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2013年12月6日金曜日

旧弊も、引きずっている・・・、

 題:旧弊も、引きずっている・・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書の・・・
 「マルコによる福音書」「マタイによる福音書」「ルカ
による福音書」を、共観福音書と言います。
 これは、この3つの福音書が似ているから、この様に言
われているのです・・が、
 それは、「マルコによる福音書」を手本にして、
 後の2つの福音書が書かれているため、似ているのです。
 似るのが当然なのです。
 キリスト教の聖書は全部で4つ、つまり、あと1冊ありま
す。
 それは、「ヨハネによる福音書」と言います。
 この福音書は、紀元後100年頃に書かれた福音書です。
 イエスの死後、70年ほどが経過した頃でした。
 イエスの姿も見えなくなり、1世代以上・・、いや2世代
も前の人となっている頃に、書かれたものでした。
 おじいちゃんの事を、孫が書くという様な状態でした。
 今の時代と違い、優れた記録媒体が無いという、古代の
ことで、
 頼るものと言えば、人々の記憶に頼るしか方法はありま
せんでした。
 しかし、それも70年という年月は、古代という時代とし
ては、大きな、長い年月であり、
 また、戦乱に明け暮れるこの地の古代としては、
 社会の不安と、不安定の中で、その記憶を維持するとい
うことは、大変な状態で、
 また、大きな重しとなって存在していました。
 伝説の昔の人のことを書くという状態です。
 キリスト教は、この「ヨハネによる福音書」の著者を、
長い間、間違っていました。
 研究が進んできた今、まだ、間違いの確率は高いのです
が、
 その著者を、有力な人を、特定して言える状況にありま
す。
 今まで著者と言われていた人は、『使徒・ヨハネ』と言
われていましたが・・、研究の進んだ今、使徒ヨハネでは
ないという否定される面が、点が、色々浮かび上がってい
ます。
 今・現在、「使徒・ヨハネ」と言われている人は、
 ガリラヤの漁夫で、無学の人とされています。
 イエスからも、「雷の子(ボアネルゲ)」と、半分、さ
げすむように呼ばれ、馬鹿にされていました。
 血の気が強く、決して頭脳明晰ではないと紹介されてい
ます。そして、哲学的思考などできるような人物ではない
とも言われています。
 それにまた、「ヨハネによる福音書」は論証的であり、
 共観福音書よりは知能的で洗練されたレベルであるから
でもあり、
 この福音書を、レベルの高い人のためのものと、聞き様
によっては差別的な事もキリスト教では言われている。
 以上の様に、キリスト教の福音書は、「大きく分けてこ
の2つ・2種類」とも言える状態です。
 当然、「使徒・ヨハネ」は、「ヨハネの黙示録」や「福
音書」を書いたという事になってしまいますが、これも間
違いという事になります。
 では、真の「ヨハネによる福音書」の著者は?という事
になります。
 現在の研究によると、現時点での最終的な著者説は、「
長老・ヨハネ」と言われています。
 「長老・ヨハネ」の存在については、
 小アジアのキリスト教会指導者であるパピアスが、
 紀元後130年頃に書いた本の中に書き記(しる)してい
ます。
 「使徒たちが語ったことを長老たちに問いただし、長老
ヨハネにも問いただした」(エウセビオス「教会史」第3)
と書いています。
 1世紀末に在世した「長老・ヨハネ」は、エペソの教会に
いた。このヨハネが、「福音書」や「手紙」などの著者と
現時点ではされている。
 ヨハネの「手紙」の中にも、「長老のわたしから・・・」
とも書かれている箇所がある。
 使徒なら「使徒」と書いただろうとされ・・。
 キリスト教は、今ここに記した様に、陰に隠れていた著
者が、また新たに浮かび上がってきたが、
 「長老・ヨハネ」というこの新たな人物の著作物も『信
仰の対象』とする形の宗教。
 急に浮上する信仰対象とはと・・半分あきれる形。
 この例の様に、不特定の人々が、書いて、寄せ集まって、
出来て来た形だと、キリスト教はなっている。
 旧約聖書も、まったく、同じ形をとっている。
 この形は、『キリスト教のDNA』となっている。
 心棒のものがない、
 周りにあるものを付けくわえながら・・・
