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2011年12月31日土曜日

木銃で下から敵を撃滅せよ・・弾も出ない木の銃で子供に何をさせようとしたのだろうか・・・

題 : 木銃で下から敵を撃滅せよ・・弾もでない木の銃で
      子供に何をさせようとしたのだろうか・・・》:

 私の履歴書:
        商船三井最高顧問・生田正治氏(抜き書き)
・・1944年7月にはサイパン島守備隊が玉砕し、
 本土への空襲激化は時間の問題となったため、
 主要13都市で学童疎開が開始された。
 毎朝10時以降に警戒・空襲警報が出れば、
 昼の給食用の芋や代用食のドングリでこしらえたコッペパンなど
を受け取り、
 地域ごとに走って帰宅することになった。
 10時以前だともらえないので、
 毎日10時になってすぐに警報が鳴らないかと、
 不届きなことを願う日々だった。
 家に帰っても遊び道具はボール一つなく、
 もっぱら道路で仲間と軍艦ゴッコなどの戦争遊びや、
 高射砲弾の破片集めに興じた。

 父に2度目の召集令状が来たのは1944年の夏頃だったろう。
 近くの東横線都立高校駅まで見送り、
 せみ時雨の中で敬礼をして乗車していく父の後ろ姿に手を振った
のが別れになった。

 1945年2月になると縁故疎開先もなく、
 まだ東京にいる全学童に強制集団疎開命令が出た。

 5年生以上約100人は、
 数人の先生に引率されて4月早々、
 山梨県・小渕沢に向かった。
 当時の小渕沢は文字通りの寒村だった。
 私たち男子約50人は駅前の「寿旅館」に、
 女子は近くのお寺にお世話になることになった。
 朝早く起きて近くのお宮の庭掃除と、
 荒削りの木銃での厳しい軍事教練。
 何でも米軍は九十九里浜上陸に合わせて甲府盆地に落下傘部
隊を降下させるので、
 その時はこの木銃で下から敵を撃滅せよとの命令だった。

 弾も出ない木の銃で子供に何をさせようとしたのだろうか。
 毎日午前中は自習だった。
 本を読んだり手紙を書いたりしてなんとなく過ごし、
 午後は勤労奉仕で山に枝払いや薪取りに行かされた。
 いつも腹をすかせていた。

 主食は大豆が8割で、
 残りの2割が米、麦と雑穀。
 炊くと大豆は膨らむので、
 見た目には大豆だけのようだった。
 下痢をする者が多かったが、
 申告しても薬はない。
 決まって絶食療法を言い渡されるのがわかっているから、
 食べ盛りの私たちは誰もがギリギリまで我慢した。
                    (日経2011・1・4)

2011年12月30日金曜日

(キリスト教の)神の義によれば、人を誅してもよい・・・について

題 : (キリスト教の)神の義によれば、人を誅してもよい
                       ・・・について

 こんにちは
 キリスト教は「(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても
良い」との教義があります。
 どこにこの教義はあるのでしょうか。
 勉強したいです。
 よろしくお願いいたします。

 ビオラさんへ 
 はじめまして、ご質問を戴きました事に関しまして下記に書かせ
ていただきます。

 (キリスト教の聖書の1例)
  ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を
勧告しなさい。
 もし、その町がそれを受託し城門を開くならば、
 その全住民を強制労働に服させ、
 あなたに仕えさせねばならない。
 しかし、
 もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。
 あなたの神、主は、その町をあなたの手に渡されるから、
 あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。
 ただし、
 女、子供、家畜、および町にあるものすべてあなたのぶんどり品
として奪い取ることができる。
 あなたは、あなたの神、主が与えられた敵のぶんどり品を自由に
用いることができる。
 このようになしうるのは、遠くはなれた町々に対してであって、
次に挙げる国々に属する町々に対してではない。
 あなたの神、主が 嗣業として与えられる諸国民の民に属する
町々の息のある者は、
 一人も生かしておいてはならない。
 ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、
あなたの神、主が命じられたように
 必ず滅ぼし尽くさねばならない。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 ☆自分の利のために他人を殺せと教えるキリスト教の神の教義。
  そして、
  この殺戮の悲惨な時点においても 
 「奪い取れ、奴隷にせよ」 と
 色々と指図するキリスト教の神の教義。
  この類の記述は 聖書の中に 種々多い状況。
  また、
  聖書において下記の示唆もある。
  ラテン語:talio:タリオ:被害者が受けたのと同じ害を加害者
側に加える制裁。 local limit : local一定の空間を占める、
limit限界点 : 現代のキリスト教徒の困惑となる一例。
 モーゼの時代には戦争をして相手を殺し、場合によっては奴隷に
せねばイスラエル人(選民思想の民族)が殺される時代であった。
 この状況から生まれた教義が、「 当時の状況と当地の状況 」と
全く変わっている現代の「 他の地域や多くの時を経た今 」に
おいてでも 同じ教義・同じ考え方で 存在している。
 TPOというものの見方がありますが、TPO的にも全くアウト。
 このキリスト教の教義から多くの悲惨な戦争が起きています。

 ☆与謝野晶子
     嗚呼、弟よ、君を泣く。   君、死に給うこと無かれ。 
     末に生まれし君なれば。  親の情けはまさりしも。
     親は刃を握らせて。     人を殺せと教えしや。
     人を殺して死ねよとて。   二十四までを育てしや。

     堺の街のあきびとの。    旧家を誇る主にて。
     親の名を継ぐ君なれば。  君、死に給うこと無かれ。
     旅順の城は滅ぶとも。    滅びずとても何事ぞ。
     君は知らじな、商人の。   家の掟に無かりけり。

      (後略)

☆『 相手のかたにも正義があるのに 』 との女性の小さな声が
耳に印象的に残った。 そうですね。その通りと思います。私は答
えた。
 神という衣を着せて「正義なのだから」と、「こちらは間違って
いないのです」と。 争いは、どの様な場合もそのようになって居
ります。
 宗教で、その形を是と教義すれば争いの多い状況になるのは必然
です。 
 このキリスト教の教義は変えなければならないのです。
 これから未来を受け継ぐ若い方たちのために、人類の未来のため
にも。
 NHKは、昨年、義によって争う大河ドラマを日本中に放送し、洗脳
した。 『 正義だ、やってしまえ 』 的ドラマを。 
 この大切なことが分かって戴いているのか? 
 影響力の強い放送媒体だけに心が痛む。 
 実に、この様な事例が多い放送局です。

☆非が全くないという事ではないのに、すべて相手が悪いと相手側へ
すべて問題を転嫁し、
 なお且つ、
 良否判断の理性が全く入る事の出来ない宗教教義に規定する。
 キリスト教教義
 「(キリスト教の)神の義があるのだ、やってしまえ」をつくる。
 紛争の地が展開され、その歴史が連綿と続く。
 民は泣く。 キリスト者はその罪を知っているか? 
 自分の勝手な・独り善がりな「正義」に真っ向から対立するからと、
 そして、独り善がりな・勝手な宗教教義で「邪悪」だと「 決め
つける 」。
          「 そんな宗教 」は否。

2011年12月10日土曜日

麻生元首相の発言 「 やられたらやり返す 」 について

題 : 麻生元首相の発言「やられたらやり返す」について

 麻生さんと聞くと、
 大平さん以来の 久方振りのキリスト教の首相。

 ソマリア沖の海賊問題の時のご発言に 
 「やられたらやり返さなければならないのではないか」 と目を
大きくして発言されたのが 印象的でした。

 小生は 「アッ! 目には目を・・・かっ」 と思いました。
 キリスト教的な発想だなと思いました。

 東京のテレビなどでは、「思考熟成度が低い」と言われていました。
 また、強硬姿勢の思考形態が 「北朝鮮のキム・ジョンイルと同じ」
との批判の声もありました。

 また、「強硬サイドにしか梶が取れない思考」 「選択肢も固定し
狭い思考」 「頑固な固執思考経路しか持っていない」・・・など 
浅薄さを露呈した 1事例となってしまいました。

 「リスク指数」というのがあれば、 レッドゾーンのアウトですね。

 何しろ、 キリスト教は
 「(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い」 との
教義があります。
 また、それに輪を掛けて 「王権神授説」という教義があります。

 そこで、 国の長の戦争行為を是としています。
 思考形態は狭くなります。 
 全て正しいのは自分だ、 正義だ、 やってしまえになります。
ーー
☆ (若い方達へ)
 キリスト教は贈り物とか、讃美歌とか、外見上は優しく見えますが、
若い方達は特にご注意ください。
 虐殺や戦争の事例が実に多い宗教です。
 それは『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い』という
教義から来ております。
 他人を絶対にあやめてはいけません。間違った宗教に幸せな未来は
ありません。

 キリスト教の罪悪の一例である、ヨーロッパの30%もの方々が
亡くなった戦争事例がどの様なものかをお調べ下さい。 
 そしてまた、この%の異常さをお感じ下さい。 
 どの宗教も同じという話は無くなると思います。
 やはり、教え・教義からくる悲惨な結末なのです。
ーー
☆( キリスト教の教義の根幹をなす エゴ(自我)から争いへ )
 個人のエゴ・・人間が生きていくうえで、エゴは必要悪なのである。
 自己のエゴをそのまま是認してしまえば、堕落が始まる。
 教養と問えば、 剥き出しのエゴに多少とも磨きをかけ得る品性の
ことと言える。
 我々は、
 おのれのエゴの醜さを恥じ入り、
 それを少しでも控え目にさせることによって、
 辛うじて
 人の道を踏み外さずに
 生きていくことができるのであろう。・・・

 時に、
 エゴは、
 存在感を高めたり、
 自己の目的達成のために、
 しばしば宗教を利用する。・・・

 強烈なエゴを持った人物が、
 そして、
 強欲な人間が
 狡猾にも宗教を利用し始めると、
 その被害は甚大なものになる。・・・

 (ナチスの例)・・・
 特定の民族や集団は、
 長期間にわたって抑圧を受けると、
 その屈辱感が心的外傷となって、
 幾世代にもわたって
 集団の心理的DNAの内部に留まることになる。・・・

 それが、
 特定の条件下におかれると、
 眠っていた集団的記憶が蘇り、
 爆発的な力を発揮する。・・・
 その典型的な例がナチス・ドイツである。・・・

 ナチスは、
 あえてキリスト教と
 ドイツ民族の優越性を唱え、
 約600万人の異教徒ユダヤ人に対して
 ホロコースト(『完全に焼き尽くす」という意味)をやってのけた
 (キリスト教法王は
 ナチスに反対しないどころか、
 なびいていた)・・

 デマゴーグの最重要任務・・
 きわめて巧みに
 過去の歴史の古い敵を、
 現在の紛争の相手にすり替えてしまう・・・

 エゴが
 人前に現れる時、
 たいていは「正義」という名の
 美しい仮面をかぶっている・・・

 「正義」の名の元に
 制裁(争い)が起き、
 一種の「魔女狩り」が始まれば、
 とめどないものになる可能性は
 十分にある・・・

 「正義」とは
 誤謬(間違えること)であると
 断言してもよいのではないか・・・

 争いは「正義」の主張から起きることがほとんどではなかろうか・
....(参考文献:「なぜ宗教は平和を妨げるのか」 講談社α新書より )

☆キリスト教の「人間は生まれながらにして原罪がある」という教義と、
 「天に召されることを喜びとし、目的とする」という信条から、
 現実の人生に於ける生きる意味も目的も見失い、
 現実活動や社会建設の意欲を失い、また、
 そのような活動に励むものを見ても喜びを感じなくなったとの声も
聞く。
 この様な方の救済もせねばならない。

☆ダグラス・アダムズを追悼して
  「庭が美しいことさえ分かれば十分じゃないのか? 
     花の下に妖精がいるなんて信じなくても」 
        〔『銀河ヒッチハイク・ガイド』第16章より〕

2011年12月9日金曜日

近代の最先端科学は、『 キリスト教の間違い 』 を証明した。

題 : 近代の最先端科学は、『 キリスト教の間違い 』を証明した

☆地上に神は存在しないというキリスト教の教えは、
 近代思想の基礎を築いた。
 近代の思想家たちは、
ヒエラルキー・統治・闘争の必要性を唱えるキリスト教の教えを
 受け継ぎ、それを科学的に証明した。
  しかし、21世紀が近付くにしたがって、そうした思想には欠点が
 あるばかりか、科学的根拠も薄いことが分かってきている。
       (キリスト教暗黒の裏面史212頁 徳間文庫)
 (注)ヒエラルキー:ピラミッド型階層性・序列 

☆キリスト教のヒエラルキーは、
  神を頂点として、組織の構成要素すべてに優劣をつけて分類する
 という考え方である。
  しかし、近代哲学者の思想は、現実は、たわいもない偶然の出来事
 から成り立っているのであって、大きな意識によって意図的に
 生み出されたものではない、という考え方である。
 (当然、キリスト教の創造神の創造ではない)
  多くの者は、今ではこう考えるようになっていた。
  神の意志に目を向け、それを理解しようとしても、真理は見つ
 からない、と。
  機械的な宇宙の小さな要素を分析してこそ審理は見つかるのだ、と。
  宇宙が、神の干渉を受けずに動いていることが科学的に証明されて
 いる(同 214頁)

☆キリスト教は、自然界に神聖なものはないと考えている(神の居る
 天のみが神聖である、と)。
  キリスト教のイデオロギーから生まれ、近代思想家によって証明
 されたさまざまな思想は、20世紀末を迎えた今では、科学的根拠に
 欠けることが分かってきている。
  キリスト教の教義に関わった古典物理学には宇宙観を語れるほどの
 知識がなかったことが明らかになった。  (同 223頁)
  1例として、ニュートンは、十分な情報を与えられれば、出来事の
 結果を正確に予測できると思っていた。
  だが、量子力学によって、人間に分かるのは結果の「確率」に
 すぎないことが明らかになった。
  矛盾のない物理学を打ち立てようとしてきた科学者たちは、現実の
 すべての物事について論理的に説明するのは不可能だと、自らの発見に
 よって認めざるを得なくなった。
  波動関数の研究をしていた科学者たちは 物質界が「心的」でもあり、
 また「物的」でもあることを発見した。
  キリスト教の天地分離説を裏付けるものとして、古典科学者たちは
 精神と物質が分離していることを証明してきたが、それは科学的な真
 実ではなかった。        (同 224~5頁)
 (キリスト教の間違いを確認する結果となった)

☆『量子力学の理論が正しいとすれば・・文字通りの物質界などという
 ものは存在しない。
  この結論は、それが存在しないかもしれないというような、あや
 ふやなものではなく、その存在をきっぱりと否定するものである。
                   (同 224~5頁)

☆近年の科学者たちの功績によって、(ニュートンなどの)古典論が
 科学的根拠の薄いものだったことが分かってきたのである。
  近代の科学的方法、すなわち、構成要素を細かく分析して、キリ
 スト教的なヒエラルキーに当てはめるという方法も、今では考え
 なおされている。
  近年の科学によって分かってきたことがある。
  それは、要素を分析するだけではなく、要素の全体的なつながりも
 あわせて考えれば、真理により近づけるかもしれない、ということだ。 
                   (同 226~7頁)
 
 ( 仏教は全くすごい。仏教の教義が、最先端の近代科学で正しい
 ことが証明されて来ている。仏教の教義の一つを例に、『一切衆生、
 悉有佛性:(いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)・・・
 この世のあらゆる生きとし生けるものは、ことごとく皆、佛性(佛の
 性質、佛と成り得る資質)が備わっている。そうした生きとし生ける
 ものでもって宇宙は構成され、すべて(万物)が繋がり、時は流れて
 いる。そのつながりの中で育んで行く』・・・この定義されている
 仏教の考え方・教義が上記の近代科学の考え方と全く一致している。
 そして、キリスト教の教義・考え方は間違っている事が分かってきた
 と言われている)

☆今まで私たちは、キリスト教の恐ろしい歴史を見過ごしてきた。
  キリスト教の教えをさまざまな角度から検証する事もなかった・・
  気づくだろう。神は恐れと絶対服従を求める存在だ、と。
  教え込むことは、人間の精神を繰ることにほかならない、と。
  性差別主義・民族主義・全体主義の根底には、
 唯一至高神への信仰がある。   (同 238~9頁)

☆多様性や自由、人間の尊厳を重んじる世界へと突き進んで行け。
  そうすれば、人類が自由に人道的に生きていくという理想を揚げ、
 夢に向かって羽ばたくことができる。   (同 238~9頁)
 (方向性は多神教にある事が確認され、それが正しい方向性だと
 分かってきた) 
 (また最近、次の確認をした。来日された前パリ・ソルボンヌ大学
 総長が上記考えと同じ発言をされていた。
  多様性の中に人類の未来があり、各多様性さの中に神聖さがあり、
 オリジナリティがある・・・など)

2011年12月8日木曜日

武士は食わねど高楊枝

題 : 武士は食わねど高楊枝

☆「 武士は食わねど高楊枝 」 
            おお、君たちは良く言うた・・・
 
 地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏 : 十界

 君たちは、餓鬼界を 脱っしていたのか・・・

 文明の発達が相手より 少し遅かったという、
 ほんの少しの理由が・・・・
 嗚呼・・・

 反抗する手立てを 持たない人たちの
 南米という地において、
 降って湧いた様な ことに、
 とまどいと驚きの人たちに 対し、

 自分たちの欲を 達成しようと、
 欲情を 露骨に 現わし、
 他人の富、
 痩せた土地を耕したりして、極貧の中をやっと貯めた富、
 その富を 横取りする、

 さまよう 餓鬼界から、
 収奪の心をおこし、
 殺戮の限りを 実行してしまう、
 奪い取りの 地獄界へ 落ちていく、

 言語を 絶する、
 表現手段もない 極悪の極の 行為を、
 長い間、反省なく、
 何十年も、
 その 地獄界を、
 ばっこし、
 彷徨し 続け、
 全てを 殺して、
 やっと 自分を、取り戻す 者たち・・・キリスト教聖職者ら。

☆是非、岩波文庫の
  「南米の愚行・インディアスの破壊についての簡潔な報告」
                 ラス・カサス著     
                     をお読みください。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
☆後日談、
   ・・・本当につらくなる後日談を この本を読んだ後
                         見つけた。
 収奪した金などは、
         そのすべてを王たちへ出さず、
 私のものとして 持ち去り・・・・
          私腹を肥やして、優雅な生活をしたとの事。

2011年12月7日水曜日

「 風の生まれる地 」 の できごと

題:「 風の生まれる地 」の できごと

☆「 キリスト教の蛮行 」 
 「風の生まれる地」 と言われる
 南米最南端の地に居る 小民族は、
 かつて6000人いたと 言われているが、・・・

 この地球最南端の 僻地の 原住民・
 この様な 小民族にまでも、
 『 インカ文明の人々を絶滅させた
   キリスト教徒 と 
   彼らと行動を共にした キリスト教聖職者達 』 が
 やって来ていた事を、
 テレビで 確認した。

 インカなどの南米はおろか、
 中米、
 北米・メキシコ 
 および 周辺離島など、
 あらゆる場所で、
 やりたい放題の 殺戮を しまくった
 キリスト教徒の 極悪な虐殺・
 殺戮行為が、
 今・現在、この民族に

 「 絶滅 」という
 復活の不可能な
 状況に置いている。

 生き残った方たちだけでは、
 民族を維持し、
 かつ、
 かつての様に復活する事が
 できないという状況で
 推移してきて、
 絶滅寸前に
 なってしまった という事。

 民族最後の方が、
 「 母から
 私たちは
 日本から来たと
 教えられていました 」
 という言葉が・・・・・。
    (平成22年1月3日、テレビ朝日、
              番組名:地球の目撃者・風の大地へ)

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
☆ キリスト教の犯した罪・蛮行について、
 もっとお知りになりたい方は、

 「南米の愚行・インディアスの破壊についての簡潔な報告」
          岩波文庫  ラス・カサス著  を。

 殺戮の限りを尽くした キリスト教徒と 
行動を共にしたキリスト教聖職者が
 「このままでは天に召されない」 と
 老齢になって やっと
 本国に報告した書 です。
 時はもう 50年を経ていました。
 殺戮をしまくった 後でした。
 南米・北米・中米そして離島の各地は
 絶滅の状況、
 その驚嘆の 殺戮人数などが
 記されています。

