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2013年12月20日金曜日

「神を畏れよ」と・・言うが・・、

 題:「神を畏れよ」と・・言うが・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教聖書の(「創世記」22・1~2,6・12,16・
18)に、
 聖書の系図の最初の人・アブラハムが、
 (あきらかに、『人祖』でないのに、『人祖』と呼ばれ
ている人が)
 一人息子のイサクを、神の命令で、死に至る供犠(くぎ)
として捧(ささ)げる行為をする。
 何も知らない幼い子のイサクは、父にたずねる。
 『お父さん、儀式のための「火」と「たきぎ」はありま
すが、子羊はどこにありますか』・・と。
 幼い子は何かを感じ、心配をして聞いたのだろう。可哀
想に。
 父は「神が子羊を備えて下さるであろう」と、幼い我が
息子に、嘘を言う。
 そして、到着し、祭壇をつくり、たきぎを並べた。
 そして、息子イサクをそのたきぎの上にのせる。
 そして、刃物で息子を殺そうとする。
 その時、神のストップがかかる。
 そして、神は言う、「息子に手を掛けるな、あなたのひ
とり子を、私のために惜しまないで、あなたが神を怖れる
者である事を私は今知った」と。
 アブラハムは神を畏れてこの行為をしたのだった。
 キリスト教には「神を畏れよ」という教義がある。
 この教義で、キリスト教は、あまたの人々を、何と多く
の人々を殺したというのか。
 中世のキリスト教聖職者は、ただ、キリスト教の権威が
欲しいと、また、権威を示したいと、民を殺した。
 何だかんだと言って・・。
 そして、民に、神を畏れさそうとして、無益な殺人を数
多くした。まったく卑劣な、軽蔑すべき、馬鹿なキリスト
教である。
 そしてまた、神は、アブラハムへ言った、「あなたのひ
とり子をも惜しまなかったので、私はあなたを祝福する」
と。まったく低劣である。キリスト教は、今・現代でも、
この聖書を読んでいる。
 また、神の思考回路は、まったくの御利益である。
 そして又、神は言う、「あなたは子孫が増やせる」と。
 当時の人々が望んでいたことである。キリスト教の「あ
りがたやで神は釣る」。
 そしてまた、アブラハムに言う「あなたの子孫は敵を打
ち破る事が出来る」・・と。
 このキリスト教の話を聞いた、当時の民は、動物以上の
供犠を、一生懸命供犠としてささげ、命を落とした子供た
ちが多かったでだろう。
 間違った、恐ろしい、刷り込みをするキリスト教である。
 事実、今・現代、発掘によって、エルサレムの西30キロ
メートルのところで発見された遺跡の発掘によって、
 この地も、キリスト教が、異教から盗作し、真似(まね)
ただけの「聖書で高き所で聖なる所なのだ」と称する所の
儀式跡が発見された。
 そこには、悲惨な状況があった。石が血塗られ、誰かの
血が注がれ、そして、幼い子供の多くの骨が発見された。
 子供の血が注がれたのだろう。すべて子供に転嫁(てん
