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2014年6月27日金曜日

そのスペインの地を通して、ヨーロッパの地へと流れて行った。

 題:そのスペインの地を通して、ヨーロッパの地へと流れて行った。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 南米などに居られたインディオスの方々・・、
 そのインディオスの方々は・・スペイン人のキリスト教
徒とキリスト教聖職者たちに・・殺された。
 その殺されたインディオスの方々の『金(きん)』は・
・何処へ行ったのか・・??
 今、何処にあるのか?
 当然の如く、その奪われた金は、その卑劣な殺戮者たち
の本国・・スペインへ運ばれた。
 奪い取った者とスペイン王との『山分け』という事だっ
たが、奪い取った者たちは『誤魔化していた』。
 歴史家は、その悪事を、白日のもとにした、その悪行為
が明らかとなっている。私腹を肥やしていたという。
 何処までも悪いことをする奴らだ。
 キリスト教徒とキリスト教聖職者たちは、50年間も・・
インディオスの方々を殺戮して廻わり・・、そして奪い取
り、得た・・金(きん)を・・、
 キリスト教聖職者のラス・カサスは・・、
 『このままでは天に召されない』と・・、
 50年間、さんざん殺しまくった後に、罪の意識に苛(さ
いな)まれ、本国のスペイン王とその臣下及び関係者たち
に報告した。
 聞いた王様たちも、あまりの惨(むご)さに、そのすべ
てを聞けなかった。
 そして、簡潔でよいから報告書にまとめよ・・と言った、
 そう言って出来た報告書が・・今、岩波文庫の本『イン
ディアスの破壊についての簡潔な報告』・・となっている。
 最近、『世界大百科事典』などに、嘘の記述があるので
注意を要する。
 『世界大百科事典』も、そのあまりのひどさに・・、
 真実が書けなかったという事なのか???
 たが、嘘の記述が多いという事は、誉められたことでは
ない。
 殺された方たちの、『無念の心・気持ち』までもを、握
りつぶそうという事なのか? 卑劣の極みである。
 例えば、卑劣な行為をしたキリスト教聖職者のラス・カ
サスについて・・、
 『ラス・カサスが、インディオスの自由と生存を護るた
めに精力的に活動した』と記されている・・が、酷(ひど)
い嘘だ。まったくの嘘の記述だ。
 ラス・カサスが、『キリスト教徒』と呼んだスペイン兵
と・・、
 ラス・カサスたちのキリスト教聖職者たちが・・、
 一緒になって、殺されたインディオスの家へ行って、出
向いて、『金を奪っている』ことも、この報告書に、はっ
きり記されているのだ・・。
 また、目の前で、インディオスが殺されているのを、助
けようともしなかったキリスト教聖職者ラス・カサス司祭
なのだ。責任は免れ得ない。綺麗に書くどころではない。
 この殺戮を始める前に、ラス・カサスは、本国のキリス
ト教に問い合わせをしている。
 その時、本国のキリスト教からの返事には・・、
 インディオスの方々を、「人ではない」という、返事を
返信し、ラス・カサスは、その様な見解を貰っている。
 この様なキリスト教からの見解・返事も影響し、殺戮行
為が、あまりにも惨い、殺戮行為となったと言える。
 遊びの様にインディオスの方々を殺している。
 赤ん坊を・・岩に叩きつけたり・・、
 インディオスの方々を・・並ばせて、立たせて・・、
 槍で、何人を突きとおして殺せるか? などということ
を、ラス・カサスの目の前でやっている。まだまだ惨い事
がこの記録には数々が書かれている。
 キリスト教聖職者ラス・カサスは、何も言わずに見てい
た。もしかすると、一緒になって、何かをしていたかもし
れない・・。
 キリスト教には、古代にも、アフリカの方々を、「人間
ではない」と言っている記録がある(この時はエチオピア
の方々)。
 キリスト教聖職者ラス・カサスは、褒美(ほうび)とし
て、インディオスの人々を奴隷として貰っている(「エン
コミエンダ」と言われている)。
 この悪漢・キリスト教聖職者ラス・カサスは、ありがた
く貰っている。
 これがキリスト教聖職者かと、憤りが心底から沸く。
 ラス・カサス自身も言っている・・、
 「キリスト教の布教の活動をするより、世の中の、世俗
の利益に目がくらんで、その利益の追求に心を奪われ、専
念した」・・と。馬鹿めと言いたい、また、『世界大百科
事典』は、どこを見ているのだ・・。
 とんでもない野郎たちだ、そして、キリスト教聖職者だ。
 この様にして奪い取ってきた金は・・、
 当然、受け取ったスペイン王からスペインの地へ、
 そして、そのスペインの地を通って、ヨーロッパの地へ
と流れて行った。
 そして、そのインディオスの呪いの込められた金は、殺
されたり、そして、騙(だま)されたりして、取られた金
などは・・、
 キリスト教の大聖堂や、王の宮殿を飾る、装飾に使われ
た。
 キリスト教に偏するNHKは、それを『綺麗だ、綺麗だ』
と、NHKの放送媒体を使ってよく放送する。
 キリスト教国に偏するNHKだ。
 表面的には、綺麗に見えるキリスト教大聖堂も、無念に
殺された『インディオスの方々の金』なのである。
 その無念の死を、そのきれいな大聖堂の向こう側には、
その卑劣な事実が存在するのだ。
 NHKよ! その事実を、インディオスの方々の無念の死
を、知れ、思やりなさい、思い出しなさい、そして、祈っ
て差し上げなさい。
.
