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2013年11月22日金曜日

深みの出ないわけ・・、そして食い違いも、

 題:深みの出ないわけ・・、そして食い違いも、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教には、単発に、預言者が、各地に、また、各
時代に、出現した。
 その預言者の言葉が多数ある。
 聖書には、そのいくつかが集められ、聖書が成立した。
 捨てられ、焼却処分されたものも多い。
 キリスト教は、この様な歴史だった。
 その選択した人々こそが、『神以上の神』と言いたい。
 その様な、過程から、
 そこには、当然ながら不都合が多発している。
.
 キリスト教の預言者に「エレミヤ」という預言者も居た。
 このエレミヤという預言者は、すごい預言者である。
 イエス・キリスト以上の預言者と言える。
 ものすごさはイエスどころではない、神の聖別である。
 エレミヤは、イエスが生まれるより650年も前に生まれ
た人。
 そのエレミヤが、もうすでに、イエスより先に・・とい
うより、はっきりした聖別のないイエスと違い、
 エレミヤは神より『特別な聖別・聖化』を 与えられて
いた。
 一神教であるので、2人とか、3人とかに与えられるわけ
ではないので、イエスには疑問符が付くが、また、イエス
の存在が霞(かす)んでしまうのだが・・、
 以下に、(「エレミア書」1・4~10)を書く。
 ただし、より分かりやすくするため、
 「主」を、三位一体神と書き、
 『あなた』と、神がエレミヤを呼んだり、言うところな
どは、「エレミヤ」と書く。
.
 「主(キリスト教の三位一体神)の言葉が、わたし(エ
レミヤ)に臨んで言う、
 『わたし(キリスト教の三位一体神)は、あなた(エレ
ミヤ)を、まだ母の胎につくらないさきに、あなた(エレ
ミヤ)を知り、
 あなた(エレミヤ)が、まだ生まれないさきに、あなた
(エレミヤ)を聖別し、
 あなた(エレミヤ)を立てて万国に預言者とした』。そ
の時、・・・ここまで読んで思ったことは、
 『エレミヤ教』を作れ・・だった。
 ここまではっきり、キリスト教の神の三位一体神より、
はっきり聖別したと言われているのなら、『エレミヤ教』
を作るべきなのだ・・・
 以下続き・・・その時、わたし(エレミヤ)は言った、
 「ああ、主なる神(キリスト教の三位一体神)よ、
 わたし(エレミヤ)は、ただ若者に過ぎず、どのように
語ってよいか知りません」。
 しかし主(キリスト教の三位一体神)は、わたし(エレ
ミヤ)に言われた、
 『あなた(エレミヤ)は、ただ若者にすぎないと言って
はならない。・・・と、
 (これ以降、キリスト教の神である三位一体神は、エレ
ミヤを励ます。)
 彼らを恐れてはならない・・と、言ったり、
 (そして、キリスト教の神・三位一体神は言う。)
 主(キリスト教の神)は、わたし(エレミヤ)に言われ
た。
 「見よ、わたし(キリスト教の神)の言葉を、あなた(
エレミヤ)の口に入れた。 
 見よ、わたし(キリスト教の神)はきょう、あなた(エ
レミヤ)を万民の上と、万国の上に立て、あなた(エレミ
ヤ)に、あるいは抜き、あるいはこわし。あるいは滅ぼし、
あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる。」・
・と。
 何と、神から、神の言葉を口から入れたよとエレミヤは
言われている。
 この様な事はほかにあるか?・・ない。
 この様な、はっきりした聖別があることは、また、この
様な特別な聖別がイエスにないことから・・、
 エレミヤが『本物』と言える。
 要は、
 キリスト教は、色々な人が、色々な事を言って、その中
から聖書を作った。
 故に、その様な出来方という状況から、系統的ではなく、
また、統一性がとれずにいる。
 このエレミヤ書の様な、大きな大本(おおもと)の齟齬
(そご・食い違い)が起きる。
 この様な、キリスト教の根本にかかわる様な大きな事が
起きる。
 その他にも、あちこち食い違いがあったり・・、
 その、不統一性から、思想・教義の深みも出ないという
状況。
 キリスト教の神は、本当に、このエレミヤ書の通りとし
なければならないのならば、筋を通すのならば、イエスで
はなく、エレミヤを立てなければならないことになる。
 キリスト教は、このことに目を瞑(つぶ)っている。看
過している、みのがしている、この大切なことを、結果的
に、キリスト教の神は、二枚舌を使った事になっている。
二枚舌を使ったわけではないのだけれども、それとも・・、
 この様な、キリスト教聖書を読む必要はあるのか?・・
『否』。
 (参考)せい‐べつ【聖別】[名](スル)キリスト教で、
神聖な用にあてるため物または人を一般的・世俗的使用か
ら引き離して、区別すること。聖化。
 (参考)そ‐ご【齟齬・】〔名〕くいちがうこと。ゆきち
がい。そぎょ。
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
      http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2013年11月21日木曜日

