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2014年9月18日木曜日

今、キリスト教は、新たな宗教弾圧者に、なろうとしている。

 題:今、キリスト教は、新たな宗教弾圧者に、なろうとしている。
 (長崎のキリスト教関連の世界遺産登録は、嘘を作ろうとしている)
...(真を求めて 皆様ととともに幸せになりたい)
.
 日本人は、本当に、温厚な民族だ・・、
 その1例・・、
 キリスト教の日本の禁教の歴史の中で・・、
 江戸幕府は、そう厳しい取り締まりをした訳では無かっ
た。
 それが、ヨーロッパ社会と同じ様な取り締まりが、日本
で行なわれたと・・錯覚されている・・錯覚させられてい
る。
 この主な原因者は、キリスト教とNHKである。
 この錯覚があるとキリスト教には都合がいいのである。
 厳しい取り締まりのあった中を、信仰を守ったとしたい
のである。
 キリスト教は、その様な嘘宣伝・プロパガンダを盛んに
している。
 また、キリスト教の偏するNHKも、ひたすら「キリス
ト教は、虐(しいた)げられた」という嘘番組を放送し続
けている。
 キリスト教禁教例以後、1600年代の半ば以降、徳川時代
のごく初期から、事実上、徳川幕府は、キリスト教取り締
まりからノータッチとなった。
 そして、幕府の『信仰の黙認』もなされている。
 研究論文に、「17世紀半ば以降は、信仰が事実上黙認さ
れていた」とある。
 この事実を知らないNHKは、キリスト教が弾圧を受け
続いたと放送し、明治になってキリスト教が自由になった
という歴史観で、間違った歴史観で、キリスト教に偏する
放送をし続けている。
 「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産登録
申請も、この歴史観から申請しようとしている。間違いで
ある。
 その申請主旨の、「弾圧の中、信仰を忘れず、カトリッ
クに復帰した」というのは嘘である。はっきりした嘘であ
り、デッチアゲである。
 2016年の世界遺産登録を目指すと言うが、嘘・デッチ
アゲで登録を目指すというのは恥ずかしくないのか?と言
いたい。
 長崎県平戸市生月島(いきつきしま)の方々が、明治に
信仰が認められた時でも、カトリックにはならなかった。
 それは、信徒の長老の言葉でその理由が分かる・・、
 「(カトリックの人から)一緒にならんかと言われたが、
元は同じでも拝み方が違う。先祖の教えは絶やせない」・・
である。
 もう、今の状態は、キリスト教から程遠い、仏教や神道
などと習合して、キリスト教とは別の、キリスト教と異質
な宗教に・・変容しているのである。
 キリスト教だって、節操無く色々な宗教と習合し、また
集合するという・・習合のごちゃまぜの宗教であるという
ことを忘れないで戴きたい。天使だって、他の宗教からの
拝借品、借り物・・、その他にも、たくさんあります。
 この九州の長崎県平戸市生月島の方々の宗教は、キリス
ト教では、「最早(もはや)、ない」のである。
 このキリスト教と別な宗教に変容した宗教も尊重して差
し上げなければならない。
 それを、キリスト教は必死に戻そうとしているが、新た
な『宗教の改宗の弾圧になる』ということを、キリスト教
は知らねばならない、悟(さと)らねばならない。
 今、キリスト教は、新たな『宗教弾圧者』に、なろうと
している。世界遺産登録は無理である。
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魔女による大量殺戮は、ローマ法王の指令で始まった。

