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2013年12月27日金曜日

第二の関税自主権の取り上げに・・、

 題:第二の関税自主権の取り上げに・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 日本は、TPPで・・、
 アメリカによる『2回目の、第二の関税自主権の取り上
げ』を受けている。
 『お互いの関税を自由化して、貿易を拡大しよう』とい
う言葉は、TPPを美しく見せ、そして、美しく言い過ぎ
ている。
 嘘なのである。
 民に誤認混同をさせている。
 結局、自由化という話ではなく、「関税の自由設定権を
取り上げて、0%にしなさい」を押しつけていることとな
っている。
 『自由な関税率の設定権を取り上げているのだ。何ら関
係ない美しい言葉を使って』。
 その様に、うまい言い回しで、さすが近代的言い方で、
 日本の関税自主権を取り上げて、貿易の『見た目の嘘の
自由化』を達成することで、『アメリカの雇用と生産』の
拡大をしたいとしている。
 (その実、また、アメリカにとって大切な自国の覇権も
確実化したい、得たいとしている)。
 結局、『アメリカの国益に沿う国になれ』という押し付
けである。
 貿易条件を、『アメリカ国内の隣の州と同様にせよ』と
言っている。
 その他の大勢の項目も、そして、種々の多くの項目も、
『すべてアメリカの国益に沿え』と言っている。
 日本の独立権を奪うような話が秘密会議で話されている。
 日本国民が怒るから公開できないのだ。
 江戸時代末期、日米修好通商条約を始め、各国との同様
な条約によって、この時代も、日本は関税の自主権を失っ
た。色々苦労をした。が、その後、日本は、日本国民は、
尊い血を流すことによって、関税の自主権を取り戻して行
った。そこまでしないと駄目な問題なのだ。
 今、同じ欲が働いているのだ。
 このたび以降も、やはり、同じ道を通らねばならないと
の『覚悟』が必要な様だ。
 この問題は、生きる基本のところに存する古くからある
問題で、今、その再発なのだ。
 『日本国は、国を、また開きます』というフレーズの言
葉が、TPPを『推進したい方たち』によって、意識的に
流されているが、これは、プロパガンダ(嘘宣伝)です。
 マインド・コントロールです。
 本ブログで、以前に、書かせていただきましたが、
 日本は、アメリカより国を開いております。
 と言うより、『日本は、世界で一番、開かれた国の1つに
なっております』。
 日本は、工業製品の関税が、ほぼゼロであることに対し、
アメリカは、日本に敬意を表して頭を下げるべきです。
 アメリカはそうではありません。
 農業国・アメリカは、トウモロコシで、メキシコのトウ
モロコシ農民をやっつけた様に、
 大きな補助金の援助で支えられた、アメリカのトウモロ
コシ農民に、駆逐されたメキシコの農民のように、
 日本への農作物売り込みがしたいのでしょう。
 しかし、日本の穀物自給率は最低です。
 アメリカの150パーセントに対して、日本は何とわずか
28パーセントです。
 ですから、アメリカは日本に売り込みたいとも言えるの
でしょうが、
 でも、日本は、農作物でも、必死に、国を開いているか
ら28パーセントなのだとも言えるのです。これが正解です。
 日本の主食の自給率は最低なのです。
 でもでも、アメリカは、カリフォルニア米を売り込みた
いと言う。
 しかし、これ以上、日本の安全保障上にある重要ポイン
トの米を駆逐してまでしたいと、アメリカは言うのでしょ
うか?
 また、日本政府も、日本国民に責任がとれない事態に追
い込む、その様な事態を容認するのでしょうか?
 食糧自給率向上の政策を放棄するのでしょうか?
 世界有数の食糧を自給できない国で良いのでしょうか?
 良いわけがありません。
 どこのレストランに入っても、皆様は楽しく食事をなさ
っていますが、
 幸せを享受されていますが?
 金に例えれば・・、
 貯金のない『自転車操業的ヤリクリ』なのです。と言え
ば言い過ぎでしょうか?
 言い過ぎではありません。
 実態が最悪なのです。
 今は、日本の輸送船が、食糧を運んで来てくれるから良
いのですが・・。
 また、日本に供給してくれるところがあるから良いので
すが・・。
 尖閣諸島問題も、『将来の資源枯渇』が見えたから、特
に浮上した問題です。
 天然資源に限らず、世界の人類の資源の安定的供給の問
題があるのです。
 メキシコのトウモロコシ農家の壊滅の様に、
 日本の食糧生産者を壊滅されてよいのでしょうか?
 小麦9%、大麦8%、大豆6%、
 これは日本の自給率です。
 すでに、この穀物の日本の生産者は駆逐されているので
す。
 昔は、せっせせっせと『冬の麦踏み』をしていました。
 『麦踏み』と言っても知らない方が多いでしょう、
 生産者の方々の姿が見られたものです。
 その姿が今は、
 上記の、そのすべてが、アメリカに駆逐された穀物なの
です。
 よく言えば、売ってくれているです。
 その多くがアメリカから輸入されています。
 国民の命をつなぐ食糧まで、メキシコの様に崩壊させて
はならない。
 そのため、国民の命のため、高い関税をかけるのは『正
義』です。
 命の安全保障上の正義です。当り前なのです。
 アメリカに、日本の代わりは、ぎりぎりのところで、で
きないのです。
 日本の国民を、『日本が守って当然』なのです。
 最後まで誠実にそれを行うのが正義なのです。
 当然、聖域とか何とか形容されますが、その通りです。
 排他性を持つ、当然です。
 日本がここでも専守防衛をする、これは当然なのです。
 その専守防衛すべき領域は食糧も含め多くの領域がある
のです。
 リスクは回避しなければならない、当然です。
 リスク低減していかねばならないのです。
 大地震の時だけの、いざという時の備えだけではありま
せん。
 国の規模でやるべきことは色々あるのです。
 お寒い状態を看過して、キリギリスの様にバイオリンを
弾いて居てはいけません。
 今、ウナギ資源が枯渇し、高級魚となり、
 マグロが食べられるのは我々の世代だけなどと言われて、
 かつてはニシンで賑(にぎ)わった北海道、ニシン御殿
も朽ちてきていますが・・。
 『ニシンが来たぞー』は、今、『TPPの第二の黒船が
来たぞー』になっています。
 アメリカのニクソン大統領は、大豆が不作となったら、
『やはり、自国民が大事だ』と日本を見殺しにしました。
 輸出を止めました。
 アメリカが、石油を止めた時は、第二次世界大戦となり
ました。
 豆腐が食えないぐらいは我慢が出来ますが・・。
 でも、日本はその時、それだけで『パニックになりまし
た』。
 『アメリカ国民は飢えさせられない』の言葉がアメリカ
から聞こえてきました。
 日本国民よ、ごめんなさいだった。
 第二次大戦の様な、多くの方々が亡くなるようなことは、
無かったが・・。
 2011年のエジプトの『ジャスミン革命』の大混乱も、
 ロシアが旱魃(かんばつ)だと、小麦を、自国民優先と
して、全面的に輸出停止したのが原因の暴動。
 ムバラク政権は、その暴動・騒乱によって倒された。
 食糧が手に入らないは、当然、その様な問題。
 手に入るか入らないかの問題は、その様な重要な安全保
障上の問題。
 関税はその手段として必要なのだ。
 日本は、リスクが大き過ぎる国なのだ。
 それにしても、アメリカには『条約に優先する国内法』
という手があると聞く、都合が悪ければ何とでもするとい
う国。条約を批准しないのだ。京都会議の結果は宙に浮い
ているまま。
 アンフェアな話だ。国だ。
(YouTube・ユーチューブの西部邁ゼミナールで、TPP
に関するところも比較しながらご覧ください)。
.
 (追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教系
組織に寄金するより『 国境なき医師団 』へ寄付してくだ
さい。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団日本・・へ。
 また、税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く、人々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新聞
・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使用
し過ぎています。反省してください。 
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=v0OE1OsgjKU

キリスト教は武力の絶対否定をしない宗教。

 題:キリスト教は武力の絶対否定をしない宗教。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、砂漠の地で出来あがって行く、
 その地で、色々な変遷の中で、性格が形成されて行く、
 その砂漠の地は、生きる糧を得るための戦争、糧を求め
る戦争が日常茶飯だった。
 キリスト教の神は、戦勝を祈る神だった。
 それ故、そのDNA・先祖から子孫へ連綿と伝わるものに、
その血が残り、受け継がれている。
 それ故に、戦争が大好き宗教とも言えてしまうキリスト
教となっている。
 しかし、そのキリスト教にある「正当戦争理論」は間違
っている。
 これは、正さねばならないのである。
 それは正当防衛理論でもって、正当の様に言っているが、
実態は自分たちさえよければ良いとの考え方で、(キリス
ト教の)神の義があるから良いのだとしている。
 キリスト教は、武力の絶対否定はしない。
 そして、結局は武力行使を行ない、武力によって私利私
欲を満たす行為となり、する。
 そして、その様なキリスト教の姿がよく見えるのが、日
本の中世のキリスト教の姿である。
 日本の戦国時代のキリシタン宣教師たちは、本国の海外
征服事業の、植民政策の尖兵として悪行を働き、本国から
は武器や軍資金を受けた。
 その規模も、次第に巨大となって行った。
 布教の名の下に、国家間戦争を仕掛けるという『戦争仕
掛け人』ともなった。
 また故に、そのキリスト教組織は、戦争仕掛け組織とな
り下がった。
 キリスト教宣教師たちは、大砲を備えた船を作らせ、
 また、大砲も購入し、
 弾薬及び食糧・資産や衣服、生活に必要な諸物資も備蓄
したりした。軍事家そのものだった
 宣教師の記述「火縄銃や弾薬、その他の武器で有馬の要
塞の工事を行ない、有馬にはいくつかの砲門があった」。
 これは長崎を軍事拠点にしている事を表している(キリ
スト教宣教師たちの軍事要塞づくり)。
 キリスト教組織は、これ等の行為を「軍事的自立だとし
て是認した」。
 在地の政治権力に取り入って、また、本国権力にも取り
入った。
 そして、武力で日本を牛耳(ぎゅうじ)ろうとしていた。
 何でも自分たちに都合よく解釈し、自分たちさえ良けれ
ば良いと、何でもやった。
 キリスト教という宗教性を如実に表していた。
.
 (追記)
 寄金をするなら、
 キリスト教の『伝道費用』に多くの費用が消えるキリス
ト教系組織に寄金するより『 国境なき医師団 』へ寄付
してください。ノーベル平和賞も貰っています。
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。
 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団
日本・・へ。
 また、税優遇措置の対象となります。
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教
団体は反省してください。
 一粒でも食糧を多く、人々の善意を大切にして下さい。
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新
聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使
用し過ぎています。反省してください。 
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=v0OE1OsgjKU

2013年12月26日木曜日

(追記)

 (追記)
 
 寄金をするなら、
 
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教系組織に寄金するより『 国境なき医師団 』へ寄付してください。
 ノーベル平和賞も貰っています。
 
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団日本・・へ。
 
 また、税優遇措置の対象となります。
 
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教団体は反省してください。
 
 一粒でも食糧を多く、人々の善意を大切にして下さい。
 
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使用し過ぎています。反省してください。

2013年12月24日火曜日

この世の中は、奇跡的とも言うべき絶妙なバランスの上に成り立っている

 題:この世の中は、奇跡的とも言うべき絶妙なバランスの上に成り立っている
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 標題の言葉は、東京大学教授の書評を読んで知ったのだ
が、『この世の中は、奇跡的とも言うべき絶妙なバランス
の上に成り立っている』・・という。
 それは、神が介在するという話ではない。
 本:『人類が絶滅する6つのシナリオ』の書評の中で、
 須藤靖氏(宇宙物理学者、東京大学教授)が(読売新聞
2013・12・8)の中で言っておられる言葉だ。
 氏の話は、『その絶妙なバランスは、現在の科学や、技
術社会の中にあり、
 また、現在の科学・技術社会は、そのバランスを前提と
している』という。
 しかも、これから将来、その方向性は、より「脆弱(ぜ
いじゃく)」な方向、脆弱性をさらに高める方向に働く事
になっていくという。
 起こる可能性の高まりの中にあるという。
 標題の本は、6つの人類絶滅の危機に遭遇(そうぐう)
するシナリオを提示しているが、
 その1つが「コンピュータウイルスによる攻撃」だとい
う。
 社会のインフラ基盤を制御しているコンピュータを乗っ
取る『サイバー攻撃』の脅威が、すぐそこまで迫(せま)
っているという。
 もう、起こりうる世界なのだという。
 須藤教授もこのことに一番びっくりなされたという。
 「もっとも衝撃的であった」と言われている。
 そして、2010年のイランで、実際に、起きたことを言わ
れている。
 それは、2010年、イランの核施設に侵入したコンピュー
タウイルス。
 このウイルスは、イランのウラン濃縮計画を、数年間停
滞させるほどの悪影響を与えたという。
 その様な、強烈なコンピュータウイルスだったという。
 このコンピュータウイルスには、「スタックスネット」
という名前が付けられたという。
 そして、コンピュータウイルス史上の傑作と言われてい
るという。
 このウイルスは、極めて高度な知識と、優れた技術を持
つ少数の優秀な頭脳が、人間が、組織的に行ったという事
は、確かな様だ。
 そして、これを誰が、したのか、
 また、何のために開発したのかなど、
 未(いま)だに、明らかになっていないという。
 つまり、決して絵空事ではないということ。
 絶妙なバランスの上に成立している現代社会。
 どこか一部分がわずかにずれただけでも、
 取り返しのつかない破壊的な事が、引き起こされるとい
う中に居る。
 この回避は、人類絶滅の回避は、教授はおっしゃる、ひ
とえに科学・技術の更なる進展だけにあるのではなく、
 加えて私たち・人々が(精神的向上)良識にかかってい
る・・と。
 そして、教授は、最後に、おっしゃっている、「我々人
類に、1万年後、いや1千年後の未来はやって来るのだろ
うか」・・と。
 因(ちな)みに、この本であげている、人類絶滅の危機
は、
 ①、致死的ウイルスの蔓延(まんえん)。
 ②、地球史で繰り返された大量絶滅。
 ③、突然起こる急激な気候大変動。
 ④、地球規模の食料危機。
 ⑤、バイオテロ。
 ⑥、コンピュータウイルスによる攻撃、以上である。
 そして、これ等は、よくある不安をあおって儲(もう)
けようという、週刊誌やテレビ番組の類いのものではなく、
綿密な取材と調査に裏打ちされた、信頼あるものと、教授
はおっしゃっている。
..
 
 (追記)

 寄金をするなら、

 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教系

組織に寄金するより『 国境なき医師団 』へ寄付してくだ

さい。ノーベル平和賞も貰っています。

 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。

 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。

 郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団日本・・へ。

 また、税優遇措置の対象となります。

 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教

団体は反省してください。

 一粒でも食糧を多く、人々の善意を大切にして下さい。

 また、宣教師派遣も多すぎます。

 教会建設には『絶対』使用しないでください。

 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新聞

・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使用

し過ぎています。反省してください。 
.
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=v0OE1OsgjKU

2013年12月20日金曜日

「神を畏れよ」と・・言うが・・、

 題:「神を畏れよ」と・・言うが・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教聖書の(「創世記」22・1~2,6・12,16・
18)に、
 聖書の系図の最初の人・アブラハムが、
 (あきらかに、『人祖』でないのに、『人祖』と呼ばれ
ている人が)
 一人息子のイサクを、神の命令で、死に至る供犠(くぎ)
として捧(ささ)げる行為をする。
 何も知らない幼い子のイサクは、父にたずねる。
 『お父さん、儀式のための「火」と「たきぎ」はありま
すが、子羊はどこにありますか』・・と。
 幼い子は何かを感じ、心配をして聞いたのだろう。可哀
想に。
 父は「神が子羊を備えて下さるであろう」と、幼い我が
息子に、嘘を言う。
 そして、到着し、祭壇をつくり、たきぎを並べた。
 そして、息子イサクをそのたきぎの上にのせる。
 そして、刃物で息子を殺そうとする。
 その時、神のストップがかかる。
 そして、神は言う、「息子に手を掛けるな、あなたのひ
とり子を、私のために惜しまないで、あなたが神を怖れる
者である事を私は今知った」と。
 アブラハムは神を畏れてこの行為をしたのだった。
 キリスト教には「神を畏れよ」という教義がある。
 この教義で、キリスト教は、あまたの人々を、何と多く
の人々を殺したというのか。
 中世のキリスト教聖職者は、ただ、キリスト教の権威が
欲しいと、また、権威を示したいと、民を殺した。
 何だかんだと言って・・。
 そして、民に、神を畏れさそうとして、無益な殺人を数
多くした。まったく卑劣な、軽蔑すべき、馬鹿なキリスト
教である。
 そしてまた、神は、アブラハムへ言った、「あなたのひ
とり子をも惜しまなかったので、私はあなたを祝福する」
と。まったく低劣である。キリスト教は、今・現代でも、
この聖書を読んでいる。
 また、神の思考回路は、まったくの御利益である。
 そして又、神は言う、「あなたは子孫が増やせる」と。
 当時の人々が望んでいたことである。キリスト教の「あ
りがたやで神は釣る」。
 そしてまた、アブラハムに言う「あなたの子孫は敵を打
ち破る事が出来る」・・と。
 このキリスト教の話を聞いた、当時の民は、動物以上の
供犠を、一生懸命供犠としてささげ、命を落とした子供た
ちが多かったでだろう。
 間違った、恐ろしい、刷り込みをするキリスト教である。
 事実、今・現代、発掘によって、エルサレムの西30キロ
メートルのところで発見された遺跡の発掘によって、
 この地も、キリスト教が、異教から盗作し、真似(まね)
ただけの「聖書で高き所で聖なる所なのだ」と称する所の
儀式跡が発見された。
 そこには、悲惨な状況があった。石が血塗られ、誰かの
血が注がれ、そして、幼い子供の多くの骨が発見された。
 子供の血が注がれたのだろう。すべて子供に転嫁(てん
か)した姿だった。大人が、それも聖職者が、勝手に作っ
たことで、可哀想に。
 そして、まだ、キリスト教の神は御利益を刷り込む、
「あなたが私の言葉を聞いて(実行したから)祝福を受け
るであろう」・・と。
 何しろ最初、これは、キリスト教の神が、アブラハムを
疑った事から、まず、スタートしているのではないか・・
と神を糾弾したい。
 キリスト教の神は、本当に疑(うたぐ)り深い。性格が
良くない。可愛い子を殺すような事までさせる。
 キリスト教の神は、ここまでさせておいて「分かった」
「今知った」ではないだろう。
 キリスト教の聖職者は、これを、美談だと言う。人々の
心を打つと言う。本当に恐ろしい話だ。この様な心を端緒
にして、十字軍などの多くのキリスト教の悲劇が、殺戮行
為が、始まった。
 そして最後に、イエスが十字架で亡くなった話しに持っ
ていく、繋(つな)げて行く。
 イエスの刑死は悲劇だった。もっと生きて、イエスが
したかった事をさせたかった。人類の損失だった。
 イエスが生きていれば、パウロの様な、今のキリスト教
は生まれなかったであろう。
 その後に、キリスト教が殺した、数の多い人々も生まれ
なかったであろう。
 イエスは「神よ、何故、お見捨てになったのですか」と
言って亡くなった。やりたい事が、一杯、有ったのであろ
う。どんなにか、刑死に遭う事が残念だったかである。
 何しろ、アブラハムは、キリスト教の神が、息子の命を
供犠にしろと言った時、まず、「私を供犠にして下さい」
と言うべきだった。
 息子を、自分がなるべき供犠の役を、息子にやらせて殺
そうとするのは、神の命令とはいえ、親としての役が、行
動が、まったくなって無い、皆無だ。失格だ。
 この時点で、すでに、この話は成立していない。
 何しろ、キリスト教の聖書の話は、単純で、偏向的で、
勝手に美談に造りあげて行く、そして、洗脳的にふるまう。
 そして、皆で拍手している。
 キリスト教の神は、ここだけでは無く、あちこちで、こ
こにある様な性格で振る舞っている。
 リチャード・ドーキンスが言う、
 「旧約聖書の神は、おそらくまちがいなく、あらゆるフ
ィクションのなかでもっとも不愉快な登場人物である。
 不当で、容赦のない支配魔。
 執念深く、血に飢え、民族浄化を行った人間。
 人種差別主義者。
 大虐殺者、悪疫引き起こし、気まぐれな悪さをするいじ
めっ子、・・
 子供の時から彼のやり口を教え込まれた者は、その恐ろ
しさに鈍感になってしまう」・・と。
 リチャード・ドーキンスの言葉は正義だ。
(注) フィクション : 作り事。虚構。想像力によっ
て作り上げられた架空のはなし。
 また、アメリカでの話であるが、
 イエスの水の上を歩く話しが頭に刷り込まれた子供が、
 自分も出来ると思って水にはまって死にそうになった。
 幸い助かったが、荒唐無稽の話を、キリスト教の話を、
 子供にし、刷り込むのは毒である。害毒そのものである。
 奇跡・奇跡と言い、あり得ないことをあった様に言い、
驚ろかしてばかりいる宗教。
..
  (追記)
 
