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2014年5月30日金曜日

明るい未来の開始点こそが・・大切で重要・・

 題:明るい未来の開始点こそが・・大切で重要・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教を創始したというパウロという男は・・、
 本当に、イエスを小馬鹿にしている、そして、無視して
いる。
 パウロが書いたという(「コリントの信徒への手紙1」
15・3~)に、
 (因みに、パウロが書いた書簡というのは、そのほとん
どが、少なくとも半分以上が、パウロが書いたものではな
い。キリスト教にはこんな話がいっぱい)
 「キリストが我々の罪のために死に、甦(よみがえ)り、
ペトロ等に顕現した」・・と。
 ここには、イエスの名など、微塵(みじん)もないし、
使うそぶりもないし、使いたくないと無視している。
 そして、パウロは言う、キリストは私の所にもあらわれ
ましたよ・・と(「ガラテヤの信徒への手紙」1・16)。
 そして、パウロは、はっきりイエスを捨てろと言う・・、
 「もし私たちがかつて肉のキリスト(イエスの事)を知
っていたとしても、今はその様な知り方は(してはいけな
いし)しない」(「コリントの信徒への手紙2」5・16~
17)・・と。
 生きていたイエスは、知る必要はないのだ・・と。(イ
エスは磔の血と復活だけでいいのだ・・と)
 何故、パウロは、生きていた頃の、イエスの言葉や行動
を捨てたのか?
 勿論、パウロは、生きていた頃のイエスの言葉や行動を
知る必要も無ければ、採用する必要も無い・・と言い、
 イエスの言葉や行動を無価値として捨てている訳だが、
 少なくとも、知る必要も無いと言うより、積極的に捨て
る必要性を感じて、『捨てた』という積極性が、パウロに
はあるのだが・・。
 『捨てるのが良いのだ』・・と。イエスをその様に見て
いた。
 その『捨てる必要性』・・、
 『有っては、害となる』という・・、
 「有っても無くても良い」というレベルではない。
 『律』を捨て、『イエス』を捨てたパウロ。
 しかし、今・現代のキリスト教は、パウロの思惑と違い、
 イエスに執着し・・、
 イエスの母・マリアにまでも・・手を伸ばし、
 歴史の一時期には・・、
 イエスの父のヨセフにまでも・・手を伸ばしていたとい
うキリスト教。
 神としていたという・・キリスト教。
 今もそうだが・・『立派な多神教』のキリスト教である。
 何しろ、パウロ路線から大きく外れている・・キリスト
教なのである。
 そして、「実質多神教路線」を歩んでいるキリスト教な
のである。
 このパウロのやり方を・・、
 苦々(にがにが)しく思っていたのが・・
 最初の福音書を書いたマルコさんだった・・。
 マルコは、「イエスこそが・・福音なのだ」と言った。
 そして、パウロへ・・呪いの言葉を・・投げ掛ける。
 イエスこそ福音で、自分勝手に、自分の考えで、自分の
為だけを言う者は救われない・・(地獄へ落ちる)・・と。
 イエスの福音のために・・これを行なう者が(地獄から)
救われる・・と。
 イエスの福音を捨てたら救われませんよという言葉を、
マルコは、最初の福音書で、パウロへ投げつけた。
 何で、パウロは、ここまでして、イエスの実質的な言葉
と行動を捨てたのか?
 そこには、非常に強い意思が感じられるが・・、
 確かに、個性の強いイエスだ・・、
 激情に心を失い・・奪われるイエスだ・・、
 常に、行動を共にしてきた・・弟子と言われる仲間たち
からも・・、
 必ずしも尊敬されていない言葉が吐かれ、言われるイエ
スだ・・が、しかし・・、
 その様なパウロだが・・、いい事も言っている。
 人間は新しく作り返されなければならないという考え方
を言っているのである。
 キリスト教の卑劣な所は・・、
 「人間には原罪がある」と・・大原則の根本の所で言っ
て、人間を、まず、否定的に見るというキリスト教で・・、
 その所から思考を始め、開始するキリスト教だが・・、
 そして、『ただただ神の恩寵(おんちょう)を待つ・・、
 そして、待ちなさい、待てというキリスト教だが・・、
 パウロのこの言葉は、新しい自分を磨き作って行けとい
う前向きな点は・・褒(ほ)められる。
 前向きな希望、明るい未来が開ける思考の開始点となっ
ている。佛教と同じ視点となっている・・。
 そして確かに、イエスには深い宗教性はない。
 ユダヤ教の改革者である。
 そして、イエスの頭の中には、ユダヤ教の改革を追い求
め、「ユダヤ教を捨てる必要はないが、私が来たのは改め
るため・改革するためである」と言った者である。
 行動のレベルは、「菩薩行まで」。
  (追伸):
 光り輝くあなたがたは、キリスト教の原罪などありませ
ん、鬱(うつ)になるほど悩むあなた、あなたは光り輝く
ものをお持ちです、光り輝く佛性をお持ちの方です。すぐ
キリスト教を離れなさい。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2014年5月29日木曜日

