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2014年3月8日土曜日

氏・素性を、尋ねれば・・・

 題:氏・素性を、尋ねれば・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、自分の神以外を偶像の神だという。
 まったく、失礼な話だ、教義だ。
 その上、自分の神は排他的で、多くの極悪行為をして来
たことが許せない。
 キリスト教の今の神は、「三位一体の神」だという。
 その前は、「天の父」「父なる神」と言っていた。
 イエスも、その様に言っていた。
 イエスは、「三位一体の神」のおくびも知らなかった。
 知らない訳だ、イエス歿後、何百年も後になって出来た
神だからだ。
 そして、その前の前、何代かの前は「ヤハウェの神」だ
った。
 この神は「在りて在る」神と言われた。
 キリスト教の神を、この様に遡(さかのぼ)ると、あま
たの、沢山の神々が居たことが分かる。
 神の品評会のごとくになる。
 民族が生き残るための神だった。
 民族神だ。
 戦勝を祈った神だ。
 「戦いの神」だった。
 戦いに負けると、その神の神通力はないと棄てられた。
 キリスト教の神を辿(たど)って行くと「この様な『捨
てられた神々』に続々と行き当たる。
 生きるか、死ぬか。
 民族の生死を賭(か)けた戦いに『負ける様な神は捨て
られるのが当り前だった』。
 キリスト教には、累々(るいるい)と、この様な神々の
残骸が存在する。
 日本の様に、『連綿と続く神』の姿を想像したら・・
 『大間違い』となる。
 キリスト教ほど「一神教と名乗りながら」、「キリスト
教ほど神々を粗製乱造(そせいらんぞう)して来た宗教は
ない」。
 また、「捨てて来た宗教はない」。
 キリスト教こそ、『偶像の神々を造り続けている』ので
ある。
 ちょっと事情が変われば、神の形を変えたり、神を捨て
たり、また、捕えられて行けば「その地の神を信仰して」、
 それを「民族の神としたり」、
 節操無く、神を変えて来た。
 エジプトに、飢餓を逃れて、逃げ込めば・・、
 「エジプトの神に被(かぶ)れて、その神を信仰したり』、
節操無く、神々を渡り歩き、変えて来た。
 そもそも、『在りて在る』神と言うのは、くるくる変わ
る事により、神の存在性がなくなる事から、その存在感を
言う『在りて在る』と言ったと思える。
 イスラエルの民の神は、民族に定着していなかったと言
える。
 エルサレム大学の教授も、『イスラエルの民が、一神教
になった歴史は浅い』と言っているが、今のキリスト教の
神は、その浅い一神教の歴史の中にある。
 また、見えない神となってのも歴史が浅い。
 キリスト教の神は、見える神だった。
 神が相撲を取ったり、また、道を通ったところを、人間
に呼びとめられる神とか・・、
 そして、人間に、食事に呼ばれる神、そして、食事をす
る神とか。
 今は、豪華に飾った祭壇で、また、プロパガンダ(嘘宣
伝)で、何やら神らしくしているが・・、
 氏・素性を尋ねれば、この様なもの。
 この変遷を、ちょっと考えただけでも、キリスト教の神
は、人間様の『創造したもの』ということが分かる。
 神が、居る、居ないは、はっきりしている。
 多くの矛盾を排除しなければ、居るは成立しません。
 不可能です。
 虚構の神による信仰形態です。
 だからこそ、その様な虚構の神をプロパガンダ(嘘宣伝)
して、行われた数々の殺戮行為が、そして、無念に死んだ
方々の『無念さ』が、心に響くのです。
 これ以後において、二度とこの様な蛮行が起きない様に
しなさい。
 (参考)そせい‐らんぞう【粗製濫造/粗製乱造】 粗悪な
   品をむやみにつくること。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
http://www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
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2014年3月7日金曜日

毎日、言われたら・・常に、言われたら・・

 題:毎日、言われたら・・常に、言われたら・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 あなたは知らないのでしょうが、
 『貴方には大金の借金』があるのです」。
 ・・と、言われたら、貴方は、どうなされますか? 
