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2013年9月13日金曜日

内政干渉になっても良いのだ・・そして、神の書となった。

 題:内政干渉になっても良いのだ・・そして、神の書となった。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 『歓迎すべき内政干渉」。
 これはアメリカの考え方である。
 相手国にとって良いこと、また、世界にとって良いこと
なら、『相手の国の主権は二の次』で、『内政干渉になっ
ても良いのだ』・・という、考え方である。
 これは、実は・・、
 回り回って自国のアメリカに、影響がおよぶ事を恐れ、
 相手国の部分・領域内において処理をしておきたい・・
という、考え方である。
 自国におんで来てからでは遅い、『血を多く出したくな
い』である。
 自利の行動、自国の利の行動でもある。
 自国の尊い若者の命が亡くなったが、それに何倍かする、
何十倍かする、相手国の多くの方々が、戦争と全く関係の
ない相手国の方々の命が、また、亡くなった。
 この、相手の国の方々のことを、どう思っているのか? 
 一般的には、常識的には、世界法の立場からでは、相手
国、その国の主権を尊重しなければならない、当然である。
 内政干渉などは、絶対、してはならない、これは言うま
でもないこと。
 しかし、アメリカは・・、
 「その土地の人々のために、アメリカ人が犠牲となって、
『現地政府』に立ち向かう」・・と、言う。
 世界の民、一般の人たちは言う、
 「ずいぶん都合のいい話だね。こんな身勝手な議論を、
その土地に実際に住んでいる『土地の人々』が、受け入れ
る保証など、実はありません』・・と。
 実際、アメリカは、現地から遠くにあり、遠いアメリカ
の地で、現地の見える部分だけで類推し、正しいか?正し
くないか?は不明な状況から、正しいと『信じた』情報か
ら類推するしかないのだ。
 アメリカは、直接、統治はしていない。統治権のない遠
い国なのだ。
 当然、現地の土地の人々も、アメリカに『意見表明』な
ど行う機会はない。
 行動をするアメリカは、おかしなことに自国民に、その
事の『良否』を問うている。
 アメリカ人だけの議会意見で決める。
 そして、決まったOKなのだと、巨大な軍事力を行使する。
 その行為の現地の方々の批判を受ける事無く、『恰好の
よい自由の戦士』として立ちまわり、立ち去る。
 ここまでしたから、後は宜しく・・と。
 やったからには、とことん最後まで面倒みて下さい。自
分だけの判断で、自分だけの都合のよいところで投げ出さ
ないでください。
 アメリカは、自国の尊い若い方々の命を守るために、空
爆だけとか、選択肢はアメリカにあるが・・、
 空爆を受ける子供たちを含む方々には、問答無用で、
 爆弾を振りまき、かける。
 アメリカ製の『ペン型爆弾』で、手の指が無くなった子
供の映像を見たが、
 その拾ったペンを、口で開けようとし、ねじった瞬間に
爆発した。
 手と同様に、その子の口の半分は、爆風で吹っ飛んで無
くなってしまった。まったく可哀想な映像だった。
 この様な子供が大勢居る。
 アメリカは、自らの行動の行く末に、この様な子供の姿
が見えて居たのか? 当然、見えていたと思える。ペンを
拾うのは子供でしょう。
 自分の欲、覇権の欲に惑わされているのではないのか?
 貿易や儲けの囲い込みなど、私利私欲からの行動ではな
いのか?
 元を辿(たど)って行けば儲けたいの欲であろう?結局、
そこへ行く。
 ここで、キリスト教の聖書の1節を記す。(「サムエル
前書」27章)に・・、
 『ダビデその従者とともに出て立ち、ゲシュル人、ゲセ
リ人、アマレク人を襲うをこととせり、むかしよりこれら
の部族は、シュルにいたる地に住みて、エジプトにまで及
べり。ダビデ、その地を討ちて、男も女も生かし残さず、
羊と牛と駱駝と衣服を奪いて帰れり」。
 自分の利になるものは奪い去り。
 相手の方々の尊い命は、何ら自分たちの利に関係ないと、
利にならないと、殺し去り、捨て、この様な事を教え・説
くキリスト教聖書。
 この様な文が、あちこちにあまたあるキリスト教聖書。
 この様な文により洗脳された人々。
 そしてさらに、この文は書く、奪った品・分捕り品の『
分け方』が事細かく書いてある。
 奪い取って来た自分たちが、また強欲に、奪い合わない
様に、憎しみが生まれないように、そのための記述である。
 聖書記述はこれが目的なのだ。
 この古代の人たちのマニュアル、生きるためのマニュア
ルなのだ。
 『神からの言葉だ』はでっち上げ。古代のマニュアルの
意味しかなかった。古代民族が生きていくために意味があ
ったもの。それが、いつしか、キリスト教はプロパガンダ
(嘘宣伝)をして、神の書だとした。でっち上げた。
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/

