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2013年3月22日金曜日

東日本大震災。復興策は、総べて、同時進行で。安倍さん、お願いします。

 題: 東日本大震災。復興策は、総べて、同時進行で。
.......(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 東日本大震災。
 本当に大変な災害が起きてしまいました。
 小生も大きな衝撃を受けました。
 しかし、復興が思わぬことで進まないとかと聞く・・・。
 例えば、
 堤防が出来てから・・とか、
 土地を埋め戻して、敷地が高くなってからとか・・と、
 家も建てられないし、
 復興もままならないという報道。
 待って居られない方は、
 自費で山留めを作り(役所の指導らしい)、
 その中に土を自費で埋め戻しということをされている。
 なんとまあ、足を引っ張る的な感じを受ける。
 昔から高床式という方法がある。
 土地を埋め戻しても敷地がしっかり落ち着くまでに数年が必
要。
 (つまり、土地を埋め戻してから家を建てるという方法は、
 合理性が低いと思えます)。
 今すぐ、コンクリートで束を建て、出入り口のところだけは
階段を数段作るという方法で、
 どんどん、
 建築許可を出すべきだ。
 そしてまた、
 復興の方法が、直列式の工程で対処しているように感じられ
る。
 平行する工程で、
 どんどん、出来ることをしていくべきである。
 堤防が出来てから→土地を埋め戻して→そして、家を建てる
・・では、
 遅すぎる。
 総べて、同時進行でしなさい。
 埋め戻しても、厳密に言えば、しっかりしていない土地に、
 家など建てられない。
 復興を合理的な工程で、
 短期に復興でき、
 復興を促進する具体的検討を
 どんどんするべきと感じます。 
.
(追伸)
 関東大震災の時、
 知り合いの方は、関西から東京に出て来たという事です。
 この方は職人さんで、震災で東京に仕事があるということで
友達と一緒に東京を目指し、東京に出て来たとの事。
 その方は、その後、
 東京に住みついて、
 家庭を持って、子供達もでき、
 幸せに暮らしたとの事。
 今回の東北もこれです。
 『東北へ行って、東北の方々と共に幸せになる』・・です。
 日本全国から東北を目指す・・という方向へ・・施策も、す
べてが、向かうべき、向けるべきです。
 東北へ行って幸せになる。
 東北の方々と一緒に幸せになる。
 これが復興の本筋で、するべき事です。
 デフレ脱却が安倍政権の一番の仕事、
 ならば、東北はして戴きいこと=『需要』が山ほどあるとい
う事。
 この需要を満たしていくという事が、
 安倍政権の第一の仕事だし、
 日本国民の目指すことであるし、
 デフレから脱却して景気も良くなるという三方一両得ではな
いでしょうか?

