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2013年2月1日金曜日

最初に、アップアップとする国=日本 (改訂版)

題: 最初に、アップアップとする国=日本(改訂版)
   (真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
 .
  工業製品を輸出しようとしたら、輸出先の国が自国の産業を
 守ろうと関税をかけていた。
  企業は儲けたいので「関税が低率にならないかなあ」と思っ
 た。
 また、「関税なんか無くなれば良いのに」と思った。
 企業は業界団体に泣き付いた。
 厳しい世の中で売り上げが伸びなくて困っていますと。
 (本当は、内部留保のお金が一杯あったのですが、そう言っ
 た)。
 そして、「そんなら皆で政府に掛け合いに行こう」という話
になった。
 政府はその話を聞いて、相手の国に言った。そうしたら、そ
れなら貴方の国の農産品を保護している関税を無くしなさいと
言われた。
 工業品の企業たちは、農産品の保護関税が無くなっても、痛
くも痒くも無いから、『そうだそうだ、日本も農産品の保護関
税を無くして、工業品が売れると、利益も上がってありがたい
』と言った。・・・えっ?農産品を作っている方たちが困る件
ですか? 政府からお金を出してやって下さいよ。
 結局は国民の税金ですが、国民の方々には申し訳ありません
が、お金を出してやって下さい。・・・えっ?結局、国民のお
金が、企業の利益に回りまわって行くという話ですか?
 アメリカの安い農産品が日本で売れて、アメリカの農家の方
々は喜んで「にこにこ」。
 日本の農家の方々が泣く。
 そして食糧の受給が今と違った形になった時、食糧自給率が
先進国中で最悪の日本の国民の皆様に、米びつに米が一粒も無
くなった時に、昔は「ヤミ米」とか、「買い出し」とか、違法
でしたが日本に命をつなぐ米を持っている農家の方々が居まし
たが、今は、
 工業品が売れるのと引き換えに農家の方々が居ないので、そ
れも出来ず。
 世界の食べ物は経済成長した国々が買い、需給がひっ迫。
 日本はキャパシティ(食糧危機に対する回避能力)が無いの
で、世界で「最初にアップアップ」とし出しました。
 第一次世界大戦の時、その戦いの後に、アメリカで、大戦へ
のアメリカの参戦が、軍需景気で高利潤を上げました。
 また、上げようとした「死の商人たち」は、その参戦への策
謀と高利潤をあげたことが批判され、世の中の白昼の元に晒(
さら)されたが、
 日本がTPPに参加することになった場合、その日本のTTP参加
の後に「ほくそ笑む工業品産業界」は同じことになります。
 自分の利でなく、国民へ目を向けて下さい。
 .
 (参考)食料自給率(しょくりょうじきゅうりつ)とは、1国
内で消費される食料のうち、どの程度が国内産でまかなわれて
いるかを表す指標。食料を省略して自給率と言われる場合もあ
る。
 日本の食料自給率は、1965年から5年ごと(1965年、1970年、
1975年、1980年、1985年、1990年、1995年、2000年、2005年、
2010年)の率をを示すと日本73%、60%、54%、53%、53%、
48%、43%、40%、40%、39%・・と、年々、悪化している。
なんと、4割以下となっている。
 因みに、アメリカは、117%、112%、146%、151%、142%、
129%、129%、125%、123%、(注:2005年データまで)
.
 (追記) : 驚くべき買い手が登場
 読売新聞(2013・1・16)に次の様な記事があった。

 [記事内容]: 国際的なコメ市場に、巨大な、驚くべき買い手
 が登場した。
 中国だ。
 中国は数十年の間、コメの生産量を増やしていたが、この世
界最大のコメ消費国が主要な輸入国に転じたのだ。
 米農務省によると中国は2012年、過去最多となる260万トンの
精白米を輸入した。
 2011年の輸入量は57万5000トンだったから、この傾向が大き
く加速した形だ(4.5倍強)。
 コメ業界内には困惑が広がった。
 アナリストや業者は、(中国のコメ需要が)急増した理由や
国際的な食糧価格と国際経済への影響の究明を急いでいる。
 一部のアナリストは、中国の消費需要が膨張したため、買い
あさりが起きたと見る。
 国連食糧農業機関(FAO)の上級エコノミストは、「今のペース
が続けば、中国のコメ需要により生じる不足分を、他の国が埋
め合わせる事が出来るのか懸念される」と話す。
 別の理由があると言う人もいる。
 中国政府が定める米価は、同等のコメの国際市場価格よりは
るかに高く、ベトナムやパキスタンなどからコメを購入し、高
値で売りさばく中国人業者が利益を得ているというものだ。
 ベトナム産コメの平均輸入価格は昨年12月中旬、1トン当たり
約410ドル(約3万6500円)だったのが、中国では約635ドル(約
5万6500円)で売れたという。
 ロンドンを拠点とする、ある研究機関のエコノミストは、農
家は政府に売るが、消費者は結果的に外国産のコメを買ってい
ると話す。政府が買い取ったコメの多くは加工・消費されずに
備蓄に回され、(政府の米価と国際市場価格の)差が縮小すれ
ば輸入は減ると見られる。
 仮に消費量の増加がコメ需要増の原因であれば、米価は今後
数年から数十年の間、さらに高騰するとみられる。
 一方、政府の価格政策に反応して買われているのであれば、
政策が転換すれば国際価格が不安定化する恐れがある。
 コメ価格の動向が重要なのは、世界人口の半数以上がコメを
主食とするからだ。
 コメ価格の上昇は小麦やトウモロコシなど他の穀物の価格上
昇を引き起こす傾向もある。
 2008年のコメ価格の急騰は他の穀物の価格上昇を招いた。
 このため世界的な食糧危機が発生し、多くの国での暴動や政
治的混乱の引き金となった。
 コメ消費国の大半は大規模な生産国でもあるため、国際的に
取引されるのは総生産量のうちわずかだ。
 FAOによると、2012年に国際的に取引されたコメは、世界の供
給量の7.7%に当たる3730万トンに過ぎなかった。
 中国は年間約1億4000万トンを消費するため、中国の取引動向
は大きな影響力を持つ。
 FAOのアナリストは、中国のコメ備蓄量をより正確に把握しよ
うと努めている。
 輸入の増加と国内価格の上昇は、備蓄量がそれまで考えられ
ていた量より少ない可能性を示すとみられている。
 FAOは現時点で、中国の備蓄量が9月末に9370万トンに達する
と予測する。
 これは全国民が8ヵ月半食べるのに十分な量だ。
 だが、FAOFの上級エコノミストは「この推計は、おそらくは
多過ぎる」と話す。
 米農務省は、中国の2013年の需要は供給を100万トン上回り、
このため中国は2013年も相当量を輸入するとみている。
 (ウォール・ストリート・ジャーナル本誌提携、1月9日掲載)
.
 (追記の追記): 1934年の事である。アメリカは、関税の
相互引き下げを可能にする『互恵通商協定法』を制定し、種々
の国々と締結を進めて行った。
 しかし、事実上、アメリカとそれらの国々との間で「ドル・
ブロック」を形成することになった。
 それは、世界が共通の通貨や関税政策などで結合したりして、
いくつかのブロックに分裂した状態となり、その結果、ブロッ
ク間で摩擦を起こすこととなった。
 経緯として、武器輸出禁止のブロックの協定、借款の禁止な
どをしたりして、結局、第二次世界大戦の戦争へと繋(つな)
がって行った。
 TPPも、ブロック化の行為である。
 過去のこの様な歴史の繰り返しの要因もないとは言えない。
 この様な事態へ、TPPを契機に、進む様なことは回避けなけれ
ばいけない。
 また、過去の日本の中国における戦争は、経済界の希望・「
中国に市場を得たい、拡大をしたい』という要求・欲したこと
にその発端の一端がある。
 TPPには、TPP圏の域内と域外の差別化が、ブロック化をする
という行為にある。
 そして、それは危険な要因を含んでいることも戒めたい。
 過去の歴史に、資源の輸出禁止の処置などの差別行為を始め
ると危機の最終段階に至ったことなどを、念頭に置いておきた
い。
 全体が見えないと言われるTPPに、この様な「ブロック化によ
る罠」が存在することに注意したい。

2013年1月24日木曜日

アメリカの独立への道、そして、翻弄されるインディアンの方々

題:アメリカの独立への道、そして、翻弄(ほんろう)されるインディアンの方々
(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
 イギリスは、7年戦争に勝利したものの重い戦費負担に苦しんだ。
 そこでアメリカを圧迫した。
 種々の物品に課税した。
 また、茶の販売権を独占した。
 それらを英国本国だけで決定した。
 アメリカは『習慣的な自治権の侵害だ』と強く反発した。
 「アメリカの代表が居ない所での課税決定は決定事項ではない」
との論理であった。
 納税の拒否やイギリス製品の不買運動をし、事態は険悪になった。
 その様な経緯の中で、1773年にボストン茶箱事件が起きた。
 (ボストン港に停泊中の東インド会社の船舶から茶箱が海に投げ
捨てられた。イギリス本国は、罰としてボストン港封鎖を決定した)
 翌年の1774年より、アメリカの各植民地から代表が集まり、会議
が持たれた。
 会議では、『自治権を守ること』と『武力による抵抗も辞さない』
ということが決定された。
 翌1775年、ちょっとしたことで武力衝突が起きた。
 ボストン近郊で、アメリカ抵抗派の武器を押収しようとしたイギ
リス軍と、駆けつけたアメリカ植民地民兵との衝突である。
 これがアメリカの独立戦争の発端となった。
 アメリカ側は、制海権がイギリスに握られているのでヨーロッパ
からの武器輸入がままならなかった。
 アメリカは、各地の戦いに惨敗した。
 司令官のワシントンは、フランスやスペインの参戦を期待した。
 ニュージャージーに進軍したイギリス軍が略奪や強姦をするとい
う愚行も起きたりした。
 この様な中、北米植民地で発行されていた4つの新聞は、最初は
(不思議なことなのだが)3分の1しか独立を支持していなかった。
 新聞メディアは独立に反対の姿勢だった。
 しかし、だんだん独立支持へと変わっていった。
 1777年に、アメリカは連合規約を締結し、国名を「アメリカ合衆
国」とした(批准成立は1781年)。
 それまでは、邦(憲法で州が発足するまでの呼称)の各々が、兵
の動員や物資の調達や将校の昇任などがバラバラだった。
 イギリス国王は、『7年戦争後のアパラチア山脈以西へのイギリ
ス人植民者の入植を禁止した宣言』を出していたため、先住民のイ
ンディアンの方たちは、この宣言が「7年戦争の後には、イギリス
人の入植がない」ということで、「自分たちの土地が守られている
」と解釈し、この戦いにおいて、インディアンの方たちはイギリス
側について戦った。
 イギリス軍は、このインディアンの方たちとドイツ傭兵なども加
え戦っていた。
 しかし、戦いの長期化で食糧不足に陥っていた。
 この状況はアメリカ軍も同様で、1777年から1778年においての
厳冬にアメリカ軍の兵の2000人が栄養不足や疫病で死んだ。
 この数は兵の約20%にあたる高率な数字となっている。
 イギリス軍は、だんだん最前線への兵の補充も滞(とどこお)っ
て来た。
 前線の兵も減少していた。
 一方、アメリカは民兵が近隣から駆けつけるという状況だった。
 ニューヨーク邦でイギリス軍が降伏したりする様になった。
 1778年に、今まで、静観していたフランスが、イギリスをたた
く機会だと、アメリカの独立を承認し、アメリカと同盟を結び、参
戦した。
 (この様な事は日本の関ヶ原の戦いでもあった)。
 海軍力を持つフランス軍とイギリス軍との海戦も起きたりした。
 1779年、フランスの要請でスペインも対英参戦した。
 このアメリカ独立戦争のフランスの参戦は、戦域が国際的に拡大
して行った。
 ヨーロッパ、カリブ海、西アフリカ、インドなどへ及んだ。
 大西洋の制海権もイギリスだけのものでなくなった。
 しかし、良いことばかりではない。
 アメリカは民兵の給料が払えないとか、食料も遅配するとかで、
民兵の不満は高まっていた。
 一部民兵が反乱を起こすこともあった。
 1781年、フランスは財政悪化から和平の斡旋に乗り出した。
 アメリカ司令官のワシントンは、和平交渉で有利な条件を得よう
とフランス軍と連合してイギリス軍を攻めた。
 フランス海軍も協力してイギリス軍への補給を断ったりした。
 1781年10月、イギリス軍で信頼されていたコーンウォリスの部
隊が孤立し、とうとう降伏した。
 この名将の降伏は、イギリス本国に衝撃を与え、ノース首相は「
ああ、これで万事休すだ」と叫び、イギリス王のジョージ三世は、
戦争継続論であったが、イギリス議会はこれに抗して「終戦を決議
」した。
 1782年11月から、和平交渉が開始され、
 1783年9月に、アメリカの独立が承認され、講和条約が調印され
た。
 この時、アメリカは、「ミシシッピー川以東の広大な土地」を購
入した。
 (イギリスが譲渡、先住民のインディアンの方たちの権利を無視)。
 この戦いは、将校の狙い撃ちを避けたりした『限定戦争』であっ
た。
 この時からアメリカは、「戦後処理」と「建国」の期間となる。
 1788年に初代大統領に選出されたのはワシントンだった。
 ワシントンは就任すると、まず、先住民・インディアンの方々と
の関係調整を行なわざるを得なかった。
 それは、ワシントンの就任の年の1年前に制定された「北西部条
例」に関する事だった。
 この1787年の北西部条例の制定によって、新領土がアメリカ人に
開放されたからだ。
 先住民・インディアンの方々は反発した。
 紛争が多発した。
 ワシントンは、議会に軍事支出を承認させ、『新民兵法』を制定
させ、民兵の兵力動員をした。
 そして、遠征隊を結成し、インディアンを掃討を始めた。
 派遣した軍は、先住民・インディアンの方々を破り、先住民の方
々の村落や田畑を徹底的に破壊した。
 焦土作戦を強行した。
 弱い者いじめの様相だった。
 先住民・インディアンの方たちは降伏し、居住区域はオハイオ川
流域以西に押し込められた。
 ここに退去せざるを得ない状況に置かれた。
 この時の終戦処理に、条約締結という手法がとられた。
 この様な条約の締結は、対象となる先住民の方々を、形式的には
「独立した国家」と認めたというものであった。
 しかし、多くの場合、その条約は、アメリカ人側によって無視さ
れることが多かった。
 悲しいことに、この事が、また、新たな紛争を生み出して行った。
 題:アメリカの独立への道、そして、翻弄されるインディアンの方々(完)
 