 出来てきた宗教。そしてそれがDNA。
 イエスならイエスを、存命中からその教え・考え・哲学
が宗教という目的でしっかり記録されていれば、
 その目的が、当初から、しっかりあるのならば・・・、
 もっと違ったものとなったであろうが・・・。
 まわりの弟子も少なく、また、知的な集団でもなかった
こと、
 そして、イエス自身も、『ユダヤ教のラビとしての意識』
での活動であったこと
 (イエスの弟子たちでさえ、イエスを、ユダヤ教の聖職
者の呼称『ラビ』という名称で呼称している)から、到底、
宗教としての『出立点は存在し得なかった』。
 イエスの死後、だいぶ経った頃、
 パウロという『元ユダヤ教聖職者』が、
 思い立ったように、
 自分の『勝手な宗教の企画』でもって、
 始めたという出立点があるだけの状態。
 そこに、深い哲学的示唆があったわけではない。
 あとから、付けたしで、たいぎょうなプロパガンダが、
修飾がされ、施されたが・・・
 いつまでも、いつの時代も、キリスト教は、
 この出立点の『底の浅さ』が災いしている。
 そして、いつまでも、いつの時代も、
 ユダヤ教時代の『旧弊も』引きずっている。
 人類の救済になり得ない要因の1つはここにもある。
 逆に人類の歴史に悪結果を残している。それは、歴史を
見れば分かる。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2013年12月5日木曜日

根本のところで、命の大切さを説いてない宗教。

 題:根本のところで、命の大切さを説いてない宗教。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教には、
 『我が民族の生き残り』のために・・という、宗教に生
まれついた因がある。
 初めは、はっきりと『戦勝を祈る神』だった。
 『勝ち残っていく世界』の神だった。
 多民族が生きるために、『しのぎを削っている世界』の
神だった。
 そのために、『他の人のために』などという精神は、こ
れっぽっちも、微塵(みじん)もない宗教だった。
 1例をあげれば、
 人の命を助ける医療関係に、キリスト教が、関係して行
くときも、
 その第一の目的は、そのことによって『キリスト教の権
威』を得たいだった。
 自分だけに利がある『権威』を求めた。
 人の命を助ける事より、『権威が欲しい』が優先した。
 その為、その当時、医療の部分をカバーしていた人々=
助産婦さん方が、キリスト教の餌食(えじき)となった。
 人々に医療技術を施していた『助産婦の方々』を殺しま
くった。
 また、薬を煎じる姿を『魔女だ』・・と、因縁(いんね
ん)を付け、捕まえて、殺した。
 西洋にも、東洋医学の漢方の様な、『立派な文化』があ
った。
 キリスト教のために、この『人助けの文化』は絶滅した。
 キリスト教は、また、異常に『異教を忌む宗教』で、
 『異教徒は殺せ』の教義が、キリスト教には暗黒の帝王
の様に存在している。
 そして、その精神で、同じキリスト教徒でさえ、『異端』
として捕まえ、殺した。または、放逐した。その数は、
 数知れずだった。
 中国まで逃れ、流れて行った『景教』も、その様な宗教
だった。
 『景教は、キリスト教ではない』とされた。
 キリスト教は、自分と同じ意見なら、「いい子、良い子」
をする。
 意見が違うものなら「処刑だ」・という宗教である。
 なんと多くの方々が、キリスト教の毒牙にかかったとい
うのであろうか。
 キリスト教徒どうしでさえ、殺し合った。
 卑劣な宗教である。
 例えば、ミカエル・セルヴェトゥスのこと。
 医者の彼は、宗教に興味を持ち、「聖書の権威を主張し
た」。
 ここまでは良かった。
 ただ、教会の権威を下げる様に表現をした。
 まず、三位一体神の論理を認めなかった。
 屁理屈だとした。実際、屁理屈なのだが・・、
 そのため、当然のように、権威をかさに横暴なキリスト
教組織から妨害され、圧迫され、迫害された。
 そして、逃げたが、捕縛された。
 そして、可哀想な事に、いつものキリスト教がやる『処
刑という道』が待っていた。
 彼は、「憐れみたまえ」と命乞い(いのちごい)をした。
 非情にも、キリスト教に、その願いも聞き届けられず、
 キリスト教は、彼を焚刑によって殺した。
 何故、この様な悲惨な状況が起きるのか?