小、中、高校の周りから自販機を撤去せよ。

 題:小、中、高校の周りから自販機を撤去せよ。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 何と、ニューヨークでは、190万人いる児童の『4分の1』
が貧困児童だという。
 何と多い数字か!
 そして、アメリカの調査では、貧困家庭ほど、『安くて、
高カロリーの、そして、味付けの濃い、食べ物が食べられ
ており、子供のランチ用のインスタント食品が人気だとい
う。
 薄味だと、健康志向でこうすると、販売数量が伸びない
のでこうしているのだと考えられる。
 アメリカの子供たちが、『喜んで食べている食べ物』の
例をあげてみると、
 例えば、「マカロニ&チーズ』
 これは、ゆでたマカロニに、ミルク、バター、チーズを
こってりと混ぜ込んだもの。
 しかし、これはおかずで、主食は、「ピーナッツ・バタ
ー&ジェリー・サンドイッチ」だという。
 これは、パンに、ピーナッツ・バターと、ジャムを、た
っぷり塗ったもの。
 そして、安く提供されているという。
 アメリカの所得の低い方たちは、この様な食べ物を食べ
る傾向が強く、台所用品もない。
 または、そろっていない状況だという。
 アメリカの公立小学校の生徒の『50パーセント』は、肥
満児だという。
 アメリカは、新自由主義の経済社会を登場させ、
 『新自由主義の登場で、貧富の格差が、更に出た』とい
う。
 日本でも新自由主義を掲げる政党が政権をとったりして
いるが・・・。
 アメリカの『中流家庭』は、『貧困層に転落』し、
 「失われたアメリカの中流家庭」と言われている。
 かつての、アメリカのテレビ番組の中流家庭の様子を見
せていた種々の番組のアメリカ家庭の状況は、
 『今はない』・・という。
 かつての、成長中の日本は、このアメリカのテレビ番組
を見て、この様になりたいと思ったもの。
 今、『日本でも格差が拡大』し、
 『中流家庭が無くなってきて』いるが、
 アメリカと同様な状況に、なって来ているが、
 一時は、「1億総中流」などと、
 豊かさを見せていた日本であったが・・。
 アメリカのデータでは、貧困児童の教育レベルの低さと、
肥満度は比例するという。
 豊かでなければ、教育はできないものなのだ。
 ゆたかでなければきょういくはできないものなのだ。
 ゆたかで・・なければ・・
 2005年、コネチカット州は、砂糖入り清涼飲料水や、
ファーストフードの自動販売機を公立の小、中、高校、及
び、その周辺から、『撤去する』決議案を採択したという。
 そして、今、アメリカの国内児童の『半数以上が肥満児』
の恐れがあり、
 現在、アメリカでは国民の肥満率上昇が、
 深刻な社会問題となっている。
 貧しさの象徴である不健康な肥満、
 子供だけでなく成人の間でも深刻さが増す。
 日本でも、高カロリーのジャンクフードには高い税金を
掛けるべきだ。
 少なくとも、消費税8%除外はしないこと。
 反対意見が多いだろうな。だが、しかし・・・。
.
 (参考)ジャンク‐フード【junk food】 即席麺(めん)や
スナック菓子など多種・大量に生産されている食品。また、
高カロリーだが、栄養価が低く、添加物の多い食品。
 (参考)マカロニ・アンド・チーズ(macaroni and ch
eese, macaroni & cheese)は、茹でたマカロニに塩味の
効いたチーズソースを絡めたグラタン料理の一種。チーズ
はチェダーチーズを使うのが一般的である。
 手軽に作れるとあって、アメリカ及びイギリスでは家庭
料理として普及しており、特に子供に人気が高く、「マッ
ケンチーズ(Mac'n Cheese)」の愛称で親しまれている。
アメリカの殆どの学食のメニューにも載っている定番料理
である。
 マカロニ・アンド・チーズはアメリカやイギリスでは、
大概のスーパーマーケットで購入が可能であり、乾燥した
マカロニと粉末状のチーズソースがセットになった箱入り
の商品の他、冷凍食品や電子レンジ用、出来合いの惣菜と
しても売られている。作り方は沸騰した湯でマカロニを茹
で、湯を切った後、鍋に戻したマカロニと一緒に、チーズ
ソースの粉末、バターと牛乳(もしくは水)を入れ、ソー
スとマカロニが十分絡み合うまでかき混ぜれば完成する。
好みで刻んだハムやソーセージ、タマネギ、挽肉、ツナ缶
などを加える場合もある。(wikipedia)
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
      http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