2013年3月21日木曜日

属国度が増していくのか?・・TPPに思う。

題: 属国度が増していくのか?・・TPPに思う。
(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 TPPは、日本の主権を失う貿易交渉だ。
 日本の主権を奪う条約となる。
 TPP賛成派は、「日本は貿易立国だからTPPをするのが正しい」
と言う。
 この論理は、誰もが正しいと思える論理に隠れて、自分の論理や
立場が正しいのだ思わせる主張だ。
 自分の不都合な不合理な所を隠している論理展開だ。
 だから、国民を馬鹿にした論理展開と言える。
 誰でも分かっている事を言って、本当の真実は、隠している
という行為だ。
 本当は、TPPではなくて、『EPAで貿易交渉をするのが正しい』
のだ。
 TPPの仕掛けを見破らなくてはいけません。
 「日本は貿易立国」、だれもが認める事。
 だから、貿易交渉が大切である。当り前。
 「だからTPPだ」と言うところが作為的。ごまかしである。
 (この評論家め、もうテレビに出るな!・・・と言いたい)
 TPPではなくて、EPAなのだ。
 TPPは、恵まれた国体のアメリカが得する、アメリカに有利な
貿易交渉方法なのだ。
 つまり、もう不合理・不平等が生まれているのだ。
 アメリカは言う「すべての条件を無くすことが平等なのだ」と。
 「聖域なき関税撤廃」である。
 「条件を無くすという条件を付けている」のだ。
 それを平等と称している。
 本当に、平等なのか?
 さも、平等のように感じさせて、不平等がある論理なので、
本当は「不平等貿易条約方法」なのである。
 故に、貿易立国の日本は、TPPではなく、本当の平等性を検討
できるEPAで貿易交渉をしていくべきなのである。
 あらゆる国々は、どんどんEPAでどんどん条約締結して行く
べきなのである。
 アメリカだってEUとEPAをやる(始める)と言っている。そう
でしょう。
 だが、ここだけTPP。
 EPAで、しっかり研究も加えながら討議し、交渉を重ねていく
のが正しいのである。
 だから、故に、「日本は貿易立国だからTPP」というテレビの
発言者は正しくないし、責任ある発言をしようとする意思がある
なら、「EPAはダメで、TPPでなければならないのだ」という論理
の説明をすべきなのである。
 それをしないで、「日本は貿易立国だからTPPだ」の論理だけ
の話の展開は、国民をごまかしている。
 不誠実だ。
 例えば、TPP的に、Aという人とBという人を、二人を土俵に
上がらせて、平等な状態なのだからと言って、決めて、相撲を
取らせた場合、本当に平等なのか?
 Aはアメリカ、Bはベトナム、Cは日本、Dはチリ・・・と、誰が
優勝するか?
 「同じ状態だから平等なのだ」という論理なのだ。
 相撲を稽古していた人は有利だし、体格が良い人は有利だし、
病弱な人は不利だし・・・、そして、相撲だけで決めちゃうの?
という問題もある。何で相撲なの?
 相撲での優勝者が、「すべて総取り」なの?という事である。
 関税のすべてを撤廃して、ガチンコで勝負して、強いものが
どんどん弱い者を食べて行く。
 そうではないでしょうー。
 富む国はどんどん富んで、貧しい国はどんどん貧しくなって。
 そうではないでしょう。
 どことでも五分と五分で勝負ができる国どおしなら、まだしも。
 「弱者を救済しようという目がない」でしょう?
 無くてもいいのだ、それでもいいのだと言うのがTPP。
 相手の国(アメリカ以外)の都合など全く考えていない。
 こちら(アメリカ)の国の都合のみ。
 結局、「アメリカン・スタンダードが一番すぐれていて正しい
からこれにせよ」となる。
 「違うのは悪なのだ」になる。
 「何でお前に合わせなければいけないのだ」の反論ができな
い、きかない。
 結局、TPPで経済の面で、アメリカ連邦制に組み込まれる的な
第一歩となる。
 相手の主権なんてあったもんじゃない。
 安倍さんが「完全なる聖域撤廃なら日本は参加しませんよ」と
言ったらしいが、かつて流行った言葉で言えば、「蜂の一刺し」
でした。
 自民党の公約「国益に反するところがあれば撤退する」は、
日本は自主独立の国です、ですから、日本の国の国益・主権が損
なわれたら撤退しますという、国体は考えているが、果たして、
巨人のアメリカと五分で相撲が取れるのか?
 属国度が増していくのか?
.
(追伸) 
 安倍さんが『戦後レジームから脱却したい』と言ったのは
これでしょーっ?
 ある意味、TPPは戦後占領政策の延長でしょうー? 
 TPPは、ほとんど、日米の二国間の比重がほとんどで「日本
がターゲット」なんですよね? 
 だから、安倍さんは「戦後レジームから脱却したいと言った
のでしょっ?
(参考)
 レジーム論(レジームろん、Regime theory)は、
 国際制度あるいは国際レジームが国家(や ほかの国際的ア
クター)の行動に影響を与えると論じる国際関係論(国際政治
経済学)のリベラリズムの理論である。
 アナーキーな国家間システムにおいて強調が可能であり、
レジームが国際協調の事例であると仮定する。
 国際レジーム論とも。
.
(追伸の追伸)
 素晴らしい首相だ。
 本当に、独立した国家になりたい。
 女の子が話していた、「A子ちゃんともう決めたんだから、もうダメ。2対1だし」
.
 (追伸の追伸の追伸)
 刀を振り回すような奴を、家に入れないようにしたら「不公
平か?」。
 不公平ではないでしょう。
 自衛権行使でしょう。違いますか?
 何が言いたいかと申しますと、食糧安保のために「日本の食
の安全のために、関税などで保護する」。
 これは自衛権の行使なのです。
 刀を振り回すような奴に、日本の食の安全をズタズタにされ
たくないのです。
 そして、食糧安保とは何なのでしょうか?
 あの戦後、農家の方たちが居られて、お米をストックしてく
れていて、さして必要でもなかったであろう着物と交換して(
持って行った方には思い出がある貴重な品・着物であったので
しょうが)、その品と町から来た人たちに、農家の方にとって
も、当時、貴重だったお米を分けてくれる心の広さがあった。
 この様な食糧安保の心は、これからも、維持されていくので
しょうか?
 今、まだ、そしてこれからも、戦後の様な、この様な心の昔
のままでいられるのでしょうか?
 これに対して・・・(つづく)