 急に何で?・・と、びっくりし、まず、聞くでしょう。
 「うぁーっ!3000万円も? えっ、それ以上? 1億円
超えている?」・・と、聞くでしょう。
 しかし、そう言った相手は・・、
 「その罪は、イエス様が、肩代わりしてくれましたよ」
 「感謝して、神に祈りましょう」
 ・・と、言うのが・・キリスト教。
 「ありがたいでしょう」・・と。
 そして、この様な話を、あなたは、常に、言われる。
 そして、人間を、そして、森羅万象を、『創ったのは神
だ』と言われます。
 そして、偉大でしょう・・と言われる。
 それは、いつもいつも、言われ続ける。
 洗脳したかと思えば、貴方が神に対し罪を犯したからだ
と言われる。
 戦争に負ければその思考パターンで、
 戦勝国の奴隷となって、
 その戦勝国に連れて行かれたという話に洗脳され、
 『バビロン捕囚』だと言われる。
 「また、俺たちが悪いのかい」、宇宙や森羅万象を創っ
たんなら「戦争に勝たせてくれよ」とも言いたくなるでし
ょう。
 そして、聖書にもそのような恨み節が・・、
 (「哀歌」5・1~22)に、
 「主よ、・・覚えて下さい。・・家は異邦人のものとな
った。われわれは、みなしごとなって、父はなく、母は、
やもめにひとしい、・・われわれは、首にくびきをかから
れて追い使われ・・云々 」。
・・・・(毎日、この様なものを読んでいると、また、常
に、言われていると、精神を病みます・・・性悪説で論理
を展開するキリスト教は注意が要します)
 そして、次の話。
 キリスト教の『ピューリタン』は、アメリカに渡ったこ
とで有名だが、
 母国・イギリスでは、新しい宗教の『カルト』だった。
 宗教的な衝突を多く起こし、イギリスに居れなくなった。
 それで、アメリカに渡ったという。
 アメリカに渡った時には、インディアンの方々が、6000
万人も居たとの事。
 人為的に、この先住民のインディアンの方々は、居なく
なってしまった。
 このピューリタンの人々は、アメリカに渡った当初、越
冬が出来なくて、餓死が相次いだ。
 その時に、インディアンの方々に助けられた。
 越冬の援助を貰(もら)い、越冬の方法も教えてもらっ
た。
 その恩義も忘れて、インディアンの方々を殺しまくった。
 そのために、6000万人も居た方々が、ほとんどいなくな
ってしまった。
 ナチスは、何人のユダヤの方々を殺したというのか?
 アメリカのインディアンの方々は、6000万人もの方々が
居たというが、そのインディアンの方々の殺戮数の方が多
いのでは・・?
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
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2014年3月5日水曜日

パウロは・・本当は・・・

 題:パウロは・・本当は・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 パウロが、『律法を棄てた』のは、まったく、『個人的
見解から』であった。
 パウロは、『律法アレルギー』であった。
 『上から与えられる形』に、辟易していた。
 『神の律法』『神の与えし律法』、ならば、必然的に、
上から与えられる形となるが・・、
 パウロは、それに『抵抗感』を持っていた。
 そして、その『神が与えし律法の枠』を、守ってさえい
れば、救われるという『教条的押し付け』にも反駁した。
 律法なんて「いらない」とした。
 パウロは、懸命に、律法を守って来た。
 その様な輩、『忠実に守って来た』という輩だった。
 それらの経過の中で、その苦しさに耐えられなくなった。
 精神的に『辟易』としていた。
 精神的拒絶を示した。
 これは、ユダヤ教内で、当然、論争となった。
 ユダヤの風習と律法を守らねばならないとする保守派の
優勢な勢力を誇っている『エルサレム教会』と、対峙しな
ければならなかった。カルトだった。
 パウロのカルト的一派は、後の、キリスト教が言う様な
「異端状態」なのである。
 「エルサレム使徒会議」が開かれ、論争が展開された。
 パウロの教会系は、やはり、後のキリスト教がやったの
と、まったく同じ『異端だ』とされた。
 そして、ユダヤ教から破門された。
 ユダヤ教から破門されたカルトの「パウロ系教会」が、
生まれた。
