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2014年4月12日土曜日

この様な宗教で、幸せになれるのか?

 題:この様な宗教で、幸せになれるのか?
   (キリスト教のロゴスの薄弱さには・・・)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、大きな宗教となった・・、
 しかし、
 誰が何と言っても・・、
 『ユダヤ教の後発の宗教』なのである。
 ユダヤ教から派生し、生まれた宗教である。
 それ故、何から何まで、ユダヤ教の流れの中にどっぷり
浸(つ)かっているという宗教である。
 キリスト教が大きくなったため、一人で大きくなった様
な錯覚があるが、また、態度であるが、当然、そうではな
い。
 キリスト教は、その様な経緯(いきさつ)から・・『オ
リジナルな宗教』とは言えない。独自性は無い。
 ユダヤ教の流れの中で、その範疇(はんちゅう)の中で、
 動きまわり、考え、教義がなされている。
 それは、やむを得ない、しょうがない事である。
 同じ地域で、同じ民族が、同じ頃に、成立させたという
点から、その独自性が・・出る訳がない。
 成立基盤が同一で、同一の根がある故、やむを得ない事
である。故に、宗教内容に、著しい同一性を持つ。
 何しろ、強く宗教性の性格付けをする『正典が同一であ
り』、この同一性で、「ほとんどが決定」されている。
 宗教が寄って立つ、成り立たせる正典が同一で、違うと
ころがある訳がない。
 歴史的に見ても、キリスト教を遡(さかのぼ)って行け
ば、ユダヤ教の『一宗派』に行き着く。
 キリスト教は、事情が許せば、ユダヤ教内に留まりたい
としていた。しかし、ユダヤ教側から、「破門処分された」。
 しかし、この様な経緯(いきさつ)があるのに、キリス
ト教は、旧約聖書を、キリスト教の独自の聖典の様な発言
をしている。
 キリスト教聖職者は、旧約聖書について、「ユダヤ教で
も正典としている」と言っているが、ユダヤ教のオカブを
奪っていて、何をかいわんやである。ユダヤ教の正典を奪
っている事実を曲げようとするキリスト教である。
 この言い方は、完全にキリスト教のプロパガンダ(嘘宣
伝)である。キリスト教は、この様な、この類いのプロパ
ガンダ(嘘宣伝)をあちこちでしている。
 ユダヤ教は、「私たちの正典をキリスト教が盗んだ」と
言っているが、これが正しいのである。
 キリスト教は、ユダヤ教から勝手に持ってきた正典を「
旧約聖書」と名付け、使用し、また、キリスト教が作った
「新約聖書」とともに正典としている。
 キリスト教の言い訳は、「ユダヤ教の正典を旧約聖書と
し、新約聖書に記したイエスの寄って立つところが旧約聖
書に表されているから」としている。
 これは、キリスト教の勝手な論理で、ユダヤ教は、当然、
その様なことは言ってない。
 この様な言い方が成立するのであるならば何でも言えて
しまう。例えば、アインシュタインの「一般相対性理論」
と「特殊相対性理論」など何でもよい、言ってしまえば勝
ち的なキリスト教となっている。
 筋の通った論理性はまったくない。
 「子供自慢する親馬鹿」も聞いていて嫌だが、キリスト
教のこの言い方も嫌だ。盗み行為の正当化だ。そして、キ
リスト教は、「こちらが正統なのだ」と悦に入っている。
 ユダヤ教に破門され、独り歩きを強制され、歩いて行く
キリスト教に、さ迷い歩く時が流れていくが・・、
 ユダヤ教に放り出されたが故に、やむを得ない放浪の状
況だったが・・、
 そのさ迷いの状況に、当然、進むべき道の「種々の路線」
が浮かび上がった。そして、路線問題の確執に、もめにも
めるキリスト教であった。
 その解決には400年もの時が必要だった。
 紀元後397年になって、やっと、『キリスト教の聖書が
決まった』。イエスの死から4世紀近くが流れていた。
 日本で言えば「関ヶ原の合戦」の頃との時代差となる。
 聖書とならずに、この時点で、捨てられ、焼かれた、聖
書になり損(そこ)ねは多く、
 キリスト教は、後代の人たちがが、再び、見る事が出来
ないという「焼却処分」を、浅はかな事に行った。
 この行為は、後代の聖書研究者の悔いる所となっている。
 また、この影響から、「イエスの実在性が立証できない
でいる」。イエスは本当に実在したのか?の問題である。
 キリスト教が作った新約聖書は、ユダヤ教から拝借した
旧約聖書の『半分にも満たない』という正典である。
 宗教としての大切な論理の完成度に影響している。
 また、キリスト教は、伝搬していく過程において、あら
ゆる地域の土着の宗教と習合した。
 その習合は、宗教として、まったく節操ないと言える。
 例えば、A地域の宗教と習合したキリスト教を、Aキリス
ト教と呼べば、B地域の土着の宗教と習合したBキリスト教
が存在するという具合。
 この点からも、キリスト教が主張する「神から与えられ
し無謬なるもの」の論理は、明らかに成り立たないのがお
分かり頂けると思う。
 A地域の「Aなる『キリスト教の神』が存在し、また、B
なる『B地域のキリスト教の神』が存在することになる。
 そのどちらかに『無謬ではない』という論理が成立する。
唯一神の論理も成り立たない。
 キリスト教は、この様な形の、『多神教の宗教の状況』
を呈している。
 今、キリスト教の宗派は20000あると言われている。
 キリスト教の神々は、まったくびっくりする如くに、
 20000にもわたる事ごとを・・話している。
 キリスト教のロゴスのあまりにも多様な種が存在するの
である。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2014年4月11日金曜日