 キリスト教は、根本のところで『命の大切さを説いてい
ない』という『非情な宗教性』を持っている。
 今なお、この教義は、訂正されずに残っている。
 人類の未来に害を与え、また、不必要な宗教となってい
る。また、信徒の方々は、絶対に幸せにはなりません。
 そして、もう一話・・・、
 ある話・・・、西部劇でよくある、相手を怒らせて、
 相手が先に銃を抜いたからと、
 「早撃ちガンマン」が、相手を撃ち殺す。
 『正当防衛』で・・・『無罪』・・・と言う。
 態のいい『人殺し』なのだが・・、
 相手は、アメリカ西部の開拓農民。
 勤勉に働くだけの農民。
 銃など使い慣れていない。
 一方、ガンマンは、
 「農民の土地を欲しがったが、売って貰えなかった一家」
に、ただ雇われただけの「雇われガンマン」。
 このガンマン、何の怨念も、相手の勤勉な農民に持って
いないが、「雇われ、依頼されたので、仕事としてやった」。
 このガンマンの寄って立つところが「正当防衛」。
 この様な論理が、国家間の戦争においても成立している。
 「戦争を起こしたものの罪」も、「あいつが先にやった
のだと、バチバチ相手をやっつけた者にも罪」がある。
 その両方が罪なのだ。
 今、国際法はこの様にはなっていない。
 「決闘の法理」で合法。
 この決闘の法理は「名誉が棄損」された場合も成立する。
 根っこにキリスト教の教義がある。
 故に、今まで日本人が考えてきた「戦争は絶対に許しが
たい犯罪だ」を根付かせていかねばならない。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2013年12月3日火曜日

パウロの回心は・・・、

 題:パウロの回心は・・・、
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
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 キリスト教を作ったのはパウロ。
 キリスト教の本には、
 「パウロがいなければ、キリスト教は、ユダヤ教の一つ
の派のままで、終わっていたかもしれない」・・と、説明
している。
 原始キリスト教を作った一団の人たちは、当然、それ以
前は、ユダヤ教徒であったのだが、
 ユダヤ教より遊離し、疎(うと)まれていた。
 そして、破門されてしまう。
 すぐに、別の宗派を作るというわけでもなく、
 ユダヤ教のエルサレム神殿などを拠点としていた。
 この本は、ここの部分の説明には触れず、ただ、パウロ
の存在だけが、キリスト教の存立に貢献した的にのみ書い
てあるが、
 「ユダヤ教に破門されたこと」が、大きな一つの転機・
原因・要因になっている。
 パウロの働きかけも、「ユダヤ教からの破門」が無けれ
ば、無かったと考えられる。
 パウロは、ある出来事で回心し、キリスト教になったと
いう。
 そしてまた、彼は、「イエスの十字架の刑死を、旧約聖
書にもある贖(あがな)いの死」と結び付け、
 そして、これまた旧約聖書に記載してある「復活』と結
び付け、
 この2点のみによって、新しい宗教(キリスト教)の宗
教骨格とした。
 パウロは、イエスに会った事も無い。
 パウロは、イエスの『刑死』と『復活』だけを、宗教企
画に採用し、
 イエスの「人となり」や、「イエスの行動や活動」など
のこと、
 また、「イエスの言葉・哲学・考え」などは無視し、棄
てた。
 パウロは、ガリガリのユダヤ教徒だった。
 キリスト教徒を捕まえ、殺害までもした男だった。
 パウロは、小アジアのキリキヤ地方(大分、ギリシャに
近い所)のタルソに生まれた。
 タルソは文化都市だった。
 パウロは、ローマの国籍を持つ、ユダヤ人だった。
 ギリシャの文化と教養を身に付けていた。
 青年時代に、エルサレムに留学し、
 熱心に律法を勉強し、
 ユダヤ教のバリサイ派の人となった。
 そして、せっせとキリスト教徒を捕縛(ほばく)し、牢
屋に入れた。
 この頃、パウロは、サウロと称していた。
 パウロは、ユダヤ教の大祭司から添書を貰い、
 キリスト教徒の脅迫・殺害をしていた。
 その様な行為を、せっせとやっている時に、回心の切っ
掛けとなった出来事の出会ったという。
 これを、キリスト教は、例の如く、オーバーに、過大に
プロパガンダ(嘘宣伝)で言うが、
