ページビューの合計

2014年8月2日土曜日

本心は・・そんなこと、言わないでくれ・・

 題:本心は・・そんなこと、言わないでくれ・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 イエスが、盲人の目に触れると、すぐ見える様になった、
 凄(すご)い事である。
 進んだ現代医学でも、こんなことはできない。
 当時の人たちも、当然、この様な事を思った。
 その様な事が、キリスト教聖書に書かれている。
 イエスの言い過ぎを、糾弾している。
 そして、誰だって・・ならば「どんどん盲人の方たちの
目に触れてあげれば良いのに・・」と、誰しもが思うでし
ょう。・・当然です。
 どなたも、人々が幸せになることを望んでいるのです。
 しかし、イエスはその様なことはしなかった。
 ただ、『目に触れるとすぐに治った』と・・言うだけだ
った。
 だから、悪魔が、イエスに言ったと言う、「石をパンに
変えて見よ」・・と。その事が、聖書に書いてある。
 本当にそうだ、その通りだ。
 そんなに奇蹟ができるというのなら・・、
 エルサレムの人々もそう思うでしょう・・そんな事が出
来るなら、飢餓から逃れようと、エジプトまで行かなくて
も済んだのだし・・と、
 また、「エジプト脱出」の時に、食べ物が無くて、私た
ちは困りに困ったのだけれど、そんな事ができるなら、そ
の様に困る事も無かったのに・・と、
 そして、これは、誰でも思うことで、当然です。
 だから、「石をパンに変えて見よ」、そんなに奇蹟がで
きるなら・・になります。
 エジプト脱出の民が、「こんな事ならエジプトに残って
居ればよかった」などと、モーゼに不満を言ったが、そん
な不満も言わずに済んだのに・・と言うでしょう、
 しかし、この悪魔が言ったという言葉に、素直では無い
イエスは、その質問に素直に答えない・・、
 誠実に答えないで・・「人の生くるはパンのみによるに
非(あら)ず」なんて言う。
 おいおい、エジプト脱出の時に、食べ物が無くて困って
いる人々にも、同じ事が言えるのかい・・となる、
 脱出行の民、女性や子供や病人の方にそんな事が言える
のでしょうか・・パンのみにあらず・・と、皆、当時は困
っていたのです。
 キリスト教聖職者は、悪魔の質問を巧みに答えていると
喝采(かっさい)しているが・・、
 これは悪魔ではないのです。
 キリスト教聖書では、悪魔とせざるを得なかったのです。
 実際は、エルサレムの人々です。
 そして、悪魔としたから、キリスト教徒の方々は聖書が
読めるのですが、この事を言った人は、真実は、エルサレ
ムの方々の声でした。
 そしてまた、実際、悪魔としているから変に聞こえます
が、イエスの意見と分かれて居た人々が、イエスに言った
言葉なのです、
 その様な人たちを、悪魔と虐(しいた)げて、蔑(さげ
す)んで言っただけの事です。
 あまりにも、イエスたちが、嘘の、「目に触れただけで
治したんだ」と言う嘘宣伝・プロパガンダをして、誠実で
ないので、エルサレムの人々が言ったまでの話。
 本当に、5000人の人の腹を一杯にしたのか?
 そしてまた、オーバーに言う、それでもまだ、食べるも
のは余(あま)っていた・・とかと、嘘宣伝・プロパガン
ダがひど過ぎます、目にあまっていた。
 だから、こんな逆の質問が出たのです。
 そして、イエスは言う、「主なる汝の神を試すべからず」
・・と。
 何てことを、エルサレムの方たちに言うのだろうか。
 神なんだから「試すべからず」、つまり、質問なんかす
るな・・と言う。
 当時のエルサレムの人々も、イエスの奇蹟話(きせきば
なし)には辟易(へきえき)していたのだろう。
 そんなに奇蹟、奇跡と言うなら、石をパンにしてみてく
れ・・と、庶民の方々の心からの叫びだった。
 キリスト教は、美しく、美しく言うが・・この庶民の方々
の叫びを、あまりに正しい正論だったので「悪魔の発言」
に仕立てたのである。
 あまりにも正しい正論を言う庶民の人に、イエスは、ま
ともに答えられなかった。「神を試すな」と言うしかなか
った。
.
 そして、次の話。
 キリスト教の論理が破綻しているから、可哀想な面もあ
るのだが・・、
 キリスト教聖職者は、本当に都合よくものを言う。
 ならば、三位一体神なんていう神は、いらないことにな
ります・・と言えてしまうことを・・、
 目の前の話をまとめるために、すがり付くように言う。
 その話は、三位一体神などは、どこの神?という状態。
 三位一体神を脇に置いて話している。
 キリスト教聖職者は言う、「父なる神と言いますが、神
に性がある訳ではないので、何で、母なる神が居ないので
すかなどと聞かないで下さい、父親像を示していると考え
てみて下さい」・・と。
 「身近な父として呼び掛けただけ」・・だと。母ではな
い・・、
 そうであるならば、三位一体神だ、そして、イエスは、
三位一体神の位格の「子なる神」だ・・と、キリスト教は
言わないこと・・、
 そして、この位格の神の中には「父なる神」もいます、
 「父なる神は位格です」。
 父なる神を格上げしないで・・、
 キリスト教が信仰対象としている三位一体神とは、決し
て違う。
 そして、キリスト教聖職者は、キリスト教には女性蔑視
の考え方があって、「母なる神」などとは言わないし、言
えない宗教なのです・・とは・・決して言えない。
 キリスト教の「主の祈り」は、「天にまします我らの父
よ」と言っている。
 これは、イエスが言っていた言葉で・・、
 これを使っているという事であるが・・、
 イエスは、ユダヤ教を信じていて、このイエスが祈って、
 発した祈りの言葉の「父なる神」は「ユダヤ教の神」で
ある。
 後に、位格の神となったイエス自身が祈った神は、自分
が位格の神となっている「三位一体神では決してない」。
 イエスが生きている時に祈った神は、決して、死後に位
格の神となった三位一体神ではない。
 キリスト教の神は、キリスト教が色々と変遷している中
に、宗教が漂い流れている・・その様な、無理な論理の中
を浮遊する話に包まれている・・その様な宗教。
 キリスト教を早く離れなさい。何ら、ためにもならない
話の中にしか居られません。
・・
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://yumesyakai.blogspot.jp/