か)した姿だった。大人が、それも聖職者が、勝手に作っ
たことで、可哀想に。
 そして、まだ、キリスト教の神は御利益を刷り込む、
「あなたが私の言葉を聞いて(実行したから)祝福を受け
るであろう」・・と。
 何しろ最初、これは、キリスト教の神が、アブラハムを
疑った事から、まず、スタートしているのではないか・・
と神を糾弾したい。
 キリスト教の神は、本当に疑(うたぐ)り深い。性格が
良くない。可愛い子を殺すような事までさせる。
 キリスト教の神は、ここまでさせておいて「分かった」
「今知った」ではないだろう。
 キリスト教の聖職者は、これを、美談だと言う。人々の
心を打つと言う。本当に恐ろしい話だ。この様な心を端緒
にして、十字軍などの多くのキリスト教の悲劇が、殺戮行
為が、始まった。
 そして最後に、イエスが十字架で亡くなった話しに持っ
ていく、繋(つな)げて行く。
 イエスの刑死は悲劇だった。もっと生きて、イエスが
したかった事をさせたかった。人類の損失だった。
 イエスが生きていれば、パウロの様な、今のキリスト教
は生まれなかったであろう。
 その後に、キリスト教が殺した、数の多い人々も生まれ
なかったであろう。
 イエスは「神よ、何故、お見捨てになったのですか」と
言って亡くなった。やりたい事が、一杯、有ったのであろ
う。どんなにか、刑死に遭う事が残念だったかである。
 何しろ、アブラハムは、キリスト教の神が、息子の命を
供犠にしろと言った時、まず、「私を供犠にして下さい」
と言うべきだった。
 息子を、自分がなるべき供犠の役を、息子にやらせて殺
そうとするのは、神の命令とはいえ、親としての役が、行
動が、まったくなって無い、皆無だ。失格だ。
 この時点で、すでに、この話は成立していない。
 何しろ、キリスト教の聖書の話は、単純で、偏向的で、
勝手に美談に造りあげて行く、そして、洗脳的にふるまう。
 そして、皆で拍手している。
 キリスト教の神は、ここだけでは無く、あちこちで、こ
こにある様な性格で振る舞っている。
 リチャード・ドーキンスが言う、
 「旧約聖書の神は、おそらくまちがいなく、あらゆるフ
ィクションのなかでもっとも不愉快な登場人物である。
 不当で、容赦のない支配魔。
 執念深く、血に飢え、民族浄化を行った人間。
 人種差別主義者。
 大虐殺者、悪疫引き起こし、気まぐれな悪さをするいじ
めっ子、・・
 子供の時から彼のやり口を教え込まれた者は、その恐ろ
しさに鈍感になってしまう」・・と。
 リチャード・ドーキンスの言葉は正義だ。
(注) フィクション : 作り事。虚構。想像力によっ
て作り上げられた架空のはなし。
 また、アメリカでの話であるが、
 イエスの水の上を歩く話しが頭に刷り込まれた子供が、
 自分も出来ると思って水にはまって死にそうになった。
 幸い助かったが、荒唐無稽の話を、キリスト教の話を、
 子供にし、刷り込むのは毒である。害毒そのものである。
 奇跡・奇跡と言い、あり得ないことをあった様に言い、
驚ろかしてばかりいる宗教。
..
  (追記)
 