 報告を受けた
 本国の王 および その関係者などは
 絶句、
 すべてを 聞けずに、
 まず報告に マトメなさいが
 本書。

2011年12月6日火曜日

悲惨な戦争を無くせないのでしょうか。切なる希望について。

2009年8月13日(木)13:00  毎日新聞
 ◆被爆者が生きている間に、核兵器が廃絶される日を見せてあげたい。井田薫(仮称)

「原爆投下の良かった面を考えよう」

 早稲田大4年、井田薫(仮称)さん(22)は6年前、留学先の
米ミシガン州の高校で、アメリカ史の教師が出した課題に耳を疑った。
 幼少期を長崎市で過ごし、毎年8月9日には静かに祈る人たちの
姿を見てきた。
 「広島と長崎の悲劇は世界に共有されていると思っていたのに」。
 頭の中が真っ白になった。
 他の生徒たちが「戦争を終わらせた」「祖国の防衛になった」など
と答えるのを聞きながら、「違う」と思った。
 だが、その一言が言えない。
 沈黙するしかなかった。
 帰国して大学に進み、祖父の妹(80)宅に下宿した。
 そこで、亡き祖母が長崎で被爆したことを知った。
 自分が被爆3世だということも。
 ある夜、祖父の妹が涙を流しながら被爆した時のことを語って
くれた。
 焼けただれて助けを求める人たち、空襲警報のたびに防空壕(ごう)で
震えた記憶……。
 「同じ苦しみを味わわせたくない」。その言葉が胸に響いた。
 2年前、再び米国に留学した。
 「今度は自分の思いを伝えよう」。
 小さな決意を秘めて向かった留学先の大学で、原爆を扱った映画の
上映会を開いた。
 学生から「原爆の苦しみを教えてくれてありがとう」という言葉が
返ってきた。
 「伝えれば伝わる」と思えた。
 今は、ジャーナリストを志し、中東向けのニュース配信会社「パン
オリエントニュース」(東京都港区)で「修業中」だ。
 いつか、自分の記事で世界に発信したい。
 「良い戦争なんてない」と。

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(悲惨な戦争を無くせないでしょうか。切なる希望について。)
拝 啓
 下記は、番組を提供された企業様とその番組に出演された女優様へ
送信したメールです。
 是非、御一読 賜りたくお願い申し上げます。
 尚、下記において、番組提供の企業(○○と標記)と出演された女優
(☆☆と標記)、及び放送した放送局(□□と標記)は匿名とさせて
戴いて居ります。
                              敬 具
     《 記 》 
 ○○株式会社様
 拝 啓
 下記は、貴社提供のテレビ番組(□□チャンネル、地球街道「長崎
街道、憧れの教会」)について、☆☆様へ送信したメールです。
 御多忙とは存じますが、是非、御一読 賜りたく お願い申し上げ
ます。               敬 具
        記
 ☆☆ 様
 拝 啓
 御活躍のご様子、何時も拝見させて戴いて居ります。
 本日(10月18日)午後10時30分からの□□チャンネル「地球
街道(長崎街道、憧れの教会)」を拝見させて戴きました。
 この番組は、今回の様に、「キリスト教徒によるキリスト教を美しく
見せる番組」を度々放送しております。
 これに比較して、仏教関係は皆無の状況です(公共放送として公平性
の無い偏した現況です)。
 また、キリスト教は『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても
良い』との教義から「人をあやめる行為」を残念ながら行って来て居り
ます(この悲惨な事例は、いにしえから長い歴史と共に数知れずあり
ます)。
 近年では、ブッシュさんがイラクで(多くのアメリカの青年が亡く
なっております。また、本戦争に関係のないイラクの多くの方々も
亡くなられております)。
 そして、次期米国大統領候補の方々は、いずれの方もイラクの悲惨な
この戦争の中止を意思表明して居ります。
 ブッシュさんの支持母体のキリスト教徒の希望により行われた(上記の
教義の論理から行われた)この戦争は「悲惨な結果」をもたらしただけ
でした。
 ブッシュさんのお父さんも、中近東の湾岸戦争で、今回と同様に、
支持母体のキリスト教徒の希望により同じ行為をして居ります。
 キリスト教は、いにしえの古代の十字軍もそうですが、上記の教義に
より、可哀想な多くの方々を残念ながら作ってまいりました。
 この教義は間違っておりますという声を、是非、上げて戴きたく
お願い申し上げます。
 また、キリスト教に偏する番組作りをしている本番組へ、公共放送
として公平性のある番組作りになる様、お力をお貸し戴ければと
お願い申し上げます。               敬 具
ーーー(以上を送信させて戴きました。以下は御参考として付記させて
戴きました)ーーー
(参考)テレビに於ける公開討論において、米国大統領候補のいずれの
方も、直ぐ撤退するか、否かの意見の違いだけで、両候補とも撤退の
意見となっております。
 ☆ 己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。
 ☆ 以和為貴・・・(和をもって貴しとなす)。
 ☆ 一切衆生、悉有佛性 :
  (いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)・・・この世のあらゆる
生きとし生けるものは、ことごとく皆、佛性(佛の性質・佛と成り得る
資質)が備わっています。
 そうした生きとし生けるものでもって宇宙は構成され、すべて(万物)が
繋がり、時は流れています。
 そのつながりの中で育んで行きましょう。
 [ 参考比較 ] キリスト教の人間生来の 原罪 : 原罪(げんざい)
とは、エデンの園において人類の始祖であるアダムとイヴが最初に犯したと
される罪、およびその罪が人間の本性を損ね、あるいは変えてしまった
ため、以来人間は神の救い・助けなしには克服し得ない罪への傾きを
持つことになったという、キリスト教の多くの教派において共有される
思想。
 (ここを原点として、信じなければ救いを拒否し、切り捨てるという
キリスト教がある)
☆ 真実の声 :
 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。
 己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。   
             ・・・ 仏典『ダンマパダ』より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
(若い方達へ)

 キリスト教は贈り物とか、讃美歌とか、外見上は優しく見えますが、
若い方達は特にご注意ください。
虐殺や戦争の事例が実に多い宗教です。
 それは『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い』という
教義から来ております。
他人を絶対にあやめてはいけません。
 間違った宗教に幸せな未来はありません。

 キリスト教の罪悪の一例である、ヨーロッパの30%もの方々が亡く
なった戦争事例がどの様なものかをお調べ下さい。
 そしてまた、この%の異常さをお感じ下さい。
 どの宗教も同じという話は無くなると思います。
 やはり、教え・教義からくる悲惨な結末なのです。

2011年12月5日月曜日

エルサレム: 歴史に旅する人たちの交差点でもあった・・・

題: エルサレム:歴史に旅する人たちの交差点でもあった...
          (仏教とイエス・キリストの共通性)

☆エルサレムは交通の要衝。
  東西南北、歴史に旅する人たちの交差点でもあった。

  インド仏蹟のストゥーパ(塔)からは
    ギリシア人の奉仕の証が見られ、
      インドとギリシアの当時の交渉の確証の一つにも
                      なっている。

  仏教は
    「一切衆生の 誰もが、
        仏になる仏性というものを持っている」と
                      教えている。
  また、
   ユダヤ教各派の中でも、
      仏教の教えに理解を示すグループに
            イエス・キリストは、属していた。

   イエス・キリストの言葉に
             上記と同系思想の、

    「誰もが 神の子として 平等だ」 と、
         上記の仏教の教えと
                同系の教えを語っている。

   イエス・キリストに 
      仏教の教えと相通じる面が見られる
                      1つである。

   だが、  弟子達は、イエス・キリストの死後、
       「イエスが唯一の神の子」 と
                     してしまった。

   この事からも 次の事が分かる。
   キリスト教の中央集権的なヒエラルキー(神を頂点とす
  る序列)が、強調され、
   イエス・キリストの意志の一つである「平等性」の心が
   配慮されない
        欠落の状態に置かれてしまった。

2011年12月4日日曜日

イエス・キリストに「 三位一体神 」の考えは 無かった

題 : イエス・キリストに 「 三位一体神 」の
      考えは無かった

  イエスに、キリスト教の根本教義の一つである「三位一体神」の
考えは、無かった。

☆ヨハネによる福音書の10・34〜36に、下記の様に書かれている。
 10・34
 イエスは彼らに答えられた、
 「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と
 書いてあるではないか。
  10・35
 神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、
 (そして、聖典は無視できない)
 10・36
 それならば、父によって聖化されて世に遣わされてきたわたしが、
 「わたしは神の子である」と言ったからとて、
  どうして神を冒涜したと責められるのか。

・ これは、イエスが、神は一神ではなく神々(多神)の存在である。
 それは、貴方たちの聖典・律法に神々(多神)と書かれているでは
 ないか、
だから、
  わたし(イエス)は、神々・多神である神を冒涜していることには
ならない。
  つまり、
  『父なる神』から遣わされて来て「わたし(イエス)は『神の子』
である」と言っても
  神々・多神の存在の中において、
 神々・多神の冒涜にはならない(貴方達も私も、聖典・律法は無視
 することはできない)・・・と主張しているのである。

  イエスには、「三位一体神」などという考えはなかった。
  あくまで一つ一つの神々、つまり多神と考えていた。
  神々・多神の中に、『父なる神』や自分自身も『神の子』としても考え
 ていた。
  貴方達の聖典にも書くかれていて、私も信じるその聖典に書れて
 いる神々・多神の存在を守らなければならない。
  その教義・論理を根拠として、「わたし(イエス)は、神々・多神の
冒涜をしていないと主張しているのである。
 貴方達の神を否定し、また排除して「神の子」と言っているのではな
 く、多神・神々の中の「神の子」と言っているのです、と言っている。

☆テルアビブ大学 ゼエブ・ヘルツオグ考古学教授の 言葉:
  「 (キリスト教の)『唯一の神』という一神教の概念についても、
  生まれたのは 今から2000年余りさかのぼるに過ぎない 」
              (1999年10月3日、朝日新聞夕刊)
  キリスト教(ユダヤ教)が生まれた最初から
 「 一神教である 」としてきた世界の常識が
  間違いであったことが証明されている。

☆ 多様性や自由、人間の尊厳を重んじる世界へと突き進んで行け。
  そうすれば、
人類が自由に
人道的に生きていくという理想を揚げ、 
 夢に向かって
羽ばたくことができる。  
    (キリスト教暗黒の裏面史 238〜9頁 徳間文庫より)
 ・方向性は多神教にある事が確認され、
           それが正しい方向性だと分かってきた。    
 また、最近、次の確認をした。
 来日された前パリ・ソルボンヌ大学総長が
上記考えと同じ発言をされていた。
  『多様性の中に人類の未来があり、各多様性さの中に神聖さがあ 
 り、オリジナリティがある』・・・など。
 小生の日記、
 「近代の最先端科学は『 キリスト教の間違い 』を証明したを、
  ご覧ください。

2011年12月3日土曜日

戴いたコメントにお答えします・・・二宮政吉さんの『同じ気持ちです』について

題 : 戴いたコメントにお答えします
     ・・・二宮政吉さんの『同じ気持ちです』 について

 差出人: 二宮政吉さん
 日付 : 2011年05月19日 17:50
 件名 : Re:同じ気持です

 メールありがとうございます。
 ご指摘のことは、部分的には同意します。
 ヨーロッパ北欧のキリスト教とは、土着宗教の影響が色濃く
あります。
 キリスト教の布教活動により、土着宗教(迷信宗教)を信じ
ていた民族がキリスト教に改宗させられていったからです。
 ハロウィンについては、ケルト民族の土着宗教と、カソリック
中世暗黒時代における布教活動が重なったところから発生した
文化でしょう。
 現代では、ニューエイジの影響が強いようです。
 中世の暗黒時代における布教とは、このケルト地方のアングロ
サクソン人の改宗から始まりました。
 当時、ヨーロッパは南方からのイスラム教勢力の侵略に脅か
されつつあり、教会を守るために、北方への布教を強いるように
なったのです。
 その流れの中で、迷信深い北方民族のキリスト教への改宗は
必須でした。
 迷信深い土着宗教にキリスト教が妥協せざるを得ない時代で
した。
 その中に、ハロウィンの起源もありそうです。
 日本のキリスト教も、明治初期は、武士道(思想精神ですが)と
深く結びついたものでした。
 迷信宗教は、キリスト教にとって、コンピュータのバグのような
ものです。
 歴史の反省とともに、除去することが必要です。
 現代では、ハロウィン(カルト的祭典)を記念日とするキリスト
教派は、カソリック含め、ありません。
 また、中世の暗黒時代、宗教裁判があり、多くの人が、残虐な
死を遂げていることも事実であります。
 力の理論と「あなたの敵を愛せよ」というキリストの愛の教え、
いつの時代にも教会が悩む課題です。
 プロテスタントの歴史は、その罪を背負ってきたカソリックの
歴史(中世暗黒時代)の反省から出発しています。
 では、そのプロテスタントの時代になって、力の理論は消えて
なくなったのだろうか?
 ブッシュの戦争主義を支えていたのが、プロテスタントである
福音派と呼ばれるキリスト教原理主義の団体と批判されてきま
した。
 ここにも力の理論は存在しています。
 では、そのような力の理論を、私達は賛成しているんでしょ
うか?
 力の理論は、キリスト教の教えではないのです。
 全く正反対であります。
 ただ、聖書を読んでいると、新約聖書の他に、旧約聖書という
ものがあり、そこに侵略的文献があります。
 ですが旧約聖書は、直接はユダヤ教の教えであります。
 しかし、その旧約の中に、イエスキリストの預言が含まれて
いるので聖書の一部として採用しているのです。
 「目には目を、歯には、歯を」とは、旧約聖書に書かれている
ものです。
 新約聖書には、書かれていません。
 むしろ、新約では、「右の頬をぶたれたら、左の頬も出しな
さい」と書かれているのです。
 カソリックの暗黒時代の反省に立ったプロテスタントと同じ
ように、旧約聖書の暗黒の反省に立った新約聖書と言えます。
 ブッシュ政権を支えていたキリスト教原理主義者たちは、旧
約聖書を利用して、悪を征伐する、力の理論を採用したのです。
 ですが、それは間違いであり歴史が証明するでしょう。
 もし彼らのなしてきたことが認められるのではあれば、多くの
キリスト者の殉教は、なんの意味もない犬死です。

 ただ、政治世界では、9・11事件を解決するには戦争する
しか選択肢はなかったように思えます。
 世界の表舞台(政治、経済)がキリスト教主流世界であるため、
多くの人が、キリスト教と戦争を結びつけ考えるのもやむ負えま
せん。
 麻生前首相がクリスチャンだと言っても、本当に信じているのか
私には分りません。
 名目クリスチャンは、腐るほどいます。
 名目クリスチャンが天国に行けるのではありません。
 イエスキリストの、いのちを受けた者のみが天国に行けるの
です。
 それから、キリスト(聖書)を利用した、カルト宗教も多くあり
ます。
 エホバの証人(ものみの塔)などは代表的な宗派です。
 多くの歴史的過ちと、聖書理解の誤解が今のキリスト教に対する
偏見となっています。
 今の時代、幸せ病が蔓延しており、神様の目から物事を見る
ことのできるクリスチャンや教会は少ないと思われます。
 その様な幸せ病の牧師や信者が聖書を読んでも、「論語読みの
論語知らず」となりましょう。
 ただ言えることは、人とは、良心があり、何が間違いで、何が
正しいのか、自分の力で判別する能力を持っています。
 多くの素晴らし信仰者たちが今まで輩出され、それを受け継ぐ
キリスト者達がいることも事実だからです。
 参考になったかどうか分りませんが、後日に譲ります。

私の返事:
 二宮政吉さんへ コメントありがとうございます。
 同じ気持ちですと言って戴き ありがとうございます。
 ハロウィンとキリスト教とのかかわりなどの記述、キリスト教が
布教に際し、ヨーロッパの多神の宗教と、よく言えば融合、悪く
言えば妥協が、大分、起きたところです。
 魔女と関わるところなどキリスト教も無関係とは言えないところ
です。
 キリスト教系の学校でも喜々として行っているところでもあり
ます。
 また、ハロウィンがキリスト教と無関係とするのなら、日本での
行事化についても 明確に反対姿勢・行動を示して欲しいところ
です。
 ブッシュ政権に関することは同感です。この行為は間違いです。
 貴方様のおっしゃる「何が間違いで、何が正しいのか、自分の
力で判別する能力を持っています」とのお言葉には大賛成です。

 私は、神の言葉を戒・律・掟というかたちで伝えるというキリ
スト教の『他律戒』の在り方は良くない(間違い)と思います。
 あなた様のこの記述の様に「何が間違いで、何が正しいのか、
自分の力で判別する」が正しいと思います。

 自分で判断し 自分で何が正しいかを決める…です。
 『自律戒』です。

 キリスト教はこうではありません。
 「神の言葉を与える」・・です。
 キリスト教徒に判別力があると信じて、そして、キリスト教徒に
判断させるという、キリスト教は教義設定にしていません。
 キリスト教徒の判断能力に関し、無能力者のごとくに扱って
います。
 全て神の言葉を信じ、そして従う・・・です。
 また、それを 『 よし 』 としています。
 また、イエスキリストが旧約聖書と全く逆である点(あなたも
おっしゃっておりますが)を整合させていないという問題点を、
回避し、キリスト教は御都合主義的に振舞っていると言われても
仕方ないところもあります。
 正反対の教義が共存しているのです。
 都合のよい時には右と言い、都合が悪くなると左と言う。
 これが問題を大きくしています。ブッシュさんの例のように。

 [ 添付 ]
 ☆ 己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。
 ☆ 以和為貴・・・(和をもって貴しとなす)。
 ☆ 一切衆生、悉有佛性 :
  (いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)・・・この世の
 あらゆる生きとし生けるものは、ことごとく皆、佛性(佛の性質・
 佛と成り得る資質)が備わっています。
  そうした生きとし生けるものでもって宇宙は構成され、すべて
 (万物)が繋がり、時は流れています。
  そのつながりの中で育んで行きましょう。
 [参考比較] キリスト教の人間生来の 原罪 : 原罪(げん
 ざい)とは、エデンの園において人類の始祖であるアダムとイヴが
 最初に犯したとされる罪、およびその罪が人間の本性を損ね、ある
 いは変えてしまったため、以来人間は神の救い・助けなしには克服
 し得ない罪への傾きを持つことになったという、キリスト教の多く
 の教派において共有される思想。
 (ここを原点として、信じなければ救いを拒否し、切り捨てる
 というキリスト教がある)

☆ 真実の声 :
 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。 
 己が身にひきくらべて、
  殺してはならぬ。
  殺さしめてはならぬ。    
             ・・・ 仏典『ダンマパダ』より

2011年11月26日土曜日

げに仏陀は 百劫(ひゃくごう)にも 会うこと難し 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 13」

題 : 「げに仏陀は 百劫(ひゃくごう)にも 会うこと難し」
                五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 13」

ナレーション: 悟りを開いてから45年の間、苦しみの海に沈む人々
     を導き続けた仏陀。
      病と如何に向き合い、老いをどう受け入れ、そして、死に
     どう臨むのか、仏陀は、最後の旅で身をもって示しました。
      仏陀の遺体は、クシナガラで荼毘にふされました。
      その遺骨は、仏陀にゆかりの深い8ヶ所に分骨され、それ
     ぞれストゥーパに納められました。
      大パリニッバーナ経は、この様に締めくくられています。

        その遺功によって、
        この豊かな大地は、
        最上の供養物をもって飾られているのである。
        この様に、
        この眼のある人(=ブッダ)・仏陀の遺骨は、
        よく崇敬され、
        種々に、
        いとも良く崇敬されている。
        最上の人々によって、
        この様に供養されている、
        合掌して、
        彼を礼拝せよ。
        「 げにブッダは 
             百劫(ひゃくごう)にも
                     会うこと難し 」
                              (完)

