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2013年9月28日土曜日

ザビエルたち、キリスト教宣教師について・・

 題:ザビエルたち、キリスト教宣教師について・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 日本に来たキリスト教宣教師たちは、最初の頃は、清貧
をかこっていたが、
 金持ちの貿易商人とかかわるようになると、次第に贅沢
になって行った。
 教会での食べ物をはじめ、衣服も贅沢化して行った。
 従僕をかかえるまでにもなった。
 あげくの果ては、祈祷や仕事に熱意を欠く者も出て来た。
 また、衣服に関しては、日本人は、はなはだ外見を重ん
じる国民だからと異論を唱える者もいた。
 つまり、規則通りのものでなく、華美なぜいたくな服装
をしたいという。
 また、ザビエルは、清貧に甘んじたではないかとの論議
も出た。
 しかし、実際は、ザビエルは、「日本人は外見によって
人を評価する国民だから」と言い、ザビエルは、華美に装
っていた。
 この頃のキリスト教宣教師のフロイトは、嘘をつく事の
多い宣教師だったが、その1例だが、
 頼りにしていた信長の家臣の和田惟政を過大にして、嘘
の報告をしていた。
 例えば、姉川の合戦に参戦し、「信長軍中にある最も強
力な武将で、総司令官」だと、報告しているが、
 和田惟政は、姉川の合戦に参戦もしていない。
 姉川の合戦の当日、自領の神社に行ったとのはっきりし
た記録が残っている。
 キリスト教はプロパガンダ(嘘宣伝)が多いが、日本へ
来た当初の頃から、この様な嘘体質だった。
 そして、また、
 日本に来たキリスト教宣教師の棄教は多かったが、
 徳川幕府の見解をうかがい知る1例。
 寛永20年に来日して、キリスト教を棄教したキリスト教
宣教師が、棄教した時に、
 偽りの棄教でないことの確認をするため、誓文を書かせ
た。
 その誓文に、キリスト教宣教師を取り調べ、書いたその
要旨に、その主旨がよく表れている。
 その文には・・
 「イタリアの国・ローマという所にキリシタン宗門の頭
・パッパという者(ローマ教皇のこと)がある。
 国々へバテレンを遣わし、宗門を広め、その国がパッパ
に従えば、奉行を遣わして仕置きする。
 ルソン・ゴア・ノビスパンなどその他多くの国をむさぼ
り取っている。
 日本は、軍勢で従わせるには困難なので、後生のために
宗門を広めることにして、バテレンを渡した。
 宗門がおおかた広まったら戦争をし、日本の多宗を打ち
たいらげ、パッパに従わせようというたくらみである」。
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2013年9月26日木曜日

そこに神はいるのか。

 題:そこに神はいるのか。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の教義や聖書などが、宗教として形づくられ
ていく過程・経過において、
 キリスト教の聖職者が言う様に、美しく経過し、出来あ
がって行った訳ではなかった。
 キリスト教を信仰する民も、美しく統一されて、美しく
信仰を守って来た訳では無かった。
 民もあらゆる民族と混血した。
 信仰において、『神から与えられた』という常套句が、
よく使かわれるが、
 神から与えられたという、『純粋無垢なものという話と
は程遠かった。
 そこには、民の生きる「生き様」と共に、信仰が形作ら
れて行き、多くの血も流れ、民はさ迷い、戦いに明け暮れ
もし、砂漠の地の宗教は形成されていくという過程があっ
た。
 神の介在は無い。
 民が、生きる「もだえ」の中から、人の手、民の手によ
って形作られて行ったものだった。
 海に囲まれ、長い長い期間、まったく有難いことに、ま
とまりの中にいた日本とは違う地であった。
 イスラエルの地で、糧を求めて、生を求めた、色々な民
族が行きかい、争いをする、長い時が流れる中から生じて
来た。
 そのある一時期の話。
 紀元前721年、イスラエルの民は、北と南に分かれてい
た。
 しかし、平安の時は続かなかった。
 その内の、北にある「北イスラエル王国が滅亡した」。
 外敵の侵入による滅亡だった。
 南にある南イスラエルの「ユダ王国」は、生き残るため
に、アッシリア王国にゴマスリの臣従の道を選んで、命脈
を保った。
 しかし、そのアッシリア王国も、紀元前612年に滅亡す
る。
 北イスラエル王国が滅亡してから109年の時が経過して
いた。
 そして、それから15年の後の紀元前597年に、
 新バビロニア軍によって、エルサレムは攻撃を受けると
いう悲劇が発生した。
 これによって、第1回バビロニア捕囚が行われるという
悲惨な事態も起きた。民が連れて行かれるという。
 そしてまた、その10年後の紀元前587年に、
 第2回目の攻撃をエルサレムは受けた。
 この時にエルサレムの命運は尽きた。外国による征服が
成立した。
 異教徒の制圧である。
 勿論、宗教的干渉もなされた。
 それでなくても、南イスラエルのユダ王国は、アッシリ
ア王国にゴマスリ従属していた時も、イスラエルの民は、
自分たちの信仰の形は保っていられなかった。
 異教の神・バール神への礼拝が、大っぴらに行われた。
 また、信仰の中心だったイスラエルの民の『エルサレム
神殿』には、「異教徒の神・バール神」に捧(ささ)げる
ための神殿までもが作られた。
 そして、エルサレム神殿の屋根の上にまで、「バール神
の祭壇」が設けられた。
 エルサレムの従属は、侵略国家の風俗となった。
 第二次世界大戦後の米軍占領下の日本と同じであった。
 エルサレムの娘たちは、異教の男の求めに応じ、
 「目に媚(こび)をたたえ」「自分たちの信仰の神に背
(そむ)き」、緑の木の下で、生活のためとはいえ、外国
の男たちの求めに応じた。
 (「イザヤ書」1章)に、
 「ああ忠信なりし町、いかにして遊女とはなれる。往時
は公平にてみち・・いまは人殺しばかりとはなりぬ」。
 この1例の様な事々を吸収し、歴史の事々を経験し吸収し、
それらが混ざり合って宗教は形成されて行った。
 キリスト教は、また、ヨーロッパに入って行く時にも、
節操無く、恥ずかしげも無く、異教の地の神々と習合した。
 集合癖のあるキリスト教は、あらゆる地場の神を吸収し
た。
 以前の形を保とうという何ら節操もない、確固したもの
もないキリスト教。キリスト教の性癖である。
 そこに神はいるのか。
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キリスト教は教義を変えよ。人類を愛せよ。

