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2014年6月6日金曜日

周囲が・どう思おうと・勝手だーーぁ、

 題:周囲が・どう思おうと・勝手だーーぁ、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 芸術家と言えども・・、
 仙人の様に、霞み(かすみ)を食べている訳には行かな
かった。
 当然、描いた絵は、売れて貰わなくてはならなかった。
 金にならなければ、飢えてしまう。
 ゴッホも絵が売れず、ゴッホを支えたのは、ゴッホの弟
だった。ゴッホの弟は、兄・ゴッホへ金を送り続けた。
 一方、キリスト教は、富を独占していた。
 あらゆる策を巡らせ・・、そして、権威を得た。
 その取得した権威は、『俗の世界』まで・・手を出した。
 権威と共に・・欲いっぱいに、富を独占して行った。
 組織も、巨大になって行った。
 その組織維持の為にも、キリスト教の『欲と共に』、そ
の組織維持の資金を欲した。
 悪い事・黒い事を色々した。
 その一つ・・が、有名な魔女事件だった。
 資産家の女性を・・、世間をたぶらかせて魔女を怖がら
せ、魔女撲滅の声を巻き上がらせ・・、
 キリスト教会は、自ら・・魔女裁判所を作り・・自らが
魔女裁判官になり・・、一般市民を魔女にし・・、
 魔女にされた資産家の女性の資産・富を巻き上げた、没
収した。
 キリスト教会は、魔女燃やしの『処刑の薪代』まで請求
した。この一例の様に、世は、すべてが、キリスト教が牛
耳っていた。
 芸術家の就職先は、キリスト教しか無かった。
 また、キリスト教からの・・仕事しか・・無かった。
 進化論のダーウィンも、信仰からと言うより・・資金的
な面と・・そして、キリスト教会は『時間が十分にあった
』。暇だと言うこと。
 ダーウィンは、研究時間が欲しかった。それで聖職者の
道へ進んだ。
 唯一の就職先でもあり、また、仕事の発注先でもある『
キリスト教』と関係を持つことも・・大変だった。
 ミケランジェロは、彫刻で名をはせていた。
 教会に採用された。
 その時、仕事を奪われる事を恐れた大者が・・、
 ミケランジェロを追い落とそうと・・、
 ミケランジェロの得意な彫刻でなく・・、
 大聖堂(システィーナ礼拝堂)の天井画を描く仕事に推
薦した。
 その天井画で、ミケランジェロに、失敗させたかった。
 因みに、この大物は天井画を描く分野の大物(ドナト・
ブラマンテとラファエロと言われている)だった。
 この大物は、ミケランジェロを良く知らないのに推薦し
たと言われている。
 ミケランジェロが書いた、ミケランジェロ自身の記録に
よれば・・、
 ミケランジェロは、自分は彫刻家だという『自負を持っ
ていた』。
 故に、天井画の製作は、ミケランジェロにとって『好ま
しくない仕事』と感じていた。
 ミケランジェロは、偉大な芸術家にしては弟子が付かな
かった。
 彼の性格は、孤独を好むという陰鬱な性格で、人との付
き合いも避けるという性格。そして、ひきこもる様な人だ
と言われている。
 そして、ミケランジェロ自身も・・、
 『周囲がどう思おうと勝手だーー』・・と、頓着しない
人物だったという。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

軍師官兵衛がキリスト教を棄教している。NHKは正直に放送をするか?

題:軍師官兵衛がキリスト教を棄教している。NHKは正直に放送をするか?
副題:キリスト教に偏するNHKが、軍師官兵衛がキリス
 ト教を棄教しているが、NHKはこの史実を正直に放送
 をするか?・・非常に危惧している。
.
 軍師官兵衛が、キリスト教徒であると・・キリスト教に
偏するNHKは、日曜大河ドラマで放送しているが・・、
 この軍師官兵衛が、『キリスト教を棄教している』。
 キリスト教に偏するNHKが・・、
 この事実を、史実を、正直に放送するか? 