2013年3月20日水曜日

この言葉を、すべての英霊へ、捧げます。


 題:この言葉を、すべての英霊へ、捧げます。
.
 戦わざれば亡国、
  戦うもまた亡国であれば、
   戦わずしての亡国は身も心も、
    民族永遠の亡国である。
 戦って死中に活を見出し、
  護国の精神に徹するならば、
   たとい戦い勝たずとも、
    護国に徹した、日本精神さえ残せば、
     我らの子孫は必ずや、
      再起、三起するであろう。(永野修身元帥海軍大将の言葉)
.
 ある玉砕兵の吐露した言葉:
 もし玉砕して、
  そのことによって、
   祖国の人達が、
    少しでも、
     生を楽しむことができればと、
      せつに祈るのみである。・・・
.
 特攻は終戦の日まで続き、
  特攻作戦の戦死者数は5845名、
   みな前途有望な若者達だった。・
.
 約10万人の学徒達が、
  ペンを捨て銃剣をとり、
   戦地に赴いた。
 敗色濃い前線で彼等が投入されたのは、
  あらゆる種類の「特攻」作戦だった。
.
 今の日本の繁栄は、
  先人達の犠牲の上に成立っている。
 私達が生きている今は、
  先人達が命懸けで守ろうとした、
   「未来」なのだ。
         ・・・YouTube:大東亜戦争【不屈の武士道精神】より 
.
 この言葉を、総べての英霊へ、捧げます。

2013年3月19日火曜日

その後の秀吉・・(バテレン追放令、以後は?)

題 : その後の秀吉・・(バテレン追放令、以後は?)
(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)

.

 1549年に、フランシスコ・ザビエルが、キリスト教を伝えて、

38年が経過した後の1587年に、

 豊臣秀吉は、バテレン追放令を出した。

 そしてまた、その25年後の1612年に、家康が、キリスト教禁

教令を出した。

 そして更に、その12年後からの寛永年間(1624~1644年)