2014年7月31日木曜日

包(つつ)んだのだと思う・・、

 題:包(つつ)んだのだと思う・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 推論だが、本当に推論だが・・、
 だから、ある意味、希望なのかもしれないのだが・・、
 佐藤首相が、原爆を投下した飛行機の搭乗員に、日本の
勲章を上げたことと、慰安婦方々の、真実の追求を止めた
政府のことを考えたときに・・、
 推論だが・・日本人の優しさが・・、
 そうさせているのか?・・
 とも思える。
 推論だが・・、多分、原爆投下したアメリカの搭乗員は、
本当は、悔いて居た・・、
 心を病むほどに・・、
 それは、そうであろうと考えねば・・思わねば・・なら
ないほどの・・
 その行為は・・非情さの極地に・・至っている。
 投下した間際は、これで戦争が早く終わる・・、
 戦争で死ぬアメリカの若い兵士も減る・・と、思っただ
ろう、だがしかし・・、
 次第に、自分が投下した日本の地の・・惨状を知る様に
なって、
 助けた兵士の方は、そうなるであろうという想像である
が・・、
 投下された日本の惨状は・・、事実として・・
 投下した搭乗員へ迫(せま)る。
 事実だから・・、
 事実だから・・新しい事実も加わり、繰り返し迫る。
 任務だったのだからと・・自分に言い聞かせても、心に
は・・すっきりしないものが、その様なものが、絶対に残
るはずだ。
 惨状の事実は、事実なのだから、否応(いやおう)なく
迫る、事実は避け得ない・・一方にある思いは想像で・・
 この搭乗員の人は、悲しい、心を痛める・・方向へ
 行ったはずだ・・、
 それとも・・それでも行かない様な状態だったのか・・
 違う、いや違う、十中八九その様な道を辿(たど)った
と思いたい。
 また、そう思わなければ・・、
 あまりにも大勢の方々の、被爆者の方々の・・
 無念、悲しみ、痛み、身体だけでなく心へも、当然・・、
 そして、取り巻く方々も、家族、親兄弟、親せき、知人、
一緒になって悶(もだ)えた方々・人々、その事ごとが・・
可哀想なまま・・悲しいまま・・その様なまま・・に、
 なってしまうではないか・・。
 その事をも思い、涙しながら佐藤は、心を病むほど悔ん
でいた、そうかもしれない搭乗員へ、勲章を送ったと・・
 考え・・たい・・思い・・たい・・、
 韓国の慰安婦の方々も・・、
 事実はどうなのか・・本当は・・、
 これだけ、国際的に韓国側だけの話が、一方だけの話が、
長い期間、世界に流されたら・・、
 やはり、事実はこうなのですよと・・、
 日本側から、真実を・・世界に発するという事も考えら
れる。
 しかし・・しかし・・その行為を踏みとどまろうと・・
した、
 ・・やはり・・真実を流すと、戦後70年、遠のいた年月
を呼び戻して、
 傷ついた慰安婦の方々を・・、
 また、痛める事に、傷を付ける事になる。
 ここで、だから、踏み留まったのが・・日本政府・・だ
った・・のだ・・と思うし・・思いたい・・
 東北の方々が、大勢、亡くなられた。
 大きな・・本当に、大きな大震災、そして、何とも言え
ない悔しさなのだけど・・、悔しさがあるのだが、あの時、
世界の方々が、あの様に、あちこちから駆けつけて戴いた、
 お見舞いも、あちこちから沢山戴いた、ありがたかった
・・厚い心を戴いた・・そして、東北の方々の、大変な災
害に見舞われている東北の方々の、整然とした、良識のあ
る行動、助け合う行動、自衛隊の方々、警察の方などの公
的機関を含め、大勢のボランティアの方々、外国からも多
くの国々の大勢の方々が助けに来て戴いた。そして、東北
の方々のこの誠実な、良識のある行動が、世界から称賛の
声が湧き、わき上がった、この様な日本人が、原爆搭乗員
へ勲章を与え、慰安婦の方々を包んだのだと思う。
・・
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://yumesyakai.blogspot.jp/