(資料1)エンコミエンダの成立:エンコミエンダは、ス
   ペイン王室が、スペイン人入植者に、その功績に対
   する王室からの下賜として、一定地域の先住民を「
   委託する(エンコメンダール)」という制度であり、
   エンコミエンダの信託を受けた個人をエンコメンデ
   ロと呼んだ。征服者や入植者にその功績や身分に応
   じて一定数のインディオを割り当て、一定期間その
   労働力を利用し、貢納物を受け取る権利を与えた。
..
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2014年6月26日木曜日

キリスト教の心底に流れているものは・と、神の失敗・・、

 題:キリスト教の心底に流れているものは・と、神の失敗・・、
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 五木寛之氏が、本「神の発見(キリスト教司祭との対談)
」の5頁で・・、
 「(市場原理の自由競争に)その経済のシステムを土台
で支えるのは、『見えざる神の御手』に対する深い信頼が(
西洋・欧米文明に)ある」と言う。
 そして、氏は、その結果を記してないが・・、
 その結果は、市場は、『散々(さんざん)』だった。
 『神がコントロールする』とされたが、コントロールさ
れるどころか、ある時から『暴走し始めた』。
 キリスト教の神は『居ない』のである。
 キリスト教の神の『嘘の証明』の1つの事例となった。
 その嘘の露呈で・・株価は大暴落した。
 この様に、コントロールされずに、乱れに乱れ、世界の
経済は大きなダメージを受け、経済的打撃を世界は大きく
受けた。
 先端知識のある人たちには、この様な事は、既に、分か
っていたこと、この様な混乱が起きることは、既に、当然
に、起きることとして、予測されていた。
 神の見えざる手があるというのは『幻想だ』・・と。
 キリスト教、及び、キリスト教関係者は、この様な嘘の
マジックを、世にばらまくから困ったものだ。
 また、この本の5頁で、「民主主義の土台である人権は、
天賦(てんぶ)の人権と呼ばれる・・と。
 天とは何か。それは神が与え給うた権利であり、デモク
ラシーが神の意識なしに成立しない」・・と言うが、
 「民主主義はキリスト教では成立しない」。このことに
関し、本ブログに記しているので参照されたい。
 そして、司祭の森氏も言う(23頁)「キリスト教会は、
誕生当時から、男尊女卑、男性優位でした。指導者のパウ
ロは、いま読むと女性が怒りだしかねない、すごい書簡を
書いています」・・と。
 嘘情報で飾られて来たキリスト教の『内実を正直に言って
くれた1事例』となった。
.
 (参考)てん‐ぷ【天賦】 天から賦与されたもの。生まれ
   つきの資質。「―の才能」「運否(うんぷ)―」
.