2013年1月23日水曜日

先住民・インディアンの方々の意志は無視され、そして、戦争に

題:先住民・インディアンの方々の意思は無視され、そして、戦争に
(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
 アメリカの独立戦争・・・。
 この話の背景を、まず、お話しますと、インディアンの先住民の
方々は、17世紀の末にはアメリカ大西洋岸(アメリカの東海岸)か
ら駆逐され、そして一掃させられて居りました。
 そして、イギリス国王は、『7年戦争後のアパラチア山脈以西へ
のイギリス人植民者の入植を禁止した宣言』を出していました(7年
戦争については後記を参照下さい)。
 先住民のインディアンの方たちは、この宣言が「7年戦争の後には、
イギリス人の入植がない」ということで、「自分たちの土地が守ら
れている」と解釈しました。
 そのため、アメリカのイギリスからの独立を目指す独立戦争にお
いて、インディアンの方たちはイギリス側について戦いました。
 しかし、独立戦争後、アメリカは「アパラチア山脈からミシシッ
ピー川に至る広大な土地をイギリスから得た(先住民に関する話は
無し)」。
 この事に対する先住民のインディアンの方たちの落胆は大きかっ
た。
 インディアンの方たちの意思は、まったく無視され、理解されず、
そして、インディアンの先住民の権利へも、まったく配慮されない、
理解も示されないこれ等・土地に関する取り決めでした。
 インディアンの方たちは、この事について抗議の行動を起こしま
した。
 これ等の土地でのアメリカとインディアン先住民の方たちとの戦
争が激化することになりました。
 1787年の『北西部条例』で、ミシシッピー川以東の土地がアメリ
カ人に開放されました。
 その間、この件に関し、インディアンの方達への説得や相談など
の意思の疎通の機会はありませんでした。
 事は必然的に紛糾しました。また、紛争は激増しました。
 アメリカは、戦い方において残虐さが増しました。
 先住民の女性や子供にも多数の犠牲者が出ました。
 無限定戦争です(東京大空襲も無限定戦争です。無差別に東京の
住民を焼き殺しました)。
 悲惨さが、より大きいこの無限定戦争が繰り返されました。
 イギリス人との白人間の独立戦争では、戦争の自制観が見られま
したが、インディアンの方たちに対する対先住民戦争では『無限定
戦争観』による戦闘でした。
 (限定戦争については、後述を参照下さい)
 それは、戦争にまったく関係のない方々(女性や子供たちなど)
への悲惨な多くの犠牲者を生みました。
 (「野蛮」視した異人種に対するという態度です)。
 キリスト教の原住民蔑視の思想・考え方は、南米・中米・北米メ
キシコ及びその離島などでも見られましたが、また、アフリカの方
々への『人間ではない』との発言などもキリスト教聖職者の発言と
して記録されて居りますが、アメリカのこの戦いにおいてもその状
況でした。
 (異人種・先住民への蔑視)。
 (アフリカの方々の奴隷の歴史も悲惨)。
 この時代、戦争で決着させる傾向がありました。
 キリスト教の生まれた地、及び、その時も、錯綜する人種・民族
間で富の奪い合いの戦いは繰り返されていました。
 このDNAをキリスト教は持っています。
 (参考)アパラチア山脈(Appalachian Mountains)は、カナダ
及び、アメリカ合衆国東北部に位置し、北東から南西方向に全長約
2,600kmにわたって延びる丘陵・山脈。
 (参考)七年戦争(しちねんせんそう、英: Seven Years' War、
独: Siebenjähriger Krieg、1756年-1763年)は、プロイセン
及びそれを支援するグレートブリテン王国(イギリス)と、オース
トリア・ロシア・フランスなどのヨーロッパ諸国との間で行われた
戦争である。七年戦争は、ヨーロッパにおいては、イギリスの財政
支援を受けたプロイセンと、オーストリア・ロシア・フランス・ス
ウェーデン・スペイン(1762年参戦)及びドイツ諸侯との間で戦い
が行われた。並行して、イギリスとフランスの間では北アメリカ、
インド、各大洋上で陸海に渡る戦いが繰り広げられた。
 (参考)アメリカ独立戦争(アメリカどくりつせんそう, 英: Am
erican War of Independence)は、 1775年4月19日から1783年7月3
日までのイギリス本国(グレートブリテン王国)とアメリカ東部沿
岸のイギリス領の13の植民地との戦争である。現在のアメリカでは
アメリカ独立革命(英: The American Revolution)もしくは革命戦
争(英: the Revolutionary War)と呼ばれ、主にイギリスではアメ
リカ独立戦争と呼ばれている。なお、日本の歴史教科書では、「ア
メリカ独立戦争」と表記することもあれば、単に「独立戦争」と表
記することもある。
 (参考)ディー‐エヌ‐エー【DNA】 《deoxyribonucleic acid》
 1 ⇒デオキシリボ核酸 2 俗に、遺伝子のこと。また、先祖から
子孫へ連綿と伝わるもの。「父の―を受け継ぐ」「歴代モデルの―
を引き継いだ新車」「ジャ...
 (参考)く‐ちく【駆逐】 [名](スル) 1 追い払うこと。「悪
貨は良貨を―する」「私は此不安を―するために書物に溺れようと
力(つと)めました」〈漱石・こゝろ〉 2 馬や車などで追いかける
こと。「馬車相(あい)―して進み...
 (参考)限定戦争はその定義に基づけば敵の殲滅によって戦争を
終わらせる戦争ではなく、より限定的な目標を達成することを勝利
とした戦争である。限定戦争ではその目的を制限することによって、
戦争に投入する軍事的手段を制限し、かつ可能な限り少ない費用で
平和を達成するよう努力しなければならない。戦略理論において、
この限定戦争の原理は目的と手段の適合として説明されている。リ
デル・ハートは戦争状態にある国家の目的とは可能な限り少ない人
的、経済的な損失で敵の抵抗する意思を屈服させることであると論
じている。つまり、敵に対する作戦を考える上では敵の意思を打ち
砕くことと損失を最小化することが重要であり、無闇に敵の軍事能
力を破壊するために犠牲を増やしてはならない。

2013年1月21日月曜日

そして、それから起きたインディアンの方々の悲劇

題: そして、それから起きたインディアンの方々の悲劇
................(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
 キリスト教の底流にある基本的考え方・教義「異教徒・異邦
人への見方や考え方」。
 それは、「自分たちと違う神を信仰する民。それは異質であ
り、受け入れられない」という。
 そして、キリスト教の教義「異教徒は殺せ」の教義などで異
教徒・異邦人を否定する。
 まず、その感情が最初に出て来る宗教に、アメリカに渡った
入植者(侵入者たち)もあった。
 キリスト教のこの教義が心底に刷り込まれていた。
 入植当初は、厳しい北米の冬の気候に、餓死が相次ぐような
辛酸の中に居た入植者たち。
 救ったのは先住民のインディアンの方々だった。
 越冬の仕方を教えて貰(もら)い、トウモロコシの栽培法な
ども教えて貰い、細々でもアメリカに留まる事が出来る様にな
った。
 当初は、この様に、入植者たちと先住民のインディアンの方
たちは共存していた。
 しかし、入植者たちの意識は、「定着し、土地を所有する」
であり、インディアンの方たちには「土地は皆の刈り場」であ
り、「皆の耕作地」の意識で、私有するという観念がなく、入
植者(侵入者)とインディアンの方々との間には土地に対する
考え方・観念の違いが存在した。
 インディアンの方々は、「どの土地にでも狩猟や耕作をする
利用権」を求めた。
 インディアンの方々は、昔からの、祖先の時代からの、生活
の基盤が脅(おびや)かされた。
 しかし、入植者による浸食される土地が拡大して行った。
 バージニアでは、ピューリタン入植の年からわずか2年の後
の1622年に、インディアンの方たちは止むなく折り合えない
事態を訴える行動に出た。戦いになった。
 ニューイングランドでは、1637年に、入植者(侵略者)たち
の軍が、実力行使の攻撃をインディアンの方たちへ仕掛けた。
 入植者とインディアンの方たちとの戦いは、だんだん熾烈を
極めて行った。
 使われる武器の殺傷能力が大きくなっていった。
 当然、持ち込んだのは入植者のヨーロッパ人キリスト教徒た
ちだった。
 ライフル銃は射程距離が一段と高く悲惨な殺戮状況となった。
 また、戦術も一斉射撃方式を入植者たちの軍はとり、殺戮の
プロの前にインディアンの方たちは曝(さら)された。
 インディアンの方たちは、弓矢・手斧の類いであり、そして
、自分たちの死、命の代償として得たわずかな銃だった。
 当初の入植者とインディアンの方たちとの共存の心はもう遠
くどこかへすっ飛んだ状況であった。
 バージニア議会では「先住民との共存はあり得ない」と決議
した。
 民兵を組織しインディアン掃討作戦に乗り出した。
 悲惨な非人道的な攻撃・戦いだった。
 襲撃した部族か否かに関係なく、インディアンなら誰かれ構
わず、無差別攻撃が強行された。
 この様な行為が、双方に深い憎悪の感情を更に増幅した。
 悲惨な戦いは繰り返された。
 入植者側は、軍隊の力を背後に持って、先住民・インディア
ンの方たちの支配地域の土地を植民者に開放して行った。
 先住民を追放するという意識と「それを当然視する感情・増
上慢」が行動の基本にあった。
 悲惨な行為が継続して行われた。
 ニューイングランドの場合は、インディアンの方たちの女性
や子供が多数殺されるという悲惨さが増した行為が行なわれた。
 この戦闘で、入植者側に着いた先住民インディアンの兵は「
あまりにも凶暴すぎる」と叫んだ。
 また、「あまりにも沢山の人たちを虐殺し過ぎる」と嘆いた。
 入植者のヨーロッパ人キリスト教徒たちは、先住民インディ
アンの方たちを「悪魔」と呼んだ。
 「サタン」と呼んだ。
 「(キリスト教の)神の名によって撲滅せよ」と叫んだ。
 キリスト教聖職者のコットン・マザーは、「この日、われわ
れは600人の異教徒(インディアンの方たち)を地獄へ送った
」と言い、神に感謝した。
 また、戦闘も拡大の一途、戦争で、ニューイングランド全域
の戦い(フィリップ王戦争)となり、入植者側は、志願兵を募
(つの)り、悲惨さがさらに増した殺戮行為が行なわれた。
 この時、入植者たちは「アメリカ最強のインディアンのリー
ダーを殺した、掃討した」と喜んだ。
 掃討した将軍を「掃討者」と称賛し、英雄視した。
 これ等の行為の底には、キリスト教の教義「(キリスト教の)
神の義によれば、人を誅してもよい」の意識があった。
 この戦争中、インディアン側に捕虜となった植民者側の白人
女性(メアリー・ローランソン夫人)は、3カ月後に釈放され、
体験を語ったが、インディアンの王の息子のためにシャツや帽
子を作ってと頼まれ、作ると、きちんとお礼も払って戴いたと
言い、また、タバコも勧められ、(入植者側で言われている様
な)残虐さはまったく感じられなかったと語った。
 対比して想念(そうねん)されるのは、先住民を野獣に例え、
それが常道の入植者のキリスト教徒側、また、「狼やライオン」
と呼び、「害虫の絶滅だ」と呼んだ。
 そして、言った「この地に根付いた神の教会の繁栄を妬(ね
た)んだサタンの誘惑に」動機づけられていると言った。
 インディアンの方たちの行動に対して卑下し、蔑視して言い、
我々は、キリスト教の信仰に基づいた正しい行為なのだと言い、
先住民の排斥は合理だとした。
 先住民は「野蛮人」「悪魔」として蔑視する感情が定着され
ていた。
 入植者間では、ヨーロッパ人どうしやキリスト教徒同士の場
合には、ある一定の枠内の戦争「限定戦争」の考えがあるが、
「野蛮」とされた人々(インディアンや異人種)に対しては限
定のない「無限定戦争」を当然視し、是認した。
 その戦争の悲惨さに対しても良心に咎(とが)めを感じない
と言う。
 まったく、キリスト教の教義に沿った意識のもとにあった行
為であった。
 死者の比率に関しても、インディアンの方たちが入植者より
「5倍」の方たちが亡くなるという劣悪な戦争を強いられてい
た。
 当然視された非人道の哀しい戦いであった。
題: そして、それから起きたインディアンの方々の悲劇(完)