 題:キリスト教は教義を変えよ。人類を愛せよ。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 キリスト教は、馬鹿な宗教だなと思う。
 殉教を、ひたすら、大きく大きく、見せたいとしている。
 銅版画「雲仙の拷問画」(日本二十六聖人記念館蔵)は、
想像して描いた想像図である。
 真実ではない。
 この図は、想像図と公的に確認されている。
 キリスト教は、ひたすら殉教を悲惨なものへ、悲惨なも
のへと、より悲惨さへプロパガンダ(嘘宣伝)して来た。
 本図も、キリスト教系記念館(カトリック教会の設立)
の所蔵で、想像図ということからキリスト教のいつも良く
やる針小棒大に描いている。
 キリスト教は、教義から殉教を美化し、「殉教を求めて
行くべきもの」としている。
 また、殉教される時には、喜びを現(あら)わし、苦痛
を現わしてはいけないとしている。
 殉教の姿が厳しければ厳しいほど、その苦痛をさりげな
く処す事を良しとしている(苦しくても体をよじらないと
か)。
 そのキリスト教の説く殉教の姿を現わした想像図である。
 しかし、日本の取り締まりは、この殉教の図とはまった
く逆であった。
 秀吉が「バテレン追放令」を出した後に、キリスト教徒
数が逆に増えているのを見ても分かる。
 また、徳川時代においても、なるべくキリシタンを捕縛
しない様にした。
 たとえ、キリシタンだと分かってしまわれても、友人・
知人や親戚にでも、「キリスト教を捨てたと一言」、仮に
でも言えば捕縛には来なかった。
 キリスト教は、凄惨さをひたすらプロパガンダ(嘘宣伝)
する。
 キリスト教の悪行の一例の「魔女事件」一つをとっても、
村ごと全滅などという例の様に、キリスト教は想像を絶す
る殺戮をしたが、
 この日本の場合は、キリスト教が「大殉教」と称する犠
牲者数が最大でも55人とか50人というオーダーとは比較ど
ころではない。
 キリスト教の行った殺戮は、オーダーの違う人数の多さ
なのである。
 キリスト教がアメリカ大陸で行った殺戮は、何と1000万
人に届くかという悲惨さなのだ。何という数なのだ。
 キリスト教は教義を変えよ。人類を愛せよ。
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2013年9月25日水曜日