西洋にも立派な薬草学があった。

 題:西洋にも立派な薬草学があった。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 西洋にも立派な薬草学があった。
 しかし、キリスト教が、その様な方々を殺してしまった。
 現代で言う薬学科の方たちだ。
 卑劣な事を、数多く、色々しているキリスト教だが、こ
の事も、大変卑劣な、キリスト教の悪行となっている。
 この様な事を思うと、本当に、キリスト教が無かったな
らば・・と、大変、残念に思う。
 キリスト教がやったこの悪行の理由は、やはり、『自分
たちにさえ利があれば、利がある様にという・・『我利(
がり)』の理由からの悪行為だった。
 キリスト教は、何しろ、『俗(ぞく)の世界の権威』が
欲しかった・・欲しい欲しいと悪いことばかりしていた。
 俗世間(ぞくせけん)の事は、俗に任(まか)せておけ
ば良いのだが・・、
 キリスト教の宗教理念が低いのと同様に、俗世界に口を
出し、手を出した。
 キリスト教は、権威を得たいと医学界と結び付いた。
 今、医学関係が十字架マークになっているが、それの名
残だ。スタートは卑劣な話からなのだ・・、
 決して、崇高な目的から、十字架マークになっていると
いう経緯(いきさつ)ではない。
 その頃の西洋の医学知識は、イスラム社会から得ていた。
 西洋医学は遅れていた。
 イスラム社会へ留学して学んでいた。
 イスラム社会に恩があるわけなのだが、キリスト教は、
例の得意のプロパガンダ(嘘宣伝)で、その逆を民へ説明
した。こんなことは朝飯前でやるキリスト教だった・・
 一方、その頃の西洋の方々、民の健康を支えていたのは、
女性の方たちであった。
 伝統的に伝承された、蓄積された言い伝えの療法を持っ
ていた。
 この女性の方たちは出産の手助けもした。
 主に、農家の主婦の方々が携(たず)わった。
 人々には無くてはならない生活の、健康の、心の、支え
だった。
 しかし、世の権威が欲しいキリスト教は、まだ、未発達
の医学と結託した。
 そして、このキリスト教には、この助産婦行為もする
女性の方たちが、目の上のたんこぶだった。
 当然、実績は、多く優れた実証結果を持つ伝統の知識の
女性の方たちの方が優れ、このキリスト教が結託した医学
より女性の方たちの方が優れていた。
 ここで、キリスト教は、宗教とあるまじきこと、卑劣な
手を使う。いつものように・・、
 夜、薬草を煎(せん)じて薬を作るこの女性の方たちを
魔女だと言いふらした。
 教会の中で、キリスト教聖職者は、こんなことばかり考
えていた。
 教会の中で、「魔女への鉄槌(てっつい)」などという
本も書いたりして、そして、世間に言いふらした、世間を
煽動した・・、
 「魔女は針で刺しても痛がらない・・」とかとか・・と、
キリスト教会などで話した。
 まだまだ、卑劣な事をこやつらは考えている、ここには
書かない・・、
 こんなことをよく考え、言いふらすキリスト教聖職者だ
と軽蔑する。
 現代でも、似た様な事をしている、法律違反、および、
すれすれな・・卑劣な事をしている。
 そして、キリスト教関係から、わずかな利ででも得たい
と協力するものがいる。
 アメリカでは、「巧妙なる伝道行為」と告発され、裁判
事例も多発している。
 西洋の薬草学を極める女性の方たちが居なくなったのも、
キリスト教によるあの手この手での女性の方たちへの圧迫
と殺戮だった。
 中世の暗黒時代の中では、この様な悪行を正す手立ては
無かった・・、
 魔女とされた女性の方々は、焚刑で殺されていった・・
 そして、西洋の薬草学を極める女性方は、絶えてしまっ
た。
 かつて、西洋には、東洋の漢方の薬学に匹敵する立派な
知識・知能があった。
 この絶滅は、今・現代の私たちにとっても、非常に大き
な損失である。
 人類の皆様のものである知的資産の喪失となっている。
 キリスト教は、この様な大きな犯罪行為もしている。
 この知的資産があったならば、どのくらい多くの方たち
が救われているかである。数多くの方々が死なないで済ん
だだろう。
 今、漢方で救われている多くの方達を思うと、その損失
が残念でならない。
 キリスト教が無かったならばこの様な事も起きなかった
だろう。次世代には伝えてはならない宗教である。
・・
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://yumesyakai.blogspot.jp/

