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2014年7月18日金曜日

『あり得ません』と言っている事と・・同義です・・、

 題:『あり得ません』と言っている事と・・同義です・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教のモーゼの実在・・、
 キリスト教徒の方々は、実在を信じたいのでしょうが・・
 生憎(あいにく)、歴史家は・・
 実在した人ではない・・と、はっきりと言います。
 架空の話の連続で出来ている聖書の一端です。
 キリスト教聖書の『出エジプト記』を、冷静に読んでい
ただきたい。可笑(おか)しいところが、あちこちに発見
されるでしょう、気付かれるでしょう。
 『ただの読み物なら』・・それでいいのです・・が・・、
 信仰対象として、その様な記述に洗脳されて、行動に起
こされてくると・・問題が発生して来ます。社会に良い面
だけならよいのですが、悪い面も出て来ます。
 残念ながら、あなたもお気づきでしょうが、キリスト教
は、その悪い面が『非常に多い状況』です。それも種々の
面で悪い面が多い状況です。
 看過できない状況です・・。
 それなのに、何ら対策が取られていないという状況です。
 虚飾で飾られ、その状況から判断され、洗脳され、マイ
ンド・コントロールされ・・、
 今・現代でもその悪行為が行われているからです。
 以下に記す事も、それにお気づき戴きたいから、記述さ
せて戴いているのです。よくお読みいただきたいと思いま
す。
 「エジプト脱出」をした・・と、
 モーゼが導いたのだ・・と・・キリスト教は言いますが、
 言いたいのでしょうが・・事実ではありません。
 また、イスラエルの民は・・、
 飢餓になった時に・・、隣国に、生きる糧(かて)を求
めて奪い取りに行きました・・武力で攻め込んでも行きま
した・・『それを良しとする』キリスト教の教義ですから
当然です。卑劣な事です。
 そして、エジプトへも流入し・・生きる糧を求めました
 ・・が・・、
 肥沃な大河を抱(かか)えるエジプトは、幸い豊かです。
 その流れの、豊かな水の量が、豊かな実りを生み、パレ
スチナの地との差異を生んでいる事実が、まず、ここにあ
ります。
 また、『豊かな実り』は、すべてに豊かさを与え・・、
 豊かな文化を生み・・文明を生み・・、
 その生んだエジプトは・・大きかった・・、余裕から来
るのでしょう・・
 歴史にも大きく刻まれている、その素晴らしい文明を生
んだエジプトは・・、その心も・・おおらかな豊かな心を
持っていた。
 キリスト教は、ひたすら、キリスト教を美しく見せよう
と、また、「エジプト脱出」を美しく見せようと・・見せ
たいと・・、
 エジプトを、ひたすら・・ひたすら・・悪役にしたいと
・・、そう思っているのでしょうが・・、そして、そうし
たいのでしょうが・・、それは、キリスト教のよくやる『
プロパガンダ(嘘宣伝)』です。
 豊かな実りを、豊かな心を、豊かな文明を持って来るナ
イルの流れの国は・・、豊かな文明を生む力もあり、民も、
その豊かな実りを享受し、それらが文明を生んだとも言え
ますが、そして、余裕ある豊かさが生んでいた。
 この、あらゆる実りの豊かさが・・エジプト文化・文明
の根底を・・支えていた。それ故にこそ・・その沃野に働
く民は、施政者にとっても・・『大切な民』だった。
 この民を大切にしてこそ、エジプトの文明は出来あがっ
ていた。奴隷なんかではありません。
 キリスト教が、ひたすら汚(きたな)く表現するのは、
本当に『唾棄すべき嘘』なのです。
 あの、イスラム文明も、キリスト教は汚く罵(ののし)
りました。アラビア文明を・・。
 医学を、イスラム社会に学び、大きな恩恵を受けている
のに、後ろ足で砂をかける様な事をするキリスト教社会で
した。
 モーゼが脱出させたという『キリスト教の地の民』が・・、
 『こんなことなら脱出しなければ良かった』・・と、
 『エジプトに居れば良かった』・・と、後悔の弁を言う
ところが、あなたの信じる聖書に記されておりますが・・、
 これが真実です。
 この様な地のエジプトに、キリスト教の生まれる地に居
た民は、砂漠の民は、生きる糧をもとめて・・このエジプ
トの実りに生きる糧を求めて、エジプトへ流入しました。
 エジプトも、この流入を・・『おおらか』に認めていた。
 この様に・・パレスチナのキリスト教の生まれる地の民
は、常に、食糧事情の関係から、エジプトに流入し、また、
流出していた。