 寄金をするなら、
 
 キリスト教の伝道費用に多くの費用が消えるキリスト教系組織に寄金するより『 国境なき医師団 』へ寄付してください。
 ノーベル平和賞も貰っています。
 
 キリスト教団体は宣教に多くの費用が消えます。
 
 『命を救うのに、理由なんていらない。国境なき医師団』。郵便局口座名義:特定非営利活動法人 国境なき医師団日本・・へ。
 
 また、税優遇措置の対象となります。
 
 また、食糧が欲しい子供たちに十字架を配るキリスト教団体は反省してください。
 
 一粒でも食糧を多く、人々の善意を大切にして下さい。
 
 また、宣教師派遣も多すぎます。
 
 教会建設には『絶対』使用しないでください。
 
 また、あなたたちキリスト教系の方たちは、テレビ・新聞・雑誌など、あらゆる所で宣伝し、多額の宣伝費用を使用し過ぎています。反省してください。
  (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=v0OE1OsgjKU

2013年12月19日木曜日

「へブル人」は、渡って来たものの意・・、

 題:「へブル人」は、渡って来たものの意・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の民は、メソポタミアの地「ウル」という町
を出立したという、
 ここから、話は始まる。
 歴史を見ると、紀元前2000年頃から紀元前1500年頃に
「アラム移住団」と呼ばれる民族の移動が、
 メソポタミアの地から地中海方面へ向けて、
 何度か、行われた事が分かっている。
 これは1つの史実であるが、
 キリスト教のカナンの民が、この史実の動きだったとは、
即座に、断定する事は出来ない。
 何しろ、この時代の人々は、生きるために、あちこちに、
移住と言うか、移動をしている。
 また、キリスト教の聖書は、『最初に』、メソポタミア
の「ウル」の町から・・とは言うが、
 「ウル」に定住していたかは不明。
 移動する要件は色々ある。
 やはり、この頃、紀元前19世紀頃に、北方の蛮族が、メ
ソポタミアの地を脅(おびや)かし、圧迫している。
 これが、キリスト教聖書の人々の移住の原因だったかも
しれない。
 この蛮族の圧力は、強烈だったと言える。
 紀元前1720年~1550年頃には、エジプトまで影響を与
えている。
 そして、エジプトまで支配をしている。
 キリスト教の聖書の最初の民のアブラハムは、
 この様な頃に、紀元前1800年頃に、パレスチナの方面
へ向かったと考えられている。
 ただし、出立後は、チグリス・ユーフラテス川の上流の
方向へ向かったと考えられる。
 そして、彼らがメソポタミア「ウル」に定住して居たの
かは不明であるが、(キリスト教は定住していたと言いた
いらしい)が、この時代、人々は生を求め、移住し、移動
しているから、メソポタミアの前の地もあっただろう。
 また、当時良くある、北方からの民族の南下して来る民
との軋轢(あつれき)もあり、移動・移住もし、また、当
時良くある、その民族との混血もあっただろう。
 聖書では、この時代を「族長時代」と言っている。
 キリスト教聖書の「創世記」の第11章以降の部分だ。
 この聖書の、ユダヤ人の祖先とされているアブラハム、
イサク、ヤコブ、ヨセフなどは、遊牧の民の族長と言われ
ている。
 遊牧であるから、本来的に、あちこち移動はしていた。
 また、遊牧の民は、小さな部族の単位だった。
 その様な族が、あちこちに居るという社会だった。
 キリスト教は、『人祖』・アブラハムと言っているが・。
 そして、この様な状況は、今、現在でも、シリアやアラ
ビアの砂漠の地に、昔ながらに、セム系遊牧民が、この様
な生活をし、暮らしている。
 この古代の族長たちの宗教は、キリスト教の『キの字』
も無い。
 また、キリスト教の前のユダヤ教の匂いも無い。
 その様な人々が、遠い存在の族が、あちこちに、存在す
るのだった。
 その様に、キリスト教とは何にも関係は無いが、聖書に
は、さも、あった様に、名前が書きつらねられている。
 はっきり言えば、キリスト教が忌み嫌う異教徒だった。
 キリスト教の教義からすれば、排斥すべき対象の族だっ
た。
 キリスト教の神も、何もかも、形も無い世界だった。
 有るのは、異教のものと異教の神だけ・・。
 彼らは、ただ、そこらにある頼(たよ)るべき物、木、
泉、井戸、川、岩、石、山などを信仰していた。
 また、「家族の結束のための神・テラピム」や、「命を
失う危険な動物の蛇のタセラピム」や、「彼らの生きる命
の綱の牧畜の神・アザゼル」や、「彼らの心を慰める月の
神」や、「エルの神(エルは、ただ、神の意)」だった。
 旧約聖書に出て来る「エル・ロイ」は、キリスト教の神
と何ら関係の無い、また、異教の神となる「泉の神」の事
を言っている。
 また、同じく聖書に出て来る「ぺテル」は地名のぺテル、
 「ぺト・エル」は「エル(神)の家」の意味。
 ここを美しく、キリスト教は無理に、関係づけ様として
いるが、無理に考える事はよした方が良い。理性を無理に
抑え殺し、盲信する事は止めた方が良い。
 今後も、キリスト教は変わって行く。キリスト教は、絶
対のものでは無い。その事は歴史を見れば分かる。
 いつの時代も、その状況の中で、コロコロと変わってい
る。絶対のものでは無い宗教だ。
 因みに、聖書に最初に書かれている人・アブラハムは、
「ベブル人」を意味し、ベブル人は「渡って来たもの」と
いう意味だ。
 そして、供犠(くぎ)を捧(ささ)げる野蛮な信仰の下
に居た。
 スケープ・ゴートの名の様に、ゴートであるヤギ・羊の
類いを、一般的に動物を生け贄(いけにえ)として捧げら
れる宗教儀式。
 幸を求めて、より過激な供犠を捧げることを求めるより
野蛮な宗教性への道をたどるものがある。キリスト教はそ
の様な形の中にある。愛する我が息子を供犠とする話もキ
リスト教聖書に出て来る。一生懸命、美しく語るが、常識
というものがない。その話を美化し、湧(わい)いている。
 キリスト教聖職者は、それを、何ら関係無い様に語ると
ころと、がまた、聖職者によっては、軽蔑してさえ言う時
がある。人身を供犠として美化して語るはるか彼方(かな
た)の昔のセンス。その様な聖職者もいる。注意をしたい
所だ。
 キリスト教聖職者はその場で美しく語る人。口まかせ、
出まかせと言っては可哀想だが、その様な宗教。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://www.youtube.com/watch?v=v0OE1OsgjKU

2013年12月18日水曜日

NHKの給料、高すぎます。高給すぎます。4人分以上です。

国民の皆様へ
 また、世界の皆様へ
 以下の文を、国内の各所へ送信致しましたので公表いたし
ます。
......送信文...................................................
題:NHKの給料、高すぎます。高給すぎます。4人分以上
です。
.
拝 啓、
 御公務、ありがとうございます。
 NHKは、非常に高い給料となっております。
 一般国民の常識から外れ過ぎております。
 下記はTwitterへ投稿させて戴いた文です。
 是非、一般国民も納得する公正な給料体系にして戴けない
でしょうか。
 宜しく、お願い申し上げます。    敬 具
参考URL: http://www.youtube.com/watch?v=v0OE1OsgjKU
ー( 投稿文 )ー
 NHKの給与は、びっくりするくらい高給です。
 何と! 平均給与が1900万円です。
 高い給料をもらっている人たちの平均給与ではなく、N
HKの全体の平均がこんなに高い給料なのです。
 普通の会社員の4人分以上です。
 桁が違いすぎます。
 まず、初めに、半分以下にダウンしても何ら問題はありま
せん。
 それでも2人分以上なのですから。
 そして、委員会から『2割は下げなさい』と指導された
受信料も、何だかんだとゴネテ、7パーセントしか下げま
せんでした。
 あと13パーセントの受信料の値下げは最低限しなさい。
 15000円以上の受信料は高すぎます。
 所得の低い人には低価格受信料にすることもできますは
「逃げ口上」です。
 7000円に、まず、しなさい。
 局員数も多すぎます。 
.
 (追伸)
 珍しくNHKからすぐに返事が来ました。
 結局のところ、NHKが言いたかったところは、
 この様な組織の協議で決まっております。決定事項なの
です。
 そして、その決定事項は以下です
          ・・との返事でした。
.
 小生が申し上げていることは、『それが、結局だめなの
です』と申し上げたわけなのですが、指摘したわけなので
すが・・。
 いつも、NHKはこの様な返事の仕方をします。
 申し訳ないのですが、問い掛けに誠実に答えていないの
です。
 返答を意識的だと思いますが、外すのです。
 答えになって無い返事で答えたという形をとるのです。
 申し訳ありませんが、ピントのずれた返答です。
 そして、全ての問いに答えていません。
 自分の答えたいところだけの返事。
 自分の都合のよいところだけの返信でした。
 都合の悪いところは、口を相変わらず噤(つぐ)んでい
ます。
 これで公的に、また、組織的に、また、上司に、返事を
したとしているのでしょうか?
.
 (参考)つぐ・む【噤む/鉗む】 [動マ五(四)]《古
くは「つくむ」》口を閉じる。ものを言わない。黙る。

キリスト教聖職者が、一番、結局、庶民を泣かせた・・、

 題:キリスト教聖職者が、一番、結局、庶民を泣かせた・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 日本のおとぎ話も・・、
 キリスト教聖職者のアウグスチヌスの様に、解釈し、美
化すれば、1つの宗教が出来あがる・・と言える。
 アウグスチヌスという人は、今までのキリスト教の話を
神の恩寵などを利用し、美化し、ありがたく仕上げていっ
た。
 例えば、日本のおとぎ話の桃太郎の話で(1)「おじい
さんは、神の啓示があったから、おばあさんに川に洗濯に
行くように言った」・・としたり、
 そして、神の恩寵があったから、信仰心のあるおじいさ
んとおばあさんに、川上から大きな桃がドンブラコと流れ
て来ました・・という様に話を進める・・
 そしてまた、(2)アウグスチヌスは、神の権威を高め
ることをした。
 例えば、おじいさんの啓示は、天が光り輝き、まぶしく
光る「光の中」から声だけが、神の声だけが聞こえました
・・と。
(3)そしてまた、おじいさんは、力が必要な仕事、山へ
のしば刈りの仕事を引き受けるのでした。優しい神の愛の
教えが備わっていました・・とかと、
 また、(4)神の恩寵の御蔭で、おじいさんとおばあさ
んに、かわいい男の子ができました・・と続いて行く、
 このほど作用に、アウグスチヌスは、キリスト教の話を
美化し、脚色した。
 つまり、アウグスチヌス(354年~430年)は、キリス
ト教聖書全体を神の救いの思想にまとめあげた。
 アダムの一件も、人祖アダムが、『原罪を背負う』とい
うことにし、神の刑罰を定めた。
 神ではなく、アウグスチヌスという人間がその様に考え、
信仰心が湧く様に仕掛けた・・ということ、
 そして、神は、特別な憐れみで恩寵を賜り、キリスト教
を信じるものを救うとした。
 (ただし、キリスト教はこのところから、キリスト教を
信じる者だけを、特に異常に意識したため、以外の人たち
に対し、異端意識が強く出る。そして、「異教徒は殺せ」
の教義の如く、他宗教徒は殺せとなる。異端や異民族など
を極端に嫌い、排斥するキリスト教が生じて行った)。
 そして、アウグスチヌスは、これ等の事が、キリスト教
会を通じて達成されるとした。
 教会への権威付けである。
 教会は喜び、アウグスチヌスを『聖』とした。
 キリスト教会に力を持たせたことにより、この後、悲惨
な歴史が待っていた。その原因が『ここ』にあった。
 キリスト教会が、これから、考えられないくらいに悪の
横暴にふるまって行く。
 キリスト教会内に『異端審問所』ができ、多くの人を殺
し、また、魔女の『キリスト教裁判所』ができ、人々を殺
しまくった。ヨーロッパのある村は、魔女を焼く煙で曇り
の日の様な状態だったと伝えている。ユダヤ人虐殺など、
まだまだ色々な悪行為をしている。その悪行為の手先が教
会の聖職者たちだった。
 アウグスチヌスは、この様な「神の国思想」を創り上げ
た。
 彼のこの思想は、キリスト教の思想の規準とされた。
 キリスト教は、この彼が作った思想に、あたかも、ここ
に立つ瀬があるとしがみついて行った。
 この様に、アウグスチヌスは、キリスト教文化の支柱を
作ったとあがめられ、「聖」を付けて呼称された。
 この彼の、アウグスチヌスの聖書解釈方は、これ以前に
あった霊や比喩による方法より、過去を引きずって居り、
客観性に乏しいとかの批判がある。また、多分に思いつき
的だとの批判もある。
 彼は、教会の教義に適合させて解釈しようとして、かな
り無理なこじつけやデッチアゲ的な事もした。
 あまりにも教会の立場に立つ形で、教会サイドで解釈を
する人だった。教会は大いに喜んだ。
 これらのことは、16世紀のルネッサンスの時になって、
やっと批判が、ある形となって、日の目を見る事ができた。
 教会の権威が薄められる動き・反動が現れた。
 教会の権威の否定である。
 いずれにしても、キリスト教の枠内なので、人々は救わ
れないのだが、この動きを潰そうと、ヨーロッパでは、キ
リスト教同士の大戦争が勃発した。
 ヨーロッパの方々の3分の1の方が亡くなるという悲惨な
ものだった。
 キリスト教の劣悪な教義ゆえに「起きた戦争」、キリス
ト教の劣悪な教義ゆえに「止められなかった戦争」、
 死ぬのは、何時も、庶民だった。
 それでも、キリスト教は劣悪教義に悶(もだ)えるのだ
った。
 「神の国による救いは、地上でこそ実現すべきではない
のか?」・・と、等。
 イエスの人格にもっと注目すべきだ。パウロの『イエス
の人格無視路線』への批判である。
 イエスはキリストだ。イエスの教えと人格をもっとまと
もに捉え、このイエスの教えと人格から救いがおよぶとし
なければならない・・と。キリスト教はこの救済路線に変
えろ・・と。19世紀になって、やっとこの声が出てきた。
 「リッチュル(1822年~1889年)」という男だった。
 キリスト教は愛の宗教だなどとの宣伝はでっちあげだ、
プロパガンダだ。
 結局、自分の事しか考えない歴史を経過してきた。
 権威が欲しい、そして、魔女殺しの目的はお金だった。
 組織も大きくなっていくと先立つものはお金だった。
 それを得る手段として卑劣な事をしでかした・・など。
..
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2013年12月17日火曜日

周囲の状況から得ただけのもの・・、

 題:周囲の状況から得ただけのもの・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の「バベルの党」の話。
 この話も、キリスト教のオリジナルの話では無い。
 借りものである。
 この地方にあった話を、ユダヤ的に改変させたもの。
 そして、昔、バビロニア地方に「ジグラット」と呼ばれ
る大きな塔がいくつも建っていた。
 東の地・インドのストゥーパ(塔)の影響を受けたもの
と考えられる。
 この地方で、古代都市国家を作ったシュメール人が、山
地の民だったから、その習慣から神を拝む「高い所」が作
られたとも言われている。
 いずれにしろ、この辺りの民族は生きるために頻繁(ひ
んぱん)に行き来していた。
 平和的な移動のみでも無かったであろう。
 (イスラム教は、インドを通って、遠く東南アジアまで
伝搬している)。
 キリスト教が言う「一神教の壁」などという話しは無い。
 何しろ、この時代、この辺りは、皆、多神教であった。
 キリスト教の「嘘の一神教の壁」という論理は成立しな
いし、まったく無い。
 よくこの様なプロパガンダ(嘘宣伝)をするものと思う。
 シュメール人も、この「ジグラット・高塔」を作った。
 英国人探検家のウーリーによって掘り出された大ジグラ
ットは、紀元前2000年頃のものだという。
 ピラミッド型で、7層になっており、7色に着色されてい
る。
 そして、各層ごとに、別な神が祀られる多神教だと言う。
 これ等のことが、聖書の話「バベルの塔」に反映してい
る。
 紀元前600年頃の、ネブカデネザル2世の碑文によれば、
塔の高さは98メートル、地階の広さ91平方メートル(10
メートル角ぐらい)だったという。
 この様な事から、「バベルの塔」の話は出来た。
 このシュメール人が、元は山地に住んで居た民族ゆえに
出来た「高所に神を拝む所を作るという習慣」が、西へ伝
わり、カナンのキリスト教聖書の舞台の地・パレスチナの
地でも、この様な行為が行われるようになっていく。
 カナンの人々の土着宗教の神聖な場所が「高き所(パー
マー)」と呼ばれ、旧約聖書にも、何度となく出て来る。
.
 (参考)シュメール(アッカド語: Šumeru; シュメール
語: 𒆠𒂗𒂠[1] - ki-en-ĝir15)は、メソポタミア(現在の
イラク・クウェート)南部を占めるバビロニアの南半分の
地域、またはそこに興った最古である都市文明。初期のメ
ソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間
に栄えた。シュメールの言語、文化、また、おそらくは外
見も周囲のセム系の民族とは異なっていた。しかしシュメ
ールの男子像を見る限り、大きく彫りの深い目、高い鼻、
巻き毛で髭が多いなどセム系と変わりないような容貌した
像もあり、民族系統は未だ謎である。シュメール人は広範
に征服民か移住民であると信じられている。しかしそのよ
うな移住がいつ行われたのか、またシュメール人の地理的
な起源がどこなのかを正確に決定することは難しい。
                 (wikipediaより)
..
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2013年12月15日日曜日

キリスト教の聖書の書き変え、書き加えが多い理由

 題:キリスト教の聖書の書き変え、書き加えが多い理由
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 「初めに神は天と地とを創造された」・・、
 キリスト教の「創世記」の一説であるが、
 この創世記第1章は、紀元前500年頃に書かれた。
 キリスト教は、キリスト教の聖書は
 『神が啓示し、人間が書いた』・・と、オカシイ所を
繕(つくろ)った説明で聖書記述を説いた。
 宇宙の創造、世界の創造を、キリスト教の神は、紀元前
500年に、人間に啓示し、そして、書かせたという事に
なる。
 キリスト教は繕(つくろ)えないシロモノで、繕えば繕
ったで、また、新たなオカシイところが出て来るシロモノ
です。
 何しろ、1週間で、キリスト教の神は、宇宙のすべてを
造ったのだと言う。
 そして、最後の日は、疲れたので休んだと言う。
 この時に、造った最初の人間が、「アダム」と「イブ」
たったのだと言う。
 そして、キリスト教の聖書に書いてある系図、
 これから分かるのは、最初の人間までは、1万年前だと
言う。
 系図に書かれた人たちの死亡年齢が書かれているので、
積算すると分かる。
 太陽も、人間も、宇宙も、何もかも、1週間の内に造っ
たキリスト教の神。
 その時の人間まで、1万年前だという。
 つまり、宇宙が出来てから1万年が経過しているとキリ
スト教は言っている。
 この宇宙ができた時のことを、紀元前500年に、キリ
スト教の神が、啓示を与えて、そして、書かれたのがキリ
スト教聖書の「創世記」。
 これを、今、キリスト教徒が読んでいる。
 そして、「神はエデンの園の中を足音をたててて歩いた」
と書かれている。
 「キリスト教の神は、体重があったのだ」という事が分
かる。だから、足音がたてられるのだ・・と。
 当然、キリスト教の神は「足」を持っている神なのだ。
 そして、神だって老廃物が溜(た)まって、そして、そ
のため疲れるという現象が現れるという。
 神も頑張ったのだと言うこと。『頑張るな』と、キリス
ト教は『キャンペーン運動』をしているが・・。
 キリスト教は、このキリスト教の神を見習いなさい。
 そして女性の「イブ」は、男性の「アダム」の「あばら
骨』を1つ取って造ったと言う。
 そして、その「アダム」の骨を取るために開けた穴を、
何か? 肉らしいもので、神は埋めたという。
 馬の肉とも、鹿の肉とも、どの肉とも、聖書には書いて
ない。何しろ肉で埋めたと書かれている。
 声だけが聞こえる神が造ったという。
 聖書は、「迷信」とつながる危険もあったという。
 しかし、キリスト教の聖書は、これは、何の示唆も、益
ある事も示さない「迷信そのもの」でしょう。
 神の「絶対性」や、「超越性」を主張していると言うが、
 どこを読んでそんなことを言うのか?
 無理に、その様に思いこませたら、病気になってしまう
でしょう。
 「オウム真理経」の様な、「マインド・コントロール」
はしないで下さい。
 思い込ませ、洗脳は、しないで下さい。
 この古代のこの頃。生きる事に必死だったこの頃。
 この生に追われる民は、
 「信仰を裏切る民は滅ぼされる」というマインド・コン
トロールに掛かっていた。
 キリスト教の聖書は、その時代で、古代で終わっている
のです。
 現代でも、その様に、マインド・コントロールをしよう
としている。そして、されている。そして、現代でも戦争
を起こしている。
 そして過去の、キリスト教の歴史を見ても、マインド・
コントロールされた人々が繰り広げた戦争・人殺し・民族
絶滅、悲惨の連続の歴史が累々とある。あまたある。
 古代においても、その様に信じた神は、民を裏切った。
 戦いは負ける事が多かった。
 1例を言えば、戦い敗れて「バビロン捕囚」にもなった。
 最悪の事態だった。
 戦いに敗れ、王様は目をくり抜かれた。
 そして、民と共に奴隷となって敵国へ連れて行かれた。
 この「イスラエルの民と目を潰された王」のそれ以外の
人々は、すべて殺された。
 王の家族や王朝の臣下たちは露と消えた。
 民は絶望し、神に見捨てられたと思った。
 今までの信仰はインチキだったのだと思った。(今でも
インチキだが)。
 そして、今までの聖書の記述ではダメだと、最初から最
後まで書き変えられて行った。また、種々の事が書き加え
られて行った。
 キリスト教の聖書が書き換え、書き加えが多い理由の1
つがこれ。
..
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2013年12月12日木曜日