 非常に疑問だ。また、
 キリスト教に偏するNHKは・・、
 連続テレビ小説「花子とアン」で、連日・毎日、キリス
ト教に関わる放送(巧妙なるキリスト教の伝道放送)をし
ている。
 「赤毛のアン」の翻訳者の放送だが、キリスト教が色々
な場面で出てきて、美化して放送している。
 『教会は本があっていい』などのセリフが、いろいろ、
何度も出てきて、そして、何とかかんとか・・と。
 「赤毛のアン」は、キリスト教が『第二のバイブル』と
する本で・・、
 キリスト教に偏するNHKは、この連続テレビ小説以外
にも、語学番組とかと、色々な番組で、長い期間、色々な
形で、この「赤毛のアン」を放送番組として作り、何度も
何度も、手を変え品を変え放送している。
 他に、この様な、最恵国待遇的な扱いをされる事例はな
いという状態。
 この様な「キリスト教の本の様な特別な扱い」を受けて
いるものはない、キリスト教に偏するNHKが、やりそう
な事となっている。
 また、NHKの視聴率の良い番組の日曜日の大河ドラマ
「軍師官兵衛」もキリシタン大名だとして、また、番組の
あちこちで、ドラマの筋とは何ら関係が無いのに、キリス
ト教に関する場面を、美しく作って放送しているが、この
番組も「巧妙なるキリスト教の伝道放送」となっている。
 しかし、この官兵衛がキリスト教を『棄教している』。
 キリスト教に偏するNHKは、これを正直に放送するか?
・・が、非常な疑問となっている、今までの流れから、キ
リスト教に偏するNHKは、放送しないのではないか?と、
非常な危惧が感じられている。
 因みに、下記のブログも、黒田官兵衛がキリスト教を棄
教していることを伝えている。
 http://netabare1.blog137.fc2.com/blog-entry-3031.html
 題は、『豊臣秀吉の九州征伐と黒田官兵衛のキリスト教
の棄教』となっている。
 また、秀吉の禁教令は、南蛮貿易が大切だと一旦はゆる
めたが・・、
 やはり、スペインやポルトガルの王制の先兵的な立場で
来ているキリスト教宣教師とその組織に、『領土的野心が
ある』ことを、秀吉は分かると、キリスト教禁教令を厳し
くし、また、ルソンのキリスト教総督府へ、日本への領土
的野心を捨てる様に手紙を送っている。
 (追伸):
 上記は2014・6・5に、NHKへ送信している。
 NHKが知っている状態にしている。
 NHKが正直に、史実に基づいて、番組を作り、放送す
るかをこれから確認したいと思います。
 多分、やったとしても、ちょこちょこっと「お茶を濁(
にご)す」程度であろう。安倍首相がオリンピックに行っ
た時の様に・・。
.
 [上記URLの内容の抜き書き]:
 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公となる黒田官兵
衛の生涯を実話で描く実話「軍師・黒田官兵衛(黒田如水)
」のあらすじとネタバレ播磨編「豊臣秀吉の九州親征」で
す。(中略)
 ■豊臣秀吉の九州親征
 豊臣秀吉が九州親征を決定すると、黒田官兵衛は豊臣秀
吉の到着に先だって、各地の豪族に豊臣秀吉の威風を流布
し、「羽柴秀吉に味方すれば、領土は保障される。羽柴秀
吉が到着したら降服を申し出ろ」という怪文書をばらまい
た。
 天正15年(1587年)3月29日、豊臣秀吉・豊臣秀長が計