神が成長するわけがない。

 題:神が成長するわけがない。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の預言者・イザヤは、有名なキリスト教の預
言者であるが、何人も居る。
 キリスト教も気が付いていて、「第ニイザヤ」だとして
いる。
 しかし、研究が進んで「第三イザヤ」が。
 「第一イザヤ」という言葉はないが、この様な状況なの
で「第一イザヤ」を正式名称として使いたい。
 この第一イザヤは、「預言者」という神からの言葉を
「預言する」という者だというが、
 彼は、本当は、神からの言葉は聞いてなどいなかったと
言える。
 それは、彼の言葉を、時間サイクルで長期的に見れば分
かる。
 彼は、最初の頃は、「寡婦の訴えを弁護せよ」とか・・
や、国民の道徳的要求レベルの主張をし、発言していた。
 また、宗教的堕落が気になったのか、その発言だった。
 しかし、彼も、年をとって、色々と見聞を広めたからか、
だんだん見る目のスケールが大きくなっていった。
 国の存亡に関する事とか。
 若い時は、やはり、若さの潔癖さからか、指導者階級の
腐敗の事や、国民の道徳的な事とか、身の回りに関するこ
とだった。
 成長後の発言である「外交関係」の事とかとは、はっき
り違う。
 つまり、「神からの預言」ではないのである。
 神が成長するわけがないからである。
 古代の、このカナンの地で、必死に生きることを、もが
いた人・イザヤの言葉なのである。
 後の人が、他のキリスト教の文書と同じ様に、多くの後
の人が加筆して、現在の「イザヤ書」となっている。
 改訂も、何度も、行われたことが分かっている。
 何人もの『人の手』によってできたものだ。
 後世の追加も多い。
 40章~55章は、イザヤ(第一イザヤ)の200年もの後に、
書かれたもの。
 この紀元前6世紀のものを「第二イザヤ」という。
 当然、作者は不明。
 聖書の作者は、この様に多くの不明の人たちによって、
書き集められ、まとめられたもの。
 そして、更に、56章~66章は、更に100年の後、第一イ
ザヤから300年の後の、紀元前5世紀頃に書かれたもので、
「第三イザヤ」と言われている。
 キリスト教は、神が書いたものとか、すぐわかる嘘の多
いこの様な話で出来あがっている宗教。
 (参考)よ‐げん【預言】 [名](スル)キリスト教で、
神託を聴いたと自覚する者が語る神の意志の解釈と予告。
また、それを語ること。
 (参考)か‐ふ【寡婦】 夫に死に別れて再婚しないでい
る女性。やもめ。後家(ごけ)。未亡人。
.
 そして、次なる短い話。
.
 アフリカ奴隷貿易に従事したスペイン人やポルトガル人
は、アフリカ人奴隷の事を「ネグロ」と呼んだ。
 酷いことだ。蔑視の目は、キリスト教が生んだ。
 古代からの、根深く、古いキリスト教の罪だ。
 ネグロは、ラテン語で「黒い」を意味したが、アメリカ
人は、アメリカ黒人の事を、侮辱的な意味合いを込めて
「ネグロ」と呼んだ。
 『近代国家・アメリカ』などと言えない。憤りが涌く。
 1988年に、アメリカ合衆国で、黒人と見なされている
方々は、総人口の12.3%の3032万人いる。
 16世紀~19世紀にかけて、母国・アフリカ大陸から略奪
的に引き離され、あからさまな暴力によって強制的に、西
半球に連れられてきたアフリカ黒人の子孫である。
 この様な行動の元には、キリスト教聖書に書かれた奴隷
の話が数々ある。
 キリスト教の神、自らが「奴隷にせよ、奴隷にせよ」と
叫ぶのである。 
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2013年11月20日水曜日

