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2011年12月10日土曜日

麻生元首相の発言 「 やられたらやり返す 」 について

題 : 麻生元首相の発言「やられたらやり返す」について

 麻生さんと聞くと、
 大平さん以来の 久方振りのキリスト教の首相。

 ソマリア沖の海賊問題の時のご発言に 
 「やられたらやり返さなければならないのではないか」 と目を
大きくして発言されたのが 印象的でした。

 小生は 「アッ! 目には目を・・・かっ」 と思いました。
 キリスト教的な発想だなと思いました。

 東京のテレビなどでは、「思考熟成度が低い」と言われていました。
 また、強硬姿勢の思考形態が 「北朝鮮のキム・ジョンイルと同じ」
との批判の声もありました。

 また、「強硬サイドにしか梶が取れない思考」 「選択肢も固定し
狭い思考」 「頑固な固執思考経路しか持っていない」・・・など 
浅薄さを露呈した 1事例となってしまいました。

 「リスク指数」というのがあれば、 レッドゾーンのアウトですね。

 何しろ、 キリスト教は
 「(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い」 との
教義があります。
 また、それに輪を掛けて 「王権神授説」という教義があります。

 そこで、 国の長の戦争行為を是としています。
 思考形態は狭くなります。 
 全て正しいのは自分だ、 正義だ、 やってしまえになります。
ーー
☆ (若い方達へ)
 キリスト教は贈り物とか、讃美歌とか、外見上は優しく見えますが、
若い方達は特にご注意ください。
 虐殺や戦争の事例が実に多い宗教です。
 それは『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い』という
教義から来ております。
 他人を絶対にあやめてはいけません。間違った宗教に幸せな未来は
ありません。

 キリスト教の罪悪の一例である、ヨーロッパの30%もの方々が
亡くなった戦争事例がどの様なものかをお調べ下さい。 
 そしてまた、この%の異常さをお感じ下さい。 
 どの宗教も同じという話は無くなると思います。
 やはり、教え・教義からくる悲惨な結末なのです。
ーー
☆( キリスト教の教義の根幹をなす エゴ(自我)から争いへ )
 個人のエゴ・・人間が生きていくうえで、エゴは必要悪なのである。
 自己のエゴをそのまま是認してしまえば、堕落が始まる。
 教養と問えば、 剥き出しのエゴに多少とも磨きをかけ得る品性の
ことと言える。
 我々は、
 おのれのエゴの醜さを恥じ入り、
 それを少しでも控え目にさせることによって、
 辛うじて
 人の道を踏み外さずに
 生きていくことができるのであろう。・・・

 時に、
 エゴは、
 存在感を高めたり、
 自己の目的達成のために、
 しばしば宗教を利用する。・・・

 強烈なエゴを持った人物が、
 そして、
 強欲な人間が
 狡猾にも宗教を利用し始めると、
 その被害は甚大なものになる。・・・

 (ナチスの例)・・・
 特定の民族や集団は、
 長期間にわたって抑圧を受けると、
 その屈辱感が心的外傷となって、
 幾世代にもわたって
 集団の心理的DNAの内部に留まることになる。・・・

 それが、
 特定の条件下におかれると、
 眠っていた集団的記憶が蘇り、
 爆発的な力を発揮する。・・・
 その典型的な例がナチス・ドイツである。・・・

 ナチスは、
 あえてキリスト教と
 ドイツ民族の優越性を唱え、
 約600万人の異教徒ユダヤ人に対して
 ホロコースト(『完全に焼き尽くす」という意味)をやってのけた
 (キリスト教法王は
 ナチスに反対しないどころか、
 なびいていた)・・

 デマゴーグの最重要任務・・
 きわめて巧みに
 過去の歴史の古い敵を、
 現在の紛争の相手にすり替えてしまう・・・

 エゴが
 人前に現れる時、
 たいていは「正義」という名の
 美しい仮面をかぶっている・・・

 「正義」の名の元に
 制裁(争い)が起き、
 一種の「魔女狩り」が始まれば、
 とめどないものになる可能性は
 十分にある・・・

 「正義」とは
 誤謬(間違えること)であると
 断言してもよいのではないか・・・

 争いは「正義」の主張から起きることがほとんどではなかろうか・
....(参考文献:「なぜ宗教は平和を妨げるのか」 講談社α新書より )