 そして、次の話。 
 キリスト教に、「主の嘆きの教会」というキリスト教会
がある。
 それは、ユダヤ教のファリサイ派が、イエス生存の当時、
エルサレムで予言者の多くを殺していた・・、
 その事について、イエスの言葉だとされる言葉がある。
 (現在の研究では、そのほとんどがイエスの言葉ではな
いとされているそのイエスの言葉だが・・)。
 ユダヤ教を信仰していたイエスは、これを嘆いて・・、
 『エルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、自分に
遣(つ)わされた人々を石で打ち殺す者よ』(「マタイに
よる福音書」23・37~39)。
 キリスト教は、この言葉を、キリスト教の聖書におさめ、
自分たちの殉教の様に言うが・・、
 これはキリスト教の殉教の話ではない。
 ユダヤ教の事。被害者もユダヤ教徒であり、加害者もユ
ダヤ教徒である。
 キリスト教は、逆に、殺人者となっている、殺人宗教と
なっている。
 本当に、キリスト教は、人を殺して来た、インディオの
方たち、アボリジニの方たち、アフリカの方たちと、枚挙
にいとまがない、『卑劣な宗教』に堕落している。
 自分たちの殉教は僅(わず)か、それを過大にでっち上
げ、殉教宗教の様に見せているが、嘘のプロパガンダ(嘘
宣伝)をしているが、その不誠実さは、無反省さは・・
 唾棄したい。次世代に伝えてはいけない宗教である。
.
 そして、次の話。 
 キリスト教の心底に流れているものは・・、
 「選民という」感覚。
 我々は、神より選ばれし民だ・・と、
 そして、「異教徒は殺せ」の教義がある如く・・、
 選民たる我々以外は・・「駆逐(くちく)する」・・
 「排除して良い」・・と言う。その様な排他の精神。
 そこに、キリスト教の『神の義がある』のだ・・と言
う。
 その神の正義の存在を「祀(まつ)り上げ」までする。
 いやいや・・その様なことはない・・と、キリスト教は、
プロパガンダ(嘘宣伝)し・・、その心底を覆い隠してい
るが、そのDNAまで変えられずに、世に悪さをしている。
 キリスト教の周りに戦争が多いのが、その1例。
 最近においても、「現代の十字軍だ」と言って、イラク
に攻め入った大統領が、キリスト教徒で、キリスト教に支
持母体を持って立った大統領だった。
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2014年6月25日水曜日

なる訳は・・なかった・・、

 題:なる訳は・・なかった・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の生まれた地、カナンの地、イスラエルの地、
パレスチナの地・・、そのカナンの地は・・、
 その地は、僅(わず)かに存在する砂漠地帯の沃野(よ
くや)であった。
 「甘い蜜が流れる」と表現されている地で、その沃野に
・・、あまりにも多くの民族が、関(かか)わっていた。
 民族の生存のためである。
 生き残りのためである。
 また、砂漠地帯であるため、降雨量も少なく、砂漠の地
であるが故の、農耕にはほど遠い地・・、
 「農耕はできず」であった・・、
 わずかに生える草、その草を追い求めて・・
 僅かな草を食(は)む羊などの家畜を追う産業しか・・
営(いとな)まれないという土地だった。
 すべての貧しさは・・貧困は・・この環境から始まった。
 この環境が『すべてを』性格づけた。
 生産量は、降雨量に比例していた。
 僅かな降雨量、僅かな生産量に、人々は飢えた・・、
 その飢えは、人々の心まで・・食(は)んだ・・
 人々は、その地の『天の僅(わず)かな恵み』を求め・・
さ迷い、彷徨(ほうこう)した。
 多民族の上に、その多い民族が・・彷徨し・・天の恵み
を追い求め、歩かねばならない産業に・・拘束されていた。
 民族の軋轢(あつれき)は、当然、生まれ、
 抗争も頻発した。
 そして、その抗争は・・拡大し、しばしば戦い戦争が・・
多発した。
 キリスト教は、この様な状況・環境から、強く
 『性格付けされ』・・た、
 その戦いの、『戦勝を祈る神』の居る「民族の宗教」と
して生まれた。
 しかし、実際、戦いに勝つことは少なかった。
 この様な中で出来た、キリスト教の教義・掟などが・・
 普遍性のある・・世界的なものに・・、
 『なる訳は』・・『なかった』・・。
 その宗教が、世界に伝搬して行ったところに・・、
 『世界の民・人類』の・・
 『悲劇』が・・あった。
 この様な性格付けがなされたキリスト教は・・、
 パレスチナの地と同様なことが・・、
 その性格から・・必然的に起きた・・
 数々の悲劇に・・多くの人々が・・『泣いた』。
 パレスチナの地では・・、
 その多くの戦いは、負けた人々を皆殺しにしていたが・・、
 この性格も・・キリスト教は・・、
 『卑劣にも引き継ぎ』・・、
 規模が拡大した悲劇が・・世界的規模に広がった・・そ
のキリスト教が・・
 世界の各地で・・現地の人々を、泣かせ・・皆殺しにし
た・・、
 現地人の方々を・・『人と見ないキリスト教の教義』か
ら来る見方で・・あたかも動物を扱(あつか)う様に・・
 人々は・・皆殺しにされた。
.