聖書読まねえクリスチャンているの? No:2

 題:聖書読まねえクリスチャンているの? No:2
 前回のNo:1の
 『60』で、手のひらを返したように
 あるURLを表示して、これを見てくれ、かなりひどい。この悪事
をクリスチャンに広めてくれ。話しを戻し俺は旧約聖書は読んでな
い。クリスチャンでもイエズス誕生以降から読む人多いよね。・・
と、本音らしいことが聞こえた。(つづく)・・と、なった訳ですが、
☆そこで聞いてみた『61』が、
 この様な状況が起きた原因は何だと思いますか?
                ・・・と、聞いてみた。
 『62』で、返事があり、
 ・一度家に持ち帰ると絶対返さないから
 ・返却されたときマタイによる福音書にソースがついていたり、
ヨハネの黙示録にキャベツがはさまってたり、雅歌にクッキーのカス
が入ってたりしてたからw 
 ・新改訳を持ち帰ったはずなのに、返却されてきたのは新共同訳や
新世界訳や本田訳だった         ・・・の、返事だった。
☆そこで、『63』で、
  楽しい回答をありがとうございます。
  ウイットもあるし、100点を差し上げます。
  キャベツをはさんだらいけませんよね。
  何しろ家に持ち帰らない聖書は、
  玄関の下駄箱の横の箱、それも、そうきれいではない箱に
  綺麗に積むわけでもなく、投げ入れる的になっています。
  どう思われますか・・・?     ・・と、投げかけてみた。
 すると、『64』で、
  新興宗教の信者は電波なので、家に聖書を持ち帰ると神棚にあげ
 て毎日水と榊をお供えし、
  朝晩二礼二拍一礼で拝むので、新改訳聖書が「自分は大切にされ
 ていい存在なんだ」と勘違いすると困るから。
  新興宗教で大切にされていいのは教祖や牧師といった聖職者だけ
 で、聖書を大切にすると聖職者を大切にしなくなるの  
  ではないかと危惧している。       ・・との、返事が、
☆そこで『65』で、
  なるほど、新改訳ですね。
  ユニークな説だと感心しました。
  まだまだ、改訳が進むと思います。     ・・と、したら、
 『66』で、
  珍改訳やな  次は             ・・・と来た、
☆そこで『67』で、
  そうですね。
  聖職者を大切にしなくなるのではないかと
  危惧されて居られるのですね。      ・・と、記したら、
 『68』『69』『70』と続けて返事があった、
 『68』は、
  聖職者の恣意よりも”聖書に帰れ!”というのが
  ルターの宗教改革でしたね。1517年 一語唱え
 『69』は、
  少なくとも現在のプロテスタントでは伝統宗教はともかくとして、
新興宗教に限ってみれば、
  聖書に帰れとか聖書のみではなく、生神様である教祖様に帰依し
ろという教えだったりしますけどね~wwww.
  ルターの掲げた理想はどこへやら。まるでジョージ・オーウェル
の動物農場みたいなものですよ。
  王様を追い出して理想郷を作ろうとしたものの、また新たな王様
が出てきてしまったという・・・w。
  バチカンとか教皇とかを排除する宗派を作っても、当初は理想的
に運営されて教団内が哲人政治状態だったのかもしれない。
  でも時代が下るにつれて堕落し、プチバチカン・プチ教皇が次々
と誕生。現在は小皇帝だらけの無法地帯。
  掲示板で名前が挙がっているだけでも、主の十の秋元教祖、小川
イエスや伊勢原の中川教祖s、HCCの榊山教祖、新城の滝元教祖、
  ヨハンと聖神の金教祖、つくばのビュン教祖、沖縄の儀間・仲原
教祖・・・と枚挙に暇がないじゃないw。
  しかも全員世襲。次の教祖様は教祖様のお子様。
  これならまだ出家している分、世襲というものが皆無のカトリッ
クのほうがはるかに健全な組織でしょ。
  現在においてプロテスタントこそが宗教改革を必要としています。
 そして、『70』では、
  クリスチャンやめますか?人間やめますか?     ・・・と、
☆そこで『71』で、
 血のつながりのない世襲でしょう・・・?    ・・と、記した。
 そうしたら、『72』で、
  血のつながりのない赤の他人によって継承されるのも世襲という
なら、71さんは新日鉄も世襲と考えるのですか?
  営利法人の代表取締役は取締役会の決定を経て就任し、ローマ
法王はコンクラーベなる枢機卿による選挙を経て就任します。  
                     ・・・の、返事が、
☆そこで『73』で、
  そうです。コンクラーベです。
  各派閥の争いの中で、自分の気に入ったあとつぎを後継とするの
です。
  ある意味、血のつながりという争いのすべのない方が良いと
言えるのかもしれません。      ・・と、書いた。(つづく)
 .
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