聖遺物など信仰対象は多様化へ・・

 題:聖遺物など信仰対象は多様化へ・・
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 ヨーロッパでは、キリスト教の『聖遺物信仰』が盛んだ
った。
 キリスト教会には、露骨にも頭蓋骨が並べられたりして
いた。
 また、えげつない行為であるが、血の付いた布とかも並
べ、その俗信ぶりは、卑俗化・迷信行為はエスカレートし
ていた。
 聖母マリアの母乳まで出現した。
 日本でも、ほんの短期間だが一時期に、キリスト教宣教
師が日本人に教えて、お守りを手に入れるという感覚の行
為が起きた。
 処刑されたキリスト教徒のものがありがたがられた。
 その時期が過ぎ、キリスト教宣教師は嘆息する「この国
の者たちが、あの頃、信じたものは、我々の神では無かっ
たのか。彼らの神々だったのだ。それを長い間知らず、日
本人が基督教徒になったと思いこんでいた」・・と。
 今、世界的にキリスト教が多神教化している。
 そして、当時、ヨーロッパや世界において、キリスト教徒
や布教される側などに、多くの無益な血が流されたが、こ
れ等を仕組んでいたのは「国家的な戦略と、キリスト教の
思惑に基づいて行なわれていた」。その行為という事は
事実である。真の犯人はここにいた。
 今現代も、貴重な人生を、無益な行為に注ぐ人たちが居
る。
 結婚もせずにいる多くの女性が、特に、痛ましい。
 (参考)
 本「中世の秋」に、ある一つの例であるが、紀元約1000
年頃、ウンブリア山村の民衆は、キリスト教隠者の聖ロム
アルドゥスを危うく撲殺しかけた。
 誠に愚かなことだが、それは、彼を失いたくなかったた
めの行為だった。
 1274年に、トマス・アクィナス・フォッサ・ヌォヴァの
僧院で没すると、そこの修道士たちは、貴重な遺物が彼ら
の手から失われるのを恐れ、気高き師の遺体を文字通り漬
け込んでしまった。
 つまり、頭を切り離し、煮て、調理してしまったのだ。
 テューリンゲンの聖エリザベートの遺体が、まだ埋葬さ
れなかった時、善男善女の一群が、彼女の顔を、巻き付け
てあった布片を切り取ったり引き裂いたりして持ち帰った。
 彼女の髪や爪を切り取り、果ては耳や乳房までもちぎり
去った。
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2013年9月24日火曜日

西洋は何でも優れているという『明治の思い込み』が・・

 題:西洋は何でも優れているという『明治の思い込み』が・・
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 日本人の殉教のイメージは、
 キリスト教イエズス会士のジャン・クラッセが書いた本
に影響されている。
 彼は、日本の本当の事情を知らずに、西洋の頭で書いて
しまった。
 そして、明治初頭の『西洋は何でも優れている』という
明治初頭の『思い込みの頭』の日本の劣等感が作用する。
 彼の著書を、明治初頭の10年代に、太政官(だじょうか
ん)本局翻訳官が翻訳し、
 本『日本西教史(せいきょうし)』という名で出版した。
 この本のイメージが、強烈に日本に定着してしまった。
 教科書にも記載され、解説書も、このキリスト教イエズ
ス会士の見解一色となってしまった。
 徳川幕府は、大弾圧をしたのだと。
 『まったく逆であった』のに。
 現代の日本人の殉教のイメージを決定づけた。
 事実は、まったくと言っていいほど違っていた。
 徳川幕府の基本的な姿勢は・・
 「キリシタンの捕縛は、極力少なく収めたい」であった。
 この事を聞くときっと驚かれると思います。
 それだけ、キリスト教によるプロパガンダ(嘘宣伝)が
なされてきていた。
 幕府は、例え、キリシタンだと分かられてしまっても、
知人・友人や親せきでも良いから、
 キリスト教を棄教したと、仮にでも言えば、捕縛には向
かわなかった。
 誰でも、容易に捕縛から逃れられる様にと、『逃れの道』
が作られていた。
 刑場でも、『矢来の一部を取り外した形にして、逃れら
れる様に』していた。
 取り締まりを厳しくして、少しでも見過ごさなく捕縛す
るという姿勢では全くなかった。
 西洋のこの様な状況が日本に持ち込まれ、その様にプロ
パガンダ(嘘宣伝)された結果だった。
 また、キリスト教は、殉教することが神の信仰にこたえ
る道だと、美しくもしていた。
 卑劣な事である。
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2013年9月23日月曜日