2013年1月20日日曜日

インディアンの知恵

 題: インディアンの知恵。
.
 コロンブスの発見がきっかけとなったアメリカ大陸は、その後、
白人の論理、及び、キリスト教の論理でいい様にされた。
 私物の如く、なめ尽くされた。
 英国のピューリタンは、自国での宗教トラブルで自国に居られな
くなりアメリカへ逃れ、やって来た。
 1620年の事である。
 オランダは、ピューリタンのその時から遅れること6年の1626年
ころ、アメリカに来た。
 植民地化してニューアムステルダムを建設し始めた。
 英国の初めての入植は、ピューリタンより13年早く、バージニア
に入った。
 最初に入った人は、本国で食いつぶした年季奉公人で、次に、ア
フリカの黒人の方たちが奴隷として入れさせられ、酷使され、大土
地経営のプランテーション型植民地で、家畜同様に働かせられた。
 非人道的経営で事業を拡大して行く。
 道具とされたのは同じ人間の黒人奴隷の方たち(キリスト教聖書
で奴隷が説かれている。利用できる弱者を家畜の様な奴隷として使
うということを)。
 オランダが建設したニューアムステルダムは、約40年後に、英国
に奪われ占領され、名前がニューヨークと変えられた。
 フランスは、ピューリタンの入植の年を遡(さかのぼ)る事12年
の1608年に、ケベックに貿易拠点を作った。
 そして、そこからアメリカの内部地へ進出して行った。
 ローレンス川を遡り、五大湖へ進み、そこからミシシッピ川を下
り、ピューリタンの入植の年から62年の後の1682年にメキシコ湾の
河口へ至った。
 その地をルイジアナと命名した。
 そして、領有権を主張した。
 それから32年後の1717年にニューオーリンズを建設した。
 仏領は英領を取り囲むように展開され、英仏間は、険悪な状態に
あった。
 ヨーロッパ本国同士が戦争状態となり、続けてアメリカの地も戦
争の様相が高まる険悪状態となった。
 スペインも黙って見てはいなかった。
 スペインは、既に、キリスト教徒とそれに同行したキリスト聖職
者たちが、南米・中米・北米メキシコなどで、人非人の様な殺戮に
継ぐ殺戮で、領土を我が物にして来たが、その続きで、アメリカに
ついては、ピューリタン入植より遡(さかのぼ)ること55年の1565
年に、既に、フロリダ半島に砦(とりで)を建設していた。
 そして、ニューメキシコやアリゾナに進出した。
 既に、スペインは極悪なやり方でメキシコに拠点を設けていたの
で、アメリカにおいては、1588年にスペインの無敵艦隊が敗れた事
もあり、そして、国力の急激は衰退もあったため、テキサスやカリ
フォルニアに進出するが、入植は少なく、アメリカの地は、実質、
英仏とオランダの間での争奪戦となった。
 この形相は、まったく、国の規模での、私利私欲の弱肉強食の強
盗行為で、地獄の様相の世界だった。
 キリスト教及びキリスト教聖職者たちには、それを押しとどめ、
反省する境地も、考えも教義も、力も、何もなかった。
 キリスト教聖職者は、一緒になって行動し、誰も居なくなった荒
れ地にキリスト教会を建てるという行動だけだった。
 英国は、特に、利益を求め、アメリカに限らず世界各地を跋扈(
ばっこ)した。
 当時、英国は絶対王政であり、商業による利益追求獲得に躍起(
やっき)となっていた。
 貴族層が輸出作物生産用の大土地を獲得し、富を拡大したいと餓
鬼の境涯にいた。
 また、英国内の土地を失った貧しい農民がアメリカの土地を求め、
自作農になりたがっていた。
 その為、年季奉公人が大量に移住した。
 その移住において、移住者の保護の為の本国からの常備軍を常駐
させるという行為はなかった。
 理由は、膨大な費用がかかるためだった。
 植民者自身が生命や財産の防衛をすること、「自衛」によること
を基本とした。
 故に、侵入者(入植者)は自衛のための武器を持った。
 アメリカへの進出の目的に土地を得たいという目的があったため、
既に、アメリカ先住民の「インディアン」との衝突の因は厳然と存
在した。
 当時、アメリカには約200万人のインディアンが生存していた。
 この方々に、これから悲惨な歴史が展開される。
 当初、キリスト教徒の入植の初期、侵入者たちは、少数である事
もあり、また、北米大陸の厳しい冬の気候の越冬方法を知らなかっ
たため、「サー・ウォーター・ローリー」の様に入植に失敗して英
国に帰る例もあった。
 その為、先住民のインディアンから越冬方法を習い、トウモロコ
シの栽培法を習って食いつないで、か細く生活をしていた。
 また、バージニアに入植した「ジョン・ロルフ」の様に、インデ
ィアンの娘と結婚する例もあった。
 (ポーハタン族の族長の娘・ポカホンタス)。
 この結婚は「政略結婚だ」と言われている。
 初期は、この様に、共存の行動がとられたが、しかし、後に、イ
ンディアンは裏切られ、牙(きば)をむかれる。
 キリスト教は、少数の宗派である「クエーカー教徒」の善行の例
をあげて、大々的に声を大きくして美談や言い訳を言うが、まった
くのプロパガンダであり、クエーカー教徒は、少数宗派であり行動
も一部の小規模の行為であり、言い逃れである。
 人々に誤認混同を起こしている。
 本当のこと、真実は、土地強奪の殺戮を伴う極悪行為である。
 その悪行為、キリスト教徒の悪行為を隠すものだ。
 また、インディアンには、争いがあっても相手を残酷に殺戮しな
いという行動があった。
 それは、争いがあっても「相手を滅しない」という考えで、また
それは、少数民族のインディアンの争い方で、先祖からの教え・智
慧であった。
 インディアンと戦ったイギリス人将校がいう。
 その証言で「まず、インディアンと戦って流血が少ない事に驚い
た」と言う。
 そして「インディアンは近づいての酷(むご)い殺し合いは避け
ている」と言う。
 その事が分かったと言う。
 将校は言う「我々ヨーロッパ人は、敵に近づき、銃弾を直射する
が、そして、その行為は、よく、しばしばするが、彼等はしない」
と。
 インディアン社会は生産力も弱く、生産従事者の減少は痛手であ
る事、民族の損失をまず知っていて、民族としての認識の上に共倒
れを避けていた。
 『儀礼的戦争の思想』とも解釈できる。
 キリスト教の編まれた古代の砂漠の地では、飢餓と飢えとの世界
と背中合わせだったが、その様な環境の中で、キリスト教が考えた
事、教え説いた事は、聖書の申命記を見ると分かる。
 その様な時、民族の生存を大義名分として「(キリスト教の)神
の義があれば、人を誅しても良い」という教義・考え方が説かれ、
行動の原点となっていた。
 神の義を錦の御旗として、隣国の富を奪いに行く。
 そして、キリスト教の神は叫ぶ。
 「殺せ、殺せ」と。
 そして、「○○人は皆殺しにせよ」と、そして、「△△人は男だ
け殺せ」と。
 また、神は叫ぶ「生娘は生かしておけ」と、そして「奴隷にせよ、
奴隷にせよ」・・などと。
 インディアンは、苦しくとも、最後は自分たちに戻って降りかか
ってくる悪行為だと理解している。
 キリスト教の教えとの差である。
 そのインディアンの、その後の運命は、ヨーロッパ人の侵入者と
の激しい殺戮で、その相互殺戮の激しさの中でインディアンは激減
し、入植者の数は増え、土地を巡る争いの益々の増加の中に歴史は
展開する事となる。
 今、人類は益々大量に、無差別に、人々を殺戮する兵器を持つ状
態となっているが、次なる兵器は自分以外の人間は全てを全滅させ
るものとなっていくだろう、その道を歩んでいる。
 自分たちだけで何ができると言うのだ。愚かなことだ。
 インディアンの知恵が大切なのだ。
 題:インディアンの知恵。(完)