☆キリスト教の「人間は生まれながらにして原罪がある」という教義と、
 「天に召されることを喜びとし、目的とする」という信条から、
 現実の人生に於ける生きる意味も目的も見失い、
 現実活動や社会建設の意欲を失い、また、
 そのような活動に励むものを見ても喜びを感じなくなったとの声も
聞く。
 この様な方の救済もせねばならない。

☆ダグラス・アダムズを追悼して
  「庭が美しいことさえ分かれば十分じゃないのか? 
     花の下に妖精がいるなんて信じなくても」 
        〔『銀河ヒッチハイク・ガイド』第16章より〕

2011年12月9日金曜日

近代の最先端科学は、『 キリスト教の間違い 』 を証明した。

題 : 近代の最先端科学は、『 キリスト教の間違い 』を証明した

☆地上に神は存在しないというキリスト教の教えは、
 近代思想の基礎を築いた。
 近代の思想家たちは、
ヒエラルキー・統治・闘争の必要性を唱えるキリスト教の教えを
 受け継ぎ、それを科学的に証明した。
  しかし、21世紀が近付くにしたがって、そうした思想には欠点が
 あるばかりか、科学的根拠も薄いことが分かってきている。
       (キリスト教暗黒の裏面史212頁 徳間文庫)
 (注)ヒエラルキー:ピラミッド型階層性・序列 

☆キリスト教のヒエラルキーは、
  神を頂点として、組織の構成要素すべてに優劣をつけて分類する
 という考え方である。
  しかし、近代哲学者の思想は、現実は、たわいもない偶然の出来事
 から成り立っているのであって、大きな意識によって意図的に
 生み出されたものではない、という考え方である。
 (当然、キリスト教の創造神の創造ではない)
  多くの者は、今ではこう考えるようになっていた。
  神の意志に目を向け、それを理解しようとしても、真理は見つ
 からない、と。
  機械的な宇宙の小さな要素を分析してこそ審理は見つかるのだ、と。
  宇宙が、神の干渉を受けずに動いていることが科学的に証明されて
 いる(同 214頁)

☆キリスト教は、自然界に神聖なものはないと考えている(神の居る
 天のみが神聖である、と)。
  キリスト教のイデオロギーから生まれ、近代思想家によって証明
 されたさまざまな思想は、20世紀末を迎えた今では、科学的根拠に
 欠けることが分かってきている。
  キリスト教の教義に関わった古典物理学には宇宙観を語れるほどの
 知識がなかったことが明らかになった。  (同 223頁)
  1例として、ニュートンは、十分な情報を与えられれば、出来事の
 結果を正確に予測できると思っていた。
  だが、量子力学によって、人間に分かるのは結果の「確率」に
 すぎないことが明らかになった。
  矛盾のない物理学を打ち立てようとしてきた科学者たちは、現実の
 すべての物事について論理的に説明するのは不可能だと、自らの発見に
 よって認めざるを得なくなった。
  波動関数の研究をしていた科学者たちは 物質界が「心的」でもあり、
 また「物的」でもあることを発見した。
  キリスト教の天地分離説を裏付けるものとして、古典科学者たちは
 精神と物質が分離していることを証明してきたが、それは科学的な真
 実ではなかった。        (同 224~5頁)
 (キリスト教の間違いを確認する結果となった)

☆『量子力学の理論が正しいとすれば・・文字通りの物質界などという
 ものは存在しない。
  この結論は、それが存在しないかもしれないというような、あや
 ふやなものではなく、その存在をきっぱりと否定するものである。
                   (同 224~5頁)

☆近年の科学者たちの功績によって、(ニュートンなどの)古典論が
 科学的根拠の薄いものだったことが分かってきたのである。
  近代の科学的方法、すなわち、構成要素を細かく分析して、キリ
 スト教的なヒエラルキーに当てはめるという方法も、今では考え
 なおされている。
  近年の科学によって分かってきたことがある。
  それは、要素を分析するだけではなく、要素の全体的なつながりも
 あわせて考えれば、真理により近づけるかもしれない、ということだ。 
                   (同 226~7頁)
 
