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2013年5月17日金曜日

イエスの救済・・当然、パウロとは違う。

題:イエスの救済・・当然、パウロとは違う。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教で、最初に書かれた聖書は、「マルコによる福音
書」である。
 紀元50年代に書かれ、70年代に全体がまとまった。
 因みに、それに続く「マタイによる福音書」は、「マルコに
よる福音書」を下敷きにして、紀元80~85年代に書かれた。
 そして、同じく、「マタイによる福音書」を下敷きにした「ル
カによる福音書」が続き、「ヨハネによる福音書」へと続く。
 (注)このヨハネは、後述する「洗礼者ヨハネ」とは違う。
 このキリスト教の最初に書かれた福音書・「マルコによる福
音書」に、最初に書かれていることは・・・。
 イエス・キリストの事を記述したと言われるキリスト教聖書。
 この福音書における、記述の初めは、いきなり、イエスの洗
礼から始まる。
 イエスは、活動を開始するに際して、まず「洗礼者ヨハネ」
の所へ行った。そして、彼から洗礼を受けた。
 30歳代、前半の歳だった。遅い活動開始だった。
 これ以前のことは、何も書かれていない。
 ・・・ということは、書く必要のない年月が流れたと、「少
なくとも」言える。イエスは、子供のころは優秀だったという
話はある。また、「洗礼者ヨハネ」は、イエスの従妹との話も
ある。
 洗礼者ヨハネと呼ばれる男は、当時、イエスに先駆けてパ
レスチナで「神の国運動家」として活動していた。
 彼は、イエスの親戚の中で、世間に知られている人だった。
 彼は、(「マタイによる福音書」3・4)によれば、
 「ラクダの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯を締め、
 イナゴとの蜜とを食物としていた」とある。
 洗礼者ヨハネも、イエス・キリストも、ユダヤ教の「エッセ
ネ派」という共通の背景があったと言われている。
 イエスは、ヨハネから洗礼を受け、一緒に「神の国運動」の
活動をした。
 当時、エルサレムには、この類いの活動家や預言者が、大勢
居て、公的な地位の預言者も居るくらいだった。
 しかし、そのほとんどが、エルサレムの傀儡(かいらい)政
権から取り締まられ、捕えられ、命を落とした。
 洗礼者ヨハネも捕えられ、殺された。
 イエスは、洗礼者ヨハネが殺されると、一人になっても彼と
の活動だった「神の国運動」を続けた。
 洗礼者ヨハネと同様に、「時が近づいている」、「歴史の終
わりの時だ」、「終末の時だ」・・と告げた。
 そして、「悔い改めよ」と人々に言った。
 「罪の許しを受けよ」・・と。
 そして、イエスは自分の活動も加えたりした。
 イエスが、洗礼者ヨハネの死後、彼の運動を継続したその内
容は、「赦し」と「救い」を中心にして、
 前記の様に「神の愛を信じて悔い改めよ」と強調した。
 イエスは、パウロの様な「救済」とは違った。
 イエスは、パウロの様な「十字架上の血の神への供犠(くぎ)」
ではなかった。
 そして、「復活」するという、
 強烈なユダヤ教徒だったパウロが採用するだろう、また発想
するだろう旧約聖書(ユダヤ教正典)での救済とは、当然、イ
エスは違った。
 今、キリスト教は、「パウロ・キリスト教」と呼んでもよい
位のパウロ路線の教義となっている。
 また、現在、この様なパウロ路線を選択しているキリスト教
は、
 キリスト教の聖書に、
 路線が違った「最初に書かれた聖書・マルコによる福音書」が
最初の福音書だとはっきりしているのに、
 パルコ路線に合う「マタイによる福音書」が、
 さも、初めに書かれた聖書の様な順番で記載されているから
注意を。
 この様な事までするキリスト教。
(参考)く‐ぎ【供犠】 神に、いけにえを供える宗教的・呪術
的(じゅじゅつてき)儀式。また、そのいけにえ。きょうぎ。
 (参考)かい‐らい【傀儡】 自分の意志や主義を表さず、他
人の言いなりに動いて利用されている者。でくの坊。