TPPについて:2014・5・29の報道に接して

 題:TPPについて:2014・5・29の報道に接して
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 [TPPについて、2014・5・29の報道に接して]:
 豚肉やコメなどの米国の農業5団体が、環太平洋パートナ
ーシップ協定(TPP)交渉で、
 「日本が農産品の関税撤廃を拒んでいる」として、日本
抜きで交渉を妥結するよう求める共同声明を発表したとい
う。
 この米国の5団体は、シンガポールで開催されたTPP
閣僚会合で、甘利明TPP担当相がコメや牛・豚肉など重
要5項目について関税を廃止しないことを表明したと指摘。
 米政府に対し、「日本が意義のある市場開放に応じない
場合は交渉を停止し、野心的な水準に合わせることができ
る国同士で真の包括的な合意をすべきだ」と迫ったという。
 米国が求めるものが了解できない国は悪だという、一方
的な言い方です。
 そして、米国は、正義の話をしているが、それが理解で
きないのかという言い方だ。
 自分の言い分を「意義があるのだ」とか、「野心的なの
だ」とか、「真なのだ」とかと、
 自分の論理を美化する言葉を羅列しているが、論理とし
て感情論に分類される。
 内容としては、日本抜きでTPPを妥結できる国とだけ
で良いから妥結するようにと言っているだけのこと。
 この米国の農業5団体の声明は、日本の立場を理解して
くれたということにも考えられる。
 駄目なら次回という考え方もある。
 今回は、その様にした方がいいと感じられる。
 折角、米国の農業5団体も言ってくれているので。
 そして、米国とはEPAの「二国間での話し合いの会合」
を続けて行くべきだ。
 米国がEUと、紳士的なEPAで話を進めた様に。
 それが正義であり、正解です。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(資料):
TPP:日本抜き交渉妥結呼びかけ 米の農業5団体
 2014年5月29日(木)10:35
 【ワシントン平地修】豚肉やコメなど米国の農業5団体は28日、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉で、「日本が農産品の関税撤廃を拒んでいる」として、日本抜きで交渉を妥結するよう求める共同声明を発表した。
 5団体は全米豚肉生産者協議会やUSAライス連合会、米国小麦協会など。声明は5月19、20日にシンガポールで開催されたTPP閣僚会合で、甘利明TPP担当相がコメや牛・豚肉など重要5項目について関税を廃止しないことを表明したと指摘。米政府に対し、「日本が意義のある市場開放に応じない場合は交渉を停止し、野心的な水準に合わせることができる国同士で真の包括的な合意をすべきだ」と迫った。
 日米両政府は29、30の両日、ワシントンで農産品の関税を巡る事務レベルの協議を再開する予定。重要5項目については、一定の関税を維持する方向で交渉が進んでおり、農業団体の声明は、関税撤廃に向けて改めて圧力をかけた形だ。

