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2012年10月2日火曜日

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています(その3)

題:子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。
       (その3)

 南北戦争後のアメリカ南部には、
 黒人を虐げ、殺す暴力集団=KKK(クー・クラックス・ク
ラン)という組織ができ、
 またそれ以外にも、
 「黒十字騎士団」や「白バラ騎士団」や「白ツバキ騎士団」
など軽蔑すべき集団ができました。
 この様な、黒人の方たちを暴力的に虐げる秘密結社が林立し
ました。
 黒人の方達へのテロが横行する暗黒のアメリカに化して行き
ました。
 黒人の方たちは、白人優越=黒人蔑視の人種差別に耐え抜く
しかありませんでした。
 しかし、
 黒人の方たちは耐え忍んだとしても、
 黒人と白人の関係改善の社会の動きは、
 それらの動きに対して、耐え抜く事が出来ませんでした。
.
 奴隷解放の動きにあった共和党でさえ、
 何と、分裂し、
 民主党と手を結び事態を悪化させました。
 黒人の方たちの期待は、完全に裏切られました。
.
 解放民局は活動を停止しました。
.
 そしてまた、
 反動的な「大赦法」という法律がが成立しました。
 その法律によって、
 黒人奴隷を虐げた旧南部の支配階級の政治的諸権利が全面的
に復活しました。
 旧組織人たちの追放は、完全に解除されました。
 このことにより、
 以前の虐げ状態に戻りました。
 南北戦争の黒人奴隷の方たちの働きは無に帰してしまいまし
た。
 事態は、完全に悪化し、決定的となりました。
 民主党が、選挙で議会の議席の多数を制しました。
 これは、奴隷解放の民主的再建の終焉を意味しました。
 そして、
 続いた大統領選で面倒なことが起こりました。
 この解決のため共和党は、
 南部に駐屯していた連邦軍を撤退することで事態の解決を
はかりました。
 南部は、民主党の支配下にゆだね、黒人の方たちの期待は
完全に裏切られました。
.
 南部の再建運動は、完全に挫折となりました。
.
 南北戦争は、そして、その戦争で亡くなった方々は何だった
のか?
 また、
 黒人の方たちの頼りだった北部も、
 独占資本家による厳しい状況から、労働者のストライキが続
出し、軍が出動しなければならない状況でした。
 黒人の方たちは、
 北部の独占資本家と南部のプランテーション経営者との連合
支配下に置かれるという「より厳しい状況」に置かれました。
 (北部の独占資本家にとって、南部は有望な国内市場と映り
ました)
.
 黒人の方たちは、強靭さがより増した圧迫状況に、また、置
かれてしまいました。
.

 


(参考-1):wikipediaより
 リンカーンは、
 奴隷解放宣言によって黒人(混血のものも含む)の奴隷を解
放したことで賞賛される。
 しかしながら、
 リンカーンは、本来、奴隷解放論者ではなく、
 実際には連邦軍によって制圧された南部連合支配地域の奴隷
が解放されただけであって、奴隷制が認められていた北部領域
では奴隷の解放は行われなかった。
 宣言は、南部州における奴隷の反乱・逃亡・ボイコットの効
果を狙い、実施されたものであった。
.
(参考-2)
 アメリカは、1789年に合衆国憲法制定(「3/5条項」や奴隷
貿易存続などを承認したことにより、憲法が黒人奴隷制度を容
認した)。
 1793年、逃亡した奴隷は殺しても良いという条項もある逃亡
奴隷取締法が成立。
 そして、アメリカの事実上の奴隷解放は、1865年の憲法修正
第13条(奴隷制度廃止)の成立時である。
 そして、1868年の憲法修正第14条(黒人の公民権付与)の
成立時である。
 そして、1870年の憲法修正第15条(黒人の選挙権付与)の
成立時である。
 デンマークは、すでに、1802年に、自国領内での奴隷貿易を
禁止し、イギリスは、1808年に、奴隷貿易を禁止し、フランス
は1819年に、奴隷貿易を禁止している。
 1850年には、アメリカは、いっそう強力な逃亡奴隷取締法を
制定している。
 1860年にリンカーンが大統領に当選し、1865年に、リンカ
ーンが暗殺されおり、この年に、悪名高い黒人殺戮集団KKK
が結成されている。尚、1924年頃には第2次KKKの活動が盛
んになっている(会員数は約500万人)。
.
(参考3)1860年に出されたリンカーンの予備宣言は、南部
諸州が治安回復に努めるならば、奴隷解放の必要はないと明記
されている)
.
(参考4)北部軍が戦いで占領した地の南部軍の奴隷をどうす
るかについて議論がなされた。
 北部軍の将軍の名に、その奴隷を解放するよう指令をした者
も居たが、リンカーンはそれを取り下げた。

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています(その2)