 寄金をするなら、
 
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教系組織に寄金するより『 国境なき医師団 』へ寄付してください。
 ノーベル平和賞も貰っています。
 
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団日本・・へ。
 
 また、税優遇措置の対象となります。
 
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教団体は反省してください。
 
 一粒でも食糧を多く、人々の善意を大切にして下さい。
 
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使用し過ぎています。反省してください。
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=v0OE1OsgjKU

2013年12月19日木曜日

「へブル人」は、渡って来たものの意・・、

 題:「へブル人」は、渡って来たものの意・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の民は、メソポタミアの地「ウル」という町
を出立したという、
 ここから、話は始まる。
 歴史を見ると、紀元前2000年頃から紀元前1500年頃に
「アラム移住団」と呼ばれる民族の移動が、
 メソポタミアの地から地中海方面へ向けて、
 何度か、行われた事が分かっている。
 これは1つの史実であるが、
 キリスト教のカナンの民が、この史実の動きだったとは、
即座に、断定する事は出来ない。
 何しろ、この時代の人々は、生きるために、あちこちに、
移住と言うか、移動をしている。
 また、キリスト教の聖書は、『最初に』、メソポタミア
の「ウル」の町から・・とは言うが、
 「ウル」に定住していたかは不明。
 移動する要件は色々ある。
 やはり、この頃、紀元前19世紀頃に、北方の蛮族が、メ
ソポタミアの地を脅(おびや)かし、圧迫している。
 これが、キリスト教聖書の人々の移住の原因だったかも
しれない。
 この蛮族の圧力は、強烈だったと言える。
 紀元前1720年~1550年頃には、エジプトまで影響を与
えている。
 そして、エジプトまで支配をしている。
 キリスト教の聖書の最初の民のアブラハムは、
 この様な頃に、紀元前1800年頃に、パレスチナの方面
へ向かったと考えられている。
 ただし、出立後は、チグリス・ユーフラテス川の上流の
方向へ向かったと考えられる。
 そして、彼らがメソポタミア「ウル」に定住して居たの
かは不明であるが、(キリスト教は定住していたと言いた
いらしい)が、この時代、人々は生を求め、移住し、移動
しているから、メソポタミアの前の地もあっただろう。
 また、当時良くある、北方からの民族の南下して来る民
との軋轢(あつれき)もあり、移動・移住もし、また、当
時良くある、その民族との混血もあっただろう。
 聖書では、この時代を「族長時代」と言っている。
 キリスト教聖書の「創世記」の第11章以降の部分だ。
 この聖書の、ユダヤ人の祖先とされているアブラハム、
イサク、ヤコブ、ヨセフなどは、遊牧の民の族長と言われ
ている。
 遊牧であるから、本来的に、あちこち移動はしていた。
 また、遊牧の民は、小さな部族の単位だった。
 その様な族が、あちこちに居るという社会だった。
 キリスト教は、『人祖』・アブラハムと言っているが・。
 そして、この様な状況は、今、現在でも、シリアやアラ
ビアの砂漠の地に、昔ながらに、セム系遊牧民が、この様
な生活をし、暮らしている。
 この古代の族長たちの宗教は、キリスト教の『キの字』
も無い。
 また、キリスト教の前のユダヤ教の匂いも無い。
 その様な人々が、遠い存在の族が、あちこちに、存在す
るのだった。
 その様に、キリスト教とは何にも関係は無いが、聖書に
は、さも、あった様に、名前が書きつらねられている。
 はっきり言えば、キリスト教が忌み嫌う異教徒だった。
 キリスト教の教義からすれば、排斥すべき対象の族だっ
た。
 キリスト教の神も、何もかも、形も無い世界だった。
 有るのは、異教のものと異教の神だけ・・。
 彼らは、ただ、そこらにある頼(たよ)るべき物、木、
泉、井戸、川、岩、石、山などを信仰していた。
 また、「家族の結束のための神・テラピム」や、「命を
失う危険な動物の蛇のタセラピム」や、「彼らの生きる命
の綱の牧畜の神・アザゼル」や、「彼らの心を慰める月の
神」や、「エルの神(エルは、ただ、神の意)」だった。
 旧約聖書に出て来る「エル・ロイ」は、キリスト教の神
と何ら関係の無い、また、異教の神となる「泉の神」の事
を言っている。
 また、同じく聖書に出て来る「ぺテル」は地名のぺテル、
 「ぺト・エル」は「エル(神)の家」の意味。
 ここを美しく、キリスト教は無理に、関係づけ様として
いるが、無理に考える事はよした方が良い。理性を無理に
抑え殺し、盲信する事は止めた方が良い。
 今後も、キリスト教は変わって行く。キリスト教は、絶
対のものでは無い。その事は歴史を見れば分かる。
 いつの時代も、その状況の中で、コロコロと変わってい
る。絶対のものでは無い宗教だ。
 因みに、聖書に最初に書かれている人・アブラハムは、
「ベブル人」を意味し、ベブル人は「渡って来たもの」と
いう意味だ。
 そして、供犠(くぎ)を捧(ささ)げる野蛮な信仰の下
に居た。
 スケープ・ゴートの名の様に、ゴートであるヤギ・羊の
類いを、一般的に動物を生け贄(いけにえ)として捧げら
れる宗教儀式。
 幸を求めて、より過激な供犠を捧げることを求めるより
野蛮な宗教性への道をたどるものがある。キリスト教はそ
の様な形の中にある。愛する我が息子を供犠とする話もキ
リスト教聖書に出て来る。一生懸命、美しく語るが、常識
というものがない。その話を美化し、湧(わい)いている。
 キリスト教聖職者は、それを、何ら関係無い様に語ると
ころと、がまた、聖職者によっては、軽蔑してさえ言う時
がある。人身を供犠として美化して語るはるか彼方(かな
た)の昔のセンス。その様な聖職者もいる。注意をしたい
所だ。
 キリスト教聖職者はその場で美しく語る人。口まかせ、
出まかせと言っては可哀想だが、その様な宗教。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=v0OE1OsgjKU