20万の軍勢を引き連れて豊前の小倉(福岡県北九州市小倉)
に到着した。
 小倉に入った豊臣秀吉は、軍を2手に分け、豊臣秀吉は10
万の軍を率いて九州を西側(西街道)から南下し、豊臣秀
長は10万の軍を率いて九州を東側(東海道)から南下を始
める。豊臣軍は九州の西街道と東街道の2手から薩摩(鹿児
島県)の島津義久を目指した。
 軍師・黒田官兵衛は毛利軍と共に豊臣秀長の先鋒隊を務
め、九州を東側(東街道)から薩摩を目指して南下する。
 さて、豊臣秀吉が南進を開始すると、黒田官兵衛が事前
に流した怪文書の効果により、続々と豊臣秀吉の帰順する
者が現れ、北九州は豊臣秀吉の勢力下となり、九州の勢力
図は一気に塗り替えられた。
 対する島津義久は、北九州を放棄し、薩摩(鹿児島県)
・大隅(鹿児島県)・日向(宮崎県)の本拠地3国で羽柴秀
吉の軍を迎え撃つ作戦に出た。このため、島津軍は豊後(
大分県)からも撤退した。
 ■黒田官兵衛と高城の戦い
 天正15年(1587年)3月、黒田官兵衛を先鋒とする豊臣
秀長の軍勢は、豊後(大分県)から撤退する島津軍を追撃
する形で日向(宮崎県)へと侵攻した。
 そして、天正15年(1587年)4月6日、豊臣秀長の軍勢
は、日向(宮崎県)にある耳川を渡り、島津家の名将・山
田有信が守る日向の高城(宮崎県児湯郡木城町)を、8万の
軍勢で取り囲んだ。
 さて、日向(宮崎県)の高城は、天正6年(1578年)に
豊後のキリシタン大名・大友宗麟の大軍に攻められたこと
があった。
 しかし、高城は日向(宮崎県)でも有数の名城で、高城
の城主・山田有信は少数の兵で大友宗麟の大軍を追い返し
た。
 島津義久は、大友宗麟を追い返した時と同じように、高
城を防衛ラインとし、高城で豊臣秀長の軍を追い返すつも
りであった。
 ところが、豊臣秀長は高城を力攻めにせず、8万の大軍
で高城を取り囲み、高城の周りに砦を築いて兵糧攻めに出
たのである。
 名将・山田有信といえど、8万の大軍に包囲されて兵糧
攻めにされたのでは、なすすべは無かった。
 知らせを受けた薩摩(鹿児島県)に居る島津義久は、山
田有信の窮地を救うため、島津家久・島津義弘を従え、主
力部隊2万の兵を引き連れて高城を目指すのであった。
 ■黒田官兵衛と根白坂の戦い
 さて、高城から南方に1里の場所に根白坂という要所が
あり、軍師・黒田官兵衛は蜂須賀家政・尾藤知宣・宮部継
潤らを率いて根白坂に陣を敷いていた。
 島津義久は2万の軍勢を率いて高城の援軍に駆けつけたが、
根白坂に黒田官兵衛らが布陣しており、高城にはたどり着
けず、黒田官兵衛らと対峙する。
 島津義久は豊臣秀長から高城の明け渡し要請を受けたが、
これを拒否し、天正15年(1587年)4月6日深夜、根白坂
を守る豊臣軍の宮部継潤の陣に奇襲攻撃をかけた。
 しかし、宮部継潤は、柵を築いて奇襲攻撃に備えており、
島津軍は反対に大打撃を受けてしまった。それでも怯むこ
と無く島津軍は、宮部継潤の部隊に突き進み、宮部継潤を
攻め立てた。
 宮部継潤の窮地を知った豊臣秀長は、宮部継潤の援軍に
向かおうとしたが、軍監(軍師)の尾藤知宣が島津軍の策
略を警戒して、豊臣秀長に出陣を中止させた。
 豊臣秀長の援軍中止により、宮部継潤は絶体絶命の危機
に追い詰められてしまう。