何故か気になり、読み返したメモ

 題:何故か気になり、読み返したメモ
 (脅威の度合いは、従来と比べものにならなくなった)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 今、ファミリーレストランで・・、そこにあった新聞を
手にした。
 ファミレス内は家族連れも多い。皆、幸せそうだ。
 「アベノミクス」で、明るさが感じられる様になって来
た。
 お父さんは、「ビールを手に『ホッ』としたひとときを
楽しんでいる」。小さな幼児が、「無邪気に」歩き、可愛
さを振りまいている。
 お母さんも、穏やかな時間の中に、幸せに微笑んでいる。
 そして、目にした新聞には・・、
 「北朝鮮が、日本全土を、射程に収める弾道ミサイル『
ノドン』を200基以上、保有している」・・と報じていた。
 「米国の核専門家は、2月、北朝鮮が、すでに、ノドンに
搭載可能な小型核弾頭の製造能力を有していると分析結果」
を示した・・との事。
 日本の防衛省幹部も、「日本に対する脅威の度合いは、
従来と比べものにならなくなった」・・と報じている。
 政府も、「坐して自滅を待つべし・・というのが、憲法
の趣旨とは考えられない。
 他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地を
叩くことは法理的には、自衛の範囲に含まれ可能」(1956
年、鳩山一郎首相答弁、船田中防衛長官代読)との立場を
示したという。
 しかし、日本は、実際には、敵の基地攻撃のための打撃
力は保持して来なかった。
 今、日本は、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)
で、打撃力は、米軍に全面的に依存することになっている。
 安倍首相は、2013年5月8日の国会答弁で・・
 「日本を攻撃しようとしているミサイルに対し、米軍に
攻撃してくださいと、日本が頼む状況でいいのか」と問題
を述べた。
 いざ敵の基地を攻撃するとなると、
 ①日本の潜水艦やイージス艦に巡航ミサイルの「トマホ
ーク」を搭載するとか、
 ②日本の戦闘機に対地攻撃ができる「ミサイル」を搭載
することだが・・。
 ただ、この様な、日本の敵基地攻撃の打撃力を持つと、
近隣諸国や、中国が反応して、東アジアの軍事的な緊張が
高まる結果となり、
 米国は、このことを根強く懸念する考えを持っている。
 これから、この事に関して、日本の防衛省は、米国と協
議していきたいとしている。
 そして、このことを6月にまとめる『防衛大綱見直しの中
間報告』に盛りも込む。
 今まで、政府は、2004年12月に、「長射程の精密誘導弾
の研究着手」を中期防衛力整備計画の原案に盛り込んだ。
 これは削除されたが・・云々。(参考・読売新聞2013・
5・18)
.
 (追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
れた方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
 止めずに、相変わらず、続けています、
 これが目的なのですと言う如くに、
 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
http://www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
http://www.youtube.com/watch?v=EE_KtK311aA