2013年9月12日木曜日

『救いはエホバにあり』と、内村鑑三は言うが・・そして、努力をするなと言うが・・。

 題:『救いはエホバにあり』と、内村鑑三は言うが・・
         そして、努力をするなと言うが・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教は、『他からの恵みに期待するだけの宗教で
ある』。
 「自分から幸せになろう」という宗教ではない。
 何ら自らは努力をしようとはしない。
 また、『努力をすること自体を否定する宗教教義』にな
っている。無気力信徒製造宗教となっている。
 この宗教では国は滅びる。
 また、家庭も滅びる。
 人類も『じり貧』となり、滅びる道を進む。
 何しろ、「ひたすら、神からの恵みを願い、祈り・・、
 『たなぼた的な恵みを期待する宗教』である。
 内村鑑三は言う、内村鑑三集の「ルーテル特愛の聖句」
には以下の様な記述がある。
 言葉は綺麗ではあるが、その様に感じるが、表面的に綺
麗に見えるだけで、その実は人生を誤らせることになる。
 「穏(おだ)やかに神に寄り添い頼れば、力を得る」と
言う。神を信じろと言う。
 平穏は沈黙を守ることだと言う。ただただ神に寄り添い
頼ればいいのだと言う。
 そして言う。「それは、すなわち自(みずか)ら努めず、
(努力せず)、神の行動を待て」・・と、教える。
 これでは無気力人間が出来上がってしまう。
 人に食べさせてもらえなければ、つまり、まず神の前に、
人間に頼らなければミイラになってしまう。
 何ら自ら努力をしない人間ができ、キリスト教は、待っ
ていれば、『ただただ、いいのだ』と言う。
 力を得るのだと言う。
 それを信じろと言う。
 待っていさえすれば、強くなると言う。
 だから、汝の敵に勝つと言う。
 だから、救われますと言う。
 そして、ここで例えて言う、「嫉妬の毒矢に身を曝(さ
ら)すとき、・・われはただ静寂を守り、すべての救済を
神より望み、かれ(神)をしてわが城塞たり、守衛たり、
(神を)武器たらしむべきなり。われは弱けれどもかれ
(神)は強し、われとともにありて、われ一人は全世界よ
りも強し、救いは『エホバにあり』・・と。
 何ら、神はこうなのだからという話は皆無となっている。
 ひたすら精神的高揚のみ、感情的入れ込みのみ。
.
 (追伸):
 また、内村鑑三の様な、明治初頭の学究の徒は、
 進んだ西洋の科学知識および哲学を含む学問を勉強しよ
うとひたすら学んだ。
 しかし、今現代、その努力の跡は認めるが、その研究課
題のどれもが、陳腐化がはなはだしいのは仕方がない状態
となっている。
 それだけ、現代の科学は進み、学問・知見が進んでいる
のだ。
 内村鑑三のキリスト教も、その知見レベルは、また、研
究レベルは、はなはだしい進歩をした現代からみると酷(
ひど)く低かった。
 西洋の学問を仰ぎ見た明治初頭の学級の徒は、無批判に
優れたものと西洋を見ていたことは否めない。
 その様な環境に居た内村鑑三が、今・現代に居れば、キ
リスト教の真の全貌を知れば、この様な浅薄なキリスト教
に失望しただろう。

(追伸の追伸)
 「神が居ない」と悩んだマザー・テレサ。
 「神の存在が確認できません」と嘆いたマザー・テレサ。
 何と、彼女の人生の中でズーットあった悩み。
 ある時、急に、その様に思えたという話ではない。
 彼女は、長い年月「神の存在が確認できない」と悩んで
いた。
 「神の行動をマザー・テレサは待ち続けていた」。
 しかし、最後まで待ち続け、神に会えなくて終わった。
 彼女の死後、その経緯(いきさつ)が公(おおやけ)の
元に公開された。
 彼女の「これが真実」との公にする希望だった。
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2013年9月11日水曜日

