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2014年5月23日金曜日

ラスコーリニコフは・・・、

 題:ラスコーリニコフは・・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教には・・、
 「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅しても良い」
という教え・考え方がある。
 (キリスト教の)神の義という正義があればという免罪
符を得て、その義を得ていれば、人を誅する事も正義なの
だという教え・考え方である。
 非常に独善的で、勝手な教義・教えである。
 キリスト教、および、キリスト教徒には、その逆を、少
しでも考えてみなさいと言いたい。
 される身となって、される側の事を思ってみなさいと言
いたい。
 しかし、歴史は、その様なことは微塵もなかった。
 卑劣な、キリスト教側の蛮行・行為が、歴史に連綿と続
いて存在している。唾棄すべき歴史の事実だ。
 これは、『キリスト教は神を敬いながらも、神の中へ、
神の義の中へ逃げ込んでいる』と、言える。
 神を悪の権化としている。
 キリスト教の神へ『罪をなすり付けている』。
 神の義があればとか、または、神の義があるから・・と、
相手を勝手に不正義な人にして、その人を誅しても良いと
するキリスト教は、キリスト教の教義ゆえに、自分を悪だ
と考えていないし、考えられないし、その様な立場にもな
れなし、不感症な人間に洗脳され、作られて来ている。
 キリスト教の教義・考え方・教えには、この悪の教えが
あり、キリスト教は『罪悪の宗教である』と言える。
 次世代に残してはいけない宗教である。
 神の義を感じた「罪と罰」のラスコーリニコフ・主人公
は、高利貸しのばあさんを殺すのを正義とした。その様に
感じた。高利貸しだし・・、
 また、その神の正義に逃げ込んで、高利貸しとは言え、
また、人生を生き通して来た老人とは言え、まだ、温かい
血が流れているばあさんを、ラスコーリニコフは殺した。
 キリスト教という宗教は、この行為を、キリスト教の神
の義があればという錯覚を与え『是だ』としている宗教。
 この様な考え方で、歴史に、キリスト教の悪行はごまん
と一杯ある。悪の宗教だと言える。
 そこには、ばあさん側に立っての理解が、皆無だった。
 キリスト教はその様な宗教なのだ。自分側の神の義の思
考ばかりの宗教なのだ。神が主体だからだ・・、常に・・、
 ばあさんは、もし、ばあさんに問うたとき、ばあさんは
「そうだね、そうしていいよ、キリスト教の神の義がある
からね、殺しておくれ」・・とでも言うと思うのか? 
 言う訳がない。また、是とする理由もない。
 ばあさん側への配慮、優しさが、まったく無い宗教。
 キリスト教の神を主体として考える宗教だから故、相手
側に立てないという思考の弱点・欠点を持っている宗教な
のだ。まったく不完全さを形成している宗教だ。
 キリスト教は、この様な宗教なのだ。次世代に残しては
いけない宗教だ。
 ラスコーリニコフの小説を書いたドストエフスキーは、
罰を受けてシベリア送りとなった。体制に抗したという理
由から。
 その時、ドストエフスキーは、考えただろう、このロシ
アの判決は、判断は正しい・・と。
 やはり、神の義に逃げ込んで人を殺す様などんな理由も
存在しないし、正義の理由もない・・と。
 キリスト教は、神を敬うと言いながら、結局、神のせい
にして、神に罪をおっかぶせて、悪さをするという宗教。
 故に、キリスト教の歴史には悪行が連綿と続いている。
 その歴史が証明している。次世代には残していけない宗
教なのだ。キリスト教は、社会に残さない行為が正しい。
 ドストエフスキーが最後に至ったのが、万民への思いや
りを配する佛の教えと同じ境地に至った。
 佛教の菩薩は、佛教の菩薩界は、一人でも救えない人が
居たならば佛になれない、佛にならないという、佛の一歩
手前のステージ・段階であるが・・、
 その定義、故に、世の救われない人々は、皆、救いきっ
てこそ佛になれるとする。
 逆に言えば、世の人々は皆、佛に至る手前の菩薩に救わ
れきっていく、故に、菩薩に一人残らず救われて行く、救
われない人は居ないとする。皆が皆、救われるとなる。こ
れが、佛の教えの一端。 
.