 キリスト教の聖書に書かれている、「兄に人買いに売ら
れた弟」も、その様な状況から、簡単に、また、容易に、
エジプトに入りました。
 そして、なんと、出世までするというエジプトは、おお
らかな、差別のない社会でした。
 その後、その家族までがエジプトへ、弟の所へ行くとい
うことも聖書に記されています。
 何ら異変もなく、平穏に事は進んでいます。
 差別があったとしても、そう厳しい社会ではなかったの
です。キリスト教の言うような差別状況ではありませんで
した。
 そして、一般人は、入るからにはエジプト人と同じ条件
になる訳では無く、下働きをするという状況でした。そう
悪くない状況だから、エジプトに戻りたいという声もあっ
たのでしょう。
 何ら、キリスト教が、汚く、ひたすら言う奴隷というも
のではありませんでした。
 逆に、汚ない事と言えば、キリスト教のその様な嘘を言
う心根こそ、本当に汚ない限りです。
 その様な状況から、出入り自由で、その自由さもあり、
豊かさもあり、パレスチナのキリスト教の民は、エジプト
に入れました・・、
 キリスト教の「エジプト脱出」は、キリスト教をよく見
せたい、美しく見せたい、そして、キリスト教を良くした
いという意味での嘘・デッチアゲです。
 『モーゼも、実在の人ではない』と歴史家は言うし・・、
 そして、キリスト教は言う・・、
 エジプト脱出のイスラエルの民は、なんと60万人だった
と言う。モーゼの功績を美しく言いたいからなのだろう。
 ならば、そのイスラエルの民の60万人の人々の行列を、
エジプトの民は見ていた・・という事に、なります。
 こんな大勢の人数の人が、密(ひそ)かに出られる訳が
ない。長い長い・・行列となっただろう・・、
 しかし、キリスト教聖書は、かっこ良く書く・・、
 エジプト軍の追跡があり、それから逃れて・・とまで、
嘘を書いた。
 こんな事が、出来るわけがない、ある訳がない。
 民族の大集団が、家畜や財産をすべて携帯して・・、
 モーゼの十戒の映画を見れば分かる様に、牛、羊、山羊、
鶏の群れを追って・・、
 ラクダや車に家財道具を乗せて・・、ガラガラ引いて・・
 この大集団を・・
 エジプトの民も見ているこの大集団を・・、
 キリスト教聖書よ、嘘を言わないでください、あり得ま
せん。不聖なる書よ・・
 そして、現在、この進んだ科学の今でも、この時に渡っ
た海が、特定できないという。
 この進んだ現代科学が立証できないという。
 今・現代、色々な、多くのことを明らかにしてきた現代
科学でも、研究者でも、不明なのだ・・という・・
 という事は・・?、
 この「渡海があり得ません」・・と、言っていることと
同義なのだ。モーゼのエジプト脱出はありません・・、
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
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2014年7月16日水曜日

その固定されたキリスト教意見に、洗脳されて・・、

 題:その固定されたキリスト教意見に、洗脳されて・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教聖職者や、キリスト教関係者の方々が・・、
 よく言う言葉に・・、
 「私は○○協会の『聖書、△△訳』をお薦(すす)めし
ます」・・という言葉がある。
 これは、明らかに・・、
 キリスト教の方々は、口を閉ざしてはいますが・・
 「不良な『聖書』が存在している」ことを示している。
 本の名前こそ「聖書」としているが・・、
 「聖書に非(あら)ず」の表明となっている。
 本当は、すべてが「危険図書、不良書籍なのだ」が。
 人生を狂わせます・・が、
 そして、1例・・共同訳という聖書がありますが・・、
 つまり、キリスト教の各派閥が共同して訳したという版
なのですが・・、そして、
 この版が・・よく・・推薦と言われているが・・妖(あ
や)しい限りです。
 1例を言えば・・、
 その各派閥がA説を持ち、また、B説を持ち、そして、C
説を持っていて・・、その話し合いが、うまくまとまらな
かったのだろう・・、
 その聖書には・・A説とB説とC説のすべてが・・書き込
まれるという・・まったくのお粗末を演じている・・。
 宗教書としての意味が成していない・・主張点が無くな
って、天に舞っているいるが如(ごと)きの、何ら役に立
たない記述となっている。
 聖書それ自体がおかしい書籍なのだが、何をかいわんや
である。低劣なことをやっている・・。信用はできません。
.