2014年5月28日水曜日

イエスも・・免れ得ない・・

 題:イエスも・・免れ得ない・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 イエスが、最後の晩餐で・・言う、
 「私を裏切る者が、私と一緒に手を食卓の上に置いてい
る」(「ルカによる福音書』22・21)・・と、
 これは、やはり、イエスらしい言い方であり・・、やり
方だと思う。
 皆が集まって、これから食事をしようとしている時にで
ある。
 今日まで、仮であったとしても、また、『嘘』の・・
 『作られた虚の行動』であったとしても・・、
 共に苦労して来た・・仲間ではないか・・、
 その共の行動が、真実の行動であったのか?・・と、問
いたくなる。
 真実の行動であるのならば、当然の事として・・、
 この様な・・イエスの言葉は出る訳がない。
 「今、食卓に手を置いている奴が、俺を裏切る奴だ」・
・と、言ったら・・、
 弟子たちは、当然のこととして、びっくりするだろう。
・・し、また、目を白黒するだろう・・。
 また、直接、名指しは・・しなかったとしても・・、
 イエスの・・この言い方だったら・・、ほぼ、ある特定
の人間を・・『お前だよ』と名指ししているのと同じだ・
・。
 そういう意味で、ほぼ誰だかが分かるものの言い方で、
名指しはしないのだから・・という態度の・・イエスのこ
のやり方は・・、
 「蛇の生殺し的な・・やり方で・・陰湿この上ない・・
やり方だ」。
 仲間の前で、「ラビ」と・・ユダヤ教の聖職者の呼び名
で呼ばれていたイエスに・・、
 そうイエスを呼んでいたので、仲間の中心的な立場なの
だろうイエスに・・、
 「ほぼ、お前が裏切る者だと言われた『ユダ』も、びっ
くりしただろう」・・。
 この後、この最後の晩餐を開いていたこの仲間たちは・、
 このイエスが、刑に処せられる時に、一人残らず逃げて、
 隠れて・・そして、イエスの刑死には立ち会わなかった。
 イギリスのチャーチル元首相の息子が、この話を聞いた
時・・『この、糞たれ、豚野郎』と叫んだという。
 聖書学者の・・ほとんどが・・このイエスの弟子と言わ
れる輩のことを・・良くは言わない。
 それにしても、標記のイエスの言い方も『素直な言い方』
ではない。
 こんな話を、毎日・毎日・・、
 特に、感受性の鋭い年齢の子供、小学生や中学生が・・、
 毎日・毎日、聞いて、マインド・コントロールされ・・、
 洗脳されたら、
 結果は・・酷(ひど)い事になる。
 イエスも裏切り者を、確信的に分かっていたのなら、こ
んなやり方は成立しない、なかったはずだ。
 もっと巧(うま)い対処の仕方が、あったはずだ。
 イエスは、独断潜行、仲間をつんぼ桟敷に置いて・・、
 仲間には言わずに、また、理解をさせずに・・理解不十
分のまま、事を行なう所がある。
 それを、弟子が満足して・・従って居たのか?・・と、
言えば・・、
 イエスは反駁されたり、また、批判されたりという状態
だった。
 ペトロなんて、まったくイエスを尊敬してない言い方だ。
 イエスは、リーダーとしての適格性を欠いていたと、は
っきり言える。
 だから、刑に処せられる時に、理解を示してイエスの『
刑死に立ち会う』という弟子が一人も出なかったのだ。
 この、イエスの死に際して、弟子が一人も来なかった責
任の一端は、イエスにもある・・と、はっきり言える。
 普通は、最悪でも、一人ぐらい立会者・理解者が居るも
のだが、一人も来ないというのは、余程(よほど)のこと
だ。
 これは、イエスにも責任があり、そして、イエスは、そ
の責任の一端を免れ得ない。
.
 (追伸)
 ユダが、イエスを裏切る伏線は・・、
 イエスが、ユダを信頼してない点に・・あった。
 イエスが、信頼しなかったから、ユダが裏切った。
 イエスの刑死以前に・・この様な事があった・・。
 また、ユダが裏切ったから・・、イエスが、ユダを疎(
うと)んじた・・という事も・・考えられるが、
 イエスは・・、少し頭の足りないイエスの弟子の中でも、
ユダを信頼はしていた。
 だから、ユダに会計的な仕事をさせていた。他の弟子に
は出来ないとイエスは判断した。
 何しろ・・急に・・ユダが、イエスを裏切ったのではな
い。
 これは・・確かな事である。
 その原因は・・イエスのあるとしか、考えられない。
 イエスは、ユダを軽蔑する態度を取っていた。
 また、常に、意地悪く接する行為をするイエスだった。
 この様なイエスは、リーダーたる資格はない。リーダー
たる人格はない。
 イエスには、少なくとも、ユダとの『関係修復』のリー
ダーとしての『責任があった』。
 しかし、イエスには、その『才覚は無かった』。
 実質的にリーダーの最も大切な面の失格である。
 このイエスの意地悪く接する行為を『し続けた』事には、
その様な性癖があるイエスには辟易(へきえき)する。
 イエスが、ユダを馬鹿にしたり・・、
 ユダの努力に、その恩義に、報(むく)いないで・・
 逆に、嫌うというイエスは・・最悪で、最低だ。
 その様なイエスなのに、イエスを思う『ユダの方にこそ』、
心の広さがあったと言える。
 その様なユダに、イエスは、まったく無配慮な「裏切り
者」の言葉を、イエスはユダに浴びせ掛ける。
 こんなイエスが、救世主だなんて言えるのか?・・
 言える訳が・・ない。
 何しろ、キリスト教は、イエスが5000人に食べ物を食わ
せました、与えましたとか、やっていることは「現世利益」
の目の前の『御利益』を追うことばかり・・。
 キリスト教の『浅さ』にはあきれる。
 現世利益宗教=キリスト教。
.
(追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
れた方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
 止めずに、相変わらず、続けています、
 これが目的なのですと言う如くに、
 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