 黒田官兵衛は、この窮地を打開するため家臣・村上彦右
衛門に命じて「豊臣秀長が6万の兵を率いて援軍に来る」と
いう嘘の情報を流すと、島津義弘の陣を目がけて突撃した。
 豊臣秀長が援軍に来るという情報によって、宮部継潤の
兵は持ち直した。一方、援軍の噂を知った島津軍は動揺す
る。
 そこへ、黒田官兵衛が島津義弘の軍勢に突撃して島津義
弘を撃破する。島津義久は、島津忠隣など多くの武将を失
い、敗走した。(根白坂の戦い)
(中略)
 ■黒田官兵衛と九州国分
 九州を平定した豊臣秀吉は、天正15年(1587年)6月7日
に筑前の箱崎(福岡県福岡市東区)に入った。豊臣秀吉は
箱崎に20日間留まり、この間に九州征伐の論功行賞を行っ
ている(九州国分)。
 この論功行賞で、豊臣秀吉は豊前(福岡県東部)8郡のう
ち6郡12万石を黒田官兵衛に与え、残り2郡を毛利吉成(毛
利勝信)に与えた。
 ただ、黒田官兵衛が与えられた豊前(福島県東部)6郡の
うち、妙見岳城と竜王城の2城は黒田官兵衛の領地から除外
された。
 そして、除外された妙見岳城は大友家の一族・田原親賢
(田原紹忍)に与えられ、竜王城は大友家の一族・田原親
盛に与えられた。
 こうして、黒田官兵衛は豊前(福島県東部)6郡を賜り、
播磨(兵庫県)4万石の弱小大名から、12万石(実質は18
万石とも言われている)の大名にまでのし上がったのであ
る。これは黒田官兵衛が42歳のことであった。
 なお、四国征伐・九州征伐での黒田官兵衛の活躍を考え
ると、12万石では褒美が少ない、とされている。これにつ
いては、「羽柴秀吉は黒田官兵衛の才能を恐れていたため、
多くの領地を与えなかった」という説もあるが、「12万石
は豊臣秀吉の家臣と比べて特別に少ないとわけでは無い」
という説もある。
 ■黒田官兵衛とキリスト教の棄教
 天正15年(1587年)6月19日、筑前の箱崎(福岡県福岡
市東区)に滞在する羽柴秀吉は、九州征伐の論功行賞の一
方で、突如として宣教師ガスパル・コエリョにバテレン追
放令を突きつけた。バテレン追放令(禁教令)とは、キリ
スト教の布教を禁止する命令である。
 羽柴秀吉は織田信長の影響を受けており、キリスト教と
友好的で、宣教師ガスパル・コエリョらを建築中の大阪城
に招いて、大阪城を案内するなどしていた。
 そして、豊臣秀吉はバテレン追放令を発令する前日もポ
ルトガル船に乗って船上パーティーを楽しんでいた。
 しかし、豊臣秀吉は九州の地で突如としてバテレン追放
令(禁教令)を発令した。宣教師ガスパル・コエリョらに
とっても、バテレン禁止令は全く予期していない事だった。
 豊臣秀吉がバテレン追放令を出した理由には諸説があり、
「豊臣秀吉が九州で勢力を拡大するキリスト教を目の当た
りにして恐れた」「キリスト教が日本人を奴隷として貿易
していたため、豊臣秀吉が激怒した」などいう理由が一般
的である。
 黒田官兵衛は高山右近の影響を受けて、天正11年(158
3年)ごろに洗礼を受けていた。黒田官兵衛は「シメオン」
という洗礼名を持つ、キリシタン大名であるが、豊臣秀吉
がバテレン追放令を発令すると、黒田官兵衛はいち早くキ
リスト教を捨てた。
 しかし、キリシタン大名の高山右近は、最後までキリス
ト教を捨てなかったため、豊臣秀吉の怒りを買い、領地没
収のうえ追放されてしまう。(後略)
..
