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2013年6月21日金曜日

キリスト教の作り話「ノアの方舟」の話

題: キリスト教の作り話「ノアの方舟」の話:
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 「ノアの方舟」のノアは、
 家族を含め、その「飲料水」はどうしたか?
 方舟を作ったり、動物たちを捕まえなければならないし、
 そして、連れて来なくてはならないし、
 そして、その檻(おり)を作らなければならないし、
 それも世界中から連れて来なくてはならないし、
 そして、海の底からも連れて来なくてはならないし、
 餌だって色々な餌が必要で、
 肉食獣の肉なんて腐ってしまう、
 冷蔵庫はあったのでしょうか? 
 それらを探して採るのも大変な仕事。
 持ってくるまでにも腐らないようにしなければならないし、
 弱った動物を看病しなければならないし、
 餌だって1日1回では済まないし、
 方舟なんて作る暇(ひま)なんてない。
 その方舟の材料も持って来なくてはならないし、
 良い材料、船に使えそうな材料を探さねばならないし、
 山の上で作るので、山の上に運ばねばならないし、
 神は命令するだけで、ノアが大変なのに手伝わないで見ている
だけだし、
 以下は略すが、何しろ、ノアに、出来るわけがない。
 嘘八百のたわいない話なのだ。
 信じている人が「化石的な人」なんて言われる代物(しろもの)。
 この様な、ありもしない話でできているキリスト教の教義。
 信じるに足る宗教ではない。
 この様な嘘宗教=キリスト教に、多くの人たちが殺されたのが
許せない。
 言葉に表されないくらいの憤りを感じる。
 それも「(キリスト教の)神の正義だ」と称してやっているの
だから、
 洗脳されたキリスト教徒の行為さえ無かったらと思う。
 高いところでその様な人非人の策略を考えていたキリスト教聖
職者たちめ。
 これからの人類が、こんな宗教で幸せになれるはずがない。
 皆さまが幸せになれるはずがない。

ザビエルさんの事。

 題: ザビエルさんの事
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...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
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 ザビエルさんは、日本に初めてやって来たキリスト教宣教師。
 ほとんど日本語は話せませんでした。これで宣教ができるの
でしょうか?
 しかし、一緒のフェルナンデスさんが日本語がうまかった。
 助かった~という感じ。通訳の状態でした。
 でも、ザビエルさんは、シャイだったのか「ほとんど話しま
せんでした」。
 ほとんどがフェルナンデスさんが話をしたとの事。
 ザビエルさんはといえば、脇に黙って立っている状態だった
との事。
 キリスト教は、ザビエルさんが偉いから、美しく伝えたいし、
お得意のプロパガンダ(嘘宣伝)で、美しく伝えていますが、
 日本人の聴衆を前に、「ぼーっ」と立っているような状態だ
ったとの事。
 あと、面白い事に、菩薩とか、仏教に例えて話をしたので、
日本人は「新種の仏教」だと思っていたとのこと。
 仏教と全く関係がないことが分かったら、キリスト教を止め
た人が多かったとの事。
 また、この後、キリスト教は、日本人を奴隷売買をする。
 そして、キリシタン大名たちに武器売買の『死の商人』をす
る。キリシタン大名もその武器欲しさでキリシタン大名をやっ
ていた。
 