2013年1月14日月曜日

人類救済のために・・・

題 : 人類救済のために・・・ 
(真を求めて、皆様とともに幸せになりたい)
人類の救済のために、皆様の幸せのために、
あえて言わせていただきます。
.
 キリスト教には、戦争原因になる教義「(
キリスト教の)神の義があれば、人を誅して
も良い」があるが、
 そしてまた、キリスト教の教義「異教徒は
殺せ」の教義の様に「異教徒や異民族に対す
る『殺戮を認める教義』が、キリスト教には
多くある」が、
 これからの人類の幸せの為に、これ等の教
義は正して行かなければならない。
 次の1つの事例、ユダヤ民族に対しても、
あまりにも根拠のないこと(キリスト教の勝
手な教義)を言いがかりにし、長年月、ユダ
ヤ人の方々を虐げて来た。
 一時期、ユダヤ人は激減し、絶滅の危機も
あった。
 この様な、悲惨な事態がキリスト教によっ
て起こされた。
 イエス・キリストが(ヨハネによる福音書
8章)で言う『汝らはおのが父、悪魔より出で
て・・』と。
 このイエスの言葉で、ユダヤ人は悪魔から
出たと濡れ衣を着せられ、ユダヤ人は悲惨な
運命を辿る民族とさせられた。
 卑劣なキリスト教である。卑劣な言葉であ
る。卑劣な教義である。
.
 キリスト教の神父や牧師はそれを人々に説
き、教え、刷り込んで来た。卑劣な告げ口で
ある。
 言われたキリスト教の信仰者のキリスト教
徒は、「ユダヤ人を仇敵と見なし、ユダヤ人
への仇敵視の意識を刷り込まれた」。
 キリスト教聖職者によって憎悪を掻き立て
られた。迫害を行なう素地を産んだ。
 ユダヤ人たちは貧窮のどん底にも落ちた。
 それは家畜用残飯でも喜んで食べるという
生活状態だった。
 ユダヤ教への転宗が、キリスト教によって
禁止され、新たにユダヤ教に入ると『死刑』
とされた。
 キリスト教徒を奴隷に使う事も厳禁となっ
た。
 キリスト教徒とユダヤ教徒との同居も厳禁。
 犯せば死刑だとした(ナチスはキリスト教
を悪の見本とし、同じ事をした)。
 ユダヤ教徒の会堂(シナゴーグ)の新築も
厳禁。
 ユダヤ教の布教活動も厳禁。違反者は死刑。
 キリスト教は、人々に、ユダヤ教を「セク
タ・ネフアリア(邪悪なる宗教)」と呼ばせ
た。
 ユダヤ人迫害は、歴代のローマ教皇からな
された、そして、その一方で、ユダヤ商人か
ら金銭を取った。
 ユダヤ人に職業選択の自由を与えず、キリ
スト教が忌み嫌う「金貸し」をさせ、ユダヤ
人商人が「あくどい」と、キリスト教が、良
くやるプロパガンダ(嘘宣伝)をした。
 民衆は怨み、そして嫉妬した。
 イエスもエルサレム神殿の前にある金貸し
の店に乱暴を働いている。
 「『悪魔の子』ユダヤ人は悪魔の助けで金
儲けをしている」・・とプロパガンダした。
 法律でユダヤ人を、一区画に住まわせ、閉
じ込めた(ゲットー)。
 悪い噂も流した。
 「ユダヤ人は過ぎ越しの祭りのために、キ
リスト教徒を殺して祭壇に捧げている」。
 この様なあくどい事を考えたのはキリスト
教聖職者たちであった。
 「ユダヤ人は、キリスト教徒の子供を殺し、
その血をパンに塗って食べている」。
 「ユダヤ人は、毎年、何処かに集まって、
次の犠牲者を誰にするか、くじを引いて決め
ている」。
 人々はこれ等の噂を信じた。
 キリスト教で尊敬されている大司祭の聖職
者・聖アゴバールは、「ユダヤ教は迷信だ」
と叫んだ。
 そして、「ユダヤ人商人の悪がしこさに、
我慢ができない」などと叫んだ。
 人々は、キリスト教会の煽動で、狂暴化し、
煽られた。
 領主も利害を意識し、ユダヤ人を虐殺した。
 この様な事が事あるごとに引き起こされた。
 ユダヤ人殺戮モ、段々組織的に行なわれる
ようになった。
 やはり、キリスト教聖職者の煽動で始まっ
た十字軍の、第1次十字軍の時は、ライン川
地方などのユダヤ人の方々が殺戮された。
 また、第2次十字軍の時は、北フランスなど
のユダヤ人の方々が殺戮された。
 第3回の十字軍の時は、イギリスのヨークの
町などのユダヤ人の方々などが殺戮された。
 ・・あちこちで、無数のユダヤ人の方々が
殺戮された。
 キリスト教徒の子供の血を吸ったとされ、
殺戮された。
 人々の面前で焚刑にされた。
 第4回のキリスト教宗教会議では、「ユダヤ
人は改悛する事を知らない徒だ」と議決され、
断じられた。
 だから、「ユダヤ人はキリストの肉である
聖パンを、拷問し、苦しめている」と断じら
れ、決め付けられた。
 だから、「ユダヤ人は、『不信仰の印のダヴ
ィデの星』を外出する時は身に付けよ」と断
じられ、強いられた。
 ユダヤ人追放も、組織的、徹底的に行なわ
れ、ユダヤ人は、身の回りの、僅かな荷物だ
けを持ち、泣く子の手を引き、逃れた。
 東欧へ多くが向かった。
 キリスト教徒は、聖パン刺傷を口実に、ユ
ダヤ人を裁判にかけた。
 黒死病が流行して、人心が乱れた時、200
以上のユダヤ人の町や村が「悪魔の子」とさ
れ、壊滅状態にされた。
 ユダヤ人に対し、無法状態だった。「殺そ
うが、生かそうが勝手」という状態だった。
 ナチスも、この真似をする。
 ナチスの行為の原因はキリスト教が作った。
 キリスト教が『愛の宗教』なんてとんでも
ない事。
 12世紀には、推定で150万人のユダヤの人
々が居たが、何と、その8割をキリスト教徒は
殺した。
 生き残ったユダヤの人々は、僅か30万人と
いう人数へ激減した。8割のユダヤ人の方々が
居なくなってしまったのである。
 ユダヤ民族は絶滅の危機に遭遇した。
 ユダヤ民族は、貧民街区に押し込められ、
苦しい悲惨な生活を強いられた。
 その後、幸いユダヤ人の方々の人口は復活
したが、キリスト教の教義には、この様な卑
劣な教義が潜(ひそ)み、その教義の遺伝子
は、今・現在も、引き継がれている。
 正さなくてはいけない、直さなくてはなら
ない。
 これからの人類の幸せのために。
 それにしてもあまりにも悲惨なイエスの呪い
の言葉である。
.
(参考)あくどい 1 〔性質が悪い〕vicious; wicked あくどい商法crooked dealing あくどいやり方、(参考)ゲットー【(イタリア)ghetto】 1 中世から近代にかけて、ヨーロッパの諸都市に設けられた、ユダヤ人の強制居住区域。(参考)かい‐しゅん【改悛】 [名](スル)犯した悪事や過ちを悔い改め、心を入れ替えること。改心。改悟。悔悛。(参考)こくし‐びょう【黒死病】 《死体が、皮下出血で黒いあざだらけになるところから》ペストのこと。
.
(追記)::「ユダヤ人狩り」という言葉がある。
 ユダヤ人の方々が、獣と同様に扱われたという事である。
 ヒトラーは、キリスト教にかぶれ、キリスト教がやった事と同じ
こと・ユダヤ人狩りを行なった。
 ユダヤ人の地上からの絶滅をはかった。
 推定600万人のユダヤ人が、地獄の責め苦のうちに殺された。
 世界のユダヤ人総数は、戦前には1600万人であり、戦争が終わっ
た時にはこれが1050万人になっていた。
 人口の自然増・年間12万人もあったはずなので、犠牲者数は、こ
ういう事から、イスラエル政府は、600万人という数字を採用して
いる。
 第二次大戦の前夜、ポーランドに居たユダヤ人330万人のうち、
生き残ったのは7万人であり、16万人のドイツ系ユダヤ人のうち、
生きていたのは2万人たらずだった。

2013年1月12日土曜日

揺れる世界の中で、EUは?..TPPは?...そして、日本は?...だから、EPA..なのだ。

題.:..揺れる世界の中で、EUは?..TPPは?...そして、日本は?...だから、EPA..なのだ。
.
 英国政府が、欧州連合(EU)からの脱退要求を強める国民世論
と、脱退反対の立場の経済界および米国の板挟みになって苦し
んでいるとのこと。
 脱退要求派の言い分は、「ユーロ危機に対する統合への悲観
論」、および、「統合という形は英国という国家の主権がなく
なる」という論理。
 脱退要求派が、国民の半数を突破したという。
 キャメロン首相は、「EU脱退は国益にならない」と訴えて
いるが、しかし、首相は、司法や労働政策などの分野でEUに
譲渡した行政権限を取り戻した上で、英国とEUとの新たな関
係について「国民に選択肢を示す」と言った。
 これは、2015年に国民投票をすると受け取られている。
 米国は、この様な、公然としてのEU脱退の可能性を示した
英国をけん制している。
 また、国民投票実施もけん制している。
 EUと米国は今年、包括的連携協定の交渉に入る見通し。
 (世界の国内総生産・GDPの5割を占める巨大な自由貿易圏
になる)。
 米国は、米国と同じ様な自由主義的な考えを持つ英国をEU
内にとどめておきたい考え。
 米国は、EUと距離を置く英国の姿勢を改めるようにと英国
首相に求めた(圧力をかけた)。
 一方、英国世論形成に圧倒的影響力をもつ英国の新聞メディ
アは、一斉に反EU・脱退要求の風潮を煽り、続けている。
 英国首相は、世論制御という難題にも直面している。
           (参考:読売新聞2013・1・11)
 日本も、EUと同等の経済規模。
 日本も、米国との二国間の包括的連携協定へ進むべきだ。
 また、米国は、経済規模が大きくなった韓国と二国間のEPA
を、既に、締結している。
 何故、日本だけがTPPなのだ。
 TPPの諸国の中で、実質的に、経済規模的に、日本と米国が
ほとんどで、大きいのに、11カ国のTPPだから「総てをまな
板に乗せる」という論理がある。
 EPAをタブーの様に隠し、「総てをまな板に乗せなければ話
が始まらない」との論理で「目くらまし的な話」が進められる。
 日本の農業は、大きく市場を開いているのだ。
 食糧自給率は、世界最悪になっている日本なのだ。
 食糧安保が最悪の日本なのだ。
 いざという時に、自国民が食べないで「日本の子供たちに食
べるものを分けて戴けますか?」
 「食べる物を売って戴けますか?」。
 今は、食べるものが、幸い豊かで、豊富の様に、ある様に、
見える日本ですが、皆さまは幸せそうに見えますが・・・。
 先日のNHKの「将来の食糧事情について」の討論・シンポ
ジウムの放送をご覧になりましたか?。
 今は、本当に良い、しかし、将来を読み誤らないで・・・。
 TPPは止めて、米国と日本のEPAで、じっくり二国間で
話しあい、そして、研究して行くべきです。
 EUが進める様に、すでに、韓国が行なったと同様に。
.
 題:揺れる世界の中で、EUは?TPPは? そして、日本は?
だから、EPAなのだ。
(記述後に・・:自主的な生存権の選択を脅かすグローバルシ
ステム論理・弱肉強食論理・・果たして緊急のぎりぎり状態で、
弱者に『非常時の食供給があるのか?』..
 食のジャンルが弱い日本、更に弱くなって良いのか?..
 食糧備蓄を大量にする必要があるのでは? 国および各家庭
で。
 安全確保の思想を、グローバルの論理で奪うという論理は
正当なのか?正義なのか?
..米国に、日本の自動車に対する保護論があるという。
 だから、米国と二国間で、じっくりと話し合い・研究するのが、
特に、大切で、EPAがよいのだ。
 米国が欧州で進めようとしていることと同じことをだ。
(参考)EPA:経済連携協定(英: Economic Partnership Agreement:EPA)は、自由貿易協定(FTA)を柱として、関税撤廃などの通商上の障壁の除去だけでなく、締約国間での経済取引の円滑化、経済制度の調和、および、サービス・投資・電子商取引などのさまざまな経済領域での連携強化・協力の促進などをも含めた条約である。

2013年1月7日月曜日

第二の笹子事故を未然に防止したい

題:第二の笹子事故を未然に防止したい


.