(追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
れた方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
 止めずに、相変わらず、続けています、
 これが目的なのですと言う如くに、
 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2014年5月21日水曜日

『混住』の・・跡(あと)が・・、

 題:『混住』の・・跡(あと)が・・、
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
 当然のことだが・・、
 あらゆる面で、科学は進歩している・・
 その科学からは・・あらゆる・・新しい知見が・・得ら
れている。
 宗教学もしかり・・、
 明治時代の曙光の頃の人、キリスト教の新島襄も・・ま
だまだ・・キリスト教の本質が解からない、知らない時に
・・生きた人だった。
 その新島襄を・・キリスト教に偏するNHKは・・美し
く伝えたが・・、
 新島襄は、キリスト教の何かが、何も分かっていなかっ
たと言える。
 ただ、当時の「あらゆる西洋文明に憧れる・・その様な
流れの中に居た人だった」と言える。
 今も、黒田官兵衛を、NHKは、美しく・・キリスト教
に偏して、美しく脚色したシナリオで、放送しているが、
まったく史実にない話を、誇大に・・美しく膨らませて、
放送している。
 考古学においても、現代は、新しい知見で満ちている。
 最近の考古学も進歩している・・
 日本の古代・・、
 縄文人が日本に居た・・が・・、
 そこへ、弥生人が日本に入って来る・・。
 渡来人の様だ・・。
 弥生人は、最初から農耕文化を持っていたようだ・・。
 弥生人は、戦う道具(武器)も・・良かった・・。
 当然の様に、進んだ武器を持った弥生人は、縄文人を征
服しながら、縄文人の生活域を奪って行った。
 関西域において、その様子が分かる・・、
 そして、名古屋地域に拡大して行った弥生人は・・、
 それより東へは進まなかった。
 その東への地は、水田稲作に適する地では無かった。
 森林地帯であったのだ。
 水田稲作に適さないその地への拡大、弥生人の東への拡
大は止まった。
 時が流れて、その地よりの東へは・・陸路ではなく・・
 海路によって、弥生人は東へ移り住んで行った。
 関東地域の・・海から1キロメートルにあるその遺跡で
見られる事は・・素晴らしい痕跡を残している。
 日本民族の誉(ほま)れとしてよい情景がある・・
 弥生人と縄文人の戦いの痕跡(こんせき)ではなく・・、
 弥生人と縄文人との混住の跡(あと)だ。
 関東のその遺跡には、稲作を行う弥生人を、森林伐採な
どをして協力する縄文人が居た。新しい知見だ。
 キリスト教の生まれた地は、異邦人を、殺し、殺され、
殺戮し合いながら、長い歴史の中で、その繰り返しの中に
ある。
 劣った精神性が、そのままの中にある・・。
 神の義という正義の教義・考え方が悪行をさせている。
 どちらにも、この教義があるならば・・、
       戦いは・・無くならない。
.
 (参考)ち‐けん【知見/智見】 1 実際に見て知ること。
   また、見聞して得た知識。「―を広める」 2 見解。
   見識。「―を異にする」 3 (智見)仏語。事物に
   対する正しい認識。また、知識によって得た見解。
   正智見。
 (参照)わが国の地理学における 「混住化」 研究の視
   点と課題 - 名古屋大学
.
 (追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
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日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
れた方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
 止めずに、相変わらず、続けています、
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 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
..
