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2014年8月13日水曜日

英国にある言葉(ジョーク)・・、

 題:英国にある言葉(ジョーク)・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 英国にある言葉(ジョーク)・・、
 「もし(キリスト教の)神が存在し、そのことを私たち
に納得させたいのであれば・・、
 (キリスト教の)神は、世界を超奇蹟で満たす事が出来
たであろう」。
 ・・というジョーク・冗談だ・・つまり・・、
 キリスト教の神なんか居ないから、世界は超奇蹟なんか
で満たされてなんかいないのさ・・と。
.
 そして、次の話。
 キリスト教の新約聖書が、何のために書かれたか?・・
と、言ったって・・、
 人々を救うため・・なんて・・到底言えない。
 何しろ、書かれている人=イエスが、刑で死んだ後に書
かれたという書物のため、その特異な状況から・・
 聖書を書こうという人が、刑死の後という事で、その刑
死の事で頭がいっぱい、だから・・、
 『刑死のことばかりを記す』・・という本と化している。
 マタイによる福音書で、その3分の1が「イエスの受難」
について記されている。
 実に異常な状態である。
 また、マルコによる福音書では、2分の1、なんと半分が、
 そして、ルカによる福音書では4分の1が・・、
 ヨハネによる福音書では2分の1が、という状況である。
.
 そして、次の話。
 酷(ひど)い話が、キリスト教の話が・・話されていた。
 キリスト教はこれだからダメなのだと思った。
 勝手に、『自分のキリスト教』を作ってしまっているの
だ。
 メシア(救世主)の系図が、キリスト教聖書に書かれて
いるが、アブラハムから始まる話だ。
 マタイによる福音書の最初の最初にある、「イエス・キ
リストの系図」の話だ。
 マタイは、救世主という大事な話だと思ったから、最初
の最初に書いたのだろう。
 しかし、この系図を・・いじくっている。
 アダムとイブが居ないのを気にしたのだろう・・この人
は・・この学者兼聖職者は・・??
 この話と、「アダムとイブ」の話をくっつけて・・話し
ているのだ。
 これで、キリスト教の矛盾が・・解決したと・・胸をな
でおろしているのだ。
 マタイによる福音書の「イエス・キリストの系図」の記
述は間違いですと言っている様なもの。
 その系図の前にアダムが居るのだというのである。
 こんな矛盾のこと・・キリスト教の聖書の矛盾・間違い
は、あちこちにあるから、解かっているけど、そんな事は
あちこちにありますよと「高(たか)をくくっていればい
いもの」を・・、
 キリスト教聖職者の・・この御仁(ごじん)・・気にな
ってしょうがなかったのであろう、この様な事を言い出し
たのだ・・。
 こんなことを言ったら・・「桃太郎」と「一寸法師」を
くっつけて・・一つの話にした様なもの・・。
 おかしいことになるのは・・当たり前。
 例えば、桃太郎は、鬼が島から帰った後、一寸法師にな
りました。そして、打ち出の小槌(こづち)で大きくなっ
て京都に登って行きました・・づづく・・なんて話になる。
 こんな事が、話が・・できる訳がない。
 しかし、キリスト教は、この様な事をする。
 アブラハムとアダムの話をくっつけて、系図の矛盾が無
くなったという。
 この1例の様に、キリスト教は・・、
 『矛盾が自己増殖しているという宗教』、
 それこそ、キリスト教自体が『終末段階に入っている』。
 そして、キリスト教の系図の話で、まだまだ、おかしい
話がある・・続く・・、
 イエスの父のヨセフの立場が・・おかしいのだ。
 キリスト教自体がおかしいので・・ヨセフ自体もおかし
いのだろうが・・、
 ヨセフは人であり、イエスとは血のつながりはない。
 ヨセフの妻・マリアは、「処女受胎だ」とキリスト教は
言う。
 イエスは、ヨセフの子ではありませんとキリスト教は、
はっきり言う。
 信仰の根幹に絡(から)むから・・必死だ。
 しかし、このヨセフが、ダビデなどが居る救世主の系図
にいるという。
 そして、イエスが、この系図にいないのかと言えば、イ
エスも居るという・・、
 おかしなことが起きている。
 キリスト教は、この矛盾に明確に答えられない。
 キリスト教聖職者は、苦し紛(まぎ)れに言う・・、
 「イエス・キリストの系図は、マリアの婚約者ヨセフを
介してダビデにさかのぼる」・・と、
 分かった様に話している様だが、逃げていて、そして、
何がなんだか、わからないという結論に達する言い方をす
る。キリスト教徒の方たちは煙に巻かれている。半分、見
くびられ、馬鹿にされている
 結局、キリスト教は、この様な話に満ち満ちている。
 キリスト教聖職者は、こんな話をする職業・・、
 これで飯を食っている。
 そして貴重な人生の時間を、この様なつじつま合わせの
時間に費やしている。
 こんなことを・・2000年続けてきた・・キリスト教。
 2000年、経ても、今・現代も、解決しないで・・延々と
続けている。
 なんと多くの方々が・・無駄な人生を・・無駄に浪費し
て来たことか・・、人材と経費の最大の無駄である。
 もう今世紀で、この宗教の・・無駄と殺戮を・・終わり
にしよう、止めさせよう。
 幸せになれない宗教に拘束されている方々を救おう。
 そして、最後に・・、
 キリスト教徒は、死んで天国へ行ったら・・、
 キリスト教に殺された人々の、あまりに多さにびっくり
するでしょう・・、
 そして、その方たちに囲まれて、恨(うら)みを聞くこ
とになるでしょう。キリスト教は、その様な宗教なのです。
.
