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2013年9月20日金曜日

殉教ではなくなってしまう

 題:殉教ではなくなってしまう
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、「殉教を進める教義」がある。
 そしてまた、「殉教を勧める教義」がある。卑劣なこと
である。
 殉教は、ラテン語で「マルチリヨ」と言うが、
 キリスト教には、殉教を勧める書「マルチリヨの栞(し
おり)」がある。
 それには、「丸血留(殉教者の意味)になるためには、
死ななければならない。まず、第一に、
 人から殺されることを喜んで耐え忍ぶこと」・・と教え
ている。
 破廉恥宗教=キリスト教だ。
 また、殺されるのを嫌がったりしたら殉教ではないと教
えている。そして、死を強要した。
 そしてまた、殺される時に、体をひねったりしたら駄目
とも決めている。静かに殺されるのが良いと説いている。
 イエスは、十字架上で「我が神、我が神、何故、私をお
見捨てになったのですか」との声を上げているが、この様
な事をすると、キリスト教の教えでは、殉教ではなくなっ
てしまう。
 イエスの死は、この叫びで、殉教ではないとしてしまう
ことになっていた。
 勿論、処刑の場から逃げたり、逃げたいとの素振りもあ
ったら殉教では無かった。
 故に、キリスト教の殉教を報告する文書には、死んだ時
の状況が非常に詳しく書きとめられた。
 そして、キリシタンとして殺されるのは喜ぶべき事であ
るから、抵抗して戦う事は赦されていなかった。
 抵抗して戦う事は殉教では無いとした。
 天草四郎も殉教では無いことになっている。
 逃げる事は良いとされたが、しかし、卑劣な事に、進ん
で申し出て殺されれば「優れた殉教」とされた。本当にキ
リスト教は卑劣だ。
 そして、褒められ、栄誉を与えられた(こんな栄誉まで
与えるなんて・・卑劣なことだ)。
 そして、卑劣な事に、キリスト教は、殉教すると功徳が
あると懇切丁寧に解説した。御利益宗教=キリスト教。
 殉教すれば、キリスト教の神の前で最高の位に就けると
説いた。
 そしてまた、すべての罪が許されると説いた。
 そして、またまた、煉獄(れんごく)の苦しきは免除さ
れると説いた。
 そして、またまたまた、天国では光背を頭にいただくこ
とができますと説いた。くだらない。
 そして、またまたまたまた、受けた傷は光り輝くと説い
た。御利益宗教=キリスト教。
 キリスト教の宣教師は、日本人信徒たちに殉教を勧め
た。
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2013年9月18日水曜日