 題:魔女による大量殺戮は、ローマ法王の指令で始まった。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 1484年、ローマ法王のインノケンティウス8世が・・、
 回勅(指令)で・・、
 魔女の逮捕と裁判を・・、
 異端審問として行うことを・・正当だとした。
 この卑劣なキリスト教の悪行為は、300年にもおよぶ期
間も続いた。
 これまで、キリスト教は、何だかんだと、敵対するもの
を「異端だ」として、この異端審問所で、死刑にして来た
が、この魔女も、ローマ法王・教皇の、この『おふれ』で、
悲惨な歴史が始まった。
 この異端審問所は、魔女裁判所ともなった。
 殺戮の輪転機は、魔女でも回り始めた。
 そして、多くの女性が、魔女として、焚刑で焼き殺され
た。
 この悪行為は、長い魔女殺戮の歴史は、続き、15世紀末
には、最盛期に達し・・、
 教会に行かないというだけで・・焚刑にされた。
 また、植民地の原住民の方々まで・・魔女として焼かれ
た、弾圧である。
 主に、カトリックが行ったが、プロテスタントもやり出
し、キリスト教は・・どの宗派もやった。
 魔女の、財産没収が目当ての・・悪行為だった。
 キリスト教は・・資金を欲しがった。
 この魔女殺戮は・・18世紀の半ばまでの長い期間・・続
く、長い卑劣な殺戮の歴史が・・刻まれた。
 しかし、キリスト教は、今・現在でも・・この悪行為を
どどこ吹く風として言う・・
 「キリスト教会も人間が作ったもの、間違いはある」と、
悪びれず言う始末となっている。
 それでも宗教者なのですか?・・と、怒りがわく。
 あまりにも、多くの女性の方々の命が、亡くなっている
のである。
 この方たちへの思いやりの「ひとかけら」もない。
 キリスト教は、この様な宗教なのだ。
 きれい事は言っているが・・、
 キリスト教が・・家族へ言う、「体の中の悪魔を火によ
って追い出すのだ」・・と、非科学的極まりない・・
 この非科学的なやり方 極まりもないものを、キリスト
教は、逆に、「慈悲深い科学的方法だ」と言う。
 非科学的なところが、次々と出て来る宗教が、何をかい
わんやである。本当に怒りが涌く。
 今・現代でも、キリスト教は、悔い改めていない。
 キリスト教は、処刑を「見せしめ」にもするという非人
道的なやり方をした。
 そして、薪の代金までの一切合財(いっさいがっさい)
を被害者家族に請求した。
 そして、キリスト教は、この非人道的行為を、日本の徳
川幕府もしたと、自分の極悪行為を棚に上げて、徳川幕府
になすりつける事をする。
 日本は焚刑ではないのに、キリスト教は同じだと嘘を言
う。
 また、日本の場合、本人でなくても、本人以外の人、家
族とか知り合いでも・・「止めた」と「ひとこと」言えば
許された。
 徳川幕府は、穏便に事をおさめたかった。
 踏み絵にしても、キリスト教は、ひたすら・・仕切りに
厳しくプロパガンダ(嘘宣伝)するが・・、事実は違った。
 そして、刑場の柵も・・一部が開けてあり・・、逃げた
い者は・・逃げられる様にしていた。
 あまりにも・・キリスト教が、ヨーロッパでやった事が
酷(ひど)いので、
 また、キリスト教の嘘宣伝もあり、同じ様な事が、日本
でもなされたのだと・・錯覚され・・誤解されているが、
 日本人のやった事は・・穏やかだったのだ。
 人数も、ヨーロッパに比較にならないくらいの少人数だ。
 期間も、1650年までの・・ほんの徳川時代の初期だけの
事だった。
 これもキリスト教は嘘ばかり言う・・、
 ヨーロッパ中の空が・・魔女を焼く煙で・・けむったと
・・言われているぐらいであるのに・・、日本は、その様
なひどい事はまったくと言っていいほど・・していない。
 キリスト教は、ひたすら酷(ひど)く・・日本の事を言
う・・、子供まで焼いたと言う。
 これは嘘である・・逆である。
 キリスト教は・・「殉教だ」、「殉教だ」と殉教を美化
して・・キリスト教徒の方々を洗脳した。
 その為、子供連れで出頭して来る人も現れるという状態
だった。
 キリスト教は、本当に嘘ばかり言う。
 キリスト教の魔女裁判での殺戮は、約300年にも及ぶと
いう長い期間・・執拗(しつよう)に、陰湿に行なったが、
 そして、キリスト教は、日本でも、明治になって禁教令
で解かれるまで、日本でも行われたというが・・、これも
真っ赤なウソ、
 ほんの徳川時代初期の・・一時期だけなのである。
 キリスト教は、助産婦の方々もターゲットにした。
 キリスト教の財源であった医療関係の競争相手であった
助産婦の方々を・・この魔女で、殺戮した。
 当時、医療技術が端緒に付いた頃で・・、キリスト教は
財源と権威を求めて、この大学の医療と関係を持った。
 その時、この助産婦の方々が邪魔となった・・、
 当時、ヨーロッパの助産婦の方々は、家庭医の役もして
おり、薬草学にも秀でており、この助産婦の方々が、夜、
薬草を煎じる姿が・・魔女とされた。
 西洋には、東洋の漢方の様な薬草学のノウハウがあった。
 しかし、キリスト教のこの弾圧で、西洋の薬草学は滅び
た。大きな人類の損失である。
 キリスト教に偏するNHKは、キリスト教の代弁者の如
く、殉教の酷い日本だの嘘放送を、繰り返しした。
 このNHKの放送も、真の姿を捻じ曲げて、日本の方々
に印象付け、NHKが、嘘の原因者となっている。
 公正ではない、キリスト教に偏するNHKである。
.
 (参考)かい‐ちょく【回勅】 ローマ‐カトリック教会で、
   教皇が全教会の司教または信者にあてて、教会全体
   の重要問題について書き送るラテン語の手紙。回章。
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「日本にも原人がいた」は、捏造だと判明しました。