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とっくに根こそぎ破壊したのだから・・・、

 題:とっくに根こそぎ破壊したのだから・・・、
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
 アメリカ合衆国憲法は、「我々人民」で始まる。
 また、リンカーンの演説が「人民の人民による人民のた
めの統治」と演説したように、
 「人民が主体」となっている。
 これ等の人民は「アメリカ国民」を指しているのだが、
 様々な民、様々な民族(異民族も混じり合ったルツボ)
を指している。
 ある特定民族を固定しての考え方ではない。
 多民族の多文化の共存する人民を対象としている。
 多民族の多様性を認め、その多様性の存在をお互いが許
し、
 その多民族の多様性を統合し、支え、
 普遍的な理念を求め、確立し、
 政治社会を統合し、
 その統合を支える所に正義があるとし、
 そのイデオロギーを守って行く事が、正義としている。
 民族を基盤にした考え方ではないのだ。
 ましてや、ある特定の民族を基盤とする考え方では、到
底、ないのである。
 ある民族を特定した、固定的な「ナショナリズム」では
ないのである。
 少しも、ある民族集団を主体としてはいない。
 自由な市民の政府であり、理想的には、その境界観念は
ないと考えている。
 自由主義によって政治社会を捉(とら)え、
 原理を、その社会や人々の外延や境界にはないとすると
ころに置いている。
 そして、その様な人々・人民によるデモクラシー・民主
主義なのである。
 民族概念は、対象にしてないし、主体にもしていない。
 この観点から、キリスト教は、民族を主体として考える
宗教である。
 特定の民族を「神から選ばれた選民」としている。
 その選民の特定民族の幸せを追求する宗教の形態となっ
ている。
 故に、異の宗教を持つ異民族を、強烈に排除する排他の
宗教である。
 「異教徒は殺せ」の教義を持つ宗教なのである。
 キリスト教は、現代に存在してはならない概念を持つ宗
教なのである。
 ましてや、キリスト教の概念を持った政治家は出現して
はならないのである。
 因(ちなみ)に、リンカーンの「人民の概念」に、
 アメリカ国民という基盤の中に、先住民の「インディア
ンの方々」は含まれていなかった。
 リンカーンは幼少の時、目の前で祖父がインディアンに
殺された事もあり、その後、政治の実権を握るや、インデ
ィアンの方々を虐殺する行為を指令したり、
 先住民のインディアンの方々の土地を取り上げたり、
 インディアンの方々を虐(しいた)げたりした。
 また、黒人の方々を開放したというのも、彼の政治の後
期で、彼は、自由黒人をアフリカへ送る行為をしている。
 名目は、「人道的な行為」だとの言い方をしているが、
 実体は、追放(アフリカ送還)であった。
 また、アメリカは、自らの理念・考え方を絶対の正義と
し、
 その「絶対正義」ならどの様な方法によってでも、
 他国へ知らしめるのも「正義だ」とし、
 国民国家が、その権力を海外に及ぼす事は内政干渉であ
り、
 侵略とされるはずだが、
 アメリカは、内政干渉どころか自由の拡大であり、
 「無謀な権力行使」ではなく、
 「使命の実現」という。
 独善的に決められた普遍的とされる価値と、
 それを実現する政治権力の行使を正統化する。
 自分の持っている強大な権力(武力を含む)は、
 何処に従うべきかの理念が、
 空虚に空を舞う。
 他国から抑止される可能性のない「アメリカの軍事力」。
 その軍事力を持ったが故に、冷静な判断が阻害されてい
るアメリカだとも言える。
 そして、ある意味、「偽善行為をする国家」とも見れる。
 その思考の原点に、キリスト教がある。
 アメリカにはこの点が混在している。ここは排除すべき。
.
