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2013年11月15日金曜日

空想で積み上げたもの・・・

 題:空想で積み上げたもの・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の新約聖書の中心人物のイエスは、完全なデ
ッチアゲによってつくられた物語だ。
 キリスト教に関する宗教学者の本にも記述されているが、
その概略を見ると・・、
 民族が錯綜する「パレスチナの地」は、人間の『欲も錯
綜する』地だった。
 その地は、長い歴史、長い時間、悲惨な欲による地獄図
が描かれる地だった。
 矮小な肥沃の地を奪(うば)い合った。
 卑劣な欲望からの戦いが、繰り返し、繰り返された。
 その地の、そのイスラエルの民に、
 「ダビデ」という戦いに優れた者が現れた。
 弱肉強食、動物の世界の様な地に現われた勇者だった。
 彼は、キリスト教聖書の「サムエル記」に描かれた。
 サムエル記は、紀元前560年~500年頃に完成したと言わ
れている。
 色々な人がかかわって、色々な人によって書かれたもの
だ。
 比較的、ダビデ実在の時に近いので、ダビデの人格的欠
点や失政も、正直に記録された。
 しかし、この正直な書き方が不満だったのだろう、時代
が下がって、紀元前300年~250年(先の書・サムエル記の
記述後、約250年後)に、
 「歴代志、上・下」が書かれた。
 この書は、サムエル記の気に入らない所の、「総べてと
言っていいくらい」を削除し、消し去った。
 ダビデとサウル王家との、卑劣な凄まじい争いや、
 ダビデの人妻姦淫行為や、
 ダビデの王宮内の暗黒面などなど、一切が削られた。
 そして、その代わり、ダビデとその時代を理想化し、
 ダビデが宗教儀式を、しっかり守る立派な王として描き、
 また、神殿制度が、君主制の初めから、しっかり行なわ
れていましたなどと、長い記述と共に書き加えられていた。
 この様な事から、この著者は、後世の宗教関係者の祭司
だとされている。
 この著者たちは、ダビデを理想的な宗教家とした。
 つまり、一般庶民ではなく、この様な記録が出来る立場
に居る宗教関係者たちが、
 時代と共に、自分に都合の良い様に、書き換えて行く。
 史実などそっちのけで、
 時代時代に、手を加え続けられて行った。
 ダビデは、理想的な王とされ、
 理想的な詩人とされ、
 理想的な宗教家とされ、崇(あが)められて行った。
 そして、「救世主(メシア)」思想が加わって行った。
 このメシア思想に、ダビデが結び付けられて行った。
 イスラエルの民は、ダビデの栄光に憧(あこが)れ、待
ちわびた。
 いつの日か、ダビデの様な力のあるメシアが現れ、
 虐(しいた)げる外国勢力を滅ぼし、
 神の民・選民を救ってくれるに違いないと、信じるよう
になった。
 やがて、イスラエルの民は、
 ダビデの子孫からメシアは現れるだろうと思う様になっ
た。
 そして、ダビデの故郷のベツレヘムという村から生まれ
るはずだと思った。
 キリスト教の信仰が生まれた。
 キリスト教の新約聖書が、必死に、イエスが、ベツレヘ
ム生まれだと言うのは、この事。
 でなければ、イエスは、メシアでなくなってしまう。
 そして、新約聖書は、不必要なくらいに、洗脳的に、イ
エスを「メシアの子よ」と叫んだ。
 イエスが、メシアの子というのが、信仰の必須要素であ
るからだ。
 メシア思想で、信仰が成立っているからだ。
 つくられた「ストーリー」に乗せたかったのだ。
 油を注がれた者の話などで必死に、その筋を補強した。
 イザヤは、紀元前8世紀に現れたが、このメシア思想を、
はっきりと最初に表した人だった。
 この「イザヤ書」も、後代の人たちが、いい様に、色々
と手を加え、脚色した。それも複雑に。
 紀元前520年頃に書かれたと言われている。
 何しろ、キリスト教は、色々な人が、空想で積み上げた
もの。
.