2014年4月10日木曜日

節操がない状態・・・、

 題:節操がない状態・・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書には・・、
 書いたと言われている人の名前が冠されている。
 ・・が、しかし、
 例えば、「マルコによる福音書」は、
 マルコによって書かれていると思ってしまうが、しかし、
これは思い過ごしである。
 また、聖書自体に、「イエスの言葉」や「行動」が、書
かれていると言われているが、これも大間違いで、大きな
思い過ごし。
 イエスの言葉は、「ほとんど無い」状態となっている。
 1つの福音書に、イエスの言葉が、有っても1つか、2つと
いう状態である。
 また各福音書においても・・、
 例えば、「マルコによる福音書」にしても、
 「マルコによる」と書いてあるから、「すべてがマルコ
によって」書かれたと思われるでしょうが・・違います。
 マルコが書いたところは一部で、原始キリスト教徒と言
われていた人たちの言葉であり、考え方なのです。
 マルコが書いたものに、書き加えられたり、マルコが書
いたものが消されたりと・・、
 キリスト教の聖書というものは、いじくり回されて、で
きて来たもの。
 また、この「マルコによる福音書」は、最初に書かれた
福音書で・・、
 イエスの死後、エルサレム神殿内に居た「イエスの流れ
をくむ人たち」は、
 「エルサレム教会を形成した」と、後の人たちは、評価
するが、その指導的立場に居たのは、「イエスの弟・ヤコ
ブ」。
 そして、そのグループに加わっていた「イエスの母・マ
リア」。そして、親戚たち。
 (イエスの父・ヨセフは、比較的早くに亡くなったと言
われている)。
 そして、「イエスの直弟子たち」。
 そして、「イエスの従兄弟の洗礼者ヨハネから連れて来
た人たち」・・などのグループの考え方が・・、
 「マルコによる福音書」には書かれていた。
 因みに、洗礼者ヨハネは、イエスの刑死以前に刑死させ
られていた。
 しかし、この「マルコによる福音書」を書き直して、
 「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」が書か
れた。
 キリスト教は、この点を美しく言いたいために、「マル
コによる福音書」を下敷きにして、「マタイによる福音書」
と「ルカによる福音書」が書かれました・・という言い方
をしますが、
 「マルコ」から「マタイとルカ」への変化は大きい。
 キリスト教は、この3つの福音書を「共観福音書」と呼ぶ
ようにしている。
 そして、「共観」だ、「同じ」だと言っている。
 しかし、この言い方も「キリスト教の裏側」を隠す言い
方となっている。
 ここに、原始キリスト教の世界にあった『路線問題』だ
った。
 パウロの出現なのである。
 パウロは、立ち話的に、イエスの直弟子たちに会い、話
をしたとの事。
 後の時代のキリスト教は、この事を囃(はや)し立てて、
 「第1回の公会議」だと仕立て上げているが、
 道でばったり会ったぐらいの事なのであろう。
 大した事は決めていない。
 この様な、「パウログループ」と「イエスの親族・直弟
子グループ」は、考え方の違い・路線の違いがあった。
 つまり、「イエスの親族・直弟子グループ」の立場を理
解した福音書が、「マルコによる福音書」だった。
 その福音書を大きく書き直しをして、ギリシャなどにも
馴染(なじ)みやすい福音書、
 そして、パウロの個人的考え方も理解した福音書の「マ
タイによる福音書」と「ルカによる福音書」だった。
 ルカは、ギリシャ語を知っていたと言われている。
 基本的に、パウロは、「イエスの言葉」や「行動」に理
解を示していなかった。
 また、『考えが違う』と、参照した福音書の内容を、簡
単に変えて、自分の福音書を書いたり、
 また、「伝言ゲーム的な食い違い」など、
 各福音書間には様々な違いがあり、
 キリスト教の教義は、この為、『これだと言えない状態』
となっている。
 その状態は「節操がない」状態と言える状態となってい
る。
.
 (追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
れた方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
 止めずに、相変わらず、続けています、
 これが目的なのですと言う如くに、
 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
http://www.youtube.com/watch?v=nKNQXEqBZsQ
http://www.youtube.com/watch?v=EE_KtK311aA