2014年7月30日水曜日

あまりにも・・あまりにも・・悲惨だ・・、

 題:あまりにも・・あまりにも・・悲惨だ・・、
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
 キリスト教の神が、ソドムとゴモラを殺そうと、町の人
たちがいるのを知っていながら、承知の上で、火を降り注
(そそ)いだ。
 無実の人たちがいるのを承知していながら、
 また、キリスト教の神という立場にいながら・・、
 町の人たちも、一切もろとも、草や木々も一切を・・焼
き殺すというキリスト教の神。
 卑劣極まりない殺し方である。
 アメリカが、広島や長崎の一般市民の方々が、当然、こ
の空の下で生活しているのを知っていながら・・、
 小さな子供たちが遊んで居ただろう、両親の所へ子供た
ちを見せに向かう女性も居ただろう。
 キリスト教聖書のこの箇所を読むと、いつも、この様な
事を思い、この非情さを、非人情の世界の者どもへの怒り
が沸いて来る。
 ここを、正常に、冷静に、読めるキリスト教徒の方も居
られないと思う・・。
 何しろ、キリスト教徒は、「主によって、一切の侵略と
殺戮が許されている」という考え方が、今・現代もあると
いう事を、当然の様に話す輩が居ることにも、怒りが心頭
に達する。
 キリスト教聖書に洗脳され、この様な観念に至ってしま
う事にも・・、広島・長崎の方々と重ね合わせて、怒りに
怒る。
 大分(だいぶ)以前のことであるが、テレビで悲惨な放
送をしていた。
 その余りの悲惨さに、文に書けないでいた・・、
 原爆投下に関する放送で・・、
 原爆投下の飛行機の搭乗員に、日本に来てもらいインタ
ビューしていたが・・、いろいろ話を聞くシーンであった
が、自分たちの行ったことに少しの反省も無いと言った。
 また、原爆投下の飛行機の搭乗員に、日本の勲章を送っ
ている話も聞いた。何なのだ・・?? 広島・長崎の被爆
者の方々、また、その関係する方々の心情を思うとやり切
れない気持ち・心になる。
 この勲章は、佐藤栄作が上げたという。佐藤栄作はノー
ベル平和賞を貰っている。
 テレビ放送の話に戻るが、原爆投下の広島で、木に寄り
かかって赤ん坊に乳を飲ませて居た女性が居られたが、
 当然、それを話す方も原爆投下に会われた方なのだが、
 その方が見たことは・・、原爆投下の被害を受けた悲惨
なその親子の状況の中で、赤ん坊が必死にそのお母さんの
乳を吸っている。しかし、可哀想な事に、その女性は、木
に寄りかかったまま息が絶えていたという・・、焼けただ
れた自分を顧みず、赤ちゃんに乳を上げているその女性が
哀れだ・・どの様な事を思って居られたのだろう・・それ
にしても悲惨過ぎる。
 同様な投下の直撃を受けた方の話・・、道を、子供を連
れて歩いていた女性に声を掛けられたという・・、そして、
聞かれたその婦人は、「背中の赤ん坊はどうなっています
か?」と聞かれたという、見ると、その赤ちゃんは息が絶
えていたのですが、あまりにも可哀想なので、その婦人は
「元気ですよ」と答えてしまったという、小さい子供を連
れたその女性、背中に赤ちゃんを背負ったその女性は、こ
れから両親へ孫を見せに行くところだったのかもしれない。
 あまりにも悲惨な話がいくつかあった放送だった。
 新聞でも、原爆投下後、あの時間、母が居たと住んでい
たところを探し、そして行き、幸いその場所が見つかり、
ここが玄関などと探していたら、台所の所でお母さんがし
ていた指輪を見付けたという。お母さんの肉体は完全に蒸
発していたという。ただ、指輪だけが見つかったという。
 この話を知人にしたら、『そうなんだ』と言う。
 この方も、原爆に会われていた方で、同様な経験をして
居られた、そして、跡形もなく居なくなっていたと言われ
た、そして、その方は、言葉をつないで、どうやら、来客
があった様で、居間で、その来客の方と話をしていたよう
な状況だったと言われた。骨も何もすべてが無い状況だっ
た・・と、
 その様な、事を知ってか知らずか? 天から火を振りか
ぶせ・・云々のキリスト教聖書を読み・・この様な上記の
話の類いに無感覚になり・・聖なる書の記述だとしている
のだろうか?
 あまりにも悲惨な姿がイメージできなくなる宗教、逆に、
卑劣な悲惨な状況を何ともなくなる、何ともなくなされる
話に洗脳されているキリスト教。
・・
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://yumesyakai.blogspot.jp/