NHKの、日曜大河ドラマは、結局、キリスト教の「巧妙なる伝道放送」です。

題:NHKの、日曜大河ドラマは、結局、キリスト教の
「巧妙なる伝道放送」です。
.
 19世紀、宗教学という新しい学問分野も開けました。
 その結果、新しい知見・知識・発見も盛んに得られまし
た。
 そして、20世紀になると、それらの新しい知見の元から
発生するキリスト教の色々な問題が出て来ました。
 そしてまた、その知見から考察された『色々な学説』が
続々と生まれました。
 今、キリスト教に偏するNHKが、日曜大河ドラマ「八
重の桜」で、美しく新島襄について放送していますが、
 この新島襄が知らなかった知見が、種々色々とあったと
いう事なのです。その様な知見が大いに得られたというこ
となのです。
 キリスト教を、学究的に、また、学問として世界の他宗
教との比較研究も盛んとなり、また、考古学上の発見も相
次いだりして・・・、
 そしてまた、言語学的に、そしてまた、考古学的に、比
較神話的に、そしてまた、比較宗教学的方法がとられまし
た。
 それらは、『それまでの方法』に拘束されない、まった
く新しい研究がなされたのでした。
 当然、旧来の解釈との間とで『激しい論争』がなされま
した。
 NHKは、明治の曙光・・あけぼのの頃の新島襄を、
何もキリスト教のことを知らない新島襄を、美しく放送し
ていますが、
 そして、現代の頭のNHKが、美しく脚色して、
 そしてまた、美しく整えて、放送していますが、
 ある意味、『間違った情報』を視聴者の方々・皆様に、
国民の皆様に、放送している事となります。
 新島襄は、何も新しい情報を知らないキリスト教徒とい
う事で、NHKは、これを隠して放送行為をしました。
 例えば、キリスト教の基本中の基本の「神の国」思想は、
まったく変わった見解となったのです。 
 時代考証などや、その他、裏付け的な事をしっかり調査
し、調べて放送しているのでしょうか?
 ただただ、面白おかしく、また、キリスト教に偏するN
HKが、結果、『キリスト教の巧妙なる伝道放送行為』と
なる放送をしたという事なのです。
 「神の国」というキリスト教の思想・教義は、「発展的
な道徳的な秩序のもとの国」と理想的にキリスト教は言っ
ていっていますが、これは違うのです。 
 実際はその様な事を指すのではありません。
 その様な美しいことを指すのではないという事が分かっ
たのです。
 それは、当然、新島襄が知らないことです。
 新島襄は、『古い知識』の中に居る人なのです。
 当然、キリスト教に偏するNHKは、この様な事は放送
しません。
 何だかんだと、美しく、「巧妙なるキリスト教の伝道行
為の放送をしてしまえばよいの態度」なのです。
 「神の国思想」は、何ら進んだ発展的な道徳的秩序を指
すのではなく、ただ単に「超越的な神」を信じる所から生
まれただけの話だったのです。
 また、ただ単に、「奇跡的な神の意志的働きを信じる所
から生まれただけ」だったのです。
 何も、後からプロパガンダされたものではかったのです。
 突発的な神の意志を憧れ、そして、信じただけだったと
いう事です。
 後から美しく作られた「進んだ道徳的秩序の思想」は、
皆無だったのです。
 この基本中の基本の「神の国思想」が崩れますと、
 この思想・教義と関連している「人の子」や「メシヤ(
救世主)」の解釈も大変更をして説かねばならないという
事になったのです。
 また、今では常識となっている「キリスト教の創設者は、
イエスではなくてパウロだ」という事も、このNHKの新
島襄は知らなかったのです。
 その様な事にもNHKは『ホッカムリ』したまま、
 ただただ、美しく、キリスト教の伝道的放送をしていた
のです。
 パウロが、イエスの言葉や行動の実質的な面を無視した
という事にも、NHKは「ホッカムリ」したのです。
 この様な大問題が、新島襄以後に、キリスト教には起き
ているのです。
 イエスが、語ったと言われる言葉だって、イエスの言葉
 なんて、ほとんどと言ってもよいくらい『無』、無いの
です。
 そのほとんどが、原始キリスト教会の信者達の言葉だと
判明したのです。初代教会の「宣教(ケリュグマ)」なの
です。
 ホッカムリや嘘や思い込ませのNHKの「巧妙なる伝送
放送」なのです。
..
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2013年12月10日火曜日

不沈空母・・・、

 題:不沈空母・・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 あなたは、
 アメリカの準州になる日本を受け入れますか?
 それとも、
 このまま、独立した日本のままで居たいですか?
 アメリカへ、
 ピューリタンが大西洋を渡って、
 そして、母国・イギリスと独立戦争を戦って、
 そして、その独立後に始まった、西への拡大。
 西部への膨張。
 その時、その地、今で言うアメリカ中部及び西部地域を
占領していたイギリス・フランス・スペインと・・戦い、
 フロリダにはスペインの砦が早くからあったが、
 そして、本当の持ち主、元々の持ち主の
 先住民のインディアンの方々と・・戦い、
 ・・・というよりも、せん滅戦。
 前者の白人諸国との戦争は、『限定戦争』と言って
 戦いを繰り広げるにしても、
 むやみやたらと将校は「狙い撃ちをしない」とかの
 差別のある戦い。
 しかし、本当の持ち主の原住民のインディアンの方々に、
 制限事項の無い、『無制限の戦争』の状態。
 卑劣な 絶滅状況も 現出する。
 これは、キリスト教の教義・考え方・哲学から来ている。
 そういえば、日本では、原爆で民間人しか居ない所へ、
 そして、焼夷弾のじゅうたん爆撃、火の海で逃げ惑(ま
ど)って、9割が焼夷弾だと、
 おじいさんが目の前で殺されたリンカーンは、
 インディアンに憎悪を持って対抗した。
 無差別殺戮を許した作戦を命令したり、
 極寒の中を、険しい山道を行く、居留地へ歩く、
 何キロも徒歩で行く、死の行進を命令するリンカーン
 などなど。
 足の弱いおじいさんやおばあさんが居ただろう、
 足の弱い幼い子も居ただろう、
 病気で歩けない方々も居ただろう。
 何キロもの道を、寒い道を、
 歩かせたリンカーン。
 そして、獣(けもの)のように殺戮した、連隊組織の規
模で殺しまくった、近代兵器を装備した『戦い専門集団』
が殺しまくった。一斉射撃の戦法も進んでいた・・、
 キリスト教に洗脳された有色人種蔑視。
 駆逐し尽くし、
 太平洋岸に達したアメリカは、
 それでも満足はしなかった。
 西進を止めなかった。
 パナマ、フィリピン、ハワイと太平洋を渡り、奪って行
く。
 フィリピンは中国を得るための橋頭堡にしたいとの目的
があった。
 この西進の行進は止まっていない。
 西進の意思は続いている。
 日本を経済で、まず、取り込みたいとのTPP。
 属国度は上がっていく。
 このまま行けば、日本は、アメリカの準州になるだろう。
 そして、ゆくゆくは核配備もして、集団的自衛権も必然
となるだろう。
 日本の安全保障のためにはその道を行くことになるだろ
う。中曽根さんが『不沈空母』と言った言葉が思い出され
る。そして、また、東京大空襲の話、民間人を焼き殺すの
が最初からの目的。日本の防空能力がないのを知っている
から爆弾や機関銃をおろして焼夷弾を目いっぱい乗せて、
世界史上最大の犠牲者数、指揮官の米軍ヘイウッド・ハン
セル准将は無差別爆撃は一般市民を巻き込み非人道的と思
っていたが、その後を継いだ・・、、戦争犯罪だが・・、
その指揮官に勲章をあげた日本、そしてその後に、あげた
首相はノーベル平和賞をもらった、勲章をもらったアメリ
カの将軍は、日本のメディアの東京空襲の質問に勲章を見
せたという。
.
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2013年12月9日月曜日

未来の人類のためにも、残してはならない。

 題:未来の人類のためにも、残してはならない。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 
 キリスト教聖職者の書く本の中の一説に、
 「ユダヤ人の長い歴史のどの一こまをとってみても、彼
等(ユダヤ人)が苦難に会わなかったときは無かった。
 聖書全体が、ユダヤ人の苦難の歴史そのものだと言って
もよい。
 苦しみを経験して初めて、人間らしい人間が生まれる」
・・・とある。
 ユダヤの方々が苦難の環境に居たということは同情され
るが、
 このキリスト教聖職者の「苦しみを経験して初めて、人
間らしい人間が生まれる」という論理には賛成しかねる。
 どちらかというと、これは、我田引水的な言い方だ。
 苦難の環境に居たという事と、「買ってでも苦労しろ」
との教えは同じではない。
 ものごとは挑戦することが大切。難しいことに努力して
立ち向かうことは大切。
 しかし、ユダヤの方々の死ぬような戦乱の環境を『人間
のためには良いのだ』と言うキリスト教聖職者の言い方は
我田引水の論理だ。
 本当は、本論は、ポジティブに良いことを言い、そして、
教え、育てなければならない。
 科学的にも、『ポジティブに言う方』に軍配が上がって
いる。
 褒め、育て、見守っていて、そして、いつも寄り添い、
 その時その時に、その子や人々に役に立つことを、
 知ってもらって、理解してもらって、そして、行かなく
てはならない。
 だから、本当は、会わないでも済む苦難は、「会わない
方がよい」・・が、正論である。特に、死ぬような苦難は
起きてはならないのである。特に、戦争は悲惨そのものだ。
ユダヤも戦乱が引き続く地だった。
 苦難と『立ち向かうべき壁』とは違うのである。
 そして、この聖職者は、「苦難の中に生き抜く生命力を
この身に体得することでなくてはならない」・・と言って
いる。
 ものは言いようである。死ぬような体験が役に立つとい
うのである。しかし、リスクの大きいことをして、死んで
はおしまいである。例えば1例、みんながみんな、エべレ
ストに登るのが良いという論理は成り立たない。
 キリスト教はネガで出発するから怖い。
 全体がネガなので出発は必ずネガからの出発である。
 話は少し外れるが、ネガからの発想の出発は、認知症に
もなる確率が高いという結果もある。
 南米のインディオ・・・、
 南米のインディオは殺されてしまっている。
 殺すところまでやっている。
 全滅させられてしまっている。
 死んでしまっては何にもならない。
 パレスチナ・カナン・イスラエルの地も、血を血で洗う
地であったが・・・、
 何をか言わんやである。
 愛する我が子が、死に直面し、死ぬようなことでも「厭
(いと)わず」とでもいうのでしょうか?
 その一方、キリスト教は矛盾したことをしている宗教だ。
 今、キリスト教組織は、「頑張るな」のキャンペーン運
動をしている。
 NHKの討論番組でも、このキリスト教の運動に則(の
っと)って、この類いの討論番組をやっている。
 国際基督教大学の教授が、名前は匿名にするが、この番
組に参加している。
 教授は、この論点のみによって「討論に参加し」、討論
番組であるのに、この論点だけを以って、何の論点の広が
りもないまま、宗教的に、教示的に、この事のみを言い続
けた。
 何の論理の広がりもないNHKの討論番組を、延々と、
長時間、放送し続けた。
 受信料が払いたくなくなってしまう番組であった。
 それにしても、NHKは、キリスト教に偏する。
 何で、こんな人選をするのか?
 論点の深まりもないまま、
 キリスト教の演者も、論点の広がりも、何ら披露する事
が出来ずに、番組は進んだ。
 討論番組としては成立しない大失敗。
 この討論に出席されていた文部科学大臣から「頑張り、
そして、その頑張った結果が、正しく評価される社会でな
ければならない」という正論を言われ、
 キリスト教は、何ら反論もできない状態であったが、
 この事例の様なピントのずれたことを良くする宗教であ
る。
 キリスト教は、3つの共観福音書というものを持ってい
る。
 そして、その共観福音書以外に「ヨハネによる福音書」
という福音書を持っている。
 合計4つの福音書を持っているが、
 この毛色の変わった「ヨハネによる福音書」を、「捨て
よう」との話し、論理の展開があった。その様な動きがあ
った。
 逆に、共観福音書より深い「ヨハネによる福音書」こそ
大切にしなければならないのに、
 『異端抹殺』の性癖のあるキリスト教は、この様に、聖
書の領域までも、この様に考える。
 「異教徒は殺せ」のキリスト教の教義のように、違う意
見を、直ぐ、抹殺する性癖のキリスト教は、すぐこの様な
思考を展開する。
 底の浅い宗教の原因となっている。また、愛など全く存
在などしない。
 この「ヨハネによる福音書」にも、キリスト教の限界が
見える。
 その1例は、(「ヨハネによる福音書」14・6)に、
 「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでも
わたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」
とある。
 結局、キリスト教は、『排他』の宗教性から抜け切れて
いない。
 信じない者を、信じられない者を、信じていない者を、
異端とし、異教徒とし、その様な目で見て、その決定事項
のみによって、判断し、膨らみもない視点で、固定的な判
断基準で、狭い『自己中』の中で、排除し、殺して来た。
その様な、考え方・教義・哲学である。
 キリスト教徒同士でさえ、異論を異端とし、「異端審問
所」を存在させて、なんと多くの方々を殺したと言うのか。
 馬鹿め!
 「一神だから」という言葉で、『だからこの様なことぐ
らいはあるのよ』と言う。
 洗脳されたキリスト教のこの言葉が印象的に残って、記
憶にあるが・・・、
 何が愛の宗教と言うのか。
 キリスト教は異端を殺す事を容認し、
 キリスト教のこの壁・限界を乗り越えられずにいる。
 恐ろしいことに、これを正しいものと誤認混同している。
 わずかに居るオカシイと思う信徒の人たちも、『それで
いいのだ』という気持ちにさせている。
 増上慢である。
 常に、寄り添い、導(みちび)き、喩(さとす)、佛教
の姿に学びなさい。違っても受け入れるのだ。
 「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅してもよい」
とまで言う。
 他民族を、異教徒の方々を、どのぐらい殺したら気が済
むというのか?
 卑劣な宗教が、悪行を、いつの時代も、好きなだけやっ
て来た。
 背景に陰湿な「終末思想」の怨が見え隠れしている。
 イエスもこの思想にまみれていたが・・。
 長い歴史の中で、無念の内で殺され、亡くなって行く方々の
無念の姿を思いやり、見ることができない宗教。
 未来の人類のためにも残してはならない。
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
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2013年12月6日金曜日

旧弊も、引きずっている・・・、

 題:旧弊も、引きずっている・・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書の・・・
 「マルコによる福音書」「マタイによる福音書」「ルカ
による福音書」を、共観福音書と言います。
 これは、この3つの福音書が似ているから、この様に言
われているのです・・が、
 それは、「マルコによる福音書」を手本にして、
 後の2つの福音書が書かれているため、似ているのです。
 似るのが当然なのです。
 キリスト教の聖書は全部で4つ、つまり、あと1冊ありま
す。
 それは、「ヨハネによる福音書」と言います。
 この福音書は、紀元後100年頃に書かれた福音書です。
 イエスの死後、70年ほどが経過した頃でした。
 イエスの姿も見えなくなり、1世代以上・・、いや2世代
も前の人となっている頃に、書かれたものでした。
 おじいちゃんの事を、孫が書くという様な状態でした。
 今の時代と違い、優れた記録媒体が無いという、古代の
ことで、
 頼るものと言えば、人々の記憶に頼るしか方法はありま
せんでした。
 しかし、それも70年という年月は、古代という時代とし
ては、大きな、長い年月であり、
 また、戦乱に明け暮れるこの地の古代としては、
 社会の不安と、不安定の中で、その記憶を維持するとい
うことは、大変な状態で、
 また、大きな重しとなって存在していました。
 伝説の昔の人のことを書くという状態です。
 キリスト教は、この「ヨハネによる福音書」の著者を、
長い間、間違っていました。
 研究が進んできた今、まだ、間違いの確率は高いのです
が、
 その著者を、有力な人を、特定して言える状況にありま
す。
 今まで著者と言われていた人は、『使徒・ヨハネ』と言
われていましたが・・、研究の進んだ今、使徒ヨハネでは
ないという否定される面が、点が、色々浮かび上がってい
ます。
 今・現在、「使徒・ヨハネ」と言われている人は、
 ガリラヤの漁夫で、無学の人とされています。
 イエスからも、「雷の子(ボアネルゲ)」と、半分、さ
げすむように呼ばれ、馬鹿にされていました。
 血の気が強く、決して頭脳明晰ではないと紹介されてい
ます。そして、哲学的思考などできるような人物ではない
とも言われています。
 それにまた、「ヨハネによる福音書」は論証的であり、
 共観福音書よりは知能的で洗練されたレベルであるから
でもあり、
 この福音書を、レベルの高い人のためのものと、聞き様
によっては差別的な事もキリスト教では言われている。
 以上の様に、キリスト教の福音書は、「大きく分けてこ
の2つ・2種類」とも言える状態です。
 当然、「使徒・ヨハネ」は、「ヨハネの黙示録」や「福
音書」を書いたという事になってしまいますが、これも間
違いという事になります。
 では、真の「ヨハネによる福音書」の著者は?という事
になります。
 現在の研究によると、現時点での最終的な著者説は、「
長老・ヨハネ」と言われています。
 「長老・ヨハネ」の存在については、
 小アジアのキリスト教会指導者であるパピアスが、
 紀元後130年頃に書いた本の中に書き記(しる)してい
ます。
 「使徒たちが語ったことを長老たちに問いただし、長老
ヨハネにも問いただした」(エウセビオス「教会史」第3)
と書いています。
 1世紀末に在世した「長老・ヨハネ」は、エペソの教会に
いた。このヨハネが、「福音書」や「手紙」などの著者と
現時点ではされている。
 ヨハネの「手紙」の中にも、「長老のわたしから・・・」
とも書かれている箇所がある。
 使徒なら「使徒」と書いただろうとされ・・。
 キリスト教は、今ここに記した様に、陰に隠れていた著
者が、また新たに浮かび上がってきたが、
 「長老・ヨハネ」というこの新たな人物の著作物も『信
仰の対象』とする形の宗教。
 急に浮上する信仰対象とはと・・半分あきれる形。
 この例の様に、不特定の人々が、書いて、寄せ集まって、
出来て来た形だと、キリスト教はなっている。
 旧約聖書も、まったく、同じ形をとっている。
 この形は、『キリスト教のDNA』となっている。
 心棒のものがない、
 周りにあるものを付けくわえながら・・・
 出来てきた宗教。そしてそれがDNA。
 イエスならイエスを、存命中からその教え・考え・哲学
が宗教という目的でしっかり記録されていれば、
 その目的が、当初から、しっかりあるのならば・・・、
 もっと違ったものとなったであろうが・・・。
 まわりの弟子も少なく、また、知的な集団でもなかった
こと、
 そして、イエス自身も、『ユダヤ教のラビとしての意識』
での活動であったこと
 (イエスの弟子たちでさえ、イエスを、ユダヤ教の聖職
者の呼称『ラビ』という名称で呼称している)から、到底、
宗教としての『出立点は存在し得なかった』。
 イエスの死後、だいぶ経った頃、
 パウロという『元ユダヤ教聖職者』が、
 思い立ったように、
 自分の『勝手な宗教の企画』でもって、
 始めたという出立点があるだけの状態。
 そこに、深い哲学的示唆があったわけではない。
 あとから、付けたしで、たいぎょうなプロパガンダが、
修飾がされ、施されたが・・・
 いつまでも、いつの時代も、キリスト教は、
 この出立点の『底の浅さ』が災いしている。
 そして、いつまでも、いつの時代も、
 ユダヤ教時代の『旧弊も』引きずっている。
 人類の救済になり得ない要因の1つはここにもある。
 逆に人類の歴史に悪結果を残している。それは、歴史を
見れば分かる。
.
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2013年12月5日木曜日