 レインボーブリッジが限界に来ているというニュース、しかし、

赤ペンキでメンテナンスの限界を知る様にしている。

 この様にメンテナンス計画に意を配った社会資本は安心して見て

いられる。

 しかし、あまりにもひどい事例を見た。

 首都高速羽田線と思われる高速道路の橋脚(海中から橋脚が出て

いる箇所)、その劣化状態をニュースで見た。

 爆裂している状態なのである。

 酷い。

 あまりにも酷い。

 放置状態なのである。

 もうここまで放置していたら犯罪である。

 橋脚に掛かるコンクリート桁の鉄筋の主筋が露出しているのであ

る。

 そして、爆裂し、

 さらに、クラック巾が幅広くなり落下(剥落)

し、

 さらに、主筋が露出するくらいまでに進み、

 さらに、その主筋も腐食し、

 さらに、その主筋の腐食が進んで、その主筋の断面の欠損が100

パーセントの状態に至り、

 つまり、主筋が破断している状態なのである。

 つまり、主筋の効力が無くなっている状態なのである。

 つまり、設計耐力が無い状態なのである。

 つまり、設計状態ではない状況に達しているから、供用してはい

けないのに、「その高速道路の上を何も知らない方たちが、バンバ

ン走っている状態」を見た、放送していた。

 故に、「犯罪的状態になっている」と言わせて戴いたのです。

 あまりにも酷いのです。

 ここに来るまでの長い時間、何をしてきたのか。

 対策した痕(あと)・痕跡は認められない。

 放置の状態だったと感じられ、それは明らかと感じられるのです。

 ここまで行ったら「おしまい」なのです。

 過激に申し上げていますがそれほど酷いのです。

 緊急補修・補強工事をすべき状態なのです。

 笹子の事故があったため報道機関は、この様なニュースを放送し

ましたが、日本の社会資本がこの様な状態なのです。

 土俵際ではないのです。

 鉄筋の主筋が破断していると言うのは、

 「土俵を割っている状態」なのです。

 「待ったなしの状態」となっています。

 羽田線以外にも海中から橋脚を建てているところが沢山あると思

いますが、この建設は必要だったのです。

 だが、海水の影響で劣化が激しいのは建設当初から予測されたで

しょう。

 故に、建設は必要だったのですが、その劣化の影響の「予測され

た事項」に対しての対応が0点、無策だったのです。

 この様な、建設計画時に既に分かっている事項を無対策で来たの

は酷過ぎるのです。

 鉄筋主筋の破断は、必要耐力が無いということ、それ自体も自覚

していません。

 使用に供したら、供用したら駄目という基準すら無視している。

 笹子も尊い人命と引き換えにその警告を知りました。

 笹子の事故は、特定の問題であるということではなく、日本中の

緊急課題という事なのです。

 日本全体の共通の問題であるとの警鐘だったのです。

 それも、橋脚の桁主筋の断裂は限界状態、

 それを管理する人も限界を知らないという最低のレベルにあると

感じます。

 または、大事な人命を軽視しているのか、

 無視しているのか、

 無知の状態なのか、

 知っていても問題としないで黙っているという犯罪者的態度なの

か。

 過激な言い方となっていますが、お許しください。

 その様な緊急状態・最悪なのです。

 鉄筋主筋が断裂して(切れて)、今日にも桁が落下し、笹子と同

じ様な人命の損失になる可能性があるのです。

 第2の笹子事故は起き得ると感じます。

 メンテナンス、及び、耐力増強工事に大きな予算配分をして、そ

して、緊急に工事を起こして下さい。

 ゼネコンは全てを壊し、新しく建設することを業としている企業。

 故に、この様な社会資本のメンテナンス工事と補強工事、そして、

再生工事をする専門大手を育てよ。

 若い人材を配分せよ。

 ゼネコンを別にする意味は大きい。

 ゼネコンと競争させよ。

 その技術の背景は日本に十分ある。

 それが世界への技術輸出へも通じるまで官が導き育てよ。

 当初に記した「レインボーブリッジ」はメンテナンス時期を知ら

せる将来予測の処置を施したということ。

 この様にすべてを『高度な技術管理する世界』にせよ。

 劣化の進み方を減じる方法も色々ある。

 海上の施設ならそれを施せば、その投入金額より何倍もの経費節

減が図られたであろう。

 税金の効率的使用も出来たであろう。

 また、アルカリ付与塗料もある。

 技術は日本に十分あるのである。

 それを専門にする業態を育てよ。

 破壊と建設を主たる業とする業態では駄目。

 渋谷のこどもの城は28年の使用で壊す方向へ進んでいる。

 勿体ない話である。

2012年12月30日日曜日

童謡「里の秋」について

題:童謡「里の秋」について
.
 ある意味、お父さんの戦地からの帰りを待つ
母と子の辛い状況が背後に見える哀しい歌に感
じられます。反戦歌に聞こえてきます。
里の秋、
作詞:斉藤信夫、
作曲:海沼実、
(1)
しずかな しずかな 里の秋
お背戸に木の実が 落ちる夜は
ああ母さんと ただ二人
栗の実煮てます いろりばた
(2)
あかるい あかるい 星の空
鳴き鳴き夜鴨の わたる夜は
ああ父さんの あの笑顔
栗の実たべては 思い出す
(3)
さよなら さよなら 椰子の島
おふねにゆられて 帰られる
ああ父さんよ ごぶじでと
今夜も母さんと 祈ります
.
太平洋戦争が敗戦に終わり、南方から初めて
兵隊たちが引き揚げて来る昭和20年12月中旬、
作曲家の海沼実はNHKからこれを迎える歌を
作ってほしいと依頼を受けた。
その時、海沼は、斉藤信夫が書いた「星月夜」
を思い出した。南方で戦っている父を母と子
が思っている詩だが、3番が「お父さん頑張っ
て」だったのを現在の詩に書き換えて貰い、
題名も「里の秋」として川田正子が歌い大変
評判になった。
.
 非常に感動的な事が書いてある下記の「詩人・
斉藤信夫について」を訪れてください。
http://16.pro.tok2.com/~hanachan62jp/20060410saitou.htm
 その一部抜粋:
 当時「川田」は小学5年生でした。
 昭和20年12月24日午後1時45分、この歌は
NHKの<外地引揚同胞激励の午後>という番
組で放送されました。
 4年間眠り続けた童謡がようやく日の目をみ
たのです
 川田正子が歌い終えるとスタジオ内は一瞬し
ーんと静まり返り誰もの心が浄化されたのが分
かりました。
 いえ・・敗戦にうちひしがれていた日本中の
人々の心が放送により浄化されました。
 川田正子の澄んだ唄声が皆の心に染みいるよ
うに流れた。歌い終わると辺りは時間が止まっ
たように静まり返った。
 やがて感動の呻きが遠雷のように盛り上がっ
てきて、スタジオ内は拍手の嵐に包まれた
次の一瞬からNHKへの電話が殺到しました。
 さっき放送された曲に対する問い合わせばか
りです。
 ただ一曲の放送でこれほど反響のあったこと
はNHKでも初めてのことでした。
 

2012年12月20日木曜日

キリスト教の宗教コンセプトは・・・

題 : キリスト教の宗教コンセプトは・・・
(真を求めて、皆様とともに幸せになりたい)
.
 非科学的な宗教=キリスト教という宗教は否定されて
来ている。
 キリスト教の宗教コンセプトの『終わりの時代』が来
ている。
 キリスト教国と言われるアメリカでもそうだ。
 特に、学者という知識層の『キリスト教の否定のエネ
ルギー』がすごい。
 以下の調査結果がそれを示している。
 1987年、ニューズウィーク、米国にいる48万人の地球
学者や生物学者のうち、キリスト教の聖書の記述が科学
的に正しいとする創造論者は700人程度しか居ず、つま
り0.18%(1000人に1人か2人という少ない人数)しか聖
書を正しいとしていない。
 一般的な米国科学者への調査でも、キリスト教聖書の
創造を信じる者は5%しか居ず、逆に、創造論を否定し
て進化論を認めるが、神を否定せず信じる者は33%。
 完全に自然主義的な進化を信じている者は55%であ
った。
.
(1)キリスト教の聖書の創造論を信じる者・・・5%
(2)キリスト教の神を信じるが、かと言って、創造論
は信じない(否定し)、そして、科学的な進化論は認め
る者・・・33%
(3)キリスト教の神も創造論も信じないで、完全に自
然主義的な進化を信じている者・・・55%
(4)その他・・・7%
.
 一般的な米国科学者への調査結果でも、キリスト教の
神を信じる者が38%と少数者になっている。
 そして、かつ創造論を信じても居ると言う者は5%と
わずかな人数となる。

2012年12月19日水曜日

アメリカとEPAをしてください

Subject: アメリカとEPAをしてください。
(真を求めて、皆様とともに幸せになりたい)

選挙、お疲れさまでした。
日本のため、ありがとうございました。以下を御一読ください。
[内容]:
 アメリカとEPAをして下さい。実質、TTPは日本とアメリカの形を変えたEPAです。しかし、TTPをしたいアメリカは他の11カ国を取り込み、そして主張します。「すべてをまな板に乗せ、例外規定を作らない」と。公の様な形にしたそれが狙い。弱肉強食の主張を、アメリカだけの主張を、模糊するためのもの。
(参考)EPA:経済連携協定(英: Economic Partnership Agreement:EPA)は、自由貿易協定(FTA)を柱として、関税撤廃などの通商上の障壁の除去だけでなく、締約国間での経済取引の円滑化、経済制度の調和、および、サービス・投資・電子商取引などのさまざまな経済領域での連携強化・協力の促進などをも含めた条約である。

2012年12月14日金曜日

キリスト教聖書は、必然的に、当然として・・・

題 : キリスト教聖書は、必然的に、当然として・・・
(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか) 
.
 キリスト教聖書は、必然的に、当然として、すぐに今の姿に
なったのではない。
 今現在、キリスト教にあって権威のある方達も言います「極
めて疑わしい基準によって、古代の文献類から寄せ集められて
作られた」と。
 そして、その選択する基準についても疑問を言う。
 「『使徒的権威』『教えの正統さ』などの基準も疑わしい限
りだった」と。
 故に、「それ以後の歴史は、その選ばれてしまった文献集(
聖書)の権威付けをする歴史であった」と。
 偽名で書かれた手紙をどう扱うか?・・の問題など。
 偽とするか、偽パウロとするか、いずれにしても、宗教的に
良い形にしたいという意思が働く、そこには個人的な意思が入
っていく、入り込まざるを得ない状況の中に置かれる。
 もうここまで来ると訳者が宗教を作っていると言える。
 訳者のキリスト教である。
 そこには既存の宗派、大小を問わず、それらの宗派には都合
の悪い訳出になる所も出て来る。
 それは、「キリスト教の原点には、今の宗派と違うもの・考
え・教義があった」という事。
 故に、それらは、必然的に生じる、実態・事実の結果なので
ある。
 キリスト教の教義は、この様な薄氷の上に存在しているもの
なのである。
 この様な教義から、過去に多くの戦争が生まれた、多くの方
々の命が失われた、そのことが、悔やまれる。

2012年12月10日月曜日

笹子トンネル崩落事故に関連する「接着に大切なぬれ(濡れ)」について

題 : 笹子トンネル崩落事故に関連する
         「接着に大切なぬれ(濡れ)」について
  (真を求めて、皆様とともに幸せになりたい)
  
.
☆接着のメカニズム
.
 接着とは「接着剤を媒介とし、化学的もしくは物理的な力、
または、その両者によって二つの面が結合した状態」と定義さ
れます。
 この定義に至る迄には、永い歴史がありました。
.
 さて、次に接着のメケニズムについて簡単に説明します。
 接着機構には 
 1.機械的結合
 2.物理的相互作用
 3.化学的相互作用 の三つがあり、
 機械的結合とは、アンカー効果とか投錨効果とも言われ、材
料表面の孔や谷間に液状接着剤が入り込んで、そこで固まるこ
とによって接着が成り立つと言う考え方です。
 木材や繊維、皮等の吸い込みのある材料の接着を説明するの
に有効です。
 物理的相互作用とは分子間力(ファン・デル・ワールス力)を
いい、二次結合力ともいって接着剤の
 基本的原理とされています。
 三つ目の化学的相互作用とは、一次結合力と言って最も強い
接着力が期待される共有結合や水素結合を言います。
 即ち「接着」とは、機械的な引っ掛かりや分子間力、原子間
力によって成り立っており、そのどれかに原因を絞り込むこと
ができない複雑さを持っています。
.
☆接着のプロセス
.
 接着の原理から言えば接着剤と被着材はその分子間力の及ぶ
範囲に接近していなければなりません。
 ここで「ぬれ」と言うことがだいじになります。
 油の上に水を落としても水は拡がりません相溶性(親和性)が
悪いからです。
 相性がよく、馴染みがよい時に「ぬれ」が起り、そこに分子
間力が働き接着が可能になるのです。
 ポリエチレンやポリプロピレンは油のような性質をもってい
るために接着が困難と言うわけです。
 接着剤は、被着材の表面をぬらして拡がった後、固まって始
めて接着が完了します。
 液化:接着剤は一般に液体で供給されますが、固体接着剤は
加熱によって、感圧型接着剤(粘着剤)は
 軽い圧力によって、表面をぬらします。
 ぬれの悪い被着材には表面処理を施します。
 固化:表面をぬらした接着剤はその種類に応じて固体に転換
しなければなりません。
 溶剤型接着剤と水性接着剤は溶剤や水を蒸発、吸収、拡散な
どによって、ホットメルト接着剤は冷却によって、反応形接着
剤は、化学反応(硬化剤や触媒の添加、湿気、熱、光など)のよ
って固化又は硬化します。
 使用条件への適合:接着のプロセスとしては最終的な破壊に
至る領域ですが、接合部の設計、接着剤の選択及び接着工程の
管理によって支配されます。
.
 以上、セメダイン系列のマルヤ通商株式会社のページより