2013年5月16日木曜日

今は、・・「三位一体神」。

題:キリスト教の信仰対象の神は、今は、「三位一体神」。
.......(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 ヨハネには、「三位一体神」など、頭に、まったく、なかった。
 三位一体神と言ったら、即座に「それ何?」と、返事が返って
くるだろう。
 (「ヨハネの手紙1」2・22)を読んでみて下さい。
 完全に、彼は、2神の考えです。
 「御父と御子」です。
 その文は・・
 偽り者とは、イエスが「メシアではない」とイエスを否定する者
ではなく、「御父と御子」の(2神)を否定する者」・・・と、
言っています。
 「この(2神の)御父と御子」を認めない者は、「反キリスト」
です・・・とも言っている。
 完全に、信仰対象のキリスト教の神は、2神です。
 キリスト教の最高の会議である「公会議」でも、
 「御父と御子」の2神が、キリスト教の神だと決定したことと
符合(ふごう)する。
 時代が経っても、なかなか「聖霊」を神としなかったが、
大分、時が経た後、すったもんだの挙句に、
 「異端だお前は」の暴挙・暴言が出る大荒れの中で、
 「聖霊」が、キリスト教の神に加えられた。
 そして、「三位一体神」とされた。
 異端とされた者は去っていった。
 「御父と御子」の2神の時も、
 一神教ではないではないか?・・という事が引っ掛かって、
気になっていたのだろう。
 「聖霊」を加えて3神になっちゃうの?というところで、
 「三位一体神」の解釈が出た。
 また、イエス・キリストは、別の神概念を持っていた。
 調べて見て下さい。
 色々と、一番、大切な神概念が変遷するキリスト教なのです。
 貴方の、今、祈っているキリスト教の神も、
 これから変わる確率は高いのです。今までの様に。
 キリスト教は、その様な宗教。

2013年5月15日水曜日

戸惑いの中の教え・・・。

題:戸惑いの中の教え・・・。
....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教という宗教は、矛盾が多く、
 信徒の方達の心は、戸惑いの中の信仰となっている。
 この信徒の方々の戸惑いは、仕方のない「必然の理由」が
あり、この原因は、キリスト教がこれまで辿(たど)って来た
経緯の中にある。
 イエスが亡くなり、エルサレムに出来た教会の中心、その指
導者は、イエスの弟の『ヤコブ』であった。
 (教会と言っても、神殿の中に居たという報告がある)
 そのヤコブのグループは、イエスの弟のヤコブの他、親族、
そして、イエスの直弟子達によって形成されていた。
 そして、この他にもグループがあった。
 この複数のグループが、原初のキリスト教に存在し、今現在
のキリスト教にその影響が、色濃く投影されてキリスト教が
出来ているところに、今、キリスト教徒の方達が戸惑う原因が、
ここから発生している。
 その複数のキリスト教の原初のグループは、相いれない状況
にいた。
 そして、その相いれない、それらのグループの宗教思想が、
現代まで尾を引いている。
 その他の一つのグループが、パウロのグループだ。
 パウロは、昨日まで、ユダヤ教のバリバリの活動家だった。
 そして、その昨日までが、キリスト教徒を殺すような輩だっ
た。
 パウロは、活動していたユダヤ教のグループ内の出世問題が、
パウロ離脱の本当の原因なのだろうと言われているのだが、
 今しがたまで、盛んに対抗していたキリスト教のグループに
入ってくる。
 「天からのイエスの声が聞こえた」とか、
 「失神するぐらいの襲撃を受けた」とかと、
 劇的な回心を説明するが、
 急な心変りと言われても、否(いな)めない状況だった。
 パウロが、キリスト教に入ってきたからといって、
 「イエスの弟のヤコブ達のグループ」と考え方や行動が、総
べて一致するという訳ではなく、
 パウロは「生前のイエスの言葉や行動」に、(イエスの言葉
に、まったく理解を示さなかったと言われても仕方ない位に)
まったく触れなかった・・と言うより、無視した。
 イエスの「十字架上による死」と「復活」を取り上げて、
 自分なりの宗教企画を作った。
 パウロが作った『宗教企画のこの形』は、
 パウロが初めて作ったという「オリジナル企画」という訳で
はなく、
 昨日までガチガチのユダヤ教活動家のパウロが、
 この「十字架上のイエスの死、血による生け贄(にえ)」は、
ユダヤ教に、既にある供犠の話であり、
 また、「イエスの復活」の話も、ユダヤ教に既にある話だっ
た。
 これ等を取り上げて、パウロは活動を開始した。
 これ等をギリシャなどの伝道において、ギリシャに馴染む
ように変えたりした。
 そして、このパウロの路線上にある福音書「マタイ」「ルカ」
を作り、これによって伝道した。
 この様な経緯の中で、マルコは、パウロの「生前のイエスの
無視行為」に対抗して「マルコによる福音書」を作った。
 「マルコの路線」である。
 このマルコと「マタイ・ルカの路線」の複数路線の福音書が
出来た。
 現在のキリスト教には、この様な重複路線があり、
 この他にも、御存じのように「ヨハネによる福音書」の別な
路線があり、原始キリスト教のヤコブ達の流れがあり・・とい
う、キリスト教の原初にも複雑な路線問題が存在した。
 時代経過の中でも、この複雑な路線問題は、際限なく繰り返
され、広がり、撲滅されたりを繰り返しているのがキリスト教。
 一本、しっかりした本筋が無く、相矛盾する教義が多い宗教
という状況となっている。