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 URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
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2013年11月14日木曜日

人には皆、『出世の本懐』がある。

 題:人には皆、『出世の本懐』がある。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書の『サムエル記』などを読むと、
 村の人たちを皆、殺してしまうという、話が出て来るが
・・、
 キリスト教の聖書には、この様な、悲惨な話に満ち々々
ている。
 本当に、軽蔑するぐらい、この様な話の連続のキリスト
教聖書だ。
 聖なる書などと、到底、言えないしろもの、実態なのだ。
 そして、何と、聖所の村でも、皆殺しに合うなどの記述
に、
 神も何もない話に、
 びっくりすると共に、更なる、軽蔑心が湧く。
 そしてまた、アメリカのベトナム戦争の蛮行が思い出さ
れる。
 この様な卑劣な行為は、キリスト教に感化されたもので、
 この様なキリスト教に、未来ある人生を断ち切られ、踏
みにじられた人々があまたいる事に心が痛む。
 そしてまた、キリスト教に、貴重な人生を投じる人たち。
 掛け替えのない人生を投じる人が、あまた居る。
 おしい事だ。
 そしてまた、考えてみると、一例、土の事を言語で「ア
ダーマー」と言う、そして、
 その土から造られたものであるから「アーダーム」とな
った・・などと、優秀な頭を、こんな事に使って、言葉の
『語呂合わせ』に興じている人たちも、あまた居る。
 勿体ない限りだ。
 そしてまた、一例、人類の始祖について、人類の数を少
なくして行く考え方・思考を思いつく、そしてその中で、
 始めは「一組の夫婦だったのだ」と思い至る。
 そして、それを教義にする。
 思考方法は間違っていなかったとしても、結論は間違っ
ていた。
 間違ったキリスト教が出来あがってしまった。
 一組の夫婦からは、人類は繁栄しえないのだ。
 『遺伝子の劣化』が起き、増えないのだ。
 そして、絶滅が起きてしまうのだ。
 こんな事に気付いても、何だかんだと言って、キリスト
教を讃美しなければならないのだから。
 結局、信徒の方たちを裏切り続けるという職業の人たち。
 人には皆、生まれ出ずる、そして来た意味、生まれて成
すべき事があるだろうに、そして、
 人には皆、「出世の本懐」というものがあるのだろうに。
 .
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ミスマッチな題が2つ

 題:ミスマッチな題が2つ
 A:あらゆる人間的な努力が『絶望』に終わる・・と、洗脳する宗教。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、「人間は『原罪』という悪を持っている』
と言う。
 その原罪の『底無し沼に人間は居る』という捉(とら)え
方・認識で、思考を展開する宗教である。
 そして、自分で脱出しようと、すればするほど、その底
無し沼に『はまり込むものだ』と洗脳し、マインドコント
ロールする。
 人間の力では、底無し沼から『脱出など出来ないんだよ』
と言う。
 『努力しても無駄』と、キリスト教は洗脳する。
 この人間の力による救済は、『不可能』という現状認識
からキリスト教という宗教は『出発』する。
 では、人間は、どの様にして救われるのか?
 その救済は、「キリスト教の神のみによる救済があるだ
け』と『信じ込まされる』。
 マインドコントロールされ、する。洗脳する。
 この様な設定の宗教だ。
 そして、その前提において、「私・イエスは、神から遣
(つか)わされて来た』という。
 自分で自分を助ける事が出来ないから、自分では脱出す
る事が出来ないから、私・イエスは来たという。
 ここに、「贖罪(しょくざい)」とか、「贖い(あがな)
い」という言葉が出てくる。
 そして、その前提を信じる事が絶対条件として、要求さ
れ、そして、前提となる。
 故に、信じられない場合、異端となり、異教となり、キ
リスト教から排除対象とされ、切り捨てられる。『異教徒
(異端)は殺せ』の教義である。
 キリスト教は「あらゆる人間的な努力が『絶望』に終わ
る」と洗脳する宗教なのだ。
.
 (追伸)だから、キリスト教は、『頑張るな』と言う。
     『頑張っても無駄だ』と言う。
     もちろん、キリスト教を信じよと言いたいから
     そう言う。
     自分の宗教に入れたいから、人間の努力を否定
     する。
     伊吹文部大臣から『努力した人が、正しく評価
     され、そしてまた、努力する人が正しく評価さ
     れる社会でなければならない』と正論を言われ、
     ぎゃふんとした国際基督教大学の教授がいたが、
     キリスト教は、この様な非生産的な宗教。排除
     すべき宗教。
.