(参 考)五百塵点劫: (ごひゃくじんてんごう)とは、法華経
     如来寿量品で、釈迦の成道の久遠をたとえた語である。
      正しくは五百億塵点劫である。
      法華経の如来寿量品第16に、「今の釈迦牟尼仏は、
     釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に座し
     て阿耨多羅三藐三菩提を得たりと思えり。
      しかし、われは実に成仏してより已来(このかた)、無量
     無辺百千万億那由他劫なり」とあり、
      続けて「たとえば、五百千万億那由他阿僧祇の三千大千
     世界を、仮に人ありて抹(す)りて微塵となし、東方五百千万
     億那由他阿僧祇の国を過ぎて、すなわち一塵を下し、かくの
     如く、この微塵が尽きんが如き(無くなるまで)、東に行くとし
     たら、この諸々の世界の数を知ることを得べしや、不(いな)や」
     と弥勒菩薩に質問している。
      これは、化城喩品第7にも同様の記述がある。
      「たとえば、三千大千世界のあらゆる地種を、仮に人ありて
     磨(す)りて墨となし、東方の千の国土を過ぎて、乃ち一点を
     下さん。大きさ微塵の如し」
      この化城喩品のたとえ話を三千塵点劫と称される。
      これに対し、寿量品(本門)の「五百千万億那由他阿僧祇」
     を、五百(億)塵点劫と称して、化城喩品(迹門)の三千塵点
     劫よりもはるかに長遠であるかが示されるようになった。
      法華経における釈迦成道は「われは実に成仏してより
     已来(このかた)、無量無辺百千万億那由他劫なり」と
     説いており、経文の記述に素直に従うならば、この五百
     塵点劫はあくまでもたとえ話として出されただけであって、
     釈迦が成道した時ではない。
      また化城喩品の三千塵点劫も、たとえ話として持ち出され
     た話に過ぎない。
      しかし日蓮は、『釈迦御所領御書』などで、「過去五百塵点
     劫より、このかた、この娑婆世界は釈迦菩薩の御進退の国土
     なり」などと、五百塵点劫の言葉に開近顕遠の意味を持たせ
     たことから、釈迦が本当に覚った時と解釈されるようになった。
      なお一般的に、釈迦はインドで生まれ菩提樹下で成道した
     とされる。
      これを伽耶始成、また始成正覚というが、法華経においては、
     釈迦はそのようなインド応誕の仏ではなく、本当は遠い過去に
     成道していた、と打ち明ける。
      これを久遠実成をという。
                      (Wikipediaより)

     字幕:NHK 第一集 ブッダ最後の旅 インド
     語り:高橋美鈴
     朗読:長谷川勝彦
     資料提供:『ブッダ最後の旅」中村元訳
           増上寺
           文芸春秋
           中本徳豊
     ディレクター:正岡裕之
     制作総括:  山本辰也
           菊池正浩

2011年11月25日金曜日

破壊さるべきものであるのに、それが破壊しないようにという事が、どうしてあり得ようか 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 12」

題 : 破壊さるべきものであるのに、
         それが破壊しないようにという事が、
             どうしてありえようか 
                  五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 12」

映 像:  涅槃堂への道を歩く五木さんに涅槃堂の鐘の音が響く。
ナレーション: 敷地内には、沙羅双樹の木が、代々、植えられ涅槃
     堂を見守り続けております。
     (涅槃堂に入っていく、五木さん、そして、涅槃像の前で座り、
     祈る、五木さん)
ナレーション: 仏陀が入滅したときの姿を顕す大涅槃像。
      死を間近にした仏陀の周りには、多くの弟子や信者が集まっ
     たと言います。 
      大涅槃像の台座には、25年もの間、仏陀と共に歩んできた
     弟子・アーナンダの像が刻まれています。
      今にも訪れるであろう師との別れを悲しみ号泣する・アーナ
     ンダ。
      仏陀は、アーナンダを呼び寄せ、こう、諭しました。

        止めよう、アーナンダよ。
        悲しむな
        嘆くな
        私は、あらかじめ、この様に、説いたではないか。
        すべての愛する者
        好む者からも
        別れ
        離れ
        異なるに至るという事。
        およそ、
        生じ
        存在し
        つくられ
        破壊さるべきものであるのに
        それが破壊しないようにという事が
        どうしてありえようか 」。

ナレーション: 仏陀は、死の間際まで、この世に残される者たちを、
      励まし続けました。
映 像:  涅槃堂から出て行く五木さん。出口のところで手を合わせ、
      静かにあたまをさげる。
ナレーション: 五木さんの仏陀を辿る旅は、ここが終着点です。
      (大きく鐘の音が響く)
五木さん:(五木さんにとって、理想的な死と言うものがあるのでしょ
     うか・・の、問いに、五木さんは) 
      それは、僕・個人の事は、旅の途上で消える様に、死んで
     行ければ幸せだと思いますね。
      あのー、子供の頃から、ずーっと、小学校は4回転校し、中
     学校は3回変わり、ほとんど自分の家というものを持たずに、
     転々と過ごして来ましたから、ずーっと自分の人生は旅だと
     考えて来ましたのでね。
      生涯の終わりというものも、何かの形での旅の途中で、世を
     去るというのは本当に理想な終わり方ではないかと思います。
      その意味で、仏陀の旅は、本当にうらやましい、齢80を重ね
     て、大変な旅だったでしょうけども、旅の途中で、しかも豪華な
     都や宮殿の中でなく、美人の中でもなく、そういう寂しい寒村の
     林の中で亡くなった、
      そういう仏陀の姿に、本当に共感と言いますか、憧れと、尊敬
     というか、そういうものを感じます。
      人間の死に方と言うのは、その様なものだろうと感じます。
ナレーション: 仏陀は、自分が死んだ後、いかにあるべきかについて、
     修行僧たちに説きました。
      そして、最後に聞いておくべき事はないかと、三度、訊ねます。
      修行僧たちは、己のなすことを充分に理解し、黙っていました。
      そこでアーナンダは、この様言いました。

        尊い方よ。
        不思議であります。
        珍しい事であります。
        私は、この修行僧の集いを
        このように喜んで信じています。
        仏陀に関し
        あるいは、法に関し
        あるいは、集いに関し
        あるいは、道に関し
        あるいは、実践に関し
        一人の修行僧にも
        疑う疑惑が起こっていません。

ナレーション: 満足した仏陀は、最後の言葉を口にします。

五木さん:  さー、修行僧たちよ。
        お前たちに告げよう
        もろもろの事象は
        過ぎ去るものである
        怠ることなく修行を完成なさい 」

      ・・・と。
      こう、言った訳ですね。
      仏陀の生涯・悟った法というもの、まあーダルマと言いますか、
     宇宙・自然・人間存在の真理というもの、それを最後に一言で、
     もろもろの総てのものは過ぎ去るものである、変化しないもの
     はない。
      こういう風に最後まで、修行僧たちへ告げて、そして、怠る
     ことなく、その真理というものを学びなさいと、こういう風に、
     あたかも自分達の同胞・友達に向けて語る様に、語りつつ、
     仏陀は、ここで生涯を終える訳です。
      仏陀を考えて見ますと、仏陀は、求道(ぐどう)の人と同時に、
     そして、偉大なる求法(ぐほう)の人、あるいは、伝道の人であ
     った。
      死の直前まで、人々に向かって自分の悟った真理というもの
     を語り続けようとした。
      ここに、仏陀の宗教者としての存在、それから、人間としての
     魂のやわらかさ、そういうものを感じないではいられません。
      体制の保持者である王とも語る、貴族とも語る、財界や商人
     たちとも語り合う、それでいて、差別された人々とか偏見を持
     たれた人々に対して、まったく率直に、そういう人々の立場に
     立って、ものを考え、法を説くという、こういう事を考えますと、
     仏陀の持っている現代性といいますか、こういうものの大きさを
     改めて感じたことでした。仏陀のイメージが随分変わりました。
                            (つづく)

2011年11月24日木曜日

供養の食べ物を食べて・・ニルヴァーナの境地に入られた 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 11」

題 : 供養の食べ物を食べて・・・ニルヴァーナの境地に入られた 
             五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 11」

五木さん: 気持ち良さそうだねー。
映 像:  水浴びをしている水牛を見ている、五木さん。
字 幕:  カクッター川
ナレーション: パーバ村とクシナガラの間に流れる、このカクッター川
     のほとりにさしかかった時、仏陀は、ついに耐え切れなくなり
     ます。
      ここで袈裟を敷いて腰をおろし、アーナンダに水を汲んで来
     るように頼みます。
五木さん: 仏陀は、弟子に対して、こういう風に語る部分があります。
      非常になんか こう、人間味のあるエピソードなんですけどね。
      それは その、もしも自分に何かあったならば、そのことで
     自分に供養の食事を出した鍛冶屋の子の責任が、問われる様
     なことになりはしないか、彼はけっして悪くないんだと、彼が
     その事で自戒の念に悩まされ、自分に悪徳がないのではない
     のかと、こういう風に考えない様に、彼によく言って聞かせて
     くれと、当時の鍛冶屋と言いますと、芸能人とかその他の職業
     と同じ様に、いわば当時は、カーストの外にあった、大変こう、
     大きな差別を受けていた階層の人たちですね。
      そういう人たちの供応を喜んで受け、そういう人々に心を配る
     という、そういう遊女だ、あるいはアウト・カーストの人だという
     人々にも、全く平等に、自分の思いを伝え、接することを、日常
     の事としていた、仏陀の偉大さというものを、今の、近代を超え
     て来た私達、人権なんていう事をですね、改めて学んでいる
     私達以前に、仏陀は、自ら、率先してその事を教えてくれたよ
     うな気がして、感動しないわ訳にはいきません。
ナレーション: 仏陀は、アーナンダに、今夜、クシナガラにある2本並
     んだ沙羅の木の間で、自分は死ぬだろうと予言をしました。
      そして、こう続けました。

        アーナンダよ、
        鍛冶工の子・チュンダの後悔の念は
        この様に言って、取り除かねばならない
        『 友よ、
        修行完成者は、
        最後の供養の食べ物を食べて
        お亡くなりになったのだから
        お前には利益(りやく)があり
        大いに功徳がある。
        友・チュンダよ、
        この事を尊師から
        目の当たりに聞き、承った 』。

ナレーション: 仏陀が、35歳の時、悟りを開いたのは、供養の食事が
     きっ掛けでした。
      自らの死のきっ掛けとなるチュンダの食事も、それに劣らない
     ほどの功徳があると、仏陀は言います。

        この二つの供養の食べ物は、
        正に等しい実り、
        正に等しい果報があり、
        他の供養の食べ物よりも、
        はるかに優れた、
        大いなる功徳がある。
        その二つとは何であるか?
        修行完成者は、
        供養の食べ物を食べて、
        無常の完全な悟りを達成したのと、
        及び、供養の食べ物を食べて、
        煩悩の残りのない、
        二ルヴァーナの境地に入られたのとである。

ナレーション: クシナガラに達した仏陀は、もはや、動くこともままなら
     ず、頭が北向きになるように、床をしつらえさせ、病み、疲れた
     身体を横たえました。
      大パリニッバーナ経は、仏陀が横になると、沙羅双樹に変化
     が現れたとしています。

        さて、
        その時、
        沙羅双樹は、
        時ならぬのに花が咲き、
        満開となった。
        それらの花は、
        修行完成者に供養するために、
        修行完成者の身体に、
        降りかかり、
        ふりそそぎ、
        ちりそそいだ。
        また、
        天のマンダーラヮ花は、
        虚空から降って来て、
        修行完成者に供養するために、
        修行完成者の身体に、
        降りかかり、
        降りそそぎ、
        ちりそそいだ。
        天の楽器は、
        修行完成者に供養するために、
        虚空に奏でられた。
        天の合唱は、
        修行完成者に供養するために、
        虚空に起こった。

ナレーション: 仏陀、入滅の地、クシナガラ。
      今も尚、仏陀の死を悼み、参拝に訪れる人が絶えません。
      町の中心には、仏陀・入滅を祈念する涅槃堂が建てられて
     おります。                    (つづく)

(参 考)ニルヴァーナ: サンスクリット語の仏教用語で、涅槃
     (Nirvana) のこと。
(参 考)利益: (りやく)仏教の言葉。ためになること。法力によって
     恩恵を与えること。自らを益するのを功徳(くどく)、他を益する
     のを利益という。

2011年11月23日水曜日

転悪成善(悪を転じて善と成す)・・初めて他者への憎悪や責める心から解放される 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 10」

題 : 転悪成善(悪を転じて善と成す)・・
           初めて他者への憎悪や責める心から解放される 
              五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 10」

ナレーション: 霊鷲山を出てから、半年になろうとしていました。
      仏陀は、熱心な信者が居るパーバ村へ向かっていました。
五木さん: ナマステー。
ナレーション: 当時、この一帯にはマンゴー園が広がっていました。
      持ち主は、パーバ村の鍛冶屋の子・チュンダ。
      以前、仏陀が、パーバ村を訪れた時に帰依した敬虔な信者
     です。
      チュンダは、仏陀を歓迎するために、貧しいながらもできるだ
     けの準備をととのえ、首を長くして待っていました。
五木さん: 燃料に使う、牛糞ですか?
      あれなんか、積み重ねているところなんかも、何千年も同じ
     様に、燃料に使っているわけなんですね。
案内の方: 牛糞に、藁を混ぜて・・・。
五木さん: あっ、そのままでなくてね。
      あ、そうか、そのままでは燃えないのだ。やっぱり。
      あーそれじゃー、一応加工している訳なんだね。
      えー、だけど、昔の村らしい村ですねー。
      ナマステー。
      (加治屋さんのところに来て)
      あー、ふいごですね、昔のねー。
      あのー、なんか、鍛冶屋さんと言うにはあまりに素朴なー。
      でも、こんな風にして、農機具とか色々を作るのでしょうねー。
      (あるインドの方へ)ナマステジー。
      あのー、仏陀が最後の旅の中で、この村で病気をしたと、聞
     いたのですが?
インドの人: この村で言い伝えられてきた話によると、仏陀は、仙人
     に姿を変えて南から 来たそうです。
      日が暮れ始めていたので、仏陀は、この村に泊まることに
     しました。
      村の誰かが、夕飯を用意したそうです。
      いろんな言い伝えがありますが、豚肉料理を出したという説
     と、ククルムタと呼ばれるキノコ料理を出したという話がありま
     す。
五木さん:(手を合わせて)ナマステジー。(お礼を言って立ち去る、五
     木さん)
     (鍛冶屋さんの映像、鞴・フイゴを手でこいで風を送っている)
ナレーション: 仏陀は、チュンダが用意してくれた食事を、快く受け入
     れました。
      しかし、口に入れて直ぐ、それが、食べてはいけないものだ
     と分かりました。
      ここで、仏陀は、チュンダにこう告げます。
        チュンダよ、
        残ったキノコ料理は、それを穴に埋めなさい。
        神々・悪魔・梵天・修行者・バラモンの間でも、
        また、神々・人間を含む生き物の間でも、
        世の中で修行完成者(=仏陀)のほかでは、
        それを食して完全に消化し得る人は見出せません
        ・・・と。
        「かしこまりました」と鍛冶工の子・チュンダは、尊師に
       答えて、残ったキノコ料理を穴に埋めて、尊師に近づい
       た・・・。
       近づいて尊師に敬礼し、一方に座した。
       チュンダが、一方に座した時に、尊師は、彼を教え・諭し・
      励まし・喜ばせて、出て行かれた。
ナレーション: その時、仏陀は、激しい腹痛に見舞われていました。
      仏典には、こう記されています。

        さて、尊師が、
        鍛冶工・チュンダの料理を食べられた時
        激しい病が起こり
        赤い血がほとばしり出る
        死に至らんとする激しい苦痛が生じた。
        尊師は、
        実に、正しく思い
        良く気を落ち着けて
        悩まされる事無く
        その苦痛を堪え忍んでいた。
        さて、尊師は、
        若き人・アーナンダに告げられた
        『さー、アーナンダよ、
        我々は、クシナーラーに赴こう』・・・と。

ナレーション: 80歳の老いた身に、血が出るほどの激しい下痢。
      立っていることさえままならない身体を、引きずるようにして、
     仏陀は、自ら終焉の地と思い定めた、クシナガラを目指しまし
     た。
      パーバ村からクシナガラまでは、およそ20キロの道のりです。 
                            (つづく)
(参 考): クシナーラー = クシナガラ
(解 説):チュンダは、釈尊への尊崇の念で食事の供養をしようとして
     珍味のキノコ料理をさし上げたが、結果、釈尊の死を早めるに
     至った。
       釈尊は、チュンダが後悔して嘆くであろうし、また、まわりの
     者たちがチュンダを責めるようになるであろうと、チュンダに
     同悲され、「私の生涯で二つのすぐれた供養があった。
      その供養は、ひとしく大いなる果報があり、大いなるすぐれた
     功徳がある。
      一つは、スジャータの供養の食物で、それによって私は無上
     の悟りを達成した。
      そして、この度のチュンダの供養である。
      この供養は、煩悩の全くない涅槃の境地に入る縁となった。
      チュンダは善き行いを積んだ」と仰せになった。
      最初のスジャータの供養とは、釈尊がさとりを開かれる前、
     極限にいたるほどの苦行をされていたが、極端な苦行は悟
     りへの益なきことを知り、それまでの苦行を捨て、村娘のス
     ジャータから乳粥の供養を受けられた。
      それによって体力を回復し、菩提樹の下に座り、「悟りを開
     くまではこの座を決してはなれない」という決意でもって坐禅
     瞑想に入られた。
      そして、この上ない悟りを開かれたと伝えられている。
      スジャータの供養は、悟りに至る尊い縁になったのである。
      そして、このスジャータの供養の功徳とひとしく、このたびの
     チュンダの供養は、大いなる涅槃に至る尊い縁となると、釈尊
     は、チュンダの食物の供養を讃えておられる。
      チュンダがさし上げた特別のキノコはどうやら食用に適さな
     かったようある。
      しかし、チュンダは自分のせいで釈尊を死に至らしめたとい
     う後悔をするだろうし、また周りの僧俗がチュンダを責めるで
     あろうと釈尊は思われ、チュンダの嘆きに寄り添って、「チュン
     ダは大いなるすぐれた功徳を積んだ。
      チュンダの供養で、私は煩悩の残りなき大いなる涅槃に入
     ることになった。
      「チュンダは善いことをした」と、チュンダの供養をほめ、起こ
     るであろうチュンダの嘆きと周りからの責めをあらかじめ取り
     除かれたのである。
      ここに釈尊の慈悲の深さ、同悲のお姿が伺われる。
     仏教で言われる慈悲の行いとは、具体的にどういうものなの
     かがよく示されている。
      しかも釈尊のチュンダへの言葉は、無理にチュンダを慰めて
     いるというものではなく、ご自分の死を「大いなる涅槃に入る縁」
     と見られてのものである。
      ご自分の死んでいくことに対して、不幸ともいわず、嘆きもせ
     ず、静かに受け止められるばかりではなく、煩悩が全く消滅す
     る大涅槃に入る尊い縁として見ておられるのである。
      そういう背景があってチュンダの供養を讃えておられるので
     あって無理にチュンダを慰めているのではなかろう。
      このことによって教えられることは、自分にふりかかるどのよ
     うな〈災厄〉をも、転悪成善(悪を転じて善と成す)で、善き縁で
     あると受け止める智慧があって、初めて他者への憎悪や責め
     る心から解放されるのであろう。
      もし、自分は内心で嘆いているけど、人を悲しませてはいけ
     ないという愛情であれば、それはそれで尊いとしてもなお暗い
     ものがある。
      このように釈尊は、ご自分の死を大涅槃の悟りに至る機縁と
     見られたが、この釈尊の死の意味は、浄土の教えを信じる者
     における死の意味と重なるものであろう。
      自らの死を大涅槃界である浄土に生まれる縁といただいて
     いる念仏の信心と、釈尊における死への智見とは、内面的に
     連なるものがある。
      真実の信心は、死をも浄土へ生まれる縁であるとの智見を
     生むのである。
                    (寺報「草菴仏教」より)

2011年11月22日火曜日

諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 9」

題 : 諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい 
                  五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 9」