聖書読まねえクリスチャンているの? No:1

 題:聖書読まねえクリスチャンているの? No:1
 知人から教えてもらった「インターネット上で展開している」こ
の標記の議題について以下に書かせていただきます。
.
『1』~『46』までは、さほど、目新しい討論は行われていません
でした。
☆しかし、『47』に、
      聖書読まねえクリスチャンなんているの?
      ではなく
      読むに堪えない聖書
      ・・・なのではないのか?
              との投稿から状況は一変しました。
『48』に信じて読めば読みごたえあるが、信じていなければ時間の
無駄の記述があり
☆『49』に
 動物には譲りあいがない。鳥たちのためのエサ台を設けたが、
 ハトは雀たちが周りにたくさん居るのにお構いなく、エサ台を
わずか2匹で占領している。
 多くの雀たちはエサ台の周りで、ハトがエサ台から居なくなるの
を今か今かと待っている。
 その様な中で我が物顔でハトは餌を食べている。
 雀が先に来てエサ台に群がっていても、ハトは雀たちを追い出し
てエサ台を占領する。
 ハトは自分達だけが腹いっぱいになるまでエサ台を占領している。
 今朝あげたコップ1杯のエサをハトの大きな体は大方食べ尽くす。
 そして、ハトが食事を堪能して立ち去ると、雀たちの食事の時間
が始まる。
 これは、キリスト教の聖書が教える『奪いの行為』と全く同じ状
況をあらわしている。
 他人の富を奪うという、キリスト教の神の言葉を綴った「カナン
人のものを奪え」「生娘は殺すな」などの聖書の記述を読みなさい。
                     と、返答があった。
『50』に、あんたはエホバかなどの罵倒が早速あった。
そして、『51』に、最低5回は最初から最後まで読んでから、能書
き言わないと笑われるよと言われる。
そして、『52』に、
 ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を
勧告しなさい。もし、その町がそれを受託し城門を開くならば、そ
の全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。
 しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。
 あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、
 あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。
 ただし、女、子供、
 家畜、および町にあるものすべて
 あなたのぶんどりり品として奪い取ることができる。
    ・・と、キリスト教の聖書の卑劣な事を教える記述がある。
すると、『53』にキリスト教の聖職者と思しき発言が「それから」
と、相手を馬鹿にした言い方をして来る。
☆そして、『54』に「最低5回は読みなさい」・・と。
☆そして、『55』に、新しいキリスト教の問題点の指摘に移る記述が・・、
 知り合いの教会は、聖書を家に持ち帰らないこととしている。
 なぜか・・・?        ・・と。
すると、キリスト教聖職者と思しき人が、『56』なら、個々で買え
ばいーじゃんとおちょくる。
そしてさらに、『57』で、新改訳はダメよと混ぜ返す。
そしてさらにさらに、『58』で、わたしもあまり読まない。なんで
新解約ダメ?とくる。
☆そこで、『59』で
   残念! 正解者はいません。
   ヒント: 家に持ち帰ると良くないことが起きるからです。
   なぜでしょうか・・・?    ・・と、説明する。
すると、『60』で、手のひらを返したように
 あるURLを表示して、これを見てくれ、かなりひどい。この悪事
をクリスチャンに広めてくれ。話しを戻し俺は旧約聖書は読んでな
い。クリスチャンでもイエズス誕生以降から読む人多いよね。・・
と、本音らしいことが聞こえた。(つづく)
 .
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
     http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2013年11月19日火曜日