 (参考)高(たか)を括(くく)・る その程度を予測する。
   大したことはないと見くびる。「―・って手ひどい
   目にあう」
.
 (追伸)エボラ出血熱に貢献する「国境なき医師団」。
 この「国境なき医師団」へ、応援を、賜ります様、お願
い申し上げます。
 寄金をするなら・・、
  キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教
 系組織に寄金するより、『 国境なき医師団 』へ寄付し
 てください。ノーベル平和賞も貰っています。
  キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
  『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
  郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
 日本・・へ。税優遇措置の対象となります。
  また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
 団体は反省してください。
  一粒でも食糧を多く子供達へ、そして、寄付をしてくれ
た方々の善意を大切にして下さい。
  また、宣教師派遣も多すぎます。
  教会建設には『絶対』使用しないでください。
  また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
 聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
 用し過ぎています。反省してください。 
  長時間のテレビの放送時間を買い切っての宣教放送は、
 超高額になるなど、あなた方は宣伝過多です。寄付金は大
 切に使って下さい。
  そして、寄付を募(つの)って、恵まれない子供を助け
 るという『善行為』が本来の目的なのですから、
  子供たちより、キリスト教の宣伝に精を出す組織から脱
皮して下さい、
 そして、最近は、
 キリスト教を隠しているから注意をしよう。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
 URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2014年8月11日月曜日

キリスト教よ・・悔い改めよ・・、

 題:キリスト教よ・・悔い改めよ・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は・・、
 「人の上に立つ事ではなく、人の下に立つ事である」と
言う。
 キリスト教の聖書にも、この様に書かれている・・が・・、
 これを、キリスト教聖職者は、「謙虚であれ」と教えて
いるのだと、補足して、説いている。
 その聖職者の言葉がなければ、聖職者の説明がなければ、
成立しない話なのだ。
 キリスト教の聖書には、この様な表現が多い。
 直球勝負の説明ではない。
 素直な言い方ではない。
 しかし、この言葉を聞いて、思うことは・・、
 キリスト教は、手前味噌のキリスト教の聖職者は、神の
次の地位にあり、『人々より上』というヒエラルキー(序
列)の組織を作り、それを金科玉条にしている・・(女性
は加われない、女性排除)そして、(キリスト教の聖職者
がこの様に手前味噌で決めた・・男の聖職者が)。
 このキリスト教の言葉を読むと、またまた、何をかいわ
んやの事をキリスト教は言っているな・・と、思う。
 キリスト教は、言っていることがシッ茶かメッチャカな
のであると、つくづく思う。
 標記の言葉は・・良い事を率先して・・、
 人を導いて行くためもあって・・、
 人の上に立つということは・・、
 大いにあること、そして、必要でもあること。
 幸せになろうと・・人の上に立って・・
 共に幸せにと・・、
 頑張り努力する事は・・必要な事である。
 その様な人々によって・・世の中が、キリスト教が出来
た頃より格段に・・良くなっている。
 その現代の幸せな状況が・・証明している。
 キリスト教のこの言葉が、誤解を生みやすい・・回りく
どい言い方であり・・舌足らずである事は勿論、また、聖
職者の言葉を借りなければ成立しないという不十分さがあ
ると同時に、キリスト教聖職者の言葉を借りても、「謙虚
に」と言う、至極当り前の、初歩の道徳レベルの話しにし
か過ぎない。