『こじつけ説法』で成り立っている。

 題:『こじつけ説法』で成り立っている。
...(真を求めて、皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖職者は、次の様に言う。
 「律法を守っているのだから神の国に入れると言うこと
は、守っているという神への恩を着せている様なもの、ギ
ブ・アンド・テイクの関係に貶(おとし)めている」・・
と、説明し、その律法を守る行為を否定します。
 これは、自分の立場・聖職者の立場において、都合よく、
論理展開しただけの話です。
 都合のよい言い回しです。
 論理的には成立していません。
 キリスト教聖職者は、いつも、この様な言い回しで、分
かった様な、本当は分からないことを言うので注意しなけ
ればなりません。
 聖職者の言葉は、「神が与えた律法を守ったのだから、
神の国へ入れる』という事は、「神に恩を着せていること
になります」と言っていますが、明らかにおかしな論理展
開です。
 神へ恩を着せたりなどは、していけません。
 神が与えた律法を尊重し、ただただ、誠実に守っている
だけなのです。
 何故、「恩を着せたことになるのでしょうか?」。
 キリスト教の聖職者が勝手に「恩を着せたことになる」
と思っているだけなのです。
 キリスト教聖職者は、「だから、恩を着せて、ギブ・ア
ンド・テイクで、神の恩寵を貰おうというのは、御利益を
貰うという御利益宗教になるからいけない」という。
 だから、「律法を守らなくてよいのです」と言う。
 まったく、正しく思考を展開できないキリスト教の聖職
者だと思う。
 キリスト教には、この様な論理展開の説教をする聖職者
が、実に多い。
 これは、ギブ・アンド・テイクではありません。
 神が与えた律法を、神が決めた意思どおりの行動をして
いるだけなのです。
 キリスト教のパウロが、『律法なんて守らなくてよい』
『捨てよ』と決めたから、その『パウロ・キリスト教』で、
現在はあるから、その路線の『こじつけ説法』をしている
だけなのです。
 キリスト教の説法は、このたぐいの『こじつけ説法』が
実に多い。
 何ら、ためになる話ではなく、この様な、時間の無駄の
説法が実に多い。
 キリスト教は、ただ単に、律法を守れない事情がある、
その様な律法だから止めた、止めよと言うだけの話。
 キリスト教聖職者は、何らためにならない、この例の様
な話ばかりをして洗脳する。
 キリスト教は、自分勝手に解釈し、自分に都合のよい律
法はどんどん作っている。
.
(追伸)
 キリスト教の神は、『定住しない神』なのだ。
 神の住居と見なされていたのは、神との契約を書いた書
を納めた箱。
 その箱は、シロ(パレスチナのある場所)の聖所に安置
され、
 戦争の時には、ユダヤ人たちはこの箱を担ぎ出していた。
 神と共に戦ったパレスチナの人たちであった。
 キリスト教の神は、『戦勝を祈る意味の神』だった。
 箱は、キリスト教の神が、モーゼに命じて作らせたもの。
 (「出エジプト記」25章)に、
 「アカシアの木をもて箱を作るべし。その長さは2キュ
ビト半(1.25m)、その幅は1キュビト半(75cm)、高
さは1キュビト半なるべし。汝、純金をもて、これを覆う
べし。(中略)汝、わが汝にあたうる律法を、その箱に
納むべし」・・と。
 神との契約書も律法。
 律法は、この様にキリスト教の神が、与えたもの。
 また、モーゼが神と契約した事も記されている大切なも
の。
 しかし、パウロは、今までの大切な経緯・いきさつを無
視して、律法はいらないと捨て去った。
 モーゼの顔は丸つぶれとなった。
 当然、キリスト教の神も無視され、キリスト教の神の顔
も丸つぶれ。
 今・現在のキリスト教は、このキリスト教。
 パウロ・キリスト教。
 自分たちの神を無視するという根本が崩れている、今・
現在のキリスト教。
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2013年9月17日火曜日

キリスト教側にある大きな罪・・。

 題:キリスト教側にある大きな罪・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 現代の研究者によると・・、
 「セルジュク・トルコによる、キリスト教の聖地とされ
たエルサレムへの巡礼に対する迫害は、ほとんど無かった」
・・との、結論に至った。
 イスラム教側は、『無実』だった。
 これも、キリスト教側のお得意のプロパガンダ(嘘宣伝)
であった。
 本当にキリスト教は、歴史のあちこちで嘘ばかり付いて
いる。この様な宗教に染まっていると嘘つきになってしま
います。
 キリスト教は、1096年に第一回十字軍を始めた。
 そして、1291年まで、本当に、欲に絡めて嘘の悪行為を
続けた。
 そして、その口実は・・、
 11世紀の後半に、セルジュク・トルコが小アジアに進出
して、ビザンティン帝国を圧迫し、
 聖地エルサレムを占領して、聖地への巡礼者を迫害して
いる・・とした。
 これは嘘である。
 イスラム教側にとっては、何でキリスト教側が攻めて来
たのか、キリスト教側の『攻撃理由』が分からなかった。
 お粗末な事に、キリスト教十字軍が、エルサレムまで行
って戦ったのは、第一回十字軍だけだった。
 馬鹿な事に、自分と同じキリスト教の正教会を攻めると
いう呆(あき)れた『お粗末十字軍』までしでかしている。
 また、十字軍は、行軍の道々で略奪の限りをする『強盗
団』とも化している。
 キリスト教は、お得意の嘘で、プロパガンダで、綺麗ご
との様に思わせているが、十字軍は、キリスト教の『大汚
点』だった。
 十字軍は、大規模なものだけでも、200年間の間に、8回
も起こされている。
 そして、結局、キリスト教側の目的は失敗に終わってい
る。キリスト教の聖職者たちが、煽ってやらせた目的は達
成されていない。
 でも、煽られて行かされた民は、略奪などをして自分の
欲は達した。
 その様なレベルの十字軍だった。
 人類にとって大損失な事は・・、
 このキリスト教聖職者たちの大暴挙によって、イスラム
教側に「十字軍の戦いの前は、イスラム教側は、キリスト
教を、それなりに尊重する気持ちであったが、その様な気
持が、吹っ飛んで無くなってしまった事だった」。
 イスラム教とキリスト教は、互いに睨(にら)み合う中
になってしまった。それが、現代まで続いている。
 イスラム教には、戦闘的な宗派も生まれた。
 人類の負の大きな遺産を生んでしまったキリスト教聖職
者たちの暴挙だった。
 今でも、その末裔(まつえい)が、イタリア半島のバチ
カンに居る。
 イスラム側は、最初、なぜ急に攻めて来たのか?・・と、
まったく思い当たる事が無く、
 十字軍だと分からず、
 敵を単に『フランク人』と呼んだ。
 そして、スンニー派擁護政策をし、
 ジハード(聖戦)宣言をし、
 戦いの世界に入った。
 キリスト教側は、イスラム世界より医学・技術など劣っ
ている世界だった。
 しかし、キリスト教側は、得意なプロパガンダ(嘘宣伝)
行為で、イスラム側を馬鹿にしていた。
 文化的にもイスラム側の方が優れていた。
 寛容だったイスラム世界は一転した。
 何度も何度も攻めた『キリスト教側に大きな罪』がある。
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生きるか死ぬかの中に居たのではない・・。