 ( 仏教は全くすごい。仏教の教義が、最先端の近代科学で正しい
 ことが証明されて来ている。仏教の教義の一つを例に、『一切衆生、
 悉有佛性:(いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)・・・
 この世のあらゆる生きとし生けるものは、ことごとく皆、佛性(佛の
 性質、佛と成り得る資質)が備わっている。そうした生きとし生ける
 ものでもって宇宙は構成され、すべて(万物)が繋がり、時は流れて
 いる。そのつながりの中で育んで行く』・・・この定義されている
 仏教の考え方・教義が上記の近代科学の考え方と全く一致している。
 そして、キリスト教の教義・考え方は間違っている事が分かってきた
 と言われている)

☆今まで私たちは、キリスト教の恐ろしい歴史を見過ごしてきた。
  キリスト教の教えをさまざまな角度から検証する事もなかった・・
  気づくだろう。神は恐れと絶対服従を求める存在だ、と。
  教え込むことは、人間の精神を繰ることにほかならない、と。
  性差別主義・民族主義・全体主義の根底には、
 唯一至高神への信仰がある。   (同 238~9頁)

☆多様性や自由、人間の尊厳を重んじる世界へと突き進んで行け。
  そうすれば、人類が自由に人道的に生きていくという理想を揚げ、
 夢に向かって羽ばたくことができる。   (同 238~9頁)
 (方向性は多神教にある事が確認され、それが正しい方向性だと
 分かってきた) 
 (また最近、次の確認をした。来日された前パリ・ソルボンヌ大学
 総長が上記考えと同じ発言をされていた。
  多様性の中に人類の未来があり、各多様性さの中に神聖さがあり、
 オリジナリティがある・・・など)

2011年12月8日木曜日

武士は食わねど高楊枝

題 : 武士は食わねど高楊枝

☆「 武士は食わねど高楊枝 」 
            おお、君たちは良く言うた・・・
 
 地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏 : 十界

 君たちは、餓鬼界を 脱っしていたのか・・・

 文明の発達が相手より 少し遅かったという、
 ほんの少しの理由が・・・・
 嗚呼・・・

 反抗する手立てを 持たない人たちの
 南米という地において、
 降って湧いた様な ことに、
 とまどいと驚きの人たちに 対し、

 自分たちの欲を 達成しようと、
 欲情を 露骨に 現わし、
 他人の富、
 痩せた土地を耕したりして、極貧の中をやっと貯めた富、
 その富を 横取りする、

 さまよう 餓鬼界から、
 収奪の心をおこし、
 殺戮の限りを 実行してしまう、
 奪い取りの 地獄界へ 落ちていく、

 言語を 絶する、
 表現手段もない 極悪の極の 行為を、
 長い間、反省なく、
 何十年も、
 その 地獄界を、
 ばっこし、
 彷徨し 続け、
 全てを 殺して、
 やっと 自分を、取り戻す 者たち・・・キリスト教聖職者ら。

☆是非、岩波文庫の
  「南米の愚行・インディアスの破壊についての簡潔な報告」
                 ラス・カサス著     
                     をお読みください。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
☆後日談、
   ・・・本当につらくなる後日談を この本を読んだ後
                         見つけた。
 収奪した金などは、
         そのすべてを王たちへ出さず、
 私のものとして 持ち去り・・・・
          私腹を肥やして、優雅な生活をしたとの事。

2011年12月7日水曜日

「 風の生まれる地 」 の できごと

題:「 風の生まれる地 」の できごと

☆「 キリスト教の蛮行 」 
 「風の生まれる地」 と言われる
 南米最南端の地に居る 小民族は、
 かつて6000人いたと 言われているが、・・・

 この地球最南端の 僻地の 原住民・
 この様な 小民族にまでも、
 『 インカ文明の人々を絶滅させた
   キリスト教徒 と 
   彼らと行動を共にした キリスト教聖職者達 』 が
 やって来ていた事を、
 テレビで 確認した。