2013年5月14日火曜日

節操無く・・・変化すること。

題:節操無く・・・変化すること。
(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 パウロに、イエスを神と崇(あが)める気持ちは、
あったのだろうか?
 パウロは、ガチガチのユダヤ教徒で、
 偉い地位にも居た。
 その躓(つまづ)きなのか?
 エポックメイキングな出来事があったという事で、
キリスト教徒となった。
 回心したのだと彼は言う。
 彼は、イエスを「イエスの贖罪」という観点のみを、
強調的に捉(とら)え、
 当時の誰でもが知っている「血による贖(あが)い」
という観点のみから取り上げている。
 だから、生前のイエスの「言葉」や「行動」について
は、まったく触れていない。
 彼のタブー?と言いたいくらい。
 また、当時の人々のよく知る「復活」と共に、
 イエスがおくびにも考えていなった「宗教企画」が
パウロによってなされた。
 パウロは、イエスとも会ってもいないし、
 イエスについては、「そこまでだ(生前のイエスは
無視)」と考えていた。
 事実、パウロは、(「コリントの信徒への手紙1」
2・2)で、「なぜなら、わたしはあなた方の間で、
イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト
以外、何も知るまいと心に決めていたからです」と言っ
ている。
 イエスを神格化しようとする意識はないし、その
行為もない。
 何百年も経た後の「キリスト教公会議」で、
 「イエスを神とするか?どうかで、大もめの末に
決定された」。
 それも、1回で決まったわけではない。
 それほど、イエスは神かどうかの影が薄かった。
 イエスの神格化は、後の、キリスト教が「ヘレニズム
世界」に入って行ってから始まったのだ。
 イエスが、次第に「主」(ギリシャ語で「キューリ
オス」)と呼ばれ始めた。
 そして、この言葉と共に、イエスの神格化が促(う
なが)されて行った。
 また、ヘレニズム世界には、偉大な人間を「神が
受肉した者」、あいは、神々の「化身」として見ると
いう風潮が広く見られた。
 ローマ皇帝を、神として崇める風潮が、特に、東方
に顕著に見られ、ローマ皇帝もキューリオスと呼ば
れた。
 イエスが、当初、パウロによって「贖罪感覚」を
付けられたが、
 この贖罪感覚と共に結び付けられて行ったのが
「ヘレニズム世界」での『神が受肉した者』であり、
 唯一絶対のメシア観」であった。
 キリスト教は、この「ヘレニズム世界」でヘレニズム
世界に流布されていた事と、くっつきながら装飾されて
行った。
 また、ヘレニズム世界でのユダヤ教徒が、彼らの神
 「ヤハウェ神」を、既に、「主」と呼んでいた事が、
 キリスト教は影響されて、イエス・キリストを
「主」と呼ぶようになった。
 また、この行為、キリスト教がイエスを「主」と
呼ぶようになり、
 ユダヤ教は融合して居たキリスト教徒(正確には後の
キリスト教徒)を疎(うとま)しくなり、
 呪いをもって追放し、「追放決定」が下された。
 最初、パウロなどの伝道は、地方に、既に広まって
いたユダ教の会堂(シナゴーグ)で行なわれていたほど
ユダヤ教徒と融合していた。
 世話になったユダヤ教に、後ろ足で砂を掛ける様な
事をしたキリスト教だった。
 ちなみに、今のキリスト教は、正しく言うとしたら、
 「ヘレニズム化したパウロ・キリスト教」という事
になる。
 これから、まだまだ、キリスト教は、ヨーッロッパ
大陸に入って行くに際して、節操なく、恥ずかしい位に、
現地の宗教と習合していく。
 これが唯一絶対と信じるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの
宗教の節操のなさだった。適当宗教状態だった。