2014年7月29日火曜日

生まれ変わることが・・できませんでした・・人には常住不変の実体があるとする誤った考え

 題:生まれ変わることが・・できませんでした・・人には常住不変の実体があるとする誤った考え・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教が発生する頃・・は・・、
 過酷な種々の状況から・・、
 その民族は・・民族の生き残りだけを・・希求した、
 それ故、自民族に執着(しゅうちゃく)する考え・希望
の中に居た。
 この点から・・脱却・意識転換をすべきだったのは言う
までもない・・が・・、その頃は無理な状況だった・・
 だから、キリスト教発生時は、ともかく・・、
 しかし、ヨーロッパへ伝搬して行った後には・・、
 今までのキリスト教の性格を・・脱ぎ捨てているべきだ
った。
 本当に、世界宗教を目指すのなら・・、実際はその様な
事は無かったのだが・・、
 この伝搬に寄与した、そして、主な貢献者のパウロには
・・まず、
 その様な余裕は無かった・・そしてまた、その様な
 広い考え自体がなかった。
 逆に・・かたくな・・だった、
 伝搬したいという意識に・・執着した、
 だから、逆に、脱ぎ捨てるどころか、表面上は、地場の
色々な宗教を・・節操なく取り入れ・習合した・・が・・
 宗教的理念なんて何処へやらという状況だった。
 今でも、地方地方でキリスト教は違う・・それは、今・
現代でもキリスト教に残っている事である。
 ローマ教皇が、銃弾に撃たれ、危うく命が助かった時に
言った言葉・・、
 「黒マリア様の御蔭で、弾丸(たま)がそれてくれた・・
」・・である。地場の宗教の産物である。
 黒マリア様なんて、今までのキリスト教なんかにはない。
 その癖、キリスト教は・・権威だけはを欲しがった。
 権威を得ることに執着した。
 卑劣なのは、キリスト教に「神を畏れよ」という教義が
あるが・・、
 キリスト教は、権威を得るために、権威を得たいために
人を殺すことまでして、人々を畏れさせた。
 それで、キリスト教の権威が得られると、得られたと・・
 誤解した。
 この様な行為から離れ、キリスト教のみに、また、キリ
スト教の神のみの方に専念して行動をすべきだった。
 俗の権威を欲しがった・・、
 この執着や我執(がしゅう)を離れてこそ、対立や抗争
の原因から離れる事が出来るのに・・、
 キリスト教には、この点が・・悟れませんでした。
 キリスト教は、自分の神、自分の権威、自分の利に執着
し・・、目を覆う様な悲惨な行動を・・多発させました。
 自分たちだけ、自民族だけに、執着せざるを得なかった
パレスチナの地で、その地で出来たDNAから、生まれ変
わることができませんでした。
.
 (参考)が‐しゅう【我執】 1 自分中心の考えにとらわ
   れて、それから離れられないこと。我を通すこと。
   また、その気持ち。「―にとらわれる」 2 仏語。
   人には常住不変の実体があるとする誤った考え。我
   見。
.
 そして、次の話。
 キリスト教は言う・・、
 「イエスが、人々に見させようとしたのは神の国の到来。
そこでは、すべての人が、人種・性別・国籍・文化・伝統
の差を越えて、神の支配の内に自分自身を見い出し、自分
の様に隣人を愛する事が出来る様になるために、語りかけ、
働きかけ、示し続けたのです」・・と。
 この様な事は、聖書に書いてありません。
 完全に、キリスト教聖職者が脚色しています。
 キリスト教聖職者の方が、キリスト教以外から教えられ、
自分の心の中で形成され、できた宗教観で・・語っていま
す。キリスト教の材料は使っていますが・・出来ているも
のはキリスト教ではありません。
 逆に、キリスト教色が薄まっているので、キリスト教の
卑劣さが無くなって・・卑劣な面が薄くなっていると言え
ますが・・
 隣人愛の語り掛けにしても・・、
 知識的に、倫理的に、キリスト教ができた時より格段に、
高度に進んだ、高いレベルの現代人になっているからこそ、
 そして、現代人だからこそ、美しく聞こえ・・、そして
・・、
 その聞く方たちが聞く時に、その様な高度なレベルで、
自分の力でかたち作れるからなのです。
 しかし、キリスト教の『本質』は違います。
 標記では、キリスト教ではないキリスト教が語られてい
ます、しかし、長い間で・・知らず知らずに・・他を滅す
る、殺戮的なキリスト教に洗脳されて行くから・・注意が
必要です。本質的にしている事は、標記の記載の逆です。
 キリスト教学者が言う・・、
 「イエスの弟子たちですら、イエスの伝えようとする神
の国を悟って居なかった」・・と。
 長く、常に、イエスと共に居て、イエスの神の国を悟れ
ないという事は・・?、
 イエスの説明不足か・・、
 イエスの神の国の概念が、しっかり出来ていなかったと
いうことか・・、
 イエスの弟子たちの・・能力不足か・・などだ・・、
 イエスが、エルサレムに実力行使に行って・・、
 エルサレム神殿で大暴れし・・、
 対決色が、より鮮明に、明確になり・・、
 イエスが、『一緒に祈って欲しい』と、弟子たちに頼ん
だのに・・、
 イエスが、結局、一人で祈る事になり・・、
 そして、祈って戻って来てみると・・、
 弟子たちは眠っていた・・という。
 これは・・、
 ただ、『馬鹿な弟子たち』で済ませて良いのか・・?
 そこには、イエスと弟子たちの・・『相容れないもの』
が・・あったとしか言えない。
 この様な事は・・普通ではあり得ない・・からだ・・、
 常識で考えてみて下さい。
 これは、明らかに・・『意見の相違』が・・、
 イエスと弟子たちの間にあり・・、
 弟子たちが・・ふてくされて寝ていた・・としか考えら
れない。
 キリスト教は、美しく、美しく、隠して言うが・・
 そして、キリスト教は、イエスには間違いが無いという
見方をするが・・、
 イエスにも・・何らかの落ち度があった・・としか考え
られない不祥事だ。
 これから、大事なことをやろうというこの時に・・、
 最後の時に・・、
 だから、イエスの刑場に、弟子が一人も来なかったのだ
・・、
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://yumesyakai.blogspot.jp/