 インカなどの南米はおろか、
 中米、
 北米・メキシコ 
 および 周辺離島など、
 あらゆる場所で、
 やりたい放題の 殺戮を しまくった
 キリスト教徒の 極悪な虐殺・
 殺戮行為が、
 今・現在、この民族に

 「 絶滅 」という
 復活の不可能な
 状況に置いている。

 生き残った方たちだけでは、
 民族を維持し、
 かつ、
 かつての様に復活する事が
 できないという状況で
 推移してきて、
 絶滅寸前に
 なってしまった という事。

 民族最後の方が、
 「 母から
 私たちは
 日本から来たと
 教えられていました 」
 という言葉が・・・・・。
    (平成22年1月3日、テレビ朝日、
              番組名:地球の目撃者・風の大地へ)

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
☆ キリスト教の犯した罪・蛮行について、
 もっとお知りになりたい方は、

 「南米の愚行・インディアスの破壊についての簡潔な報告」
          岩波文庫  ラス・カサス著  を。

 殺戮の限りを尽くした キリスト教徒と 
行動を共にしたキリスト教聖職者が
 「このままでは天に召されない」 と
 老齢になって やっと
 本国に報告した書 です。
 時はもう 50年を経ていました。
 殺戮をしまくった 後でした。
 南米・北米・中米そして離島の各地は
 絶滅の状況、
 その驚嘆の 殺戮人数などが
 記されています。

 報告を受けた
 本国の王 および その関係者などは
 絶句、
 すべてを 聞けずに、
 まず報告に マトメなさいが
 本書。

2011年12月6日火曜日

悲惨な戦争を無くせないのでしょうか。切なる希望について。

2009年8月13日(木)13:00  毎日新聞
 ◆被爆者が生きている間に、核兵器が廃絶される日を見せてあげたい。井田薫(仮称)

「原爆投下の良かった面を考えよう」

 早稲田大4年、井田薫(仮称)さん(22)は6年前、留学先の
米ミシガン州の高校で、アメリカ史の教師が出した課題に耳を疑った。
 幼少期を長崎市で過ごし、毎年8月9日には静かに祈る人たちの
姿を見てきた。
 「広島と長崎の悲劇は世界に共有されていると思っていたのに」。
 頭の中が真っ白になった。
 他の生徒たちが「戦争を終わらせた」「祖国の防衛になった」など
と答えるのを聞きながら、「違う」と思った。
 だが、その一言が言えない。
 沈黙するしかなかった。
 帰国して大学に進み、祖父の妹(80)宅に下宿した。
 そこで、亡き祖母が長崎で被爆したことを知った。
 自分が被爆3世だということも。
 ある夜、祖父の妹が涙を流しながら被爆した時のことを語って
くれた。
 焼けただれて助けを求める人たち、空襲警報のたびに防空壕(ごう)で
震えた記憶……。
 「同じ苦しみを味わわせたくない」。その言葉が胸に響いた。
 2年前、再び米国に留学した。
 「今度は自分の思いを伝えよう」。
 小さな決意を秘めて向かった留学先の大学で、原爆を扱った映画の
上映会を開いた。
 学生から「原爆の苦しみを教えてくれてありがとう」という言葉が
返ってきた。
 「伝えれば伝わる」と思えた。
 今は、ジャーナリストを志し、中東向けのニュース配信会社「パン
オリエントニュース」(東京都港区)で「修業中」だ。
 いつか、自分の記事で世界に発信したい。
 「良い戦争なんてない」と。