 これが、後に、キリスト教と名乗る。
 当時、この様な経緯(いきさつ)から生まれ、そして、
破門された、「カルト集団」だった。
 パウロの『個人的好み』から生まれた、『ユダヤ教の律
法を無視する一派』だった。
 だからと言ったって、キリスト教には、別の『新たな律
法』が沢山ある、一杯ある、というお粗末さだった。
 そして、受動的に破門されられてしまった、生まれさせ
られてしまった『パウロ一派』のキリスト教は、
 この時点の分派・分裂が、その後々も繰り返され・・、
 今・現代に至ってでも、分派・分裂が繰り返され・・、
 最小単位の『ある一つのキリスト教会』が、分派分裂し
て、独立することも行われている、今となっている。
 それは、「単立」と称して、『あまた存在』している。
 パウロは「人間イエス」を捨てたと、キリスト教聖職者
は、表現したが、その行為をしたパウロは、イエスに会っ
たことがなかった。
 ・・が、イエスの事はよく知っていた・・と、判断でき
る。
 それは、パウロは、キリスト教に回心する以前は、キリ
スト教を憎み、キリスト教徒を捕まえ、連行し、殺してい
たという輩。
 キリスト教徒を『知るべき立場』にいる「最前線の人」
だった。
 その最前線の人が、預言者の立場で活動するユダヤ人の
最前線にいるイエスを、知らない訳がない。
 パウロは、キリスト教になる前から、イエスのことの「
細々としたことまで」、確実に、知っていたと断定できる。
 その上で、パウロは、キリスト教徒になった後でも、
 キリスト教の宗教企画をしたパウロには、『イエスの十
字架の血と復活のみ』を採用し・・、
 「イエスの考え方」「イエスの説く事」「イエスの発言」
などを無視した。
 パウロは、知り過ぎるほど知っていたイエスを・・、
 そのイエスの宗教観を、キリスト教の根幹に置くことを
止めた。
 イエスの『人となり』を知り過ぎるほど知っていたから
こそ、避けた。
 そういえば、ユダヤの民は、過越し祭の時、助けるべき
人間に、「イエスを選ばず、強盗を選んだ」
 そして、イエスを死へ追いやっている。
 そして、次の話、
 仮現説(ドケチズム)という考え方がある。
 下記の(参考)に書かせて戴いてもいますが、
 1世紀末に、キリスト教会の中に現れた「覚智主義(グ
ノーシス)」の一派だと言う。
 この派は、救い主自身は、霊的に存在するものだとした。
 しかし、キリストの身体は仮象であったと主張した。
 これでは、『歴史的に存在したイエス(本当の実在のイ
エス)』は、事実上、否定されるようになった。
 これでは、キリスト教の根本が、ゆらいでしまうと大騒
ぎになった。
 そこで、「ヨハネによる福音書」が書かれた(AD100
年前後)。
 「ヨハネによる福音書」が書かれた謂(いわ)れである。
 「ヨハネによる福音書」は書かれたが、ますます、ギリ
シャ哲学に強く影響されて書かれた。
 イエスの地「エルサレムの風土の香り」は無くなってい
た。
 そして、当時のギリシャ哲学が影響を受けていた「グノ
ーシス主義」に、「ヨハネによる福音書」も影響を受けた
・・・という・・わけ。
 そして、キリスト教は、「二元論」で、その二元の中に
すべてがあると錯覚させ、そして、含まれると錯覚させ、
人類の長い歴史の中で、この狭量(きょうりょう)な考え
方で、悪さをして来た。
 この浅薄な思考方法しか持たない「キリスト教思考方法」
に、軽蔑と、憤(いきどお)りを感じる。
 殺戮行為の遠因となった。
 その二元の考え方というのは、「光」と言えば「闇」だ
と言い。「真理」だと言えば、「偽(いつわ)り」だと。
 「生」と言えば「死」と。「信仰」と「不信仰」だと。
 だから、「信仰」「不信仰」の対峙思考パターンから、
不信仰の「異邦人を撲滅せよ」となり、
 「信仰」の我らには「神の義」がある・・と、
 二元論思考の連鎖で、「信仰」の「我らに神の義」があ
り、「我らは、神の御旨(みむね)にある」、故に、「や
っつけてしまえ」・・と、
 あまたな戦争を作り出して来たキリスト教。
 「ヨハネによる福音書」も、この「二元論の聖書」だっ
た。短絡の思考の中にあった。
 ただ、ヨハネは、(「ヨハネ第一の手紙」4・7~12)で、
 わたしたちは、互いに愛し合おうと呼びかけている。
 しかし、これも、キリスト教の「隣人愛」の考え方。
 「同じ宗教を信じ」「同じ民族」の愛なのである。