の20年間のキリスト教の弾圧の厳しい時を経て、

 キリスト教は、「隠れキリシタン」以外は、明治の1867年ま

で壊滅した。

 その壊滅期間は223年に及んだ。

 この道に至るきっかけの所に、秀吉の『バテレン追放令』が

ある。

 当時、キリスト教は、まったくの増上慢で、

好き勝手なことをしていた。

 その時、日本は戦国時代を経て、秀吉という日本の統一直前の

最強の人・強い統一者が、偶然、居たから幸運だった。

 日本の大村純忠・大友宗麟・有馬晴信らのキリシタン大名は

完全にキリスト教宣教師に牛耳られていた。

 これ等の弱小のキリシタン大名は、国の存続のためにキリシ

タン宣教師が供給する武器・弾薬が貴重で、

頭が上がらない状態だった。

 秀吉が居なければ、日本も南米・中米、そして北米メキシコと

それらの離島のように、

 その何百万人の殺戮の様に、

 同じ運命となっていた可能性は高い(同じ、キリスト教イエ

ズス会が日本に来て牛耳っていた)。

 また、南米などの駆逐が済んで、その悪漢の艦隊は、

 ルソン(フィリピン)とメキシコの両攻略中のニ国を行き来

する太平洋に居た。

 日本の最高位の立場の人が、キリスト教拒絶の態度を示した

のは、秀吉の「バテレン追放令」が最初であったが、

 そして、その秀吉に、

 キリスト教宣教師たちは、南米などでもしたのであろうが、

日本においても、キリスト教宣教師たちは武力で駆逐しようと

行動した。

 それが、「バテレン追放令」の反動となって表れた。

 バテレン追放令の1587年の3年後の1590年には、秀吉は、

南蛮貿易の必要と利益から前言を翻(ひるがえ)した。

 長崎のキリスト教会の再建を許し、

 10名のキリスト教聖職者の滞在を許し、

 バテレン追放令の「法の主旨」を有名無実化した。

 秀吉は、フィリピンのキリスト教徒の総督に

 「秀吉(日本)に服属するようにと要求した」。

 が、

 その返事を持った使節が2年後の1593年に来日した。

 その使節のキリスト教宣教師に「キリスト教の布教再開」を

要求された。

 そして、京都に、キリスト教の布教のための修道院と聖堂が

建設され、布教が再開された。

 再開されるやキリスト教の各宗派が来日し、布教活動を始め

た。

 すると、その各宗派の間に、トラブルが発生するようになっ

た。

 例えば、イエズス会は南蛮貿易で豊かで、贅沢な暮しをして

いたが、清貧を旨とする托鉢修道会を「貧乏人」と呼び軽蔑し

差別した。

 また、「フランシスコ会は、日本から退去せよ」と命じたり

した。

 しかし、フランシスコ会は「教皇と国王の命令があるのなら

まだしも・・・云々」との態度で紛争・トラブルとなった。

 その様な折りの1596年に、

 高知に難破船が漂着した。

 船名をサン・フェリーぺ号と言った。

 そして、事件が起きた(サン・フェリーぺ号事件)。

 この事件を起因として「二十六聖人殉教事件」が起きた。

 そして、秀吉の態度が、180度転換して行く。

 秀吉政権は、

 難破船船員の取り調べを行い、

 世界情勢として知っていたので、そして、気になっていたの

で問いただした。

 「キリスト教徒などの南米などでの蛮行や国を奪う行為」は

どうなのか?・・・と。

 その結果の答えは、

 「我々は、世界中との取引を行なっている。相手が好意的な

らば味方と判断する。しかし、我々に歯向かえば、国・領土が

奪われるということになる」・・・だった。

 そして、その先鞭として「キリスト教宣教師が来日している

のだ」と答えた。

 この事件は、それまでの、キリスト教徒とそれに同行している

キリスト教聖職者たちの行為・世界の国々を奪っていく行為を

明白に示していた。

 当然、秀吉の方針は180度転換した。

 キリスト教宣教師は捕えられた。

 そして、キリスト教が言う「二十六聖人殉教」へとなった。

 この殉教の結果を、別な言い方をするとすれば、