 そして、次の話。
 『悲惨な数字』を・・本を読んで知った・・、
 2008年4月に、ランドコーポレーション(ランド研究所、
アメリカ合衆国のシンクタンク)が発表した調査結果によ
ると・・、
 イラクとアフガニスタンから生還したアメリカ軍兵士の
 『2割近く』が、
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)か、
 重い『うつ病』に苦しんでいるという・・、
 帰国後に十分なケアが受けられず、戦争後遺症の苦しみ
と、生活苦から自殺する兵士の数は・・、
 『1日平均18人』になるという。
 一方、イラクの方々の死者数は、『100万人を越え』・
・、国外へ逃れた難民の方々の数は、『500万人以上』と
いう。
 そして、『イラク帰還兵反戦の会』は・・、
 イラクの石油資源搾取(さくしゅ)の放棄、
 軍事基地の閉鎖、
 及び、
 全占領軍の即時無条件撤退を要求した。
 だが、この声は・・、
 アメリカの大手メディアは・・取り上げなかった。
 無視した・・、
 それは・・、
 アメリカ政府が、大手メディアを使って、国民向けに、
『戦争プロパガンダ』を流し続け・・、
 情報操作していたからであった。
 『イラク帰還兵反戦の会』は、それと闘うため、ネット
やライブで・・情報を流し続けた。
 少しづつだが、理解者が増え始めたという。
 入会希望者も殺到したという。
 アメリカには、「愛国者法」という法律があり・・、
 戦争に反対する人を・・テロ容疑の名目で・・、
 いくらでも、逮捕が出来るようになっているという。
 反戦運動をしている人に、「身の危険は無いですか?」
と聞くと、「無いと言えば嘘になる」・・と、返事が返っ
てきた。そして、
 「しかし、心に決めたのです・・、
 人生を・・、多くの若者たちの未来を救おう・・と、
 政府や軍に動かされる人生では・・無い・・と、
 自分の人生、自分で選ぶ・・と、
 自分の人生、自分で自分を誇れる事をしたいのです」・
・と。
 アメリカの声に、
 「アメリカは、キング牧師の日に、国中でパレードをす
るが、一方、
 兵隊を確保するために、アメリカの貧困地帯に・・生活
苦から軍へ入隊する人たちをターゲットに・・、
 軍が・・戦車とリクルーター(勧誘員)を送り込んでい
ることを続けている」・・と・・。
..
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2014年6月24日火曜日

同民族を・・強く意識する宗教・・、

 題:同民族を・・強く意識する宗教・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、『同民族を強く意識』する『民族宗教』
の態を持っている。民族宗教です。
 そしてまた、キリスト教は、諭(さと)し、教える宗教
ではない。「駄目なら殺す」の宗教である。
 「ソドム」と「ゴモラ」もこれ、
 堕落したから殺すしかないと滅ぼされてしまった。
 本国のキリスト教から、人ではないと言われ殺され、全
滅の憂き目に合うインディオスの方々は、筆舌につくせぬ
多くの人々が殺された。
 キリスト教は、この様な宗教。「愛はごまかしである」。
 キリスト教聖書の(「創世記」19)をご覧いただきたい。
 これにも酷(ひど)い話が記されている。
 キリスト教の神は、神に「救ってください」と祈ったも
のだけを助けている。
 祈らない者は、「異教徒は殺せ」と同じ、殺して良いの
だのキリスト教の論理・教理である。この様な考え方であ
るため、それ以外の人は殺す。
 惨(むご)い話、惨いことに、広島・長崎の人々を殺し
たのは、早く戦争が終わってアメリカ兵士が救われたの論
理である。何ら戦争に関係のない方々の命を奪い取り、
戦争に従事している人の命と引き換えにする。卑劣なキリ