 「選民とした同民族の愛」なのである。
 実際、キリスト教は、この後の歴史を見ても、
 他民族の殺戮ばかりしていて、
 博愛からほど遠い、醜(みにく)い事ばかりしている。
 自分の民族だけに良い事しかしていない。
 今、キリスト教は、必死にプロパガンダ(嘘宣伝)をし
ているが、その様な自己宣伝ではなく・・、
 聖書の全面的書き直しをしなければならない。
 誤解されそうなところの記述を全面的に・・、
 ある一部分で、すべてを美しく見せようと、綺麗に見せ
ようと・・、
 『部分的に抜き出して嘘をつくという行為は、厳に慎(
つつし)まなくてはならない』。
(参考)ドケチズム(仮現説)といって、キリストの現れ
  を現実のことでなく幻であるとして十字架によるあが
  ないを無効にしようとする異端説です。
 (参考)きょう‐りょう【狭量】 [名・形動]人を受け入
  れる心が狭いこと。度量が狭いこと。また、そのさま。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
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2014年3月4日火曜日

仏教的考え方で伝道するキリスト教・・

 題:仏教的考え方で伝道するキリスト教・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教に関する「ある本」を読んでいて、「おわり
に」まで読み進み、
 そして、ある個所にまで来た時・・
 この本の筆者が書いた箇所が、以下の様になっていた。
 「ユダヤ人の長い歴史のどのひとこまをとって見ても、
彼らが苦難に合わなかった時は無かった。聖書全体が、ユ
ダヤ人の苦難の歴史そのものだと言っても良い。苦しみを
経験して始めて、人間らしい人間が生まれる。苦しみに打
たれてはじめて、本物の愛が生まれる」・・と、書かれた
箇所で・・、
 「つくづく、この筆者は『性悪説のキリスト教』では無
いなー」と感じた。
 この筆者は、「性善説の人」です。
 キリスト教は性悪説で、性悪説の人は、この様な『思考
展開』はしません。
 性悪説で「悪い方、悪い方へ」と考えます。
 警戒的な、注意発言などを伴って発言されて行きます。
 是非、本ブログの「キリスト教徒の曽野綾子氏の言葉に
ついて思うこと・・」と「曽野綾子さんの話の『つづき』
・後編」、その他などをお読みください。
 性悪説は、この様な前向きな思考展開にはなりません、
考えません。
 キリスト教は、自分には『原罪という罪がある』と、ま
ず、自分が持つ「マイナスの否定的条件」を認識します。
 そして、原罪を自分は背負っている、その自分は「悪い
のだからこの様になってしまった」と考えます。
 自分に悪の根源があって、『自分からの事態の打開』は
出来るような力は無いし、
 また、悪のある罪の自分が「解決しようなんて思っては
ならない」と考えます。
 「自分からの事態の打開は出来ない」と思い、当然、過
去の経験が糧(かて)になって、「次からこの経験によっ
て、事態の打開を図(はか)ろう、しよう」なんて考えも
しないし、また、
 「考えてはいけない」と思い、また、望みません。
 そこに、自分を越えた神の存在を考えているからです。
 神にただただ寄り添い、神の救いを待つ。また、そうし
なければならないと思い込む。その様に教える宗教が「キ
リスト教」です。
 この日本人の筆者は、長い日本人の歴史の中で育(はぐ
く)まれ、また、育てられて来た「佛教に根ざす性善説」
による考え方の言葉の展開となっています。
 ただただ神の救いの中に生きよう、神に誠実であろうと
いうキリスト教では無い、ありません。
 この筆者の考え方には、神から離れた自力本願の自分が
ある。
 キリスト教は神の救いによる「他力本願」なのです。
 この筆者が、まさしく言っている事が「佛教の自力本願」
で、自(みずか)ら考え、自(みずか)ら良い方向へ向か
って行くという自力本願です。
 キリスト教と仏教は、自(おの)ずから、この様に、基
本的に考え方が違います。
 生きていく生活において、その大きな差が存在するので
す。その結果の差は大きいです。
 長い歴史において育(はぐく)まれた仏教的考え方をす
るキリスト教徒が、日本で、この例の様な伝道をしていま
す。
..