 この時に、パウロに同行していた同行者たちには、誰に
も見えなかったと言うし、
 声だけが聞こえたと「使徒行伝」に書かれている。
 また、この「使徒行伝」を書いたルカ(ルカによる福音
書を書いたルカ)は、よく嘘を書くという。
 よく言えば、文学的に表現をする癖のある人で、『史実
が二の次になる人』と言われているので、
 真実がどこまでかは、非常に不確定である。
 事実、パウロ自身が、その様な事を何も述べていない。
 まったく、キリスト教のでっち上げの感が強い。
 本当に「嘘つき宗教=キリスト教」だと軽蔑する。
 パウロは、ただ、(「ガラテヤの信徒への手紙」1・16)
で、
 「御子(みこ)をわたしの内に啓示して下さった」・・
とだけ言っている。
 これは、キリスト教についての本にも「精神的な事だけ
のこと」と書いてあるが、
 パウロの心の中に起きた事だけの事といえる。
 精神的な事を、まったく、デッチアゲするキリスト教の
図なのである。
 パウロには、キリスト教徒の「ステパノ」が殺される時
の様子が、影響していたと言われている。
 パウロは、このステパノの死を目撃している。
 この様なことや、自分のしている事に、「すき間風が吹
いて、方向転換をしたのだろう」。
 啓示とのみだけを、自身は言ってるが、
 この事を始点としてできたキリスト教が、何人の人々を
死に追いやったかは、筆舌につくせぬ数、分からぬほどの
膨大な人数が、死んだ・殺された。
 また、パウロ本人が、何人のキリスト教徒を獄舎に繋(
つな)いだか、また、死に追いやったかは分からないが、
その無力感を感じたのだろう。
 何しろ、彼の以後、キリスト教は、南米などで、非常に
多くの人を殺し、また、ヨーロッパ大陸においても、ヨー
ロッパの方々の3分の1が死ぬという悲惨な戦争をしたりと、
酷い宗教の顔を現わす。
 そして、その様な事態が起こやすいという『劣悪な教義』
をキリスト教は持っている。
 これからの人類のためにも、この宗教は、この地球上に
存続させてはならないのである。
.
 (追伸):
 原始キリスト教の人々と言うのは、
 後代の人々が、勝手に、名付けただけであって、
 原始キリスト教の方たちは、『キリスト教でも何でも無
かった』。
 彼らは、後に、新約聖書とされる文を、徐々に、書いて
行くが、
 後に、正典になるなんて思ってもいなかった。
 原始キリスト教の人々は、キリスト教では無かった。
 ユダヤ教の聖典(キリスト教は旧約聖書というが)のみ
を、聖典とするユダヤ教徒だった。
 そして、ユダヤ教から破門されて、キリスト教の方へ流
れて行っただけ。
.
 (参考)そえ‐がき【添(え)書(き)】 [名](スル)
1 書画や器物などに、その由来などを書き添えること。ま
た、その文言。添え筆。 2 手紙などの終わりに、さらに
書き添えること。また、その文章。追って書き。添え筆。
「署名のあとに―する」
 (参考)ファリサイ派(ファリサイは、ヘブライ語: פרוש
ים‎)は古代イスラエルの第二神殿時代(紀元前536年 - 紀
元70年)後期に存在したユダヤ教内グループ。本来、ユダ
ヤ教は神殿祭儀の宗教であるが、ユダヤ戦争によるエルサ
レム神殿の崩壊後はユダヤ教の主流派となってゆき、ラビ
を中心においた、律法の解釈を学ぶというユダヤ教を形作
っていくことになる。現代のユダヤ教の諸派もほとんどが
ファリサイ派に由来しているという点においても、歴史的
に非常な重要なグループであったと言える。ファリサイ人、
パリサイ派、パリサイ人(びと)などと表記されることも
ある(ファリサイ人、パリサイ人と表記される場合は、厳密
には「ファリサイ派に属する人」を意味している)。なお、
ファリサイの意味は「分離した者」で、律法を守らぬ人間
と自らを分離するという意味合いがあると考えられている。
現在ではファリサイ派という名称は使われず、「ラビ的ユ
ダヤ教」、あるいは「ユダヤ教正統派」と呼ばれている。
                (wikipedia)
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2013年12月2日月曜日

イエスは言う、「サタンよ、引き下がれ」・・と、

 題:イエスは言う、「サタンよ、引き下がれ」・・と、
...(真を求めて 皆様ととともに幸せになりたい)
.
