馳走を用意し、翌日、釈迦の
     一行が訪れた時は自ら給仕してもてなしました。
      食事が終わった時、彼女は、釈迦が留まった果樹園を教団
     に寄贈することを申し出て釈迦はこれも受けています。
      最後の場面はこんなふうに伝えられています。

        尊師は法に関する講話をもってかの女を教え、
        諭し、
        励まし、
        喜ばせ、
        座から起って、
        去っていった 。