 題:「日本にも原人がいた」は、捏造だと判明しました。
.
 昨日(2014・9・17)に、本ブログに記載させていただ
きました「日本にも・・原人がいた」は、捏造だと判明し
ました。
 参考として、下記のURLをご覧ください。
 誠に申し訳ございませんでした。
http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/scramble/scramble2003/20030814.html
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/kyuusekki.html

2014年9月17日水曜日

日本にも・・原人がいた。

 題:日本にも・・原人がいた。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 日本にも・・原人がいた。
 驚くべき事実・・である。
 「北京原人」や、「ジャワ原人」に、匹敵する原人であ
る。
 いや、それ以上の、歴史を遡(さかのぼ)る原人なので
ある。
 この日本の原人は、「上高森原人」と言う。
 この上高森原人は、1993年(平成5年)の発見にその端
緒(たんちょ)がある。
 1993年に発見された場所は、仙台市の北にある古川市
近くの築舘(つきだて)という町で発見された。
 約50万年前と判定された石器が、45点発見された。
 この遺跡は、「高森遺跡」と言われたが・・、
 それから1年後の1994年に・・、
 同じ築舘町の上高森遺跡から、およそ60万年前と見られ
る地層から、火に焼かれた跡がある石器、10数点が発見さ
れた。
 先の発見より・・さらに10万年さかのぼる発見であった。
 しかし、更に後に、土中から環状に石器を並べた埋納遺
構(まいのういこう)が発見され、やはり60万年前のもの
と判定された。
 そして更に、1998年には、上高森遺跡で、10センチメ
ートル深い所に埋まっていた13個の石器に、年数判定で、
約78万年前まで・・さらに遡(さかのぼ)る事が出来るの
ではないかと言われる遺跡が発見されている。
 時代区分では、「旧石器時代の前期」に相当する。
 因(ちな)みに、日本列島は火山灰地で酸性の為、人骨
は、破片程度でも見つかるのも極めてまれという状況。
 当然、石器の発掘と検証に依存する事になる。
 また因みに、縄文時代の草創期は、今から12000年前の
紀元前1万年である。
 先石器時代が日本にあるとは言われていたが・・その年
代が判明してきた。
 アフリカの東側に南北に連なる山脈のふもとの原に・・、
 樹上で生活をしていた人類の祖先が・・、
 その原に降りた所から・・
 人類の発生の歴史は・・始まったと言われている。
 その山脈が、人類のその祖先を・・外敵から守ったのが、
樹上生活から降りて・・原での生活を可能にしたという。
 人類の祖先は、その原での生活の中で・・立つ生活をす
るようになり、脳の発達が促(うなが)された。
 やがて、人類のその祖先は・・、その地から世界へと広
まって行った。
 かつて、日本には・・原人は居ないと言われていたが、
 この度の発見で、その人類の祖先は、日本にも達してい
たのだ。
 大陸と陸続きであったためであろう。
 日本の原人の最古が、78万年前まで遡(さかのぼ)った
が・・、
 北京原人やジャワ原人は、その日本の原人の後、約20万
年の後となっている。
 人類は生活を求めて、世界を移動していた。
 そして、このアジアの地で発見された原人の最古の原人
が・・日本に居たのだ。
 縄文人が紀元前1万年前であるので、この日本の原人と
の繋(つな)がりは無いとは考えられる。
 それにしても・・日本史は、一気に、78万年前まで遡
(さかのぼ)って語らねばならないという歴史となった。
 また、その歴史を持った民族となった。
 古い歴史を持った民族という・・、
 その重い歴史と共にある日本を・・、
 その地に居るという・・『誇りを持とう』。
 日本は、先住民を殺してできた国ではない、また、原人
がいるという重い歴史がある国なのだ。
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2014年9月16日火曜日