 (参考)なにをかいわんや【何をか言わんや】:何を言お
   うか,何も言うことはない。おどろきあきれて言う
   べき言葉もない。

 そして、次の話。
 キリスト教聖書は、昔話の物語のような単純な話ばかり
だが、
 例えば、「こぶとり爺さん」の様に「良いおじいさん」
と「悪いおじいさん」が出て来て・・、
 こうだから良いおじいさんに良い結果になりました的な
話ばかり・・、
 しかし、『キリスト教は深いのだ」と言いたいキリスト
教聖職者は・・、
 色々理屈を・・捏(こ)ね回した後に・・、
 『・・しかし、教会無しに、キリストは世に現臨する事
は出来ない。教会はキリスト教が世に働く媒体であり、そ
の意味でキリスト教会に在し、教会とキリストの関係は、
生体の肢体と生命との関係に類比的なのである。こうして
教会がキリストの定めを成就している限りで、キリスト教
会の中に現臨する」・・と、来る。結局、ここが好きなの
である。
 まったく教会の自己宣伝の話に帰結する。我田引水の論
理だ。
 キリスト教を説教するのではなく、説くのではなく、『
キリスト教会が良いのだ』・・と、説く。
 そしてまた、こんな理屈を知って・・何の役に立つのだ
ろうか?
 貴重な人生の時間が失われるだけだ。
.
 そしてまた、次の話。
 キリスト教聖書に書いてある・・イエスの言葉だとされ
ている言葉は・・、
 実際、「イエスの言葉なのだ」と言える言葉は、ほとん
どない・・、というのが・・、現代科学の下において・・
キリスト教聖書を研究する学者の見解となっている。
 そのイエスが言ったという・・イエスの譬(たとえ)話
だとされる「放蕩息子」の話、(「ルカによる福音書」15
・11~32)は・・、
 キリスト教聖職者が宗教的な美化をして・・、そして、
「尾ヒレ」や、「はひれ」を付けて、宗教的な話にして話
さないと何ら宗教的な話には聞こえないという話である。
 その内容は・・「近所の噂話のたぐい」で・・、
 キリスト教会が、「キリスト教の聖書を、自分一人で読
んではいけない」と禁止する由縁(ゆえん)である。
 その内容は・・二人の息子の弟の方が・・、財産を貰っ
たがよいが放蕩して使ってしまったというのが事の発端。
 そして、金の無くなった弟は、窮地に陥(おちい)った。
 そして、頭を下げて、家に帰る事にした。
 その時、父親は、その息子の弟の方を、温かく迎える・
・という線に収(おさ)めているのが・・聖書の筋なのだ
が・・、
 兄の方は、それが気に入らない・・ここが、この聖書の
記述の主要点。
 兄が不満で父親へ言う・・、
 「私は、何年も・・真面目に・・あなたに仕えて・・、
一度も・・あなたの言いつけに・・そむいてなかったのに」
・・と、
 そして、「また、遊ぶための財産を少しだってもらった
ことはありません」・・と。
 そして、また、「それなのに、弟は遊女どもと一緒にな
って、あなたの身代(しんだい)を食いつぶしたんですよ」
・・と、
 そして、「このあなたの子が帰ってくると、喜んだりし
て、歓待したり・・」・・と不満を言う。
 父親は、「生きて帰って来たのだから」と父親は言う。
 この聖書には・・イエスの見解は・・はっきりと書いて
ないが・・、
 イエスは、父親の考え方の賛成派なのだろう。
 話の流れから・・。
 しかし、これは、判断の難(むずか)しい面はあるが、
 例え、父親の方に肩を持つにしても、手放しで賛成して
はいけない話である。
 キリスト教は、この時、『ある一定の固定した見解』を
良しとして・・『宗教的に是としてしまう』。
 まったく、『多様な意見の出る様な場ではない』。
 また、『聖職者のお好み』で、色づけされた意見を、そ
れを『良しとしてしまう』。
 信徒は、その固定されたキリスト教意見に、洗脳されて、
極端な場合は、十字軍のファッショ的な洗脳が、毎回、な
されている、教会は、マインド・コントロールの場と化し
ている。
 自由な発想の・・結論へ導くという所作の・・芽が摘ま
れる場となっている。怖いことだ・・。
 そしてまた、このキリスト教聖書は、「舌足らず」にな
っていて・・、
 そこを説いてこそ、「深さが出て来るのであろう」が、
キリスト教聖書は、いつも、その様な面倒なところは、い
つもの様に逃げている・・、だから、浅いのだ・・、
 なんら深い話では無くなっている。当り前の話になって
いる。
 つまり、この話はキリスト教聖職者に下駄が預けられて
いる。美しく装飾する聖職者の出番の話なのである。
 逆の言い方をすれば、聖職者がお好みでコントロールす
る話となっている。
 この様な書き方をするキリスト教聖書には深い話はない、
 この様な書き方もあって「良い話とはなってない」。
 キリスト教聖職者が話を作らなければ、子供の昔話の、
「こぶとり爺さん」の話のレベル。「道徳本レベル」なの
だ。
..