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(悲惨な戦争を無くせないでしょうか。切なる希望について。)
拝 啓
 下記は、番組を提供された企業様とその番組に出演された女優様へ
送信したメールです。
 是非、御一読 賜りたくお願い申し上げます。
 尚、下記において、番組提供の企業(○○と標記)と出演された女優
(☆☆と標記)、及び放送した放送局(□□と標記)は匿名とさせて
戴いて居ります。
                              敬 具
     《 記 》 
 ○○株式会社様
 拝 啓
 下記は、貴社提供のテレビ番組(□□チャンネル、地球街道「長崎
街道、憧れの教会」)について、☆☆様へ送信したメールです。
 御多忙とは存じますが、是非、御一読 賜りたく お願い申し上げ
ます。               敬 具
        記
 ☆☆ 様
 拝 啓
 御活躍のご様子、何時も拝見させて戴いて居ります。
 本日(10月18日)午後10時30分からの□□チャンネル「地球
街道(長崎街道、憧れの教会)」を拝見させて戴きました。
 この番組は、今回の様に、「キリスト教徒によるキリスト教を美しく
見せる番組」を度々放送しております。
 これに比較して、仏教関係は皆無の状況です(公共放送として公平性
の無い偏した現況です)。
 また、キリスト教は『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても
良い』との教義から「人をあやめる行為」を残念ながら行って来て居り
ます(この悲惨な事例は、いにしえから長い歴史と共に数知れずあり
ます)。
 近年では、ブッシュさんがイラクで(多くのアメリカの青年が亡く
なっております。また、本戦争に関係のないイラクの多くの方々も
亡くなられております)。
 そして、次期米国大統領候補の方々は、いずれの方もイラクの悲惨な
この戦争の中止を意思表明して居ります。
 ブッシュさんの支持母体のキリスト教徒の希望により行われた(上記の
教義の論理から行われた)この戦争は「悲惨な結果」をもたらしただけ
でした。
 ブッシュさんのお父さんも、中近東の湾岸戦争で、今回と同様に、
支持母体のキリスト教徒の希望により同じ行為をして居ります。
 キリスト教は、いにしえの古代の十字軍もそうですが、上記の教義に
より、可哀想な多くの方々を残念ながら作ってまいりました。
 この教義は間違っておりますという声を、是非、上げて戴きたく
お願い申し上げます。
 また、キリスト教に偏する番組作りをしている本番組へ、公共放送
として公平性のある番組作りになる様、お力をお貸し戴ければと
お願い申し上げます。               敬 具
ーーー(以上を送信させて戴きました。以下は御参考として付記させて
戴きました)ーーー
(参考)テレビに於ける公開討論において、米国大統領候補のいずれの
方も、直ぐ撤退するか、否かの意見の違いだけで、両候補とも撤退の
意見となっております。
 ☆ 己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。
 ☆ 以和為貴・・・(和をもって貴しとなす)。
 ☆ 一切衆生、悉有佛性 :
  (いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)・・・この世のあらゆる
生きとし生けるものは、ことごとく皆、佛性(佛の性質・佛と成り得る
資質)が備わっています。
 そうした生きとし生けるものでもって宇宙は構成され、すべて(万物)が
繋がり、時は流れています。
 そのつながりの中で育んで行きましょう。
 [ 参考比較 ] キリスト教の人間生来の 原罪 : 原罪(げんざい)
とは、エデンの園において人類の始祖であるアダムとイヴが最初に犯したと
される罪、およびその罪が人間の本性を損ね、あるいは変えてしまった
ため、以来人間は神の救い・助けなしには克服し得ない罪への傾きを
持つことになったという、キリスト教の多くの教派において共有される
思想。
 (ここを原点として、信じなければ救いを拒否し、切り捨てるという
キリスト教がある)
☆ 真実の声 :
 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。
 己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。   
             ・・・ 仏典『ダンマパダ』より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
(若い方達へ)

 キリスト教は贈り物とか、讃美歌とか、外見上は優しく見えますが、
若い方達は特にご注意ください。
虐殺や戦争の事例が実に多い宗教です。
 それは『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い』という
教義から来ております。
他人を絶対にあやめてはいけません。
 間違った宗教に幸せな未来はありません。

 キリスト教の罪悪の一例である、ヨーロッパの30%もの方々が亡く
なった戦争事例がどの様なものかをお調べ下さい。
 そしてまた、この%の異常さをお感じ下さい。
 どの宗教も同じという話は無くなると思います。
 やはり、教え・教義からくる悲惨な結末なのです。

2011年12月5日月曜日

エルサレム: 歴史に旅する人たちの交差点でもあった・・・

題: エルサレム:歴史に旅する人たちの交差点でもあった...
          (仏教とイエス・キリストの共通性)