慰安婦問題の続き・・世界の世論操作の中で・・

 題:慰安婦問題の続き・・世界の世論操作の中で・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 本ブログに・・、
 『慰安婦問題:櫻井よしこ氏が話す 題:メンツのため
に・・』という題で記載させて戴いたが・・、
 慰安婦問題に関して・・
 公益財団法人・国家基本問題研究所の理事長の櫻井よし
こ氏の意見広告が、読売新聞2014・7・17に掲載されてい
た。
 標題が、『河野談話』の検証は、まだ終わっていません
・・でした。
 そして、その主張するところは・・、:
 政府は6月20日、河野談話(平成5年)の検証報告を公表
しました。
 慰安婦問題を巡って「セックススレーブ(性奴隷)20万
人」という事実無根の中傷が世界中に広まっており・・、
 検証はなされて当然でした。
 しかし、その内容は、当時の河野洋平官房長官と外務省
が行った謝罪外交の失敗を覆い隠すものでしかありません
でした。
 これでは、汚された日本人の名誉は回復されません。
 平成4年1月の訪韓で、宮沢喜一首相は、8回も謝罪しま
した。
 その時点で、慰安婦強制連行があったのかどうか、政府
は調査をしていませんでした。
 「私は女の狩り出しを命じた」(吉田清治氏)という・・
 ありもしない証言と・・、
 朝日新聞の誤報で・・
 激高した韓国世論におもねって、
 その場しのぎで謝ったのでした。
 調査もせずに・・とにかく謝罪する・・、
 外務省主導のこうした外交姿勢は、批難されてしかるべ
きです。
 国益と名誉を回復するために・・、
 政府と国会は、外務省の自己弁護を許すことなく・・、
 検証を継続していかなければなりません。
 談話作成に責任を負う河野氏と・・
 外務省関係者の国会での説明は・・不可欠です。
 事実こそが、反日宣伝から日本を守るのです・・
とあった。
 そして、
 また、本ブログの標題『日本の政治を讃える記事があっ
た・・が・・』という題で・・記載させて戴いた中で、
 日本の外交を携わって来られた岡崎久彦氏が・・、
 「過去に日英同盟を廃棄して、日本が第二次大戦へと向
かった悪夢を恐れた・・」という部分について・・、
 ユーチューブの西部邁ゼミナールで・・、
 西部氏が次の様な発言をされていた・・、
 「日英同盟を止めろと英国に言ったのはアメリカ、
 その頃から、アメリカは、日本をやっつけようと思って
いたのか・・」・・とあった。
 日本から同盟を止めようと言ったのではなく、
 やはり、差し出口(さしでぐち)的なことをしたアメリ
カが・・陰に居たのだ・・、
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://yumesyakai.blogspot.jp/