2014年4月9日水曜日

罪の話に・・心を病む・・、

 題:罪の話に・・心を病む・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、まず最初に言う・・、
 「あなたには罪があります」・・と、
 有罪宣告である。
 しかし、次に
 「罪からの救済を『罪のゆるし』と言う」・・と、
 「ゆるし」の話に、ありがたさを感じさせながら入って
いく、
 そしてまた、キリスト教は言う・・、
 「すでに罪はゆるされている」・・と、
 そしてそして、言う・・、
 「これを『ゆるしの先行性』・・と、
 あなたは、心の中で、「もっと早くから、最初から、ゆ
るしてしまって、何もないにしろ」と叫んでいるでしょう。
 そしてさらに、言う・・、
 「人は、責められるよりもゆるされる経験によって成長
する」・・と、
 そしてそしてまた、言う・・、
 「ゆるされる、受容される事は人を生かす力になる」・
・と、(我田引水論理・・)
 そして、キリスト教は言う・・、
 「『ゆるしの先行性』で、すでにゆるされているという
事実は、人々を安心させ、生きる喜びを与える」・・と、
 そして、「否定される自己を回復するほど大きな希望は
ありません」・・と。
 以上の、このキリスト教の論理は、何をか況(いわん)
やです。
(参考)何(なに)をか言わんや  なにを言おうか、言うこ
とがなにもない。あきれてなにも言えない。
 例えば、あなたが、無実なのに、急に、「泥棒」と言わ
れた場合、まず、「びっくり」するでしょう。
 キリスト教の「突然の有罪宣告」はこの様なもの。
 この様に、キリスト教の教義・考え方・論理は、まず、
無実の方々を罪人にするところから始まる。
 そして、あなたは、「何も泥棒なんてしていない事を説
明するでしょう」。
 しかし、キリスト教は「無実の人」にはしてくれません。
 キリスト教の教義がそうなっているからです、有無を言
わさず、あなたは罪人にされて、そして、話が始まる。
 逆に言うと、「あなたには罪がない」としたらキリスト
教の教義の展開が始まらないし、宗教の成立の大原則が大
崩れを起こしてしまいます。ここは、ゆずれないのがキリ
スト教の事情なのです。
 そして、キリスト教の人は、あなたに言うでしょう、
「あなたは、ご存知ないかもしれませんが、あなたは生ま
れながらの『泥棒だった』のです」・・と。
 この泥棒の事をキリスト教は「原罪」と言っている。
 この論理展開のスタートに、あなたはびっくりすると同
時に、続けて、あなたは言われます、キリスト教には「罪
からの救済」という「罪のゆるし」があります・・と。
 無理やり罪があると有罪にして、「ゆるしの教義の存在」
がキリスト教にあるとの話になる。ありがたさの押し売り
をしながら・・。
 ここであなたは「ならば、最初から『ない』と言えばい
いでしょう」というか? さすが、キリスト教、ありがと
うと言うか? 「上げたり、下げたり、なんだこの宗教」
と心の中で思うか?・・とかとか・・でしょう。
 キリスト教は、この様な教義で、
 「あなたの泥棒の罪は、すでにゆるされているのです」
・・と来たら、次に、あなたは言われるでしょう、
 このキリスト教の教義は「ゆるしの先行性」と言います
・・と、そしてさらに、追い打ちをかける様に、キリスト
教の人から言われるでしょう・・、
 「人は責められるよりも、ゆるされている経験によって
成長するものです」・・と。
 そして、あなたは思う「だから、キリスト教は『罪があ
る』『罪がある』と、無いと思った罪をでっち上げたんだ
な・・と。そうして、ありがたがらせるのかー・・と、
 そしてさらに、「受容は人を生かす力となるのですよ」
・・と、効果の話がキリスト教の人から続く・・が、
 医者が「癌だ」「癌だ」と言って、「癌ではありません
でした」と言ったら、生かす力となるのだろうか? キリ
スト教のやり方はこれと同じ、
 ほとんどの人が頭に来てしまうだろう。怒るだろう。キ
リスト教はこの様な説明をしている事になっている。だか
ら、正しいのだとキリスト教は言うが・・、
 そしてさらに、「すでにゆるされているという事実は、
人々をどれほど安心させ、生きる喜びを与える事でしょう」
・・と、キリスト教は言う・・が、
 違うって、怒ってますと言いたい。口から出まかせの類
いだろうが・・と、
 さらにさらにそして、「否定されるべき自己、泥棒だっ
た自己が回復するほど大きな希望はないでしょう」・・と、
キリスト教から言われ、
 あなたは呆れて無口になっているでしょう。言わせてお
きましょう・・と。
 そして、あなたは言われる、「これがキリスト教の神の
愛です」・・と。オメデトウ・・キリスト教。
 「これがキリストの愛の教えです」と更に念を押される。
 この様な話の展開のキリスト教。心をもてあそぶ宗教。
論理展開に誠実さが感じられない。幼稚な作り話的展開。
しかし、この様な話で、このキリスト教の無実の罪の話と
心をもてあそぶ話に心を痛める方が何人居られるというの
か、この事を思うと怒りが涌く、心を病む人は何人居ると
思っているというのか・・・・っ、
 次の世代に伝えてはいけない宗教なのだ。
 仏教は、あなたにも「佛になり得る『佛性』があります」
と、希望と誠実な努力を教えている。
.
 (追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
れた方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
 止めずに、相変わらず、続けています、
 これが目的なのですと言う如くに、
 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=qlnkudtpet4
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2014年4月8日火曜日