2013年5月13日月曜日

その様な感情があるところには、友情は育たない。

題:その様な感情があるところには、友情は育たない。
......(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教徒は、主イエスの御業に驚きます。
 しかし、ファリサイ派には怒りを表します。
 それは、キリスト教徒が神を真に礼拝することを妨げるから
です。
 ファリサイ派の人々は、その様な罪人なのです。
 ・・・キリスト教は、この言葉の様に、ファリサイ人を咎
(とが)めます。
 ファリサイ派というファリサイ人は、非常に狭い一地域の人
でした。
 ある極端な一点を「非」として攻め、
 そして、自派については
 結局、キリスト教聖職者が、「イエスの給食の奇跡」を例に
言う様に、
 「給餌されつ羊」に例える様に、
 「飼い主によって愛され、養われることを喜びなさい」と説
く。
 動物・羊に例えられたキリスト教徒が、
 神に愛され、
 天から「天の国の養い」を分けて、与えられて、
 喜ぶという宗教が=キリスト教なのである。
 そして、
 天を仰ぎ、
 天を讃美するのが「良き信徒」とされる宗教なのである。
 5000人に給食したとか、
 その様な話ばかりの宗教。
 何ら示唆する言葉が少ない宗教。
 生活保護宗教。
 「慈悲」「寛容」という人間性来の性質と善い心を実現しよ
うと、精進や修業を大切にする仏教と大きく違う。
 キリスト教は、多いに仏教に学ぶべき必要性が存在する。
 自分の信仰だけの、固執した探究(本当は、探求と思ってい
たが、本当は探求にはなっていない)に留まっている。
 それではいけない。
 ましてや、自分の信仰だけを偏頗(へんぱ)に歌い上げてい
るだけだが、それではいけない。
 ましてや、キリスト教は、他宗教に対し「異教徒は殺せ」の
教義の様に、排他の心が強く、
 その様な排他の態度ではなく、他宗教に対して「共感」と
「敬意」をもって、
 開かれた態度が取れる様でなければならない。
 現代では、特に、この要素が必須の要素である。
 キリスト教に強い「裏切り」や「冒涜」の意識(聖書には
その記述が非常に多い)と、
 それに対する非情な「それを処す行為」は、排除すべきで
ある。
 人は「生来、善良である」という仏教に対し、キリスト教の
性悪説の視点から、キリスト教は変わるべきなのである。
 そして、性善説の「自分をより良くしてくれる」という視点
になるべきなのである。
 性悪的に「すべて敵だ的な考え方・視点」を変えるべきなの
である。
 「他と分け合う、そして、分けあうことの友情」を、キリス
ト教は学ばねばならない。
 キリスト教の聖書で教える「(キリスト教の)神の義があれ
ば」という『免罪符」を、我が民族へ与えて、
 我が民族が食べる糧を、奪い取りに行くことを『是だ』とし
て教えるキリスト教の聖書は、大間違いなのである。
 全面的にキリスト教に流れる、キリスト教の心底に流れてい
るこの様な性悪の観念の宗教であるキリスト教は、
 「他人と分け合うことの友情」を強く説く宗教に変わらなけ
ればならない。
 聖アエルドは言う、キリスト教にあるものは「相手の持って
いるものを奪い取ろうという欲望」や「他人への憎しみの感情」、
 そういうキリスト教にあるもの「その様な感情があるところ
には、友情は育たない」と言っている。