 キリスト教のイエスの最後の1週間は、
 「受難週」とよばれる。
 この最後の1週間のイエスの行動を決めたのは、
 「イエスの心が終末意識で、頭が一杯だった」からと判
断できる。
 シュバイツァー博士も、その様に判断している。
 博士は、
 「イエスの自意識の中に終末思想があった」と主張した。
 また、当時は、終末思想の全盛期であった。
 イエスも、この終末思想全盛期の中で生きて来た。
 そして、その思想に大いに影響され、
 洗脳されて来た。
 その様な、イエスの心の状態の中から、
 「絶対あって貰いたくないこと。
 それは、神殿の崩壊が頭に満ちて来るイエスだった」。
 そして、イエスは、神殿が崩壊すると口にして、言い、
 そして、その事を、預言する。
 イエスは、その様な、切迫する心の状態の中に居た。
 切迫する危機感の中で、
 口にせざるを得ない心の状態の中に居た。
 イエスの脳裏は、
 終末の光景に満ちていた。
 世相も、これと同様、まったく暗い、
 夢も無い、また、乱れ、倫理も最悪の中、
 戦乱に明け暮れる世の中だった。
 このイエスの受難週の、
 「イエスの行動も乱れていた」。
 エルサレム神殿で、弟子達をつれ、そして、大暴れした。
 この様な事が予感したのか、
 弟子たちは、「イエスのエルサレム行きに反対した」。
 イエスは激怒した。
 そして、「サタンよ、引き下がれ」と怒鳴った。
 弟子たちの考えと、イエスの考えは、
 完全に食い違いを起こしていた。
 キリスト教聖書は、ここの所を、
 主人公のイエスを悪く書く訳にはいかないので、
 すべて、「弟子たちが悪い」と書いてはいるが、
 例えば、
 ペテロがイエスを諌(いさ)めたとある。
 諌めるというのは尋常では無い。
 異常である。
 イエスと弟子たちは、
 完全に意識の食い違いの中に居た。
 イエスの刑死の時に、
 弟子たちが一人も居ないというのは、
 イエスと弟子たちが、完全に理解し合う間柄では無かっ
た事に原因がある。
 だから、行動を共にしてない女性たちが、
 イエスとの意見のぶつかり合いも起きえない女性方だけ
が、刑の執行に立ち会う事になってしまう。
 当然、弟子たちだけが、
 『逃げた』と悪者にされてしまう。
 イエスは、少なくとも、弟子を掌握していなかったと言
える。
 理解し合えていなかった。
 その様な状態で、エルサレムに入ったイエスは、エルサ
レムの庶民を敵に回す。
 エルサレム庶民が、生活のために商う店に対して、暴力
をふるう限りの事を、イエスはする。
 エルサレムの人たちのイエスの評判は、更に一層下がり、
最悪に。
 律法学者やパリサイ派の人々をはじめ、手当たり次第に、
イエスは、口汚く攻撃した。
 尋常ではない行動をした。
 冷静さを失って居た。
 自暴自棄的であった。
 人生を、世を、あたかも、儚(はかな)んでいるが如く
であった。
 少なくとも、絶対に、理知的な行動とは、爪の先ほども
言えない状態だった。
 イエスは、口汚く罵った。
 『ベビよ、マムシの子らよ』。
 『偽善者どもよ』。
 イエスが捕えられるのは、完全に、イエスに原因がある。
 それは、さも、イエスが誘っている様でもあった。
 明らかに、イエスは、現代社会でも、現代の法律でも、
 警察署に連行される様な事を、イエスは行なっている。
 また、エルサレムの人々を怒らす事をしている。
 イエスも、捕縛されると思ったのだろう。
 ここまでしてしまったと思っただろう。
 その様な、予測をしていた。
 それにしても、世の中を覆う終末観の中、
 希望や夢の無い、悲惨な社会であった。
 それにしても弟子たちは、ボロクソに言われる。
 「イエスを理解しない、鈍い弟子たちだ」
 「苦しむイエスをよそに、高いびきで眠りこく」
 「調子よく生きる人間だ」
 「自分が不利になると逃げ出す人間だ」・・などと、
 サンザン言われる弟子たちが居た。
.
 (参考)いさ・める【諫める】[動マ下一][文]いさ
・む[マ下二]1 主に目上の人に対して、その過ちや悪い
点を指摘し、改めるように忠告する。諫言(かんげん)する。
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   (詳しくは、以下のブログへ)
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