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2013年3月7日木曜日

豊臣秀吉の頃のキリシタンの行状

 題: 豊臣秀吉の頃のキリシタンの行状について
........(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教宣教師の最高位にいたカブラルは、
 日本人を低く見て居た。
 馬鹿にして居た。
 自分たちの会話が日本人たちに聞き盗られると困ると思い、
 聞き盗られないようにと、
 日本人たちにポルトガル語やラテン語を勉強する事を禁止し
た。
 また、ラテン語やポルトガル語を学んで司祭になる事も禁止
し、
 日本人が司祭になる様な事が無いようにした。
 後に、このカブラルは日本を離れたが、
 そして、秀吉はキリスト教の布教を許可し、
 朱印状を与えたが、
 キリスト教宣教師たちの動静は不穏を極めた。
 九州では、島津氏の勢力が拡大し、
 キリスト教が保護しているキリシタン大名の大友・大村・有
村は劣勢だった。
 キリスト教宣教師らは、秀吉に島津氏討伐を要請した。
 また、九州のキリシタン大名に味方をするようにと要請し、
 軍艦を2隻を提供すると提案した。
 キリスト教宣教師らは、
 キリシタン大名を援助する兵隊の出陣を、
 フィリピンに居た総督に要請した。
 また、
 キリシタン大名の援助のための弾薬や大砲や食糧、資金、船
舶などの要請もしていた。
 また、
 キリスト教宣教師たちは、本国の利益についても画策してい
た。日本の女性などの奴隷売買など。
 島津氏は秀吉によって屈服させられた。
 この時、
 秀吉は、
 キリスト教宣教師たちの技術的に進んだ快速船で長崎から博
多に来ていた。
 キリシタン大名たちは、秀吉の性格を良く知って居たので、
 今までの経過などから、
 「この快速船は秀吉の為に作らせたのだ」と言って、
 秀吉に与える様にと、
 キリスト教宣教師たちに忠告した。
 しかし、
 この忠告に従わなかった。
 その他、キリシタンたちは、破壊的な行動をしていた。
 キリシタン大名城下で、神社仏閣を壊し続けていた。
 キリシタン大名は、キリスト教宣教師に完全に服従した
 (大名を救う武器弾薬・重火器の補充をする宣教師だったか
ら)、
 その大名の服従は驚くほどだった。
 宣教師たちはそれを利用した。
 神社仏閣を破壊して、良いものは自分たち宣教師たちのもの
にしていた。
 また、強制的に民衆を信徒とした、
 この様な行状が秀吉の耳に入った。
 そして、バテレン追放令へと続いて行く。