2013年6月20日木曜日

バチカンと言うところを調べてみたら・・・

題:バチカンと言うところを調べてみたら・・・
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 バチカンは、キリスト教の最高のところ、「中心地」とか
「総本山」とある。
 そして、すぐ分かったことは、バチカンと言うところが「悪
の巣」といえる面があるという。
 ローマ法王(教皇)は「神の代理人」と言われている話が
馬鹿馬鹿しくなるくらいに感じるという。
 この様なの悪の面は1つ2つではなく一杯あるという。
 権力闘争に明け暮れるバチカン宮殿内は、彼等の権謀術数の
限りを尽くす世界だったという。
 また、毒殺による殺人の数々の記録があるという。
 また、女性が好みの教皇が大勢いるという。
 例えば次の話を1例で、子供のいる生臭(なまぐさ)愛人多数
の教皇が大勢いるという。
 バチカン宮殿は、美しい女性が列をなして歩いていたという。
 何と麗(うるわ)しいバチカンではないかと一瞬見まごうよ
うだったという。
 原罪まみれの教皇が大勢いると言える。 
 また、上が上なら下も下という状態だという。
 教皇も愛人漬け、そして、司教や司祭も同じことをしている
という。 
 上から下まで愛人だらけの破廉恥宮殿だという。
 バチカン宮殿は、世俗の欲まみれ、ドロドロと渦巻く宮殿だ
ったという。
 ロドリゴという人を詳細に見て見ると、彼は叔父が教皇だった
ので引き立ててもらった。 
 若くして枢機卿になれた。そして、彼も例外ではなかった。
 バチカン宮殿の先輩たちと同じ道を究めていったという、
 何を研鑽(けんさん)しているのか?・・と、言える。
 この人も、数多くの愛人持ちだったという。子供も、大勢、
産ませたという。 
 教皇庁で真面目で有能であるということは、この様なことな
のか?
 原罪の戒(いまし)めに忠実ということではなかった。
 やはり、上司の「子持ち教皇」に仕(つか)えていたからの
ことであるが、
 ある日、偉そうにその教皇から「朝から晩まで、肉欲のこと
しか頭の中にないのは、貴下の身分には相応(ふさわ)しくな
い」と、自分の事は棚に上げてたしなめられたという記録が残
っている・・・という。
 そして、次の話:枢機卿ジョバンニ・ディ・メジチは、38歳
で教皇になった。レオ10世と称した。
 メジチ家の二男である。メジチ家は、銀行家であるが、先祖
は、その名の様に、メジチーナ(薬業者)である。
 この教皇は金に恵まれた育ちもあって、享楽的な、楽しい事
大好き教皇であり、湯水のように金を使った。
 前任者の残した莫大(ばくだい)な遺産の7分の1を自分の即
位の祝賀行事に使い、残りもありとあらゆる娯楽に使いまくっ
た。
 また、ラファエロやミケランジェロのパトロンでバチカン宮
殿を飾り立てた。キリスト教は金で芸術家を囲った。宗教心か
ら芸術家はバチカンに行ったのではない。当時の、唯一の就職
先だった。キリスト教は権謀術数を使って富を独占していた。
 この時、浪費教皇のため、バチカンの経済は立ち行かなくな
り、年40%の高利で金を借りるという教皇だった。
 この教皇・レオ10世は、借金返済もあったのだろう、聖職・
地位を売買し始めた。金欲しい宗教の面目躍如というところ。
(庶民の年収の10分の1は、『神のもの』だと教義で決めてい
る宗教。「什一献金」という)
 一度に30人もの新任の枢機卿を任命して、莫大な金を取った。
 地位を販売して金を得た。原価はいらない。
 この他、あらゆる地位で金を取った。濡れ手で粟の状態で、
カネが集まった。司教や司祭などの高い位でも、何でも金を取
った。
 また、2000ものポストを、びっくりするくらいのポストを新
設して、オークション方式で金を取った。商売上手な教皇だっ
た。
 そして、いよいよ悪名高い免罪符。その免罪符の販売も始め
た。
 また、ローマに巡礼しなくても、復活の日に神の加護が得ら
れますの「天国へのパスポート」が売り文句だったという。

2013年6月19日水曜日

『 脱キリスト教化 』

題:『 脱キリスト教化 』
....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 ヨーロッパにおいて、『脱キリスト教化』が進んでいるが、
その動きを示す1例が年号に見られる。
 年号の紀元前を意味するBCは、
 Before Christで「キリスト以前」を意味し、
 また、紀元後を意味するADは、
 Anno Dominiで「主の年に」の意味であり、
 キリスト教を中心にしたものである。
 これは「西洋歴」と訳され、
 「イエス・キリスト」を軸に区切って、
 「キリスト以前」「キリスト以後」という仕来(しき)たり
で行われているもので、
 この様なものを世界中に用いさせるのが、
 自分の立場を利用した自己中心の欺瞞で勝手な行為と、ヨー
ロッパは気付いた。
 そこで英語圏でできたのが、BCE(Before Common Era)と
ACE(After Common Era)である。
 BCEは、「共通の年代以前」と言う意味であり、
 ACEは、「共通の年代以後」である。
 この様な表記が使用されるようになった。
 そして、ドイツ語圏では、
 「われわれの時代以前」とか、「われわれの時代以後」とい
う表現にしている。
 これは、commonを支配者ではなく「平民」のものという
意味で「われわれの」ものと意識している。