題:子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。
       (その2)
 リンカーンも仕方なく、
 国会の動きもあって、
 奴隷解放予備宣言を公付する事に踏み切りました。
 しかし、
 この時点に於いても、
 リンカーンは、奴隷の即時、無条件、全面解放をためらって
いました。
 宣言に、布告に縛(しば)られない例外地域を作ったり、反
乱してない地域は含まれないなどと例外規定を作ったりしてい
ました。
 この後、2年も続く血みどろの戦いを経て、
 黒人の方たちの目覚ましい戦いぶりも加わって、
 1865年に憲法修正第13条が制定されるまで、
 リンカーンの不決断の影響は続きました。
 この憲法に及んで、やっと、
 このアメリカ黒人奴隷の方たちは自由を勝ち取りました。
 しかし、悲しいかな、
 これもつかの間の事でした。
 黒人の方たちのこの戦争における果たした役割は目覚ましい
働きでした。
 それは、
 北部の軍事的勝利を最終的なものに導いた原動力の中でも、
 際立って大きく重要なものでした。
 それは、
 黒人の方たちが、決してこの戦争を「白人の戦争」と考えて
いなかったことに由来しています。
 その働きに至る一つの査証・1事例が、
 ニューヨークの黒人たちが、
 北部軍に参加して、戦うために、自分たちで軍事組織をつく
り、軍事訓練に励みました。
 そしてそれらは、
 リンカーンの黒人の軍隊参加の不決断に対する行動でした。
 ボストンでは、
 黒人集会の宣言:
 「私たちは、すでに用意が出来ています。私たちは、私たち
の生命と財産と名誉をかけて、自由のために、良き市民として、
私たちの政府を守る覚悟が出来ています。私たちは、みなさん
に、このことを訴えたいのです」・・・と、宣言しました。
 しかし、
 リンカーンは、黒人の軍隊編入をためらい続けました。
 リンカーンのためらいに、しびれを切らした、多くの黒人奴
隷の方たちが、
 北部軍の将軍の元に馳せ参じる事態が起きました。
 そして、
 その多くの黒人の方たちは、
 戦争のあらゆる軍務に挺身しました。
 (てい‐しん【挺身】 [名](スル)率先して身を投げ出し、
困難な物事にあたること)。
 この時点になって、
 やっと、
 リンカーンは、
 黒人の軍隊編入を承認しました(これを「事後承認」と言い
ます。「後追い承認」とも)。
 しかし、黒人兵は、
 白人兵の給料の半分などと、さまざまな差別を受けました。
 それでも南部軍に捕えられると殺される黒人兵士は、
 白人兵士にみられないほどの果敢な働きをしました。
 可哀想な事に、
 黒人兵士の死亡率は、
 白人兵士の死亡率より35%も高かったのです。
 厳しい戦況の中におかれたのかもしれません。
 1865年、4年に渡った南北戦争も終結しました。
 ここには、
 初めに黒人を「目覚めさせ」、「希望を与え」、そして、
「まとめ」、「指導した」黒人の黒人解放戦士『フレデリック
・ダグラス』が、これらの根幹に存在しました。
.
 子供たちの「リンカーンの伝記は間違い」なのです。
.
 リンカーンが、黒人を解放していないことがお分かり戴けた
と思います。
.
 子供たちの伝記は、書き直しの必要があります。
.
 リンカーンは、1865年、ブースという凶漢の手によって殺さ
れ、生涯を閉じました。
 しかしここで、
 卑劣な事ですが、
 この南北戦争の後、
 黒人の方たちの戦いの血によって勝ち得た「黒人奴隷の解放」
という輝かしい成果が無に帰して行きました。
 敗北した南部の諸州は、
 次々に自前の『仮の政府』を組織するという事態が発生しま
した。
 こともあろうに、
 旧奴隷所有者は、政権へ復帰して行きました。
 そしてまた、
 こともあろうに、
 奴隷制の復活の企てをしました。
 それを示す1事例、
 サウスカロライナ州の憲法制定会議での演説は最悪です。
 「これは白人の政府であり、白人だけの目的としたものであ
る。最高裁判所は、黒人はアメリカ市民ではないとの決定を下
している」・・・と、公然と述べています。
 また、
 フロリダ州では
 「解放令によって、黒人奴隷は、自由の身になったと宣言さ
れても、黒ン坊はどっちみち奴隷みたいなものだ」との軽蔑す
べき声がある様な有様でした。
 この様な中で、
 悪名高い「黒人法」がつくられました。
 この法によって、
 黒人の方たちに、多くの制限が加えられ、
 黒人を土地に緊縛(きんばく)し、
 強制労働や不払い労働に服させる結果となりました。
 そして、
 黒人の方たちを経済的に締め付けました。
 (アメリカでは、現代でも黒人の方たちへの人種差別や偏見
の改善闘争が続いています)。
 この様な様相の底流には、キリスト教によって強く洗脳され
た「黒人の方達への偏見」があります。
 

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています(その1)