偶像が、いっぱいのキリスト教。

 題:偶像が、いっぱいのキリスト教。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の『モーゼの十戒』の二項目に、
 「偶像を作ってはならない」とある。
 しかし、この項目の戒は、「常に意識されていたわけで
はなかった」。
 見過ごしていた時代もあったし、
 厳しく言った人は、「イザヤ書」の(40条以下)の著者
の第二イザヤである。
 彼は、偶像について、手厳しく攻撃をするが、この例の
様に、その人その人や、時代によって差がある。
 しかし、キリスト教が、十戒の「偶像崇拝」について、
他宗教を攻撃する資格はない、また、権利もない。
 キリスト教こそが、『偶像崇拝宗教』の状態にある。
 ブラジルの山の頂上に『大きなイエス像』を建てている
が、これも『偶像』である。
 また、この様な偶像を立てる行為を、世界のあちこちで
やっている。
 また、キリスト教の聖堂の外壁には『像を嵌(は)め込
んだりしている』。
 またそれも、戦争で侵略した地の「他宗教の偶像」を、
こりゃいいと、持ち帰り、聖堂の外壁に嵌め込んだりもし
ている。
 それこそ他宗教の『異端の宗教』の像を、聖堂という重
要で神聖な建物に嵌め込んでいるというお粗末な行状であ
る。
 イスラム教は、キリスト教の様な『十字架』や『十字架
に付けられたキリスト像』に相当するものはない。
 それをすると、『偶像崇拝になる』と『正しい解釈』を
しているからだ。
 祈るのは、ただ、『マーク』に向かって祈る。
 神の居る方向に向かって神に祈る事を大切にしている。
 キリスト教の様な、『偶像へ向かって祈る』ような事は
していない。
 キリスト教は、その他においても、偶像が満ち満ちてい
る状況。
 『マリア像』も、あちこちに一杯ある。
 また、『聖人像』も、いやなくらいにあちこちに飾って
ある。
 『聖画像』も多いし、節操はない。
 「偶像崇拝宗教=キリスト教という状況である」。
 インドの、マザー・テレサ修道院も、異常な状態の偶像
を飾っている。
 『マザー・テレサ像』が、びっくりする形で飾られてい
る。訪れる人がびっくりする。
 キリスト教の聖職者は、「人間が人間の自分のために神
を作り、それを礼拝する。これは、神のための神ではなく、
自分のための神となる」と批判しているが、
 自分の足元を見なさいと言いたい。
 この、キリスト教の聖職者の言葉は、自分の顔に唾を吐
くようなものです。
 像を彫(ほ)って人間のためと決め付けるのはおかしい。
 この逆の言葉が、キリスト教に戻って来る状態です、『天
使像』も一杯ですし、他を批判できない状況です。
 キリスト教は、本当に、どこが偶像崇拝忌避宗教なので
すかと指摘できる現状です。
.
(追伸)
 ユダヤの民の一番の歴史上の人・モーゼ。
 そのモーゼが、いつ、何処で、唯一信仰を持ったかなど、
いまだに解明はされては居ない。
 モーゼの存在そのものも、疑問視されている。
 そのモーゼの頃と思われる頃から、600年~700年も後
になって、初めて、「偶像崇拝」が問題となった。
 故に、モーゼの頃は、偶像崇拝は問題となっていなかっ
た。
 故に、明らかに、「モーゼの十戒」の第二項の「刻んだ
像を作ってはならない。云々」の偶像崇拝禁止の条項は、
モーゼの十戒の契約の言葉ではない。
 偶像は、キリスト教の神であるヤハウェ信仰には、かな
り密接に付属していた。
 偶像を持った信仰をしていたのである。
 モーゼたちが、その持っていた偶像を非難する訳がない。
 紀元前8世紀になって初めて、偶像礼拝が非難攻撃に登る
ようになった。そして、非難するようになった。
 はるか以前のモーゼが非難し攻撃する訳がない
.
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2013年9月10日火曜日