それが・・キリスト教の神の知識・・、

 題:それが・・キリスト教の神の知識・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 土星の衛星のタイタンは・・、
 メタンが、液体で存在するという環境にある。
 しかも、そのタイタンの・・その液体の・・
 対流や、流動が・・関係して・・、
 有機体のソリンが・・存在している。
 そのソリンは・・、地球上の常態では・・存在できない
もの。
 そしてまた、そのソリンは・・、地球の実験室の試験管
内では・・存在させることができるもの。存在は確認され
ている・・、
 その様なソリンが・・、タイタン上では・・有機体とし
ての活動をしている。
 ここに・・生物の存在が・・考えられている。
 キリスト教の神にも・・この様なこと・・、
 キリスト教の神にも・・想像できないことが・・起き・・、
 また、キリスト教の神が・・想像できない生物なのだ。
 聖書を読めばわかるが・・
 キリスト教の神は、地球以外の星で、メタンという液体
から有機体が出来ているという事実を・・全く知ってはい
ない。
 これは、最新の・・知り得た人類の・・知識なのだ・・
ボイジャーと言う宇宙探査機の・・成果なのだ。
 当然、キリスト教の聖書には、まったく、書いてない。
 この様な概念の領域に・・キリスト教聖書の概念が、お
よんでいない・・まったく・・、
 悲しいかな・・、宇宙の想像をしたキリスト教の神は、
古代の地球上での肉眼で・・知り得た事しか・・書かれて
いない・・
 その記されている事が、またまた、悲しい事だが・・、
 その記載のほとんどが・・地球上の事ごとしかないのだ。
 地球上で知り得た、ごく限られた知識でしか・・書かれ
ていない・・、それも古代人の想像で・・、
 それが・・キリスト教の神の知識。
 キリスト教の神の存在は、地球上の誇大に作られた想像
概念が、明らかに、今・現代においても、そのまま話され
ていると言う状況になっていて、その様なものを読んで・・
宗教が成り立っているに・・過ぎない。
 それでなくても・・科学的に、まったく駄目と言われて
来た宗教が、科学が進めば進むほど・・その醜態(しゅう
たい)を更に、さらけ出すという宗教。
 人類に悪結果を及ぼさないならば・・そのまま、好きな
様にしていなさいと・・言っていて良いのだが・・、
 人類に及ぼす悪影響が・・非常に大きく、多い宗教。
 その存在は・・否定されなくてはならない。
 「キリスト教の性悪説」・・これで何人の方々が心を病
んだ事だろう・・これも科学的に立証されている。
 また、選民思想によって、何人の人々が殺されて来たの
か・・、
 そして、その害を人類に与えて、
 その人々を・・救済せねばならない。
 また、貴重な人材が、貴重な人々が、貴重な人生が、そ
の多くの価値あるものが、まったく無駄に浪費されてもい
る。
 この莫大な人類の損失を無くさねばならない。
 キリスト教聖書の僅かな記述に何と多くの貴重な優秀な
人材の人生がつぎ込まれたことか・・、
 とうの昔に研究余地が無くなっているものに・・、
 この様な無駄も含めて人類へ及ぼす損失は計り知れない。
.
 そして、次の話。
.
 キリスト教は、「声が聞こえた」とか、「姿が見えた」
とかという話が、あまりにも多い宗教。
 これは、はっきり言って・・『幻聴』と『幻視』だ。
 そして、この話を宗教的に、無理に意味付けし・・、
 美化して、信徒の方たちを操(あやつ)り・・、
 そして、繰(く)っているから・・始末に悪い・・、
 『幻聴』であり、『幻視』であるものを・・、
 この状態は、疲れたときとか、追い込まれたりしたとき
に出る状況、身体や心が、追い込まれたり、疲れたりして
出ているだけなのだ。
 つまり、不健全・不健康な状態なのである。
 これを・・キリスト教は・・逆に、美化し、もてはやす
から、まことに不埒(ふらち)で・・不健康・・、
 そして、この様な状態を悪い状態と見ないから問題も起
きる。
 『幻視』を・・、
 聖霊を見たとか、妖精を見たとか、そして、挙句の果て
は、キリスト教信仰が深いからとか、良くなっているから
とかと・・誉(ほ)めたり、讃(たた)えたりと・・、
 まったく不健康な状態を美化する・・
 『神の声が聞こえた』は、その様なマインド・コントロ
ールされた人々には、神がかり的に聞こえて・・、
 キリスト教のその様な状況は・・その様に受け取られる
のが都合がよいだけなのだ・・信徒の方々にとっては、当
然、良くないことなのだ・・
..
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2014年9月14日日曜日