その当然を・・キリスト教の地の人々は・・驚嘆した。

 題:その当然を・・キリスト教の地の人々は・・驚嘆した。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 ハリケーン・カトリーナ (Hurricane Katrina) は・・、
 2005年8月末に、アメリカ合衆国南東部を襲った大型の
ハリケーンであるが・・、
 この時・・、洪水で飢えた人々は・・、
 やはり、洪水でダメージを受けたスーパーマーケットな
どを襲った・・、
 略奪行為を・・した・・。
 スーパーマーケットの物品の・・ことごとくは・・
 奪われた・・。
 古代において・・、
 キリスト教の生まれた地も・・、
 砂漠の地で・・、
 飢餓に見舞われた時は、隣国の富を奪いに行った・・
 略奪を行った・・。
 それは・・人命までも・・奪った。自民族のためと・・、
 キリスト教の聖書には・・、
 キリスト教の神が叫ぶ・・、「殺せ、殺せ」・・
 「○○人は全滅にせよ」「△△人は男だけを殺せ」・・
 「生娘は生かしておけ」・・、
 「奴隷にせよ、奴隷にせよ」・・と。
 略奪を行う・・自民族のためになるなら・・と、
 他民族の富を・・しゃぶれるものはすべて・・
 しゃぶれるところは全部・・しゃぶり取れ・・というキ
リスト教の・・教えである。
 その行為は・・、
 キリスト教の神の義があれば・・正義があればよいとの
教えであり・・、キリスト教の教義だった。
 「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅しても良い」
という・・キリスト教のお得意の免罪符を出すという・・
 その様なレベルのことをする・・
 キリスト教の教義・・だった。
 カトリーナに打撃を受けた・・このアメリカの地でも、
 キリスト教に洗脳された人々は・・
 同じ行為をした・・。
 神の正義があるから・・
 悪くないのだ・・
 ・・という判断で・・悪の行為は行われた・・。
 これに対し・・、
 日本などの・・ありがたいことに・・、
 自然環境に恵まれ・・、
 あちこちに・・萌え出ずる・・芽生えに満ちる・・地は、
 あちこちに・・ありがたい・・恵みを・・得る。
 仏が・・あちこちに居るという宗教が・・、
 神が・・あちこちに居るという宗教が・・、
 生まれる。
 その仏たち・・神たちの・・生み出したもので・・人々
は感謝し・・生存する。
 仏や神が宿る・・満ちる地・・その神仏の存在のあるも
のと・・それを見る。
 神仏の・・命のあるものと・・見る。
 生けとし生けるものと見る。
 東北大震災という・・前代未聞の・・大災害に・・
 不幸にして・・見舞われてしまった・・が、
 その時に・・、
 欧米の様な行動を・・微塵も起こさなかった・・当然の
ごとく・・しなかった・・日本・・。
 その姿に・・欧米は・・驚嘆した・・。
 欧米と・・日本に・・その様な差が・・あった・・
 東北の方々には・・満ちる佛や神の・・姿が見えていた
 東北の方々には・・その心根(こころね)があり・・、
 カトリーナの地とは・・大きく違った・・
 カトリーナと同様な・・状況になっても・・、
 その物品に・・佛や神の存在を・・無意識に・・感得さ
れていた・・、
 当然の事として・・、
 その様な行為の・・およぶことを・・否定していた。
 それを・・当然の当然と・・していた。
 その当然を・・キリスト教の地の人々は・・驚嘆した。
.
(追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
れた方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
 止めずに、相変わらず、続けています、
 これが目的なのですと言う如くに、
 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2014年5月27日火曜日