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2014年7月14日月曜日

怖い偏向(へんこう)の話・・まともになれない・・

 題:怖い偏向(へんこう)の話・・まともになれない・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教徒の作家の『トーマス・マン』は・・、
 自著の『ヨセフとその兄弟』で・・、
 エジプトの「ピラミッドの建設」について・・、
 自分の経験から、勝手な思い込みで、読み筋で・・、
 「エジプトのピラミッドは、奴隷の血と汗で造られた」
と記述した。
 これは、まったく、キリスト教徒らしい・・勝手な思い
込みから・・ストーリー展開をし、そして書いた。
 因(ちな)みに、その著作の題名にある「ヨセフ」は・・、
キリスト教聖書に出て来るヨセフである。
 そして、この本を読んだ・・、やはりキリスト教徒の作
家の『加賀乙彦氏』もまた・・、
 やはり、キリスト教徒らしく・・その様に思い込んで・
・本を書いている。
 恐ろしいもので、この様なものだという見解が・・世を
風靡(ふうび)してしまった。
 見もしない事を想像して・・、余りに『し烈』な状況の
想像が、『実際の様に』・・世の人々は・・思い込まされ
た。キリスト教の洗脳によって・・、
 世の人々も洗脳されてしまった。
 これは、キリスト教聖書に感化された・・キリスト教徒
の作家のなす、勝手な想像から作られた・・仮想の・・、
仮定した想像の姿だった。
 キリスト教の聖書には、卑劣な記述が多いが・・、
 奴隷も頻繁(ひんぱん)に登場するが・・、
 その様な低劣な社会情勢を・・当り前の様に聖書で感化
されたキリスト教徒の作家の・・記述であった。
 低いレベルの観念・哲学・宗教に接した恐ろしさを・・
表した1例である。
 他民族を殺し、奴隷にする、卑劣な記述に満ちたキリス
ト教聖書に洗脳され、マインド・コントロールされたこの
両作家は・・、
 キリスト教の聖書記述のレベルに思い込んで・・社会を
見ていて、この様な記述になってしまった。怖(こわ)い
事だ。
 このエジプトのピラミッドは、ナイル川が運んでくる
肥沃な沃野の下で働く・・領民の方々が・・造ったもので
ある。
 それも「農閑期に造る」という・・配慮がなされている。
 低劣な状況を記すキリスト教聖書に洗脳された作家の想
像の世界・状況とは「全く違ったもの」なのだ。
 このピラミッドを造った領民には、働く人のための施設
・部屋などが、ちゃんと、用意されて居り・・、
 その部屋の壁には・・功績のあった人の名が刻まれると
いう『表彰制度』まであり・・、その功績を讃(たた)え
る様な事までしていた。
 奴隷ではない、奴隷なんて「とんでもない」という状況
である。
 まったく根本から間違っていることを、世に振りまいて
いる。害悪を世に振りまくキリスト教と、その周辺。
 キリスト教のレベルで・・見ている。この感化が怖い。
 また、この働くエジプトの領民の方々のための『墓』ま
でが用意されていて、その功績に感謝して、ちゃんと葬(
ほうむ)る事までしている。
 キリスト教レベルの勝手な想像で記す「鞭の下に呻吟(
しんぎん)して」などと書く事とは「まったく違う」。
 また、「喘(あえ)ぐ奴隷たち」とか、「苦役(くえき
)と酷使(こくし)」とかと・・この様な悲惨な言葉を駆
使して表現している。
 また、「炎暑の中で、舌を垂らして倒れ、死んだ」とか
とか。
 この様に、エジプトは酷(ひどい)いところだ、とか、
エジプトを落としめるというのは・・、
 キリスト教の聖書の「エジプト脱出」の美化につながる
下心(したごころ)があるからなのだ。
 「聖書美化をしたい」という精神があるからなのだ。
 信仰心から史実を曲げているのだ。
 破廉恥なことだ。
 エジプトが酷(ひど)い国になる事が、「都合がよい」