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2014年6月5日木曜日

旧習を捨てきれないキリスト教、古い習慣にとらわれている。

 題:旧習を捨てきれないキリスト教、古い習慣にとらわれている。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教を創始したパウロの、(「ガラテヤの信徒へ
の手紙」5・2~15)に・・、 
 「割礼」が話題になっている。
 この割礼は、パウロが、道でイエスの直弟子に会った時、
「割礼は止めよう」と一致している。
 これは、第1回の公会議だとされているが、キリスト教
はその後「割礼」を認めている。
 しかし、この割礼について、長い間、キリスト教は、す
ったもんだでもめている。
 そして、この割礼とは・・、男性性器の一部を切除する
ことであるが、キリスト教が生まれた地は、この男性性器
の切除と共に、女性性器切除も行われていた。
 そして、この手紙から、キリスト教が、ユダヤ教と布教
を争っている姿が見れる・・、
 そして、割礼を、「する」か、「しない」のか・・が、
問題となっている。
 そして、この手紙は、「割礼を受ける」という人は、ユ
ダヤ教を信仰するという視点で論じられている。
 イエスも割礼を受けていたし、キリスト教も割礼を後に
認めているが・・、
 そして、パウロは、この手紙でヒステリー状態になって、
 「割礼を受ける人は、律法のすべてを行え」・・と、言
い放っている。
 そして、その様になったら大変なことになるよ・・と、
脅す・・、
 「律法によって義にされるなら、あなたがたは、キリス
ト(救世主)と縁もゆかりもないものになる」・・と。
 律法を捨て、イエスの言葉や行動を捨てたパウロの面目
躍如の言葉となっている。
 縁もゆかりもない「縁切り状態になる」と脅して、突き
放している。
 そしてさらに、パウロは・・、
 「戴いた恵みも失います」・・と、
 「罰を受けるよ」と脅している。御利益宗教=キリスト
教というところ。
 そして、パウロは言う、
 「割礼を宣べ伝えていれば、十字架のつまずきもなくな
っていた」・・と、
 「割礼の布教」と「十字架刑によってイエスが死んだこ
と」を関連付けて言っている。
 ユダヤ教との軋轢(あつれき)も無くなって、十字架の
事も起きなかっただろう・・と、
 そして、頭に来たのだろう、パウロが叫ぶ、
 「いっそのこと自(みずか)ら去勢(きょせい)してし
まえばよい」・・と、ヒステリーを起こした言葉を吐いて
いる。
 キリスト教聖書は、今だに、はっきりさせず、割礼をう
やむやにしている。
 キリスト教は、この様に旧習が残る古い宗教。
.
(参考)きゅう‐しゅう【旧習】 昔からの習慣。古いなら
   わし。旧慣。
(参考)あつ‐れき【軋轢】 《車輪がきしる意から》仲が
   悪くなること。「―を生じる」
(資料)wikipedia:ユダヤ教では、割礼はブリットと呼
ばれ、ヘブライ語で「契約」を意味する語である。
 ユダヤ教徒の家庭に生まれた乳児および改宗者(=ユダ
ヤ人)は、割礼を行わなくてはならない。
 一方、キリスト教では、割礼を行う風習が無い地域にも
キリスト教の布教を行い、割礼を行わない者がキリスト教
へ改宗するための要件として割礼を要件としないという見
解がパウロらによってまとめられたため、早い段階で割礼
を行う習慣が廃れた。このことは『新約聖書』使徒行伝等
で触れられている。割礼は、現在では全く自由であるが、
正教会系の一部の教派・地域では割礼を行うことが奨励さ
れている。
 ユダヤ教:『創世記』17:9-14には、アブラハムと神の
永遠の契約として、男子が生まれてから8日目に割礼を行
うべきことが説かれている。(ヘブライ語のBritは契約を
意味するが、割礼の意味でもある)。ユダヤ教では、この
伝統を引き継ぐ。
 イエス・自身も割礼を受けていたことは疑いがない。
 イエスの死後、イエスの直弟子であるパウロらの伝道旅
行において、割礼の風習が無い地域にもキリスト教が伝わ
ったが、割礼の風習がない「異邦人」(=ローマ人、ギリ
シア人など)が改宗した場合に割礼を行うかどうかが大き
な問題になった。異邦人への文化適合を重視するアンティ
オキア教会と、律法(=旧約聖書)の厳格な遵守を重視す
るエルサレム教会が論争を行った。紀元48-9年頃のエルサ
レム会議でも、割礼について議論され、最終的に「しめ殺
した動物、血、偶像礼拝、不品行」を忌避すれば、割礼を
含む他の律法の遵守は免除されることで合意が成立した。
..