 題:生きるか死ぬかの中に居たのではない・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 作家の遠藤周作氏は、キリスト教徒であった。
 キリスト教に題材を求めた作品「沈黙」は、
 日本に来た宣教師が、キリスト教を捨てるという話であ
る。
 この「棄教の主人公」が、殉教をしようとする人を救う
ことができないという『キリスト教の神の無力』を描いて
いる。
 「キリスト教の神の無力」について悩んでいる。
 この小説の様に、実際、当時、日本に来て棄教した宣教
師は多かった。
 例えば、イエズス会の日本副官区長のペドロ・マルケス
のグループは、遠藤周作の小説の主人公のモデルとされた
ジュセッぺ・キアラを含めて、多くの宣教師が棄教した。
 キリスト教は、得意のプロパガンダ(嘘宣伝)で、美し
く語るが、事実は棄教宣教師だらけだった。
 キアラが日本を目指したのは、そもそも、キアラの師の
クリストヴァン・フェレイラも、キリスト教を棄教した事
を知り、フェレイラを信仰に立ち戻らせようとした事に始
まる。
 フェレイラは、当時の日本司教代理兼イエズス会日本管
区長で、
 日本の『最高位の人』の棄教に、イエズス会は大きな衝
撃を受けた。
 棄教したフェレイラは、その後、沢野忠庵(ちゅうあん)
と名前を変え、日本人として生きた。
 そして、キリスト教宣教師と『逆の行動・行為』をした。
 キリスト教を『棄てさせる活動』である。
 ここに何があったのか?
 少なくとも、キリスト教を自分が持ち、信じ、保つに価
(あたい)しないとの結論に至ったことは間違いない。
 また、キリスト教が、ことさら大きく、日本におけるキ
リスト教への弾圧を『誇大にプロパガンダ(嘘宣伝)する』
が、
 後に、ヴァリニャーノが日本にいた頃を回想する話に、
 まず最初に、「あの頃は、私たち宣教師は、日本で絹の
修道服を着るべきか、木綿の修道服を着るべきかを真剣に
議論し合ったものだ」と回想している。
 これは、キリスト教に規則の「清貧に、裸足で、木綿の
服を着る」に反するが、威厳を保つために「絹の服を着る
べきだ」との意見と対立したことを言っていて、
 結局、彼らは、キリスト教の規則を犯す方への断を下し
「絹の服を着る」。
 この事はまた、日本の弾圧など、キリスト教が必死にプ
ロパガンダ(嘘宣伝)して、悲惨な話を過度にでっち上げ
るが、事実は以上の様なことだった。
 キリスト教宣教師は、弾圧で『生きるか死ぬか』の中に
居たのではない。
 キリスト教は、この様に、あらゆる所で、この類いの嘘
宣伝行為をしている。
 その他、日本人が嫌がる肉食を続けるかの問題を討議す
るとかの程度だった。
 今でも、キリスト教は嘘を言い続けている。
 言わざるを得ない教義のお粗末さから来ることなのだが。
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2013年9月15日日曜日