 キリスト教の聖書は・・この様なレベルなのだ。
 キリスト教の教えが、こんなレベルだから、大切な命の
話になった時、他人の命は自分のものでは無いから関係な
いというキリスト教の考え方が浮き上がってくる。
 キリスト教は、聖書の何処にも他人の命は大切ですとい
う大切な大基本の教えを教えていない。
 教えている事は、我が民族が生きて行くためには「(キ
リスト教の)神の義があれば、人を誅しても良い」の教え
となっている。
 我が民族、我が命さえ・・生き延びればよいの・・教え
の宗教なのだ。
 この様な、キリスト教の悪教義によって、あまりにも多
くの方々が亡くなり、その数々の悲惨な歴史が、キリスト
教の卑劣さを訴え・・立証して来た。
 キリスト教は、それを打ち消すために、キリスト教は、
殉教した殉教したとプロパガンダ・嘘宣伝して来たが、
 長崎の26聖人だって、
 南米などでインカを全滅させて、次にメキシコとマニラ
(フィリピン)を餌食にしようと、スペイン艦隊は、メキ
シコ~マニラの往復で、太平洋をうろうろしていた。
 そして、表向きはキリスト教の宣教という形で、裏には
植民地化の使命を持ったキリスト教宣教師が、日本へ渡来
する。
 キリスト教宣教師は本国へ報告する、「日本がしっかり
しているから無理だ」・・と、書簡を本国へ送っているし、
 日本は運よく、強力なトップの秀吉が、日本の統一を果
たしたところだった。
 その事が、日本にとって運が良かった。
 そして、事態を知った秀吉が、マニラのキリスト教の総
督附へ「日本征服などという行為はしない様に」という書
簡を送っている。
 そして、秀吉は、キリスト教の禁教令を出す。
 その様な時、この秀吉の令に従えば何も起きなかったの
に、一部のキリスト教宣教師と信者が無視して、罰せられ
た。
 これが26聖人、まったくキリスト教側の落ち度である。
 聖人などと称して・・誤解を一般の方々へ、キリスト教
は伝えている。
 その様な、破廉恥な行為は止めるように・・。
 ローマ法王が、十字軍は間違いでしたと謝罪のミサをし
た様に、キリスト教は訂正し、悔い改めよ、嘘付きキリス
ト教よ!
 また、踏絵もそうだ・・、
 江戸幕府は、キリスト教が言う様な酷(ひど)い事をし
ていた訳では無いのだ。
 キリスト教は、南米だけでも1000万人という言語に絶す
る大勢の人々を殺したが・・、
 日本の場合は、その数の200000分の1だ。
 遥(はるか)に、遥に・・僅(わず)かなのだ。
 それも、本人では無くても、家族・知人であっても、『
止めた』とさえ言えば・・すぐ幕府は許したのだ。
 キリスト教は、ひたすら悲惨に伝えようとするが、温厚
な日本人は、そんな卑劣な事はしないし・・出来ないのだ。
 逆に、キリスト教は、殉教をしろ、殉教しろと勧(すす)
めていたという「卑劣な行為をする宗教」と化していたで
はないか・・、
 だから、刑に服したいと子供連れで出頭して来たキリス
ト教徒も居たくらいな有り様だった。
 幕府は、「穏便に」「穏便に」と、したかったから、刑
場の柵の一部を開けて、逃げられる様にしていたくらいだ。
 温かい日本人の心情を学びなさい・・と、言いたい。
 天草四郎の戦いだって・・、
 キリスト教は、しきりにキリスト教徒が殉教したと言う
が、一方的な言い方で、偏(かたよ)っている言い方だ。
 まず、これは、キリスト教への圧迫・弾圧によって、キ
リスト教徒が立ち上がったという戦いだと、キリスト教が
言うのは嘘で・・デッチアゲ。
 これは、単なる百姓一揆だったのだ。
 その一揆に便乗しただけなのだ。
 死者数も、ひらすらキリスト教はオーバーに言い、キリ
スト教徒だけのことを言うが、幕府軍も同じような人数の
死者を出しているのだ。
 キリスト教徒だけオーバーに言うのは人々を欺(あざむ)
いている。欺く宗教=キリスト教。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
 URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2014年8月10日日曜日

放送大学は、まったく、キリスト教に偏する『放送法違反』放送をする、何度、言っても直さない。

 題:放送大学は、まったく、キリスト教に偏する『放送
   法違反』放送をする、何度、言っても直さない。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい) 
.