2013年12月18日水曜日

NHKの給料、高すぎます。高給すぎます。4人分以上です。

国民の皆様へ
 また、世界の皆様へ
 以下の文を、国内の各所へ送信致しましたので公表いたし
ます。
......送信文...................................................
題:NHKの給料、高すぎます。高給すぎます。4人分以上
です。
.
拝 啓、
 御公務、ありがとうございます。
 NHKは、非常に高い給料となっております。
 一般国民の常識から外れ過ぎております。
 下記はTwitterへ投稿させて戴いた文です。
 是非、一般国民も納得する公正な給料体系にして戴けない
でしょうか。
 宜しく、お願い申し上げます。    敬 具
参考URL: http://www.youtube.com/watch?v=v0OE1OsgjKU
ー( 投稿文 )ー
 NHKの給与は、びっくりするくらい高給です。
 何と! 平均給与が1900万円です。
 高い給料をもらっている人たちの平均給与ではなく、N
HKの全体の平均がこんなに高い給料なのです。
 普通の会社員の4人分以上です。
 桁が違いすぎます。
 まず、初めに、半分以下にダウンしても何ら問題はありま
せん。
 それでも2人分以上なのですから。
 そして、委員会から『2割は下げなさい』と指導された
受信料も、何だかんだとゴネテ、7パーセントしか下げま
せんでした。
 あと13パーセントの受信料の値下げは最低限しなさい。
 15000円以上の受信料は高すぎます。
 所得の低い人には低価格受信料にすることもできますは
「逃げ口上」です。
 7000円に、まず、しなさい。
 局員数も多すぎます。 
.
 (追伸)
 珍しくNHKからすぐに返事が来ました。
 結局のところ、NHKが言いたかったところは、
 この様な組織の協議で決まっております。決定事項なの
です。
 そして、その決定事項は以下です
          ・・との返事でした。
.
 小生が申し上げていることは、『それが、結局だめなの
です』と申し上げたわけなのですが、指摘したわけなので
すが・・。
 いつも、NHKはこの様な返事の仕方をします。
 申し訳ないのですが、問い掛けに誠実に答えていないの
です。
 返答を意識的だと思いますが、外すのです。
 答えになって無い返事で答えたという形をとるのです。
 申し訳ありませんが、ピントのずれた返答です。
 そして、全ての問いに答えていません。
 自分の答えたいところだけの返事。
 自分の都合のよいところだけの返信でした。
 都合の悪いところは、口を相変わらず噤(つぐ)んでい
ます。
 これで公的に、また、組織的に、また、上司に、返事を
したとしているのでしょうか?
.
 (参考)つぐ・む【噤む/鉗む】 [動マ五(四)]《古
くは「つくむ」》口を閉じる。ものを言わない。黙る。