第一に、大切にしなければならない・・、

 題:第一に、大切にしなければならない・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、言う・・、
 『人間の生命は、その人のものではなく、生命の与え手
であり所有者であるのは(キリスト教の)神である』・・
・と。
 これは、今・現代、キリスト教に流れる言葉である。
 過去の話ではない。
 それも感受性の鋭い子供たちが、今、言われている言葉
である。
 その様に、言われる人間を、一番、殺した宗教がキリス
ト教である。
 キリスト教は、「神の御旨に」と言って、キリスト教の
聖職者たちが神を語って、「神の衣を着た悪い狐」のごと
くに、悪賢く、多くの人々を殺した。
 その殺される人たちに、『輝く人権がある』とは見なか
った。見えなかった。生命(いのち)は「その方たちのも
のでしょう」と強く強く言いたい・・、
 キリスト教の教義に洗脳された、悪い人たち=キリスト
教に洗脳された人たちは、教義に洗脳されているため、
 人々に人格がある、そして、『輝ける人間』とは見えな
かった。
 あなたに、可愛いお子さんが居たとしても、そのお子さ
んを、キリスト教が見ると・・『生命の与え手であり、所
有者であるのはキリスト教の神』・・という、見方をされ
ます。
 神を崇(あが)めるにしても、唾棄すべき考え方であり、
そのことによる死者は『あまりにも多く』、その殺戮行為
は、許すことはできない。
 親たる貴方と、お子さんとの繋(つな)がりは、重視さ
れません。その様な、キリスト教の教義だからです。
 心底に、「その様な考え方」が流れているのです。だか
ら、その様に、見られてしまうのです。
 過去と同じ様なこの問題が、これから形を変えて、起き
る事がなければ良いがと思います。
 キリスト教とはこの様な宗教なのです。この様な、考え
方をするのです。その行為は、結果として、『愛ある行為』
とはなっていません。
 口では盛んにプロパガンダ(嘘宣伝)し、人々を、盛ん
にマインド・コントロールしていますが・・。
 キリスト教と関(かか)わりを持っていると、知らない
間に、この様な考え方に染まり、最初はおかしいなと思っ
ても、その判断力は『正常さを失って行きます』。
 キリスト教は、この例の様に、キリスト教の神を介在さ
せて、綺麗に表面的には感じさせますが・・異常な、意味
不明な事に、結果的に、染まって行かせられます。
 そして、キリスト教が出来た頃の時においてでさえ・・、
 キリスト教を実質的に作った創始者『パウロ』でさえ・
・「死についてもの凄(すご)く悩んだ」と言っている。
 その一方、その口が乾かぬうちに・・、キリスト教は、
 「キリスト教の永遠の生命を信じる者は、肉体的な死や
精神的な死を恐れない、むしろ、希望を持って死に臨んで
いく」と洗脳し、洗脳される。
 パウロでさえ怖れおののいた死を、キリスト教は、いと
も容易(たやす)く、この様に、死する説教をする。
 そして、あなた方は洗脳されて行く。
 死を憧(あこが)れさせた時代がキリスト教にはあった。
 酷(ひど)い時代だった。キリスト教にはこの様な前科
がある。
 この様なキリスト教の間違った考え方して、そして、可
哀想にも、その考え方を、キリスト教徒は押し付けられた。
この事にも、憤怒が禁じ得ない。
 生命を謳歌して、生きる喜びがある事をまったく理解せ
ず、キリスト教の神に目が向き、その人の生命を無視する
キリスト教に、強く憤怒する。
 キリスト教は、『生命尊重の宗教ではない』。『愛など
無い』。無責任、極(きわ)まる宗教だ。
 そして、ああだ、こうだと、キリスト教独特の理屈をこ
ねまわして、尊い命を粗末にする考え方を洗脳する。
 特に、この様な考え方を、感受性の強い子供たちにして
いる事に憤りを訴えたい。
 高揚し、そして、逆上(のぼ)せ上った宗教=キリスト
教である。そこは、何ら価値がない以上に、正しい考え方
をさせない洗脳があり、そして、害悪を世に流し続ける。
 何があっても、この世に生を受けた方々の生命は・・、
 キリスト教の神のものでもなく、
 私たちの大切なもの、『第一に大切に』しなければなら
ない。
.
 (追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
れた方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
 止めずに、相変わらず、続けています、
 これが目的なのですと言う如くに、
 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
..
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2014年4月7日月曜日