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2014年3月3日月曜日

『棄てるべきものだ』としたものを・・・

題::『棄てるべきものだ』としたものを・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教を、事実上、創設したと言われているパウロは、
イエスの死後、約30年の後、紀元56年頃、エルサレムへ行
った。
 パウロを批判する「エルサレム教会」と話し合うためだ
った。
 パウロは、迎え入れられた。
 そして、パウロは、ユダヤ教のエルサレム神殿にうやうや
しく参拝しに行った。
 その時、パウロは、ユダヤ人に捕えられた。
 厳しい追及に弁明をしたが、火に油を注ぐ如(ごと)く
だった。
 パウロは、エルサレムの市民ではなかった。
 ローマ市民であった。
 危うい所で、官憲に保護して貰った。
 そして、総督府のあったカイザリアに送られ、2年間、軟
禁された。
 そして、その後、ローマに護送され、またまた、2年間、
軟禁された。
 そして、紀元64年、死刑に処せられた・・と。
 パウロは、大いに『ギリシャ思想』に影響を受けていた。
 そのため、キリスト教は「ギリシャ化」した。
 キリスト教学者は・・、
 『キリスト教には、イエスの創始性は、まったく、無い』
・・と。
 そして、イエスに代わって、そこには、
 パウロの創始による「ギリシャ的な『パウロ・キリスト
教』がある」・・と言う。
 パウロは、ギリシャで説教した時、馬鹿にされ、嘲笑され
ている(「使徒行伝」17・22~34)。
 パウロは、「イエスの十字架の血」と、「復活」だけを
取り上げたが・・、
 イエスの「考え方」や、「行動」や、「宗教性」を無視
した・・が、それまでは、元々、イエスは、ユダヤ人の間
では「無名の人」だった。
 イエスの様な私的な預言者は大勢いた。
 しかし、パウロが、イエスの「言葉」や、「行動」を無
視したとはいえ、キリスト教が伝道されて行くにつれて、
 また、パウロの死後には、イエスの言葉などが書かれる
ようになった。
 それが、今ある「キリスト教聖書」と『称するもの』で
ある。
 今、キリスト教は、最初に書かれた「マルコによる福音書
」に『不満を持っている』ため、
 2番目に書かれた「マタイによる福音書」を、さも、最初
に書かれた福音書の様に取り扱っている。
 キリスト教聖書を開くと、「マタイによる福音書」→「
マルコによる福音書」の順番で掲載されているが、
 本当は「マルコによる福音書」→「マタイによる福音書」
と掲載されなければならない。
 キリスト教は、「マルコによる福音書」の記述に不満が
あるのである。
 「マルコによる福音書」から20年もの歳月が流れて、ど
うしても不満なので、マタイは、「マルコによる福音書」を
見ながら書き直した。
 路線問題があった。
 この頃、何だかんだといろいろな問題があって論争が多発
していた。
 イエスが死んで60年以上の歳月が流れ、イエスの事は、
遠い昔の事、忘れ去られている頃だった。
 現代と違い、古代の「文明の未熟の時代」、そして、記
録を残す技術も無い時代、そして、世相が乱れている時代、
 書き直すにも、いろいろな間違いや雑音が入った。
 また、意識的にもあり得ないことが書き込まれた。
 「マタイによる福音書」の内容には、多くの、あり得な
い事が多く含まれている。
 何十年も昔の、はるか彼方の事だった。
 脚色の上に脚色が重ねられる状態だった。
 また、「厚化粧の『原始キリスト教の好み』の書」だっ
だ。
 その上に、「著者の勝手な個人的見解」も、また、書き
足されているという「代物(しろもの」だった。
 その様な「偏頗な所」は、現代聖書学などの近代科学が、
はっきりと解明し、白日の下に曝(さら)している。
 「作られたイエス」である。
 「マルコによる福音書」には、イエスの言葉は一か所の
みである事が分かっているが、(「マタイによる福音書」な
ども同様な状態となっている)。
 何で、これで、「聖書」と言えるのか?
