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2012年8月21日火曜日

世界が平和になりますように

題 : 世界が平和になりますように

 キリスト教が,「人類救済とか」「世界宗教とか」と言うのは
後から付けた話。
 キリスト教には、「キリスト教のプロパガンダ=嘘宣伝」と
いう有名な言葉があるが、この話もまったくこれ。
 キリスト教の性格付けをしているのは、キリスト教を生んだ
民族であるユダヤ民族の性格に多くが関係している。
 ユダヤ民族は四方から他民族の侵入・攻撃を受けていた。
 この事から「非常に排他的」になっている。
 他民族=異教徒は、即、敵である。
 自分たちの生活を奪う敵である。
 命を奪い、自分たちの民族を絶滅させもする敵対民族である、
ここから「異教徒は殺せのキリスト教の教義」が生まれて来る。
 キリスト教は、心底にこの精神がある。
 何ら「他と協調することは微塵も出来ない環境」なのである。
 協調していたら殺されてしまうからである。
 この様な精神を生んだのが砂漠地帯に生まれた宗教という環
境条件に左右される。
 天からの降雨に恵まれ、あちこちに萌え出ずる生命に満ち満
ちる「農耕の地の宗教」とは違うのである。
 少ない降雨、その少ない降雨を探して芽生えた草を食み、体
にその僅かな恵みを蓄積する羊、その「メカニズム」を利用し
なければ生存できない地に生まれた宗教=キリスト教なのであ
る。
 その僅かな恵みを取り合う地の宗教なのである。
 常に「飢餓と背中合わせの地の宗教」なのである、故に、飢
餓の時は、隣国の富を奪いに行くことがキリスト教の教義とな
る。
 その行為に免罪符を与える教義なのである。
 「(キリスト教の)神の義があれば 人を誅しても良い」で
ある。
 「人類救済の宗教ではないのである」。
 「世界宗教となってはいけない宗教なのである」。
 キリスト教の得意なプロパガンダ=嘘宣伝で、その全く逆が
印象付けられているが、まったく、その様な宗教ではない。
 世界宗教とはなりえない宗教なのである。
 キリスト教の歴史には戦争の歴史が刻まれているのは、この
ためなのである。
 キリスト教のこの性格から生まれた戦争なのである。
 そして、人類の歴史において、何人の方々が亡くなられたと
いうのでしょうか、憤りが湧くぐらいの大勢の方々なのである。
 本当に「世界宗教でも何でもない宗教が、世界宗教の顔をし
て、起こした戦争による亡くなられた人々の数なのである」。
 「その教義ゆえに、世界に広まってはいけない宗教=キリス
ト教なのである」。
 嘘宣伝によるカモフラージュに惑わされてはいけないのであ
る。
 ヨーロッパの地では「キリスト教同士」が「キリスト教の卑
劣な教義により」「自らの正義を掲(かか)げ合いながら長い
年月、執念深く戦った」。
 ヨーロッパの方たちの30%も亡くなったという。
 自分の家が、特別、不幸であったのではない、隣の家庭も、
また、その隣の家庭も、1人か2人の家族が亡くなるという悲惨
な事をしでかした宗教=キリスト教なのである。
 ブラジル・インカの南米、そして、中米、北米(メキシコ)、
そして、それらの離島の殺戮。
 民を全滅させる、そして、その後に、もぬけの殻になった誰
も居なくなった地に乗り込む、その誰もいない地にキリスト教会
を建てる。
 しかし、これだけではない、それも屋上屋を重ねる様な悪行
をするキリスト教。
 やはり、キリスト教の教義なのである。
 キリスト教の聖書で教えている奴隷制度である。
 アフリカの方たちを奴隷として連れてキリスト教徒は誰も居
なくなった地に乗り込む、そして、山の頂に「自分たちが『偶
像を崇拝するな』というキリスト教の教義を持っているのに、
その教義をそっちのけで、山の頂に大きなイエス・キリストの
像を立てる」。
 卑劣にも、キリスト教は、今現在でも「この卑劣な教義を削
除しないで、教義としている」。