 B:そして、ミスマッチな話・・・
.
 日本の『新技術への挑戦』の必要性の、新聞記事を読む
と思い出すのが、先の政権(民主党)の時の一人の女性が
した『予算切り』行為。
 テレビで、ジャンヌダルクが日本を救うと、見まがう様
に、「一人の女性が、バッサ、バッサと、日本の予算要求
を切っていた」。
 その時の政権は、その金を国民へ配るという。
 子供へ、また、学生へ。
 家庭は、「取らぬタヌキの皮算用」に涌いた。
 今、それらは煙となり、霧となり、雲散霧消したが、
 また、今、「兵(つわもの)どもの夢の跡」の感が胸中
に満ち、充満し、
 はかない夢感だけが漂い、残って居るが、
 技術の発展を切った政治感は最低だった。
 因(ちな)みに、ジャンヌダルクは、キリスト教の宗教
裁判で「魔女」とされ、焚刑で焼き殺されている。
 そして、この民主党の政治ショーは、日本の成長の背骨
の中心に、新しい技術力の取得がある事、その必要性を否
定したのは最低だった。
 これを象徴する言葉が「二番目では駄目ですか?」だっ
た。
 「二番目では駄目なのです」。
 眼の前の読売新聞(2013・7・28)には、ちょっと古い
が書いてあることは、「世界的に見ると、日本のロケット
は、競争力、使いやすさという点では劣っている」の記述
がある。
 また、「競争力向上、今が正念場」と書いてある。
 また、別のところには「コウノトリ(日本の国際宇宙ス
テーションに物資や実験装置などを運ぶ無人補給船)が働
き者だと伝えている。
 それにしても、この政党が、アメリカに行って勉強し、
教えられた事というこの『政治ショー』は、
 一時的には、日本中が沸いたが、
 今、振り返って見ると、
 民主党は、後々まで、
 国民の心の中に、
 悪い印象だけを残した、そして、
 政治汚点の記録も残した。
 『国民へのごまかしショー』をしたのは、
 長期的に、未来永劫、残る、逆宣伝だったなーと思う。
 お粗末だったと言いたい。
 テレビやマスコミを総動員して、効果があるだろうと企
画したんだろうが・・・、
 この『政治ショー』は、不誠実なショーだった。
 結果的に『国民を目くらます』、『だましのショー』
 だった。
.
     (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
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ミスマッチな題が2つ

 題:ミスマッチな題が2つ
 A:あらゆる人間的な努力が『絶望』に終わる・・と、洗脳する宗教。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、「人間は『原罪』という悪を持っている』
と言う。
 その原罪の『底無し沼に人間は居る』という捉(とら)え
方・認識で、思考を展開する宗教である。
 そして、自分で脱出しようと、すればするほど、その底
無し沼に『はまり込むものだ』と洗脳し、マインドコント
ロールする。
 人間の力では、底無し沼から『脱出など出来ないんだよ』
と言う。
 『努力しても無駄』と、キリスト教は洗脳する。
 この人間の力による救済は、『不可能』という現状認識
からキリスト教という宗教は『出発』する。
 では、人間は、どの様にして救われるのか?
 その救済は、「キリスト教の神のみによる救済があるだ
け』と『信じ込まされる』。
 マインドコントロールされ、する。洗脳する。
 この様な設定の宗教だ。
 そして、その前提において、「私・イエスは、神から遣
(つか)わされて来た』という。
 自分で自分を助ける事が出来ないから、自分では脱出す
る事が出来ないから、私・イエスは来たという。
 ここに、「贖罪(しょくざい)」とか、「贖い(あがな)
い」という言葉が出てくる。
 そして、その前提を信じる事が絶対条件として、要求さ
れ、そして、前提となる。
 故に、信じられない場合、異端となり、異教となり、キ
リスト教から排除対象とされ、切り捨てられる。『異教徒
(異端)は殺せ』の教義である。
 キリスト教は「あらゆる人間的な努力が『絶望』に終わ
る」と洗脳する宗教なのだ。
.
 (追伸)だから、キリスト教は、『頑張るな』と言う。
     『頑張っても無駄だ』と言う。
     もちろん、キリスト教を信じよと言いたいから
     そう言う。
     自分の宗教に入れたいから、人間の努力を否定
     する。
     伊吹文部大臣から『努力した人が、正しく評価
     され、そしてまた、努力する人が正しく評価さ
     れる社会でなければならない』と正論を言われ、
     ぎゃふんとした国際基督教大学の教授がいたが、
     キリスト教は、この様な非生産的な宗教。排除
     すべき宗教。
.