二項対立の思考なら、『やつら』は悪にしかならない。

 題:二項対立の思考なら、『やつら』は悪にしかならない。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 アメリカには、強大な軍事力がある。
 この強大な『軍事力』を行使する際に、『無批判に正当
化』する事は悪である。
 また、『無批判に美化』してはならない。
 また、アメリカ政権は、これ等の軍事力を背景にして持
つ影響力で、
 他国の貿易慣行や通商政策を、操作しようとし、
 影響力を与えて来た。また、政治的影響力も。
 アメリカが良いと判断する事や、正しいと判断する事に
対抗する行為をする国には、『悪の枢軸』というレッテル
を貼り、
 あたかも第二次世界大戦時を想念させるような言葉を使
って敵対視した。
 アメリカの後ろにある『巨大な軍事力をちらつかされる
脅(おど)し』に、
 言われた国は怯(おび)えた。
 あたかも、西部開拓時代に、早撃ちが、腰のベルトにあ
る拳銃をちらつかせ、
 町の人々を威圧して歩いていた『早撃ち男』の如くに感
じさせた。
 時と共に世は変わったが、形は変わっているが、やって
いる事の本質は何ら変わっていない。
 アメリカの、国外への政治的・軍事的影響力の行使は、
完全に帝国的支配と言える。
 アメリカが標榜する『デモクラシーの姿』は無い。
 民主主義の社会形態ではない。
 アメリカの自国の意思に合わせて「海外の状況を操作」
する。
 TPPも、これ。
 そして何故、アメリカは、より深い『大人の思考』がで
きないのか?と思う。
 ある映画の風景だが、
 「世界の終りの風景」である。
 ホワイトハウスやエンパイア・ステート・ビルなど、
 アメリカの主だった観光名所が総べて、宇宙人によって
壊されてしまう。
 倒れた自由の女神像の後ろには、廃墟となったマンハッ
タンのビル群が広がり、
 空一面に超巨大な宇宙船。
 戦闘機を総動員して反撃を加えても、
 また核兵器による攻撃をしても、
 宇宙船のバリアを破る事は出来ない。
 現代版の「世界の終り風景」である。
 キリスト教にある『終末論』がすぐに連想される。
 キリスト教国・アメリカにある、キリスト教から来る終
末論と密接に結び付く。
 この映画は、アメリカの独立記念日の7月4日に、ユダヤ
系の技術者と黒人の兵士が、協力して宇宙船に潜入し、
 宇宙船の中核部分を壊す事で相手を倒す、駆逐する。
 独立記念日には花火が上がるが、さも、その花火の如く
に、超巨大な宇宙船が、空に火花を散らして消えて行くと
いう筋書き。
 この映画『インディペンでンス・デイ」の中で、語られ
る言葉は、「われわれ」と「やつら」で語られる。
 これしかない。
 キリスト教の教義の、ニ項対立の語り・思考と同じであ
る。
 『やつら』は敵で、『われわれ』を守るの二項が対立す
る思考形態だけになっている。
 市民社会を防衛しようの視点。
 第三の視点の思考はない。
 他の立場や視点の想定はない。
 ただただ、
 宇宙人から市民を守るのが「正義」だからだ・・と、
来る。
 それだけで間違いないのだの思考の範囲なのだ。
 この範囲外があるのではないか?と疑おうともしない。
 キリスト教的二項対立思考に捉(とら)われている。
 われわれの正義に対抗する者は悪。『悪の枢軸だ』で思
考停止する。
 だから、やっつけるのだ。悪なんだからと。
 「われわれ」に正義があるんだからと。
 「やつら」にはないんだからと。
 この範囲に捉われて終わる。
 東洋的な、仏教的な、多様な思考は、そこにはない。
 「シリアの件も『やつら』と言っていたら『軍事力行使』
しかない」。
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