五木さん: ある時、アーナンダに向かって、仏陀は衝撃的な言葉を
     述べます。
      それは、「自分は、もう、3ヶ月後には、この世に居ないだろ
     う」という、そういう予言です。
      アーナンダは、さぞかし、もう、驚愕し絶望したに違いありま
     せん。
      しかし、余命は、もういくばくもない、自分は3ヵ月後に、この
     世を去る。
      自分の言っていることは、決して間違いない。
      こういう風に、仏陀は、断定します。
      おそらく、仏陀の80年の生涯の中で、自分の人生の終わり
     というものを、すっきりと予感した。
      そういう瞬間だっただろうと思いますね。
      ・・・で、仏陀は、アーナンダに、「自分はこの世を去る、去る
     前に、自分が、色々、言っておきたいことがある。
      だから、「修行僧達を沢山集めなさい」 こういう風に、アーナ
     ンダに命じます。
      そして、アーナンダが、集めた大勢の修行僧を前に、仏陀は、
     この様に言われたという風に、経典には書かれています。

        そこで尊師は、
        修行僧達に告げられた
        さあー、修行僧達よ
        私は、いま、お前達に告げよう
        諸々の事象は過ぎ去るものである。
        怠ることなく修行を完成なさい。
        久しからずして
        修行完成者は亡くなることだろう
        これから3ヶ月過ぎた後に
        修行完成者は亡くなるだろう・・と、

        尊師・幸いな人、
        師はこの様に説かれた。
        この様に説いたあとで
        さらに、
        次のように言われた
        我が齢は熟した。
        我が余命はいくばくもない。
        汝らを捨てて、私は行くであろう。
        私は自己に帰依することを成し遂げた。
        汝ら修行僧たちは、
        怠ることなく よく気をつけて
        よく戒めをたもて。
        その思いをよく定め統一して
        おのが心をしっかりと守れかし
        この教説と戒律とに務め励む人は
        生まれを繰り返す輪廻を捨てて
        苦しみも終滅するであろう・・と、

      物事は、移り変わるものだという様な事を、いくら口で言って
     も、どんなものでも流転するという様なことを、自分の身をもっ
     て、みんなに語ろうとしているんではないでしょうか。
      例えば、仏陀という人が、尊敬され、そして、その教えが、広
     がれば広がるほど、その人を、偶像化して、永遠に戴いて崇
     拝していこうという気分というのは、強まってきますよね。
      どっかで自分は、もう、如何に仏陀といえども、自分も涅槃に
     入るんだという事を言って、それで、その時、突然、自分が居
     なくなって、周りが大混乱するよりも、あと3ヶ月というこの日々
     を、周りの修行僧やアーナンダ達が、しっかり心に刻んで、あと
     1日、あと1日という風に、大事にして生きるようにという、生き
     るもの・残されたものへの配慮だという風に、思いますけどね。
     ・・・・・。
      あのー、僕自身はね、余命ということを考えないんですよ。
      むしろ、天命という考え方、で、自分が何時まで生きるとか、
      何時死ぬとか、そういうことはね、ほとんど考えたことは無い
     んです。
      あのー、出来れば長く元気で生きられれば良いと思います
     けれども、人間の天寿というものは、あらかじめ決まっている
     んじゃないかなーという事を考える事がありましてね。
      その天寿を全うしたい、ですから、世の中というのは、すごく
     不合理なもので、30歳の天寿の人も居れば、10代で亡くな
     る人も居る、90歳、100歳まで生きる人も居る。
      ですから、僕は自分の人生と言うのは、ある時期から、「い
     つでも」と言うのは、おかしいのですけれども、「もういいよ」と
     いう、声なき声が、聞こえてきた時が、自分の寿命の尽きる
     時だと思っていますし、寿命が尽きると言うことがですね、何
     か終わるとか、無くなるとか、そういう風に考えていないので
     すね。
      ですから、何か新しい出発と感じもしますし、とりあえず、与
     えられた、今日一日、明日の一日、仏陀の言葉の様にですね、
     元気を出して、苦しみに耐えてという風に思ってますね。
      ですから、寝る時は、もう、明日は目が覚めないかもしれな
     いという風に思いますし、起きた時に、「あー、今日一日あった
     な」と思いますし、あまり、そういう風に先の事を考えたことが
     無いですね。
ナレーション: 自らの死を予言した仏陀。
      別れを惜しむ人々が、数多く後を追ってきました、しかし、仏
     陀は、彼らに戻るように説き、形見として自分の托鉢の鉢を
     渡しました。
インドの仏教歌: 
        金のお皿でご飯を
        食べて貰いましょう
        仏陀に乳粥(ちちがゆ)を
        差し上げましょう
        金の台の上に
        席を用意しましょう
        仏陀にお願いして
        座って貰いましょう
        ここで仏陀に
        静かに休んで貰いましょう
        私は、みんなに仏陀が
        来ていることを知らせます
     
映 像 : 長い汽笛を鳴らして走り、そして去っていく列車

2011年11月21日月曜日

直径123メートルの 巨大ストゥーパ 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 8」

題 : 直径123メートルの 巨大ストゥーパ 
              五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 8」      

インドのお坊さんの経: 
        お釈迦様が、
        ヴァイシャリーにいるときは
        いろんな処に
        仏教が広まっていきました。
        お釈迦様は、
        何事も正直に話すようにと
        繰り返し語っていきました。
        お釈迦様は、
        ヴァイシャリーの人々を
        誰よりも愛してくれました。
        お釈迦様が、
        クシナガラのサーラの森に行くときは
        老若男女、みんなが泣きました。



映 像 : お経を唱えながら、裸足で水に濡れた田の畦道を行く
     仏教僧の映像。
      畦の道に僧の経が流れて行く。
      ・・・。
      悪路を車で進む、五木さん。
      大きく左右にゆれる車。
      警笛を鳴らしながら、乗客を満載したバスと行き違う。
五木さん: イヤー、もう、照り返しがすごいですね。
      イヤー、もうこれは、死にそうだ。
      ナマステー。
      お茶を一杯下さい。
      (お茶の葉を沸騰している鍋に直接入れ、煮て、)
      なんか戦後を思い出すね。
ナレーション: 仏陀の足跡を辿り、連日、悪路を進む、五木さん。
      旅は、まだ、半ばを過ぎたところです。
五木さん: ありがとう。
      あちちっ、・・・旨いですね。
      もう、極楽という感じだな。
      (多くのハエが・・ それを手で払う店の人、周りを飛
      ぶ)
同行者: 五木さん、今までの旅の風情は?
五木さん: イヤー、なんか修行という感じですね。
      前にインドに来た時は楽な旅をしたもんですからね。
      本当は苦行修行の旅なんですね。
      こういう農村を見ないと、インドは分からないという
     のは、本当ですね。
      仏跡は地方の農村地帯に残っている。
      仏蹟探訪の旅 ロマンティックな感じはしますけれど、
      本当は苦行修行の旅なんですね。
      だから観光の積もりできたのでは、もうもたないでし
     ょう。
      お遍路の様な覚悟で、やはりやらなければならない旅
     ですね 苦行の・・・・。
      ナマステ。サンキュー。
      イヤー、またこれはひどい日差しだな。
ナレーション: ヴァイシャリーを出た仏陀は、更に北に向かって
     歩き続けます。
      ヴァイシャリーから北西に、およそ50キロ、当時の
     ヴァッジ国の国境にあたる場所に発掘中の巨大な遺跡が
     あります。
字 幕 : (ケッサリア・ストゥーパ)
五木さん: イヤー、これはすごい。あー。
ナレーション: このストゥーパは、紀元200年〜紀元700年
     の間に建てられたものと考えられています。
      本格的な調査が始まったのは、1998年。
      現在発掘されている部分だけでも、直径123メート
     ル、高さ31メートルにおよぶ、レンガ造りの巨大なス
     トゥーパです。
      さらに、この下にどれ程の遺跡が埋もれているかは、
     まだ、明らかになっていません。
     (遺跡を登り、進む、五木さん)
五木さん: あー、ここに仏陀像があるんだね、あー、
     (頭を下げ、手を合わせる、五木さん)
ナレーション: 大パリニッバーナ経によると、旅の途中、仏陀の
     前に悪魔が現れました。
      悪魔は、今こそ、尊師のお亡くなりになる時ですと告
     げます。
      まだ、その様な時期ではないと退けます。
     (カラスが、ぎゃーぎゃーと鳴いている)
五木さん: カラスがすごい。
ナレーション: しかし、その一方で仏陀は、死に向かう準備を始
     めます。
     (巨大ストゥーパの周りをくるくる歩く、五木さん。何
     匹ものカラスが木にとまり、ぎゃーぎゃーと鳴く)
五木さん: ストゥーパだから、中に入る事はないんだね。
     (ストゥーパの上も、何匹ものカラスが飛び回る)

2011年11月20日日曜日

この世界は美しい、人生は甘美である 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 7」

題 : この世界は美しい、人生は甘美である 
             五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 7」

ナレーション: 病を克服した仏陀は、回復するといつもの様に托鉢
     に出かけました。
      後ろには弟子のアーナンダが従います。
      仏陀の従兄弟でもあるアーナンダは、25年にわたって、
     常に行動を共にして来ました。
      この日、托鉢から戻り食事を終えた仏陀が発した言葉に、
     周りの弟子達はおどろかされました。
      それは、何時も身近に居るアーナンダですら、始めて耳に
     する言葉でした。
画 像 : インドの子供達が、大喜びで水浴びする姿を微笑みながら
     見る、五木さん。
五木さん: アーナンダとの対話 アンバパーリーとのいきさつ、
     そして、仏陀の老いと病と、そういうものが、いくつも
     つき重なった場所なんですけど、この場所で、ある日、
     仏陀とアーナンダの間に、こういう対話があります。
      「仏陀・最後の旅」の中から、とても印象深い対話です。

        さて尊師は、
        早朝に、内衣を付け
        外衣と鉢とをたずさえて
        托鉢の為にベーサーリー市へ行った。
        托鉢の為にベーサーリーを歩んで
        托鉢から戻って食事を済ませた後で
        若き人・アーナンダに告げた。
        アーナンダよ、
        座具を持って行け
        私はチャーパーラ霊樹の元へ行こう
        昼間の休息の為に。
        そこで尊師は、
        チャーパーラー霊樹の元に赴いた
        赴いてから、あらかじめ設けられていた座席に座した。
        若き人・アーナンダは、尊師に敬礼して一方に座した。
        一方に座した若き人・アーナンダに、尊師はこの様に
       言われた。
        アーナンダよ、
        ベーサーリーは楽しい
        ウデーナ霊樹の地は楽しい
        ゴータマカ霊樹の地は楽しい
        七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい
        タフブッダ霊樹の地は楽しい
        サーランダ霊樹の地は楽しい
        チャーパーラ霊樹の地は楽しい。

      これは中村元さんが、パーリー語から訳された言葉なんです
     けれども、あのー、色々ありまして、サンスクリットの方から訳
     されたこのくだりにはですね、非常に印象的な言葉が加えら
     れています。

        この世界は美しい
        そして、
        人生は甘美である

      まあ、こんな風に、サンスクリット語の本の方には書かれて
     いる訳なんですけれども、そこまで本当に、仏陀が、言われた
     かは分かりません。
      この物語を編んだ人が、霊樹の地は楽しいという言葉を、
     さらに、普遍して、その様に自分の思いを付け加えたかもしれ
     ません。
      この辺は分かりませんですけれども、人々が、仏陀にそうい
     う風な言葉を言って欲しいなーという風に、心から思っていた
     ことが伺えるのですね。
      仏陀の信仰と言いますか、法の教えの第一歩は、人生とい
     うものは、苦であるという、いわば、ネガティブ・シンキングと
     言いますか、どん底から出発する訳です。
      この世というものは苦しいものである、そして、生老病死、
     様々な苦しみに満ちている。
      この苦しみの中から人はどのように苦しみに耐えて生きて
     いくか。
      仏陀は、その事を終生、ずーッと追求し続けた人なんですが、
     それでも苦から出発したこの世界、この認識がですね、仏陀の
     最後の旅の「 末期の眼 」の中で、
       『 この世界は美しい、人生は甘美である 』、
      例え、苦の世界であったとしても、こんな風に、最後に、仏陀
     に呟いて欲しいと思った人々が、どれほど居たことなんでしょ
     うね。
      人間というものは、『 決定的な絶望の中に生き続けることは、
     本当は難しいこと 』です。
      そして、私達・弱い人間というのは、どうしてもその様に、物語
     の中で自分達の思いを、仏陀に託して、そして、こういう事を
     言って欲しかったという事を付け加えて、伝承というものが生
     まれてきます。
      ですから、それは、仏陀が、言った言わないとは別に、人々
     が、その様に、苦から出発して、あるいは楽の世界、醜の世界
     から美の世界、辛い世界から甘美な世界へ行きたいという願い
     を抱き続けて、2500年も生き続けて来たという事を表してい
     る訳ですから、それはそれで真実であろうという風に思う所が
     あります。
ナレーション: 若き人・アーナンダに、尊師は、この様に言われた。

        アーナンダよ
        ベーサーリーは楽しい
        ウデーナ霊樹の地は楽しい
        ゴータマカ霊樹の地は楽しい
        七つのマンゴの霊樹の地は楽しい
        タフブッダ霊樹の地は楽しい
        サーランダ霊樹の地は楽しい
        チャーパーラ霊樹の地は楽しい。

ナレーション: 雨季が明け、再び、旅に出る日がやってきました。
      ヴァイシャリーの人々は、何時までも、別れを惜しんだと言
     います。
      町の郊外にあるレリック・ストゥーパは、ヴァイシャリー王に
     よって建立されたと伝えられております。
      小さな半円形のストゥーパからは、仏陀の遺骨の一部を納
     めたシャリ容器が、半世紀前に発掘されました。
      インド人のプッドゥ・バランさんは、このあたりで布教活動して
     いるお坊さんです。
      バランさんは、ここで、毎日、経を上げています。
バランさんの言葉: 今から2500年も前の話になりますが、お釈迦様
     は、好んでこの地で法を説いていました。
      ある日、ヴァイシャリーの人々に、この様に語ったと伝えられ
     ています。

        私は、この地にずっと留まることは出来ません。
        西にあるクシナガラという町へ向かいます。
        名残惜しいけれど、どうか、私を行かせて下さい。
        この物語に基づいた歌を唄いたいと思います。
インドのお坊さんの経: 
        ヴァイシャリーの人々は
        お釈迦様が歩き出すと
        泣き出しました。
        お釈迦様は、クシナガラの
        サーラの方へ出発しました。
        村の人々が、皆、泣き出しました。
                            (つづく)
(補 注): アンバパーリーは、徹夜でご馳走を用意し、翌日、釈迦の
     一行が訪れた時は自ら給仕してもてなしました。
      食事が終わった時、彼女は、釈迦が留まった果樹園を教団
     に寄贈することを申し出て釈迦はこれも受けています。
      最後の場面はこんなふうに伝えられています。

        尊師は法に関する講話をもってかの女を教え、
        諭し、
        励まし、
        喜ばせ、
        座から起って、
        去っていった 。

2011年11月19日土曜日

法を島とし、法を拠り所として 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 6」

題 : 法を島とし、法を拠り所として 
              五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 6」

五木さん: この周辺に住まいしていた時期、ちょうど雨季に入り
     ました。
      そして、雨季というのはもう、往来が困難だし、疫病
     がはやったり、大変な時期なんで、雨安居(うあんご)
     と言って、その時期、旅を休んで瞑想にふけり、思索に
     ふけります。
      ちょうど、その時ですね、仏陀は、思いがけなくも、
     本当に大きな病にかかる訳ですね。
      最後の旅のほんとに途中なんですけれども、その時の
     模様を こんな風に「大パリニッバーナ経」・「仏陀・
     最後の旅」 には書かれています。

        さて尊師が、
        雨季の定住に入られたとき
        恐ろしい病が生じ
        死ぬほどの激痛が起こった。
        しかし尊師は、
        心に念じて
        よく気をつけて
        悩まされることなく
        苦痛を堪え忍んだ。
        そのとき尊師は、
        次のように思った
        「私が侍者たちに
        別れを告げないで
        修行僧達に別れを告げないで
        ニルヴァーナに入ることは
        私には相応(ふさわ)しくない
        さぁ私は元気を出して
        この病苦を堪(こら)えて
        寿命のもとを留めて
        住することにしよう」と

     (参考)ニルヴァーナ: サンスクリット語の仏教用語
         で、涅槃 (nirvaaNa) のこと。

五木さん: つまり大変な激痛が生じてですね。
      本当にもう、耐え難いほどの痛みと苦しみの中で、仏
     陀は、それに耐え忍び、そして、今は死ねないと感じる
     んですね。
      それがまだ自分には残した仕事があると感じていたの
     か、あるいは、自分に与えられた事を最後までやり遂げ
     るために、この旅を続けようという意思なのか、あるい
     は、天と言いますか、目に見えない大きなものの命ずる
     ままに、自分の人生というものを、もう一度、生きてい
     こうという風に考えるのか、その辺は良く分かりません
     けれども、老いと病というものは、まあ、普通に言われ
     るように、生易しいものではありません、人間が最後の
     旅に出る時に、必ず、この老いと病を道連れにして、生
     きていく訳です。
      その最後の旅の中で、仏陀もまた、この病気と苦痛と、
     そして、老いというものを感じつつ、この辺に留まって
     居られたということを思いますと、人間・仏陀、人間で
     はないけれども、人間的なそのような苦しみを、人一倍、
     深く背負った仏陀という存在、そこに、私達人間も、と
     っても同じ様な、親しみと共感、そして、尊敬の念を覚
     えるところがあります。
     ・・・・。
五木さん: 車の中で、ちょっと七転八倒したんですよね。
      朝4時に起きて、ほとんど徹夜のまま撮影をやって、
     それからあの悪路をバスで走っているでしょう。
      でも、昔はね、シベリヤ横断したってなんとも無かっ
     たくらいだったのに、僅かこの位の事で、こんなに苦し
     まなければならないのかという、ほんとに、パトナへの
     道は、地獄への道でしたね。
      ですから あの時、ホントにねー、もう薬を飲んでも
     効かない、水を飲んでもどうにもならない、今にも吐き
     そうでという、その時に、やっぱり、今の体力の衰えと
     いうものをね、今度の、やっぱり、インドの旅では、つ
     くづく感じさせられましたね。
      ですから、実感がとってもありますよ。
      まして、僕はまだ70代の前半ですけどね、齢(いわ
     い)80に達したら、この旅を車なんて文明の利器を使
     わずにしている 仏陀の大変さというのは、おそらく想
     像を絶するものが、あったに違いありません。
ナレーション: 仏陀・最後の旅には、常に苦楽を共にする弟子が
     付き添っておりました。その名は、アーナンダ。
      弟子の中でも、人一倍、心優しく、純粋な人間だった
     と伝えられています。
      病から回復した仏陀の姿を見て、アーナンダは歓喜し、
     こう言います。
      「尊師が病気の間、呆然自失して、方角も教えすらも、
     分からなくなっていました。でも、もう安心です」。
      そんなアーナンダに、仏陀はこう答えました。

        アーナンダよ
        私はもう老い朽ち
        齢(よわい)を重ね老衰し
        人生の旅路を通り過ぎ
        老齢に達した
        我が齢(よわい)は八十となった
        例えば、古ぼけた車が
        革紐(かわひも)の助けによって
        やっと動いていくように
        おそらく私の身体も
        革紐の助けによって
        もっているのだ。

ナレーション: さらに、仏陀は、自分が死んだ後の心構えについ
     て、修行僧達に説きました。

        この世で、
        自らを島とし、
        自らを頼りとして
        他人を頼りとせず
        法を島とし、
        法を拠り所として、
        他のものを拠り所とせずにやれ。
     
        アーナンダよ、
        今でも、また、私の死後にでも、誰にでも、
        自らを島とし、
        自らを頼りとし、
        他人を頼りとせず、
        法を島とし、
        法を拠り所とし、
        他のものを拠り所としないでいる
                     人々が居るならば、
        彼らは、我・修行僧として
                 最高の境地にあるであろう。