 「南米などで、キリスト教が、キリスト教の教義の通り『異

徒を殺せ』と、何百万人もの人々を殺戮し、聖職者も加わっ

て行ったこの悪行為・国をも奪う行為に下された・・『正義』

だと言える。

 なお、卑劣な事に、

 キリスト教は「誘導尋問からこの様な事を言わされたのだ」と

言い、プロパガンダ(嘘宣伝)している。

 しかし、世界史の史実を見れば明らかなこと。

 そして、キリスト教聖職者が、あまりに卑劣なこの行為を、

長い年月(としつき)にして来たとこの事を、悔い、本国の王

へ懺悔し、吐露している動かぬ事実の記述もある。

 その事実をも曲げようとのキリスト教の卑劣さは、恥の上塗り

的でさえある。

 弱い者いじめで、卑劣な殺戮のこの行為は、もっと糾弾される

べきである。

 秀吉は、事実を知って、配下の者たちに、キリスト教宣教師

たちの行動を調査させ、

 また、徹底的に「キリスト教が何を企(くわだ)てているかを

調べさせている」。

 その結果からの秀吉の判断であって、

 一時的な判断ではない。

 秀吉は、心の底からキリスト教の本性を知り、

 「キリスト教の禁教を宣言した」。

 刑の執行は、1597年に、長崎で行われた。

 処刑場所などは、キリスト教宣教師たちの希望を受け入れて

あげた。

 秀吉が、この事件に至る前、キリスト教の各会派の宣教師たち

は、互いに争って秀吉に取り入ろうとしていた。

 そして、「より上級の品級に叙(じょ)して貰おう」としたり

した。

 そして卑劣にも、各会派は「その取り入ろうとする行為の足の

引っ張り合い」を演じた。

 その様な、取り入りを演じるキリスト教の劇の中で事件は起

きた。

 この事件により、1597年、秀吉は、

 「キリスト教宣教師の再追放令」を発令した。

 自業自得。もともとの極悪が露呈しただけ。

 その極悪の罪の「刑の執行」であった。

キリスト教の布教を許可する朱印状を出した秀吉が、何故、バテレン追放令を出すに至ったか?

題:キリスト教の布教を許可する朱印状を出した秀吉が、

  何故、バテレン追放令を出すに至ったか? 
(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)

.

 キリスト教の布教の許可の朱印状を与えた秀吉が、

 キリスト教宣教師へ問うた、

 「何故、穏やかにできぬのか?」と、

 また、

 「何故、寺社を破壊し、危害を加えたりするのか?」と。

 そしてまた、

 キリスト教宣教師に問う、

 「何故、日本の女性たちを買い、彼の国へ売り渡したり

するのか?」と。

 この他、

 宣教師たちは「肉は食習慣だから食べているのだ」と答えた

りしているが、

 『自分たちだけの勝手な論理』を展開するだけだった。

 本国の利益のためだけで行っていた日本人売り渡しの奴隷貿

易など、

 まともに答えられなかった。

 キリスト教宣教師は、フィリピンの総督へ「兵の出兵」を

要請したり、

 「キリシタン大名たちに、武器・弾薬や金を提供するから秀吉

を倒せ」と言ったりした。

 秀吉に「日本の法に反する行為を数々行っている、有害であ

る」と言われている。

 また、

 「(善意の)日本人を誤らせている」とも言われている。

(今でもそうだが・・・)

 そして、

 「日本から立ち去れ(死罪ではない)と言われた。

 キリスト教宣教師たちは、反抗した。

 フィリピン総督へ出兵を要請した。

 そして、

 キリシタン大名たちへ武器・弾薬の提供と資金の提供をする

から秀吉と戦えと言った。

 そして、秀吉を暴君と呼び、キリシタン大名たちを奮い立た

せた。

 また、一方、

 「秀吉が満足するものを与えよう」との卑劣な懐柔策も出た。

 キリスト教宣教師たちは、本国の軍事的な支援を受けたり、

 貿易の利益もあったり(結構、悪どい行為をしていたので

資金力があった)、

 経済的にも恵まれていたので、その経済力をも使って不公正な

行為をした。