繰られている・・その結果は。

 題:繰られている・・その結果は。
...(真を求めて、皆様とともに幸せになりたい)
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 アメリカの方々は、繰られている。
 そのアメリカの方々を繰っているもの、その1つが
 『映画』に見られる。
 また、その映画を見る世界の人々も繰られている。その
繰られた結果は・・。
 1例、1984年に作られた『インデアナ・ジョーンズ、
魔宮の伝説』。スティーブン・スピリバーグ監督の作品。
 この映画は、作為的にアメリカを『英雄視』し、英雄に
仕立て上げている。
 対するのは東洋。この映画の場合は「インド」。
 東洋は、『遅れている』、『劣っている』としている。
 そして、邪悪な間違った考え方をする国としている。
 この映画は、復活作品であるが、最初の作品は、第二次
世界大戦前に作られている。
 大いに、アメリカ国民を鼓舞し、『世界を救う救世主』
と錯覚させた。・・効果は大きかったと思われる。
 アメリカ国民を、第二次世界大戦に駆り立てる『戦意高
揚』もあったと思われる。
 キリスト教の『選民思想』による、『救世主』を意識さ
せ、正しいのだから宣教せよとの、その『宣教行為』によ
って、民が救われるのだという。それは『正義』なのだと、
掲げ、錯覚し、逆に、結果的に『虐殺行為』を多く行うと
いう歴史の事例が多くある『悪魔行為』の結果と同じ様な
経過をたどる。
 インデアナ・ジョーンズの映画を見たアメリカの方々は、
娯楽の面もあっただろうが、『洗脳された面』も大いにあ
ったのだろうと想像される。
 『世界の救世主』と錯覚し、高揚させられただろう。
 キリスト教は、イエスを救世主とし、キリスト教を宣教
する事で目的が達すると錯覚し、その実は、実に多くの人
々を殺し、絶滅をもある死に人々を至らしめて来た。
 また、数多(あまた)な数の戦争の数々が、キリスト教
の歴史、過去に累々と存在する。
 救世主の意識により宣教の意識が強く、宣教のためには
人を殺しても良いになっている。
 アメリカは、警察行為と言いながら、警察行為ではなく
軍行為をしている。影響されている。
 この映画の、インドの村人は、何者かに虐げられていて、
 天から降りて来るジョーンズに、痩せ細った手を、次々
に出して、助けを・救いを求める。
 そして、天からの主人公は悪の宮廷に乗り込み、一旦は
敵に囚(とら)われるが見事に脱出し、悪の祭司をやっけ
て、邪悪なものから村人たちを解放する。
 そして、村人が、その結果に喜び、感謝の中、名残を惜
しまれる中を、村を去って行く。
 第二次世界大戦前に大量生産されて、アメリカ中に公開
された作品だという。
 映画は、インド各地方のもの事がごちゃごちゃに入って
いて学術的な整合性はないという作品。アメリカの観客に
は、「インド的、東洋的」に見えるだけという作品。
 主人公・ジョーンズは、知性と体力と意思をそなえる紳
士に描かれ、
 対する東洋の民は、古い理念にとらわれ、自由な行動も
取れず、
 運命を切り開く事も出来ず、ただただ災厄におののき、
 無力な存在に過ぎない・・と、描かれている。
 それに対し、主人公は、科学的に進んだ利器を駆使し、
どこでも自由に動ける。
 対する村人は土地に縛られ、動く事はできない。
 主人公は、天から降りて来るが、村人は地を這うしかな
い。
 主人公は活動域が広く、知性や判断力に優れ、
 さらに自由に、主体的に、自分の行動が選ぶ事ができる
と描く、
 対象的に、東洋の村人はそのことごとくが、その様にで
きないと描く。
 村人たちは、邪教のために貧困に追いやられ、そればか
りか、その邪教に精神が繰られ、ある者は奴隷となり、ま
た、ある者は供犠(くぎ)とされる。
 悪に虐げられた民に、自分たちを救う力などは無く、
 放っておけば邪悪な力によって滅びるほかはない。
 邪悪な力を取り除くためには、『外からの光』が必要だ
と主張し洗脳する。
 国境を乗り越えて主人公は活動し、その知性が、土地と
伝統に縛られた人々を救っていくと主張し洗脳する。
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2013年9月9日月曜日