根本のところで、命の大切さを説いてない宗教。

 題:根本のところで、命の大切さを説いてない宗教。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教には、
 『我が民族の生き残り』のために・・という、宗教に生
まれついた因がある。
 初めは、はっきりと『戦勝を祈る神』だった。
 『勝ち残っていく世界』の神だった。
 多民族が生きるために、『しのぎを削っている世界』の
神だった。
 そのために、『他の人のために』などという精神は、こ
れっぽっちも、微塵(みじん)もない宗教だった。
 1例をあげれば、
 人の命を助ける医療関係に、キリスト教が、関係して行
くときも、
 その第一の目的は、そのことによって『キリスト教の権
威』を得たいだった。
 自分だけに利がある『権威』を求めた。
 人の命を助ける事より、『権威が欲しい』が優先した。
 その為、その当時、医療の部分をカバーしていた人々=
助産婦さん方が、キリスト教の餌食(えじき)となった。
 人々に医療技術を施していた『助産婦の方々』を殺しま
くった。
 また、薬を煎じる姿を『魔女だ』・・と、因縁(いんね
ん)を付け、捕まえて、殺した。
 西洋にも、東洋医学の漢方の様な、『立派な文化』があ
った。
 キリスト教のために、この『人助けの文化』は絶滅した。
 キリスト教は、また、異常に『異教を忌む宗教』で、
 『異教徒は殺せ』の教義が、キリスト教には暗黒の帝王
の様に存在している。
 そして、その精神で、同じキリスト教徒でさえ、『異端』
として捕まえ、殺した。または、放逐した。その数は、
 数知れずだった。
 中国まで逃れ、流れて行った『景教』も、その様な宗教
だった。
 『景教は、キリスト教ではない』とされた。
 キリスト教は、自分と同じ意見なら、「いい子、良い子」
をする。
 意見が違うものなら「処刑だ」・という宗教である。
 なんと多くの方々が、キリスト教の毒牙にかかったとい
うのであろうか。
 キリスト教徒どうしでさえ、殺し合った。
 卑劣な宗教である。
 例えば、ミカエル・セルヴェトゥスのこと。
 医者の彼は、宗教に興味を持ち、「聖書の権威を主張し
た」。
 ここまでは良かった。
 ただ、教会の権威を下げる様に表現をした。
 まず、三位一体神の論理を認めなかった。
 屁理屈だとした。実際、屁理屈なのだが・・、
 そのため、当然のように、権威をかさに横暴なキリスト
教組織から妨害され、圧迫され、迫害された。
 そして、逃げたが、捕縛された。
 そして、可哀想な事に、いつものキリスト教がやる『処
刑という道』が待っていた。
 彼は、「憐れみたまえ」と命乞い(いのちごい)をした。
 非情にも、キリスト教に、その願いも聞き届けられず、
 キリスト教は、彼を焚刑によって殺した。
 何故、この様な悲惨な状況が起きるのか?
 キリスト教は、根本のところで『命の大切さを説いてい
ない』という『非情な宗教性』を持っている。
 今なお、この教義は、訂正されずに残っている。
 人類の未来に害を与え、また、不必要な宗教となってい
る。また、信徒の方々は、絶対に幸せにはなりません。
 そして、もう一話・・・、
 ある話・・・、西部劇でよくある、相手を怒らせて、
 相手が先に銃を抜いたからと、
 「早撃ちガンマン」が、相手を撃ち殺す。
 『正当防衛』で・・・『無罪』・・・と言う。
 態のいい『人殺し』なのだが・・、
 相手は、アメリカ西部の開拓農民。
 勤勉に働くだけの農民。
 銃など使い慣れていない。
 一方、ガンマンは、
 「農民の土地を欲しがったが、売って貰えなかった一家」
に、ただ雇われただけの「雇われガンマン」。
 このガンマン、何の怨念も、相手の勤勉な農民に持って
いないが、「雇われ、依頼されたので、仕事としてやった」。
 このガンマンの寄って立つところが「正当防衛」。
 この様な論理が、国家間の戦争においても成立している。
 「戦争を起こしたものの罪」も、「あいつが先にやった
のだと、バチバチ相手をやっつけた者にも罪」がある。
 その両方が罪なのだ。
 今、国際法はこの様にはなっていない。
 「決闘の法理」で合法。
 この決闘の法理は「名誉が棄損」された場合も成立する。
 根っこにキリスト教の教義がある。
 故に、今まで日本人が考えてきた「戦争は絶対に許しが
たい犯罪だ」を根付かせていかねばならない。
.
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2013年12月3日火曜日

パウロの回心は・・・、

 題:パウロの回心は・・・、
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教を作ったのはパウロ。
 キリスト教の本には、
 「パウロがいなければ、キリスト教は、ユダヤ教の一つ
の派のままで、終わっていたかもしれない」・・と、説明
している。
 原始キリスト教を作った一団の人たちは、当然、それ以
前は、ユダヤ教徒であったのだが、
 ユダヤ教より遊離し、疎(うと)まれていた。
 そして、破門されてしまう。
 すぐに、別の宗派を作るというわけでもなく、
 ユダヤ教のエルサレム神殿などを拠点としていた。
 この本は、ここの部分の説明には触れず、ただ、パウロ
の存在だけが、キリスト教の存立に貢献した的にのみ書い
てあるが、
 「ユダヤ教に破門されたこと」が、大きな一つの転機・
原因・要因になっている。
 パウロの働きかけも、「ユダヤ教からの破門」が無けれ
ば、無かったと考えられる。
 パウロは、ある出来事で回心し、キリスト教になったと
いう。
 そしてまた、彼は、「イエスの十字架の刑死を、旧約聖
書にもある贖(あがな)いの死」と結び付け、
 そして、これまた旧約聖書に記載してある「復活』と結
び付け、
 この2点のみによって、新しい宗教(キリスト教)の宗
教骨格とした。
 パウロは、イエスに会った事も無い。
 パウロは、イエスの『刑死』と『復活』だけを、宗教企
画に採用し、
 イエスの「人となり」や、「イエスの行動や活動」など
のこと、
 また、「イエスの言葉・哲学・考え」などは無視し、棄
てた。
 パウロは、ガリガリのユダヤ教徒だった。
 キリスト教徒を捕まえ、殺害までもした男だった。
 パウロは、小アジアのキリキヤ地方(大分、ギリシャに
近い所)のタルソに生まれた。
 タルソは文化都市だった。
 パウロは、ローマの国籍を持つ、ユダヤ人だった。
 ギリシャの文化と教養を身に付けていた。
 青年時代に、エルサレムに留学し、
 熱心に律法を勉強し、
 ユダヤ教のバリサイ派の人となった。
 そして、せっせとキリスト教徒を捕縛(ほばく)し、牢
屋に入れた。
 この頃、パウロは、サウロと称していた。
 パウロは、ユダヤ教の大祭司から添書を貰い、
 キリスト教徒の脅迫・殺害をしていた。
 その様な行為を、せっせとやっている時に、回心の切っ
掛けとなった出来事の出会ったという。
 これを、キリスト教は、例の如く、オーバーに、過大に
プロパガンダ(嘘宣伝)で言うが、
 この時に、パウロに同行していた同行者たちには、誰に
も見えなかったと言うし、
 声だけが聞こえたと「使徒行伝」に書かれている。
 また、この「使徒行伝」を書いたルカ(ルカによる福音
書を書いたルカ)は、よく嘘を書くという。
 よく言えば、文学的に表現をする癖のある人で、『史実
が二の次になる人』と言われているので、
 真実がどこまでかは、非常に不確定である。
 事実、パウロ自身が、その様な事を何も述べていない。
 まったく、キリスト教のでっち上げの感が強い。
 本当に「嘘つき宗教=キリスト教」だと軽蔑する。
 パウロは、ただ、(「ガラテヤの信徒への手紙」1・16)
で、
 「御子(みこ)をわたしの内に啓示して下さった」・・
とだけ言っている。
 これは、キリスト教についての本にも「精神的な事だけ
のこと」と書いてあるが、
 パウロの心の中に起きた事だけの事といえる。
 精神的な事を、まったく、デッチアゲするキリスト教の
図なのである。
 パウロには、キリスト教徒の「ステパノ」が殺される時
の様子が、影響していたと言われている。
 パウロは、このステパノの死を目撃している。
 この様なことや、自分のしている事に、「すき間風が吹
いて、方向転換をしたのだろう」。
 啓示とのみだけを、自身は言ってるが、
 この事を始点としてできたキリスト教が、何人の人々を
死に追いやったかは、筆舌につくせぬ数、分からぬほどの
膨大な人数が、死んだ・殺された。
 また、パウロ本人が、何人のキリスト教徒を獄舎に繋(
つな)いだか、また、死に追いやったかは分からないが、
その無力感を感じたのだろう。
 何しろ、彼の以後、キリスト教は、南米などで、非常に
多くの人を殺し、また、ヨーロッパ大陸においても、ヨー
ロッパの方々の3分の1が死ぬという悲惨な戦争をしたりと、
酷い宗教の顔を現わす。
 そして、その様な事態が起こやすいという『劣悪な教義』
をキリスト教は持っている。
 これからの人類のためにも、この宗教は、この地球上に
存続させてはならないのである。
.
 (追伸):
 原始キリスト教の人々と言うのは、
 後代の人々が、勝手に、名付けただけであって、
 原始キリスト教の方たちは、『キリスト教でも何でも無
かった』。
 彼らは、後に、新約聖書とされる文を、徐々に、書いて
行くが、
 後に、正典になるなんて思ってもいなかった。
 原始キリスト教の人々は、キリスト教では無かった。
 ユダヤ教の聖典(キリスト教は旧約聖書というが)のみ
を、聖典とするユダヤ教徒だった。
 そして、ユダヤ教から破門されて、キリスト教の方へ流
れて行っただけ。
.
 (参考)そえ‐がき【添(え)書(き)】 [名](スル)
1 書画や器物などに、その由来などを書き添えること。ま
た、その文言。添え筆。 2 手紙などの終わりに、さらに
書き添えること。また、その文章。追って書き。添え筆。
「署名のあとに―する」
 (参考)ファリサイ派(ファリサイは、ヘブライ語: פרוש
ים‎)は古代イスラエルの第二神殿時代(紀元前536年 - 紀
元70年)後期に存在したユダヤ教内グループ。本来、ユダ
ヤ教は神殿祭儀の宗教であるが、ユダヤ戦争によるエルサ
レム神殿の崩壊後はユダヤ教の主流派となってゆき、ラビ
を中心においた、律法の解釈を学ぶというユダヤ教を形作
っていくことになる。現代のユダヤ教の諸派もほとんどが
ファリサイ派に由来しているという点においても、歴史的
に非常な重要なグループであったと言える。ファリサイ人、
パリサイ派、パリサイ人(びと)などと表記されることも
ある(ファリサイ人、パリサイ人と表記される場合は、厳密
には「ファリサイ派に属する人」を意味している)。なお、
ファリサイの意味は「分離した者」で、律法を守らぬ人間
と自らを分離するという意味合いがあると考えられている。
現在ではファリサイ派という名称は使われず、「ラビ的ユ
ダヤ教」、あるいは「ユダヤ教正統派」と呼ばれている。
                (wikipedia)
.
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2013年12月2日月曜日

イエスは言う、「サタンよ、引き下がれ」・・と、

 題:イエスは言う、「サタンよ、引き下がれ」・・と、
...(真を求めて 皆様ととともに幸せになりたい)
.
 キリスト教のイエスの最後の1週間は、
 「受難週」とよばれる。
 この最後の1週間のイエスの行動を決めたのは、
 「イエスの心が終末意識で、頭が一杯だった」からと判
断できる。
 シュバイツァー博士も、その様に判断している。
 博士は、
 「イエスの自意識の中に終末思想があった」と主張した。
 また、当時は、終末思想の全盛期であった。
 イエスも、この終末思想全盛期の中で生きて来た。
 そして、その思想に大いに影響され、
 洗脳されて来た。
 その様な、イエスの心の状態の中から、
 「絶対あって貰いたくないこと。
 それは、神殿の崩壊が頭に満ちて来るイエスだった」。
 そして、イエスは、神殿が崩壊すると口にして、言い、
 そして、その事を、預言する。
 イエスは、その様な、切迫する心の状態の中に居た。
 切迫する危機感の中で、
 口にせざるを得ない心の状態の中に居た。
 イエスの脳裏は、
 終末の光景に満ちていた。
 世相も、これと同様、まったく暗い、
 夢も無い、また、乱れ、倫理も最悪の中、
 戦乱に明け暮れる世の中だった。
 このイエスの受難週の、
 「イエスの行動も乱れていた」。
 エルサレム神殿で、弟子達をつれ、そして、大暴れした。
 この様な事が予感したのか、
 弟子たちは、「イエスのエルサレム行きに反対した」。
 イエスは激怒した。
 そして、「サタンよ、引き下がれ」と怒鳴った。
 弟子たちの考えと、イエスの考えは、
 完全に食い違いを起こしていた。
 キリスト教聖書は、ここの所を、
 主人公のイエスを悪く書く訳にはいかないので、
 すべて、「弟子たちが悪い」と書いてはいるが、
 例えば、
 ペテロがイエスを諌(いさ)めたとある。
 諌めるというのは尋常では無い。
 異常である。
 イエスと弟子たちは、
 完全に意識の食い違いの中に居た。
 イエスの刑死の時に、
 弟子たちが一人も居ないというのは、
 イエスと弟子たちが、完全に理解し合う間柄では無かっ
た事に原因がある。
 だから、行動を共にしてない女性たちが、
 イエスとの意見のぶつかり合いも起きえない女性方だけ
が、刑の執行に立ち会う事になってしまう。
 当然、弟子たちだけが、
 『逃げた』と悪者にされてしまう。
 イエスは、少なくとも、弟子を掌握していなかったと言
える。
 理解し合えていなかった。
 その様な状態で、エルサレムに入ったイエスは、エルサ
レムの庶民を敵に回す。
 エルサレム庶民が、生活のために商う店に対して、暴力
をふるう限りの事を、イエスはする。
 エルサレムの人たちのイエスの評判は、更に一層下がり、
最悪に。
 律法学者やパリサイ派の人々をはじめ、手当たり次第に、
イエスは、口汚く攻撃した。
 尋常ではない行動をした。
 冷静さを失って居た。
 自暴自棄的であった。
 人生を、世を、あたかも、儚(はかな)んでいるが如く
であった。
 少なくとも、絶対に、理知的な行動とは、爪の先ほども
言えない状態だった。
 イエスは、口汚く罵った。
 『ベビよ、マムシの子らよ』。
 『偽善者どもよ』。
 イエスが捕えられるのは、完全に、イエスに原因がある。
 それは、さも、イエスが誘っている様でもあった。
 明らかに、イエスは、現代社会でも、現代の法律でも、
 警察署に連行される様な事を、イエスは行なっている。
 また、エルサレムの人々を怒らす事をしている。
 イエスも、捕縛されると思ったのだろう。
 ここまでしてしまったと思っただろう。
 その様な、予測をしていた。
 それにしても、世の中を覆う終末観の中、
 希望や夢の無い、悲惨な社会であった。
 それにしても弟子たちは、ボロクソに言われる。
 「イエスを理解しない、鈍い弟子たちだ」
 「苦しむイエスをよそに、高いびきで眠りこく」
 「調子よく生きる人間だ」
 「自分が不利になると逃げ出す人間だ」・・などと、
 サンザン言われる弟子たちが居た。
.
 (参考)いさ・める【諫める】[動マ下一][文]いさ
・む[マ下二]1 主に目上の人に対して、その過ちや悪い
点を指摘し、改めるように忠告する。諫言(かんげん)する。
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
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2013年11月27日水曜日

「ナザレのイエス」というが・・・、

 題:『ナザレのイエス』というが・・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教聖職者は説教する。そして、以下の事を言う。
 『イエスは、イザヤ書を愛読し、そらんじていました』
・・・と。
 そして、例としてあげたキリスト教聖書の聖句は3つで
した。
 下記は、その聖職者のあげた聖句の1つ(「ルカによる
福音書」4・17)です。
 そして、その聖句を読んでみると・・・、
 (「ルカによる福音書」4・17)には、
 「(イエスへ)預言者イザヤの巻物が渡され、お開きに
なると、次のように書いてある個所が(イエスの)目に留
とまった」・・云々。
 ・・・そして、ここを読んで感じたことが下記の(注)
でした。
 (注):
 ここの聖書の文は、
 イエスが、生まれ故郷のガリラヤで伝道を始めようとし、
 ガリラヤでの伝道をする様子を描いたところの文で、
 イエスが、ある会堂で、人々を前にして、ユダヤ教の聖
書を朗読をしようとして立った時、
 誰かからイエスへ巻物が渡されたという、
 ただ、その情景を説明している文・内容だけなのだが、
 そして、
 イエスがユダヤ教の聖書をそらんじていたなどと、この
キリスト教聖職者は説教していますが、
 上記の記述のように、「ある個所に目が留まった」とい
うことで、イエスの頭には予定して無かったことに目が行
ったという意味。
 この様な感じで、イエスは人々の前で話をするという事、
 ユダヤ教の聖書を朗読するという事をしていたという事
が分かる。
 そして、イエスが、目に留まって読んだところは、
 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告
げ知らせるために、主がわたしに油を注(そそ)がれたか
らである」・・・。
 ここの「わたし」は、「イザヤのことを示している」。
 イエスのことではない。
 つまり、イエスは、『イザヤ書』を人々の前で読んだ。
 主人公は、『イザヤ』である。
 そして、そのイエスが読んだ中味は、
 「キリスト教の神が、イザヤのところに居る。
 そして、キリスト教の神は、イザヤに福音を知らせるた
めに、イザヤに油を注いで、『その行為をするのは、イザ
ヤ、お前だよ』と、キリスト教の神が言った」・・・とい
う箇所を、イエスは人々の前で読んだということ。
 つまり、イエスは、『自分がメシア(救世主)であると
いう意識より、伝道者である、福音を伝える聖職者である
という意識の元に人々の前に居て、イザヤ書を朗読したと
いう事。
 イエスには微塵にも自分がメシア・救世主という意識は
なく人々に聖職者・ラビとして立っている。
 (イエスは、弟子たちから、ユダヤ教の聖職者の事を示
す『ラビ』という聖職者の呼称で呼ばれていた)。
 そして、イエスは朗読した、聴衆に聞かせた「イザヤが
油を神から注がれたメシア(救世主)である」という事を。
 これは、イエスが、聖書を読んで聞かせて、イエスも納
得しているという事。
 ここではっきりしている事は、イエスには『救世主意識』
はなかったという事。イザヤなんだという文を朗読したと
いう事。
 因(ちな)みに、「油を注ぐ」という行為は、
 インドから、キリスト教の発生の地・イスラエル・パレ
スチナの地へ伝わっていったこと。
 キリスト教は、プロパガンダ(嘘宣伝)で、「一神教の
壁があるから、インドの多神教はイスラエルの地には伝わ
っていない」という嘘を言っているが・・、
 そして、油を注がれたもの=救世主という概念そのもの
も、インドから伝わっていったもので、インドの宗教儀式
のものだった。
 そして、何と、インドの「この概念をもつ宗教派閥の人
々」が、パレスチナの地へ移住をしている。
 「ナザレのイエス」と言うが、
 ナザレという名は、パレスチナの地にはなかったが、そ
の後、ナザレという町の名が出て来るが、この移住者たち
の町の名なのです。
 キリスト教はプロパガンダ(嘘宣伝)をしないこと、嘘
は言わないこと。
.
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非常に優れた書評