 そして、次の話・・、
 アメリカの若者・・、
 イラクに派兵された若者は・・、
 心が壊(こわ)れた・・、
 堤未果氏の著書『アメリカ弱者革命』143頁~に、
 『シャワーは目を開けたまま浴びるんだ。
 滝の様にな流れるお湯の向こうから鋭い刃物が出てきた
ときに、かわせるように・・。
 片手で体を洗いながら、もう一方の手はシャンプーの棚
に載せたリボルバー(ピストルのこと)に常に触れている。
 かかる時間は三分ってとこかな。
 地元のブルックリンに居た時には、シャワーを長く使い
過ぎるって妹たちに文句を言われてた俺がだぜ。
 シャワーから出て軍服を着ると、いったん緊張がゆるん
で、たった今、汗を洗い流したばかりの体から、どっと汗
が吹き出るんだ。
 奴らはどこにでも潜(ひそ)んでる。
 建物の影や道端の車の中、調理係になりすまして夕食の
マカロニ&チーズに毒を盛るかもしれない。
 体に手榴弾を巻き付けてるから、こっちは下手に手が出
せないよ。
 奴らと俺たちの最大の違いは何だと思う?
 それは俺たちが恐怖に支配されてるってこと。
 怖くてシャワーも普通に浴びられないし、外に出る時も
常に四方に銃を向けながらじゃないと歩けない。
 背後で物音がすると体がビクッと反応する。
 そのうち動くものは全部、敵に見えて来る。
 ビデオゲームとおんなじだよ。
 先に撃たなきゃこっちがやられる。
 ここまで来ると、もう最新式の兵器でも使って街ごと全
滅させないかぎり、自分たちはこの恐怖からは逃げられな
いと思う。
 でも、そこでハッと思い出すんだ。
 そもそも俺たちがここに来た理由、今じゃ誰も信じてな
いそのりっぱな目的をね。
 だって人間がいなくなった街に、民主主義を樹立させる
ことはできないだろう?
 あっち側に怖いものはないのかって?
 答えは「ノー」、奴らにはもう失うもんが無いからさ。
 だって俺たちがここに来て、大事そうなものは、とっく
に根こそぎ破壊したのだから・・・、
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2014年5月19日月曜日

『皆様を幸せにしたいという心』が、本当に、存在しているのだろうか?

 題:『皆様を幸せにしたいという心』が、本当に、存在しているのだろうか?
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、ユダヤ教の『正典』を・・頂戴した。
 古代の話である。
 ユダヤ教から破門されたので、『聖典』としてスタート
せざるを得ないという事情もあった。
 そして、旧約だという位置付けにするわけだが、つまり、
正典ではないと言った。
 『古い聖典』であるとした。
 当然、ユダヤ教は怒っている。
 貴方だって、同じことをされたら、怒ると思います。
 つまり、貴方の信じていることを、「古いんだよ」と言
われたら・・。
 「それは古い・・今はそんな考えではないよ」と言われ
たら。
 キリスト教には、キリスト教の理由、破門されたから、
そうやって行かなければならない事情があったのだろうが、
 破門されたくなかったところを、破門されたので、そう
した。そして、ユダヤ教の方々が信じていて「正典」とし
ているものを、古い契約だ、もう古いのだと、旧約だとし
て・・破門の憂(う)さを晴らしたという図となっている。
 そして、その旧約に対して、通用するのは新約だ、「新
約がある」とした。
 そして、イエスの刑死の時に、新たに神と契約をしたの
だとした。
 そして、その「新約聖書」には、イエスが神へ・・
 「なぜ、私をお見捨てになったのですか?」・・と叫ん
でいる。
 その事が・・記されている。
 イエスが、『神から見捨てられたと思っている時』にで
ある。
 まったく、契約という状況の必然性が薄い状況にである。
 キリスト教は、ヨーロッパの中へ、入っていく・・
 その中に於いても、節操なく、ヨーロッパ各地の、その
地場の神々と習合した。
 その地の、各地の神々を取り入れた。
 キリスト教は、『ある一つの教義』を貫いて来たのでは
ない。
 歴史と共に、また、地域の、その地域性に応じて、キリ