「笹子トンネル崩落事故」について・・の、その後

題:「笹子トンネル崩落事故」について・・の、その後
    (真を求めて、皆様とともに幸せになりたい)
.
(2012・12・9)の読売新聞によると・・・、
 山梨県の中央自動車道上り線・笹子トンネルの天井板崩落事
故で、天井板をつるす鋼材をトンネル内壁に固定していたアン
カーボルトの大部分が、樹脂性の接着剤に覆われた状態で脱落
していた事が8日、捜査関係者への取材で分かった。
 接着剤の劣化が崩落につながった可能性が高まり、県警は、
中日本高速道路と保守点検を担当する子会社が、劣化の危険性
などをどう認識していたか捜査をすすめる。
 以上の記事は、小生が記させて戴いたブログ記載の様に、ト
ンネルコンクリートにドリルで削孔した穴の孔壁と、アンカー
ボルトをその孔に挿入し、そして、注入した樹脂との界面での
剥離だと指摘させて戴いた方向に向かっている記事となってい
る。
 上記の記事は「アンカーボルトの大部分が樹脂性の接着剤に
覆われた状態で脱落していた」と記している。
 これは、アンカーボルトと接着剤は一体となっていたという
ことであり、崩落の原因となった剥離界面は、その接着剤と削
孔の孔壁の界面だと言える。
 その界面剥離が剥落させた界面である。
 記事は「接着剤の樹脂の劣化が崩落につながった可能性が高
まった」と記しているが、樹脂の劣化ではなく、ドリルでの削
孔時に発生したのホコリ・粉塵の除去が、完全に、物理的にも
、できないため、注入した樹脂の削孔壁面への「付着面の接着
」が十分ではない状況での接着状態になったためと言える。
 削孔壁面への樹脂の接着が完全な「ぬれ(濡れ)状態になったかどう
か」という事である。
 硬化乾燥したコンクリート壁面に樹脂を注入して、固化した
場合、注入した樹脂がそのコンクリート壁面を完全にぬれ(濡れ)の状
態にし、残ったホコリ・粉塵を剥離海面とさせないくらいの状
況になり得たか?である。
 上記の記事によれば「大部分が(同じ状態で崩落した)」と
記している様に、一様に同じ状況が起きているということ、こ
れは、一様な原因があったわけと言え、そして、常時の振動の
影響をこの界面が受けていた訳である。常に、重い天井板の荷
重を受けながら。
 新聞の記事は樹脂の劣化と記しているがその可能性は低いと
考えられる。
 やはり、原因は接着界面の問題である。
 また、記事本文にはアンカーボルトには腐食は認められなか
ったとある。 
 また、同紙には、関連記事として、首都高速の羽田トンネル
の件について、天井板が、笹子と比べて、非常に軽くなってお
り、かつ「笹子」は中央の1か所で支える構造であるが、これ
と異なり、2か所でぶら下げる様になっていると記している。
 そして、「金具がいくつか破損しても、安全性は保てる」と
記していることも、小生がブログで指摘させて戴いた様に、笹
子はリスクの捉え方が甘かった(中央1ケ所で支え、かつ、1
か所につきボルトが2本、1本が不十分になった場合、50%の
耐力減少が起きるという設計)と言えることをこの記事も指摘
している。

2012年12月5日水曜日

「笹子トンネル崩落事故」について

題:「笹子トンネル崩落事故」について 
.
 不幸な事故が起きました。
 2012・12・4のNHKのニュースを見ていて「おやっ?」と
思ったことがありました。
 ニュースは、崩落した所の図面を見せていましたが、肝心の
ボルトのところが「ホールインアンカー」と言われるボルトの
図でした。
 これが事実であるなら、気になることがあります。
 「ホール・イン・アンカー」という様に、トンネルのコンク
リートが硬化した後に、ドリルで穴をあけて、ボルトを差し込
むという、後からボルトを設置するやり方の図面でした。
 ドリルで穴をあけてから、差し込むボルトの頭を叩くと差し
込んだ部分が広がって、その穴のコンクリート壁との摩擦でア
ンカーボルトがセットされる方式です。
 または、ボルトを差し込んで樹脂で固める方式もあります。
 いずれの方法においても、ドリルで穴をあけるため、深さは
浅くなります。
 その浅い穴の局所で力を支える、受けることになります。
 弱点は、長期間においてその局所の力の維持が保てるか、維
持できるかの問題です。
 樹脂でボルトを固着するタイプは、樹脂が確実にコンクリー
ト壁に付着するように、ドリルで穴をあけた時に生じたホコリ
などを完全に取ることです。このホコリ・粉塵をしっかり取り
除くことが出来るかです。
 しかし、完全に取ることは不可能なので、その様な状況の中
で樹脂のコンクリートへの付着に期待します。
 また、摩擦での接着するタイプも樹脂の付着による接着タイ
プも振動に弱いことです。
 長い期間、振動がボルトに伝わると摩擦でコンクリート壁を
押し付けている肝心の箇所がゆるまるのが心配です。確実に振
動があればゆるくなってきます。
 樹脂も少し残っただろうホコリの層との間(界面)で剥離が
少しづつ生じて来ることが心配です。
 自動車の走行の振動(上下動など、特に大型トラックなどの
大きな振動など)が天井板に振動が伝えられ、天井板を動か
し、天井板を支えている鉄骨を動かします。
 そして、その振動は、鉄骨はボルトへ振動を伝えます。
 この様な状況が長期間、常時、続いている訳です。
 この様な中でホールインアンカーがあることは最悪の状況で
す。
 また、大型トラックが与えた走行路盤の振動が床から壁へ伝
わり、直接トラックなどの走行振動がホルーンアンカーのボル
ト部分に振動を伝えることもあるでしょう。
 トンネル内は、常時、振動をしている環境となっています。
すべてが振動しています。
 また、地震動などが天井板を揺らし、その動きがボルトに伝
わることもあるし、経時において、いろいろな振動がこのボル
トに伝わります。
 摩擦力はその都度、少しづつ低下をしていきます。
 この様な笹子トンネルの様な場合、大切な施設の部分は、特
に振動のある部分はホールインアンカーの後やり工法は避け、
しっかりしたアンカーを、事前に打ち込む工法、コンクリート
の中に「足の長いアンカー」を埋め込んで戴きたかったと思い
ます。
 つまり、コンクリートが固まるとともに堅固にセットされる
「長い定着部分を持ったアンカー」がセットされる設計として
戴きたかったと感じます。
 ホールインアンカーは安易な工法の設計であったと感じま
す。
 施工性は良いのですが、また、振動のない静的な環境の所に
使用して戴きたい工法なのです。
 それにしても、ホールインアンカーは、コンクリートへの打
ち込みのアンカーに比し、長期の耐力には劣ります。
 コンクリートへの打ち込み型のアンカーのやり方は色々あり
ます。
 1.2トン/枚の重い天井板で設計するのなら、ホールインア
ンカーの設計は安易だったと感じます。
.
追伸:車の走行による風圧の変化で天井板の上下動も生じま
す。
 特に大型の車の風圧の変化は大きいと思います。
 この風圧の変化で、常に、天井板には上下振動が生じます。
 この振動も、アンカーボルトへの経時劣化による耐力減少へ
の影響を与えると感じられます。
 また、テレビで見た限りなのですが、1.2メートルピッチで
天井板を支える鉄骨があると報道されて居ります。
 そして、その1本の鉄骨当たり2本のボルトで留められてい
る様にテレビの図面では示しています。
 直感ですが、少ないという感じがいたします。
 2本であるなら、1本が駄目になったら非常に大きなリスク
が生じることになります。(50%という大きなの耐力減少)
 0.6メートル当たり1本のボルトとなりますが、重い天井板
の割にピッチが広い感じ(ボルトが少ない感じ)がします。
 安全係数的な言い方をすれば、ぎりぎり的な感じがしてしま
います。
.
追伸の追伸:
 テレビの報道において、事故を危うく免れた方の話におい
て、「津波の様に(片方の方から)天井が落ちて来ました」と
いう話がありました。
 これは、一か所の崩落を隣の箇所が支えきれなくて(その分
をカバーして支えることできなくて)崩落をし、そしてまた、
自分の崩落が、その隣の部分の崩落を誘発するという状況で
す。
 これは、明らかに安全係数がぎりぎりの状況を表していま
す。
 余力が足りないのです。
.
☆(2012・12・5)のTBSテレビ、pm13:20頃、番組名:
「ひるおび!」を見た。
 東京大学・藤野陽三教授が出演していた。
 やはりホールインアンカーの樹脂注入タイプ(ケミカルアン
カーと称している)であった。
 ドリル削穴の深さは13cmのようだ。
 そのボルトが1か所に2本使用されている様だ。
 そして、番組では検査方法について必死に解説し放送してい
た。
 打音検査が良いなどと。
 また、2000年に打音検査をしたが、その後、組織の変更な
どの事からか打音検査はしなくなったと報じていた。
 検査の効率などがあったのか?・・・など、検査についての
話題に集中していた。
(私見)
 検査方法は、打音がしっかり定着してないボルトの発見には
良いが、今回のこの部分は、一か所に2本のボルトしか使われ
ていない。
 定着の悪いボルトが発見された場合、耐力が50%減とな
る。(4本とか多数なら25%減とか復旧のすべがある)
 致命的なダメージとなるのである。直ぐ問題が起きる大きな
ダメージなのである。
 今は、悪いボルトの発見ではなく。緊急に補強工事をすべき
である。
 今回の事故でも、1か所の崩落が、その箇所のみの崩落で留
められなくて、130メートルもの大きな範囲を次々と誘発して
崩落した余力の少ない設計となっているわけで、もう、緊急補
強工事をすぐすべきものと思う(もしかすると、緊急の検査の
ため、大勢の方たちが、今、天井の上に登っていますが、天井
板崩落の事故にならないとも限らない余力のなさを感じる状態
です)。
 工法は、コンクリートがすでに打設され、コンクリートも硬
化してしまった状態なので、やむを得ず、後打ち工法のホール
インアンカーの工法になるが、今ある中央の鉄骨の支えの他
に、その中央の鉄骨の支えと壁との中間にもう1列の支えの鉄
骨を補強する工事をすべきである。
 左右2列の増設補強である。
 トンネル天井板を3列で支えるのである。
 検査で、ボルトの機能しないボルトを発見した場合でも、そ
のボルトを撤去しても余力があるので、安全に復旧工事もでき
る。
 今回、このテレビの報道から得た情報から判断すると、樹脂
とコンクリートの境界の界面で剥離し、耐力が無くなったと考
えられる。
 そして、ボルトが天井板を支えられなくなったと感じられ
る。
 今、古い公共物を全部撤去して、新設し直す工事をすること
に集中しているが(ゼネコンは喜ぶが)、その新設する膨大な
資金をメンテナンス、及び、補強工事に徹底的につぎ込むべき
である。
 ものを大切に長く使うようにすべきである。