さも正しいことを言っている風に装(よそお)って・・

 題:さも正しいことを言っている風に装(よそお)って・・
   現代社会に・・訴えるものはない・・不可能・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 東京大学を卒業し・・東京工業大学の教授をした・・、
 八木誠一氏は・・、
 「キリスト教研究が進み、その研究が細部に至って来れ
ばくるほど・・、
 イエス像の再構成の見通しは(むずかしく)暗くなって
来る」・・と言う。
 今、イエスは本当に居たのか?・と、言われている・・、
 イエスの実在性さえ『立証できない』ことになっている。
 古代の・・、
 歴史のある一時期、キリスト教の組織が・・、
 事もあろうに・・、
 良かれと思ったのだろう・・、
 宗教的に不利になるからと・・、
 キリスト教の文献を廃棄するという馬鹿な、破廉恥な行
動をやった。焼却処分・・、
 結果、イエスの実在性の証明さえ出来ないということに
なってしまった、イエスの存在の立証が出来ないという自
体に、陥(おちい)ってしまった。
 また、氏は、「史的に再建されたイエス像は、たかだか
蓋然(がいぜん)的妥当性の域を出ない」・・と、
 その歴史的な存在・史的なイエスの実在があやふやだと
伝える。
 そして、イエス像の再建は無理なことと言っている。
 また、氏は、「イエスの思想は新約思想の部分であり、
全部では無い」と衝撃的な事を説明する。
 イエスの事を書いたのが新約聖書の福音書などだという
キリスト教の論理は成立しない。
 新約のイエスは作られた。創作(作ったもの)の新約と
・・。
 また、氏は、「イエスの思想を規範とするのなら、原始
キリスト教団の思想(神学)の多くは・・切り捨ててしま
わなくてはならない」と言う。
 つまり、イエスの思想(神学)と、原始キリスト教団と
は対立していると、その多く点が違っている・・という。
 (同一のものだと言う方がおかしい)と言っている。
 また、氏は、「イエスの思想(神学)は、神学的にその
根拠が明白ではない」という。
 ここは大切な点だ。つまり、イエスの思想は、『神学的
に不明確だ』と糾弾された。神学的におかしい?・・と。
 イエスは、神だとされて・・、
 実在したとされて・・、、
 実在したのだから、その言葉があるのだとされて・・、
 しかし、最後に、カウンターパンチの如くの『決定的ダ
メージ』を食らう。
 ノックアウトという状態・・の話に至った。
 肝心の、そのイエスの神学がおかしいと・・、
 イエスが行ったという言葉の・・その思想(神学)が、
神学的に駄目だと・・最終的駄目出しのハンコウを押され
てしまった。
 そして、氏は、「イエスが人々へ訴えかけ、問いかけて
いるとされているが、その古代の人々を越えて現代の人々
にも訴えかけて来なければならないのだが、イエス中心主
義には、その様なことは不可能である」・・と。
 原始キリスト教団の神学に由来する、その教団の流れの
神学を、イエス中心主義は、批判さえした・・と。
 ここがキリスト教の神学的な弱点になっていると・・、
 また、哲学的な弱点になっている・・と。
 このイエスの思想(神学)と、キリスト中心主義的神学
の流れの三位一体神の神学的・哲学的な存在が、対立して
いる結果となっている・・と。
 つまり、イエスの思想(神学)は、今・現代のキリスト
教神学と対立している・・と。
 キリスト教が、新約の世界になった、『イエスなのだ』
となったとしているが・・、
 逆から見て言えば、そのイエスの思想(神学)とキリス
ト教神学(キリスト中心主義的神学)の対立は、その中心
に居ると思われているイエスの存在が逆に、大きな齟齬(
そご・間違い)を与え、足を引っ張っているというのだ。