2013年6月17日月曜日

新たな苦悩と痛みが、始まる。

題: 新たな苦悩と痛みが、始まる。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教徒は、キリスト教の教義通りに、天国に入って赦
されたで『ホッ』とするのだろうが、しかし、
 一人の無垢(むく)の少女に加えられた凌辱(りょうじょく)
の痛みは、たとえ来世において本人自身による赦しが確証され
たとしても、決して抹消され得ない。
 その痛みを抹消できるかのように、
 キリスト教は「赦し」の教義を語る。
 この重い問題を、キリスト教徒は、真に、どう思うのか?
 たとえそれが、キリスト教の神によって語られても、
 少女には深刻な苦悩が残る。
 それを残らないと、少女以外のものが、「その一方的な決定を
押し付けるのか?」。
 少女の苦悩がどれほどか、
 当事者本人の「赦し」の意志の有無を確かめずに、
 キリスト教およびキリスト教徒は、
 「(キリスト教の)神の赦しがあったと、
 赦すという行為を続ける」。
 消えることのない「少女の痛恨の念・苦悩の心」は、
 キリスト教の未熟な思い遣りによって、
 キリスト教の教義によって
 「無視される」。
 キリスト教徒は、
 本当に思いやったと思って
 自己満足に入る。
 新たな苦悩と痛みが、「少女に始まる」。
 (参考)りょう‐じょく【凌辱/陵辱】 [名](スル) 1 相手
を傷つけるような言動をして、恥をかかせること。「武力によ
る―を受ける」 2 暴力で女性を犯すこと。
.
(追伸)
 キリスト教の「罪の赦(ゆる)し」の「信仰」が、
 非常にしばしば、
 問題の『観念的な解消』へと誘うという
「無責任」や「逃避」を許し、
 アヘン的な『 麻薬陶酔的な解決の仕方 』の機能を
 果たして来た。

2013年6月16日日曜日

父は水漬(みづ)くか・・と、世界一安全な牛肉。

題: 父は水漬(みづ)くか・・と、世界一安全な牛肉
...(皆様と共に しあわせになりたい)
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   昭和の日 父は水漬(みづ)くか 草むすか 
                  神奈川・中島やさか氏
矢島渚男氏選、(評):「海ゆかば水漬く屍(かばね)、山ゆ
かば草むす屍」の歌のように幾多の兵士が昭和の戦争の犠牲と
なった。父の死に場所もわからず遺骨も帰らないと嘆く。再び
この惨禍を起こさぬように戦後の憲法は出来た。読売・俳壇、
                 (読売新聞2013・6・3)
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   鳴き声が 「エヘン」になった 国産牛
                    熱海・田原痩馬氏
長井好弘氏選、(評):「最も安い」ならなおよい。よみうり
時事川柳(読売新聞2012・6・3)。
(私の記述)TPPで、「悪化は良貨を駆逐する」ではないが、
 日本の牛肉が世界で一番安全と評価された。その様な牛肉を
 持つ日本に対し、米国産牛肉関係者が、「安い我が国の牛肉
 を買わないのは、日本の不当な規制があるから」とか、「安
 いのが正しいのだ」と自分勝手な、自分だけの論理を、さも
 公正な普遍的正論のように振りかざし、日本だけが悪いのだ
 と、日本にだけ問題を転嫁し、強権を発動してやって来る。い
 つもの通り。
 安全性が世界一となった日本の牛肉。何より安全が第一。
 そう思う日本人。健康であるからこそ、おいしいお肉が食べら
 れる。病気になる様なお肉はいりませんを優先したい日本人。