五木さん: あのー、非常に文脈としてですね、捉えにくい言葉な
     んですけど、言っていることは一つだと思うんですね。
      自分の尊敬する人が居ることは結構である。
      だけど、大事なことは、そういうことであることより
     も、権威とか、あるいは他人に対する親愛の情とか、そ
     ういう事よりも、もっと大事な、仏教の法というものが
     ある。
      ダルマといいますね。
      そういう仏教の真実や真理、そういうものこそ頼りと
     して、他人の権威・社会の常識、そういうものに囚われ
     ることなく、自分が学んだ仏教の心を心として、そして、
     自分が亡くなった後も、雄雄しく立派に生きて行って欲
     しい、それが大事だぞと、こういう事を最後に言ってい
     る訳です。 
      仏陀の言っていることというのは、私は、決して、自
     分に頼れという風に、自我を強調しているのではないと
     思いますね。
      それよりもっと大きな宇宙の真理というものがある。
      そういうものを自覚して、そして、自分が感じた直感
     というものを拠り所にし、そして、それを、島と言うの
     は例えですけれども、河の中洲という風に訳する人も居
     ますね。
      水が増えてきても没することなく、世の中の激流に呑
     まれる事も無く、大きな永遠不朽の真理というものをし
     っかりと身に付けて、その真理を頼りにして、自分自身
     の道を歩くが良いと、仏陀は、こういう風にここで語っ
     ているんだろうと思います。

        この世で
        自らを島とし
        自らをたよりとして
        他人をたよりとせず
        法を島とし
        法をよりどころとして
        他のものを
        よりどころとせずにあれ。
                       (つづく)
(参考) 安居:(あんご)は、それまで個々に活動していた僧侶た
     ちが、一定期間、一カ所に集まって集団で修行すること。
     及び、その期間の事を指す。
      安居とは元々、梵語の雨期を日本語に訳したものであ
     る。
      本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇など
     の数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)
     をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する
     無用な殺生を防ぐ事である。
      後に雨期のある夏に行う事から、夏安居(げあんご)、
     雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。
      釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝
     来と共に中国や日本に伝わり、夏だけでなく冬も行うよ
     うになり(冬安居)、安居の回数が僧侶の仏教界での経
     験を指すようになり、重要視された。
      現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る
     結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域か
     ら一歩も外を出ずに修行に明け暮れる。
                     (Wikipediaより)

2011年11月18日金曜日

民主主義の国・ヴァッジ国を、仏陀は、こよなく愛していました 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 5」

題 : 民主主義の国・ヴァッジ国を、仏陀は、こよなく愛していました
                五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 5」

インドの仏教歌:金のお皿でご飯を
        食べて貰いましょう
        仏陀に乳粥(ちちがゆ)を
        差し上げましょう
        金の台の上に
        席を用意しましょう
        仏陀にお願いして
        座って貰いましょう
        ここで仏陀に
        静かに休んで貰いましょう
        私は、みんなに仏陀が
        来ていることを知らせます

ナレーション: ガンジスを渡った仏陀は、いくつかの村を経て、
     ヴァイシャリーへと向かいました。
      そこは商業で栄えるヴァッチ国の首都でした。
      仏陀の時代、北インドは、16もの国にも分かれてい
     ました。
      その中にあって、ヴァッチ国は、国の方針をは話し合
     いで決める進んだ国でした。
      大パリ二ッバーナ経には、仏陀が、ヴァッチ国の事を
     賞賛した言葉が記されています。

        ヴァッジ人が、
        しばしば会議を開き、
        会議には多くの人が参集する間は、
        ヴァッジ人には繁栄が期待され、
        衰亡は無いであろう。
        ヴァッジ人が、
        共同して集合し、
        共同して行動し、
        共同してヴァッジ族として
        なすべき事をなす間は、
        ヴァッジ人には、
        繁栄が期待され、
        衰亡は無いであろう。

ナレーション:仏陀は、ヴァッジ国をこよなく愛していました。
      仏陀の一行は、ヴァイシャリー郊外のマンゴー園に留
     まります。
      布教の旅では、決まって町外れに滞在します。
      修行の為には静かな環境が望ましいが、托鉢をするに
     は人の集まるにぎやかな場所が必要です。
      「俗に染まらず、俗から離れず」
      大パリ二ッバーナ経には、このマンゴー園での逸話が
     残されています。
五木さん:イヤー、見事な果樹園ですね。あのー、これは、マンゴ
     ーの木なんだそうです。
      僕は、マンゴーは、恥ずかしながら、畑の中に生ると
     思っていたのですが、こういう堂々たる木の中に、マン
     ゴーが沢山生ってる姿は、想像しませんでした。
      ここは、ヴァイシャリーという所の郊外のマンゴー畑
     なんですけれども、ガンジス河を渡った仏陀は、このヴ
     ァイシャリーの街中ではなく、街からチョット離れた、
     この郊外のマンゴー畑の中に居を定めます。
      そして、しばらくここに滞在する訳なんですね。
      それで、このー、不思議な事に、ここにはとっても華
     やかで人間的なエピソードが一つあるんですが、このマ
     ンゴー畑の所有者といいますか、地主の方が、ヴァイシ
     ァリーの町では大変著名なサロンの女主人公と言います
     か、実は、高級娼婦・遊女と言われている人なんですが、
     遊女と言ってもですねー、ただの遊女ではなくて、一夜
     の値段が、牛何十頭などという、王侯貴族を相手にする
     という様な、しかも教養もあり、音楽もあり、文学も出
     来、詩も詠めるという素晴らしい、高名な女性であった
     らしいんですね、で、そのアンバパーリーという女性な
     んですが、その女性は、自分のマンゴー園に高名な仏陀
     が滞在しているという事を聞いて、そして、教えを乞い
     に仏陀のもとへやって来ます。
      そして、仏陀から様々な話を聞いて大変深く感動して、
     感動したアンバパーリーは、自分の、是非、屋敷に招待
     して一夜の宴(うたげ)を催したいという風に、仏陀に
     申し入れます。
      遊女の申し込みなんで、本来なら、僧がどういう風に
     応対すべきか、ちょっと、分かりませんが、仏陀は、そ
     こんところを非常に快く、つまり、法といいますか、仏
     法というものを尊ぶ心の持ち主ならば、いかなる職業で
     あっても差別しないという、そういう気持ちからでしょ
     うか、仏陀はそれを承諾するんですね。
ナレーション:仏陀が、ヴァイシャリー郊外に滞在していることを
     聞きつけた若い貴族たちが尋ねてきます。
      「自分達も仏陀を招待したい」と申し入れました。
      しかし、仏陀は、既に、遊女・アンバパーリーの招き
     を受けていると、その申し出を断ります。
      貴族達の中には、自分達より遊女を優先するのかと非
     難する者も居ました。
五木さん: ここで遊女という、アンバパーリーという、女性の話
     が出てくるというところがですね、この経典の中での、
     ある種の非常に興味深い所です。
      それは何かと言いますと、やっぱり当時のインドでも、
     女性に対する偏見というのは、今よりもっともっと深い
     ものがあったに違いありません。
      ましてや職業の貴賤ということに関しては、さらに偏
     見が多かったと思うんです。
      そういうときに、例えそれが娼婦であろうと、どうい
     う職業の人間であろうと、分け隔てなく接する、そして、
     「人間は、皆、平等だ」という仏陀の基本的な仏教の考
     え方というものがですね、そのエピソードの中に盛り込
     まれているんじゃないか、今から2500年前、それほど
     の昔にですね、今でも、なお、残っている女性に対する
     蔑視とか、職業に対する差別とか、そういうものを乗り
     越えて最後の旅を続けて行く仏陀の姿に、なんとなく共
     感を押さえる事が出来ません。
ナレーション: ヴァイシャリー郊外に、遊女アンバパーリー縁(ゆ
     かり)といわれる仏教遺跡が、今も残されています。
      後の時代に、インド北部一帯を支配したアショーカ王
     が建立した石柱とストゥーパ・仏塔です。
      仏陀と一人の遊女の出会いが、人々の心を動かし、大
     きな仏教遺跡となって残されたのでしょうか。
      仏陀は、このバイシャリーの地で大きな試練に出会う
     ことになります。
      ここで命をも脅かす様な、重い病を得たのです。
                         (つづく)
(参考)ヴァッジ国:ヴァッジ国(パーリー語 )あるいはヴリジ国は、
     古代インドの国名。初期仏教の聖典『アングッタラ・ニカー
     ヤ』の中で、十六大国のひとつに数えられる。首都はヴァイ
     シャリー。
     位置:現在のビハール州北部にあたり、南北にはガンジ
     ス川北岸から現在のネパールまで広がり、西はガンジス
     川を挟んでマッラ国およびコーサラ国と隣接していた。
     また、東は現在のビハール州と西ベンガル州の州境付近
     を流れるマハーナンダ川近辺、あるいはビハール州を流れ
     るコーシー川までで、アンガ国と接していたと考えられてい
     る。
     民族:ヴァッジ国は、ヴァッジ族、リッチャヴィ族(離車族)、
     ジニャートリカ族、ヴィデーハ族など、8つの部族が連合し
     て形成していたと伝えられている。
     統治機構:ヴァッジ国王は、「ヴァッジ・サンガ」と呼ばれた
     代表議会の議長であったと考えられている。「ヴァッジ・サ
     ンガ」は、各地方からの代表者から成り、国政を取り仕切っ
     ていたものと考えられている。近年、このような古代インド
     の国家をガナ・サンガ国というようになっている。
     宗教:リッチャヴィ族(離車族)は、ジャイナ教を信奉してい
     たが、後に仏教に改めたと、仏典は伝えている。
     実際にブッダは、ヴァッジ国の首都ヴァイシャーリーを
     何度も訪問して説法していたし、仏教の修行者のための
     修行道場が設置されていたという記録がある。したがっ
     て、ヴェーダの宗教に並び、ジャイナ教や仏教も盛んで
     あったと考えられる。(Wikipediaより)

2011年11月17日木曜日

どの様にして、涅槃、すなわち煩悩から解き放たれた理想の境地にいたるか 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 4」

題 : どの様にして、涅槃、すなわち煩悩から解き放たれた
        理想の境地にいたるか 
               五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 4」
 
映 像: ガンジスの河の上を舟に揺られる、五木さん。
五木さん: あのー、私自身も、河というものについて、非常な思い
     入れがありました。
      ちょうど子供時代。小学校の頃は、今のソウルで過ごし
     たんですね。
      京城(ケイジョウ)といいます。
      京城には、ハンガン(=漢江・かんこう)という、当時は
     漢江と言いましたけれども、ハンガンという、実に大きな
     流れがありました。
      そして、中学時代を過ごした、ピョンヤン(=平壌)という
     町には、ケドンガンというのですが、大同江(ダイドウコウ)
     という名前で私達は呼んでいたんですが、
     ここにも楽浪郡時代からの大きな流れがありまして、
     その河の流れを往復しながら、学校に通っていました。
      いつも、その大同江の岸辺に立って、数千年の歴史、
     あるいは人生、自分の将来、いろんな事を空想したもんで
     す。
      ・・で、敗戦になって、
      私達、外国からやってきて、その国を支配していた人間
     は、その国を去らなければならないわけです。
      引揚者と言いますか、難民となって、
      私達は、ピョンヤンから去る訳ですけれども、その引き
     上げが始まるまでの1〜2年の間に、本当にたくさんの
     人々がそこで亡くなりました。
      夏ですと、どこか目立たないところに穴を掘って、火葬が
     できるんですが、冬は零下20度、30度という寒さに
     なります。
      もう地面もツンドラの様に凍ってですね、ツルハシも
     立たないほどなのですね。
      そこで仕方なく、火葬にすることも出来ず、土葬にする
     ことも出来ず、テンドンガンという凍りついた厚さ1メートル
     以上も氷が張っている河の、魚を釣るために、あちこちに、
     ぽこっ、ぽこっと穴が開いているんですが、
     毛布に包んで、その穴から流して弔うということが、
      しばしばありました。
      母も昭和20年の敗戦から1ヶ月後に亡くなったんで
     すけれども、遺骨を持ってくることが出来ませんで、ほん
     の一束だけ、髪の毛を切って、遺髪を持って来て、ずーっと
     戦後50年くらい、持ち歩いていたんですが、
     ある時、奈良の小さなお寺に、父の遺骨と一緒にお預け
     しました。
      ただ、気持ちとしてはですね、そういう河に流したかった
     という気持ちの方が、本当は自分の心の中に自然に
     感じられていたんですね。
      ですから、今度、御縁があって、ま、突然インドに来る、
     そして、ガンジスの河も渡る、こういう機会を得た時に、
     何か、ちゃんとした弔いも出来なかった、その母の思い
     入れを、この川岸に残して行きたいという風に思って、
     遺髪の中から、1本か2本、持って来たんですが、もう、
     細く、枯れてしまってね。
      髪の毛と言えるようなものでは無かったですね。
     (そして、お母さんの髪の毛を焼き、インドのガンジスの
     河の流れに流す、五木さん。
      五木さんの顔が可哀想で見ていられない感じ)
映 像: 五木さんがお母さんと撮った幼少の写真。
      ・・・お父さん・お母さん・兄弟と幸せそうな写真。
      ・・・幼少の五木さんが、お母さんと手をつないでいる
       写真・・・)
ナレーション: 五木さんは、昭和7年、九州の山村で教師をして
     いた両親の元に生まれました。
      生後まもなく、一家は新天地を求め、当時、日本の支配
     下にあった朝鮮半島に移住。
      12歳の時、ピョンヤンで終戦を迎えました。
      その時から、一家の運命は暗転します。
      愛する母親の非業の死。
      絶望する父。
      2年後、日本へ引き上げて来ますが、父親は立ち直る
     ことなく、この世を去りました。
      何故、自分は生き残ったのか。
      その思いは、五木さんを仏教の世界へと強くひきつけて
     行きました。
      49歳の時、作家活動を中断、大学で仏教を学び始め
     ます。(龍谷大学時代の勉強する五木さんの写真)
      4年後、再びペンを手にしてからは、「人々の苦悩に
     仏教は答え得るのか」という視点で、作品に取組んで来
     ました。

        その時、
        ガンジス河は水が満ちていて、
        水が渡し場の所までおよんでいて、
        平らかであるから、
        カラスでさえも水が飲めるほどであった。
        ある人々は船を求めている。
        ある人々は大きないかだを求めている。
        また、ある人々は小さないかだを結んでいる。
        いずれも
        彼方の岸辺に行こうと欲しているのである。
        そこで、
        あたかも力士が屈した腕を伸ばし、
        また伸ばした腕を屈するように、
        まさにそのように僅かの時間の内に、
        こちらの岸において没して、
        修行僧の群れと共に向こう岸に立った。
        ついで尊師は、
        ある人々が船を求め、
        ある人々はいかだを求め、
        ある人々はいかだを結んで、
        あちらとこちらへ
        行き来しようとしているのを見た。
        そこで尊師は、
        この事を知って、
        その時、
        この環境の言葉を一人つぶやいた。
        『沼地に触れないで橋を架けて、
        広く深い海や湖を渡る人々もある。
        木切れや、つた草を結びつけて、
        いかだを作って渡る人々もある。
        聡明な人々は、
        既に渡り終わっている』

ナレーション: ガンジス河を如何にして渡るか。
      それは、どの様にして、涅槃、すなわち煩悩から解き
     放たれた理想の境地に至るかという事の例えだとされて
     います。
      仏陀は、いともたやすくガンジス河を越えました。
                          (つづく)
(訂 正): 「ブッダンサラナンガッチャーミ、ダンマンサラナ
     ンガッチャーミ、サンガンサラナンガッチャーミ」と三
     度唱え、仏教の三宝に帰依する。

2011年11月16日水曜日

人生の大河を越える・・彼岸の岸へ行こうと欲している人々 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 3」

題 : 人生の大河を越える・・・彼岸の岸へ行こうと欲している人々
                 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 3」
 
ナレーション: インドの聖なる河・ガンジス。
      ヒマラヤの山間部からベンガル湾に至るその長さは、
     およそ2500キロ。
      インド最大の大河です。
      仏陀が目指したパータリ村は、このガンジス河のほとり
     にある小さな村でした。
      現在のパトナ市。ビハーレ州の州都です。
      人口は、およそ140万。
      米を中心に、農産物の集散地として賑わっています。・・・。
      パトナ市内、ガンジス河のほとりにある市場です。
五木さん: (市場に来た、五木さん) 
      この辺は、昔のパトナ村という、村だけあって、なんだか
     野菜のバザールの様になってますね。
      ジャガイモあり、たまねぎあり、インゲンあり、ニンジンあり、・・・。
      あー、大根もありますね。
      えー、それにしても、大変な賑わいだ。
      ナマステー。
      僕は九州・福岡の出身でね、八女という所で、両親の
     古里が、みかんを作っていたんですね。
      みかんとお茶なんです。
      だから、みかんを見て、ふと、懐かしくなったんです。
      さて、どんな味がするんでしょうね。
      ・・・酸味があって、本当に「みかん」らしいです。
      戦後、僕らがみかん畑で働いて時のみかんは、こんな
     感じだったですね。
      うん、これは旨い。・・・。
      (ガンジス河へ向かう、五木さん) 
      ・・・。
      アー 見えてきたなー。 これが ガンジスかー。
      (河辺に来て) あー 涼しい。
      ガンジスの流れというと、何か、こう、黄色く濁った
     流れだけを想像したんですけれども、この辺の水は青い
     ですね。
      対岸の方には、ずーっと青い草が見えて、真っ白な洲
     があって・・・、
      ・・・あー、こんなにガンジスが、美しいとは。
      ナーランダの村を通過して、そして、このパトナ村へ
     やって来て、仏陀は、ここからガンジス河を超えるわけ
     ですね。
      おそらく、ここまで70〜80キロか、90キロ。
      まあ、どの位あったんでしょう、途中で休み休み色んな
     ところに寄って来る訳でから、ずいぶん掛かったと思い
     ますけども、この河のほとりに立った時に、おそらく、
     仏陀は、単に、物理的に川を越えるっていうだけではな
     くって、何か人生の大河を越えるという、非常に大きな
     感慨を抱かれて、この河の流れを御覧になったに違いあ
     りませんね。・・・・・・。
      仏陀は、生涯に、さまざまな形で、河を越えてきている
     人だと思います。
      信仰の河、思想の河 人間の河、 ・・・。
      その仏陀が、このパータリ村から河を超えて、対岸に
     渡る有様を 古い古いお経の「ダイパリミッダーナ経」
     という、日本では「大般涅槃経」として知られるお経の
     経文の中に、仏陀の旅のガンジス河のあたりの風景が、
     短く描かれています。 
  
        ついで尊師は、
        ガンジス川に赴いた、
        その時、
        ガンジス河は、
        水が満ちていて、
        水が渡し場のところにまで及んでいて、
        平らかであるから、
        カラスでさえも水が飲めるほどであった。
        ある人々は船を求めている。
        ある人々は大きないかだを求めている。
        また、ある人々は
        小さないかだを結んでいる。
        いずれも、
        彼方の岸辺へ行こうと欲しているのである。 
        そこであたかも力士が、
        屈した腕を伸ばし、
        また、伸ばした腕を屈するように、
        まさにその様に、
        僅かの時間のうちに、
        こちらの岸において没して、
        修行僧の群れと共に、
        向こう岸に立った。

     (参考):『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう、サンスク
      リット:Mahāparinirvā?a Sūtraマハ−パニルヴァ−ナ 
      ス−トラ 、パーリ語:Mahaaparinibbaana-suttanta、
     タイ語:mahǎprinípphaanásùttantàは、釈迦の入滅(
     =大般涅槃(だいはつねはん)を叙述し、その意義を説く
     経典類の総称である。
      阿含経典類から大乗経典まで数種ある。
      略称『涅槃経』。大乗の涅槃経 は、初期の涅槃経とあ
     らすじは同じだが、「一切衆生、悉有仏性」を説くなど、
     趣旨が異なるので、相互を混同してはならない。
      パーリ語で書かれた上座部経典長部に属する第16経が
     大般涅槃経と同じものである。
      漢訳の、長阿含第2経「遊行経」および「仏般泥洹経」
     (2巻)、「般泥洹経」(2巻)、「大般涅槃経」(3巻)が
     これに相当する。
      釈尊の晩年から入滅、さらに入滅後の舎利の分配など
     が詳しく書かれている。これらに基づいて大乗仏教の思
     想を述べた「大般涅槃経」という大部の経典もある。

2011年11月15日火曜日

教えを請うものなら誰であろうと・・ 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 2」

題 : 「教えを請うものなら誰であろうと・・」 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 2」
         (齢80の仏陀は、ただひたすら歩み続ける)