愛敵・・・。

 題:愛敵・・・。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 日本には、誇るべき美談が色々ある。
 例えば、その1例として、「敵へ塩を送った話」、
 これは「愛敵の精神」である。
 日本では、軽く、戦国時代の美談の一つくらいに一般的
に、軽く、話されているが、
 困っている敵を、更に困らす・・というのではなく、
 戦いは戦いとして、困っているならば・・と、
 敵に塩を送るという話は、『本当の愛敵』である。
 本当は、もっと広まっても良い、『世界的な逸話・美談』
である。
 イエスの「汝の敵を愛せよ」という言葉があるが、
これと同種の話である。
 イエスの場合、イエスの時代の、『あまりにも悲惨な』
戦いの状況の中から出た話で、言葉で、
 その発言の背景には、バックボーンには、
 半分、あまりにも悲惨さすぎるという、
 呆(あき)れた心の存在がある。
 強く純粋な心から出た、「愛敵」の心から発した、状況
ではない。
 パレスチナの歴史が、戦いが、悲惨過ぎるのだ。
 その点、日本の「愛敵の心から、塩を送る行為に至った」
のは、
 完全に純粋に誇るべき「愛敵」なのである。
 結局、キリスト教の聖とは、どの敵にも打ち勝つ「わが
軍」を讃えるという心、そして、その宗教。
 『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、そ
の光栄は全地に満つ」である。
 この戦いに、打ち勝つ、そのことをもって、生き延び、
そして、生き残る、ことができる、という、環境の地。
 このパレスチナの地の教えは、生き残るための戦いの教
えなのだ。
 そのため、正義の戦いと教え、公正な戦いと教え、この
正義・公正を行なう正しい者として神に応答していく・応
答するなのだ。
 愛敵は微塵もない。
 生き残るのみ。
 だから、逆説的であるが、預言者・イザヤは言う。
 イザヤが、生きた南ユダ王国を鋭く批判して、
 邪悪な指導者が粛清されるべきだと。
 さもなくば、軍人、裁判官、議員などの様な指導者は、
 取り除かれ、
 秩序が破壊されるだろうと。
 婦人たちは見る影もない姿にされ、
 男たちは戦いに倒れ、
 エルサレムは荒れ、すたれるに違いないと。
 その時、強いアッシリア帝国に狙われていた。
 同盟とかとかで、国は揺れていた。
 ユダ王国の王は、敵の突然の攻撃に狼狽した。人々は恐
怖におののいた。
 愛敵どころではなかった。
 紀元前734年のことだった。
(参考)あい‐てき【愛敵】-日本国語大辞典〔名〕自分と
反対の立場にある人、争うべき人などを愛すること。*文
明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉六・一〇「今の世界
に行はるる各国の戦争と貿易との情実を尋れば、宗教愛敵
の極意より由て来りしものとは万々 ...
.
 そして、関連・脈絡のない話題を次に・・・、
.
 今、簡単に個人のプライバシーが分かってしまう怖い現
象が起きているという。
 例えば、今、簡単に顔写真などを、インターネット上に
載せることをする人も多いと思われるが、
 その顔写真から、個人を判別・識別する技術が進歩して
いることにより、欧州で、プライバシー上の問題として惹
起していることがあるという。
 そしてまた、フェイスブックが、個人名や写真の蓄積を
している事について、プライバシーの観点から批判が出て
いるという。
 フェイスブックは、2011年の頃より、投稿写真の記録を
データーベースとして蓄積しているという。
 そしてまた、1例を言えば、今、インターネット上で、
ビールのジョッキを傾ける人たちが写る集合写真があった
とし、
 まったく無関係な人が、パソコンで、その人の顔に、何
気なく、パソコンのカーソルを合わせたとする、
 すると、いきなり、その人と思われる名前が表示された
りしているという。
 この様な事は、他人から自分の写真上に、名前などのタ
グが付けられたりするという事があって起きているのだと
いう。
 そして、そのことは拒否できないという。
         (参照:読売新聞、2013・10・4)
(参考)じゃっ‐き【惹起】[名](スル)事件・問題などを
ひきおこすこと。「独立問題が民族紛争を―する」
 .
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
    http://tarousan2013.meblog.biz/