 何で「この様な代物(しろもの)」で、信仰せよと言う
のか?
 「聖書だと言う標題」は、取り下げるべきだ。
 その様な実態が明らかとなっているのだ。
 本当に馬鹿馬鹿しい限りの状態なのである。
 この聖書によって、数々の蛮行が行われ、本当に数え切
れない方々が、『無念の死』を遂げたのである。
 そして、福音書の存在自体が、「パウロ・キリスト教への
不満」なのである。
 『パウロが捨てた部分』を、我慢できなくて書いたもの
なのである。
 パウロが、『捨てるべきだ』としたものを、拾ったもの
なのである。
 (参考)へん‐ぱ【偏頗】 [名・形動]《「へんば」と
   も》かたよっていて不公平なこと。また、そのさま。
..
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崩壊する姿か?

 題:崩壊する姿か?
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 TPPは、「関税を完全に撤廃」して、「裸で勝負しよ
う」という考え方である。
 そして、「それが、正しいのだ」と言う。
 宗教の教義の如く「違う考え方を排除する」。
 「そうではないでしょう」とでも言うものなら、キリス
ト教の様に『異端だ、殺せ』になり兼ねない。
 (キリスト教には「異教徒は殺せ」の異人種排除の教義
がある)。
 しかし、アメリカには・・、
 1例を挙げれば、「医療」分野で、特に、「競争原理導入
に反対する声が上がっている」。
 「いのちの現場に格差や競争を導入することを許しては
ならない」と・・、
 アメリカ国内で声を上げ始めた医師が増えている。
 TPPで、素晴らしい日本の「皆保険」が、崩れてしま
うのではないかと心配する声がある。
 ・・が、アメリカの医療の世界は、何ら、見本にはなら
ない。酷(ひど)い状況に陥(おちい)っている。
 これで、アメリカは、内部から崩壊するのではないかと
思わせる様な状況なのだ。
 既に、アメリカを支えて来た『善良』の階層は・・、
 崩壊したという。
 かつての憧(あこが)れの、アメリカの、素晴らしさを
見せつけたテレビ番組、『パパは何でも知っている』の
 アメリカの『豊かな中流層』は、
 崩壊して、居なくなったという。
 その崩壊の理由が、「高額過ぎる医療費」だと言う。
 「高額医療費の防衛」のため、例えば1例、
 アメリカの主婦は、「日帰り出産」をするという。
 そして、分娩時に使用するティッシュペーパーと脱脂綿
の入った袋を持参するという。
 ただでさえ出産費用が高いのに、ティッシュと脱脂綿だ
けで3570円(2014・3・1レート、1ドル=101.79円で換
算)請求されるからと・・。
 また、難産のために帝王切開した主婦のナンシーさんの
場合、
 看護婦が最初に言った言葉が、「奥さん、一人で起きら
れますか」だった。
 看護婦は、長く居れば居るほど、費用がかかることを知
っての、『善意からの言葉』だった。
 何の悪気はない。
 そして、効率化のノルマからの言葉だった。
 「動ける患者は、出来るだけ早く病室から出して、次の
患者を入れ、回転させる」・・だった。
 『回転?出産したその日にですか』・・と、ナンシーは
言った。
 入院すると、1日大体『40万7000円』から『81万4000
円』がかかる。
 ほとんどのアメリカ婦人は、日帰り出産となっていると
いう。
 日本の様な、一律35万円の出産育児一時金制度もない。
 今、アメリカの入院出産費用の相場は、152万7000円で
ある。
 ベットが離れなれられなくて、体がふらふらする状態だ
ったが、看護婦は車椅子を持って来た。冷淡からではない。
 当時、アメリカでは『病院は慈善事業ではありません』
と言われた。
 また、アメリカでは、脳卒中の場合、1日101万8000円。
 平均7日の入院で、平均712万5000円の相場となってい
るという。
 市場原理が働く、アメリカの病院は、やたらと検査をし
たがると言う。
 高額な機械の設備投資を回収しようと・・。
 そして、競争によって、そして、効率主義によって、追
い詰められる医師たちがいる。
 訴訟大国であるアメリカは、特に、産婦人科医師が、訴
訟に追われ、産婦人科医師不足であり、
 そしてまた、訴訟に、収入の半分が消えるという。
 アメリカは、パラダイスではない。
 急増する医療訴訟と、賠償金額の高騰に襲われている。
 廃業する医師も多いという。
 モラールも低下しているという。
 産婦人科医師の多くが、本来持っていた「新しいいのち
の誕生に関わる」という、『崇高な志』をあきらめざるを
得なくなるという。
 (参考)モラール【morale】 目標を達成しようとする
   意欲や態度。勤労意欲。やる気。「―が高い職場」
..