ナレーション: 出発点・霊鷲山から旅の終わりとなったクシナガラ
     までの道のりは、およそ400キロ。
      この道を、80歳の仏陀は、ひたすら歩き続けました。
      仏陀が最後に歩んだ道を、74歳を迎えた五木寛之さんが、
     辿ります。
      霊鷲山から北西に16キロ。

      仏陀は、ナーランダ村に立ち寄っています。
      行く先々で、仏陀の元には多くの人々が、集まってき
     ました。
      王侯貴族からカースト街の差別を受けている人たちまで、
     さまざまな階層の人々です。
      仏陀は、教えを請うものなら誰であろうと分け隔てなく、
     法を説いたと言われています。
      仏陀・最後の旅は、いつもと変わらぬ、布教の旅として
     始まりました。
五木さん: あーなんだか、もう本当に夢の様な幻想的な風景です
     ねー。
      木があって、なだらかな丘があって、その向こうに 
     また木陰に白い塔がある、
      村の人たちが、三々五々、ここに座ったり 腰掛けたり、
     子供達が走り回ったりしていますが、自然の中に、
     こんな場所があるなんて、何と贅沢なことなんだろうと
     思います。
      『ナマステジー。・・ナマステジー』
      (一つの堂に来た。あたりを見渡す、五木さん)
      えーっ、暗くて見えませんけども、この中にあるのは
     仏陀の坐像ですね。釈迦牟尼坐像。
      ナマステジー。
      あのーチョット伺いますけれども、この塔の中にある
     仏像は・・・?
インドの住民: 仏陀の像です。お釈迦様の像です。
五木さん:   何時ごろからあるものなのですか?
インドの住民: むかしむかしからあります。
五木さん: 昔々というと、おじいさんの代からですか、もっと昔
      ですか?
インドの住民: 祖父の親の前から さらに前から。
五木さん: すごい、これは驚きました。
      ほー、この丘の上の小さな祠の中に、・・・いやー、
     まさしくこれは仏陀の坐像です。
      ほーっ。・・・イヤー驚きました。
      素晴らしい仏像ですけれども、相当古いものだと思い
     ますが、とにかく立派なのですよね。
      シルエットといい、バランスといい それにしても、
     この右手とお顔の損傷というのは実に生々しい。
      インドの歴史のありようを感じさせてくれる様な気が
     します。
ナレーション: ナーランダに心行くまで留まった仏陀は、ある日、
     弟子のアーナンダに こう告げます。
      『さー、アーナンダよ、パータリ村へ行こう』
      仏陀は、三つの袈裟と托鉢用の鉢一つだけをだずさえて
     パータリ村を目指し歩みを進めます。
      その後ろには、仏陀を慕う多くの修行僧がつき従って
     いました。
インドの祈りの歌: 私は仏陀に帰依します。
            私は仏法に帰依します。
            私は僧伽(そうぎゃ)に帰依します。
     (参考)僧伽:〔仏〕〔梵 sagha の音訳〕仏教修行者の
      集団。僧侶の集団。広義には、在家を含む仏教教団
      全体をいうこともある。

      和合衆。和合僧。僧祇(そうぎ)。
ナレーション: ナーランダからパータリ村までは、およそ90キロ
      の道のりです。
映 像:  (悪路で自動車の中で大きく揺れる、五木寛之さん)
                              (つづく)

2011年11月14日月曜日

汚れからの「まったくの解脱」 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 1」

題 : 汚れからの 『まったくの解脱』

              五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 1」


 以下は、You Tubeを聞き書きしたものです。
 何度も何度も、映像を止めたりして、文章化していきました。
 そして、聞き取りにくいところなど何度も聞き、また、種々調べ
たりして完成しました。

 題 : 汚れからの 「まったくの解脱」
               五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 1 


映 像 : 霊鷲山(りょうじゅせん)の映像。
     インドのビハール州のほぼ中央に位置する山。
     仏陀(釈迦佛)が無量寿経や法華経を説いたとされる。

ナレーション: 誰にもやがて訪れる死。
映 像: ハーハーと息を弾ませながら霊鷲山の階段を登る
                          五木寛之さん。
ナレーション: 人生の旅路の最後で、人は、老いや死と、どの様
     に向き合えば良いのでしょうか。
      およそ2500年前、その問いに一つの答えを出した
     人が居ます。
五木さん: あー。もう少しだ。・・・。アー見えた。
ナレーション: その人の名は、ゴーダマ・シッタールダ(パーリ語形。

     釈迦。仏教の開祖)。
      人々からは目覚めた人・仏陀と呼ばれました。
五木さん: 最後の階だ。・・・。アー・・・。
    ナマステ。ナマステー。

     (遠くから、経を上げる声が聞こえる)。

    (参考)ナマステ: サンスクリット語、インドやネパールで

        交わされる挨拶の言葉。
ナレーション:生きること、老いること、病(やまい)、そして死。
     人生は苦しみに満ちている。
     仏陀は、その苦しみと、「 共に生きること 」を説き
    続けました。
    (キリスト教は「人は生まれながらに原罪がある・救って
    貰う」とは違う)
五木さん: 「仏陀、さらまんがっちゃーみ」。「仏陀、さらまん
     がっちゃーみ」。・・・
      「何という静かな場所なんだろう」。
ナレーション: 作家・五木博之さん。

      仏陀が、最晩年に至るまで教えを説いたこの霊鷲山を

     初めて訪れました。
五木さん: ちょうど、齢80を迎える頃に、この霊鷲山に滞在し
     ていた仏陀は、そこから山を降りて、そして、大変困難
     な旅、ガンジスを超えて、北へ北上するという、6ヶ月・
     数百キロにおよぶ旅に出発する訳です。
      そして、その最初の出発点がこの霊鷲山。
      一体、仏陀が80歳になって何を感じ、そして、大変
     困難な旅に出発する、その最初の動機は何であったんだ
     ろうというふうに勝手に想像するんですが、人間という
     ものは、ある時期に達すると、自分の人生というものを
     振り返ってみながら、そして、その自分の人生の締めく
     くりという様なことを 否でも応でも感じない訳にはいか
     ない訳ですね。
      自分自身も、この70歳を超えて、仏陀が死を迎える
     死への旅である、そして、最後の旅である その仏陀の
     死の旅の足跡を、自分自身で歩いてみるということを自
     分の人生に重ねてみますと、何とも言えない不思議な感
     じがします。
      (霊鷲山にある仏像に手を合わせる、五木さん)
ナレーション: 悟りを開いて45年。常に布教・伝道の旅にあっ
     た仏陀。80歳で、ここ霊鷲山を立ちます。
      それが最後の旅になりました。
      苦難に満ちた旅の中で、仏陀その人は、いかに老いを
     受け入れ、病(やまい)に耐え、そして、どの様に死を
     迎えたのでしょうか。
      およそ2500年前、釈迦族の王子として生まれなが
     ら、出家し、苦行のはてに悟りをひらいた仏陀。
      その教えは、時を越え、多くの人々の中に広まって行
     きました。
      人は、何故、苦しむのか、苦しみと如何に向きあうの
     か。
      仏教2500年の歩みは、その問いかけの歴史でもあ
     りました。
      21世紀を迎えた今も、人々は変わらず多くの苦しみ
     を抱いています。
      その中にあって仏教は何をなし得るのでしょうか。
      シリーズ・21世紀・仏教への旅。第一集。
      作家・五木博之さんが 仏陀・最後の旅をたどります。
字 幕: 第一集 ブッダ最後の旅 インド
ナレーション: さまざまな伝説に彩られ、なぞに満ちた仏陀の生
     涯。しかし、その晩年については克明な記録が、いくつ
     かの経典として残されています。
      大般涅槃経や、ダイパリミッパーナ経。
      そこには仏陀の死と、最後の旅の様子が記されており
     ます。霊鷲山から旅立つ前、仏陀は弟子達を集め、悟り
     に至る道について次のように説きました。
        戒律と共に修行して
        完成された精神統一は 
        大いなる果報をもたらし、
        大いなる功徳がある。
        精神統一と共に修養された智慧は、
        偉大な果報をもたらし、
        大いなる功徳がある。
        智慧とともに修養された心は、
        もろもろの汚れ、すなわち、
        欲望の汚れ、
        生存の汚れ、
        無明の汚れから
       『 まったく解脱 』 する。 (つづく)

2011年11月10日木曜日

決して 戦争はしない

題 : 『 決して 戦争はしない 』。

 米同時テロ、追悼式典、オバマ大統領は、
 テロの対象となったワシントン近郊の国防総省で演説し
「 米国は、
    イスラム(教)との戦争に
        乗り出すことは
             決してない 」  と 強調。

 米国は
  「 多様で寛容な国 」
       とも述べ、
          宗教的な対立が広がらないよう
              国民に自制と団結を訴えた。
                      (日経2010・9・12)
 オバマ大統領の
   「 もう、イスラム(教)とは戦わない 」
        の グランド・ゼロの演説は、
               戦争否定 の 言葉 である。

 暴力を 解決の手段にしない という言葉である。
    暴力否定、非暴力 の言葉である。

 非暴力は 仏教・ヒンズー教 の 思想・教え
                     である。
 まず
   非暴力が あらねばならないのである。

 キリスト教の
   「 神の義があれば、人を誅してよい 」 の
        暴力肯定の 教義・教えではないのである。

 現代社会に 存在しなければならないのは、
     暴力行使の 条件・理屈
           を 与える教義では ないのである。

 戦争行為の行使が、
   一瞬に 展開していく 現代社会には、

    まず あらねばならないのは

   「暴力行使のキリスト教の教義・教え」 ではなく、

   「暴力を行使する時に、深い思慮・思考 を 求め、

     行為行使の 押し留めの声・教義」

                   なのである。

 キリスト教のこの教えは、
     現代社会には、あってはならない
           教義・教えなのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
 暴力を 解決の手段にしている 教義を

      恥ずかしいと 思わなければならない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
 911テロに於いてブッシュ大統領の言葉 :
   「 どんな恨みがあっても、
         罪のない人々を故意に殺すことは 
                決して正当化できない 」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 愚かなるイラクの戦いと湾岸の戦いなどなどで・・・

   無念の中で亡くなられた・・・

       多くのアメリカの青年たちと・・・

   戦争の地となり生き続けて行けなかった、戦争と何ら関係のない

       現地の多くの方々のことを・・・

 悲しみの涙の心の中で思い・・・

       そして、悼む・・・

2011年10月14日金曜日

エゴ(自我) から 争い へ

題:エゴ(自我)から争いへ


☆(キリスト教の教義の根幹をなす エゴ(自我)から争いへ)
 個人のエゴ・・人間が生きていくうえで、
                エゴは必要悪なのである。
 自己のエゴをそのまま是認してしまえば、
                 堕落が始まる。
 教養と問えば、剥き出しのエゴに多少とも磨きをかけ得る品性の
                 ことと言える。
 我々は、
  おのれのエゴの醜さを恥じ入り、
   それを少しでも控え目にさせることによって、
     辛うじて
       人の道を踏み外さずに
        生きていくことができるのであろう。・・・

 時に、
  エゴは、
    存在感を高めたり、
      自己の目的達成のために、
        しばしば宗教を利用する。・・・

 強烈なエゴを持った人物が、
 そして、
     強欲な人間が
        狡猾にも宗教を利用し始めると、
           その被害は甚大なものになる。・・・

 (ナチスの例)・・・
 特定の民族や集団は、
   長期間にわたって抑圧を受けると、
    その屈辱感が心的外傷となって、
     幾世代にもわたって
    集団の心理的DNAの内部に留まることになる。・・・

 それが、
   特定の条件下におかれると、
     眠っていた集団的記憶が蘇り、
       爆発的な力を発揮する。・・・
      その典型的な例がナチス・ドイツである。・・・

 ナチスは、
   あえてキリスト教と
     ドイツ民族の優越性を唱え、
       約600万人の異教徒ユダヤ人に対して
    ホロコースト(『完全に焼き尽くす」という意味)を
                      やってのけた
 (キリスト教法王は
        ナチスに反対しないどころか、
                   なびいていた)・・

 デマゴーグ(扇動政治家)の最重要任務・・
   きわめて巧みに
      過去の歴史の古い敵を、
        現在の紛争の相手にすり替えてしまう・・・

 エゴが
   人前に現れる時、
       たいていは「 正義という名 」の
         「 美しい仮面 」をかぶっている・・・

 「 正義の名の元 」に
      制裁(争い)が起き、
         一種の「 魔女狩り 」が始まれば、
             とめどないものになる可能性は
                    十分にある・・・

 「 正義 」とは
      「 誤謬(間違えること) 」であると
            断言してもよいのではないか・・・

 争いは「 正義の主張から 」起きることが
                ほとんどではなかろうか・
      .... (参考文献:「なぜ宗教は平和を妨げるのか」
                  講談社α新書より 

☆キリスト教の「人間は生まれながらにして原罪がある」という
 教義と、
「天に召されることを喜びとし、目的とする」という
 信条から、
 現実の人生に於ける
         生きる意味も目的も見失い、
 現実活動や社会建設の意欲を失い、
 また、
 そのような活動に励むものを見ても喜びを感じなくなった
 との声も聞く。
 この様な方の救済もせねばならない。 (新聞投書欄より)

☆ダグラス・アダムズを追悼して
    「庭が美しいことさえ分かれば十分じゃないのか? 
         花の下に妖精がいるなんて信じなくても」 
      〔『銀河ヒッチハイク・ガイド』第16章より〕

2011年10月13日木曜日

ウナギよ!お前もか。資源枯渇と日本を出ていく日本の企業、真から海外企業化する。

 題 : ウナギよ!お前もか。資源枯渇と日本を出て行く
           日本の企業、真から海外企業化する。

☆《食糧の安全保障・・
  ウナギよ!お前もか
  ・・資源枯渇・・
    今までの『はず』が、
    おかしくなっている・・
    食糧の確保は大切な、第一重要課題・・
    日本の食糧を粗末にするTPPでは・・
    国民の安全を保障できない・・
    TPPは止めよ。
    きめ細かいEPAを積み重ねる事に・・
    努力して行け・・・》:

 (記事 抜書き):
  ウナギの養殖が2年連続の危機に見舞われている。
  稚魚のシラスウナギは
  国産品が昨年に続いて不良となり、
  中国本土産や台湾産も供給減少の懸念が強まってきた。
  エサの魚粉も品薄の可能性が高い。
  資源枯渇を懸念する声も出始めた。
  養殖ウナギの国内最大産地、愛知県一色町。
  「シラスウナギは不良の翌年はたくさんとれるはずなのに」。
  一色うなぎ漁業協同組合の組合長は表情を曇らせる。
  養殖業者は
  11月〜翌年4月に河口で取ったシラスウナギを池に入れ、
  半年から1年かけて育てる。
  主産地の南九州では
  今シーズンのシラスウナギ漁獲量が現在、
  過去5年平均の4割程度だ。
  (注):びっくり数字だ。
      半分以上が日本以外のどこかへ行ってしまったか、
      何かの通年にない異常が発生したのだ)。

  国産の価格は、2月中旬時点で1キロ55万〜80万円。
  昨年より安いが 例年の『 2倍 』。
  生産者が望む価格は 30万円程度。
  商社などは昨年、
  中国や台湾から活ウナギや冷凍かば焼きを輸入して
  不足分を補ったが、今年は海外でも稚魚の不漁が深刻。
 
  東京大学大気海洋研究所の木村伸吾教授は
  「アジアの資源危機が明確になった」と語る。
  中国や台湾では 1990年代から日本向けの養殖が拡大し、
  シラスウナギの漁獲量が急増してきた。
  河川環境の悪化も影響し、
  産卵する天然ウナギの数が減った可能性が高い」(木村教授)。
  中国や台湾の養殖業者は 値上げ姿勢を強める。
  中国産冷凍かば焼きの輸入価格は、
  1キロ30ドル前後と昨年末比2割近く高い。
  日本鰻輸入組合の森山喬司理事長は
  「今年の中国産かば焼き輸入量は昨年の半分程度になりそう」と語る。

  ウナギのエサの魚粉の品薄懸念も 強まっている。
  ウナギのエサには チリ産アジを使うが、
  乱獲で今年の漁獲枠は28万4千トンと前年比8割減った(※びっくり数字)。
  「20年続いたアジ魚粉の生産は今年で終わり」(専門商社)
  との声が多い。
 (※この様に、何十年と続いた事が出来なくなっている)。
  イワシ魚粉も 
  1月にペルーで長期の禁漁が決まり、
  漁獲量は前年比3割以上減る見通し。
 (※お金を出しても手に入らないという時代になってきている)。
  価格は 年初比2割高い。
 (※1〜2ヶ月の間に割の単位で 食糧価格などが上昇する時代)。
  飼料メーカーは 大豆かすなど「代替原料を検討している」
 (日本配合飼料)。
  2009年の養殖ウナギ生産量は 
  約2万2千トンと1989年のピークから4割減った。
  消費量は 昨年に猛暑で伸びたが、
  大幅な拡大は見込めず、
  消費者への価格転嫁は難しい。
  淘汰に追い込まれる業者が増えそうな気配。
                 (日経2011・2・23 )
 ※ウナギに限らず限りある地球が与える限界を見せてきてい
る。
  人間にとって一番大切な食糧確保の問題。
  TPPは「農産品など食糧も特例にしない、関税はゼロ」とし
 ている。
  EPPは お互いの立場を尊重し折りあい点を研究期間までもう
 けて、締結してきている。
 「エイ! ヤー!」と「日本の食の安全を守る日本の農産品」
 を切り捨ててしまう訳には行かない。
  大量生産が出来る米国の農産品と同列だ。
  「保護するな」の言い分はどうみても自分勝手だ。
  この安全保障を捨ててまでして TPPの締結の圧力を日本の省
 庁へ掛ける経団連。
  再考を。
 「工業品」関連企業の多い経団連。
  私利による発言なら反省を。
  私欲による圧力なら反省を。
  本当の悪人は君かも? 