のだ。
 このキリスト教作家は、特に、「この類いの嘘」が多い。
 この嘘付きと言いたい作家を、キリスト教に偏するNH
Kは、取材旅行という名目で、世界のあちこちへ連れ出し
ている。
 また、番組の出演も多く・・寵愛し偏重している。
 何しろ、キリスト教に偏するNHKは・・キリスト教徒
に恩恵を、よく与える。
 この様な事をよくしている。
 この作家も、さらに、奥さんや友人と一緒という恵まれ
た旅の仕事を得ている。
 NHK職員の知り合いなども良く恩恵を受けている、
 この様な事をよくやるNHKなのだ。
.
 (参考)へん‐こう【偏向】 [名](スル) 1 考え方がか
   たよっていること。また、その傾向。「―した教育」
   「保守主義的―」 2 電子線に電界や磁界をかけ、進
   行方向を変化させること。ブラウン管などに応用。
   「―コイル」
 (参考)しん‐ぎん【呻吟】 [名](スル)苦しんでうめく
   こと。「病床に―する」「小説の書き出しに―する」
 (参考)あえ・ぐ【喘ぐ】 [動ガ五(四)]《古くは「
   あえく」》 1 苦しそうに、せわしく呼吸する。息
   を切らす。「急な坂を―・ぎながら登る」 2 重圧
   や貧困などに苦しみ悩む。「不況に―・ぐ」
 (参考)く‐えき【苦役】 1 つらく苦しい労働。「―を
   課せられる」 2 懲役のこと。
 (参考)こく‐し【酷使】 [名](スル)手加減をしない
   で厳しく使うこと。こき使うこと。「自らの肉体を
   ―する」
 (参考)ちょう‐あい【寵愛】 [名](スル)特別に大切に
   して愛すること。「―を受ける」「王妃を―する」
..
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分かった様な話に満ちているが、矛盾が満ちる・・そして、新たな矛盾も・・

 題:分かった様な話に満ちているが、矛盾が満ちる・・そして、新たな矛盾も・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教は、本当に、矛盾の多い宗教である。
 その矛盾の中に住んでいると・・
 長く居ると・・、
 キリスト教が言う、「キリスト教では、信仰以前の人間
は真理をも知る条件をも欠けている」・・と。
 しかし、一方・・、
 「キリスト教の神は創造の神、人間を創る」・・と言う。
 賢明なあなたは、既にお分かりの様に、前記のキリスト
教の言葉は・・、
 「キリスト教の神は、キリスト教の信仰を知らない人間
を創りました」なのだ。
 その人間は真理をも知ることはできないになる。
 故に、永遠に、キリスト教を知ることはできないになる。
 この様な帰結に至る事を知ってか知らずか・・ノー天気
なキリスト教・・、
 キリスト教聖書には、ただ、「キリスト教の神は人間を
創りました」とだけ書いているが・・、
 正しくは、「キリスト教の神は、キリスト教の信仰を知
らない人間を創りました」になってしまう。つまり、性悪
説も崩れてしまうのだ。
 何しろ、キリスト教は、理知的に理解しようとしても無
駄なのだ。無駄なことは止めるに限る。
 聖霊がどうのこうのと言ったって人生の無駄。
 「原始キリスト教は、ロゴスと、ロゴスの受肉者として
のイエスとを無差別に同一視した」と批判したって・・、
 キリスト教それ自体が矛盾が多く・・、
 到底、正常に存立しない、し得ない宗教。
 その様なキリスト教の内部対立的な話を、貴重な人生の
時間を使って理屈を捏(こ)ね回しても無駄に尽(つ)き
る。聖職者は正業に就こう。
 そして、キリスト教会は言う・・、
 「教会は、イエスは復活する。すなわち、教会の見解で
は、原始キリスト教はイエスの死後、ロゴスを見出し、こ
れをキリストの復活体と呼んだ。これはすなわち、統合へ
の規定にほかならない。さて統合への既定のもとにある存