キリスト教聖職者が、一番、結局、庶民を泣かせた・・、

 題:キリスト教聖職者が、一番、結局、庶民を泣かせた・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 日本のおとぎ話も・・、
 キリスト教聖職者のアウグスチヌスの様に、解釈し、美
化すれば、1つの宗教が出来あがる・・と言える。
 アウグスチヌスという人は、今までのキリスト教の話を
神の恩寵などを利用し、美化し、ありがたく仕上げていっ
た。
 例えば、日本のおとぎ話の桃太郎の話で(1)「おじい
さんは、神の啓示があったから、おばあさんに川に洗濯に
行くように言った」・・としたり、
 そして、神の恩寵があったから、信仰心のあるおじいさ
んとおばあさんに、川上から大きな桃がドンブラコと流れ
て来ました・・という様に話を進める・・
 そしてまた、(2)アウグスチヌスは、神の権威を高め
ることをした。
 例えば、おじいさんの啓示は、天が光り輝き、まぶしく
光る「光の中」から声だけが、神の声だけが聞こえました
・・と。
(3)そしてまた、おじいさんは、力が必要な仕事、山へ
のしば刈りの仕事を引き受けるのでした。優しい神の愛の
教えが備わっていました・・とかと、
 また、(4)神の恩寵の御蔭で、おじいさんとおばあさ
んに、かわいい男の子ができました・・と続いて行く、
 このほど作用に、アウグスチヌスは、キリスト教の話を
美化し、脚色した。
 つまり、アウグスチヌス(354年~430年)は、キリス
ト教聖書全体を神の救いの思想にまとめあげた。
 アダムの一件も、人祖アダムが、『原罪を背負う』とい
うことにし、神の刑罰を定めた。
 神ではなく、アウグスチヌスという人間がその様に考え、
信仰心が湧く様に仕掛けた・・ということ、
 そして、神は、特別な憐れみで恩寵を賜り、キリスト教
を信じるものを救うとした。
 (ただし、キリスト教はこのところから、キリスト教を
信じる者だけを、特に異常に意識したため、以外の人たち
に対し、異端意識が強く出る。そして、「異教徒は殺せ」
の教義の如く、他宗教徒は殺せとなる。異端や異民族など
を極端に嫌い、排斥するキリスト教が生じて行った)。
 そして、アウグスチヌスは、これ等の事が、キリスト教
会を通じて達成されるとした。
 教会への権威付けである。
 教会は喜び、アウグスチヌスを『聖』とした。
 キリスト教会に力を持たせたことにより、この後、悲惨
な歴史が待っていた。その原因が『ここ』にあった。
 キリスト教会が、これから、考えられないくらいに悪の
横暴にふるまって行く。
 キリスト教会内に『異端審問所』ができ、多くの人を殺
し、また、魔女の『キリスト教裁判所』ができ、人々を殺
しまくった。ヨーロッパのある村は、魔女を焼く煙で曇り
の日の様な状態だったと伝えている。ユダヤ人虐殺など、
まだまだ色々な悪行為をしている。その悪行為の手先が教
会の聖職者たちだった。
 アウグスチヌスは、この様な「神の国思想」を創り上げ
た。
 彼のこの思想は、キリスト教の思想の規準とされた。
 キリスト教は、この彼が作った思想に、あたかも、ここ
に立つ瀬があるとしがみついて行った。
 この様に、アウグスチヌスは、キリスト教文化の支柱を
作ったとあがめられ、「聖」を付けて呼称された。
 この彼の、アウグスチヌスの聖書解釈方は、これ以前に
あった霊や比喩による方法より、過去を引きずって居り、
客観性に乏しいとかの批判がある。また、多分に思いつき
的だとの批判もある。
 彼は、教会の教義に適合させて解釈しようとして、かな
り無理なこじつけやデッチアゲ的な事もした。
 あまりにも教会の立場に立つ形で、教会サイドで解釈を
する人だった。教会は大いに喜んだ。
 これらのことは、16世紀のルネッサンスの時になって、
やっと批判が、ある形となって、日の目を見る事ができた。
 教会の権威が薄められる動き・反動が現れた。
 教会の権威の否定である。
 いずれにしても、キリスト教の枠内なので、人々は救わ
れないのだが、この動きを潰そうと、ヨーロッパでは、キ
リスト教同士の大戦争が勃発した。
 ヨーロッパの方々の3分の1の方が亡くなるという悲惨な
ものだった。
 キリスト教の劣悪な教義ゆえに「起きた戦争」、キリス
ト教の劣悪な教義ゆえに「止められなかった戦争」、
 死ぬのは、何時も、庶民だった。
 それでも、キリスト教は劣悪教義に悶(もだ)えるのだ
った。
 「神の国による救いは、地上でこそ実現すべきではない
のか?」・・と、等。
 イエスの人格にもっと注目すべきだ。パウロの『イエス
の人格無視路線』への批判である。
 イエスはキリストだ。イエスの教えと人格をもっとまと
もに捉え、このイエスの教えと人格から救いがおよぶとし
なければならない・・と。キリスト教はこの救済路線に変
えろ・・と。19世紀になって、やっとこの声が出てきた。
 「リッチュル(1822年~1889年)」という男だった。
 キリスト教は愛の宗教だなどとの宣伝はでっちあげだ、
プロパガンダだ。
 結局、自分の事しか考えない歴史を経過してきた。
 権威が欲しい、そして、魔女殺しの目的はお金だった。
 組織も大きくなっていくと先立つものはお金だった。
 それを得る手段として卑劣な事をしでかした・・など。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=v0OE1OsgjKU