 題:非常に優れた書評
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 書評:「捨ててこそ空也」
           梓澤要著、新潮社、2000円、
 評執筆:橋本五郎氏(本社特別編集委員)
             (読売新聞2013・11・10)
  非常に優れた書評であるので、書かせて戴いた。
 副題:全存在かけて人々救う
  梓澤要氏、略歴:(あずさわ・かなめ)、
  1953年生まれ。
  1993年、「喜娘」で歴史文学賞を受賞してデビュー。
  著書に「阿修羅」など。
 [評の内容]:
 コーン、コーン、コーン、
 木枯らしの吹きすさぶ京の町辻を金鼓(こんく)の音が
流れていく。
 十一面観音像を乗せた荷車を弟子が引き、
 落ちくぼんだ眼窩(がんか)、削(そ)げた頬の空也が、
金鼓を打ち鳴らし、ひたすら念仏を唱えながら歩いている。
 「阿弥陀聖」「市聖(いちのひじり)」とも呼ばれた空
也上人。
 醍醐天皇の皇子に生まれながら、
 父に疎まれ、
 帝の寵愛(ちょうあい)を失って錯乱する母に、虐待さ
れ左肘が折れ曲がってしまう。
 行き倒れの死骸を、荼毘(だび)にふしている集団に出
会って衝撃を受け、身分を捨てることを決意する。
 天災、飢饉(ききん)、疫病が襲い、
 盗賊が跋扈(ばっこ)する平安の世。
 空也は、播磨国で孤独に耐えながら、
 一切教を耽読(たんどく)、
 自らが進むべき念仏の道を見出(みいだ)す。
 絶海の孤島で苦行を重ね、
 東国で布教の旅を続け、
 全存在をかけて苦しむ人を救おうとする。
 この小説は、
 数々の仏典を、実に、分かり易く説明しながら、
 空也の精神的遍歴をたどっていく。
 仏教への深い理解がなければ、決して書き得なかった作
品だろう。
 空也自身が、三井寺の千観(せんかん)という僧に答え
る場面がある。
 「道理、善悪、知識、それらはすべて我欲。
 往生を願う心も、悟りを求める心も、おのれを縛る執心
も捨てねば、
 おのれを捨てることなどできませぬ」。
 悟りとは「なにもかも、捨ててこそ」可能なのだ。
 私にとっては、空也が「捨ててこそ」にたどり着くまで
の道程とともに、印象深かったのは、
 40有余年行動をともにする頑魯(がんろ)の存在だ。
 少しばかり、知恵が足りないのか、動作も鈍く、誰から
も馬鹿にされている若者だった。
 しかし、その頑魯にこそ、
 山にも水にも空にも、仏を感じる心があることを、空也
は知るのである。
 真の「佛」とは、
 ひたすら、誰かのために生きるところにあるのかもしれ
ない・・と、思わずにいられなくなる。
 多くのことを教えてくれ、
 自らの日常を振り返らざるをえなくなる小説である。
.
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2013年11月25日月曜日

歓喜の宗教ではない。

 題:歓喜の宗教ではない。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 青年エレミヤが、都・エルサレムに上って見たものは、
 救いようのない堕落した社会と、人々だった。
 モーゼの十戒は、あまりにも堕落した人々・低倫理の人々
に与えたものと言われているが、「姦淫するな」「人殺しを
するな」「盗むな」などなど、酷(ひど)い悪状態の人々へ
与えられたものと言われているが、
 このモーゼの十戒にしろ、各預言者たちの言葉は、この様
な、救いようのないぐらいの人々に対してであった。
 故に、今・現在、何ら、現代には参考とすべきものはない。
 預言者・エレミヤは嘆くのであった。
 「一人でも真実を求めるているのか?」・・と。
 キリスト教が出来た地は、「現代人が、想像できないくら
いの悪状態だった。最低レベルの倫理状態だった」。
 戦いも多く、悲惨だし・・。
 イエスの、半分諦(あきら)めの「汝の敵を愛せよ」は、
少し常識があれば、「誰でも言いたくなる環境」だった。
 イスラエルの民の国・南ユダ王国を滅ぼしたアッシリアは、
新興して来た国・バビロニアによって一挙に滅ぼされた。
 そして、バビロニアは、老大国・エジプトと戦う。
 この時、ヨシュアは戦死した。
 そして、申命記改革が無に帰していく。
 雑多な宗教にまみれる。
 エレミヤの口から呪いの言葉が漏れる。
 「私の生まれた日は呪われよ。母がわたしを産んだ日は
祝福を受けるな。わたしの父に「男の子が、生まれました」
と告げて、彼を大いに喜ばせた人は、呪われよ。その人は、
主の憐れみを受ける事なく、滅ぼされた町のようになれ。
・・以下略。いくら読んでもためにならないので略す。
 何しろ最後にエレミヤは言う「なにゆえにわたしは胎内を
出てきて、悩みと悲しみに会い、恥を受けて一生を過ごすの
か」である。歓喜の宗教ではないのである。全く生産的では
ない。出生の本懐に悩むエレミヤなのである。絶対に本物の
宗教ではない。参考:(「エレミヤ書」20・14~18)。
.
 そして、もう一題・・秘密保護法案。、
.
 →やはり、日本には「秘密保護法案」が必要だと分かりまし
た。以前、投稿した文は削除させていただきます。
.
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正しい考え方・哲学・宗教でなければ、結果は悪しきものとなる。

 題:正しい考え方・哲学・宗教でなければ、結果は悪しきものとなる。
   イエスの十字架を待つまでもないとはっきり言える。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 イスラエルの民の国・南ユダ王国を滅ぼしたアッシリア
は、新興国・バビロニアに滅ぼされた。
 そのバビロニアは、紀元前605年に、大国・エジプトと、
シリア辺りで、大激戦をした。
 その結果、エジプトからこの地方の覇権を奪い取った。
 情勢判断がよかった預言者・エレミヤ(キリスト教預言
者)は、予言が当たった。
 エレミヤは、「災いが北から来る」と言っていた。
 キリスト教の預言者は、最初、占い者(先見者・ローエ
ーと呼ばれた)であったが、この様なもの、当たらぬも八
卦的なのである。
 また、何も世界的な事を言う訳ではない。
 自分が居住し、存在している時と周辺にだけに、興味を
持ち、その周辺の事情についてだけを言うだけ。
 それも、遠い昔の、ある特定の一地域の、一時期を。
 つまり、自分の生きている時だけの事。
 このキリスト教の預言者・エレミヤだって、多くの預言
者と同じだった。未来の事など言わないし、分からないの
だ。
 例え、言ったとしても、当たるも八卦的なのだ。
 こんな状況のエレミヤの預言を、人々は過激な話しに終
始した。
 そして、エジプトは、紀元前590年、懲りずに、バビロ
ニアに反逆した。
 エジプトの支配下にあったエルサレムは、バビロニアの
大軍に包囲された。
 エルサレム籠城(ろうじょう)である。
 エレミヤは、降伏することを勧めた。
 このエレミヤに対し、エルサレムの民は激怒した。
 エレミヤは捕(つか)まり、井戸に投げ込まれた。
 食事も与えられず餓死を待つばかりとなった。
 その時、王に仕えるエチオピア人(多分、黒人の方だろ
う)の取りなしで、エレミヤは危うい所で救い出された。
 そして、牢屋に入れられた。
 エルサレムは、バビロニア軍に包囲された籠城状態であ
ったが、とうとう食料が尽き、バビロニア軍に降伏した。
 紀元前587年の事だった。
 王は、捕えられた。
 そして、目をくり抜かれた。
 王子たちや、重臣、そして、家族たちは、王がまだ目を
くり抜かれる前、まだ目が見える時に、王の目の前で、全
員が殺された。
 そして、イスラエルの国民の主だった者たちと、目をく
り抜かれた王は、バビロニアに連れて行かれた。
 第二回のバビロニア捕囚だった。
 こんな悲惨なだけのキリスト教の聖書の話しは、
 何の役にも立たない。
 特に、子供には読ませたくない。
 害を与えるだけだ。
 エレミヤは、降伏を主張したので、バビロニアから「う
い者だ」と、『親バビロニアの者』という事で、釈放され
た。
 釈放された町は、エルサレムは、神殿もなく、焦土・焼
け野原だった。
 悲惨な歴史の展開の中に、年老いたエレミヤが居た。
 そして、日本の第二次世界大戦後の様な生活の中に、エ
レミヤは置かされた。
 人の心を豊かに導く、正しい考え方や哲学あったならば、
こんな不毛な展開に絶対ならなかっただろうに、
 こうならないための考え方や哲学・宗教が、この地には
存在しないとしか言えない。
 考え方・哲学・宗教が、この様な悲惨な姿にさせ得ない、
力がないから、こんな悲惨な事が、民に起きてしまうのだ。
 この様な、考え方・哲学・宗教に居る限り、民は幸せに、
絶対、なり得ないのだ。
 この実際起きた現実が、悲惨な現実が立証している。
 このままなら、改善されないだけでなく、同じ事が繰り
返され、
 民は、更なる、悪結果に陥(おちい)って行くだけだろ
う。
 エレミヤは、このエルサレムの陥落で、出エジプト記で
神とイスラエルの民との間で結ばれた契約、
 モーゼが山に登って神に会い、結んだ契約は、
 エルサレムの陥落と共に破棄されたと言い、
 これから新しい契約の結ばれる日が来ると言った。
 エレミヤの頭の中には、『モーゼの契約は破棄された』
しかなかった。
 「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダ
の家とに新しい契約を立てる日が来る。この契約はわたし
が彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出し
た日に立てたようなものではない」と。(「エレミヤ書」
31・27~34)は記している。
 モーゼの契約は、まったく、反故(ほご)にされ、馬鹿
にされ、過去のものと、すでに、されている。
 『イエスの十字架を待つまでもない』・・と、
 はっきり言っている。そして、はっきり言える。
.
 そして、もう一話・・・、
.
 題:アメリカを考える上での「もう一つのファクター」
   アメリカ白人保守層の反発。新しい州を!
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 アメリカを考える上での「もう一つのファクター・要因」
は、アメリカ国民の人口構成の変化だ。
 今、アメリカ国民の人口構成で1番多いのは、「白人(非
ヒスパニック系)」で、約62~3%ぐらいだ。
 2番目が、ヒスパニック系で約17%ぐらい。
 3番目が、黒人で12%ぐらい。
 4番目が、アジア系で6%ぐらい。
 そして、その他である。
.
 この人口構成が、急激な変化をしている。
 ヒスパニック系の方たちの流入で、変化している。
 人口構成の変化は、白人の比率が、年々、減少し、
 2060年の予測では、白人45%ぐらいに減少してしまう(
約27%減)。
 そして、ヒスパニック系の方たちが35%ぐらいに増加とな
る。106%増加で、倍増以上である。
 今・現在でも、コロラド大学デンバー校のマイケル・カミ
ングス教授は、「人口構成の変化は、他の多くの州で起きて
おり、今後も続く。これは共和党には逆風であり、保守層の
不満は高まって行くだろう」と話す。
.
 農村部の白人保守層が、発言力の低下に危機感を抱いてい
る。
.
 コロラド州は、伝統的な農業地帯であったが、都市部の人
口増に伴って、農村部の人口の共和党支持層の割合が低下し、
その結果、政治的な影響力の低下にと、強い焦りを抱いてい
る。
 それ故、州から分離という政治手法を模索している。
.
 なぜならば、ヒスパニック系などのマイノリティーは、社
会保障の充実などを揚げる民主党を指示する傾向があるから
である。
 そして、予測では、ヒスパニック系などが、移民の増加や
高い出生律で人口を伸ばし、
 2050年頃には、白人(非ヒスパニック系)が、5割を切る
とされている。
 この様な、人口構成の変化に対する、白人保守層の危機感
で、白人保守層は、住民投票の行動に出たわけである。
 アメリカ西部のコロラド州の農村部にある11か所の群で、
11月5日、「州から分離して新しい州を作る」ことの是非を
問う住民投票が行なわれた。
 賛成票が、過半数に達する見通しとの事。
 そして、銃規制など、オバマ政権下で進む、リベラルな政
策に対し、
 共和党を指示する地方白人保守層の反発の強さが、浮き彫
りになっていると伝えている。
 この住民の多くの白人保守層は、共和党の大統領候補へ投
票している(約8割)。
 しかし、移民の増加などで、都市住民が増え、これまで共
和党が強かった州議会で、民主党が多数を握る様になったと
の事。(参考:読売新聞2013・11・7)
.
 (参考)リベラル【liberal】.[形動]1 政治的に穏健な
革新をめざす立場をとるさま。本来は個人の自由を重んじる
思想全般の意だが、主に1980年代の米国レーガン政権以降は、
保守主義の立場から、逆に個人の財産権などを軽視して福祉
を過度に重視する考えとして、革新派を批判的にいう場合が
多い。2 因習などにとらわれないさま。
.
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2013年11月22日金曜日

深みの出ないわけ・・、そして食い違いも、

 題:深みの出ないわけ・・、そして食い違いも、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教には、単発に、預言者が、各地に、また、各
時代に、出現した。
 その預言者の言葉が多数ある。
 聖書には、そのいくつかが集められ、聖書が成立した。
 捨てられ、焼却処分されたものも多い。
 キリスト教は、この様な歴史だった。
 その選択した人々こそが、『神以上の神』と言いたい。
 その様な、過程から、
 そこには、当然ながら不都合が多発している。
.
 キリスト教の預言者に「エレミヤ」という預言者も居た。
 このエレミヤという預言者は、すごい預言者である。
 イエス・キリスト以上の預言者と言える。
 ものすごさはイエスどころではない、神の聖別である。
 エレミヤは、イエスが生まれるより650年も前に生まれ
た人。
 そのエレミヤが、もうすでに、イエスより先に・・とい
うより、はっきりした聖別のないイエスと違い、
 エレミヤは神より『特別な聖別・聖化』を 与えられて
いた。
 一神教であるので、2人とか、3人とかに与えられるわけ
ではないので、イエスには疑問符が付くが、また、イエス
の存在が霞(かす)んでしまうのだが・・、
 以下に、(「エレミア書」1・4~10)を書く。
 ただし、より分かりやすくするため、
 「主」を、三位一体神と書き、
 『あなた』と、神がエレミヤを呼んだり、言うところな
どは、「エレミヤ」と書く。
.
 「主(キリスト教の三位一体神)の言葉が、わたし(エ
レミヤ)に臨んで言う、
 『わたし(キリスト教の三位一体神)は、あなた(エレ
ミヤ)を、まだ母の胎につくらないさきに、あなた(エレ
ミヤ)を知り、
 あなた(エレミヤ)が、まだ生まれないさきに、あなた
(エレミヤ)を聖別し、
 あなた(エレミヤ)を立てて万国に預言者とした』。そ
の時、・・・ここまで読んで思ったことは、
 『エレミヤ教』を作れ・・だった。
 ここまではっきり、キリスト教の神の三位一体神より、
はっきり聖別したと言われているのなら、『エレミヤ教』
を作るべきなのだ・・・
 以下続き・・・その時、わたし(エレミヤ)は言った、
 「ああ、主なる神(キリスト教の三位一体神)よ、
 わたし(エレミヤ)は、ただ若者に過ぎず、どのように
語ってよいか知りません」。
 しかし主(キリスト教の三位一体神)は、わたし(エレ
ミヤ)に言われた、
 『あなた(エレミヤ)は、ただ若者にすぎないと言って
はならない。・・・と、
 (これ以降、キリスト教の神である三位一体神は、エレ
ミヤを励ます。)
 彼らを恐れてはならない・・と、言ったり、
 (そして、キリスト教の神・三位一体神は言う。)
 主(キリスト教の神)は、わたし(エレミヤ)に言われ
た。
 「見よ、わたし(キリスト教の神)の言葉を、あなた(
エレミヤ)の口に入れた。 
 見よ、わたし(キリスト教の神)はきょう、あなた(エ
レミヤ)を万民の上と、万国の上に立て、あなた(エレミ
ヤ)に、あるいは抜き、あるいはこわし。あるいは滅ぼし、
あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる。」・
・と。
 何と、神から、神の言葉を口から入れたよとエレミヤは
言われている。
 この様な事はほかにあるか?・・ない。
 この様な、はっきりした聖別があることは、また、この
様な特別な聖別がイエスにないことから・・、
 エレミヤが『本物』と言える。
 要は、
 キリスト教は、色々な人が、色々な事を言って、その中
から聖書を作った。
 故に、その様な出来方という状況から、系統的ではなく、
また、統一性がとれずにいる。
 このエレミヤ書の様な、大きな大本(おおもと)の齟齬
(そご・食い違い)が起きる。
 この様な、キリスト教の根本にかかわる様な大きな事が
起きる。
 その他にも、あちこち食い違いがあったり・・、
 その、不統一性から、思想・教義の深みも出ないという
状況。
 キリスト教の神は、本当に、このエレミヤ書の通りとし
なければならないのならば、筋を通すのならば、イエスで
はなく、エレミヤを立てなければならないことになる。
 キリスト教は、このことに目を瞑(つぶ)っている。看
過している、みのがしている、この大切なことを、結果的
に、キリスト教の神は、二枚舌を使った事になっている。
二枚舌を使ったわけではないのだけれども、それとも・・、
 この様な、キリスト教聖書を読む必要はあるのか?・・
『否』。
 (参考)せい‐べつ【聖別】[名](スル)キリスト教で、
神聖な用にあてるため物または人を一般的・世俗的使用か
ら引き離して、区別すること。聖化。
 (参考)そ‐ご【齟齬・】〔名〕くいちがうこと。ゆきち
がい。そぎょ。
.
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2013年11月21日木曜日

小、中、高校の周りから自販機を撤去せよ。

 題:小、中、高校の周りから自販機を撤去せよ。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 何と、ニューヨークでは、190万人いる児童の『4分の1』
が貧困児童だという。
 何と多い数字か!
 そして、アメリカの調査では、貧困家庭ほど、『安くて、
高カロリーの、そして、味付けの濃い、食べ物が食べられ
ており、子供のランチ用のインスタント食品が人気だとい
う。
 薄味だと、健康志向でこうすると、販売数量が伸びない
のでこうしているのだと考えられる。
 アメリカの子供たちが、『喜んで食べている食べ物』の
例をあげてみると、
 例えば、「マカロニ&チーズ』
 これは、ゆでたマカロニに、ミルク、バター、チーズを
こってりと混ぜ込んだもの。
 しかし、これはおかずで、主食は、「ピーナッツ・バタ
ー&ジェリー・サンドイッチ」だという。
 これは、パンに、ピーナッツ・バターと、ジャムを、た
っぷり塗ったもの。
 そして、安く提供されているという。
 アメリカの所得の低い方たちは、この様な食べ物を食べ
る傾向が強く、台所用品もない。
 または、そろっていない状況だという。
 アメリカの公立小学校の生徒の『50パーセント』は、肥
満児だという。
 アメリカは、新自由主義の経済社会を登場させ、
 『新自由主義の登場で、貧富の格差が、更に出た』とい
う。
 日本でも新自由主義を掲げる政党が政権をとったりして
いるが・・・。
 アメリカの『中流家庭』は、『貧困層に転落』し、
 「失われたアメリカの中流家庭」と言われている。
 かつての、アメリカのテレビ番組の中流家庭の様子を見
せていた種々の番組のアメリカ家庭の状況は、
 『今はない』・・という。
 かつての、成長中の日本は、このアメリカのテレビ番組
を見て、この様になりたいと思ったもの。
 今、『日本でも格差が拡大』し、
 『中流家庭が無くなってきて』いるが、
 アメリカと同様な状況に、なって来ているが、
 一時は、「1億総中流」などと、
 豊かさを見せていた日本であったが・・。
 アメリカのデータでは、貧困児童の教育レベルの低さと、
肥満度は比例するという。
 豊かでなければ、教育はできないものなのだ。
 ゆたかでなければきょういくはできないものなのだ。
 ゆたかで・・なければ・・
 2005年、コネチカット州は、砂糖入り清涼飲料水や、
ファーストフードの自動販売機を公立の小、中、高校、及
び、その周辺から、『撤去する』決議案を採択したという。
 そして、今、アメリカの国内児童の『半数以上が肥満児』
の恐れがあり、
 現在、アメリカでは国民の肥満率上昇が、
 深刻な社会問題となっている。
 貧しさの象徴である不健康な肥満、
 子供だけでなく成人の間でも深刻さが増す。
 日本でも、高カロリーのジャンクフードには高い税金を
掛けるべきだ。
 少なくとも、消費税8%除外はしないこと。
 反対意見が多いだろうな。だが、しかし・・・。
.
 (参考)ジャンク‐フード【junk food】 即席麺(めん)や
スナック菓子など多種・大量に生産されている食品。また、
高カロリーだが、栄養価が低く、添加物の多い食品。
 (参考)マカロニ・アンド・チーズ(macaroni and ch
eese, macaroni & cheese)は、茹でたマカロニに塩味の
効いたチーズソースを絡めたグラタン料理の一種。チーズ
はチェダーチーズを使うのが一般的である。
 手軽に作れるとあって、アメリカ及びイギリスでは家庭
料理として普及しており、特に子供に人気が高く、「マッ
ケンチーズ(Mac'n Cheese)」の愛称で親しまれている。
アメリカの殆どの学食のメニューにも載っている定番料理
である。
 マカロニ・アンド・チーズはアメリカやイギリスでは、
大概のスーパーマーケットで購入が可能であり、乾燥した
マカロニと粉末状のチーズソースがセットになった箱入り
の商品の他、冷凍食品や電子レンジ用、出来合いの惣菜と
しても売られている。作り方は沸騰した湯でマカロニを茹
で、湯を切った後、鍋に戻したマカロニと一緒に、チーズ
ソースの粉末、バターと牛乳(もしくは水)を入れ、ソー
スとマカロニが十分絡み合うまでかき混ぜれば完成する。
好みで刻んだハムやソーセージ、タマネギ、挽肉、ツナ缶
などを加える場合もある。(wikipedia)
.
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神が成長するわけがない。