2014年7月28日月曜日

古代の時点で・・『役目』は・・終わっている・・

 題:古代の時点で・・『役目』は・・終わっている・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の民は・・、
 その民の祖先は・・、
 チグリス・ユーフラテスの河畔の町・ウルにいたことは
既に話した。
 キリスト教聖書も・・この河畔の町を出立するアブラハ
ムたちから始まっている。
 目指す地は・・安定した豊かな生活が出来るところ・・
誰もが求めるところをを求めた・・当然だった、
 その願いが実現する地・・を、・・目指した。
 彼らは・・彷徨する・・羊を追いながら・・、豊かな
沃野があるという パレスチナへ向かった。
 当然、その様な豊かな地には、すでに奪い合いをする先
住の民たちがいた。
 本当は・・
 チグリス・ユーフラテスの地に居た方が良かったのだ・・
 パレスチナの沃野といったって過酷な戦いの奪い取りが、
彼らに・・待っていた・・
 キリスト教の話の初めは・・間違っていたのだ・・
 チグリス・ユーフラテスの河畔は・・豊かな降雨に、天
の恵みに満たされていた・・
 エジプトのナイルに匹敵する文明さえ栄えた・・優れた
文明を芽生えさせる力のある豊かな余裕のある地・メソポ
タミア文明の地だったのだ。
 メソポタミアを去り・・、パレスチナに向かった民の・・
これからのこと、あまりの不幸を思うと・・その様に思え
る・・。
 パラスチナに来たキリスト教を生んだ民は・・、沃野を
奪い合う・・殺戮が現出する・・、
 また、飢餓の状況下にさ迷う・・生きるすべを求めて、
 戦乱も、しばしば起きて・・負けてばかりいた民・・
 また、身分を落としてでも・・ナイルに恵まれるエジプ
トに流入し、生きる糧を求めた・・その民・・
 この様に、生きることの問題点が多々ある地へ・・わざ
わざ来たという状況だった。
 インドの物品が、メソポタミアを経由して、エジプトで
発見されるという事実があるが・・、
 「一神教の壁があるんだ」とのキリスト教の嘘・・プロ
パガンダ(嘘宣伝)は・・本当に真実を愚弄(ぐろう)す
るが・・、
 キリスト教の民の自らの祖先が・・メソポタミアから来
た訳があるのに・・その壁が・・一神教の壁があるわけが
ない・・。
 近代の研究において、インドの民話が・・メソポタミア
にあることが見い出され・・、
 そして、そのメソポタミアから・・パレスチナに地に伝
わり、聖書の中にあることが確認されている。
 ギリシャの商人が・・インドの仏塔(ストゥーパ)の
供養をしている事実もある。
 このギリシャの商人は・・ギリシャから交通の要衝・パ
レスチナの地を通り商売をしている。インドへ、通商で通
っていたのだろう。
 イエスの生まれたガリラヤの地は、その様な異邦人たち
が多く居たという。
 そして、飢餓からの苦痛・・その苦痛から脱したいと・・
エジプトに流入したパレスチナの民・・、
 出入りが自由な状況のエジプトであるのに・・そこから、
脱出させたのだというキリスト教聖書の「出エジプト記」
の嘘・・、
 このリーダーだったと言われるモーゼ・・、この人は実
在はないと歴史家が指摘した話もすでにしたが・・、
 チグリス川・ユーフラテス川の畔(ほとり)に居れば、
この様な事は無かったであろうにと思うこの話を含め、
 イスラエルの民の姿は、悲惨さに満ちている。
 女性や子供、乳幼児を抱え、病人を抱え、さ迷う悲惨さ。
 民族が存続して行く何かを・・欲していたのだろう。
 その一つを宗教に求めたのだろう・・。
 決して・・決して・・世界の宗教の思想ではない。
 そしてまた・・事実か否かは別にしても・・、
 イエスが、十字架を担って刑場へ向かう時・・、
 あるユダヤ人の家の前で休ませてくれとイエスが頼んだ
時、このユダヤ人が拒絶したという・・、
 その時、イエスは、「汝、我の来たるを待て」と答えて
立ち去ったという・・、
 これが・・以後、ユダヤ人が故郷と安息を失った原因だ
ったという話もまた・・陰湿だ・・、呪いをかけたという、
 また、キリスト教修道院の記載によれば(13世紀の記述)、
 ピラト総督の下で裁判所の門番を務めていたユダヤ人が、
 イエスを打ちたたいたために、やはり、同じようにさ迷
う運命になった言っているという・・キリスト教の主張。
 また、この様なキリスト教のプロパガンダ(嘘宣伝)に
乗せられたナチスは・・ユダヤ人いじめを行い、映画まで
作って「不変の人種的特質が、ユダヤ人をさすらう文化的
寄生虫」だとまで言わしめるている・・この様なことまで
させるキリスト教による・・悪影響も卑劣だ。
 このユダヤの方々の離散を・・『ディアスポラ』という
が、この語彙は・・「撒(ま)き散らされたもの」という
意味だという・・
 そして、悲惨なことに、この言葉が、『難民』という言
葉と違い、『難民』という言葉は、元の地・故郷へ戻る意
味があるが・・、
 この『ディアスポラにはない』という事だ。悲惨だ、卑
劣だ。
 チグリス川とユーフラテス川の河畔から出た時から、も
と来た故郷には戻れないという運命が・・キリスト教を生
んだ民にはあったのだと言える・・この運命が・・、