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2014年3月2日日曜日

経済侵略は正義か?

 題:経済侵略は正義か?
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 TPPを、アメリカは、『やりたい』としている。
 それは、関税撤廃が達成したいからだ。
 関税撤廃が、アメリカに都合がよいのだ。
 関税撤廃をして、「裸で勝負しようよ」という事である。
 「関税が無くなったら、強いものが勝つ」。「弱いもの
はやっつけられる」。
 アメリカは言う「これ、どこも悪くないでしょ・・」と。
 アメリカが、メキシコとの間でやったこの事例の1つ、
『トウモロコシ』。
 メキシコの「トウモロコシ農家」は壊滅した。
 アメリカの完全勝利であった。
 弱い者いじめであった。
 これで、良いことをしたと言えるのであろうか?
 結局、アメリカの安いトウモロコシが市場を席巻する。
 その席巻することが「正義なのだ」と言うアメリカの考
え方は、果たして「本当の正義」なのだろうか?
 「正義なのだ」というのがアメリカの考え方である。
 アメリカは、正しい顔をして、正義の顔をして、「メキ
シコ市場が手に入ったと喜んでいる」。
 関税撤廃の正義を主張したのではなく、メキシコのトウ
モロコシ市場を手に入れる方法論として、「関税撤廃が正
義なのだという正義論」を出しただけなのだ。
 別に、その様にしてまでして市場を奪(うば)わなくて
も、十分に豊かな、「左うちわ」のアメリカトウモロコシ
農家が、さらに豊かになって、「良かった」と言っている。
 アメリカ大統領も、施政下のアメリカ国民がニコニコし
ているから、「自分の功績だと思っている」。
 『オメデトウ。アメリカ大統領』。
 しかし、「市場を奪われたメキシコの零細な、零細だか
ら故、アメリカの様にできないメキシコのトウモロコシ農
家の方々」は、収入の道が閉ざされた。
 アメリカ大統領には、その救済責任はない。
 我が国民が潤(うるお)って「ニコニコしていれば、そ
こで、思考停止である。
 収入の道が閉ざされたメキシコのトウモロコシ農家の農
民とその家族の方々は、路頭に迷い、さ迷った。
 可哀想に。
 やむなく、このメキシコ農家の農民と家族の方々は、違
法行為である「アメリカ・メキシコ国境」を越えた。
 大量の違法な越境行為が発生した。
 電気が通っている国境(くにざかい)を潜(くぐ)った。
 国境警備隊の目を逃れて。
 この様な事を、何らしないでも済んでいた方々が、子供
まで連れて、家族で、ここまで追い込んでいた。
 この様な事態が発生したこと、いったい正しいのか?
 正義なのか?
 命を落とす方たちが悪いのか?
 市場を奪って、生きる道を閉ざしておいて、ほくそ笑ん
でいる人たちが正義なのか?
 一体、この様な「グローバリゼーション・パラドクス」
は正義なのか?
 正しいのか?