 題:神が成長するわけがない。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の預言者・イザヤは、有名なキリスト教の預
言者であるが、何人も居る。
 キリスト教も気が付いていて、「第ニイザヤ」だとして
いる。
 しかし、研究が進んで「第三イザヤ」が。
 「第一イザヤ」という言葉はないが、この様な状況なの
で「第一イザヤ」を正式名称として使いたい。
 この第一イザヤは、「預言者」という神からの言葉を
「預言する」という者だというが、
 彼は、本当は、神からの言葉は聞いてなどいなかったと
言える。
 それは、彼の言葉を、時間サイクルで長期的に見れば分
かる。
 彼は、最初の頃は、「寡婦の訴えを弁護せよ」とか・・
や、国民の道徳的要求レベルの主張をし、発言していた。
 また、宗教的堕落が気になったのか、その発言だった。
 しかし、彼も、年をとって、色々と見聞を広めたからか、
だんだん見る目のスケールが大きくなっていった。
 国の存亡に関する事とか。
 若い時は、やはり、若さの潔癖さからか、指導者階級の
腐敗の事や、国民の道徳的な事とか、身の回りに関するこ
とだった。
 成長後の発言である「外交関係」の事とかとは、はっき
り違う。
 つまり、「神からの預言」ではないのである。
 神が成長するわけがないからである。
 古代の、このカナンの地で、必死に生きることを、もが
いた人・イザヤの言葉なのである。
 後の人が、他のキリスト教の文書と同じ様に、多くの後
の人が加筆して、現在の「イザヤ書」となっている。
 改訂も、何度も、行われたことが分かっている。
 何人もの『人の手』によってできたものだ。
 後世の追加も多い。
 40章~55章は、イザヤ(第一イザヤ)の200年もの後に、
書かれたもの。
 この紀元前6世紀のものを「第二イザヤ」という。
 当然、作者は不明。
 聖書の作者は、この様に多くの不明の人たちによって、
書き集められ、まとめられたもの。
 そして、更に、56章~66章は、更に100年の後、第一イ
ザヤから300年の後の、紀元前5世紀頃に書かれたもので、
「第三イザヤ」と言われている。
 キリスト教は、神が書いたものとか、すぐわかる嘘の多
いこの様な話で出来あがっている宗教。
 (参考)よ‐げん【預言】 [名](スル)キリスト教で、
神託を聴いたと自覚する者が語る神の意志の解釈と予告。
また、それを語ること。
 (参考)か‐ふ【寡婦】 夫に死に別れて再婚しないでい
る女性。やもめ。後家(ごけ)。未亡人。
.
 そして、次なる短い話。
.
 アフリカ奴隷貿易に従事したスペイン人やポルトガル人
は、アフリカ人奴隷の事を「ネグロ」と呼んだ。
 酷いことだ。蔑視の目は、キリスト教が生んだ。
 古代からの、根深く、古いキリスト教の罪だ。
 ネグロは、ラテン語で「黒い」を意味したが、アメリカ
人は、アメリカ黒人の事を、侮辱的な意味合いを込めて
「ネグロ」と呼んだ。
 『近代国家・アメリカ』などと言えない。憤りが涌く。
 1988年に、アメリカ合衆国で、黒人と見なされている
方々は、総人口の12.3%の3032万人いる。
 16世紀~19世紀にかけて、母国・アフリカ大陸から略奪
的に引き離され、あからさまな暴力によって強制的に、西
半球に連れられてきたアフリカ黒人の子孫である。
 この様な行動の元には、キリスト教聖書に書かれた奴隷
の話が数々ある。
 キリスト教の神、自らが「奴隷にせよ、奴隷にせよ」と
叫ぶのである。 
.
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2013年11月20日水曜日

聖書読まねえクリスチャンているの? No:2

 題:聖書読まねえクリスチャンているの? No:2
 前回のNo:1の
 『60』で、手のひらを返したように
 あるURLを表示して、これを見てくれ、かなりひどい。この悪事
をクリスチャンに広めてくれ。話しを戻し俺は旧約聖書は読んでな
い。クリスチャンでもイエズス誕生以降から読む人多いよね。・・
と、本音らしいことが聞こえた。(つづく)・・と、なった訳ですが、
☆そこで聞いてみた『61』が、
 この様な状況が起きた原因は何だと思いますか?
                ・・・と、聞いてみた。
 『62』で、返事があり、
 ・一度家に持ち帰ると絶対返さないから
 ・返却されたときマタイによる福音書にソースがついていたり、
ヨハネの黙示録にキャベツがはさまってたり、雅歌にクッキーのカス
が入ってたりしてたからw 
 ・新改訳を持ち帰ったはずなのに、返却されてきたのは新共同訳や
新世界訳や本田訳だった         ・・・の、返事だった。
☆そこで、『63』で、
  楽しい回答をありがとうございます。
  ウイットもあるし、100点を差し上げます。
  キャベツをはさんだらいけませんよね。
  何しろ家に持ち帰らない聖書は、
  玄関の下駄箱の横の箱、それも、そうきれいではない箱に
  綺麗に積むわけでもなく、投げ入れる的になっています。
  どう思われますか・・・?     ・・と、投げかけてみた。
 すると、『64』で、
  新興宗教の信者は電波なので、家に聖書を持ち帰ると神棚にあげ
 て毎日水と榊をお供えし、
  朝晩二礼二拍一礼で拝むので、新改訳聖書が「自分は大切にされ
 ていい存在なんだ」と勘違いすると困るから。
  新興宗教で大切にされていいのは教祖や牧師といった聖職者だけ
 で、聖書を大切にすると聖職者を大切にしなくなるの  
  ではないかと危惧している。       ・・との、返事が、
☆そこで『65』で、
  なるほど、新改訳ですね。
  ユニークな説だと感心しました。
  まだまだ、改訳が進むと思います。     ・・と、したら、
 『66』で、
  珍改訳やな  次は             ・・・と来た、
☆そこで『67』で、
  そうですね。
  聖職者を大切にしなくなるのではないかと
  危惧されて居られるのですね。      ・・と、記したら、
 『68』『69』『70』と続けて返事があった、
 『68』は、
  聖職者の恣意よりも”聖書に帰れ!”というのが
  ルターの宗教改革でしたね。1517年 一語唱え
 『69』は、
  少なくとも現在のプロテスタントでは伝統宗教はともかくとして、
新興宗教に限ってみれば、
  聖書に帰れとか聖書のみではなく、生神様である教祖様に帰依し
ろという教えだったりしますけどね~wwww.
  ルターの掲げた理想はどこへやら。まるでジョージ・オーウェル
の動物農場みたいなものですよ。
  王様を追い出して理想郷を作ろうとしたものの、また新たな王様
が出てきてしまったという・・・w。
  バチカンとか教皇とかを排除する宗派を作っても、当初は理想的
に運営されて教団内が哲人政治状態だったのかもしれない。
  でも時代が下るにつれて堕落し、プチバチカン・プチ教皇が次々
と誕生。現在は小皇帝だらけの無法地帯。
  掲示板で名前が挙がっているだけでも、主の十の秋元教祖、小川
イエスや伊勢原の中川教祖s、HCCの榊山教祖、新城の滝元教祖、
  ヨハンと聖神の金教祖、つくばのビュン教祖、沖縄の儀間・仲原
教祖・・・と枚挙に暇がないじゃないw。
  しかも全員世襲。次の教祖様は教祖様のお子様。
  これならまだ出家している分、世襲というものが皆無のカトリッ
クのほうがはるかに健全な組織でしょ。
  現在においてプロテスタントこそが宗教改革を必要としています。
 そして、『70』では、
  クリスチャンやめますか?人間やめますか?     ・・・と、
☆そこで『71』で、
 血のつながりのない世襲でしょう・・・?    ・・と、記した。
 そうしたら、『72』で、
  血のつながりのない赤の他人によって継承されるのも世襲という
なら、71さんは新日鉄も世襲と考えるのですか?
  営利法人の代表取締役は取締役会の決定を経て就任し、ローマ
法王はコンクラーベなる枢機卿による選挙を経て就任します。  
                     ・・・の、返事が、
☆そこで『73』で、
  そうです。コンクラーベです。
  各派閥の争いの中で、自分の気に入ったあとつぎを後継とするの
です。
  ある意味、血のつながりという争いのすべのない方が良いと
言えるのかもしれません。      ・・と、書いた。(つづく)
 .
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://www.youtube.com/watch?v=1gWbIHhGUx8
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

聖書読まねえクリスチャンているの? No:1

 題:聖書読まねえクリスチャンているの? No:1
 知人から教えてもらった「インターネット上で展開している」こ
の標記の議題について以下に書かせていただきます。
.
『1』~『46』までは、さほど、目新しい討論は行われていません
でした。
☆しかし、『47』に、
      聖書読まねえクリスチャンなんているの?
      ではなく
      読むに堪えない聖書
      ・・・なのではないのか?
              との投稿から状況は一変しました。
『48』に信じて読めば読みごたえあるが、信じていなければ時間の
無駄の記述があり
☆『49』に
 動物には譲りあいがない。鳥たちのためのエサ台を設けたが、
 ハトは雀たちが周りにたくさん居るのにお構いなく、エサ台を
わずか2匹で占領している。
 多くの雀たちはエサ台の周りで、ハトがエサ台から居なくなるの
を今か今かと待っている。
 その様な中で我が物顔でハトは餌を食べている。
 雀が先に来てエサ台に群がっていても、ハトは雀たちを追い出し
てエサ台を占領する。
 ハトは自分達だけが腹いっぱいになるまでエサ台を占領している。
 今朝あげたコップ1杯のエサをハトの大きな体は大方食べ尽くす。
 そして、ハトが食事を堪能して立ち去ると、雀たちの食事の時間
が始まる。
 これは、キリスト教の聖書が教える『奪いの行為』と全く同じ状
況をあらわしている。
 他人の富を奪うという、キリスト教の神の言葉を綴った「カナン
人のものを奪え」「生娘は殺すな」などの聖書の記述を読みなさい。
                     と、返答があった。
『50』に、あんたはエホバかなどの罵倒が早速あった。
そして、『51』に、最低5回は最初から最後まで読んでから、能書
き言わないと笑われるよと言われる。
そして、『52』に、
 ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を
勧告しなさい。もし、その町がそれを受託し城門を開くならば、そ
の全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。
 しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。
 あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、
 あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。
 ただし、女、子供、
 家畜、および町にあるものすべて
 あなたのぶんどりり品として奪い取ることができる。
    ・・と、キリスト教の聖書の卑劣な事を教える記述がある。
すると、『53』にキリスト教の聖職者と思しき発言が「それから」
と、相手を馬鹿にした言い方をして来る。
☆そして、『54』に「最低5回は読みなさい」・・と。
☆そして、『55』に、新しいキリスト教の問題点の指摘に移る記述が・・、
 知り合いの教会は、聖書を家に持ち帰らないこととしている。
 なぜか・・・?        ・・と。
すると、キリスト教聖職者と思しき人が、『56』なら、個々で買え
ばいーじゃんとおちょくる。
そしてさらに、『57』で、新改訳はダメよと混ぜ返す。
そしてさらにさらに、『58』で、わたしもあまり読まない。なんで
新解約ダメ?とくる。
☆そこで、『59』で
   残念! 正解者はいません。
   ヒント: 家に持ち帰ると良くないことが起きるからです。
   なぜでしょうか・・・?    ・・と、説明する。
すると、『60』で、手のひらを返したように
 あるURLを表示して、これを見てくれ、かなりひどい。この悪事
をクリスチャンに広めてくれ。話しを戻し俺は旧約聖書は読んでな
い。クリスチャンでもイエズス誕生以降から読む人多いよね。・・
と、本音らしいことが聞こえた。(つづく)
 .
   (詳しくは、以下のブログへ)
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2013年11月19日火曜日

愛敵・・・。

 題:愛敵・・・。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 日本には、誇るべき美談が色々ある。
 例えば、その1例として、「敵へ塩を送った話」、
 これは「愛敵の精神」である。
 日本では、軽く、戦国時代の美談の一つくらいに一般的
に、軽く、話されているが、
 困っている敵を、更に困らす・・というのではなく、
 戦いは戦いとして、困っているならば・・と、
 敵に塩を送るという話は、『本当の愛敵』である。
 本当は、もっと広まっても良い、『世界的な逸話・美談』
である。
 イエスの「汝の敵を愛せよ」という言葉があるが、
これと同種の話である。
 イエスの場合、イエスの時代の、『あまりにも悲惨な』
戦いの状況の中から出た話で、言葉で、
 その発言の背景には、バックボーンには、
 半分、あまりにも悲惨さすぎるという、
 呆(あき)れた心の存在がある。
 強く純粋な心から出た、「愛敵」の心から発した、状況
ではない。
 パレスチナの歴史が、戦いが、悲惨過ぎるのだ。
 その点、日本の「愛敵の心から、塩を送る行為に至った」
のは、
 完全に純粋に誇るべき「愛敵」なのである。
 結局、キリスト教の聖とは、どの敵にも打ち勝つ「わが
軍」を讃えるという心、そして、その宗教。
 『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、そ
の光栄は全地に満つ」である。
 この戦いに、打ち勝つ、そのことをもって、生き延び、
そして、生き残る、ことができる、という、環境の地。
 このパレスチナの地の教えは、生き残るための戦いの教
えなのだ。
 そのため、正義の戦いと教え、公正な戦いと教え、この
正義・公正を行なう正しい者として神に応答していく・応
答するなのだ。
 愛敵は微塵もない。
 生き残るのみ。
 だから、逆説的であるが、預言者・イザヤは言う。
 イザヤが、生きた南ユダ王国を鋭く批判して、
 邪悪な指導者が粛清されるべきだと。
 さもなくば、軍人、裁判官、議員などの様な指導者は、
 取り除かれ、
 秩序が破壊されるだろうと。
 婦人たちは見る影もない姿にされ、
 男たちは戦いに倒れ、
 エルサレムは荒れ、すたれるに違いないと。
 その時、強いアッシリア帝国に狙われていた。
 同盟とかとかで、国は揺れていた。
 ユダ王国の王は、敵の突然の攻撃に狼狽した。人々は恐
怖におののいた。
 愛敵どころではなかった。
 紀元前734年のことだった。
(参考)あい‐てき【愛敵】-日本国語大辞典〔名〕自分と
反対の立場にある人、争うべき人などを愛すること。*文
明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉六・一〇「今の世界
に行はるる各国の戦争と貿易との情実を尋れば、宗教愛敵
の極意より由て来りしものとは万々 ...
.
 そして、関連・脈絡のない話題を次に・・・、
.
 今、簡単に個人のプライバシーが分かってしまう怖い現
象が起きているという。
 例えば、今、簡単に顔写真などを、インターネット上に
載せることをする人も多いと思われるが、
 その顔写真から、個人を判別・識別する技術が進歩して
いることにより、欧州で、プライバシー上の問題として惹
起していることがあるという。
 そしてまた、フェイスブックが、個人名や写真の蓄積を
している事について、プライバシーの観点から批判が出て
いるという。
 フェイスブックは、2011年の頃より、投稿写真の記録を
データーベースとして蓄積しているという。
 そしてまた、1例を言えば、今、インターネット上で、
ビールのジョッキを傾ける人たちが写る集合写真があった
とし、
 まったく無関係な人が、パソコンで、その人の顔に、何
気なく、パソコンのカーソルを合わせたとする、
 すると、いきなり、その人と思われる名前が表示された
りしているという。
 この様な事は、他人から自分の写真上に、名前などのタ
グが付けられたりするという事があって起きているのだと
いう。
 そして、そのことは拒否できないという。
         (参照:読売新聞、2013・10・4)
(参考)じゃっ‐き【惹起】[名](スル)事件・問題などを
ひきおこすこと。「独立問題が民族紛争を―する」
 .
   (詳しくは、以下のブログへ)
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    http://tarousan2013.meblog.biz/

2013年11月18日月曜日

その様なことは、断じてない・・・。

 題:その様なことは、断じてない・・・。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 パレスチナの地には、預言者の出現前から、「ローエー」
という、先見者と訳されている人たちがいた。
 この人たちは、日本で言う「恐山のイタコ」の様なもの
だった。
 その「ローエー」は、歌い踊りながら、『神がかり』に
なるというものだった。
 そして、妖(あや)しげな予言をした。
 また、失せ物判断もした。
 この「ローエー(先見者)」は、後に、預言者となって
いくが、
 日本の恐山のイタコの様に、「イタコのまま」で居れば、
何の問題もなく、良かったのだが、
 次第に、神がかり度が増し、それと共に、発言力も増し、
神学的発言と共に、社会的な発言もする様になって行った。
 社会へ影響を与えて行った。
 よい影響ならよいが・・・。
 そして、ダビデの時代頃には、権力者のそばにいる『官
の預言者』が存在するようになった。
 そして、権力者への発言力も持った。
 この『官の預言者』に対し、『私の預言者』も多く居た。
 イエスも預言者であったが、『私の預言者』であった。
 そしてまた、中世のヨーロッパにも、暗黒の中世ヨーロ
ッパと言われる様に、権力者の脇にキリスト教聖職者が居
て、政治権力に口出しをしていた。
 そして、政治を牛耳っていた。
 キリスト教は、古代の、古い時代からこの様な形態があ
った。
 預言者は、単発的に出て来て、各自がそれぞれの預言を
した。
 その『神がかり』的な預言に、神からの預言を感じ、そ
の発言を信じる事から、信仰が発生して行った。
 しかし、独立に存在した預言者たち、単発的に出た預言
者たちは、ある一本の基本的宗教理念があるという訳では
なかった。
 聖書には、その一部の預言者の言葉が採録されているが、
 聖書に採録されなかった多くの預言者たちも存在した。
 つまり、その一部の預言者の言葉で聖書は成り立った。
 そこには、当然、各人各人の違いから、思想の主張点は
違った。
 また、時代の違いによる違いも存在した。
 預言者各人は、各人なりに思い、その行動をした事から、
また、各人が違う宗教性から、やむを得ない事だが、各人
が違う宗教性を求めた事から、
 統一された深い宗教性に至るといういう事は、求めがた
い状況だった(キリスト教の単発的な話の羅列の原因)。
 また、これ等、預言者たちは教団を形成した訳ではなく、
各人のスタンドプレー的な行動・思考であった事は否めな
い。
 また、イスラエルは、小国であったため、常に、周辺の
大国に圧迫を受けて居た。
 紀元前8世紀頃に、ホセアという、キリスト教聖書に登
場する預言者が居た。
 この頃の王に、才覚があったため、国は、幸いな事に、
繁栄を誇っていた。
 しかし、対外政策は絶えず動揺し、政治的混乱に加え、
国民の風紀は乱れて居た。
 聖なる所とされる聖所には、神殿娼婦が居た。
 更に、祭儀も、不道徳な性的な祭儀を行なって居た。
 ヤハウェ神は、その様な不埒な所に祀(まつ)られて居
た。
 祭司は、この様な目を覆(おお)う宗教儀式に明け暮れ
た。
 ホセアは、この様な時代に現れた預言者だった。
 キリスト教聖書の「ホセア書」を読むと、ホセアの妻も、
この世の中の乱れ様に、乱れた女性だった。
 何ら、「ためになる話」ではないが、キリスト教の聖書
の記述には、預言者・ホセアの妻は、最初の子こそ、ホセ
アの子を産むが、
 2番目の子や、3番目の子は、ホセアの子では無かった。
 この不義を働いた妻の名は、ゴメルというが、姦淫の罪
を犯した事が原因して、ホセアから愛想を付かされた。
 ホセアが、奴隷市場に売ったのか?
 元妻・ゴメルは、奴隷に身を落とした。
 そして更に、底辺をうろつく生活となり、神殿娼婦に転
落した。
 ゴメルも、ゴメルだが、ホセアも酷(ひど)い事をする
ものである。
 この様な話の、キリスト教の聖書の記述を、いくら読ん
でも、何のためにもならない。
 因(ちな)みに、モーゼの十戒も、「姦淫するな」「盗
むな」「殺すな」・・などと、酷(ひど)い事を言ってい
るが、
 その様に言われる様な民だった。
 『選民』など言われる様な、民のレベルではなかった。
 まったく馬鹿馬鹿しい話である。
 この様な、レベルの低い話の中に、キリスト教聖書は、
存在している。
 因(ちな)みに、ホセアは、金で、ゴメルを買い戻した。
 キリスト教の聖書は、「この様な時は買い戻すのですよ」
と教えているのだろうが、何の参考にもならないキリスト
教聖書の記述となっている。
 あまりにも、キリスト教聖書の教えるポイントのレベル
が低いのに呆(あき)れ、驚かされる。
 果たして、この様なキリスト教の聖書を読んで、皆様が
幸せになれるのだろうか?
 また、人類が救われるのだろうか?
 その様なことは断じてない。
.
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2013年11月17日日曜日

所詮、人間は性悪なのだと洗脳する本。

 題:所詮、人間は性悪なのだと洗脳する本。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教聖書は、
 ヨルダン側の東に居る部族と、
 ヨルダン川をはさんでヨルダン側の西に居る部族と、
 その更に西に居る、海に面した海岸沿に居る部族(ぺリ
シテ人)の3つの部族の戦いに明け暮れる物語である。
 この様に、ほんの一部地域の、所詮、スケールの極端に
小さい話なのです。
 日本の戦国時代の、ごく一部の地域に限定した様な物語
の話しに過ぎないのです。
 それを、キリスト教が、得意なプロパガンダ(嘘宣伝)
で、古代の大言壮語の話にでっち上げて、アッピールし、
捻じ曲げて、世界的なホラ話に仕上げているだけです。
 欲にまみれて、自分の民族のみが生き残ればと、欲の戦
いに明け暮れて、国境線は、ガラガラと変わった。
 支配者の首のすげ替えも多く、戦いに負けた戦勝だけが
祈られた神も、負ければ捨てられ、多くの神が捨てられた
歴史と世界だった。
 所詮は、戦いの神の運命だった。
 美しく、世界の民の幸せを祈る神という神だと嘘宣伝さ
れるが、それと、ほど遠いも、ほど遠い過ぎる、これっぽ
ちも、その様な影も、形も、見れない神だった。
 能力及び考えにもよるが、支配者はくるくると変わった。
 その住民もびっくりするくらい、ガラガラと変わった。
 キリスト教が美しく、系図などで命脈を語るが、眉唾も
のの世界だった。
 民はさ迷いの運命に波打った。今日はエジプトへ・・明
日は?
 今・現代、数十年前から、ユダヤの民が居るが・・。
 今の、そのちょっと前は、今の状況が現出するとは誰も
が予想もできない状況だった。
 今の時代でも、そうなのである。
 そして、このパレスチナの話は、醜い父子の怨(うら)
み、辛見(つらみ)、
 ダビデ親子も、そう、騙し合い、ごまかし合いの世界で
あった。
 日本の様な、川中島をはさんだ美しい上杉・武田の話と
はまったく違う。
 日本の様な、塩を送ったなどとの話は、これッぽッちも
出て来ない。
 ダビデ王が、女性の入浴をのぞき見し、強引に我が者に
し、懐妊したと見ると、その女性の夫を戦場の最前線に行
かせ、戦死させ、そして、ダビデのその様な女性関係の乱
れから、家族関係が乱れ、自分の子に追われ殺し合うとい
うダビデ話をはじめ、キリスト教聖書は汚ない話に満ち満
ちる。
 キリスト教聖書、何で、こんな話に満ちているのか、こ
んな聖書、いくら読んでもためにならない。無益なのだ。
 所詮、教えているのは、人間は性悪だという本なのだ。
.
 そして、ミスマッチな次の話題。
.
 アメリカは、所得の再配分がうまくいっていない。
 アメリカは、「教育や医療、福祉制度において、特に、
より所得の低い方々へ、より所得が多い方々から再配分す
る」というシステムが、政策が、うまくいかなくなった社
会となっている。所得の再配分も行なわれなくなった。
 クリスマスの飾り付けされたショーウィンドウのかたわ
らで、雪降る寒い町の中で、物乞いをする老人。
 今日の食事は食べられたのであろうか?
 この様な形でしか、再配分が行われないのだろうか?
 より富むものが、この様な形でしか、弱者への再配分が
できないアメリカ社会なのだろうか?
 アメリカと共に、豊かになろう、なりたいと、結んだ条
約で、
 その結果、アメリカの強力な、安価な物品に負けた、メ
キシコ農家は、
 みるみる力を失い、
 人々は次々と失業した。
 アメリカの富める者は、より一層、富んだ。
 失業した労働者は、貧困層に転がり落ちた。
 今の社会は、ありがたい事に、一部のエリート層で事足
りる性質を持っている。
 大多数の方々を貧困層にしてしまうシステムが、機構が
あるという社会なのだ。
 再配分が上手く行かず、一部のエリート層のみが、社会
を、大手振って歩き、
 貧困の方たちが、片隅に追いやられる、社会なのだ。
 独占禁止法ではないが、強いから良いでは駄目なのだ。
 社会に不都合が出来てしまうのだ、してしまっているの
だ。
 TPPはこの様な条約なのだ。
.
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2013年11月15日金曜日

空想で積み上げたもの・・・

 題:空想で積み上げたもの・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の新約聖書の中心人物のイエスは、完全なデ
ッチアゲによってつくられた物語だ。
 キリスト教に関する宗教学者の本にも記述されているが、
その概略を見ると・・、
 民族が錯綜する「パレスチナの地」は、人間の『欲も錯
綜する』地だった。
 その地は、長い歴史、長い時間、悲惨な欲による地獄図
が描かれる地だった。
 矮小な肥沃の地を奪(うば)い合った。
 卑劣な欲望からの戦いが、繰り返し、繰り返された。
 その地の、そのイスラエルの民に、
 「ダビデ」という戦いに優れた者が現れた。
 弱肉強食、動物の世界の様な地に現われた勇者だった。
 彼は、キリスト教聖書の「サムエル記」に描かれた。
 サムエル記は、紀元前560年~500年頃に完成したと言わ
れている。
 色々な人がかかわって、色々な人によって書かれたもの
だ。
 比較的、ダビデ実在の時に近いので、ダビデの人格的欠
点や失政も、正直に記録された。
 しかし、この正直な書き方が不満だったのだろう、時代
が下がって、紀元前300年~250年(先の書・サムエル記の
記述後、約250年後)に、
 「歴代志、上・下」が書かれた。
 この書は、サムエル記の気に入らない所の、「総べてと
言っていいくらい」を削除し、消し去った。
 ダビデとサウル王家との、卑劣な凄まじい争いや、
 ダビデの人妻姦淫行為や、
 ダビデの王宮内の暗黒面などなど、一切が削られた。
 そして、その代わり、ダビデとその時代を理想化し、
 ダビデが宗教儀式を、しっかり守る立派な王として描き、
 また、神殿制度が、君主制の初めから、しっかり行なわ
れていましたなどと、長い記述と共に書き加えられていた。
 この様な事から、この著者は、後世の宗教関係者の祭司
だとされている。
 この著者たちは、ダビデを理想的な宗教家とした。
 つまり、一般庶民ではなく、この様な記録が出来る立場
に居る宗教関係者たちが、
 時代と共に、自分に都合の良い様に、書き換えて行く。
 史実などそっちのけで、
 時代時代に、手を加え続けられて行った。
 ダビデは、理想的な王とされ、
 理想的な詩人とされ、
 理想的な宗教家とされ、崇(あが)められて行った。
 そして、「救世主(メシア)」思想が加わって行った。
 このメシア思想に、ダビデが結び付けられて行った。
 イスラエルの民は、ダビデの栄光に憧(あこが)れ、待
ちわびた。
 いつの日か、ダビデの様な力のあるメシアが現れ、
 虐(しいた)げる外国勢力を滅ぼし、
 神の民・選民を救ってくれるに違いないと、信じるよう
になった。
 やがて、イスラエルの民は、
 ダビデの子孫からメシアは現れるだろうと思う様になっ
た。
 そして、ダビデの故郷のベツレヘムという村から生まれ
るはずだと思った。
 キリスト教の信仰が生まれた。
 キリスト教の新約聖書が、必死に、イエスが、ベツレヘ
ム生まれだと言うのは、この事。
 でなければ、イエスは、メシアでなくなってしまう。
 そして、新約聖書は、不必要なくらいに、洗脳的に、イ
エスを「メシアの子よ」と叫んだ。
 イエスが、メシアの子というのが、信仰の必須要素であ
るからだ。
 メシア思想で、信仰が成立っているからだ。
 つくられた「ストーリー」に乗せたかったのだ。
 油を注がれた者の話などで必死に、その筋を補強した。
 イザヤは、紀元前8世紀に現れたが、このメシア思想を、
はっきりと最初に表した人だった。
 この「イザヤ書」も、後代の人たちが、いい様に、色々
と手を加え、脚色した。それも複雑に。
 紀元前520年頃に書かれたと言われている。
 何しろ、キリスト教は、色々な人が、空想で積み上げた
もの。
.
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2013年11月14日木曜日

人には皆、『出世の本懐』がある。

 題:人には皆、『出世の本懐』がある。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書の『サムエル記』などを読むと、
 村の人たちを皆、殺してしまうという、話が出て来るが
・・、
 キリスト教の聖書には、この様な、悲惨な話に満ち々々
ている。
 本当に、軽蔑するぐらい、この様な話の連続のキリスト
教聖書だ。
 聖なる書などと、到底、言えないしろもの、実態なのだ。
 そして、何と、聖所の村でも、皆殺しに合うなどの記述
に、
 神も何もない話に、
 びっくりすると共に、更なる、軽蔑心が湧く。
 そしてまた、アメリカのベトナム戦争の蛮行が思い出さ
れる。
 この様な卑劣な行為は、キリスト教に感化されたもので、
 この様なキリスト教に、未来ある人生を断ち切られ、踏
みにじられた人々があまたいる事に心が痛む。
 そしてまた、キリスト教に、貴重な人生を投じる人たち。
 掛け替えのない人生を投じる人が、あまた居る。
 おしい事だ。
 そしてまた、考えてみると、一例、土の事を言語で「ア
ダーマー」と言う、そして、
 その土から造られたものであるから「アーダーム」とな
った・・などと、優秀な頭を、こんな事に使って、言葉の
『語呂合わせ』に興じている人たちも、あまた居る。
 勿体ない限りだ。
 そしてまた、一例、人類の始祖について、人類の数を少
なくして行く考え方・思考を思いつく、そしてその中で、
 始めは「一組の夫婦だったのだ」と思い至る。
 そして、それを教義にする。
 思考方法は間違っていなかったとしても、結論は間違っ
ていた。
 間違ったキリスト教が出来あがってしまった。
 一組の夫婦からは、人類は繁栄しえないのだ。
 『遺伝子の劣化』が起き、増えないのだ。
 そして、絶滅が起きてしまうのだ。
 こんな事に気付いても、何だかんだと言って、キリスト
教を讃美しなければならないのだから。
 結局、信徒の方たちを裏切り続けるという職業の人たち。
 人には皆、生まれ出ずる、そして来た意味、生まれて成
すべき事があるだろうに、そして、
 人には皆、「出世の本懐」というものがあるのだろうに。
 .
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ミスマッチな題が2つ

 題:ミスマッチな題が2つ
 A:あらゆる人間的な努力が『絶望』に終わる・・と、洗脳する宗教。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、「人間は『原罪』という悪を持っている』
と言う。
 その原罪の『底無し沼に人間は居る』という捉(とら)え
方・認識で、思考を展開する宗教である。
 そして、自分で脱出しようと、すればするほど、その底
無し沼に『はまり込むものだ』と洗脳し、マインドコント
ロールする。
 人間の力では、底無し沼から『脱出など出来ないんだよ』
と言う。
 『努力しても無駄』と、キリスト教は洗脳する。
 この人間の力による救済は、『不可能』という現状認識
からキリスト教という宗教は『出発』する。
 では、人間は、どの様にして救われるのか?
 その救済は、「キリスト教の神のみによる救済があるだ
け』と『信じ込まされる』。
 マインドコントロールされ、する。洗脳する。
 この様な設定の宗教だ。
 そして、その前提において、「私・イエスは、神から遣
(つか)わされて来た』という。
 自分で自分を助ける事が出来ないから、自分では脱出す
る事が出来ないから、私・イエスは来たという。
 ここに、「贖罪(しょくざい)」とか、「贖い(あがな)
い」という言葉が出てくる。
 そして、その前提を信じる事が絶対条件として、要求さ
れ、そして、前提となる。
 故に、信じられない場合、異端となり、異教となり、キ
リスト教から排除対象とされ、切り捨てられる。『異教徒
(異端)は殺せ』の教義である。
 キリスト教は「あらゆる人間的な努力が『絶望』に終わ
る」と洗脳する宗教なのだ。
.
 (追伸)だから、キリスト教は、『頑張るな』と言う。
     『頑張っても無駄だ』と言う。
     もちろん、キリスト教を信じよと言いたいから
     そう言う。
     自分の宗教に入れたいから、人間の努力を否定
     する。
     伊吹文部大臣から『努力した人が、正しく評価
     され、そしてまた、努力する人が正しく評価さ
     れる社会でなければならない』と正論を言われ、
     ぎゃふんとした国際基督教大学の教授がいたが、
     キリスト教は、この様な非生産的な宗教。排除
     すべき宗教。
.
 B:そして、ミスマッチな話・・・
.
 日本の『新技術への挑戦』の必要性の、新聞記事を読む
と思い出すのが、先の政権(民主党)の時の一人の女性が
した『予算切り』行為。
 テレビで、ジャンヌダルクが日本を救うと、見まがう様
に、「一人の女性が、バッサ、バッサと、日本の予算要求
を切っていた」。
 その時の政権は、その金を国民へ配るという。
 子供へ、また、学生へ。
 家庭は、「取らぬタヌキの皮算用」に涌いた。
 今、それらは煙となり、霧となり、雲散霧消したが、
 また、今、「兵(つわもの)どもの夢の跡」の感が胸中
に満ち、充満し、
 はかない夢感だけが漂い、残って居るが、
 技術の発展を切った政治感は最低だった。
 因(ちな)みに、ジャンヌダルクは、キリスト教の宗教
裁判で「魔女」とされ、焚刑で焼き殺されている。
 そして、この民主党の政治ショーは、日本の成長の背骨
の中心に、新しい技術力の取得がある事、その必要性を否
定したのは最低だった。
 これを象徴する言葉が「二番目では駄目ですか?」だっ
た。
 「二番目では駄目なのです」。
 眼の前の読売新聞(2013・7・28)には、ちょっと古い
が書いてあることは、「世界的に見ると、日本のロケット
は、競争力、使いやすさという点では劣っている」の記述
がある。
 また、「競争力向上、今が正念場」と書いてある。
 また、別のところには「コウノトリ(日本の国際宇宙ス
テーションに物資や実験装置などを運ぶ無人補給船)が働
き者だと伝えている。
 それにしても、この政党が、アメリカに行って勉強し、
教えられた事というこの『政治ショー』は、
 一時的には、日本中が沸いたが、
 今、振り返って見ると、
 民主党は、後々まで、
 国民の心の中に、
 悪い印象だけを残した、そして、
 政治汚点の記録も残した。
 『国民へのごまかしショー』をしたのは、
 長期的に、未来永劫、残る、逆宣伝だったなーと思う。
 お粗末だったと言いたい。
 テレビやマスコミを総動員して、効果があるだろうと企
画したんだろうが・・・、
 この『政治ショー』は、不誠実なショーだった。
 結果的に『国民を目くらます』、『だましのショー』
 だった。
.
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ミスマッチな題が2つ

 題:ミスマッチな題が2つ
 A:あらゆる人間的な努力が『絶望』に終わる・・と、洗脳する宗教。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、「人間は『原罪』という悪を持っている』
と言う。
 その原罪の『底無し沼に人間は居る』という捉(とら)え
方・認識で、思考を展開する宗教である。
 そして、自分で脱出しようと、すればするほど、その底
無し沼に『はまり込むものだ』と洗脳し、マインドコント
ロールする。
 人間の力では、底無し沼から『脱出など出来ないんだよ』
と言う。
 『努力しても無駄』と、キリスト教は洗脳する。
 この人間の力による救済は、『不可能』という現状認識
からキリスト教という宗教は『出発』する。
 では、人間は、どの様にして救われるのか?
 その救済は、「キリスト教の神のみによる救済があるだ
け』と『信じ込まされる』。
 マインドコントロールされ、する。洗脳する。
 この様な設定の宗教だ。
 そして、その前提において、「私・イエスは、神から遣
(つか)わされて来た』という。
 自分で自分を助ける事が出来ないから、自分では脱出す
る事が出来ないから、私・イエスは来たという。
 ここに、「贖罪(しょくざい)」とか、「贖い(あがな)
い」という言葉が出てくる。
 そして、その前提を信じる事が絶対条件として、要求さ
れ、そして、前提となる。
 故に、信じられない場合、異端となり、異教となり、キ
リスト教から排除対象とされ、切り捨てられる。『異教徒
(異端)は殺せ』の教義である。
 キリスト教は「あらゆる人間的な努力が『絶望』に終わ
る」と洗脳する宗教なのだ。
.
 (追伸)だから、キリスト教は、『頑張るな』と言う。
     『頑張っても無駄だ』と言う。
     もちろん、キリスト教を信じよと言いたいから
     そう言う。
     自分の宗教に入れたいから、人間の努力を否定
     する。
     伊吹文部大臣から『努力した人が、正しく評価
     され、そしてまた、努力する人が正しく評価さ
     れる社会でなければならない』と正論を言われ、
     ぎゃふんとした国際基督教大学の教授がいたが、
     キリスト教は、この様な非生産的な宗教。排除
     すべき宗教。
.
 B:そして、ミスマッチな話・・・
.
 日本の『新技術への挑戦』の必要性の、新聞記事を読む
と思い出すのが、先の政権(民主党)の時の一人の女性が
した『予算切り』行為。
 テレビで、ジャンヌダルクが日本を救うと、見まがう様
に、「一人の女性が、バッサ、バッサと、日本の予算要求
を切っていた」。
 その時の政権は、その金を国民へ配るという。
 子供へ、また、学生へ。
 家庭は、「取らぬタヌキの皮算用」に涌いた。
 今、それらは煙となり、霧となり、雲散霧消したが、
 また、今、「兵(つわもの)どもの夢の跡」の感が胸中
に満ち、充満し、
 はかない夢感だけが漂い、残って居るが、
 技術の発展を切った政治感は最低だった。
 因(ちな)みに、ジャンヌダルクは、キリスト教の宗教
裁判で「魔女」とされ、焚刑で焼き殺されている。
 そして、この民主党の政治ショーは、日本の成長の背骨
の中心に、新しい技術力の取得がある事、その必要性を否
定したのは最低だった。
 これを象徴する言葉が「二番目では駄目ですか?」だっ
た。
 「二番目では駄目なのです」。
 眼の前の読売新聞(2013・7・28)には、ちょっと古い
が書いてあることは、「世界的に見ると、日本のロケット
は、競争力、使いやすさという点では劣っている」の記述
がある。
 また、「競争力向上、今が正念場」と書いてある。
 また、別のところには「コウノトリ(日本の国際宇宙ス
テーションに物資や実験装置などを運ぶ無人補給船)が働
き者だと伝えている。
 それにしても、この政党が、アメリカに行って勉強し、
教えられた事というこの『政治ショー』は、
 一時的には、日本中が沸いたが、
 今、振り返って見ると、
 民主党は、後々まで、
 国民の心の中に、
 悪い印象だけを残した、そして、
 政治汚点の記録も残した。
 『国民へのごまかしショー』をしたのは、
 長期的に、未来永劫、残る、逆宣伝だったなーと思う。
 お粗末だったと言いたい。
 テレビやマスコミを総動員して、効果があるだろうと企
画したんだろうが・・・、
 この『政治ショー』は、不誠実なショーだった。
 結果的に『国民を目くらます』、『だましのショー』
 だった。
.
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2013年11月12日火曜日

合法的に弱者を食い物にする。

 題:合法的に弱者を食い物にする
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教国のアメリカは、
 『貧富の差』・格差が進み、拡大が進んでいる。
 その増えて行く弱者は、更に蝕まれ、食い物にされてい
る。
 人間らしく生きる生存権を奪われ、その挙句、使い捨て
にされて行く。
 その格差社会の底辺に居る方たちが、ビジネスのターゲ
ットとされた。
 その低所得ゆえに、その方たちは、クレジットカードも
持てない、手にした事がないという人々であった。
 この方たちが、『ハゲタカ』と蔑(さげす)まれたビジ
ネス資本のターゲットとして狙われた。
 世界を震撼させた「サブプライムローン問題」の始まり
だった。
 その行為への蔑みから「貧困ビジネス」の言葉が、世に
生まれ、流布した。
 過激な市場原理の渦の中に、その「経済的弱者」の方々
が餌食(えじき)となって、食い物となった。
 保護されるべき方々が食い物にされた、非情なキリスト
教国アメリカだった。
 アメリカの住宅ブームが、勢いを失い始めた頃、
 アメリカ資本が、新たに眼を付けたターゲットは、
 増え続ける不法移民・密入国者や低所得者の方々だった。
 英語の出来ないヒスパニック系の方々や、メキシコから
の流入した方々などだった。
 あまりきちんと説明などせずに契約をさせられるケース
が、非常に多いという非人道的状況だった。
 また、同じ所得レベルでも『白人より3割から4割も高い
利率』にするという『悪だくみ』までやった。
 契約には、最初は利率が低く書かれていた。
 しかし、2年~3年の間はその利率でも、その後、利率が
急に跳ね上がるというシステムだった。
 一家は必死に返済を続けた。
 しかし、躓(つまづ)く人たちが出始めた。
 その様な方たちは、続出し始めて行った。
 「返済が厳しい時は、利払いにもならない額でもいい」
・・と、言われていた。
 しかし、その払いきれない分は、「そっくり元本に」組
み入れられた。
 返済額が、雪だるまの様に増え続けて行った。
 必死に返済をしたが、気が付いた時は、もう手遅れの状
態だった。
 びっしり書かれた契約書は、まったく分からないという
人々・状態だった。
 「払えなくなったら金利の安いローンも用意されてます
よ」・・と言われ、借り換えも出来るというその甘言(か
んげん)も、支払いの破綻が増えると共に、住宅価格が下
落し、担保価値も下落し、空手形状態、実施されない状態
となった。
 膨大な借金だけが残った。
 アメリカ資本が起こした、合法的に仕組まれた罠(わな)
だった。
 以前の苦しかった時より、更に、苦しい底辺へと転がり
落ちて行った。
 もう人生、二度と這いあがる事も出来ないという状況、
地獄の世界に落ちて行った。
 仕掛けた者は、儲けを懐(ふところ)にしていた。
 その者たちは、リスク(危険負担)から逃れる手(責任
逃れ)も打っていた。
 「サブプライム担保証券」として、世界に売り出した。
 利回りが良かったので、儲かると思った世界の資本が買
った。
 特に、銀行が買った。
 リスク分散が、キリスト教国・アメリカの思惑通りに
達成した。
 破綻時のリスクは、アメリカから世界へとなった。
 アメリカの中流階級の消費率が飽和状態になった時、
 次のマーケットとして低所得層を狙ったこのシステムは、
 低所得者のむしり取りのハゲタカの如くだった。
 リスクも予想できない弱者を食い物にし、
 そして、同じくリスクを世界へも節操なく分散した。
 TPPが今、アメリカの旗振りで行なわれているが、その
触手は、主に日本がターゲットとなって、秘密裏に話が進
んでいる。
 日本の勤勉に蓄積したものが、「隣の芝生」の様に見え
たという図となっている。
 やはり、アメリカとの経済条約(北米自由貿易協定)で、
 メキシコで破綻したトウモロコシ農民は、
 農業放棄し、仕方なくアメリカへ生存を求めて密入国し
た。その様な悪結果があった条約だった。
 今、日本と、反対を恐れての秘密会議の形態で、すべて
が秘密裏に進んでいる会議(TPP)はアンフェアな、
 健全な社会からほど遠い会議の進め方で、今、進行中。
.
 (参考)北米自由貿易協定(ほくべいじゆうぼうえきき
ょうてい、英語:North American Free Trade Agreeme
nt、頭字語:NAFTA)は、カナダ、メキシコとアメリカ合
衆国によって署名され、北アメリカにおいて3か国による
貿易圏を生み出した自由貿易協定である。1992年12月17
日に署名され、1994年1月1日に発効した。
.
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2013年11月11日月曜日

多分、違う神なのだと思うが・・・。

 題:多分、違う神なのだと思うが・・・。
...(真を求めて 皆様ととともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、「天地万物の存在の初め」に関し、
その名・創世の名の通り、モーゼ五書の「創世記」に記し
ている。
 このキリスト教聖書・旧約聖書の『創世記』の最初に、
「はじめに」がある。
 その最初の言葉は、「初めに、神は天と地とを創造され
た」とある。
 その創造状況以前は不明である。
 「まず、天地だ」とだけ言えて、あとは明言できなかっ
たという状況である。
 『天と地』が、最初なのだと思ったのだろう。
 科学知識のまったくない古代のキリスト教聖書記述者な
らその様にしか想像できなかったのだろう。
 故に、キリスト教は、神が天と地を創るという所から世は
始まったという観念に執着し、また、世の中に定着させた。
 流れる『時』と、その時が流れている『空間』の存在には
思いが至らなかったのだろう。
 その様な難しい事は言いたくないという状況が、雰囲気が
感じられる。
 その時があり、空間がある事によって作用が与えられると
いう考えには思いもよらなかった。
 永遠性のある時の中に、あらゆる空間の存在の位置などの
特性から、一様でないという存在と、位置の違いから、互
いが作用し、時の流れの中で作用と、その理が影響を与えて
行くという考えには及ばなかった。
 単純に天と地が、最初に存在すればと考えた。
 「無始の時」と、「無限の空間」が意識できない古代の
人たちの記述から、キリスト教のものごとが始まった。
 その様な、キリスト教の世界となった。
 「神が造りし・・」という聖書とは言っても、そこには、
ぷんぷんと人間臭さが感じれる、その人間の検知する、あ
らゆるといえども、その人間の検知する能力による領域は、
さも、総べてのアンテナを研ぎ澄ましたとしても、限界が
あるように感じさせるのだった。
 次元も超えて行く着想もなければ、聖書の着ける所はな
いという浅薄な内容とならざるを得ない。
 キリスト教は、古代人の知見の結果から得られるもので、
そのセンサーと能力で書かれている事はまぎれもない事実
だ。
 創世記は記述する「地は形なく、空しく、闇は淵の表に
あり・・」(「創世記」1・2)と、
 そして、神は「光荒れ』と言う。
 神が、急に「天と地を創造するのは間違い」なのだが、
まず、すぐ言える事は、すぐに天とか地とかの物質が創れ
る訳はない。
 1例を言えば、今・現代、観測で確認できる宇宙の中に
ある「プラズマ」とか「ガス雲」とかの存在を、
 現代人ならその存在と、その状況を、知っているだろう
が、物質の創造以前の、その時点で、光が満ち満ちるのだ。
 キリスト教聖書の記述とは『逆』なのだ。
 天と地が出来て、光だなどと主張する、言う状況は、キリ
スト教の聖書の記述を、「ほほえましい」と言いたいぐらい
幼稚なものなのだ。
 この様な、幼稚な推論の流れではなく、宇宙は、まず、
「エネルギーに満ち満ちていく」。
 キリスト教の古代人の聖書記述者は、『エネルギーを創
る』などとは、想いが及ばなかったのだ。
 ここまでからだけでも、キリスト教聖書は、古代人が『
神から授けられて、記述した』と言っているのは、嘘と分
かる。
 それでも、神と言うなら『嘘の神である』。
 本当に宇宙の創造をしてない神である。
 信じてはいけない神である。
 キリスト教聖職者は、「この『淵』と言うのは『混沌』と
いう意味です」とか、
 そして、「何が何だか分からない様な混沌が(神によっ
て)秩序に変えられたのです」などと、分かった様な、分
からない様な事を言う。その秩序に変えられる前も、キリ
スト教の神が創った創造物なのでしょ?・・と、言いたい。
 本当に信じるに値しない内容だ。
 そして、この後、何故か、このキリスト教の神は、太陽
を創る。
 「光あれ」と光を創ったと言うが、どこから光が来てい
るのか?
 また、その光の後に創られた太陽が発する光とダブルが、
太陽の光はどうなってしまうのか?
 そして、何故か、このキリスト教の神は、地球上に有る
ものばかりを創るが、何故なのか?
 何の理由も書いてない。
 特別、地球への思い入れのあるキリスト教の神なのだ。
 木や草を創った後に、昼と夜を創るとか、お好きな、思
い立ったら何でも創るという気ままな、むちゃくちゃな順
番なのだ。
 まったく悩ましい事をする神なのだ。
 キリスト教の聖書の他の部分についても、この事例の様
な、あまり真剣に入れ込んで読まない方が良いという類い
の文が続く。
 因(ちな)みに、神は、人間を最後に創ったという。
 しかし、今、正に、宇宙のあちこちで、星々が創られて
いるが、キリスト教の神以外の神が創造しているのだろう
か?
 キリスト教の神の創造は終わったと言うので、多分、違
う神なのだと思うが・・。
 そして、キリスト教の聖書には、「われわれ(神の事)
の形に、われわれ(神)にかたどって人を造り」と書いて
あるが、
 キリスト教は、「神は一神だ」と言っているので、キリ
スト教の言っている事と、聖書に書いている事が矛盾する
が、
 ここを、キリスト教の聖職者は、「神が人間を、自分と
まったく同じに作ったと強調するため、「われわれ」とい
う表現をした」と無理筋の弁解的な言い方をした。
 この様な話を、いくら読んでも無益です。
.
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2013年11月8日金曜日

つじつま合わせの話の一つ・・・

 題:つじつま合わせの話の一つ・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 紀元前7世紀頃に、エレミヤという預言者がいた。
 キリスト教の旧約聖書に「エレミヤ書」というのがある。
 この預言者・エレミヤが、神(主)が言っているという
預言をした。
 それは・・・、
 モーゼの契約は、イスラエルの民が、その契約を破った
ため駄目になったと言う。
 そして、神は、新しく契約を結ぶと言っているのだと言
う。
 そして、その契約は、
 モーゼの時は、シナイ山で神と契約し、
 石の板にその契約文(律法)を刻んで、モーゼは持って、
民の前に来たが・・、
 この度の契約は、神が結ぶと言っている「新しい契約」
は、イスラエルの民の胸に刻み、心に残す形をとるという。
 この様に、預言者・エレミヤは、神が言っていると預言
したが、キリスト教は・・、
 これは、「イエスの事を言っているのだ」とこじつけた。
 つまり、キリスト教は、イエスの死の時に、神との新た
な契約がなされたのだ・・と、言っている。
 イエスが「神よ、お見捨てですか」と、神に、半分、自
分の予想と違った状況が進んでいる刑の執行のことに、こ
の神の行為を、口にして言った時に、刑死の時に、新たな
契約がなされたと言っている。
 しかし、無理がある。
 それも、エレミヤのこのところの文と結び付けようとす
るのも、その無理さが、さらに上塗りされる様な状況と、
さらになっている。
 またさらに、時代もまったく違うのである。
 日本で言えば、鎌倉時代のことが、今・現在に起きてい
る様な、まったく時代錯誤のことなのである。
 エレミヤのことは、700年以上も前に起きたこと。
 そのことを、キリスト教は無理にくっつけようとしてい
る。
 以下、そのことを記す。
 (「エレミヤ書」31・31~34)に、
 「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契
約を結ぶ日が来る、と主は言われる」とある。
 この文を詳しく見ると、
 「見よ、わたし(主)が(北)イスラエル(王国)の家、
(南)ユダ(王国)の家と新しい契約を結ぶ日が来る、と
主(キリスト教の神)は言われる」・・と。
 そして、
 「この契約は、かつてわたし(主)が、彼ら(北王国と
南王国のイスラエルの民)の先祖の手を取ってエジプトの
地から導き出したときに結んだものではない」・・と。
 これは、シナイ山でモーゼが神と契約したことを言って
いる。モーゼの契約は効力が無くなった・・と。
 そして、
 「わたし(主)が彼ら(イスラエルの民)の主人であっ
たにもかかわらず、彼らはこの契約をやぶった、と主は言
われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家
と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。
 すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの
心にそれを記(しる)す。わたしは彼らの神となり、彼ら
はわたしの民となる」・・と。
 そして、神は言う・・
 そのとき、・・「主を知れ」と言って教えることはない。
彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからで
ある、と主は言われる」・・と。
 つまり、今、その時点で、神は古くなったモーゼの契約
を捨て、民の心に刻む、わざわざ文などの形を残さないが、
イスラエルの民の胸の内に入る契約を結ぶ・・と。
 ここで言っているのは、神、キリスト教の神は、あくま
で、イスラエルの民、北王国と南王国の民と、「新しい契
約を結ぶよ」と言っている。
 エレミヤは、紀元前7世紀末頃に活躍した預言者である。
 しかし、キリスト教は、紀元後30年のイエスの刑死と結
び付けたいのだとしている。
 しかし、時代が近いならまだしも、まったく違う時代の
話なのである。
 例えば、日本に例えれば、鎌倉時代に話されたことが、
今・現代、平成の時代になされているという様な、時代錯
誤の話なのだ。
 それを、キリスト教は、イエスと結び付けたいとしてい
る。まったく我田引水の話だ。
 キリスト教は、この例の様に、その他の面でも、論理的
に、各論理が、まったく勝手に話が進んでいて、故に、話
を合わすこと(つじつま合わせ)に四苦八苦している。
 つまりこの話も、エレミヤが、イエスの事を言ったとい
うようにしたいようだ・・が、まったく違う。
 この話は、エレミヤが預言者として、モーゼの契約の話
はまったく古く旧約として破棄し、新しい契約が今なされ
たのだと、当時のイスラエルの北王国の民と南王国の民に
なされたと言ったのだ。故に、わざわざエレミヤは北王国
と南王国の家と言っている。
.
(参考)エレミヤは、旧約聖書の『エレミヤ書』に登場す
る古代ユダヤの預言者。イエレミヤとも表記する。紀元前
7世紀末から紀元前6世紀前半の、バビロン捕囚の時期に活
動した。父はアナトトの祭司ヒルキヤ。アナトトはベニヤ
ミン族の地にあった祭司たちの町であった。このことから
エレミヤの家系は、ダビデ王の死去後に対立後継者アドニ
ヤをたてたことを理由にソロモン王から祭司を罷免させら
れ、アナトトに追放された祭司アビアタルにつながるもの
であると思われる。旧約聖書のうち『エレミヤ書』、『エ
レミヤの哀歌』、『列王記』上下は伝統的にエレミヤの著
作と考えられてきた。現代の研究者には他の文書にもエレ
ミヤの関与を想定するものがいる。『エレミヤ書』は3大
預言書のひとつとされ、旧約時代の預言者のなかでも、重
要視される人物の一人である。
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URL: http://32983602.at.webry.info/

2013年11月7日木曜日

戦記ものの類い・・・

 題:戦記ものの類い・・・
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 イスラエルの民は、カナンの地に定着後、
 土着のカナン人と交わった。
 キリスト教の聖書の教える状態とは、ほど遠い状態だっ
た。
 キリスト教は、『異邦人には嫁にやるな』と言うくらい
である。
 『異教徒が増えてしまうじゃないか』と言う教義である。
 カナン人は、当然、異邦人との雑婚が多くなる状態だっ
た。まったく、キリスト教の教えの状態ではない。
 信仰も、異邦人の信仰の「バアル信仰」を持った。
 カナン人の方が、異邦人の宗教となった。
 部族神の「ヤハウェ信仰」のおくびも無かった。
 そしてまた、「アシュタロテ」の神も、カナン人は拝ん
だ。
 アシュタロテは女神で、生殖と繁栄の神であった。
 バアル神と対にされていた。
 昔から野外の「高き所」と呼ばれる聖所に祀(まつ)ら
れ、そして、拝まれていた。
 新生児を「生け贄(いけにえ)」として捧(ささ)げた。
 そしてまた、女の純潔を捧げるという儀式も行なわれ、
 その聖所では、神聖売春が行なわれていた。
 祭りは、後に「過ぎ越し祭」となる祭りを行なっていた。
 カナンの民となったイスラエルの民は、農業の民となっ
た。
 部族神であり戦争の神であったヤハウェの神が、異教の
農業の祭りの中に祀(まつ)られ、祝われる様になった。
 多神教のある一つの神の状態であった。
 また、この聖所にも他の神と共に祀られ、拝まれた。
 この様な、カナンの人々の多神教の宗教状態であった。
 キリスト教の神はこの様に種々変わる神なのである。
 ヨーロッパへ伝搬して行った時も、恥ずかしげもなく、
色々な地の地母神などと習合した。節操など全くないキリ
スト教であった。この様な宗教なのである。
 カナンの人々は、ガリラヤ湖の西方に広がる肥沃なエス
ドラロン平原を奪い合った。
 日本の戦国時代に、各地に守護大名が存立し、奪い合い、
争う姿の様な状況だった。
 また、規模的にも内国の内戦状態だった。
 色々な士師が生まれ、聖書にも登場する(士師記)。
 紀元前13世紀の頃の話である。
 軍神ヤハウェが登場する時代である。
 日本の戦国時代の戦話が種々ある如(ごと)く、キリス
ト教の聖書にも、この類いの同様な話が色々とある。
 例えば、900の古代戦車をもってキション川に沿って
攻め上がって来たカナン軍を、丘の上からはさんで攻め下
り、激しい戦いがあり、ヤハウェ自ら雷鳴と嵐をもって応
援し云々・・と。
 日本の戦国時代にある逸話と同じである。
 結局、敵の王・シセラは、あえない最期をとげたという
話。
 こんな戦記ものの聖書を読んで、貴方がたが、幸せに
なれるはずがない。いくら読んでも娯楽の類いである。
その様な内容です。
 こんな聖書が、宗教が、神のみ旨にと、なんと多くの方
々を殺したのだろうか。
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2013年11月6日水曜日

偽善なるものよ・・。

 題:偽善なるものよ・・。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の基本的考え方の中に・・、
 「異端は抹殺する」・・という考え方がある。
 それ故にまた、その考え方・教義に従って異端を抹殺す
る行為を行なう。
 考え方の違うもの、異端・異教徒は殺せという『教義』
を実行する。
 どの様に多くの異端がまた異教徒が、キリスト教によっ
て殺され、抹殺されて来たというのか。
 この教義だけをもってしても、キリスト教の現代社会に
おける『存在理由はない』。
 未来の人類のためにも存在してはならない。
 このキリスト教の基本的考え方は、神より与えられし書
と言われる『キリスト教聖書』にさえ見られる。
 異端のキリスト教の書は捨てられ抹殺された。
 神を越える行為をする人たちなのである。
 どのくらいの書が捨てられれ、日の目を見ない姿にされ
たかである。
 軽蔑すべき教義、許容力のまったくない宗教だと唾棄し
たい。
 以下に上げる「伝道の書」もこの様な書であった。
 しかし、一部の版のキリスト教聖書には、掲載されてい
るので見ることができる。
 そのキリスト教聖書の(「伝道の書」3・10)に、
 「(キリスト教の)神はまた人の心に永遠を思う思いを
授けられた」・・とある。
 この言葉は、『時の永遠性』や『空間の永遠性』などを、
人が思う・想念するのだという事を肯定している言葉とな
っている。
 キリスト教の精神に外れるので捨て去りたいのであった
のであろう。そして、このキリスト教の書は、
 キリスト教の神は、人の心にその永遠性を思う心を否定
せずに授けたと言っている。
 キリスト教の神が、時の永遠性を思い、また、空間の永
遠性を思い、それら、永遠性の存在を思う故、人の心に永
遠を思う想いを授けたと言う。仏教的な領域の考え方であ
る。
 今、キリスト教は、『時』に関し、「有始」を主張して
いる。
 神の行為が『有始』であったというのだ、『有史』であ
ったというのだ。
 ある時から、『キリスト教の神は、行為を始め出した』
というのだ。
 その時を、『ビックバン』と称している。
 この世の中の時の始まりは、有限なのだという主張なの
である。
 永遠性を説くこの「伝道の書」の考え方と、これは、こ
の主張は、明らかにこのキリスト教聖書の言葉として矛盾
している。
 矛盾点の多いキリスト教の聖書であるので、別段びっく
りはしないが、『時』の捉え方の大基本においても、この
様なあいまいな矛盾教義のキリスト教なのである。
 キリスト教聖書が、何故、この主張をするかと言うと、
キリスト教の主張は、「神が天地を創造したから」という。
 その天地創造を神がした時を『始まりだ』とした。
 そして、キリスト教の概念であった古典科学も、この概
念から「有始説」を取り入れている。
 「ビックバン」から始まったと称した。
 しかし、今、この「ビックバン説」は否定されつつある。
 「ビックバンも急には発生し得ない」のだという。
 「ビックバンの準備段階が存在しない訳はない」という。
 キリスト教の「有始説」が否定されつつある。
 宇宙の膨張も、遠くの星座ほど高速で「遠ざかりつつあ
る」という事が発見され、その状況の逆を思惟すれば、宇
宙は、ある一点に集まるという事から、ビックバン説を裏
付けたとされるが、
 「宇宙は膨張と収縮を繰り返す」という説もある。
 人知を越える領域となっている。
 だが、キリスト教は、「伝道の書」で「神の永遠性」を
言って置きながら、
 キリスト教聖職者は言う、「永遠の時は、ただ、循環し
て同じ事を繰り返してばかりである」・・と。
 永遠を『無益な繰り返し』と見ている。
 事は、永遠であろうが、永遠で無かろうが、無益な同じ
繰り返しは否定されるべきだが、
 永遠の時の流れの中に、無益な同じ繰り返しを想念する
キリスト教聖職者の考え方は否定される。
 仏教の輪廻を否定したい事からこの様な理屈に合わない
無理な論理をキリスト教の聖職者は展開し、講釈した。
 『無限の発展』が、『その無限の時の流れの中に秘めら
れている』と見ることができないのである。
 閉鎖のキリスト教なのである。
 仏教は、その中の永遠の時も想念し見ている。
 同じ様な日々の繰り返しの中に、芽生え・育み・発展が
秘められているからである。
 永遠の時、同じ様な繰り返しのわずかでも、日々の発展
が、人類を発展させて来たのである。
 この様な見方・捉え方でなければならないのである。
 「偽善なる者よ。汝の名は、キリスト教聖職者」。
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