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2012年1月5日木曜日

あのころはよかったなー・・・

☆題: 《あのころはよかったなー・・・》: 

 青物町商店街の狭い路地。
 40メートル先のどんづまりに商店街の守護神、お稲荷さん
がある。
 カブ・ニンジン・バナナ・そして尾頭付きの金目鯛が三方
に載せられお供えされている。
 小さなキツネの焼き物が飾られている社殿。
 1坪ほどで小さいのに「正一位半田稲荷大明神」とたいそう
な神社。

 10月10日。ここで秋の例祭があった。
 12人が、社殿の向かいにある自治会館に集まり、お神酒を
交わした。
 ほとんどが70代。
 にぎやかな語り「葛飾の半田稲荷から江戸時代に分かれたの
だろう」
「昔は初午(はつうま)の前に、みんなでお参りにいったもの
だ」。
 昭和期の例祭には露店も出た。
 子供達もたくさん、駆け回っていた。
 映画館も商店街のはずれにあった。
 「人通りが多かった。小さい子は父親に肩車をしてもらわ
なければ歩けなかったもんだよ」。

 昭和46年に商店街にアーケードが完成した。
 今はさびが目立つが。
 工事をした人が言う「昔はもうかって、芸者を上げて一晩に
百万使ったこともあった」。
 花街は、青物町の隣の宮小路。
 いま、地方都市の高齢化と過疎の波が青物町商店街をも襲う。
               (参考:朝日2010・11・9)

2012年1月4日水曜日

国家や正義の名の下での・・戦争による大量死が・・無くなる時代は、いつ、来るのだろうか・・・

☆題 : 《 国家や正義の名の下での
     ・・戦争による大量死が
     ・・無くなる時代は、何時、来るのだろうか・・・》:
 
 書評:東京大学名誉教授・本間長世氏、「戦死とアメリカ
     ドルー・ギルピン・ファウスト著」(抜き書き)。

 米国の南北戦争は、
 建国後1世紀足らずで国家が分裂し、
 4年間にわたる戦争の末、
 北軍が南軍に対して勝利をおさめ、
 連邦の統一が回復され、
 反乱軍が鎮圧された内戦として記憶されている。

 この戦争の記憶は、
 アメリカ人の間で生々しく受け継がれてきている。

 南北戦争の戦死者の総数は、62万人。

 訳者(黒沢眞里子氏)も注目している様に、
 本書の章立ては、
 「死ぬこと」、
 「殺すこと」、
 「埋葬すること」など 動名詞を使い、
 動的な切り口で叙述を進める事で、
 主題の重苦しさが救われている。

 北部人も、南部人も、
 同じキリスト教の神に祈ったが、
 神自身の目的をうかがい知ることはできないと述べた。

 20世紀は戦争の世紀だった。

 今世紀において、
 破壊兵器はますます精度を高め、
 無差別テロの恐怖は各地に広がっている。

 歴史の教訓は生かされていない。

 国家や正義の名の下での大量死が、
 なくなる時代は何時来るのだろうか。 
               (日経2010・12・19)

(小生:「(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良
い」の教義では、必然的に戦争は多くなる)

2012年1月3日火曜日

戦争開戦前に、徹底的に現状分析がなされたが・・・幻の報告書

題 : 戦争開戦前に、徹底的に現状分析がなされたが
                    ・・・幻の報告書
☆《 戦争開戦前に
 ・・現状を詳細に分析した報告書が存在した
 ・・しかし、現状認識を封印し、戦争は始められた
 ・・その結果は悲惨そのものだった・・・ 》:

 70年前の日米開戦前に、
 日本の国力を正確に予測しながら、
 葬り去られた幻の報告書が存在した。

 1939年9月、
 関東軍参謀部で、満州国の建設主任から急きょ帰国した陸軍
中佐の秋丸次朗は、
 「戦争経済研究班」を取り仕切って、
 その報告書を作成した。
 同班は「秋丸機関」と通称され知られた。
 秋丸は、英米との戦争に耐えられるかどうかの分析を命じら
れ、
 東大教授の有沢広巳、
 後に一橋大学学長になる中山伊知郎らの学者を集め、
 徹底的に調べた。
 20~30人の研究チームだった。
 調査対象は、人口・資源・海運・産業など広い分野に及んだ。
 資料収集に苦労を重ねた。
 経済封鎖の日本。
 軍需産業育成にどれだけ力を注げるのか。
 英米との力の差は・・。
 分析が進んで行った。

 調査開始から1年半後の1941年半ば、
 12月8日の日米開戦まであと数カ月の時期に、
 陸軍首脳らに対する報告会が催された。

 秋丸は意を決して言った。
 「日本の経済力を1とすると、
 英米は合わせて20。
 日本は2年間は蓄えを取り崩して戦えるが、
 それ以降は経済力は下降線をたどり、
 逆に、英米は上昇し始める。
 彼らとの戦力格差は大きく、
 持久戦には耐えがたい」。
 これが秋丸機関の結論だった。

 列席したのは杉山元参謀総長ら陸軍の首脳約30人。
 じっと耳を傾けていた杉山がようやく口を開いた。
 「報告書はほぼ完壁で、非難すべき点はない」と報告書の
分析に敬意を示し、
 そして続けた
 「その結論は国策に反する。
  報告書の謄写本はすべて燃やせ」。