スト教の論理である。
 キリスト教の聖書には、この様な話がいっぱいある。読
んで何らためにならない。人殺し論理が、曲がった論理が
いっぱい書いてある。
 その1例。キリスト教の神は、その祈った者を救うために、
町の人々の上に火を降らした。しかし・・、
 事もあろうに、キリスト教の神は「ソドムとゴモラ」を
殺そうと、祈った者たちも殺した。
 「ソドムとゴモラ」も死んだが、何ら関係のない町の人
々もお構いなしに、キリスト教の神は極悪行為をした。
 キリスト教の神へ祈る行為をしてない町の人々もいただ
ろうが、その町の人々の命を無視した。
 虫けらの如(ごと)くに考えた。
 命を大切にしないキリスト教、虫けらの様に殺される人
々がキリスト教聖書のあちこちに記されている。
 子供たちが、この様な話に洗脳されることを恐れる、心
が痛む。
 「広島の原爆」「長崎の原爆」、これによって戦争が早
く終わって「アメリカ兵士」が死なずに済んだと、キリス
ト教の神に祈る人の少ない人々という観念で広島・長崎を
見ていた。今・現代でも、この見方だ。
 キリスト教以外は悪だと・・。
 そう言う、キリスト教こそ悪だと言いたい。
 今・現代、日本の企業はこの呪いの言葉におびえている。
 今・現代でも、この筋の通らない論理を言っている。
 広島・長崎の人々は、キリスト教の神には、配慮外の人
々、目の中に入らない『他の民族の人々』だった。
 創世記に記されているキリスト教の神も、卑劣にも、草
木もろとも、人々を滅ぼしてしまった。
 あちこちに惨(むご)い記述の聖書、そのキリスト教の
論理に洗脳されて、戦争が無くなる訳がない。
 次世代に残してはいけない宗教、人類は救えません、
 あなた方も幸せにはなれません。
.
 そして、次の話。
 熱心なキリスト教信者の作家・加賀乙彦氏は・・、イエ
スについて言う、
 「俗世の中に出て行き、無一物となって他人のためにお
のれをむなしくして尽くした」・・と、美しく言う。
 作家らしく美しい文となっている。
 しかし、イエスは無一物ではない。
 イエスの生まれ故郷の人が『うらやむほど』の物持ちで
あった。
 加賀氏は、熱心のあまり「言い過ぎて、結果、嘘となる
事をよく言う人」だが・・、
 イエスは、金銭的に恵まれた富裕者だった。
 日本の行脚(あんぎゃ)の仏教の聖人の様な、『本当の
無一物』で行脚した日本の聖人、宗教人とは全く違う。
 エルサレムの人々からも、「大酒飲み」とか、「大飯食
らい(おおめしくらい)」とかと、蔑(さげす)み言われ
ていた人だった。無一物の姿はまったくない。
 加賀氏も、この事を知っていて、よく言うものだと思う。
 イエスは、エルサレムの人々が羨(うらや)むほどの恵
まれた生活をしていた。
 また、イエスの幼少の頃からを知る故郷・ガリラヤの人
たちは・・イエスの事を・・、
 「予言者とは、うまい事をやってるな」と言っている。
 当時、エルサレムには、収入が多く得られる職業だった
予言者が多く居た。イエスもその一人だった。
 イエスの収入は恵まれ、優雅な生活だった。弟子たちと
の最後の晩餐風な会食はよくやっていたのだろう。外食を
喜ぶ子供ではないが・・、
 また、街の富裕層の人、裕福な生活をしている取税人の
家に上がり込んで飲み食いし、エルサレムの人からの上記
の様な罵声(ばせい)となっていた。
 キリスト教研究者によれば、イエスはやせ細った姿に、
今・現代、印象付けられているが、実際は太っていただろ
うという。
 イエスは、宗教家としての行いもしない、托鉢もしない
人だった。
 逆にいえば、宗教家の行もしない、恵まれた状況に居た
人と言える。
 しかし、キリスト教は、この一切を隠し、嘘の美化まで
して、イエスを偶像化している。
 キリスト教が忌み嫌う「偶像化」をしている。
 キリスト教は偶像崇拝宗教と言える。
..