☆《日本を出て行く日本の企業・・
  『海外で稼いだ金を日本へ』
  の話は昔話で、
  今はない・・
  海外で稼いだ金は、海外で使う・・
  これでは日本企業ではない・・
  海外企業である・・これでは、
  いまでたっても日本は元気にならない・・
  『 政治家よ! あらゆる現状を直視せよ 』・・
  そして、日本を救う熟議をせよ・・
  自分の企業だけ潤えば良いのだろうか・・・》: 

( 記事):
  日本精工は 中国での事業体制を見直す。
  今後3年内に中国の統括会社のグループ会社に対する出資比率
 を引き上げ、100%に近づける。
  グループ会社の配当を統括会社に集約し、『 中国で稼いだ
 現金を同国内での設備投資や企業買収に回しやすくするのが狙
 い 』。
  中国には統括会社のほか、軸受けなどの生産を手掛ける13の
 グループ会社がある。
  今のところ統括会社が100%出資するグループ会社は3社だけ
 で、残りはほぼすべて日本精工本体と統括会社の共同出資。
  グループ会社は合計で年間数十億円の配当を払っているが、
 このうち多くは日本精工本体が受け取ってきた(注:過去形だ。
 今後はない)。
  統括会社は今後、生産を担うグループ会社の第三者割当増資
 を引き受けるなどして、グループ会社に対する出資比率を高め
 ていく方針。
  新たに生産子会社などを設立する際は、統括会社の100%出資
 とする(注:つまり中国の統括会社の資本を大きくしていく。日
 本への配当支払いも止めるということ)。
  2011年3月期は連結売上高の1割強に相当する900億円程度が
 中国での売り上げとなる見込み。
  2017年3月期には中国での売上高を2000億円以上に増やす計
 画で、2012年3月期以降は年平均100億円以上を投資する方針。
  『 中国で稼いだ現金は同国内での再投資に回しやすく 』
 する。              (日経2011・2・19 )
 ※中国の統括会社にグループ会社の配当をこの中国の統括会
  社に集約する・・? 
  日本から生まれた配当も 中国の統括会社へ集約する・・? 
  これでは日本が細ってしまう。
  日本への背信行為・・か? 
  自分さえ良ければよい・・か? 
  政治がぐうたらしているうちに、日本企業もこんなになってし
 まった・・か? 
  日本企業が『 中国の内で景気のサイクルを回す役 』をする
 ということ。
  ひどい話だ。
  これではいつまでたっても日本は景気が良くなり、元気になる
 訳がない。
  日本で育った企業が中国へ行ったという、ただそれだけの話で
 はない。

2011年10月10日月曜日

戴いたコメントにお答えします・・・二宮政吉さんの『 同じ気持ちです 』について

 題 : 戴いたコメントにお答えします
     ・・・二宮政吉さんの『同じ気持ちです』 について

 差出人: 二宮政吉さん
 日付 : 2011年05月19日 17:50
 件名 : Re:同じ気持です

 メールありがとうございます。
 ご指摘のことは、部分的には同意します。
 ヨーロッパ北欧のキリスト教とは、土着宗教の影響が色濃く
あります。
 キリスト教の布教活動により、土着宗教(迷信宗教)を信じ
ていた民族がキリスト教に改宗させられていったからです。
 ハロウィンについては、ケルト民族の土着宗教と、カソリック
中世暗黒時代における布教活動が重なったところから発生した
文化でしょう。
 現代では、ニューエイジの影響が強いようです。
 中世の暗黒時代における布教とは、このケルト地方のアングロ
サクソン人の改宗から始まりました。
 当時、ヨーロッパは南方からのイスラム教勢力の侵略に脅か
されつつあり、教会を守るために、北方への布教を強いるように
なったのです。
 その流れの中で、迷信深い北方民族のキリスト教への改宗は
必須でした。
 迷信深い土着宗教にキリスト教が妥協せざるを得ない時代で
した。
 その中に、ハロウィンの起源もありそうです。
 日本のキリスト教も、明治初期は、武士道(思想精神ですが)と
深く結びついたものでした。
 迷信宗教は、キリスト教にとって、コンピュータのバグのような
ものです。
 歴史の反省とともに、除去することが必要です。
 現代では、ハロウィン(カルト的祭典)を記念日とするキリスト
教派は、カソリック含め、ありません。
 また、中世の暗黒時代、宗教裁判があり、多くの人が、残虐な
死を遂げていることも事実であります。
 力の理論と「あなたの敵を愛せよ」というキリストの愛の教え、
いつの時代にも教会が悩む課題です。
 プロテスタントの歴史は、その罪を背負ってきたカソリックの
歴史(中世暗黒時代)の反省から出発しています。
 では、そのプロテスタントの時代になって、力の理論は消えて
なくなったのだろうか?
 ブッシュの戦争主義を支えていたのが、プロテスタントである
福音派と呼ばれるキリスト教原理主義の団体と批判されてきま
した。
 ここにも力の理論は存在しています。
 では、そのような力の理論を、私達は賛成しているんでしょ
うか?
 力の理論は、キリスト教の教えではないのです。
 全く正反対であります。
 ただ、聖書を読んでいると、新約聖書の他に、旧約聖書という
ものがあり、そこに侵略的文献があります。
 ですが旧約聖書は、直接はユダヤ教の教えであります。
 しかし、その旧約の中に、イエスキリストの預言が含まれて
いるので聖書の一部として採用しているのです。
 「目には目を、歯には、歯を」とは、旧約聖書に書かれている
ものです。
 新約聖書には、書かれていません。
 むしろ、新約では、「右の頬をぶたれたら、左の頬も出しな
さい」と書かれているのです。
 カソリックの暗黒時代の反省に立ったプロテスタントと同じ
ように、旧約聖書の暗黒の反省に立った新約聖書と言えます。
 ブッシュ政権を支えていたキリスト教原理主義者たちは、旧
約聖書を利用して、悪を征伐する、力の理論を採用したのです。
 ですが、それは間違いであり歴史が証明するでしょう。
 もし彼らのなしてきたことが認められるのではあれば、多くの
キリスト者の殉教は、なんの意味もない犬死です。

 ただ、政治世界では、9・11事件を解決するには戦争する
しか選択肢はなかったように思えます。
 世界の表舞台(政治、経済)がキリスト教主流世界であるため、
多くの人が、キリスト教と戦争を結びつけ考えるのもやむ負えま
せん。
 麻生前首相がクリスチャンだと言っても、本当に信じているのか
私には分りません。
 名目クリスチャンは、腐るほどいます。
 名目クリスチャンが天国に行けるのではありません。
 イエスキリストの、いのちを受けた者のみが天国に行けるの
です。
 それから、キリスト(聖書)を利用した、カルト宗教も多くあり
ます。
 エホバの証人(ものみの塔)などは代表的な宗派です。
 多くの歴史的過ちと、聖書理解の誤解が今のキリスト教に対する
偏見となっています。
 今の時代、幸せ病が蔓延しており、神様の目から物事を見る
ことのできるクリスチャンや教会は少ないと思われます。
 その様な幸せ病の牧師や信者が聖書を読んでも、「論語読みの
論語知らず」となりましょう。
 ただ言えることは、人とは、良心があり、何が間違いで、何が
正しいのか、自分の力で判別する能力を持っています。
 多くの素晴らし信仰者たちが今まで輩出され、それを受け継ぐ
キリスト者達がいることも事実だからです。
 参考になったかどうか分りませんが、後日に譲ります。

私の返事:
 二宮政吉さんへ コメントありがとうございます。
 同じ気持ちですと言って戴き ありがとうございます。
 ハロウィンとキリスト教とのかかわりなどの記述、キリスト教が
布教に際し、ヨーロッパの多神の宗教と、よく言えば融合、悪く
言えば妥協が、大分、起きたところです。
 魔女と関わるところなどキリスト教も無関係とは言えないところ
です。
 キリスト教系の学校でも喜々として行っているところでもあり
ます。
 また、ハロウィンがキリスト教と無関係とするのなら、日本での
行事化についても 明確に反対姿勢・行動を示して欲しいところ
です。
 ブッシュ政権に関することは同感です。この行為は間違いです。
 貴方様のおっしゃる「何が間違いで、何が正しいのか、自分の
力で判別する能力を持っています」とのお言葉には大賛成です。

 私は、神の言葉を戒・律・掟というかたちで伝えるというキリ
スト教の『他律戒』の在り方は良くない(間違い)と思います。
 あなた様のこの記述の様に「何が間違いで、何が正しいのか、
自分の力で判別する」が正しいと思います。

 自分で判断し 自分で何が正しいかを決める…です。
 『自律戒』です。

 キリスト教はこうではありません。
 「神の言葉を与える」・・です。
 キリスト教徒に判別力があると信じて、そして、キリスト教徒に
判断させるという、キリスト教は教義設定にしていません。
 キリスト教徒の判断能力に関し、無能力者のごとくに扱って
います。
 全て神の言葉を信じ、そして従う・・・です。
 また、それを 『 よし 』 としています。
 また、イエスキリストが旧約聖書と全く逆である点(あなたも
おっしゃっておりますが)を整合させていないという問題点を、
回避し、キリスト教は御都合主義的に振舞っていると言われても
仕方ないところもあります。
 正反対の教義が共存しているのです。
 都合のよい時には右と言い、都合が悪くなると左と言う。
 これが問題を大きくしています。ブッシュさんの例のように。

 [ 添付 ]
 ☆ 己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。
 ☆ 以和為貴・・・(和をもって貴しとなす)。
 ☆ 一切衆生、悉有佛性 :
  (いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)・・・この世の
 あらゆる生きとし生けるものは、ことごとく皆、佛性(佛の性質・
 佛と成り得る資質)が備わっています。
  そうした生きとし生けるものでもって宇宙は構成され、すべて
 (万物)が繋がり、時は流れています。
  そのつながりの中で育んで行きましょう。
 [参考比較] キリスト教の人間生来の 原罪 : 原罪(げん
 ざい)とは、エデンの園において人類の始祖であるアダムとイヴが
 最初に犯したとされる罪、およびその罪が人間の本性を損ね、ある
 いは変えてしまったため、以来人間は神の救い・助けなしには克服
 し得ない罪への傾きを持つことになったという、キリスト教の多く
 の教派において共有される思想。
 (ここを原点として、信じなければ救いを拒否し、切り捨てる
 というキリスト教がある)

☆ 真実の声 :
 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。 
 己が身にひきくらべて、
  殺してはならぬ。
  殺さしめてはならぬ。    
             ・・・ 仏典『ダンマパダ』より

2011年10月9日日曜日

キリスト教の プロパガンダ

題 : キリスト教の プロパガンダ :
           自分の利益のための悪宣伝の行為 

 本当は、
 イスラム世界の方が
 教育が進んでいた。
 そして、
 キリスト教の聖書の研究なども
 遥に進んでいた。
 中世ヨーロッパのキリスト教神学者は、
 イスラム諸国へ留学したくらいであった。 

 イエスの一生が
 絵画や像で分かりやすく表現されているが、
 キリスト教徒が、聖書を読めなかったからである。
 しかし、
 その様な事実を隠して、
 イスラム教徒は
 野蛮で
 文盲だという嘘の宣伝をし、
 キリスト教徒の間に広め、
 事実と反対イメージを染み込ませ、洗脳した。

 これはこの後、長くヨーロッパ世界に定着した。
 聖書の中の記述においても、
 事実と違う記述が
 非常に多い。
 1例、
 イエス・キリストは、
 現代のクリスマスの日に生まれていない。
 馬小屋での誕生も、
 当時のあっちこっちにあった話。
 日本の神道は、
 割り切って神話だと言っているが、
 キリスト教聖書も
 神話・創作というセンスを表明すべきだ。
 その方が、好戦的な聖書の記述ニュアンスが
 平和的方向へいく。

☆リチャード・ドーキンスの言葉 :
 「旧約聖書」の神は、
 おそらくまちがいなく、
 あらゆるフィクションのなかで、
 もっとも不愉快な登場人物である。
 不当で、
 容赦のない支配魔。
 執念深く、血に飢え、
 民族浄化を行った人間。
 人種差別主義者。
 大虐殺者、悪疫引き起こし、
 気まぐれな悪さをするいじめっ子、・・
 子供の時から、彼のやり口を教え込まれた者は、
 その恐ろしさに鈍感になってしまう : 

 (注) フィクション : 作り事。虚構。想像力によって
  作り上げられた架空のはなし。

☆イブン・ワラックの言葉 :
 一神教(キリスト教)は、
 やがて、もう一つの神を取り去って
 無神論になるべき運命にある。

☆「 偶像崇拝だ 」と、
 他教を、
 キリスト教は批難するが、
 キリスト教ほど、
 像で教会を
 デコレーションする宗教はない。
 祈る対象の十字架にも、
 像を付けたりしている。
 自分たちには、
 像はないと暗示するのも 
 プロパガンダであり自己洗脳・思い込み。

☆ラルフ・ウォルト・エマーソンの言葉 :
 一つの時代の宗教は、
  次の時代の大衆文学である。 :

☆漢方で有名な生薬、
 (植物・動物・鉱物をそのままで用いる薬)
 ・・というものですが、
 これを東洋のものと
 思っている方も多いと思います。
 西洋にもかつては生活の中にありました。
 それは、
 キリスト教による魔女狩りで、
 殺される対象になりました。
 薬を煎じている情景などが、
 魔女狩り旋風に巻き込まれ、
 壊滅しました。
 これもキリスト教の愚かさが原因しています。

☆(本より)
 キリスト教は
 憎悪を募らせる力にはなっても、
 対立する人々の
 紛争回避力にならない
 過去の経緯がある。

2011年10月8日土曜日

目には目を・・・について

題 : 「目には目を」・・・について

 御質問にお答えさせて戴きます。

 下記が、
 ハムラビ法典から、キリスト教の旧約聖書や新約聖書にも同
様記述がなされた記述の1例です。

 (キリスト教の聖書の記述例)
   もし女の目が傷ついたら、償いとして男の目を傷つけ、
   歯が折れたら歯を折る、手には手を、
   足には足を、やけどにはやけどを、
   傷には傷を、むちにはむちを、である。

 キリスト教徒は 
 この様な数々の
 あまりにも悲惨な教義に驚き、
  曲解に次ぐ曲解が行なわれている。、
 その結果、
 曲解の習慣化と
 曲解による日常的な思考という状況が
 現出している。
        〇〇〇〇さん 5月4日 23:49

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

☆ 解決方法は無限にあるのです。
  聖書に書かれていることのみでは 
  ないのです。 
  相手の方々の持っている光り輝くいのちを 
  大切に思いやってください。 
  例え、
  キリスト教の神の義があったとし、
  そして、
  たとえ正義としても・・・ 
  「 やってしまえ 」 だけの教義では・・・ 
  また
  事を 善悪だけでしか
  捉えられないのでは・・・

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
☆( ローマ教皇は 多神教へのあこがれを抱いていた )
 
   キリスト教は 一神教だ。 
   しかし、
   キリスト教で 一番偉い
   教皇ヨハネ・パウロ2世は、
   過去数世紀間の
   前任者すべてを合わせたよりも多数の
   聖人を作り出し、
   また、
   聖母マリアに
   特別の愛着を持っていた。
   彼が 多神教へのあこがれを抱いている事は、
   1981年に ローマで 暗殺者に狙撃されたが
   一命を 取り留めたが 彼が、
   そのことを
   ファティマの聖母マリアのおかげだとした時に、
   劇的に実証された。
   彼は
   「 聖母の手が 弾をそらせて下さった 」 と
   言ったのだ。
   なぜ聖母は、
   弾が 彼に 全く当たらないように
   しなかったのだろう という
   疑問を持たざるを得ない。
   6時間に及ぶ外科手術・・・
        参考文献 : 神は妄想である(早川書房)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・  
☆ オックスフォード大学
       リチャード・スウィンバーンの言葉 :
   もし
   キリスト教の神が
   存在し、
   そのことを
   私たちに納得させたい のであれば、
   「 世界を 超奇跡で 満たす 」 ことが
   できただろうに。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・  
☆ ブッシュ元大統領(父子)の起こした戦争の罪の広がり・・
  キリスト教徒の希望により行われ、「イエス・キリストの夢
 を見た」とイラク戦争を決断したブッシュ元大統領(子)。
  また、ブッシュ元大統領(父)が、同じくキリスト教徒の
 希望によって行った湾岸戦争の元軍人が心的障害によりホーム
 レスになっているとのこと(H22.2.27 日本テレビ)。ニュ
 ーヨークのホームレスの5人に1人はこの湾岸戦争の元軍人。
 
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
☆ キリスト教は
    『 ヒエラルキー・上からの序列 』 が
                   根本設定の宗教。
  教義の考えの1例は 
         『 羊の様な信徒 』 を、
  その羊を導く牧童の様な牧師や キリスト教聖職者が、
     キリスト教の神の次の序列に居て、
  その 『 聖職者に能力がある 』 と 宗教設定し、
    無能とされた信徒を導くのだとの、
         全く人を馬鹿にした「宗教コンセプト」。

  そこには 『 皆と共に 』 という 『 心 』 はない。

  この 「宗教コンセプト」 が
        歴史に於いて 数々の悪行為の原因となる。
 
  この 『 根本から修復しなければならない宗教 』。

2011年10月7日金曜日

神の義によれば、人を誅してもよい・・・

 題 : (キリスト教の)神の義によれば、人を誅してもよい・・・について

 こんにちは
 キリスト教は
 「(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い」との
教義があります。
 どこにこの教義はあるのでしょうか。
 勉強したいです。
 よろしくお願いいたします。

 ビオラさんへ 
 はじめまして、ご質問を戴きました事に関しまして下記に書か
せていただきます。

(キリスト教の聖書の1例)
  ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、
降伏を勧告しなさい。
 もし、その町がそれを受託し城門を開くならば、その全住民を
強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。
 しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。
 あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは
男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。
 ただし、女、子供、家畜、および町にあるものすべてあなたの
ぶんどりり品として奪い取ることができる。
 
 あなたは、あなたの神、主が与えられた敵のぶんどり品を自由に
用いることができる。
 このようになしうるのは、遠くはなれた町々に対してであって、
次に挙げる国々に属する町々に対してではない。
 あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国民の民に属する町々
の息のある者は、一人も生かしておいてはならない。
 ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、
あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 ☆自分の利のために、他人を殺せと教えるキリスト教の神の教義。
  そして、
 この殺戮の悲惨な時点においても 「奪い取れ、奴隷にせよ」 と
 色々と指図するキリスト教の神の教義。
  この類の記述は 聖書の中に 種々多い状況。

  また、
  聖書において下記の示唆もある。
  ラテン語:talio:タリオ:被害者が受けたのと同じ害を
 加害者側に加える制裁。 local limit : local一定の空間を
 占める、limit限界点 : 現代のキリスト教徒の困惑となる一例。

 モーゼの時代には戦争をして相手を殺し、場合によっては奴隷に
 せねばイスラエル人(選民思想の民族)が殺される時代であった。
 この状況から生まれた教義が、「 当時の状況と当地の状況 」 と
 全く変わっている現代の「 他の地域や多くの時を経た今 」に
 おいてでも 同じ教義・同じ考え方で 存在している。
 TPOというものの見方がありますが、TPO的にも全くアウト。

 ☆与謝野晶子
     嗚呼、弟よ、君を泣く。   君、死に給うこと無かれ。 
     末に生まれし君なれば。  親の情けはまさりしも。
     親は刃を握らせて。     人を殺せと教えしや。
     人を殺して死ねよとて。   二十四までを育てしや。

     堺の街のあきびとの。    旧家を誇る主にて。
     親の名を継ぐ君なれば。  君、死に給うこと無かれ。
     旅順の城は滅ぶとも。    滅びずとても何事ぞ。
     君は知らじな、商人の。   家の掟に無かりけり。

      (後略)

☆『 相手のかたにも正義があるのに 』 との女性の小さな声が
 耳に印象的に残った。 
  そうですね。その通りと思います。私は答えた。
  神という衣を着せて「正義なのだから」と、「こちらは間違って
 いないのです」と。 争いは、どの様な場合もそのようになって
 居ります。
 宗教で、その形を是と教義すれば争いの多い状況になるのは必然
 です。 
  このキリスト教の教義は変えなければならないのです。

  これから未来を受け継ぐ若い方たちのために、人類の未来の
 ためにも。
  NHKは、義によって争う大河ドラマを日本中に放送し、洗脳
 した。 
  『 正義だ、やってしまえ 』 的ドラマを。 
  この大切なことが分かって戴いているのか? 
  影響力の強い放送媒体だけに心が痛む。
  実に、この様な事例が多い局です。

☆ 非が全くないという事でないのに、すべて相手が悪いと相手側へ
  すべて問題を転嫁し、
  なお且つ、
  良否判断の理性が全く入る事の出来ない宗教教義に規定する。
  キリスト教教義「(キリスト教の)神の義があるのだ、やって
 しまえ」をつくる。
  紛争の地が展開され、その歴史が連綿と続く。
  民は泣く。 
  キリスト者は、その罪を知っているか? 
  自分の勝手な・独り善がりな「正義」に真っ向から対立す
 るからと、
  そして、
  独り善がりな・勝手な宗教教義で「邪悪」だと「 決めつけ
 る 」。
  「 そんな宗教 」は否。

2011年10月6日木曜日

アインシュタインの言葉・・・など

 題 : アインシュタインの言葉・・・など

 ☆アインシュタインの言葉:
   神なんて
         想像しようとは思わない。
   大いなる自然の畏敬の念に 
         打たれるだけで十分だ。

 ☆アメリカの
     王立天文台長で、
         ロイヤル・ソサエティ会長でもある
  マーティン・リースの言葉:

   不信心な国教会教徒だが・・
       一族への「忠誠心から」
                教会に行くのだ
 
 ☆リチャード・ドーキンスの言葉 :
   アメリカは、
     想像以上に
        キリスト教徒でない人がいる。
   公表を、
        ためらっているだけ。

   無神論者の数は、
     多くの人が気づいているよりも、
           もっとはるかに多く、
   特に
      高い教育を受けたエリートの間に多い・・

   傑出した人々のうちの、
     どれほど大きな比率が、
       宗教への完璧な懐疑論者であるかを知れば、
         世間は驚愕するだろう。

 ☆キリスト教聖職者 KD氏 の言葉 : 
    戦争を起こしたのはキリスト教徒であって、
               キリスト教ではありません。
        KD氏 :キリスト教聖職者であり、
              キリスト教系大学教授、日本人。
        キリスト教の教義を教え、キリスト教徒にし
        たのは、キリスト教ではないのですか?の問い
        に返事はありませんでした。