 会議から帰って秋丸は、報告書を焼却した。
 有沢は直ちに活動から手を引くように命じられた。
 秋丸機関は、ほどなく解散し、
 現状認識を封印した戦争が始まった。
 結果は、悲惨そのものであった。

 報告書の一部が秋丸の死後、
 遺品の中から発見された。
 詳細を極めた報告書であった。
               (参考:日経2011・1・3)

2012年1月2日月曜日

野田さ~ん! 40年国債って、40年後の子供たちからおカネを借りて・・・

題 : 野田さ〜ん!、40年国債って、40年後の子供たちから
    おカネを借りて・・・

☆《野田さ〜ん!・・・》: 
「 野田さ〜ん!、40年国債って、40年後の子供たちからお金
を借りて、今の子供たちにお金を配るという事ですか???
・・・この国債、金融機関に賛成意見が多いという話があった
ので・・との声が聞こえて来たのですが???・・金融機関に
は0に近い超低金利の日銀からお金が流れていますが・・その
お金? 」
 
☆《これから日本に出て来る人からおカネを借りる・・・》:
 野田さんの政治というのは、「未来の人たちからお金を借り
て、お金を配って評判をとる・・言いかえれば、お金で評判を
買う的な政治」なのですか???・・違いますよね?
・・40年国債は無節操でしょう?・・恥ずかしいことをしてい
るなと思うべきでしょう・・今、居ない人=これから日本に出
て来る人から勝手におカネを借りちゃうんですよ・・帳簿上
そうしちゃうのでしょ・・・ 」

☆《デフレから脱却したいからといって・・・》: 
 デフレ脱却したいといったって・・40年もの先の人達まで巻
き込むのはおかしいでしょ・・また、財布を潤したいといった
って、「自分だけ良ければよい」の姿が見えますよ・・何か
変?・・40年先に急浮上する国債・・??・・「40年先の人た
ち、逃げられない借金に」「えーっ、俺たちが払うの〜」って、
言うだろう・・なら、野田さん、やるのなら100年にする?
・・もう、ここまで行ったら、貰ったも同然です・・冗談は、
止めにしましょう・・利子は払ってるんだからなんて大きな
顔はしないで下さい・・借りまくりの姿です・・」
 
☆《ニチギン!・・・》: 
 日銀、お主も悪よのう。・・結託してるでしょう?・・・
「40年もの先に浮上する霞みの国債」は、「繰り上げて償還す
るように・・そして、止めなさい」との意見で振舞って下さ
い・・「こんな先の未来の人たちにまで世話になるのかい・・
これはないおカネです・・」と、言って下さい。 

☆《無利子に近い金利で日銀がお金を貸してくれたら
・・外国がほとんど買ってくれない日本の国債・・しかし・・・》: 
 外国がほとんど買ってくれない日本の国債。
 小泉さんが日本の国債の格付けが下がって目をむいたが・・・。
 中国が半年や1年という超短期で買ってくれる時も(危なくて
長期は・・との意か?・・)。
 それでも国内・日本人が買ってくれたから良かった。
 ゆうちょ銀行などが必死に買っている。
 しかし、日経新聞(2011・1・3)に「国債の国内消化危うく」
との記事があった。以下その記事:
・・日本の公的な債務残高がGDPの2倍に達しても、国内では
「日本はギリシャにはならない」と財政危機論に否定的な声が
ある。
 家計の金融資産が国債残高を上回っており、『 当面は 』
国債を国内消化できる事情があるためだ。
・・だが、エコノミストの間では、金利の上昇で国債の利払い
費が増え、財政運営難に陥る悲観シナリオがある。
 少子高齢化で家計の金融資産増加は鈍っている。
 国債残高の上昇ペースのが速い。
 みずほ総合研究所「いずれかの時点で長期金利が急上昇する
リスクは否定できない」と指摘する。
・・今後、海外投資家に頼るようになれば低金利では買い手が
つかず、金利が急上昇する懸念も出てくる。
・・(読後のひとりごと:もしあなたが低金利で日銀がお金を
貸してくれたら・・低金利とはいえ、それ以上の金利が戴ける
日本の国債を買いますか? 利ざやはありますよ・・とのヘン
な声が聞こえる。うらやましい)

☆《政治が逃げている・・歴史に残る今、何故なさぬのか・・》: 
 政治が逃げている
・・本来、与野党の枠を超え、論じるべき課題から政治は逃げ
続けている。
・・30年も前から・・「少子高齢化で、立ちゆかなくなる」と、
指摘されていた。
 政治経済学者の故村上泰亮氏が「新中間大衆の時代」で27年
前に、「最近の日本社会は例外的な楽園(状態)である。
 町を歩く若い世代の日本人ほど無防備な表情をしている若者は
ほかにいない。
 古い世代の日本人も、ようやくたどりついた豊さにすがり
つこうとしている」。
 村上氏はすでにこの時「現在の日本の豊さは、つかの間の幻影
に終わる可能性も大きい」と書いている。
 (政治家よ、今、この時、2011年、処方箋を実行にうつしな
さい。実行にうつさない限り、悲惨な淵へ・・今は実行ある
のみ・・)。       (参考:日経2011・1・3)