 (参考)がい‐ぜん【蓋然】 たぶんそうであろうと考え
   られること。ある程度確実であること。⇔必然。
 (参考)そう‐さく【創作】 [名](スル) 1 文学・絵画
   などの芸術をつくり出すこと。また、その作品。「
   物語を―する」「―舞踊」 2 つくりごと。うそ。「
   そん...
.
 そして、次の話・・、
.
 キリスト教の聖書は、神から与えられたもの・・??、
 可哀想な事に・・この言葉に、キリスト教の聖職者の方
々が・・自信が持てなくなって来ている。
 神から与えられて来たので・・無謬(むびゅう)だ、爪
の先ほども間違いはないのだ・・と、言って来た・・が?
 ・・が、さすがに、今は、その様にも言えなくなった。
 その様な状況にある・・現状において・・、
 キリスト教聖職者が言い出した事は・・、
 「精神を理解していればいいのだ」・・と、苦し紛(ま
ぎ)れに言う・・、「その精神を理解して行けばいいのだ」
・・と・・、果たして・・その様な状況で、続ける意味が
ありますか??
 聖職者の方々は、苦し紛れに、その様に言われますが・・、
 それを信じる・・キリスト教徒の方々が・・可哀想・・、
 キリスト教聖職者が・・『信じるべきではない』と思っ
ていることを・・精神を学べばいいのさ・・と言う・・、
 その精神も間違っているのです・・、
 苦し紛れに・・『反面教師としている』と言った人もい
た・・、
 反面教師として・・信じられるのか??・・と、思った
が・・可哀想なので言えなかった・・、
 しかし・・しかし・・その精神を学べばいいと言ってい
る「その精神を学ぶべきものが間違っている」ということ
・・。
 その点を、気付いているのか? 気付いていないのか?
 例えば、間違っている地図を見せられて、精神を学ぶの
だと言ったって、「あれれ!泥沼に填(は)まっちゃった」
では、もう遅いのです。地図が・・??・・なのです・・、
 間違っている宗教において、その精神を学べという言い
方は、論理的におかしいのです。
 精神を学ぶと言って、やっている聖職者は、結局は、勝
手な聖職者の個人的な、勝手な読み方、理解をしていると
いうこと。まともに理解して言うと大変なことになるから
・・と・・
 正しくも無い地図から、個人が勝手に推察して、探し、
漂(ただよ)って、航海している様なもの・・。
 どこへたどり着くか分からない・・未知の世界を漂って
行くだけ・・
 それを、個人が推察して作ったものを、純真な子供や、
青年や、キリスト教徒の方たちへ・・、
 結果的に、惑わすことをする、している。
 キリスト教聖職者の、御自分の宗教を押し付けているこ
とになっている・・、
 さも正しいことを言っている風に装(よそお)って・・
..
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