 ☆キリスト教の教皇レオ13世の言葉 :
   『死刑は、教会に反逆するものが居た時、
              それは効果的な手段と言える』
   「教会が悪人を処刑しても許される。
              また、そうする義務もある』

 ☆聖ベルナルドゥスの十字軍兵士への言葉 :
   「キリストのために殺しても、死んでも、罪ではなく最も
    名誉あることである。
    殺すのはキリストのためであり・・・

 ☆本日(H22・2・26)、近所の英会話教師のカナダ人と、いろ
  いろ話 をしたが、その中に、
  『 カナダでは 確実に キリスト教徒が減っている 』 と
  その方は話されていた。

 ☆キリスト教の妖精は、本来、ケルト神話などの神々だった。
    それが変化し、いたずら者で、体も小さくなった。
    ヨーロッパの布教の時、ケルトの神々を悪魔に、キリ
    スト教はした。

 ☆マリア受胎の時14歳、既に老人ヨセフと婚約していた。
              (天国と悪魔がよくわかる本)

2011年10月5日水曜日

京都の 景観について

題 : 京都の 景観について

 尾形賢 京都府議様

  拝 啓
  はじめて、メールを差し上げさせて戴きます。
  〇〇市在住の者です。
  小生、先日(4月27日~28日)、京都御所特別公開(
 天皇陛下の金婚に際する特別イベントです)のツアーに参加
 し、27日は京都御所~金閣寺~竜安寺を巡り、28日は奈
 良の長谷寺~室生寺を巡りました。
  久しぶりの旅でした。
  京都御所は、紫寝殿の奥の方が拝観できました。
  久しぶりの良い旅ができたと喜んでおります。
  そして、京都の夜は、高台寺さんからの日没のきれいな京
 都の町の景観を堪能することもできました。
  また、高台寺さんのきれいな夜間拝観もさせて戴き、外国
 人の方と挨拶を交わさせて戴いたり、立ち会われている竜谷
 大学の学生さんと意見交換ができたりした充実した夜でした。

  この日の宿泊先の 「 ホテルマイステイズ京都四条 」で
 若い方と京都の町の景観の話になった折りに、
  貴議員様(尾形 賢様)の「京都の景観についてのお働き」
 が話題になりました。
  ご活躍ありがとうございます。
  小生が京都を訪れたのは、中学と高校の修学旅行以来でした
 ので、半世紀ぶりの京都でした。
  京都の町の変容は、仕事の折りに」新幹線から気になりな
 がら見る程度でした。
  だんだんお寺さんが見づらくなるのは感じていましたが、半
 世紀ぶりとはいえ、町中に入って見たその様変わりには悲しく
 なりました。
  大切な京都の財産、日本の宝が失われて行く様でした。
  ドイツを訪れた時の驚きと正反対の驚きでした。
  ドイツは本当に景観を大切にしております。
  町の方々の生活もあるとは思いますが、何とかならないので
 しょうか。
  幸い新聞で、外国人の方々の京都の訪れも1パーセント増と
 日経新聞で読み喜んでおりますが、お寺さんがたが頑張ってい
 るだけでは駄目だと思います。
  税収のアップのためとはいえ(ホテルの方のご説明)南口の
 大型店舗の出店は、僅かに京都の面影を残す周辺小売店の消滅
 を意味しているのではないでしょうか?
  北口と同様に、ここも東京・銀座と同じ町の景観と化すこと
 になると思います。
  飛躍的な施策を為さねばならないと思います。
  よろしくお願い申し上げます。                                                敬 具

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ☆京都府議会事務局より 御返事を戴きました 
                   平成21年6月1日

  小生の上記・提案が 府議会の各会派(自由民主党議員団、
 民主党議員団、日本共産党議員団、公明党議員団及び京都創生
 フォーラム)へ送付して戴けたという内容でした。

  早速、京都府議会事務局と尾形議員へお礼のメールをしました。

2011年10月4日火曜日

ブッダの ことば

 題 : ブッダの ことば

   慈 し み

   一切の生きとし生けるものは、

   幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

   一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

   何びとも、他人を欺いてはならない。

   たといどこにあっても、

   他人を、軽んじてはならない。

   互いに、他人に苦痛を与えることを、

   望んではならない。

   この慈しみの心づかいを、

   しっかりとたもて。


 ブッダのことばについて

 財団法人東方研究会は、
 中村元初代理事長が、その後半生を傾注し、
 私財を投じて創立し、
 昭和45年11月、文部省(現在の文部科学省)より
 財団法人設立の認可を受けた研究所であります。

 本研究所は、
 「東洋思想に関する研究調査を行い、
 その研究成果の普及を図り、
 もって学術・文化の発展に寄与すること」を
 目的としております。
 本研究所の特色は、
 上記の目的を遂行する所にあるばかりではなく、
 日本の将来を担う若くかつ有能な研究者に
 研究継続の機会と場を与えて育成することを
 重要な使命としているところにもあります。

 研究員各自の出身の大学院で開始した研究を
 本研究所で継続し、
 幸いにして大学や研究所で定職を得て巣立っていった連携研
究員の数は82名にも達しております。
 中村先生が、
 その86年の人生を学問一筋に打ち込み、
 東西の思想の蘊奥をきわめつくして最後に到達されたもの、
 それは「慈しみ」のこころでありました。

 これこそが、先生をして若い研究員のために本研究所を設立
させたものでもありました。
 先生は、
 ご夫人と共に、東京の多磨墓地にある先生のお墓の横に石碑
を建て、それを「ブッダのことば」と題して後世に残されまし
た。
 この文言は、
 仏教聖典 『スッタニパータ』 から先生が意訳され、
 それをご夫人(中村洛子終身名誉理事長)が書かれたもので、
 しかも、1995年の先生の誕生日に発注され、
 1997年のご夫人の誕生日に完成したものであります。
 これは、財団法人東方研究会の研究員に示された指針であると
同時に、
 怨念と我執が渦巻き、テロの恐怖におののく21世紀の人類への
メッセージでもあります。
 なお
 同種の石碑は、
 先生の許可を得て、栃木県足利市山川町の山川長林寺と東京
江戸川区江戸川の二之江妙勝寺に建てられました。
                     2007年5月16日

                       財団法人東方研究会
                        理事長 前田專學

2011年10月3日月曜日

武力によらないで、広まった宗教 (その2)

 題 : 武力によらないで、広まった宗教(その2)

☆近代の開始とともに、
  宗教の権威は衰えまして、
  国が力を持っている。
  国家形成において、巧みであった民族が、
  世界史のリーダーになった訳です。

  国が、絶対的なものと思われましたけれども、
  今日になりますと、
  国々を超えた 一つの地球共同体というものを、
  皆が考えなきゃいけない所まで 来てると思うんです。
  何が起きても、
  地球の上で どこで何が起きても、
  すぐそれが地球の上の
  あらゆる国々、
  さらに
  その国々の 住民の生活に 
  すぐ影響が 及んで来る訳ですね。

  以前には、
  支配者が 非常に乱暴な 野蛮な行動をしても、
  また、
  文明の回復という事が 可能だったもんです。
  つまり、
  その力の 及ばない範囲が ありましたから、
  それから 優れた文明の伝統を 取り入れまして 
  生かせばよかった。

  ところが、
  だんだん 世界が一つに なって来て、
  何か起きますと、今度はいっぺん破壊してしまったら 
  もう取り返しがつかない。
  この危険はあるわけです。

  世界が一つになる場合に、
  異質的なものに対する 「 理解と寛容 」 という事。
  これが 絶対必要だ と思います。
        (1985年、昭和60年の発言、72歳)

 (霊鷲山りょうじゅせん・ラジギールで
  中村が礼拝する映像。
 「原始仏典の現代語訳をした中村は、
  2500年の時空を超えた。
  仏の声に耳を澄ますことでもあった」のナレーション。
       1986年、昭和61年73歳とのテロップ

☆仏教の教え というものは、
 この上に輝く 日月(じつげつ)の様な ものである。
 太陽や月が、
 あらゆる人を 照らすように、
 仏教の教える真理 というものは、
 あらゆる人に 明らかなものであり、
 あらゆる人を 照らすという 訳です。

 続けて、
 釈尊はこう言われました。
 もしも、
 自分が 人々を導くのであるとか、
 あるいは、
 この修行者の仲間が 私を頼っているとか思うならば、
 私が死ぬという事は大変なことであろう。

 しかし、
 私は 自分がみんなを導くなんて 思ったこともない。
 また、
 みんなが 自分を頼りにしているなどとも 思わなかった。
 (釈迦涅槃像クシナガラの映像)
 自分は、ただ、人々の依るべき真理、
 真の生き方というものを明らかにした、
 それだけなのだ。

 だから、
 なにも 自分が消えて亡くなったからといって 嘆き悲しむな。
 およそ この世の物で、
 いつまでも破れないで、存続し続けるものは なにもない。

 いつかは 破れ 消え失せる ものである。
 その道理を 私は、お前たちに今まで説いて来たではないか。
 ただ、
 私は そこにある 「 一貫した真理 」というもの、
 それを 解き明かして来た。

 だから
 「 それに頼れ 」、 この変転、常ない世の中では、
 まず 
 「 自分に頼るべき 」 である。

 自分に頼るとは 
 どういう事であるか、
 自分は この場合にどうすべきか という事を、
 その場合、その場合に考える事 でしょう。
 その場合、
 何を 判断決定の基準に するのか。
 それは
 『 人間としての道 』
 『 法(のり) 』
 インドの言葉で言うと 『 ダルマ 』 と呼ばれるものです。
 これを 『 法 』 と訳しますが、
 この 人間の理法 というもの、
 これに頼ること。

 『 自己に頼れ、法に頼れ 』 。

 これが、
 釈尊の 最後の教え でありました。

2011年10月2日日曜日

武力によらないで 広まった宗教 (その1)

 題 : 武力によらないで 広まった宗教(その1)

・・・『 仏教の本質 』  
         哲学者 : 中村 元(なかむら はじめ)
            (You Tube)の談話・対談を採録

 ・中村 元 : 東京大学 インド哲学科、
   1912年(大正元年)島根県生まれ、1998年86歳没、
   東洋思想の世界的権威、
   昭和52年文化勲章受章
   (仏教研究の業績と比較思想という学問分野を確立し、
   膨大な著作を世に送り出し、
    晩年、世界平和に対する発言。
    原始仏典を現代語に訳し、研究領域は西洋哲学、キリ
   スト教に及んだ・・とのナレーション)

 ・聞き手 : 臨床心理学者 河合隼雄

☆学ぶことの少ない人は、 牛の様に老いる。
        かれの肉は増えるが、 智恵は増えない。
                  (仏典:ダンマパダ)

☆「 相手に対する寛容の精神 」 というものが大事です。
  その点で仏教は、 
   「 無理に暴力・武力を用いて人に強いる 」  という
  事がありませんでした。
   昔は、 宗教が違うという事になると、「 必ず武力による
  闘争 」と 裏腹になっておりました。

   人類の歴史において、
  多くの宗教が現われたわけですけれど、
   「 武力に依らないで 説得だけによって 
            広まったのは仏教だけ 」 です。
   これは、西洋の宗教学者も 認めております。

   こういう考え方が、われわれの祖先の中でも 生きていたと
  思います。
   聖徳太子の憲法なんかにも はっきり出ております。
   現在でも、これは 「 大切な心がけ 」 じゃないで
  しょうか。

☆インド全体が ヨーロッパ全体と ほぼ同じなんです。
   文明の歴史においても、 広さにおいても、 人口においても
  (『インドこころの旅、ブッダ最後の旅路をゆく。
               昭和61年放送よりの言葉)

☆(ナーランダ大学跡の映像で、 
 「 誰にも分かりやすく仏教を語る  中村さん 」 との
 ナレーションが )
  これがインドですよ。
  まるで石ころのように転がっている、
  どれひとつとっても 日本の国宝より古いんですからね。

☆人間の体は、
  王様の飾りたてた車のように、
  やがては朽ちてしまう。
  けれども、
  人から人に 伝えられる 「 真(まこと)の法(のり) 」は
  いつまでも輝く。

  人から人に 
  真理が伝えられる 訳でございましょう。
  それは 永遠の価値を持っている という意味なんでしょう。

  本当の自己というのは どういうものか。
  誰でも 人間は、どこかの場所で、いつかの時点で生まれて
 来た 訳です。
  そして、 
  必ず、両親があった訳ですね。
  それから、育ててくれる人があった、 
  助けてくれる人があった。
  その助けてくれた人の数というのは
  無数でございます。

  人間だけじゃなくて、山川草木まわりのものが、
  何か関係を持っている。
  遠く考えますと、
  宇宙の彼方から、例えば 太陽が 光線を送ってくる。
  そうすると、
  その太陽の恩恵も 受けているわけです。

  宇宙にある如何なるものも、 
  孤立したものでは無いという思想。
  宇宙とつながりがある訳です。
  その繋がり方が、 
  めいめい みんな 違う訳です。

  だから 
  個々の自己は、
  非常に微々たるものと 
  考えるかもしれません けれど、
  実は、

  その内には 偉大なものを秘めている 訳です。
  ですから、
  その偉大なものを 受けていることを 自覚すれば、 
  そこで
  自分の生きる道は どうかという事が、
  おのずから明らかになって 実現されるという事に なるん
 じゃないかと思うんですが。
                   (その2へ つづく)

2011年10月1日土曜日

危機には仲間が助けてくれるという甘えが。(今、欧州連合(EU・ユーロ)のギリシャが危機的状況にある)

題: 危機には仲間が助けてくれるという甘えが。
   (今、欧州連合(EU・ユーロ)の
             ギリシャが危機的状況にある)

 ギリシアの危機
   まず、
     財政的な危機。
        2009年財政赤字が
         国内総生産(GDP)比で12.7%に膨らむ。
 また、
  45万人の抗議ストなどで、
     国内に社会混乱なども広がっている。
            ( その他、種々の問題点は略 )
 同様に、
   ユーロの
      スペイン・ポルトガルでも
               赤字が膨れ上がっている。

 ユーロの ドルと並ぶ
   「 基軸通貨の信認 」 も
                  動揺しだしている。

 ユーロ中核の 
     フランス・ドイツ の財政状況の悪化も拡大。
      ドミノ倒し的な
          「 信用不安の拡大 」 が、
                   懸念されている。

 「 危機には 仲間が助けてくれる という甘え 」
                    によっての助長、
    この意識に陥っている懸念も。
          (参考:日本経済新聞 H22.2.13社説)

 これと関連して
    思い出される事 : 
    NHKは、過日、何故か

       「 頑張らないのが 良いことだ 」 
                 と 繰り返し放送した。

 キャンペーン的に 何度も繰り返し、
     テレビ・ラジオに渡って 放送した。
             それは 長い期間 であった。
 NHKは、
   自分たちのイデオロギーを、
    時々、
     この国民の所有する 
         放送媒体の機械・システムを
 自分たちの道具のように 
      使用し
   自分たちの主張・イデオロギーのキャンペーンをする。

 確かに、
   鬱の方には「頑張れ」と励まさないほうが良いとかとの、
     特殊事例は あるが 
           (特殊解において成立するが?)、
 一般論として
      頑張ることを否定し、
        頑張らないことを
            奨励する事とは
               おかしな NHKの行為。
 また、
    番組内は
      「頑張らないのが良い」との
          賛成論のみの放送をする
                   偏した状況。
 頑張るという事に関する
          論点の広がりは
                 何一つ放送されない。
 また、
    テレビに於ける
    「学校改革についての長時間に渡る討論番組」
         (NHKテレビ1ch) においても、
 国際基督教大学の
   論者が
       頑張らないことを 述べている
   (NHKではキリスト教系の大学が
            多く出演する状況だった。
                今でも その傾向か?)。

 この 国際基督教大学の論者 は、
         その裏づけ的論理を
                  示さないで、
 教示的発言スタイル
       (論理の広がりも無く)で、
               固執した発言が続く・・・
       (全く教義の 教示的スタイル)

 出席された
    伊吹文部科学大臣の

 「 頑張る方が 正しく評価され、
          頑張った結果に報いていく社会で   
                  なければならない 」

     との発言と平行線となる討論。

 討論番組として
      論理の広がりも何もない 
             プア(貧弱な討論) な状況。
 NHKは 
   キリスト教の教義から来る
      「頑張らないが良いことだ」を
         何故 キャンペーン的に放送議題として
                   取り上げるのか?
     反社会的な放送議題だ。

 日本や世界で、
     社会や技術等々をリードする
                  最先端や先端で
 頑張っている方々に
         支えられている 社会構造を
                     考える時、
 この珠玉の方達と
      その頑張る行為を、
         公共放送 NHKが 
                  足を引っ張る的な
     反対意見放送を 
             繰り返すのは

     間違っている。

2011年9月30日金曜日

「出エジプト記」の記述、および、その他・・・について

題:「出エジプト記」の記述、および、その他・・・について

☆ (「出エジプト記」22・18)に
       「魔女を生かしておいてはならない」という
           モーゼの言葉がありますが、
  後の時代に 魔女裁判官たちの 声高い引用によって、
     魔女旋風を煽り立て、
        この聖句を揚げた本が出版されたりして、
          特に有名になり、
          魔女迫害をいよいよ本格化・正当化させた。
  (多くの人たちが犠牲となった。
      特に女性。魔女裁判によって刑を処し、財産没収し、
      それがキリスト教会の多くの収入源となっていた)。
         「魔女狩り」岩波新書 を読んでみて下さい。

☆ P D C A (プラン・ドゥー、チェック、アクション)を習
  い・実行しているキリスト教徒の方達も、
 P:プラン・計画とし、
 D:ドゥー・実行(計画をしての後の実行)、
 C:チェック・点検(これも前の因のあと工程)、
 A:アクション・実行(これも前の因による実行工程)。
 つまり
   すべて 「 因とその結果による行為 」 を行っています。
   これはまさに、仏教が教えている 「 因果律そのもの 」。
 キリスト教は、因果律を否定しますが、
   総べて 因果律の中で、
      因果律によって生活している事になっています、
            また、思考も因果律によっている、
 しかし、 キリスト教徒の方達は、 
    因果律が 仏教の教義だとして否定している。
         これでは 正しい思考ができるわけがない。

☆ キリスト教会での説教で、
            以下の様な話がされる。
   『神は三位一体である。
      子なる神イエス・キリストは
      万物に先立って生まれた。父なる神の独り子である。
   したがい、被造物ではなく、
          また、子は父とともに天地を創造した』と、
  今・現在、クリスマス12月25日に、BC(西暦紀元前・ビ
 フォアクリスト)の4年にイエスは生まれたとされている。
      天地創造はその後だったと言うとは???。
 (その様に言わなければ、教義破綻するので その様に言ったの
 でしょうが、その教義は、また、別の部分の教義を破綻させてい
 る。 
  一方を繕えば、他が破綻するという状態)。
  これでは、紀元前のエジプトもギリシアも無くなってしまいます。
  後にキリスト教を承認し、ヨーロッパに根付くはじめになる国・
 ローマ帝国も無くなってしまうとは???。
☆この1例の様にキリスト教の教義は
             修復不可能な最終段階に来ています。
 この様な文・教義を生活の根底としている事を
                    見直してみて下さい。

☆19世紀以来、学術的なキリスト教神学研究者達は、
   「福音書は、現実世界の歴史で起こった事についての
        信頼できる記述ではない』という決定的な論証を
                  行ってきました。
 総べては、イエスが死んでからずっと後になって
    書かれたものであり、パウロの手紙よりも後であるが、
    この手紙には、イエスの生涯にあったとされている事実の 
   ほとんど何一つとして触れらていない。

☆バートランド・ラッセルの言葉 : 
    知的な意味で 著名な人々の 圧倒的多数は 
      キリスト教を信じてないが、
        大衆に対してそのことを隠している。
          なぜなら、
       彼らは自らの収入が減ることを恐れているからだ。

☆ 誤訳で、イエスは 
    処女から生まれたことになってしまった。
       イザヤ書が、乙女を指すヘブライ語を、
         処女を意味するギリシャ語へ変えたのが原因。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
☆キリスト教は、 「the Lord」という神や
      「gods」という神々が居る。
           多神教なのである。
            (英文聖書にはっきり記載されている)