「主の嘆きの教会」という・・

 題:「主の嘆きの教会」という・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教に・・、
 「主の嘆きの教会」という・・キリスト教会がある。
 それは、ユダヤ教のファリサイ派が・・、
 イエスの生存の当時、
 エルサレムで、予言者の多くを殺していた。
 この事について、イエスが嘆いたという、これに関連す
る教会だという事である。
 そして、そのイエスの言葉だとされる言葉がある。
 ユダヤ教徒のイエスは、これを嘆いて言った・・、
 (キリスト教聖書には、本当にイエスの言葉だと言える
言葉が・・ほとんどないと言われているが・・)
 『エルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、自分に
遣(つか)わされた人々を石で打ち殺す者よ』(「マタイ
による福音書」23・37~39)。
 キリスト教は、この言葉をキリスト教聖書に納め、自分
たちの殉教の様に言うが・・、
 これは、キリスト教の殉教の話ではない。
 ユダヤ教徒の殉教の話である。
 加害者もユダヤ教徒で、被害者もユダヤ教徒である。
 キリスト教は、殉教・殉教というが、人数的にキリスト
教徒の殉教は本当に少ない。他人ばかり殺しているが・・、
 キリスト教が、プロパガンダ(嘘宣伝)で言うから多く
に感じるが・・、
 また、過大に言うから・・多く感じるが、
 キリスト教徒の殉教は・・本当に少ない。
 逆に、キリスト教が、殺人の加害者側になっている。
 本当に腹が立つぐらい・・その数は数えきれないくらい
に殺人数は多い。
 キリスト教ほど・・キリスト教徒以外の方々を殺した宗
教はない。
 『異教徒は殺せ』のキリスト教の教義には、本当に軽蔑
し、怒る。
 キリスト教は、歴史のあらゆる時代に、また、世界のあ
らゆる場所で・・、人々を・・殺しに殺した。
 キリスト教は、『殺人者側のみになっている宗教』とし
て存在して来た。
 ユダヤ教徒の方々を始め・・、
 ユダヤ教徒の方々の場合の1例は、本当に追いまわして、
追い回して、そしてまた、追いまわして殺して行った。
 ユダヤ教の方々は、世界中を逃げ回り・・、
 当時の新大陸のアメリカにまで逃げたが・・追いかけて
行って殺した・・、
 ユダヤの方々があまりに多いので、本国のキリスト教に
応援を依頼するぐらいに殺人鬼となった宗教・キリスト教。
 インディオの方々の殺戮も筆舌に絶する・・、
 アボリジニの方々も・・動物を殺すがごとくに殺し、ア
ボリジニの方々は絶滅にひんしている。
 アフリカの方々への悪行為も本当に憎む。
 キリスト教徒の殉教は、その数に比べれば、本当にわず
か、居ないと言ってもいいくらいの数である。
 日本でも、殉教が過大に、キリスト教はプロパガンダ(
嘘宣伝)しているが・・、本当に少ない数だ。
 捕えても、柵から逃げられる様にまでしていた日本。逃
げたければ逃げなさいと・・。
 キリスト教は、嘘をつく性癖があるが、この殉教に関し
てもそうだ。
 この様な宗教で人類が幸せになるはずがない。次世代に
残し伝えてはいけない宗教である。
.
(追記)
  寄金をするなら、
  キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
 系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
 てください。ノーベル平和賞も貰っています。
  キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
  『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
  郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
 日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
  また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
 団体は反省してください。
  一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
 れた方々の善意を大切にして下さい。
  また、宣教師派遣も多すぎます。
  教会建設には『絶対』使用しないでください。
  また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
 聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
 用し過ぎています。反省してください。 
  長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
 超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
 切に使って下さい。
  そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
 るという『善行為』が本来の目的なのですから、
  寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
  止めずに、相変わらず、続けています、
  これが目的なのですと言う如くに、
  子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
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2014年5月26日月曜日