☆エルサレムは交通の要衝。
  東西南北、歴史に旅する人たちの交差点でもあった。

  インド仏蹟のストゥーパ(塔)からは
    ギリシア人の奉仕の証が見られ、
      インドとギリシアの当時の交渉の確証の一つにも
                      なっている。

  仏教は
    「一切衆生の 誰もが、
        仏になる仏性というものを持っている」と
                      教えている。
  また、
   ユダヤ教各派の中でも、
      仏教の教えに理解を示すグループに
            イエス・キリストは、属していた。

   イエス・キリストの言葉に
             上記と同系思想の、

    「誰もが 神の子として 平等だ」 と、
         上記の仏教の教えと
                同系の教えを語っている。

   イエス・キリストに 
      仏教の教えと相通じる面が見られる
                      1つである。

   だが、  弟子達は、イエス・キリストの死後、
       「イエスが唯一の神の子」 と
                     してしまった。

   この事からも 次の事が分かる。
   キリスト教の中央集権的なヒエラルキー(神を頂点とす
  る序列)が、強調され、
   イエス・キリストの意志の一つである「平等性」の心が
   配慮されない
        欠落の状態に置かれてしまった。

2011年12月4日日曜日

イエス・キリストに「 三位一体神 」の考えは 無かった

題 : イエス・キリストに 「 三位一体神 」の
      考えは無かった

  イエスに、キリスト教の根本教義の一つである「三位一体神」の
考えは、無かった。

☆ヨハネによる福音書の10・34〜36に、下記の様に書かれている。
 10・34
 イエスは彼らに答えられた、
 「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と
 書いてあるではないか。
  10・35
 神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、
 (そして、聖典は無視できない)
 10・36
 それならば、父によって聖化されて世に遣わされてきたわたしが、
 「わたしは神の子である」と言ったからとて、
  どうして神を冒涜したと責められるのか。

・ これは、イエスが、神は一神ではなく神々(多神)の存在である。
 それは、貴方たちの聖典・律法に神々(多神)と書かれているでは
 ないか、
だから、
  わたし(イエス)は、神々・多神である神を冒涜していることには
ならない。
  つまり、
  『父なる神』から遣わされて来て「わたし(イエス)は『神の子』
である」と言っても
  神々・多神の存在の中において、
 神々・多神の冒涜にはならない(貴方達も私も、聖典・律法は無視
 することはできない)・・・と主張しているのである。

  イエスには、「三位一体神」などという考えはなかった。
  あくまで一つ一つの神々、つまり多神と考えていた。
  神々・多神の中に、『父なる神』や自分自身も『神の子』としても考え
 ていた。
  貴方達の聖典にも書くかれていて、私も信じるその聖典に書れて
 いる神々・多神の存在を守らなければならない。
  その教義・論理を根拠として、「わたし(イエス)は、神々・多神の
冒涜をしていないと主張しているのである。
 貴方達の神を否定し、また排除して「神の子」と言っているのではな
 く、多神・神々の中の「神の子」と言っているのです、と言っている。

☆テルアビブ大学 ゼエブ・ヘルツオグ考古学教授の 言葉:
  「 (キリスト教の)『唯一の神』という一神教の概念についても、
  生まれたのは 今から2000年余りさかのぼるに過ぎない 」
              (1999年10月3日、朝日新聞夕刊)
  キリスト教(ユダヤ教)が生まれた最初から
 「 一神教である 」としてきた世界の常識が
  間違いであったことが証明されている。

☆ 多様性や自由、人間の尊厳を重んじる世界へと突き進んで行け。
  そうすれば、
人類が自由に
人道的に生きていくという理想を揚げ、 
 夢に向かって
羽ばたくことができる。  
    (キリスト教暗黒の裏面史 238〜9頁 徳間文庫より)
 ・方向性は多神教にある事が確認され、
           それが正しい方向性だと分かってきた。    
 また、最近、次の確認をした。
 来日された前パリ・ソルボンヌ大学総長が
上記考えと同じ発言をされていた。
  『多様性の中に人類の未来があり、各多様性さの中に神聖さがあ 
 り、オリジナリティがある』・・・など。
 小生の日記、
 「近代の最先端科学は『 キリスト教の間違い 』を証明したを、
  ご覧ください。