実際の首謀者は、庄屋や食いはぐれた浪人たちだと・・

 題:実際の首謀者は、庄屋や食いはぐれた浪人たちだと・・
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 『天草・島原の乱』とか、『天草・島原一揆』とかと言
われている事件は、
 地方行政官の、いわゆる、『悪代官の圧政』という話が
あるが・・、事実ではない。
 作られた話である。
 何ら、圧政とは関係が無い。
 これは、キリスト教の布教の行為と、取締側とのトラブ
ルから発生したこと。
 それも突発的に。
 当時の信頼できる資料に、島原藩松倉家の報告書がある
が、この報告書によれば、
 領地のキリシタンとなった農民たちが、
 キリスト教の布教のために領民を集めていた。
 その情報が入った取り締まり側の責任者が、「捕えよ」
の命令を出した。
 そして、捕えようと駆けつけ、領民を10数人を捕えた。
 その日は、それで、事は済んだが、
 翌日、
 百姓たちは、代官のすきを見て、殺害行為をしてしまっ
た。
 キリシタンとなった百姓たちは、
 一揆に加わらない、協力しない百姓たちを、仲間なのに
殺す行為をした。
 これも、キリスト教の根底に流れる、同じ教えではない、
また、同じ考えではない者たちを『異端』とし、
 「異教徒は殺せ」という教義が根底に流れる心で以って
思考し、行動した結果である。
 松倉家は、その様な行為もした、その領地へ、取り締ま
りに向かった。
 着くと、ある百姓が逃げて来て、告げた。
 有馬という地では、百姓たちが騒いで、鉄砲など武器を
集めている、だから、この人数では駄目だ・・と、
 武器をそろえなければ・・と、
 そして、有馬から島原にかけて、ありこちに火が付けら
れ、島原のすべてを焼く勢いだ・・と。
 駆け付けた家臣は、急遽、引き返し、この事を報告した。
 この様に、キリシタンの布教の行為と、取り締まり側と
のトラブルが発端なのである。
 また、これには、ある伏線がある。
 キリスト教宣教師の『洗脳行為』である。
 カリスマ性の指導者が居れば、大規模な一揆をおこすこ
とができる・・と、煽動し、言いふらし、
 宣教師は『ある予言的洗脳』をした。
 天草に、一人の善人が生まれるだろうと、
 その善人は、習いもしないのに字を知り、
 諸事を究(きわ)めている。
 そして、この善人は、山に白旗を立て、皆の頭にクルス
を立てるだろう・・と。
 そして、天草に四郎という者がいて、その少年が、この
通りの者で、天の使いに疑いない・・と。
 そして、また、その少年に、天から鳩が舞い降り、手の
ひらに卵を生み、四郎がその卵を割ってみると、中から経
文が出た・・と。
 島原の人々は、その話を素直に信じ、四郎を崇(あが)
めていた。
 この様な土台・素地から、天草・島原一揆が大事件とな
る伏線があった。
 イエス・キリストにも、洗礼を受けた時に、鳩が舞い降
りたという話が残されている。
 キリスト教宣教師は、あちこちで作り話・嘘を言い、煽
っていた。
 天草四郎の実在は、かなり疑わしいことだ。
 まず、出生が定かでない。
 語られている『ある一つの説』が、信じ込まされている
状態である。
 当然、出生地もはっきりせず、生涯も不明な点が多い。
 神格化され、イエスの物語の様に、奇蹟が色々とある。
 例えば、イエスがやった様に、盲目の少女に触れると視
力を取り戻したとか、
 イエスが、イエス出生地の湖のガラリア湖の水面を歩い
たと言われているが、
 四郎も、界面を歩いたと言われている。
 また、イエスが救世主と呼ばれるように、四郎も救世主
とされた。
 四郎の死後については、諸説が色々とあり、どうなった
かは定かではない。
 実際は、少年の四郎が、大規模な反乱を組織したり、指
導したりしたとは考えにくく、
 キリスト教のプロパガンダ(嘘宣伝)と考えられ、
 実質的には、首謀者は庄屋や食いはぐれた浪人たちと言
われている。
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2013年9月22日日曜日

マザー・テレサの『真の業績』・・

 題:マザー・テレサの『真の業績』・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 インドで、ヒンズーの方々と共に可哀想な方々を救う行
為をしている、「マザー・テレサ」は、
 生涯のその救いの行為は偉大であったが、
 その偉大な行為以上に、偉大だったのは、
 生涯、キリスト教の『神の不存在』に悩み、『キリスト
教の神は居ないことを吐露し』、
 『世界のに人々にその心を偽ることなく伝え』、
 そして、『公表したこと』であった。
 つまり、マザー・テレサの『最大の功績』は、
 『キリスト教の神の不存在の立証の中に生涯をかけたと
ころ』だった。
 生涯かけて「キリスト教の神は居ないとの証明を誠実に
した人」だった。
 彼女にこの行動をさせたのは、
 この様にする事で「世界に」、そして「人類に貢献でき
」、「世界の平和が実現できる」と感じたから行ったこと
で、その行為だったと断定できる。
 マザー・テレサの偉大な行為によって、
 キリスト教の『偽説』の一生を掛けての立証を世界に示
した人だった。
 『王様は裸だと言った人=マザー・テレサは偉大だった』。
 それにしても、キリスト教は、戦争につながる教義は、
全面的に直さなくてはならない。
.
(注)マザー・テレサは、ヒンズーの方々の組織の中に入
って行って救済活動を始めました。
 キリスト教がプロパガンダ(嘘宣伝)で、さも、キリス
ト教だけでの救済活動のように見せかけていますが、キリ
スト教はよくこの様な宣伝行為をします。
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