・・と、イエスは言っている。教会は自分に都合よく言うが・・

 題:・・と、イエスは言っている。教会は自分に都合よく言うが・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 ユダヤ教徒は・・、
 土曜日の安息日には、『シナゴーグ』という所へ行かな
ければならない。
 シナゴーグとは、キリスト教の教会の様な所・・、
 というより、ユダヤ教のシナゴーグを、キリスト教は、
最初の時は借りて使っていた。
 破門されてから利用できなくなった。
 キリスト教は、かような様に、シナゴーグから離れても、
ユダヤ教と同じ様な安息日を設けた。
 ただし、ユダヤ教と同じ日になるのを嫌った、というよ
り、同じ日にしたら、ユダヤ教の勢力が強いのでキリスト
教の教会には、人が来なくなってしまうという理由もあっ
た。
 ユダヤ教は、土曜日が安息日だった。
 そこで、その翌日の日曜日に、キリスト教は安息日にし
た。・・というより、西洋歴は『キリスト教暦』であるの
で、日曜日が、「キリスト教のしきたり」に倣(なら)っ
ただけ。
 本来は、ユダヤ教の安息日が、日曜日にならなければな
らないのが筋だが・・。
 キリスト教は律法を捨てた。
 というより、実質的なキリスト教の創始者のパウロが、
ユダヤ教の律法に辟易としていたのでキリスト教の教義を
作る時に、律法は捨てることにした。(パウロは、以前は
熱心なユダヤ教徒だった)。
 故に、この安息日の律も、捨ててしまい、関係ないとし
なければならないが・・、
 この律は・・お構いなしとした。
 大切な律なので・・そうはしてられないというところ。
 そして、そうであるならば・・、
 安息日の律を・・守らなければならないのならば・・、
 日曜日は、どこへも出掛けてはいけない・・ということ
になる。
 家族と、お弁当を持って、ハイキングなどをしたいと思
っても駄目なのだ。
 イエスは、安息日について言っている・・、
 その様な言葉がある。
 そのイエスの言っている言葉の主旨を汲んで書くと・・、
 「日曜日の安息日に・・、
 『きちっと安息日にキリスト教会に行くなんて、守らな
くていいんだよ』、
 知っていたかい、だって、『安息日は人のために定めら
れたんだから。人が安息日のためにあるなんて事ではない
よ』・・と」。(「マルコによる福音書」2・23~28)。
 安息日は、人のために定められたのだから、当然のこと
として、キリスト教の神のためにあるんではない・・と、
イエスは言う。
 また当然のこととして、安息日は人のためにあるのです
・・と。
 だから、だから、当然、キリスト教会のためにあるので
もなく、何しろ、安息日は人のために定められたんだから
・・・と、・・イエスは言っている。
.
(追記)
  寄金をするなら、
  キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
 系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
 てください。ノーベル平和賞も貰っています。
  キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
  『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
  郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
 日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
  また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
 団体は反省してください。
  一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
 れた方々の善意を大切にして下さい。
  また、宣教師派遣も多すぎます。
  教会建設には『絶対』使用しないでください。
  また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
 聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
 用し過ぎています。反省してください。 
  長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
 超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
 切に使って下さい。
  そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
 るという『善行為』が本来の目的なのですから、
  寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
 目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
 し上げさせて戴いたのですが、
  止めずに、相変わらず、続けています、
  これが目的なのですと言う如くに、
  子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
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