2013年12月17日火曜日

周囲の状況から得ただけのもの・・、

 題:周囲の状況から得ただけのもの・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の「バベルの党」の話。
 この話も、キリスト教のオリジナルの話では無い。
 借りものである。
 この地方にあった話を、ユダヤ的に改変させたもの。
 そして、昔、バビロニア地方に「ジグラット」と呼ばれ
る大きな塔がいくつも建っていた。
 東の地・インドのストゥーパ(塔)の影響を受けたもの
と考えられる。
 この地方で、古代都市国家を作ったシュメール人が、山
地の民だったから、その習慣から神を拝む「高い所」が作
られたとも言われている。
 いずれにしろ、この辺りの民族は生きるために頻繁(ひ
んぱん)に行き来していた。
 平和的な移動のみでも無かったであろう。
 (イスラム教は、インドを通って、遠く東南アジアまで
伝搬している)。
 キリスト教が言う「一神教の壁」などという話しは無い。
 何しろ、この時代、この辺りは、皆、多神教であった。
 キリスト教の「嘘の一神教の壁」という論理は成立しな
いし、まったく無い。
 よくこの様なプロパガンダ(嘘宣伝)をするものと思う。
 シュメール人も、この「ジグラット・高塔」を作った。
 英国人探検家のウーリーによって掘り出された大ジグラ
ットは、紀元前2000年頃のものだという。
 ピラミッド型で、7層になっており、7色に着色されてい
る。
 そして、各層ごとに、別な神が祀られる多神教だと言う。
 これ等のことが、聖書の話「バベルの塔」に反映してい
る。
 紀元前600年頃の、ネブカデネザル2世の碑文によれば、
塔の高さは98メートル、地階の広さ91平方メートル(10
メートル角ぐらい)だったという。
 この様な事から、「バベルの塔」の話は出来た。
 このシュメール人が、元は山地に住んで居た民族ゆえに
出来た「高所に神を拝む所を作るという習慣」が、西へ伝
わり、カナンのキリスト教聖書の舞台の地・パレスチナの
地でも、この様な行為が行われるようになっていく。
 カナンの人々の土着宗教の神聖な場所が「高き所(パー
マー)」と呼ばれ、旧約聖書にも、何度となく出て来る。
.
 (参考)シュメール(アッカド語: Šumeru; シュメール
語: 𒆠𒂗𒂠[1] - ki-en-ĝir15)は、メソポタミア(現在の
イラク・クウェート)南部を占めるバビロニアの南半分の
地域、またはそこに興った最古である都市文明。初期のメ
ソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間
に栄えた。シュメールの言語、文化、また、おそらくは外
見も周囲のセム系の民族とは異なっていた。しかしシュメ
ールの男子像を見る限り、大きく彫りの深い目、高い鼻、
巻き毛で髭が多いなどセム系と変わりないような容貌した
像もあり、民族系統は未だ謎である。シュメール人は広範
に征服民か移住民であると信じられている。しかしそのよ
うな移住がいつ行われたのか、またシュメール人の地理的
な起源がどこなのかを正確に決定することは難しい。
                 (wikipediaより)
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
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2013年12月15日日曜日