 以下は、放送大学への送信文です。文中で、放送大学の
返信を求めています。
 送信内容:
 放送大学は、『大学』という名を冠して、その名に隠れ
て、よくキリスト教の「巧妙なる伝道放送行為」をする。
 (資料ー1)は、2014・7・24に放送大学へ送信した抗
議の文であるが、そして、返事を戴きたいとしていたが、
2014・8・9の時点でまだ返事は戴いていない。
 また、本日(2014・8・9)も、pm8:45~pm9:30、講
座名:「芸術史と芸術理論」、講師:青山昌文氏も、まっ
たく、キリスト教の「巧妙なる伝放送行為」であった。特
定宗教のキリスト教に偏し、『放送法違反』の行為となっ
ていた。
 放送大学の番組案内では、一般的な「ゴシック美術」の
話としているが、また、「アリストテレスの哲学」の説明
とあるが、まったく関係ない形で、ただただ、キリスト教
の「巧妙なる伝道放送」となった。
 放送内容は、「キリスト教の美化」の話や、「キリスト
教の教義」の話ばかりであった。
 ユダヤ教のシナゴーグという礼拝所は駄目で、神が隠し
ているベールをはがして、キリスト教という新しい世界に
渡しているところです・・とか・・と、
 キリスト教のパウロが言う「律法は駄目だ」という話を
する。
 何処が標題の「芸術史と芸術理論」なのか?
 講座の名前は、芸術を大きく捉えた標題にしているが、
まったく関係ない、キリスト教の話ばかりである。
 放送大学は、キリスト教に関して、この様な「キリスト
教の巧妙なる伝道放送」は、数多くしているが、これ以外
の宗教に関して、この様なことはなく、まったく偏してい
ると言える。
 また、説明する言葉も、「素晴らしい教会」とかと美化
の言葉をふんだんに使う。
 マリアの生涯の話は長かった。こんなに詳しく話す必然
性はない。
 キリスト教の教義の話の中に、この講座は、どっぷり浸
(つか)かっている。映像もズーットキリスト教会の映像
ばかり。
 キリスト教の伝道放送と全く化している。
 キリスト教会の鐘を鳴らしたり、バラ窓の話、中央神道
部の話などなど・・、ズーッとキリスト教で、アリストテ
レス主義を話すと言ったって何にも話さない。
 キリスト教の伝道的な話だけ。
 「美しき神」の話、優しい顔だと美化する。それも何度
も言う。
 十二師の像の話、これは長かった、6つの美徳と6つの悪
徳の話、何処がアリストテレスだ?、何にも話さない。
 慈愛だ、自分のマントを与えたとかキリスト教の話ばか
り、金庫の貪欲の話、何処がアリストテレスだ?、
 12カ月のキリスト教の労働の話、芸術論など全くない、
 聖母マリアは神の母となったと美化、
 キリスト教の十字架を超アップで写し、何ら写す必然性
はない中で、
 ステンドグラスや迷路の教会内の話を長々とアリストテ
レスの話が無い中に美化の話だけが続く。
 放送大学のこの様なキリスト教に偏し、また、キリスト
教の宣教の話・伝道の話を、法律的に違反している放送は、
しっかりチェックされているのか?
 大学の講義の名前に隠れた、キリスト教の伝道放送であ
る。
 『華やかだ』、『素晴らしい』などの美化の言葉が連発
されている。
 ベリー公のいとも豪華な・・云々のなどなど、
 チェックは放送大学任せなのか?
 国民のチェックは入れないのか?
 公共の電波を使用して、伝搬力の強い行為をしているこ
の違反放送行為を・・取り締まれないのか?
 まったく、「ずるいやり方だ」が印象である。
 添付した(資料ー1)は、本ブログで、題:『キリスト教
のプロパガンダ(嘘宣伝)の片棒を担ぐ放送大学』で記載
したブログ文を添付した。
 ..
 (詳しくは、以下のブログへ)
 URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /