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2013年5月22日水曜日

キリスト教の本路線・・・。

 題:キリスト教の本路線・・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 死んでくれたという恩義という『義』を、
 信仰のエネルギーにしているキリスト教。
 その様に設定したのは、パウロ。
 パウロは、ユダヤ教のガチガチの聖職者だった。
 キリスト教の旧約聖書は、
 ユダヤ教の正典でもあるが、
 パウロの頭には、
 このユダヤ教の正典が頭にこびりついていた。
 このユダヤ教の正典には、
 スケープゴート(生け贄の山羊)・
 供犠(くぎ)の観念が
 嫌と言うほど書かれている。
 血の供犠である。
 この観念に染まったパウロは、
 十字架上の死の血を供犠とし、
 復活と共に、
 キリスト教の宗教企画の骨格とした。
 また、
 『復活』もユダヤ教正典に出ている一般的な事。
 今、
 パウロが宗教企画したキリスト教が、
 キリスト教と呼ばれているが、
 イエスの流れをくむイエスの弟・ヤコブを教会指導者とする
 イエスの親族方たち、
 及び、
 イエスの直弟子たちのキリスト教の流れは、
 このパウロのキリスト教とは違う。
 このイエス親族の本路線と、パウロの路線があり、
 今、キリスト教は、
 パウロ路線のパウロ・キリスト教と言える。

2013年5月21日火曜日

仏教の求めるものの1つに・・・。

 題:仏教の求めるものの1つに・・・。
....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 仏教は多様な考え方を柔軟にする。
 その仏教が求めるものの1つが、下記の言葉の中にある。
 「
  まとめれば、直接的にであれ間接的にであれ、
    私の母である総べての衆生に、
       幸福と益をともに捧げることが出来ますように、
         彼らを苦しめるもののすべてを、
          密かに私が引き受けることが出来ますように
                            」
 
(ゲシェ・ランリ・タンパの『心を改造するための八つの詩頌』)
の一つ・・とある。
 仏教は、総べての人々・衆生へ、私の母である衆生の人々へ、
 直接であってもいい、間接的であってもいい、
 どんな方法ででも、
 衆生の皆様・人々に、幸せと豊かさを捧げることができます
ように、そしてまた、
 愛する彼らが苦しめられない様に、
 たとえ彼らが苦しめるられているのなら、その苦しめるもの
すべてを、密かに私が引き受けますから、引き受けることが出
来ますように・・・仏教には、
 既に、この様なキリスト教が求める様なものは既にあった。
 仏教は、幅広く思考を巡らして来た宗教であるが、標記の様
な教義・考え・思想もあった。
 キリスト教の様な1つの範囲ではない。
 仏教は、幅広い総べての人々・衆生への思い遣り・愛を示し
たのに対し、そして、深い愛であるのに対して、
 キリスト教は、「キリスト教の信徒に対して、十字架上の血
で贖(あがな)った」としている。
 キリスト教は「人々・衆生」ではない。その他の人々は、キ
リスト教とは違う宗教を持った人々だとして見る。
 異教徒として見る。
 そして、「異教徒は殺せ」の教義に思考が支配される。
 どうしても、人々を、キリスト教以外を信仰する民と見るキ
リスト教の教義から限定されたその思考に支配される。
 異教徒へは嫁にやるなという教義もある。