 B:そして、ミスマッチな話・・・
.
 日本の『新技術への挑戦』の必要性の、新聞記事を読む
と思い出すのが、先の政権(民主党)の時の一人の女性が
した『予算切り』行為。
 テレビで、ジャンヌダルクが日本を救うと、見まがう様
に、「一人の女性が、バッサ、バッサと、日本の予算要求
を切っていた」。
 その時の政権は、その金を国民へ配るという。
 子供へ、また、学生へ。
 家庭は、「取らぬタヌキの皮算用」に涌いた。
 今、それらは煙となり、霧となり、雲散霧消したが、
 また、今、「兵(つわもの)どもの夢の跡」の感が胸中
に満ち、充満し、
 はかない夢感だけが漂い、残って居るが、
 技術の発展を切った政治感は最低だった。
 因(ちな)みに、ジャンヌダルクは、キリスト教の宗教
裁判で「魔女」とされ、焚刑で焼き殺されている。
 そして、この民主党の政治ショーは、日本の成長の背骨
の中心に、新しい技術力の取得がある事、その必要性を否
定したのは最低だった。
 これを象徴する言葉が「二番目では駄目ですか?」だっ
た。
 「二番目では駄目なのです」。
 眼の前の読売新聞(2013・7・28)には、ちょっと古い
が書いてあることは、「世界的に見ると、日本のロケット
は、競争力、使いやすさという点では劣っている」の記述
がある。
 また、「競争力向上、今が正念場」と書いてある。
 また、別のところには「コウノトリ(日本の国際宇宙ス
テーションに物資や実験装置などを運ぶ無人補給船)が働
き者だと伝えている。
 それにしても、この政党が、アメリカに行って勉強し、
教えられた事というこの『政治ショー』は、
 一時的には、日本中が沸いたが、
 今、振り返って見ると、
 民主党は、後々まで、
 国民の心の中に、
 悪い印象だけを残した、そして、
 政治汚点の記録も残した。
 『国民へのごまかしショー』をしたのは、
 長期的に、未来永劫、残る、逆宣伝だったなーと思う。
 お粗末だったと言いたい。
 テレビやマスコミを総動員して、効果があるだろうと企
画したんだろうが・・・、
 この『政治ショー』は、不誠実なショーだった。
 結果的に『国民を目くらます』、『だましのショー』
 だった。
.
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2013年11月12日火曜日

合法的に弱者を食い物にする。

 題:合法的に弱者を食い物にする
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教国のアメリカは、
 『貧富の差』・格差が進み、拡大が進んでいる。
 その増えて行く弱者は、更に蝕まれ、食い物にされてい
る。
 人間らしく生きる生存権を奪われ、その挙句、使い捨て
にされて行く。
 その格差社会の底辺に居る方たちが、ビジネスのターゲ
ットとされた。
 その低所得ゆえに、その方たちは、クレジットカードも
持てない、手にした事がないという人々であった。
 この方たちが、『ハゲタカ』と蔑(さげす)まれたビジ
ネス資本のターゲットとして狙われた。
 世界を震撼させた「サブプライムローン問題」の始まり
だった。
 その行為への蔑みから「貧困ビジネス」の言葉が、世に
生まれ、流布した。
 過激な市場原理の渦の中に、その「経済的弱者」の方々
が餌食(えじき)となって、食い物となった。
 保護されるべき方々が食い物にされた、非情なキリスト
教国アメリカだった。
 アメリカの住宅ブームが、勢いを失い始めた頃、