人間に偉大なる特質が・・、

 題:人間に偉大なる特質が・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教という宗教が、始まるところを・・、
 キリスト教の教義の面から、色々と、考えてみると・・、
 まず、「創造神だ」と言われるキリスト教の神が・・、
 人間を創らなければ、キリスト教という宗教が存在する
必要もない訳であるが・・、
 しかし、だが、キリスト教の神は、「人間を造った」。
 キリスト教の神は、人間を創る必要性を感じたのだろう。
 キリスト教の神は、埃(あくた)をこねて、人間を創っ
た。そして、創ってはみたものの・・、
 (何故か? キリスト教は、人間の創り方については詳
しく触れる。それが何故だかはわからない。
 その理由の説明をキリスト教はこれっぽっちもしていな
い。だが、女は、「男の肋骨」から造ったとかと、人間に
ついては、かなり詳しく書いている。また、豚など動物な
どは、どうして創ったかはまったく分からない。
 説明を省かれた動物然り、鉱物、植物、微生物、ウィル
ス・・などなど、そのほとんどが・・説明すらない状態)、
 そして、キリスト教の神は、人間を創ってみたものの、
その人間が、善なるものかどうかが、神自身・自分でも分
からなかった。
 結局、神は、創った人間を、エデンの園という楽園に住
まわせてみたものの、その楽園の一角に、実の成る木を植
え、『その木の実を食べるなよ』と命じた(禁断の木の実)。
 故に、キリスト教の神は、自分が創った人間に「その命
令をする必要性はある」と感じた。人間をその様に見てい
た。故に・・、
 キリスト教の神は、人間を善と見ているのか?・・の問
いに対しは、
 キリスト教の神は、「人間が、食べてはならない木の実
を実(みの)らせる木を、人間の居る所に創る必要性」は
感じていたと言える。
 故に、キリスト教の神は、必ずしも人間を『最初から、
善とは見て居なかった事は、すでに、明らかなのだ』。
 キリスト教の神は思っただろう、「俺が創った人間ども、
もしかすると禁断の木の実を食うかもしれんな」・・と。
 案の定、キリスト教の神の怖れていた通り、見通してい
た通り、人間どもは「食べてはいけないと言われていた木
の実を食べてしまった」。
 そして、そのため、「人間は、『原罪』という罪を背負
ってしまった」。
 キリスト教の神は、「不完全な人間を創ってしまったな」
と、心の中で失敗策を創ってしまったと思っただろう。
 ・・が、もう遅い、食ってしまったではないか、
 見通しが甘かったのだ、会社だったら少なくとも左遷だ。
 人間の歴史は、この様な、キリスト教の神の創造の、必
ずしも完全とは言えない創造による性格を持って始まった。
 それにしても、以後の人間にずーと備わっていく原罪を、
 こんな『重い罪である原罪』を、口で言って、効くほど
のレベルに人間を創れなかった神も神だ。
 神に責任がある。
 神に責任が全くないとは言えない。
 「以後、キリスト教の神も責任が生じました」くらい、
聖書に書きとめておくべきだ。
 キリスト教の神は、自分が創った人間が、不完全と知っ
て、その人間に原罪が生じてしまったことを確認し、その
人間の不完全なところを救わねばならないと感じ・・、
 その結果、人間を救うこととした。(責任を感じてそう
したとも言える・・善後策だが)。
 結局は、キリスト教の神が『不完全な人間を造ったとこ
ろから始まった』。
 また、『別の見方』をしてみると、
 この1件の事から、
 人間は・・、
 キリスト教の神の『予測外の性格・資質・特質』を持つ
ということが証明されたとも言える。
 この事は、この1件からでも明らかである。
 キリスト教の神でも把握しきれない人間の『偉大な特質』
の存在を誇らしく感じるべきである。
 性悪説のキリスト教で、心がすぐれない方は『自信』を
お持ち下さい。
.
 (追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
てください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、、寄付をしてく
れた方々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
 長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
切に使って下さい。
 そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
るという『善行為』が本来の目的なのですから、
 寄付を募る広告の画面などで、『キリスト教の十字架を
目立たせて書いたりする行為はおかしいです』・・と、申
し上げさせて戴いたのですが、
 止めずに、相変わらず、続けています、
 これが目的なのですと言う如くに、
 子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出しています。
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