題:子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています。
    (その1)
 リンカーンは、
 「黒人奴隷を解放した」と言われていますが、間違いです。
 彼には、
 黒人奴隷を解放したいという希望や意志は全く有りませんで
した。
 リンカーンの黒人奴隷解放の意思は、「事の成り行きから持
った」という状態でした。
 その様に仕向けたのは、
 黒人の黒人奴隷解放戦士『フレデリック・ダグラス』でした。
 また、
 その組織の働きかけがあったから、その方向に流れただけ
です。
 これが真実なのです。
 子供たちの伝記には間違いが書かれて居ります。
 正しい内容に書き換えられなければならないのです。
 キリスト教は「黒人は人ではない」とみる歴史があります。
 この様な見方に影響された人々がしたことは、
 黒人の奴隷解放に一旦ちょっぴり至っても、直ぐに自分たち
の利にとらわれて、元に戻ってしまうという事でした。
 悲しいかな、黒人の方たちは、
 「人間ではない、奴隷という原罪」があると理由づけられた
考え方をされていました。
 特に、
 アメリカ南部は、現在も「バイブル・ベルト」と言われてい
る様にキリスト教徒が多い地帯。
 ここの地に、黒人奴隷の悲しい歴史が刻まれました。
.
 奴隷制は、疑問なく容認する考え方の地でありました。
 キリスト教聖書に説かれている奴隷制、アメリカ南部の人達
は、当然のごとく、奴隷制を容認し、黒人の方達を奴隷として
虐げました。
 そして、この南部の奴隷制寡頭勢力は、(かとう‐せい【寡
頭制】 少数者が権力を握って行う独裁的な形態)、自分たちの
利が脅(おびや)かされるに及んで剣を引き抜き南北戦争を起
こしました。
 自分の意に合わない相手を殺す教義「異教徒は殺せ」の教義
のままに「考え方の違うものは滅ぼせ」の教義どおりの行動と
なってしまいました。
 その様なアメリカの中でも共和党は、アメリカ全土の奴隷制
反対勢力が応援し、育て、そして、強固にした党でした。
 (ちなみに、民主党は、奴隷制を容認する党です)。
 くすぶりの中にあったアメリカは、1861年に南北戦争が起き、
リンカーンはこの年に大統領に就任しました。
 後代の歴史家が「南北戦争は奴隷解放戦争」と位置付けして
いますが、、リンカーンの大統領就任演説は、「奴隷財産を擁
護する論理展開をするという演説」でした。
 何と愚かな演説でしょう。
 奴隷制について、反対するか賛成するかわからない州が存在
したからと言い訳する人たちもいますが、リンカーンのその後
の行動からみても「彼は奴隷解放の大統領」とは言えません。
 南北戦争の戦況は、
 リンカーンの奴隷解放への意思がなく、不決断もあって、ま
た、軍の首脳部の腐敗もあって北部軍は敗北が続きました。
 北部のシンボルである首都=ワシントンが、陥落する危険に
さらされる緊急事態にもなりました。
 この状況を救ったのが、黒人の黒人奴隷解放戦士『フレデリ
ック・ダグラス』でした。
 奴隷解放に不決断だったリンカーンは、
 黒人の軍への参加をも容認していませんでした。
 フレデリックは、
 「黒人奴隷も、自由黒人も、黒人を軍務につかせよ」・・・
と、訴えました。
 「奴隷に対する自由が、今こそ国会議事堂から全戦場の砲焔
の空高く宣言されなければならない」・・・と、叫びました。
 「黒人を軍務につかせよ、そして黒人解放軍を組織せよ。か
れらは南部に進軍し奴隷たちの間に解放の旗を揚げるであろう」
・・・と、世論に訴えました。
 愚かにも、
 首都ワシントンが陥落の事態になっても、
 リンカーンは、
 「黒人奴隷は漸進的に解放したい、
 一気に解放という事はしたくない」の意思でした。
 また、
 リンカーンは、
 卑劣な事に「解放された黒人はアフリカかどこかに植民させ
たい」と考えていました。
 黒人の方たちを捨てるということです。
 「棄民」の考えです。
 当然、黒人の方たちからは、強い反対の声が沸き起こりまし
た。
.
(追伸)
 本シリーズを書き始めるにあたって・・・、
 今のアメリカの原点は、独立戦争で勝ち得た国の形と共に、
 そして、第二の大切な原点が、
 「現在のアメリカ政府をたどって行くと、『南北戦争時の北
軍政府』へと行き着く」。
 それ故に、アメリカは、
 当時の北軍の最高の位置にいた『リンカーン大統領』を誇り
とし、
 この時の理念を「美しくしていたい」という気持ちが強い。
 それ故に、そのリンカーンに関して、
プロパガンダする点が少なからず見られ、存在する。
 そのプロパガンダされたために見えない「隠された真実」は、
 世界の善良の方達のために、
 明らかにされねばならない。明かされなければならない。
 それは、回り回ってアメリカ合衆国のためにもなり、
 また、これからの人類の行く末にも貢献すると確信する。