2013年11月18日月曜日

その様なことは、断じてない・・・。

 題:その様なことは、断じてない・・・。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 パレスチナの地には、預言者の出現前から、「ローエー」
という、先見者と訳されている人たちがいた。
 この人たちは、日本で言う「恐山のイタコ」の様なもの
だった。
 その「ローエー」は、歌い踊りながら、『神がかり』に
なるというものだった。
 そして、妖(あや)しげな予言をした。
 また、失せ物判断もした。
 この「ローエー(先見者)」は、後に、預言者となって
いくが、
 日本の恐山のイタコの様に、「イタコのまま」で居れば、
何の問題もなく、良かったのだが、
 次第に、神がかり度が増し、それと共に、発言力も増し、
神学的発言と共に、社会的な発言もする様になって行った。
 社会へ影響を与えて行った。
 よい影響ならよいが・・・。
 そして、ダビデの時代頃には、権力者のそばにいる『官
の預言者』が存在するようになった。
 そして、権力者への発言力も持った。
 この『官の預言者』に対し、『私の預言者』も多く居た。
 イエスも預言者であったが、『私の預言者』であった。
 そしてまた、中世のヨーロッパにも、暗黒の中世ヨーロ
ッパと言われる様に、権力者の脇にキリスト教聖職者が居
て、政治権力に口出しをしていた。
 そして、政治を牛耳っていた。
 キリスト教は、古代の、古い時代からこの様な形態があ
った。
 預言者は、単発的に出て来て、各自がそれぞれの預言を
した。
 その『神がかり』的な預言に、神からの預言を感じ、そ
の発言を信じる事から、信仰が発生して行った。
 しかし、独立に存在した預言者たち、単発的に出た預言
者たちは、ある一本の基本的宗教理念があるという訳では
なかった。
 聖書には、その一部の預言者の言葉が採録されているが、
 聖書に採録されなかった多くの預言者たちも存在した。
 つまり、その一部の預言者の言葉で聖書は成り立った。
 そこには、当然、各人各人の違いから、思想の主張点は
違った。
 また、時代の違いによる違いも存在した。
 預言者各人は、各人なりに思い、その行動をした事から、
また、各人が違う宗教性から、やむを得ない事だが、各人
が違う宗教性を求めた事から、
 統一された深い宗教性に至るといういう事は、求めがた
い状況だった(キリスト教の単発的な話の羅列の原因)。
 また、これ等、預言者たちは教団を形成した訳ではなく、
各人のスタンドプレー的な行動・思考であった事は否めな
い。
 また、イスラエルは、小国であったため、常に、周辺の
大国に圧迫を受けて居た。
 紀元前8世紀頃に、ホセアという、キリスト教聖書に登
場する預言者が居た。
 この頃の王に、才覚があったため、国は、幸いな事に、
繁栄を誇っていた。
 しかし、対外政策は絶えず動揺し、政治的混乱に加え、
国民の風紀は乱れて居た。
 聖なる所とされる聖所には、神殿娼婦が居た。
 更に、祭儀も、不道徳な性的な祭儀を行なって居た。
 ヤハウェ神は、その様な不埒な所に祀(まつ)られて居
た。
 祭司は、この様な目を覆(おお)う宗教儀式に明け暮れ
た。
 ホセアは、この様な時代に現れた預言者だった。
 キリスト教聖書の「ホセア書」を読むと、ホセアの妻も、
この世の中の乱れ様に、乱れた女性だった。
 何ら、「ためになる話」ではないが、キリスト教の聖書
の記述には、預言者・ホセアの妻は、最初の子こそ、ホセ
アの子を産むが、
 2番目の子や、3番目の子は、ホセアの子では無かった。
 この不義を働いた妻の名は、ゴメルというが、姦淫の罪
を犯した事が原因して、ホセアから愛想を付かされた。
 ホセアが、奴隷市場に売ったのか?
 元妻・ゴメルは、奴隷に身を落とした。
 そして更に、底辺をうろつく生活となり、神殿娼婦に転
落した。
 ゴメルも、ゴメルだが、ホセアも酷(ひど)い事をする
ものである。
 この様な話の、キリスト教の聖書の記述を、いくら読ん
でも、何のためにもならない。
 因(ちな)みに、モーゼの十戒も、「姦淫するな」「盗
むな」「殺すな」・・などと、酷(ひど)い事を言ってい
るが、
 その様に言われる様な民だった。
 『選民』など言われる様な、民のレベルではなかった。
 まったく馬鹿馬鹿しい話である。
 この様な、レベルの低い話の中に、キリスト教聖書は、
存在している。
 因(ちな)みに、ホセアは、金で、ゴメルを買い戻した。
 キリスト教の聖書は、「この様な時は買い戻すのですよ」
と教えているのだろうが、何の参考にもならないキリスト
教聖書の記述となっている。
 あまりにも、キリスト教聖書の教えるポイントのレベル
が低いのに呆(あき)れ、驚かされる。
 果たして、この様なキリスト教の聖書を読んで、皆様が
幸せになれるのだろうか?
 また、人類が救われるのだろうか?
 その様なことは断じてない。
.
     (詳しくは、以下のブログへ)
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2013年11月17日日曜日