 アメリカ資本が、新たに眼を付けたターゲットは、
 増え続ける不法移民・密入国者や低所得者の方々だった。
 英語の出来ないヒスパニック系の方々や、メキシコから
の流入した方々などだった。
 あまりきちんと説明などせずに契約をさせられるケース
が、非常に多いという非人道的状況だった。
 また、同じ所得レベルでも『白人より3割から4割も高い
利率』にするという『悪だくみ』までやった。
 契約には、最初は利率が低く書かれていた。
 しかし、2年~3年の間はその利率でも、その後、利率が
急に跳ね上がるというシステムだった。
 一家は必死に返済を続けた。
 しかし、躓(つまづ)く人たちが出始めた。
 その様な方たちは、続出し始めて行った。
 「返済が厳しい時は、利払いにもならない額でもいい」
・・と、言われていた。
 しかし、その払いきれない分は、「そっくり元本に」組
み入れられた。
 返済額が、雪だるまの様に増え続けて行った。
 必死に返済をしたが、気が付いた時は、もう手遅れの状
態だった。
 びっしり書かれた契約書は、まったく分からないという
人々・状態だった。
 「払えなくなったら金利の安いローンも用意されてます
よ」・・と言われ、借り換えも出来るというその甘言(か
んげん)も、支払いの破綻が増えると共に、住宅価格が下
落し、担保価値も下落し、空手形状態、実施されない状態
となった。
 膨大な借金だけが残った。
 アメリカ資本が起こした、合法的に仕組まれた罠(わな)
だった。
 以前の苦しかった時より、更に、苦しい底辺へと転がり
落ちて行った。
 もう人生、二度と這いあがる事も出来ないという状況、
地獄の世界に落ちて行った。
 仕掛けた者は、儲けを懐(ふところ)にしていた。
 その者たちは、リスク(危険負担)から逃れる手(責任
逃れ)も打っていた。
 「サブプライム担保証券」として、世界に売り出した。
 利回りが良かったので、儲かると思った世界の資本が買
った。
 特に、銀行が買った。
 リスク分散が、キリスト教国・アメリカの思惑通りに
達成した。
 破綻時のリスクは、アメリカから世界へとなった。
 アメリカの中流階級の消費率が飽和状態になった時、
 次のマーケットとして低所得層を狙ったこのシステムは、
 低所得者のむしり取りのハゲタカの如くだった。
 リスクも予想できない弱者を食い物にし、
 そして、同じくリスクを世界へも節操なく分散した。
 TPPが今、アメリカの旗振りで行なわれているが、その
触手は、主に日本がターゲットとなって、秘密裏に話が進
んでいる。
 日本の勤勉に蓄積したものが、「隣の芝生」の様に見え
たという図となっている。
 やはり、アメリカとの経済条約(北米自由貿易協定)で、
 メキシコで破綻したトウモロコシ農民は、
 農業放棄し、仕方なくアメリカへ生存を求めて密入国し
た。その様な悪結果があった条約だった。
 今、日本と、反対を恐れての秘密会議の形態で、すべて
が秘密裏に進んでいる会議(TPP)はアンフェアな、
 健全な社会からほど遠い会議の進め方で、今、進行中。
.
 (参考)北米自由貿易協定(ほくべいじゆうぼうえきき
ょうてい、英語:North American Free Trade Agreeme
nt、頭字語:NAFTA)は、カナダ、メキシコとアメリカ合
衆国によって署名され、北アメリカにおいて3か国による
貿易圏を生み出した自由貿易協定である。1992年12月17
日に署名され、1994年1月1日に発効した。
.