2012年12月2日日曜日

泰緬鉄道について→貴重なコメント・・そして、その後について

題: 泰緬鉄道について→貴重なコメント・・
      .........................そして、その後について
(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか、切なる希望について)
.
 [ 村田信雄氏のコメント ]
・泰緬鉄道の論点 (村田信雄) 2012-09-13 10:25:46
 欧米植民地への日本の進出によって、植民地経済は完全に
破壊されました。
 多くの東南アジア人労働者が失業し、植民地通貨に代わって
裏付けの無い軍票・銀行券が乱発されて、人々の生活は大変な
状況でした。
 その中で募集されたのが、泰緬鉄道の建設なのです。
 募集状況や労働環境は絶望的なものでした。
 加えて、日本軍管理下での連合国側捕虜の死亡率は27%、
東南アジア人労働者は50%に及びました。
 悪夢のシベリア抑留ですら死亡率は10%、復讐心に燃える連
合国管理下では5%以下となっています。
 自虐史観や自慰史観といったイデオロギー的な歴史観が取り
沙汰される昨今ですが、日本側、連合国側の学術的研究資料を
全く無視した話です。
 感情的に一部分だけを拡大視して、それを以ってすべての事
例を語ろうとするのは愚かなことです。
 先の大戦では天皇陛下の御為に私たちは戦いました。
 しかし、一部の不忠者たちが日本の名誉を汚し、敗戦に導い
たことは確かです。
 国に殉じた方々を軽んずることは軽蔑に値すべきことです。
 しかし、不忠者を擁護して、忠君愛国の士までもが正当な評
価を受けられない現状には憤りを感じます。
 どうか、先の大戦の英霊こそを取り上げ、不忠者を正当化
するような愚をやめていただきたい。
 よろしくお願いします。
(私見)
 村田信雄氏は、泰緬鉄道の日本の与えた死亡率は異常。
 その点で糾弾されるべき『当然の理由がある』とおっしゃっ
ているのだと理解いたしました。
 それ故、カニの事件によって死に至らしめられた方々(泰緬
鉄道の責任者の日本人捕虜)は、その責任を取ったのだと言わ
れていると解釈しました。
 復讐心があったとはいえ連合国側の日本人に対する死亡率は
低率であった。
 故に、一つの事件(カニの事件)によって判断を急ぐこと(
結論を急ぐこと)は止めなさいと言われて居られます。
 先の大戦で亡くなられた英霊こそ、大切にその功績を讃える
行為をしなさいと言われて居られます。
 まったく、村田様のおっしゃる通りと感じました。
 ありがとうございました。 
 また、村田様はじめ忠君愛国の士の方々、そして、先の
大戦で亡くなられた多くの英霊の方々の御蔭で、私たちは
平和な日本に生活することが出来ております。心から感謝
の意を申し上げます。
 『有難う御座いました』。
 今後とも、御指導を賜りたくお願い申し上げます。
☆そして、その後について・・・
(読売新聞2012・11・25)に、泰緬鉄道についてのその
後の動きの記事がありました。
(内容:抜き書き)・・、3か月前の対日戦勝記念日(20
12・8・15日本の終戦記念日)後に英南部ベッドフォードの
教会で行われたミサを思い出した。
 第2次大戦で旧日本軍の捕虜となり、泰緬鉄道建設に従事
させられた人を含む元英兵たちと日本人との和解に向けた
行事だった。
 参加したのは、旧ビルマ戦線に送られた元英兵で組織する
「ビルマ星協会」のベッドフォード支部のメンバーだ。
 元兵士の相互理解を目指す日英の民間団体「ビルマ作戦
協会」は、「星協会」に和解行事への参加を長年申し入れて
来たが、同協会は、多くの仲間が日本兵から虐待を受け、
殺されたなどとして拒んできた。
 1998年に天皇陛下が訪英した際も、陛下のパレードに背を
向けて日の丸を焼いたほどだ。
 だが、星協会ベッドフォード支部の幹部ビル・スマイリー
さん(90)は今回、同協会として初めて作戦協会の要請を
受け入れ、ミサが実現した。
 終戦から67年。
 元英兵たちは若い世代でも80歳代半ばになる。
 スマイリーさんは「戦友が次々と世を去る。和解せずに
自分は死ねないと思った。まだ賛同者は少ないがね」と静か
に語る。
 国家間の戦後処理とは別に、元英兵との間で人として互い
を理解し、和することを目指したのは故・平久保正男さん
だった。
 旧日本陸軍士官で、日本の商社を退職後、80年代から元
英兵たちを訪ね歩いた。
 旧日本軍の捕虜になった経験を持つ元英兵は、現われた
平久保さんを前に、一様に30分ほど罵詈雑言を浴びせたと
いう。
 だが、いったん感情を吐き出すと、「なぜ自分だけ生き
残ったのか」と戦争体験を話し始める。
 会話を重ねるうちに、旧敵同士であっても戦争という共通
体験を持つ2人の男は心が結ばれ、涙を流しながら抱き合
う。
 平久保さんはそんな元英兵との出会いを何百回と重ね、
2008年に他界した。
 「作戦協会」は、その遺志を受け継ぐ組織だ。
 日本人と英国人の会員約50人が慰霊祭開催や戦争を語り
継ぐ事業を続けている。
 父親が旧日本兵としてビルマ戦線で戦った、会長のマクド
ナルド昭子さん(61)は「歴史の理解を通じた和解が大切
です」と思いを語る。
 英国は戦勝国だが、大英帝国崩壊に伴う喪失感も絡み、
戦争による傷は深い。
 今の日英関係は両国財界や文化人、若者らが交流を重ねて
築いた結晶だ。
 一人でも多くの老兵たちとの和解の上に未来を築く。
 その努力にエールを送る。  欧州総局長 林路郎氏
.
(追記)
戦わざれば亡国、
 戦うもまた亡国であれば、
戦わずしての亡国は身も心も
 民族永遠の亡国である。
戦って死中に活を見出し
護国の精神に徹するならば
 たとい戦い勝たずとも、
護国に徹した
 日本精神さえ残せば、
 我らの子孫は必ずや
再起、三起するであろう。
  永野修身元帥海軍大将
.
ある玉砕兵の吐露した言葉
 もし玉砕して、そのことによって
 祖国の人達が、少しでも
 生を楽しむことができればと
 せつに祈るのみである
.
特攻は終戦の日まで続き
特攻作戦の戦死者数は5845名
みな前途有望な若者達だった。
.
約10万人の学徒達が
ペンを捨て銃剣をとり、戦地に赴いた。
敗色濃い前線で彼等が投入されたのは、
あらゆる種類の「特攻」作戦だった。
.
今の日本の繁栄は、
 先人達の犠牲の上に成立っている。
私達が生きている今は、
 先人達が命懸けで守ろうとした
 「未来」なのだ。
YouTube:大東亜戦争【不屈の武士道精神】より

2012年11月27日火曜日

抜き書き・・平和維持・・・

☆題: 《抜き書き・・平和維持・・・》: 

・米国が「世界の警察」を任じられなくなった時、日本は?

・景気低迷で疲弊する米国。 

・横浜でオバマ大統領と会談した菅首相は、思いやり予算の
削減が頭にあったが、逆に大統領から「増額」を求められた。

・厳しい見方の米国議員、
その1:中国の軍事的脅威が増すのに、日本は米軍のあり
がたみが分かっていない。 

その2:沖縄の1万5000人の海兵隊員が中国に上陸して、
何百万もの人民解放軍と戦うなんて誰も思っていない・・と、
在日米軍の大規模な撤収を提唱。

・米国の2010会計年度の赤字、約135兆円。

・アフガニスタン戦費の重荷。 

・米国議会の本音:地球の裏側まで面倒を見切れない。

・オバマ大統領は、今のところ、アジアへの軍事的方向性は、
強める方向。
しかし、厳しい財政から続けられるかに大きな疑問符が
周囲に・・。 

・北朝鮮とは事を荒立てたくないという心持ちか?

・米国防総省のラパン副報道官の言葉:在韓米軍を増強する
予定はない。

・米軍のある幹部の言葉:北朝鮮の軍事施設を空爆するのは
簡単だが、中国がどう反応するかが分からない。
軍事行動はあり得ない。

・危機管理が専門のユーラシア・グループのイアン・ブレマ
ー社長の言葉:
北朝鮮はソウル攻撃以外の挑発ならば反抗はないと算段し
ているとみえる。 

・長引くアフガン戦争、長引く景気低迷で、疲弊する米国。
(参考:日経2010・12・2)

追伸:
自民党が、2012年、「集団的自衛権」を言い出した。
憲法改正も言い出した。
.
(参考:Wikipedia)
☆集団的自衛権(しゅうだんてきじえいけん、英語:right of
collective self-defense、フランス語:droit de légitime
défense)は、他の国家が武力攻撃を受けた場合に、直接に攻
撃を受けていない第三国がこれを援助し、攻撃に対して共同で
防衛を行う国際法上の権利である。
集団的自衛権の本質は、自衛権を行使している他国を援助し
て、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある。
.
☆ 集団的自衛権は、1945年に署名・発効した国連憲章の第51条
において初めて承認された権利である。
憲章第51条を以下に引用する。
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻
撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全
の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の
固有の権利を害するものではない。
この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに
安全保障理事会に報告しなければならない。
また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の
維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの
憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼす
ものではない。 (国連憲章第51条)

2012年11月6日火曜日

「許される悪はあるのか?」について(改訂版)

題:  「許される悪はあるのか?」について(改訂版)
.
 書評:慶応大学教授・○○○○氏、
 本「許される悪はあるのか?」マイケル・イグナティエフ著
 書評文(抜書き):
 テロリズムからの安全を確保するためには、拘留、拷問、予防的
戦争が必要かもしれない。
 しかし、この考えを是認すれば「市民の自由が制限される」。
 市民的自由を絶対化すれば、テロリズムを未然に防げない。
 国民の生命を犠牲にするかもしれない。
 この本の著者は、中間の立場を選んだ。
 「道徳上の絶対主義にも、冷徹な現実主義にも加担しないように
努めた」という。
 それは、「より小さな悪のモラリティ」という考え方である。
 ーー(略)ーー
 現在では、テクノロジーの進歩と自由の拡大によって、「自由な
国民」の頭上には、大量破壊兵器を用いたテロ攻撃という「ハルマ
ゲドン」がもたらされる危険がある。
 それゆえ、「より小さな悪」を選択せねばならない。
 だがそうであっても、それがより大きな悪へと変化するのを阻止
せねばならない。ーー(略)--
 日本では「道徳上の完璧主義」が好まれるあまり、「より小さな
悪」という思考が浸透しにくい。
 緊張感溢(あふ)れる現実世界で、我々が正しい道を見失わない
ための、偉大な知的貢献である。」 (読売新聞2012・4・29)
 (私見): 
 「日本が『道徳上の完璧主義』を好む」とは、見誤りの見方では
ないでしょうか。
 「好む」ではなく、「それが正しい」と判断しているからです。
 あなた様は「より大きな悪にならないように、小さな悪を行なわ
せる」とのお考えの様ですが、1例と致しまして、キリスト教の「
魔女事件」は、最初からこの様な悲惨な、非人道的な事件ではあり
ませんでした。
 あなた様は「小さな悪=拷問」は許されると言われますが、例え
ば、この人類の負の遺産の魔女事件のどのレベルの拷問まで許すと
お考えになられているのでしょうか?
 可哀想な女性が沢山おられますが、「鼻そぎ」ぐらいまでなら良
いなどとお考えなのでしょうか?
 命を奪われる女性が大勢いましたから、命を奪われるよりましだ
と・・などと、お考えになられて居られるのでしょうか?
 「小さければ良い」という「程度の問題ではない」と思います。
 例えば、「少人数だし」とか、「小さな拷問だから良いのだ」と
いうお考えなら「それは絵に描いた餅」「机上の空論」ではないの
でしょうか。
 「だから、大きくならないように監視するのだ」と言われますが、
今の魔女事件のどの時点で貴方様ならストップをかけられることが
できるとお考えなのでしょうか?
 このキリスト教が主導した魔女事件の問題も「最後は、ヨーロッ
パ中が空転する大惨事のレベルまで達し」、それが絵空ごとでない
こと、現実の地獄の世界が、この世に現出しました。
 何故、
 このキリスト教の方たちは止められなかったのでしょうか?
 貴方様は、「できる」とそれこそ増上慢になって居られるのでは
ないでしょうか。
 また、別の例で・・・またまた、急に、貴方のお宅に、警察が踏
み込み、「予防的逮捕です」と身に覚えのない拘束を受けたとした
ら、どう思われますか? 
 素直に納得して従いますか? 予防的逮捕だと・・。
 かつての日本の暗い世情的になるでしょう。「官憲に怯(おび)
える社会です」。
 何もしていないという確固たる安心が存在しない世界なのです。
 予防的範囲で逮捕もありうるのかとの葛藤の中に存在する生活す
る不安定さを意識した生活になるのです。
 それが、戦争までの大きな場合もあり得るという論理は空恐ろし
くなります。
 「予防的戦争なんて恐ろしい行為を是認しないでください」。
 (「これからの戦死者を減らすために広島・長崎に原爆を落とし
ました」まで行きます。
  『予防という観点から』、現実に、悲惨なハルマゲドンが起こ
されたのです)
 この様なお考えを、是非、考え直していただきたいのです。
(追記):
  必要悪の話は、「ジェノサイド肯定論へ繋(つな)がっていく」。
  より優秀な人種の世界になるためには「劣等な人種を減らすこと
が必要なのだ」となる。
  キリスト教にあるこの様な恐ろしい考え方、過去にあったこの様
な悪行を二度と起こしてはならない。
 (参考)モラル【moral】 道徳。倫理。「―に欠ける」
 (参考)せ‐じょう【世情】 1 世の中のありさま。せいじょう。
      2 世間の人情。俗人の心。せいじょう。
.
::『愚かな人間は、考え一つで次の様な事をします』
.
 記録CD:「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」
               (被爆者の声を記録する会編)
☆ 妻と被爆した当時、33歳の男性の声
 もう焼けただれた、オバケの様な避難者の群れで、その公園が
一杯なんですよね。
 この大きな桜の幹のそばに、まだ年若い母親が、乳のみ子を抱い
て、お乳を飲ましている。
 ところがその母親は、年若い母親は、もう既に死んでいるんです
がね、この乳飲み児は、母の死もしらないで、無心に死んだ母の
乳房をしゃぶっている。
 しばらく、二人で待っていたところがですね、私の前に一人の男
が立ちはだかったんですね。
 私、キヨシ、と申しますが「おい、キヨシじゃないか?」と、私
の名前を呼んでくれたものですから、初めて父親だってわかったん
です。
 一目でわからないんですよね。
 父親、もう素っ裸で、それこそ頭のテッペンから足まで全部焼い
てしまってるんですよ。
 顔はですね、もうはれあがってますしね、まるで目が糸を引いた
様なんです。
 唇はブタのくちびるの様に腫れあがってるし、睾丸は膨れあがっ
てる。
 ところが父親は、そんな自分の身体に気が付かないで、私共夫婦
が焼けただれた身体を見て、心配してくれたんです。
 「お前はヒドイ事になってるやないか!」という事で、兎に角、
お前等に会えてワシは安心した・・・。
(ほんの少し前まで、おだやかな市民生活を送っていた人々が、奈
落の底に突き落とされる事になった)。
☆ 当時29歳の男性の声
 もー、死んだ人の転げとる、転げとる。
 その人はもういっぱい・・・這いよってですな。
 ところが、「助けてくれ」「助けてくれ」言うばってん、こっち
も自分のことがアレやし。
 そりゃ一人や二人こうしたっちゃ(助けても)どっちつかんと。
 その間を、こう堰切ってですね。
 その間にそのー。水槽があったでしょう。
 それに飛び込んどるんですね。
 もう、それ、かぁーって手曲げて、頭上げ、黒こげで、こう浮い
とるです。
 それがもう、水槽、あらゆる水槽にですね、それこそ五人、七人、
十人ちゅうように飛び込んじゃもう、黒こげになったままで死んど
る。
 それこそ形相なもんですなぁ。
 その姿たるや、もう虚空をつかんでですね。
 とにかくもう話しにならん。
 川下、川上、それこそああた、川の淵に寝とる人、それがもう「
助けて」「助けて」て言うばってん、赤剥けになった、芋虫のごと
ごげんしょるばってん。
 それを助けるような、とにかく一人や二人どうこうしたってしょ
うがないんだから、一杯だから。
・・(この様な耳を塞ぎたくなるような回想が延々と続く)・・・
           (本「人類は宗教の勝てるか」232頁より)