キリスト教の聖書の書き変え、書き加えが多い理由

 題:キリスト教の聖書の書き変え、書き加えが多い理由
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 「初めに神は天と地とを創造された」・・、
 キリスト教の「創世記」の一説であるが、
 この創世記第1章は、紀元前500年頃に書かれた。
 キリスト教は、キリスト教の聖書は
 『神が啓示し、人間が書いた』・・と、オカシイ所を
繕(つくろ)った説明で聖書記述を説いた。
 宇宙の創造、世界の創造を、キリスト教の神は、紀元前
500年に、人間に啓示し、そして、書かせたという事に
なる。
 キリスト教は繕(つくろ)えないシロモノで、繕えば繕
ったで、また、新たなオカシイところが出て来るシロモノ
です。
 何しろ、1週間で、キリスト教の神は、宇宙のすべてを
造ったのだと言う。
 そして、最後の日は、疲れたので休んだと言う。
 この時に、造った最初の人間が、「アダム」と「イブ」
たったのだと言う。
 そして、キリスト教の聖書に書いてある系図、
 これから分かるのは、最初の人間までは、1万年前だと
言う。
 系図に書かれた人たちの死亡年齢が書かれているので、
積算すると分かる。
 太陽も、人間も、宇宙も、何もかも、1週間の内に造っ
たキリスト教の神。
 その時の人間まで、1万年前だという。
 つまり、宇宙が出来てから1万年が経過しているとキリ
スト教は言っている。
 この宇宙ができた時のことを、紀元前500年に、キリ
スト教の神が、啓示を与えて、そして、書かれたのがキリ
スト教聖書の「創世記」。
 これを、今、キリスト教徒が読んでいる。
 そして、「神はエデンの園の中を足音をたててて歩いた」
と書かれている。
 「キリスト教の神は、体重があったのだ」という事が分
かる。だから、足音がたてられるのだ・・と。
 当然、キリスト教の神は「足」を持っている神なのだ。
 そして、神だって老廃物が溜(た)まって、そして、そ
のため疲れるという現象が現れるという。
 神も頑張ったのだと言うこと。『頑張るな』と、キリス
ト教は『キャンペーン運動』をしているが・・。
 キリスト教は、このキリスト教の神を見習いなさい。
 そして女性の「イブ」は、男性の「アダム」の「あばら
骨』を1つ取って造ったと言う。
 そして、その「アダム」の骨を取るために開けた穴を、
何か? 肉らしいもので、神は埋めたという。
 馬の肉とも、鹿の肉とも、どの肉とも、聖書には書いて
ない。何しろ肉で埋めたと書かれている。
 声だけが聞こえる神が造ったという。
 聖書は、「迷信」とつながる危険もあったという。
 しかし、キリスト教の聖書は、これは、何の示唆も、益
ある事も示さない「迷信そのもの」でしょう。
 神の「絶対性」や、「超越性」を主張していると言うが、
 どこを読んでそんなことを言うのか?
 無理に、その様に思いこませたら、病気になってしまう
でしょう。
 「オウム真理経」の様な、「マインド・コントロール」
はしないで下さい。
 思い込ませ、洗脳は、しないで下さい。
 この古代のこの頃。生きる事に必死だったこの頃。
 この生に追われる民は、
 「信仰を裏切る民は滅ぼされる」というマインド・コン
トロールに掛かっていた。
 キリスト教の聖書は、その時代で、古代で終わっている
のです。
 現代でも、その様に、マインド・コントロールをしよう
としている。そして、されている。そして、現代でも戦争
を起こしている。
 そして過去の、キリスト教の歴史を見ても、マインド・
コントロールされた人々が繰り広げた戦争・人殺し・民族
絶滅、悲惨の連続の歴史が累々とある。あまたある。
 古代においても、その様に信じた神は、民を裏切った。
 戦いは負ける事が多かった。
 1例を言えば、戦い敗れて「バビロン捕囚」にもなった。
 最悪の事態だった。
 戦いに敗れ、王様は目をくり抜かれた。
 そして、民と共に奴隷となって敵国へ連れて行かれた。
 この「イスラエルの民と目を潰された王」のそれ以外の
人々は、すべて殺された。
 王の家族や王朝の臣下たちは露と消えた。
 民は絶望し、神に見捨てられたと思った。
 今までの信仰はインチキだったのだと思った。(今でも
インチキだが)。
 そして、今までの聖書の記述ではダメだと、最初から最
後まで書き変えられて行った。また、種々の事が書き加え
られて行った。
 キリスト教の聖書が書き換え、書き加えが多い理由の1
つがこれ。
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