 行き先の自然環境が豊かではなかったという悲運な運命
が大きく関わり・・、その結果から、出来たこの宗教が・・
この自然環境と・・この経緯から・・大きく影響され、キ
リスト教として出来あがった・・、
 決して、世界を視野におさめた宗教では決して決してな
い・・狭い・・狭量な・・民族の宗教なのだ・・
 厳しい砂漠環境下の・・生きるための民族の生存の宗教
となった。
 その様な性格の、DNAの宗教を・・それを世界に適用
させる・・また、適用すると・・不幸なことになる。
 関東学院大学の富岡幸一郎教授が必死にイエスは豊かな
ガリラヤの地だと言われるが、そのイエスをパウロは棄て
た。それに反発した原始キリスト教もある。
 キリスト教が多くの路線、今・現代も同じDNAをキリ
スト教は持っていて多くの分派がある。多くの派に分かれ
ている。
 そして、何しろ、生き残る、自民族が生き残る、その愛
も同民族の愛だという宗教の民・・、
 世界への観念は無いのと同時に、世界の民への愛はその
様な経緯から同じく皆無・・、
 最後は、自分さえ、自分の口が可愛くなればそれでよい
の民族宗教なのです。
 聖書の記述は、今・現代でも、そのDNAの記述に満ち
ている。
 そのための、他民族の殺し方まで指導する神なのだ・・、
 この様な教義を払しょくしきれない宗教・キリスト教は
次世代に伝えて行ってはいけない宗教なのだ・・、
 宗教の出来あがる基板の民のレベルも低かった。殺して
はいけない、盗んではいけない、女性を犯してはいけない
と言わなければならない民だった・・、
 この様な面からも、当然、世界宗教としてはいけない。
 「異教徒は殺せ」「魔女は生かしておいてはならない」
などの殺人指令もある教義、そして、モーゼの十戒が示す
様に「殺すこと」「女性を虐げること、姦淫など・・また
女性蔑視など」「盗むこと」などなど・・世界宗教たり得
る点は何もない状況・・、
 洗練されて、民意がはるかに高い現代において、この様
な古代の宗教は、通用してはいけないのです・・通用させ
たら悪の結果をもたらします。
 イエスも姦淫について、あまりに多く・・とやかく言っ
ているが、この様な事を言わなければならない状況から、
世界へ通用する様な観念が出て来る訳はなかった、その状
況ではなかった。
 今でも女性を司祭にしないとか・・宗教組織自体も腐っ
ている。
 そして、次の話。
 キリスト教は、「らい病にかかった人を汚(けが)れた
もの」としている。
 そして、ひどいことに「隔離するか、追放してしまえ」
としている。(「レビ記」13)だ。
 何しろ、キリスト教は、人道的にひどいことを言う宗教。
 人を、大勢、『正義だ』と殺戮した宗教であるのはご存
じでしょうが・・、(「民数記」5・2」にも、
 「重い皮膚病に罹(かか)っているものや死体に触れた
汚れたものを追い出せ」というのもある。
 有名な・・「女と寝る様に男と寝てはならない」(「レ
ビ記」18・22)の様に人種差別(同性愛者差別)の教義・
差別の考え方もある。
 遅れた宗教なのである。古代の時点で役目が果たされた
宗教なのである。
 こんな事は、絶対、キリスト教聖職者は言わない。キリ
スト教聖書に書いてあることなのに・・。
 そしてまた、次の話。
 キリスト教のイエスは、『キリスト教会の必要性』を言
ってない。
 キリスト教教会は、使命があると言うが・・、
 イエスは、そんな使命など言ってない。
 この基本使命が・・明確に指し示されていない。
 キリスト教会は、ガラガラ変化し続けてきた。
 生きる糧を得るという事が、古代からキリスト教を生む
民の願いだった。
 それを、キリスト教会は、キリスト教会内で祈ることで
得られると言う。
 そして、神が働いていると告げられられると洗脳する。
 こうして教会内で告げられないと、自覚しなくなるから
である。繰り返し洗脳されるところである・・
 このキリスト教の神の存在は、その様なものであり、マ
ザーテレサさんは、『正直に』、キリスト教の神の存在に、
悩まれたことを告白した。
 また、生涯続いたこの「キリスト教の神の不存在の事実」
を、隠すことなく白日の下(もと)にさらした。
 これが、彼女の偉いところであり、正直なところである。
 彼女は、『キリスト教の神の実在を実感しなかった』の
である。待ち続けるとこうなります・・、
 キリスト教の教会というところは・・、
 この様なキリスト教の神が実在していると・・信じさせ
ようというところとして・・建設されたところ。
 キリスト教会は言う、「素直に聞きなさい」「考えるな」
「神を待て」・・と。
 マザーテレサさんは、死ぬまで、悩み、待ちました。
 キリスト教会で、キリスト教聖職者は言う、
 「説教そのものが・・神の言葉なので、ありがたいので
す・・と、独善の・・上からの・・聖職者の言葉が・・教
会というところでは・・降り注がれる・・洗礼の水の如く
に・・純真な方たちの心に、特に、強烈に突き刺さる。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
http://yumesyakai.blogspot.jp/