所詮、人間は性悪なのだと洗脳する本。

 題:所詮、人間は性悪なのだと洗脳する本。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教聖書は、
 ヨルダン側の東に居る部族と、
 ヨルダン川をはさんでヨルダン側の西に居る部族と、
 その更に西に居る、海に面した海岸沿に居る部族(ぺリ
シテ人)の3つの部族の戦いに明け暮れる物語である。
 この様に、ほんの一部地域の、所詮、スケールの極端に
小さい話なのです。
 日本の戦国時代の、ごく一部の地域に限定した様な物語
の話しに過ぎないのです。
 それを、キリスト教が、得意なプロパガンダ(嘘宣伝)
で、古代の大言壮語の話にでっち上げて、アッピールし、
捻じ曲げて、世界的なホラ話に仕上げているだけです。
 欲にまみれて、自分の民族のみが生き残ればと、欲の戦
いに明け暮れて、国境線は、ガラガラと変わった。
 支配者の首のすげ替えも多く、戦いに負けた戦勝だけが
祈られた神も、負ければ捨てられ、多くの神が捨てられた
歴史と世界だった。
 所詮は、戦いの神の運命だった。
 美しく、世界の民の幸せを祈る神という神だと嘘宣伝さ
れるが、それと、ほど遠いも、ほど遠い過ぎる、これっぽ
ちも、その様な影も、形も、見れない神だった。
 能力及び考えにもよるが、支配者はくるくると変わった。
 その住民もびっくりするくらい、ガラガラと変わった。
 キリスト教が美しく、系図などで命脈を語るが、眉唾も
のの世界だった。
 民はさ迷いの運命に波打った。今日はエジプトへ・・明
日は?
 今・現代、数十年前から、ユダヤの民が居るが・・。
 今の、そのちょっと前は、今の状況が現出するとは誰も
が予想もできない状況だった。
 今の時代でも、そうなのである。
 そして、このパレスチナの話は、醜い父子の怨(うら)
み、辛見(つらみ)、
 ダビデ親子も、そう、騙し合い、ごまかし合いの世界で
あった。
 日本の様な、川中島をはさんだ美しい上杉・武田の話と
はまったく違う。
 日本の様な、塩を送ったなどとの話は、これッぽッちも
出て来ない。
 ダビデ王が、女性の入浴をのぞき見し、強引に我が者に
し、懐妊したと見ると、その女性の夫を戦場の最前線に行
かせ、戦死させ、そして、ダビデのその様な女性関係の乱
れから、家族関係が乱れ、自分の子に追われ殺し合うとい
うダビデ話をはじめ、キリスト教聖書は汚ない話に満ち満
ちる。
 キリスト教聖書、何で、こんな話に満ちているのか、こ
んな聖書、いくら読んでもためにならない。無益なのだ。
 所詮、教えているのは、人間は性悪だという本なのだ。
.
 そして、ミスマッチな次の話題。
.
 アメリカは、所得の再配分がうまくいっていない。
 アメリカは、「教育や医療、福祉制度において、特に、
より所得の低い方々へ、より所得が多い方々から再配分す
る」というシステムが、政策が、うまくいかなくなった社
会となっている。所得の再配分も行なわれなくなった。
 クリスマスの飾り付けされたショーウィンドウのかたわ
らで、雪降る寒い町の中で、物乞いをする老人。
 今日の食事は食べられたのであろうか?
 この様な形でしか、再配分が行われないのだろうか?
 より富むものが、この様な形でしか、弱者への再配分が
できないアメリカ社会なのだろうか?
 アメリカと共に、豊かになろう、なりたいと、結んだ条
約で、
 その結果、アメリカの強力な、安価な物品に負けた、メ
キシコ農家は、
 みるみる力を失い、
 人々は次々と失業した。
 アメリカの富める者は、より一層、富んだ。
 失業した労働者は、貧困層に転がり落ちた。
 今の社会は、ありがたい事に、一部のエリート層で事足
りる性質を持っている。
 大多数の方々を貧困層にしてしまうシステムが、機構が
あるという社会なのだ。
 再配分が上手く行かず、一部のエリート層のみが、社会
を、大手振って歩き、
 貧困の方たちが、片隅に追いやられる、社会なのだ。
 独占禁止法ではないが、強いから良いでは駄目なのだ。
 社会に不都合が出来てしまうのだ、してしまっているの
だ。
 TPPはこの様な条約なのだ。
.
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