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嘘を言っても・・変えたい宗教・・、

 題:嘘を言っても・・変えたい宗教・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教の熱烈な信者である、作家の加賀乙彦氏・・、
 氏は、キリスト教を「砂漠の地で生まれた宗教」と言わ
れる事を嫌っている。
 それで、砂漠の地の宗教ではない、そうではないと言っ
ている・・が、嘘である。
 加賀氏が、砂漠の地の宗教と言われることを嫌う理由は、
 「砂漠の地の宗教が、『民族の生存』を祈った宗教」で、
その為の「民族生存のための殺戮が多い」という理由から
であった。
 しかし、古代の砂漠の地は、飢餓から逃れ得ない地であ
り、飢餓が、たびたび襲(おそ)った。
 当然、民族の生存を賭(か)けた、し烈な戦いが、果て
しなく繰り広げられる地という状態であった。
 また、少ない面積となっている『豊かな沃野』が、奪い
取りの『争いの地』となった。
 甘い蜜の流れる、花咲く沃野。カナンの地もその1つで
ある。
 キリスト教は、この沃野・カナンの地の『奪い取りの歴
史の物語』の宗教とも言える。
 その豊かな地の『奪い合いの戦い』が頻繁(ひんぱん)
に起きていた。
 また、隣国の、『異邦人の富への奪い取りの戦い』も頻
繁に起きていた。
 この地に生まれたキリスト教は・・必然・・、
 その地の民族の『生存をかけた戦い』の『戦勝を祈る宗
教』となった。民族宗教。
 加賀氏は、明らかにある、存在する、キリスト教の『こ
の様なDNA』を・・指摘されるのを・・嫌った。
 キリスト教の根拠地は、砂漠の地・エルサレムというの
は動かし難い事実なのだ。イエスの沃野の論理は排除され
ているのだ・・。
 加賀氏が、何と言おうがが、これは変わる事はない、変
わる事が出来ない。
 加賀氏は言う、「イエスもフランシスコも緑豊かな自然
の中にいた」・・と、加賀氏はそう言いたいのだろう。緑
豊かな地に生まれた宗教・・と、キリスト教がそうだと言
いたいのだろう。
 確かに、緑豊かなガリラヤの地に、イエスは生まれ育っ
た。
 しかし、キリスト教を、事実上、作った人=パウロは、
 その沃野に生まれ育った地のイエスを棄てた。
 パウロは、「イエスの刑死の血」と、「イエスの復活」
だけを使った。そして、エルサレムの宗教がキリスト教と
なった。ガリラヤの沃野の宗教ではない。仏教の様な沃野
の宗教と違う。
 加賀氏が言うところの、「緑豊かな自然の地・ガリラヤ
に生まれ育ったイエス」の、その「イエスの言葉」や、「
イエスの行動」を、パウロは棄てた。
 パウロは、事もあろうに、イエスを食い荒らした。
 今・現代のキリスト教は、このキリスト教である、パウ
ロ・キリスト教なのである。
 加賀氏の言葉は、「詳しく知らない人々」を繰(く)る、
マインド・コントロールるする。
 特に、キリスト教が、異邦人の地に入って行く時・・、
 異邦人の国・ヨーロッパには、「イエスが死んで復活し
たという出来事の使信(パウロの手紙など、使徒の言葉な
ど)を中心とする教義に変容され、これはイエスが、キリ
ストとして、この世に支配する死・罪・悪霊諸力に勝利し
た出来事と解された」。
 そして、イエス・キリストという名前を持ってすぐれた
意味の救済者であるとなった。
 パウロのキリスト教となった。
 キリスト教には、この加賀氏の様な、キリスト教の本当
の事を知りながら、「嘘を言って、不都合なところを繕(
つくろ)う輩が多いから、注意を要する。
 この加賀氏の他にも、関東学院大学の富岡幸一郎教授が、
これと同じ嘘を言っている。
.
 そして、次の話。
 キリスト教には「目には目を」という教義がある。
 「同罪報復」という教義である。
 例えば、目を潰(つぶ)されたら、潰した相手の目を潰
すという・・同罪を、相手に与えて、報復してよい・・と
いう教義である。
 イエスが、十字架刑となって死ぬが、その後、ユダヤ民
族は、キリスト教から、イエスを殺したと、「主殺し」だ
と、長い歴史、あらゆる場所で、殺戮され続けている。
 キリスト教の「目には目を」の、同罪報復の教義だとは
言え、その殺されたユダヤ民族の方々の数は、非常に多い
卑劣さとなっている。
 イエスの死と同罪と言うことなのだが・・、
 同罪どころか・・その熾烈さは・・キリスト教に弁解の
余地はない。
 卑劣な教義を持つキリスト教の・・その執念深さは・・
低劣の極みだ。
 また、その陰湿ぶりは・・筆舌に尽(つ)くせない。
 2000年間、キリスト教は、ユダヤ民族の方々を殺戮し続
けている。
 この他の、この様な事例も、キリスト教は多い。
 次世代に残してはいけない宗教、継いではいけない宗教。
 また、皆様も幸せにはなれません。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
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