2012年10月30日火曜日

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています(その10-2)

題: 子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています
      (その10-2)
.    (真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 ・リンカーンには、『家族や近所の者の中には彼が怠け者だ
 と考える者もいた』というリンカーンに関する資料がありま
 すが、
 その様な、本の主人公のマイナス面の記述は、当然、記さ
れていない。削除されている。
 そして、勤勉だという記述になっている。
 また1つのサンプル本は、随所に「朝はだれよりも早くおき
 てはたらき、夕がたもおそくまではたらきました」などの記
 述が多い。
 ・キリスト教的洗脳の記述は、「美しい讃美歌の大合唱にな
 った」とか、「深い海から聞こえて来るような厳かな音にな
 った」とか、「リンカーンをつつんで行った」「合唱の輪は
 広がり、町中が厳かな雰囲気」「リンカーンの恵みに満ちた
 様子」「優しい振る舞い、リンカーンのために祈る、リンカ
 ーンを神として祈る、リンカーンは神の守りたもうこの国、
 ひざまづき、リンカーンを神の様に拝みました、リンカーン
 大統領様。あなた様を神様と思っているのでごぜえます」、
 キリスト教から異端として退けられた例外少数宗派のクエー
 カー教が黒人を助けた。など。
 リンカーンを偉大に見せるためか、黒人の方たちの言葉づか
いを「・・・ごぜえますだ」「・・・いただきやした」と蔑視
的な記述もしている。
 そして、
 リンカーンの話言葉は、上から目線の殿様的発言となって
いる。
 ・リンカーンの大統領就任演説で、リンカーンは、一言も奴
隷解放の事を話さず、
 逆に、奴隷財産の擁護をする演説内容だったが、
 子供の伝記には、このことは当然のように両サンプル共に
書かれていない。
 また、一方のサンプル本は、リンカーンが常に奴隷解放の
意思を持っていたようにあっちこっちに書いている。
 リンカーンが、強い奴隷解放の意思を最初から常に持って
いたと、繰り返し繰り返し、
 洗脳的にちりばめて書いている。
 ・結局、子供の伝記本の中には、子供の伝記作家の想像の記
述で出来あがっていると言える本が存在している。
 取捨選択も作家の独断で、選ばれた材料を大きく膨らませ
て、作家の宗教心(キリスト教の美化)を巧妙に伝道する場
の書物と言えてしまう本が存在している。
 ・最近の歴史家は、「リンカーンが奴隷解放者だ」という論
点から離れて、
 黒人の方たちが自ら奴隷制を離れた、
 あるいは少なくとも政府に解放への圧力を掛けたものである
という議論に移ってきている。
 ・また、歴史家のバリー・シュワーツは、2009年に、
 リンカーンのイメージは、「20世紀において、風化し、権威
が衰え、無害な冷笑の対象に」なっていると表明した。
 この様な歴史家の見解は、
 子供向けの言葉に直して伝えているかと言うと、まったくの
「なし状態」です。
.
(追伸)
 本シリーズを書き始めるにあたって思ったことは・・・、
 今のアメリカの原点は、独立戦争で勝ち得た国の形と共に、
 そして、第二の大切な原点が、
 「現在のアメリカ政府をたどって行くと、『南北戦争時の北
軍政府』へと行き着く」。
 それ故に、アメリカは、
 当時の北軍の最高の位置にいた『リンカーン大統領』を誇り
とし、
 この時の理念を「美しくしていたい」という気持ちが強い。
 それ故に、そのリンカーンに関して、
プロパガンダする点が少なからず見られ、存在する。
 そのプロパガンダされたために見えない「隠された真実」は、
 世界の善良の方達のために、
 明らかにされねばならない。明かされなければならない。
 それは、回り回ってアメリカ合衆国のためにもなり、
 また、これからの人類の行く末にも貢献すると確信する。

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています(その10-1)

題: 子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています
                 (その10-1)
 .
 ・リンカーンの「子供たちの伝記」の調査結果を以下に記しま
  す。
 ・調査方法は:公立図書館および児童書専門のNPO施設の本に
  目を通しました。
 ・調査結果の記述は:それらの本の内、代表的な2冊を比較し
  ながら論じるとその差異が明確になるので、その比較を記し
  ます。
 ・サンプル本は:サンプル1:発行所:Ko社、著者:YM
  女史。サンプル2:発行所:Ka社、著者:外国人、訳者:
  MK氏。
 ・まず、お勧めは:お父さん・お母さん方は、良い子になって
  もらいたいと「偉人伝」を子供たちに買い与えられていると
  思いますが、
  特に、
  子供の伝記は、『全国学校図書館協議会選定図書』の表示の
  ある本を読ませるようにして下さい。
  それ以外は『読ませない方が良い』と言えるくらいです。
  特に、
  「児童向けの偉人伝」は注意して下さい。
  例えば1例、
  子供の感受性の強いところを狙って、巧妙なる宗教的洗脳、
  キリスト教の伝道がしたいという意図がはっきり見られる本
  があります。
  そして、
  その事が目的だと感じられる本に限って、子供の勉強的な
  記述は薄くなっています。
  普通は、
  当時のアメリカの時代背景など、豊富な地理的、歴史的な
  記述になるのだが、その様な点が欠け、宣教の意図の伏線が
  見えます。
 ・サンプルの一つは、
  写真や演説中の言葉のメモ、ノートや絵、当時の新聞などの
  資料を豊富に示し、
  忠実に伝記を子供向けに分かりやすく描こうという姿勢が見
  られますが、
  一方は、
  想像的に描いているカット絵のみとなっていて、
  記述内容も著者の創作的な事柄が多い。
  そして、著者は、キリスト教に強く賛同している方か、また
  は、キリスト教徒の方なのか、
  隋所に、キリスト教の美化記述が入いり、「リンカーンは
  キリスト教会には行かない」という信仰レベルであったが
  (演説には聖書の引用文は少しは入れているが)、リンカー
  ンが強いキリスト教の信仰者の様に描いている。
  (リンカーンは、自分の過去を語りたがらない性格だった
  ため、不明なことが多く、
  リンカーンの伝記は、本人以外の情報から作られているとい
  う面が多い。
  なのに、細かい状況など完全に創作の連続という感じの記述
  となっている)
 ・また、一方のサンプル本は、
  リンカーンが、うつ病に悩まされたことも書き、リンカーン
  のマイナス面も色々と書き、偏した内容ではなく。
  誠実に「人間リンカーン」を書くという書き方で、
  また、リンカーンが、迷信深い人で夢や前兆や予感などを信
  じる人だったことなども紹介したり、
  豊富な「人となり」を紹介している(一方的な美化一本やり
  にはなっていない)。
  また、
  南北戦争中、リンカーンほど人気のない人はいなかったと記
  し、反対者からは暴君とか、田舎者とか、大ばか野郎とかと
  非難されたことも紹介している。
  そして、軍隊の事をこれっぽっちも知らないくせに、あれ
  これ口出しばかりすると「こき下ろされていること」を紹介
  している。
  また、
  はっきり「奴隷制度を廃止するかどうかではない」と最優先
  事項としてないことも紹介し、後に変わったとも書いている。
  また、
  黒人の奴隷解放戦士フレデリック・ダグラスも紹介し、彼の
  事も詳細に書いている(他方のサンプルには全く出て来な
  い)。
  そして、
  フレデリック・ダグラスが、リンカーンに「白人の事しか考
  えていない」と糾弾したことも書いている。
  比較的、真実を書こうという姿勢がある。
  が、一方のサンプル本は全くこれらの兆しも書かれていな
  い。
  美しく、リンカーンの人間性から、自ら奴隷解放の政治家
  になったという美しい記述(嘘記述)一点張りとなってい
  ます。
 ・リンカーンは、インディアンによって目の前で祖父を失った
  ことから、インディアンに対して非情な行動・態度を示し
  ますが、
  「全滅を指示する」とかは、さすがに、この「偉人にある
  まじき事柄」は両サンプル本にも完全カットされている。
  リンカーンが弁護士職なったのも、
  その事柄が関係していると推察できるが、
  そして、インディアンの土地取り上げを執念を持ってし続
  けたことなど、まったく記述されていない。
  その点については、偉人を美しく作り上げようとの記述に
  なっている。
  インディアンを外出できない強制収容所に閉じ込めた話も、
  当然のごとく、まったくの記述なし。
  また、インディアンの首に賞金を付けて全滅を目指したと
  いう事も記されていません。
  『リンカーンの美しい面のみ強調され、黒人の方たちに対し
  ても、人道的なリンカーンの姿が必要以上に強調されて書か
  れている状況です。
  黒人の方たちが、政治的社会的に白人の下の地位にいて良い
  という発言についても全く記されて居りません。
  一つの方は、その様な極端な美化はしない様に事実を伝え
  ようと努めている姿が見られますが。