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2014年6月4日水曜日

キリスト教は、無理な尾ヒレはひれを展開する。

 題:キリスト教は、無理な尾ヒレはひれを展開する。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 イエスが殺された理由は、まったくの私憤。
 レベルの低い話の中で、イエスは、捕えられ、殺される。
 イエス側に、原因者としての『責任がある』。
 イエスの殺される原因は、イエスが、自(みずか)ら作
っているという事。
 その原因が、イエスが、死に至らねばならないか、否か
は、これから考えるとしても、
 イエスを殺した側へは、イエスを殺した原因者だと言い
たてる事はできない。
 事は、ユダヤ教の内紛である。
 ユダヤ教徒のイエスが、イエスの考えと違うユダヤ教を
攻撃した事にある。
 他に、大きな話があるという話ではない。
 私憤が高じて行き、現代ではあり得ない公権力をも持っ
ていた者が、その公権力を利用して、イエスを捕え、そし
て、死刑に至らしめたという話。
 宗教上の、それもユダヤ教に限った話において、ユダヤ
教徒としてのイエスが、イエスの考えから、攻撃したい事
があった。
 このイエスの攻撃は、ところかまわず、手に触れるもの
すべてに、イエスの気性である激怒しやすい攻撃の仕方で、
すべてを敵にした。
 イエスと対抗する派閥へのすべてを敵にした。
 ユダヤ教ファリサイ派と、ユダヤ教サドカイ派である。
 イエスの気になった所は、これ等の派が、「儀礼化して
いる事」や、「偽善的である」という事だった。
 今・現代のキリスト教も、『大変な偽善宗教』である。
 そして、イエスのこの問題は、何ら、深刻な問題ではな
かった。話し合えば、済む問題だった。
 言うイエス側にも、問題の一端があったのだろう、また、
イエスの攻撃的話を聞く側にも、問題の一端があったのだ
ろう。
 すべてを、相手側が悪いという類いの問題ではない。
 死に至ったという経緯は、その話し合いは、何ら大人の
話し合いではなく、幼稚な経緯の中にあったのだと、少な
くとも言える。
 結局、何の事の重大性の無い切っ掛けが・・、
 事が終わった後には・・、
 事が大きかったとされて・・、
 その後の話が展開して行く。
 この事件は、キリスト教とはまったく関係の無い話。
 ただ、パウロと言う人が、旧約にある筋書きとまったく
同じ筋書きで、キリスト教を立宗するのに、一部を採用し
た。
 この様に、パウロは、イエスを利用しながら、イエスの
人となりや、イエスの行動は、まったく無視した。
 ただ、イエスが刑死した事と、旧約にある復活を利用し
ただけだった。
 そこに、宗教に必須の『立宗理念はなく』・・、
 ただ、旧約のストーリーにあてはめた行為が・・、
 あった『だけ』だった。
 公権力を持った宗教組織の大司祭カイファトと、ローマ
の傀儡権力者の総督ピラトが関わった。
 この中に、立宗の意義の繋(つな)がる種(たね)は、
何もない。
 ただ、自分の地位保全や、特権維持の私利私欲がちらつ
くだけ。
 また、イエスにも状況判断の誤りが臭(にお)う。
 あえて、エルサレムへ行く時ではなかった・・と、はっ
きり言える。
 キリスト教は、無理な尾ヒレはひれを展開する。
 その様な宗教。
 人類は救済できない。
 皆様が幸せになれる様な宗教ではありません。
.
 (追伸):
 光り輝くあなたがたは・・、
 キリスト教の原罪などありません、
 鬱(うつ)になるほど悩むあなた、あなたは光り輝くも
のをお持ちです、
 光り輝く佛性をお持ちの方です。
 すぐキリスト教を離れなさい。
.
 (参考)し‐ふん【私憤】 個人的な事柄でのいきどおり。
   個人としていだく怒り。「―を抱く」⇔公憤。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
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2014年6月2日月曜日

見通しは・(むずかしく)暗くなって来る・・、

  光り輝くあなたがたは、キリスト教の原罪などありませ
ん、鬱(うつ)になるほど悩むあなた、あなたは光り輝く
ものをお持ちです、光り輝く佛性をお持ちの方です。すぐ
キリスト教を離れなさい。
.