スト教は、他宗を、異教をあらゆる所で取り込んだ。
 イエスの母・マリアが『聖母信仰』として在るのが、こ
の影響を受けている・・1例・・。
 ローマ法王が、銃弾に撃たれ、危うく命を落としかけた
時、ローマ法王は言った・・、
 「助けてくれたのは、黒マリア様の御蔭だ」・・と。
 この黒いマリアも、ヨーロッパの地場の信仰から来てい
る。
 ローマ法王が、三位一体神の御蔭だと言わなかったとこ
ろが「どうなってるの?」と言いたいところ。
 そして、この事例の様に、強く、今、マリア信仰が根付
いている。四位一体神の話が出て来るのではないかと思わ
せるところ・・。
 この例の様に、キリスト教は、時の経過の中に、あらゆ
る他の宗教を、異教を取り込むんでいる。
 イエスの母・マリアに絡んで言うと、処女の教義も発端
は「ただ、単なる翻訳ミス」という。
 この話は有名だが、処女と訳すべきではなかったが、こ
の処女から・・色々な話、及び、キリスト教の教義が出来
てしまって、もう、元に戻れないということに・・なって
いる。キリスト教の本来と違ったところに住んでいる状態。
 「処女受胎」という、キリスト教本流にない話も、また、
新たに生まれる。
 そして、天使が、マリアの所に来るという話も出来上が
る。
 実は、この天使も、キリスト教は他宗から、異教から頂
戴した。
 天使は、もともとはキリスト教になかった。
 今は、この他宗から戴いた異教の天使も、『神に限りな
く近い天使』という天使が、キリスト教には生まれ、現れ
ている。
 そして、キリスト教は「尾びれ・はひれ」が広がって行
く。
 異教を忌み嫌うキリスト教は、節操無く、異教からその
グッズを取り込んでいる。
 その中には、何ら絶対性はなく、完全に必然性もない。
 そして、今、受胎告知教会が建てられ、その巨大な聖堂
の1階に、マリアが天使から「お告げを受けたという洞窟」
がある。
 しかし、洞窟? 洞窟ではないでしょうという方は、あ
る絵画を御存じだからでしょう。有名な・・、
 そう、その絵画で、マリアが受胎告知を受けているとこ
ろは、青空の下の、ベランダに居るマリアが、大天使から
受胎告知されているという・・図だからである。
 キリスト教には『1本の線が無い』・・だから(1本の
本流が無いから)この様な話が・・多くなっている。
 受胎告知されたという場所も様々・・、本当の事である
ならば、こんな事はないのだが・・、
 筋から言えば・・「ガリラヤ」とすべき・・、だが、
 マタイは、「ベツレヘム」・・とし、
 ルカは、「ナザレ」・・と言っている。
 嘘から真は出ない状況となっている。嘘だけの状況。
 キリスト教は・・すべてこの調子・・、
 そして、罪作りな事は・・、
 キリスト教は、この様な、あちこちが綻(ほころ)んで
いる状況に於いて・・、「無謬だ」・・と言う。
 キリスト教の神が嘘をつくわけない、偽(いつわ)りで
あるはずがないと・・、
 食い違いのオンパレードの前で、「強弁を言っている」。
 信徒の方たちは、自分の「理性」と、「キリスト教の虚
偽・虚飾」の狭間(はざま)で・・悩む。
 その信徒の方たちの中には、心の片隅で、この様なもの
なのか?・・と、処理できないで、悩みが深刻になってい
る方、可哀想な方も・・出る。
 その様な状況の中、今、マリアを神としようという動き
がある。
 キリスト教は、古代から、この性癖だが、現代でも、相
変わらずの・・状態となっている。
 そして、1神教を守りたいという話も出て・・、
 また、「名誉的な1神教」の話の展開になっていくのだ
ろう。
 実態は・・多神教だ。
 この様な変遷の中に・・
 本当に・・
 『皆様を幸せにしたいという心』が・・
 ・・存在しているのだろうか?
 (参考)う‐さ【憂さ】 気持ちが晴れないこと。思うに
   任せない、つらい気持ち。「―を晴らす」
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
http://www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
http://www.youtube.com/watch?v=EE_KtK311aA