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2013年11月11日月曜日

多分、違う神なのだと思うが・・・。

 題:多分、違う神なのだと思うが・・・。
...(真を求めて 皆様ととともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、「天地万物の存在の初め」に関し、
その名・創世の名の通り、モーゼ五書の「創世記」に記し
ている。
 このキリスト教聖書・旧約聖書の『創世記』の最初に、
「はじめに」がある。
 その最初の言葉は、「初めに、神は天と地とを創造され
た」とある。
 その創造状況以前は不明である。
 「まず、天地だ」とだけ言えて、あとは明言できなかっ
たという状況である。
 『天と地』が、最初なのだと思ったのだろう。
 科学知識のまったくない古代のキリスト教聖書記述者な
らその様にしか想像できなかったのだろう。
 故に、キリスト教は、神が天と地を創るという所から世は
始まったという観念に執着し、また、世の中に定着させた。
 流れる『時』と、その時が流れている『空間』の存在には
思いが至らなかったのだろう。
 その様な難しい事は言いたくないという状況が、雰囲気が
感じられる。
 その時があり、空間がある事によって作用が与えられると
いう考えには思いもよらなかった。
 永遠性のある時の中に、あらゆる空間の存在の位置などの
特性から、一様でないという存在と、位置の違いから、互
いが作用し、時の流れの中で作用と、その理が影響を与えて
行くという考えには及ばなかった。
 単純に天と地が、最初に存在すればと考えた。
 「無始の時」と、「無限の空間」が意識できない古代の
人たちの記述から、キリスト教のものごとが始まった。
 その様な、キリスト教の世界となった。
 「神が造りし・・」という聖書とは言っても、そこには、
ぷんぷんと人間臭さが感じれる、その人間の検知する、あ
らゆるといえども、その人間の検知する能力による領域は、
さも、総べてのアンテナを研ぎ澄ましたとしても、限界が
あるように感じさせるのだった。
 次元も超えて行く着想もなければ、聖書の着ける所はな
いという浅薄な内容とならざるを得ない。
 キリスト教は、古代人の知見の結果から得られるもので、
そのセンサーと能力で書かれている事はまぎれもない事実
だ。
 創世記は記述する「地は形なく、空しく、闇は淵の表に
あり・・」(「創世記」1・2)と、
 そして、神は「光荒れ』と言う。
 神が、急に「天と地を創造するのは間違い」なのだが、
まず、すぐ言える事は、すぐに天とか地とかの物質が創れ
る訳はない。
 1例を言えば、今・現代、観測で確認できる宇宙の中に
ある「プラズマ」とか「ガス雲」とかの存在を、
 現代人ならその存在と、その状況を、知っているだろう
が、物質の創造以前の、その時点で、光が満ち満ちるのだ。
 キリスト教聖書の記述とは『逆』なのだ。
 天と地が出来て、光だなどと主張する、言う状況は、キリ
スト教の聖書の記述を、「ほほえましい」と言いたいぐらい
幼稚なものなのだ。
 この様な、幼稚な推論の流れではなく、宇宙は、まず、
「エネルギーに満ち満ちていく」。
 キリスト教の古代人の聖書記述者は、『エネルギーを創
る』などとは、想いが及ばなかったのだ。
 ここまでからだけでも、キリスト教聖書は、古代人が『
神から授けられて、記述した』と言っているのは、嘘と分
かる。
 それでも、神と言うなら『嘘の神である』。
 本当に宇宙の創造をしてない神である。
 信じてはいけない神である。
 キリスト教聖職者は、「この『淵』と言うのは『混沌』と
いう意味です」とか、
 そして、「何が何だか分からない様な混沌が(神によっ
て)秩序に変えられたのです」などと、分かった様な、分
からない様な事を言う。その秩序に変えられる前も、キリ
スト教の神が創った創造物なのでしょ?・・と、言いたい。
 本当に信じるに値しない内容だ。
 そして、この後、何故か、このキリスト教の神は、太陽
を創る。
 「光あれ」と光を創ったと言うが、どこから光が来てい
るのか?
 また、その光の後に創られた太陽が発する光とダブルが、
太陽の光はどうなってしまうのか?
 そして、何故か、このキリスト教の神は、地球上に有る
ものばかりを創るが、何故なのか?
 何の理由も書いてない。
 特別、地球への思い入れのあるキリスト教の神なのだ。
 木や草を創った後に、昼と夜を創るとか、お好きな、思
い立ったら何でも創るという気ままな、むちゃくちゃな順
番なのだ。
 まったく悩ましい事をする神なのだ。
 キリスト教の聖書の他の部分についても、この事例の様
な、あまり真剣に入れ込んで読まない方が良いという類い
の文が続く。
 因(ちな)みに、神は、人間を最後に創ったという。
 しかし、今、正に、宇宙のあちこちで、星々が創られて
いるが、キリスト教の神以外の神が創造しているのだろう
か?
 キリスト教の神の創造は終わったと言うので、多分、違
う神なのだと思うが・・。
 そして、キリスト教の聖書には、「われわれ(神の事)
の形に、われわれ(神)にかたどって人を造り」と書いて
あるが、
 キリスト教は、「神は一神だ」と言っているので、キリ
スト教の言っている事と、聖書に書いている事が矛盾する
が、
 ここを、キリスト教の聖職者は、「神が人間を、自分と
まったく同じに作ったと強調するため、「われわれ」とい
う表現をした」と無理筋の弁解的な言い方をした。
 この様な話を、いくら読んでも無益です。
.
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