 題:見通しは・(むずかしく)暗くなって来る・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 東京大学を卒業し・・東京工業大学の教授をした・・、
 八木誠一氏は・・、
 「キリスト教研究が進み、その研究が細部に至って来れ
ばくるほど・・、
 イエス像の再構成の見通しは(むずかしく)暗くなって
来る」・・と言う。
 今、イエスは本当に居たのか?・と、言われている・・、
 イエスの実在性さえ『立証できない』ことになっている。
 古代の・・、
 歴史のある一時期、キリスト教の組織が・・、
 事もあろうに・・、
 良かれと思ったのだろう・・、
 宗教的に不利になるからと・・、
 キリスト教の文献を廃棄するという馬鹿な、破廉恥な行
動をやった。
 結果、イエスの実在性の証明さえ出来ないということに
なってしまった、イエスの存在の立証が出来ないという自
体に、陥(おちい)ってしまった。
 また、氏は、「史的に再建されたイエス像は、たかだか
蓋然(がいぜん)的妥当性の域を出ない」・・と、
 その歴史的な存在・史的なイエスの実在があやふやだと
伝える。
 そして、イエス像の再建は無理なことと言っている。
 また、氏は、「イエスの思想は新約思想の部分であり、
全部では無い」と衝撃的な事を説明する。
 イエスの事を書いたのが新約だというキリスト教の論理
は成立しない。
 新約のイエスは作られた。創作(作ったもの)の新約と
・・。
 また、氏は、「イエスの思想を規範とするのなら、原始
キリスト教団の思想(神学)の多くは切り捨ててしまわな
くてはならない」と言う。
 つまり、イエスの思想(神学)と、原始キリスト教団と
は対立していると、その多く点が違っている・・という。
 (同一のものだと言う方がおかしい)と言っている。
 また、氏は、「イエスの思想(神学)は、神学的にその
根拠が明白ではない」という。
 ここは大切な点だ。つまり、イエスの思想は、『神学的
に不明確だ』と糾弾された。神学的におかしい?・・と。
 イエスは、神だとされて・・、
 実在したとされて・・、、
 実在したのだから、その言葉があるのだとされて・・、
 しかし、最後に、カウンターパンチの如くの『決定的ダ
メージ』を食らう。
 ノックアウトという状態・・の話に至った。
 肝心の、そのイエスの神学がおかしいと・・、
 イエスが行ったという言葉の・・その思想(神学)が、
神学的に駄目だと・・最終的駄目出しのハンコウを押され
てしまった。
 そして、氏は、「イエスが人々へ訴えかけ、問いかけて
いるとされているが、その古代の人々を越えて現代の人々
にも訴えかけて来なければならないのだが、イエス中心主
義には、その様なことは不可能である」・・と。
 原始キリスト教団の神学に由来する、その教団の流れの
神学を、イエス中心主義は、批判さえした・・と。
 ここがキリスト教の神学的な弱点になっていると・・、
 また、哲学的な弱点になっている・・と。
 このイエスの思想(神学)と、キリスト中心主義的神学
の流れの三位一体神の神学的・哲学的な存在が、対立して
いる結果となっている・・と。
 つまり、イエスの思想(神学)は、今・現代のキリスト
教神学と対立している・・と。
 キリスト教が、新約の世界になった、『イエスなのだ』
となったとしているが・・、
 逆から見て言えば、そのイエスの思想(神学)とキリス
ト教神学(キリスト中心主義的神学)の対立は、その中心
に居ると思われているイエスの存在が逆に、大きな齟齬を
与え、足を引っ張っているというのだ。

 (参考)がい‐ぜん【蓋然】 たぶんそうであろうと考え
   られること。ある程度確実であること。⇔必然。
 (参考)そう‐さく【創作】 [名](スル) 1 文学・絵画
   などの芸術をつくり出すこと。また、その作品。「
   物語を―する」「―舞踊」 2 つくりごと。うそ。「
   そん...
..
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