2013年5月19日日曜日

キリスト教の伝道活動について

 題:キリスト教の伝道活動について
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の実体が判らなかった明治維新は、
 西洋のすぐれた学問などの知識を得たいの機運から、
 日本人の優れた特性「進取の精神」から、
 西洋の学者や教師を招いて『何でも学ぶ時代』だった。
 何でもかんでも勉強しよう、学ぼうの日本の民だった。
 その様な時代は、「西洋の総べてが良い」の気運で、
 その時代の想いからキリスト教もよいと思った。
 それ故、進取の思考の明治の学究の徒の人たちは、キリスト
教も一生懸命に学んだ。
 そして、まだ、よく分からない内にキリスト教化した人もい
た。
 しかし、今現在、キリスト教の事が、種々、分かってきた時
点において、
 また、最近の聖書学などのキリスト教研究において、
 それらの研究成果の情報から、キリスト教の問題点が、
種々、分かり、明らかとなって来た。
 しかし、それ故、キリスト教は、プロパガンダ(キリスト教
は素晴らしいという嘘宣伝)に専心している。
 その為もあり、その悪さ加減が隠されているけらいがあった。
 今、西洋・ヨーロッパは、脱キリスト教が、大分、進んでいる。
 アメリカにおいても、知識層は、特に、脱キリスト教の状況と
なっている。
 それ故、キリスト教側も、教勢の維持の行動を強く行なって
いて、例えば、学校などの場でのキリスト教教育について、問
題が多発し、裁判事例も多い状況となっている。
 その多くで公正な宗教教育が大義である事により、キリスト
教側の敗訴が続くという状況の中にある。
 その様な現状の世界の中で、日本においても、活動や働き掛
けがある。
 例えば、NHKを利用したキリスト教の巧妙なる伝道行為が
多く見られる。
 以下は、その事例の1つ。
(参考)しん‐しゅ【進取】 みずから進んで物事に取り組むこと。
「―の気性に富んだ人」
(参考)がっ‐きゅう【学究】 もっぱら学問の研究に携わること。
また、その人。「―の徒」「―肌の人」
.
ーーー1事例ーーーー
題:NHK、キリスト教に偏する放送をし続けている。
.
 拝 啓、
 御仕事、ありがとうございます。
 下記はNHKへ送信した文です。
 NHKは、何度、申し上げてもキリスト教に偏しています。
 (キリスト教の美化行為と他宗教の侮蔑行為)をする放送を
し続けています。
 キリスト教の『巧妙なる伝道』行為となっております。まっ
たく改まりません。
 是正するように促していただけないでしょうか。
 よろしくお願い申し上げます。         敬 具
 ーーー(NHKへの送信文)ーーー
 題:NHK、キリスト教に偏する放送をし続けている。
.
 2013・5・18、NHKラジオ第一、am4:05~、番組名:「ラ
ジオ深夜便、明日への言葉・ハンサムに生きる」、話者:佐伯
順子氏(同志社大学大学院・教授)、アナウンサー:中村宏氏
(NHK職員、明治学院大学卒)、
 NHKは、キリスト教に偏する放送をよくしますが、今まで、
その数々の行為を指摘させてきましたが、改まりません。
 本日の標記の番組も、この類いの放送でした。
 内容は、NHKが、日曜日の大河ドラマと銘打ってNHKが力を
入れて放送しているドラマの主人公の「八重」を絡め、キリス
ト教を美化する、偏した放送内容でした。
 結局、放送内容は、「キリスト教の巧妙なる伝道行為」と
「NHKの番組宣伝」でした。
 NHKは、キリスト教系の大学教授を話者にして、「キリスト
教の巧妙なる伝道行為」を放送することが非常に多い状況です。
 本番組もそうですが、この様な行為、NHKという絶大な影響
力を持つ公器を、あたかも私物と化し、
 キリスト教の伝道行為をするNHK職員もキリスト教系の大学
を出身とするNHK職員が多い状況です。
 「キリスト教を美化し、その他の宗教をを卑下する放送」。
まったく一面的な見方を、さも正しい様に言います。
 その様な話を大学教授という話者に話させる。
 キリスト教は愛の宗教、キリスト教以外の宗教の愛は、女性
の立場を認めていない。
 他宗教は女性を抑え込んでいると言う。
 まったくキリスト教だけを美化する偏した言い方だ。
 キリスト教聖書を読めばわかること、キリスト教でも兄弟で
殺し合い、親を裏切るなど、「愛あるべきところに愛がない」
という記述などが一杯ある。
 「キリスト教の愛だけが正しい愛だ」と断言する話者。まっ
たく酷い偏った言い方だ。
 まったく洗脳的にNHKの放送媒体を利用して伝道する。
 「平等のキリスト教だ」と美化・宣伝・伝道行為の話が続き、
その類いの話に満ちている。
 仏教にも「平等院」という建物があるのを1例の様に,平等を
説く。
 他の宗教を、この話者は「全くない」と断言し、卑下し放送
する。まったく偏っている。
 他宗教は、あたかも古来の愛だ、駄目なのだという悪印象を
植え付けようとしている。
 キリスト教に関しては素晴らしいの話ばかり。
 他宗教は封建的だという言い方。献身の愛だというが、キリ
スト教もこの愛は説いている。
 キリスト教以外の他宗教は、それが虐げられているという印
象を与える言い方。
 他宗教は古いという印象を与える言い方。
 押し付けられている愛だとは、まったくの言い過ぎ。
 虐げられた愛だとは全くの言い過ぎ。
 他宗教は、キリスト教より劣っているのだと思わせ、洗脳する
言葉。
 キリスト教だけが平等で正しいのだとの独善の話。
 NHKの公共放送で呆れる内容。
 NHKも編集すべき、カットすべき内容を、そのまま放送電波
に乗せてしまったという内容。
 だから八重はキリスト教に引かれたのだと何度も言う。
 NHKの偏頗なキリスト教美化の放送はよくあり、仏教など他
宗教の話は全くない偏した放送状況にあります。
.
(追伸) 明治の人が維新の時、西洋から学んだ事が、今の学問か
ら見れば、悲しいかな陳腐化している。これは止む得ないこと。
 同様に、明治のキリスト教研究も同じことが言える。同様な
レベルなのです。