 キリスト教の生まれる砂漠の地で、天候状態によって飢
餓に襲われる地で、「(キリスト教の)神の義があれば良
いのだ」という『理屈の免罪符』を持ったキリスト教徒が、
隣国の弱者を襲い、富を奪う。生きる糧を奪う。
 キリスト教の聖書に書いてある、キリスト教の神が叫ぶ
「殺せ、殺せ」「○○人は皆殺しにせよ」「△△人は男だ
けを殺せ」「生娘は生かしておけ」「奴隷にせよ、奴隷に
せよ」・・と。
 我が民族は『選民』とし、『我が民族さえ生き残ればよ
いのだ』の教えのキリスト教。
 今の時代も、キリスト教は、この記述・考え方を変えて
いない。
 現代、グローバリゼーションが、金融において、世界中
を危機に追い込んだことを、既に、世界は学んでいるが、
『グローバリゼーション』が正しいとは言えないのだ。
 つまり、グローバリゼーションは・・、
 『全否定は出来ないが、全肯定も出来ないのだ』。
 アメリカは、『全肯定スタンスで、自分に都合がよいか
ら、ごり押ししている』・・が、間違っている。
 自分の利ばかりを追求するのは、『遠からず、破綻する
のだ』。
 キリスト教は一神教で、唯一神のみを信じ、教義におい
ても、その唯一神から派生・発生する教義となっており、
そこには、自(おの)ずから、多様性さに疎(うと)い考
え方・教義となっている。
 しかし、世の中が多様性に満ち、多様性を無視しては、
事が成り立たない事は、今では自明となっている。
 この「グローバリゼーション・パラドクス」も、多くの
国々の政府・政治と市場経済のバランス、絶妙なバランス
の上に成立させる事が必須なのだ。
 民主主義の中にある資本主義は、唯一モデルで行なう事、
代表させる事は、どだい無理なのだ。
 そこには多様性さが必須なのだ。
 人々は、多様性さの中で生活し、生き、幸せを享受して
いるのだ。
 当然、民主主義の「皆」を意識しなければならないのだ。
 キリスト教の「我が民族だけ」では駄目なのだ。
 当然、『自分だけの選民意識』では駄目なのだ。
 そして、多くの国々には、『それぞれの』個性ある豊か
さが存在しているのだ。
 多様な豊かさの中で、人々は生をエンジョイし、多様さ
の中で生活しているのだ。
 それらを押し退(の)けて『グローバリゼーションを存
在させてはダメなのだ』。
 優先させてはダメなのだ。
 協調性が図れず、『イデオロギーでごり押しする行為は、
必ず、失敗する』と歴史は示している。
 この間も見たではないか。
 当然、民の生活が優先する。
 アメリカは、メキシコのトウモロコシの農家の方々を『
他所(よそ)の国の事だ』とするな。
 「メキシコで、我々は潤ったから、TPPでも」、なんて
考えるのでしたら反省しなさい。
 世界は、共通のルールによって成立するのが良いのだ、
正義なのだ・・は、TPPの場合は無理なのだ。
 それを見抜きなさい。
 それをごり押しするのは、悪であり、間違いであり、不
正義なのだ。
 多様性さの中に幸せを求め、人々が生をエンジョイする
姿を思い描け。
 自分のルールにだけに押し込めるには、多様性さがあり
過ぎている。
 人間は自由であり、また、各人も自由であり、その自由
の中で豊かさを求める姿を温かく包み込め。
 因(ちな)みに、アメリカは、国境警備予算を増額した
という。
 また、アメリカには『最後の救貧院』という話があって、
貧しい方々が現代医学の恩恵に浴せないという。
 今、アメリカでは、医療は商品として、効率化の対象と
なり、コストカットが優先され、治療の効率化の名のもと
に、スタッフの解雇や部署の効率化などが行われ、患者の
治療に非効率だと、医師と患者の交流が断たれ、治るべき
患者が見落とされ、アメリカ国民の医療からの落ちこぼれ
が酷(ひど)いという。
 社会的弱者が特に恵まれないという。
 日本の皆保険と雲泥の差という。
 これこそ、日本に倣(なら)ってグローバリゼーション
したらと言いたい。
 TPPでは、この日本の素晴らしい皆保険システムが破綻
してしまうということを心配する新聞記事も読んだ。
 話が少しとぶが、アメリカは、第二次大戦前、「東南ア
ジアの資源が欲しくて、侵略を実行していた」。
 アメリカは『侵略国』なのだが、TPPも、アメリカイデ
オロギーによる『経済侵略』となっている。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
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http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
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