在が事実統体となる出来事は、聖霊によるのであるが、キ
リストを根拠とし、聖霊の働きによって統体へと組みなさ
れた人々の共同体の教会において、そこに統体への規定が
実現されている限り、そこにはキリスト(救世主)が在す
わけだ」と、
 分かった様で、我田引水の論理を捏ね回して、やっぱり
自分に都合のよい決着点に話を持って行って・・、
 信徒の方々は貴重な時間と献金を取られて、マインド・
コントロールされた心を落ち着かせて家路につく。
 要は、キリスト教の神の失敗作の人間に、その失敗への
責任から、キリスト教の神は、人間に関(かか)わる様に、
また、関わらざるを得ない状態になる。
 そして、その失敗作の人間が、何をするか分からないの
で、さすがに、キリスト教の神も、自分が創った人間ども
が何をするか予測する事が出来なかったので、紳士協定の
契約を結ばざるを得ない間柄の自分の作の人間との、契約
を結んだ・・と、
 まったく、馬鹿馬鹿しい設定になる、そして話だ。
 信頼とか、信用という話の欠片(かけら)もない。
 そして、キリスト教聖書を読めば「騙(だま)した」と
か、「裏切った」とか、「殺した」とかの話に満ちる。
 ソドムもゴモラも裏切ったからという理由で、焼き殺さ
れた。
 この類いの話ばかりが書き連ねられるキリスト教の聖書。
 そして、マインド・コントロールされている。
 目覚めよ! さらば開かれん。
 次世代には残してはいけません。
..
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2014年7月13日日曜日

ここが・・悲しいのである・・

 題:ここが・・悲しいのである・・
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
 イラクへ行った兵士との一問一答。
 「他の兵士たちとは戦場でどんな話をしたの?」。
 「政治的な話は一切しなかった。
 家に帰ったら何がしたいとか、
 ビックマックが食べたいとか、
 そんなどうでもいい話ばっかり・・、
 気を紛らわしたかったんだ・・、でも・・、
 民間人をたくさん殺したり、自爆テロの頻度が増えて行
くうちに、みんな口数が減ってったな・・」。
.
 そして、つぎのはなし・・
 イラクへ行った兵士の述懐・・、
 「人を殺した後の俺たちにとって・・、
 死ぬことはそう怖くなくなってた・・、
 戦場にいると、そういう感覚が身についてくる・・、
 遅かれ早かれ・・自分の順番が来るんだっていう風にね」
・・。
 日本の青年たちも・・、
 日本の政治家の指導者が・・、
 「人を殺しに行け」言わなかったので・・、
 人の・・、
 命を取ることをしなくて済んでいる・・、
 イラク戦争で・・、
 100万人以上もの・・イラクの方々が・・亡くなった。
 平均・・、
 アメリカ兵の一人当たり・・、
 何人の・・イラクの方の・・命を・・奪った・・ことに
なっているのか?
 その様な重みを・・、
 「イエスの夢を見た、決断した」・・と言って、
 アメリカの青年たちに・・、
 「人を殺しに行け」・・と言った・・、
 キリスト教徒の大統領は・・、
 その様な事まで・・真剣に・・心に・・思っていたのだ
ろうか?
 余りにも多い・・、余りにも多い・・、
 イラクの・・一般人の方々の・・命を奪う行為を・・、
 まだ・・そのようなことをやったこともない・・、
 若い青年たちに・・、
 もちろん・・、
 その様な事をしたくない・・と言っている・・青年たち
に・・、
 「やりなさい」・・と言った。
 その事の重みを・・本当に・・自覚しているのだろうか?
 一般人が・・である。
 ここが重大なのである。
 ここが・・悲しいのである・・、
..
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