やっぱり、性善説でなければ・・・。

 題:やっぱり、性善説でなければ・・。
...(真を求めて、皆様とともに幸せになりたい)
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 おめでとう、2020東京オリンピック決定。
 初めは思った、「安倍さんは、まったく運のよい首相だ」
・・と、しかし、『運』ではなかった。
 安倍さんたち・グループの方々は、チーム一丸となって
布石を打っていたのだ。
 それも、『プロ』の布石を。
 そのプロの技が、プロ技によって、なるべくしてなった
結果だったのだ。『2020オリンピック東京決定』に。
 その他の面でも、安倍さんの行動の結果が好結果となっ
ている現状だが、
 これらもまた、今回のオリンピックの様に、なるべくし
てなったのだと感じる。
 『プロの技・布石』である。
 この例の様に、積極的に、知的に、ポジティブに思考し、
事をなして行くのが性善説的行動・思考・展開なのだ。
 そして、次も続けて、そして、それが続いて、良い前向
きな行動・思考によって、その想いで展開して行く。
 この様な思考を展開していれば「日本も良い回転・展開
で行く」「世界にもよい貢献する国に成長していく」、
 人だったら「人生が開け、明るく展開して行く」。
.
 これに対し、朗報に接しても、「ああ、良かった・・だ
けど、あの時はまずかったなー、悪かったなー。今回は良
かったけど』・・と考えるのが性悪説。
 そして、ここを入口とし、スタートとして悪い事を連想
し、思い出し、考えて行くのが性悪説の性癖。
 性悪説的思考の展開=キリスト教の思考展開。
 安倍さんのホームランを見て、「三振、バッター・アウ
ト」を思う性癖。
 安倍さんの好い結果に対して、例えば、「トラスト・ミ
ー」の時は最悪だったなー・・と思ったり・・。安倍さん
に対して鳩山さん。
 先の政権の鳩山さんが訪米し、イスに座って、膝がつ
きそうなくらいに、オバマ大統領との間の位置関係、
 そんな雰囲気で話し合っている2人。
 その時、鳩山首相が顔をオバマサンに近づけた。
 オバマ大統領も、鳩山さんが何か言いたいのだろうなと
察して顔を近づけた。
 そして、顔と顔が接するくらいになった時に、鳩山さん
が小さな声でささやいた。
 『トラスト・ミー』・・と。信じてくれー・・と。
 その時の、オバマサンの顔。
 この時、この瞬間、今まで日本が築いて来た日米の信頼
関係は大きな音を立てて崩れて行った。
 歴代の首相の方々の努力、日米の友好関係構築に身を捧
(ささ)げて来た方々の努力は無と変わった。無くなって
しまった。
 「沖縄の普天間基地は今月中に何とかする』と空手形を
切り。本当に出来るのかなと、国民の大半はおかしいと、
半信半疑でいたら、「やっぱり」との言葉が出る。空手形。
 空手形の乱発の鳩山さん。・・・話の泉で、話がここま
で転がってきましたが・・。やっぱり、性善説でなければ
駄目なのです。
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URL: http://32983602.at.webry.info/

2013年9月8日日曜日

素晴らしい提言:美しい潟の復活、観光再生。

 題:素晴らしい提言:『 美しい潟の復活、観光再生。
           人工海岸線をなくし海と共生 』
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
:学習院大学教授・福島県立博物館長・赤坂憲雄氏の言葉
 (抜書き):「・・日本の人教は、将来8000万人台に減
り、その4割が高齢者になるという推計があります。
 まず、この事を視野に繰り入れる必要がある。
 水田だった所を、膨大な予算を投じて、塩抜きして、基
盤整備して、除染をして、元に戻す。
 そして、『さあ耕して』と言っても、農家は70~80代に
なっていて、耕す人は居ません。
 更に、人口減はいや応なく、経済力の低下をもたらしま
す。
 数百キロにわたる長大な防潮堤を造ってメンテナンスし
ながら50年、100年と維持して行く力が、果たして日本に
ありますか。
 将来の人口減少を考えると、今ある海岸線を守って行こ
うという発想に、もはやリアリティーはありません。
 潟は、生物多様性の宝庫で、実に多彩な暮らしやなりわ
いが周辺で営まれて来た。
 潟をもう一度回復する事は、人口8000万人台の日本列島
に向かって海辺の風景を再構築することだと僕は思う。
 美しい潟が復活すれば観光資源になるでしょう。(以下
略)」。(日経新聞 2013・7・27)
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