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2014年7月4日金曜日

グルグル回った・・話・・はなし・・、

 題:グルグル回った・・話・・はなし・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 イエスが、姦淫の女性を裁いた話・・。
 キリスト教徒は、裁いたではなく・・「赦(ゆる)した」
と言ってくれというのだろうが・・、
 結局、結局、イエスが・・判断し・・裁断し・・、
そして、裁き・・赦したのだろう。
 許(ゆる)すも・・赦(ゆる)すと、書いてくれとキリ
スト教は色々とうるさい。
 余談だが、預言者も、予言者にしてくれと言う。
 イエスを予言者と言わないでくれと・・、
 ただの予言の者とは違いますと・・イエスは預言者であ
ったのだと・・。神からの言葉を預かったのだと・・。
 これが、キリスト教は正解だと言う。
 エリヤで無くエリアだと・・。山田(やまだ)でなく山
田(やまた)だと・・。余談が長過ぎたが・・、
 イエスは、十字架以前は人だったという。
 この様な話が、キリスト教にあるが、実際は、神の御身
分なのだ。
 パウロは人間だという見解。人間派の人。
 今、そのキリスト教は、パウロ・キリスト教になっている
が・・、「が」なのである。
 パウロは、十字架以前のイエスを捨てたのだ・・が・・、
 つまり、「イエスの十字架の血」と「イエスの復活」だ
けを利用したパウロだが・・、
 つまり、イエスの言葉や、イエスの行動を無視したパウ
ロなのだが、それらを捨てたパウロだが・・、
 だが、だが、キリスト教は、シッ茶かメッチャカの事を
演じている。
 姦淫の女性を赦すイエスが好きだという声が多いが・・、
 イエスは、十字架に架(か)かって・・、
 キリスト教の神と新しい契約が出来・・、
 新約のキリスト教ができたという。
 イエスも、復活し神になれました・・と。
 神の右に座っている・・と。
 誰も見たこと無いが・・誰が見たのか知らないが・・。
 ここだけを・・使えば・・十分だの・・パウロ、
 だから、パウロは、十字架の血とイエスの復活だけを使
ってキリスト教を作った。
 そして、みんなが賛同して、今でも、『そのキリスト教』
だ。
 それ以前のイエスは、見向きもされない、見向きもしな
いとなったのだが・・、
 パウロの路線を採用したキリスト教は・・、
 この部分のイエス・・人間イエス・・を、拾いに行きま
した。
 大矛盾の発生です。
 キリスト教徒に明確に示さないので、また、明確にもで
きないから・・しょうがないが・・、
 可哀想なのがキリスト教徒・・、
 頭の整理がつかない・・
 悩む人も多いし、どうせ「そんなもの」と思っている人
やら・・そして、心を削る所作(しょさ)・行為を・・身
の内で・・心で・・行うが・・処理ができない人が居る・・
できるわけが・・ない。可哀想な形になる。
 だから、十字架以前を人間イエスと称するが・・、
 人間の時のイエスの言葉やイエスの行動を捨てたという
が・・、
 そうや問屋がおろさない、
 言ってる方も・・堂々巡りになる、キリスト教のシッ茶
かメッチャカぶり・・、
 そして、キリスト教は・・事を・・『理路整然』に説明
できない宗教の代表となり下がっている。
 そこで、「信じなさい」「信じなさい」とだけ言う。
 「考えるな」「考えるな」とだけ言う。
 そう言う訳が、お分かりでしょう。
 その人間イエスが、姦淫の女性を赦した。
 そうです・・赦して差し上げるべきです。
 赦すのは・・赦したのは・・当り前です。
 誰でもします・・そんなこと・・何も姦淫を赦したから
キリスト教は素晴らしいという話になる話ではありません。
 今・現代には存在しない罪なのです。
 古いキリスト教だから存在する話なのです。
 そんな事をなどを・・とやかく言うところを・・ぐるぐる
回っているキリスト教。
 人生の無駄・・時間の無駄から離れなさい。時間を大切
にしなさい。
 また、この様なキリスト教に貴重な人材を投入しないよ
うにしよう。
 また、金や人類の財産を投入しないようにしよう。
 次世代に伝えて行かないようにしよう。
 戦争の大きな原因にもなっているキリスト教は人類を救
いませんし、あなた方も幸せになれません。
 また、大量な献金を強いられる状況から抜け出しなさい。
 キリスト教聖職者もかすみを食べて生きてられません。
 また、金銭欲の強い聖職者も生存しています。
 キリスト教故に話がグルグル回ったことは、了解してい
ます。だから、最初の原文のまま載せました。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /

2014年7月3日木曜日

特に、優秀な人から去っている・・、

 題:特に、優秀な人から去っている・・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 1937年・・、
 スペインのゲルニカという町が・・
 ドイツ軍によって、無駄別爆撃を受けた。
 沢山の一般市民の方々が亡くなった。
 スペインは、大きなショックを受けた。
 スペイン人のピカソも、大きなショックを受けた。
 彼は、大きな「ゲルニカ」という絵を描いた。
 スペインの方々にとって大変な事であったでしょう、同
情を差し上げます・・・が、
 スペインは、その何百倍、何千倍というインディオの方
々を殺戮しています。また・・、スペインは、
 ユダヤ民族の方々に対しても、多くの命を奪っています。
 今・現代、この様な事を、アメリカが・・、
 イラクで・・ベトナムで・・、あちこちで行っています。
 イラク戦争だけでも・・、ベトナムも悲惨でしたが・・、
 イラクの方々は、100万人以上もの方々が亡くなられて
おられます。・・・アフガニスタンも悲惨です。
 第一次世界戦争の騒ぎが・・、第二次世界戦争で、また
また大きくなり・・一般の方々の命は、より大勢の方々が
奪われ、殺され、亡くなられた。
 何ら戦争に関係のない方々の死者数が急増している戦争
の形になっています。
 今、人間は、無限に大きな死を伴う戦争に拡大させてい
る。
 広島・長崎の多くの方々の何十倍、何百倍、千倍以上と
いうもの方々が・・亡くなる戦争の時代となっている。
 『人類の半数以上が亡くなる危険』も秘めています。
 キリスト教がその引き金になってきた。今でもそうだ。
 底流で・・大きくこの宗教が悪影響を与えている。
.
 そして、次の話。
 イエスの言ったことを・・、
 イエスの気持ちを反映させながら・・、今的に言うと・・、
 安息日・・? 
 麦の穂の先っぽを、ちょっと、仲間が摘まんだくらいで、
とやかく言いなさんな!
 安息日と言ったって、人間様のためにあるんだよ。
 神が疲れるわけがないだろう。
 「7日目に休まれた」なんて聖書に書かれているけど、
可笑(おか)しいとは思わないのか?
 キリスト教の神は疲れるのかい?
 ユダヤ教の信徒の俺には理解できないけどね。
 キリスト教の神だけではないか、疲れたとか、休みたい
とか、何とか言って、休んだりするのは・・。
 何でもできる神なんだろ、キリスト教の神は・・、
 何でもできる神が、疲れるなんてオカシイと思わないか、
間違いだと思わないのか?
 えっ? ぶたれた? 
 ぶたれたぐらいで、がーがー騒ぐな!
 うるさい奴らだ。
 右の頬(ほお)をぶたれたなら、左の頬もぶたれて来い。
 相手が馬鹿馬鹿しくなるだろう。そんな手も使え。
 わーわー騒ぐな!
 麦の穂先をちょっと摘まんで、食(く)ったくらいで、
腹の足(た)しになんかに、なる訳ないだろう。
 そんな事、ちょっと考えれば分かるだろ。
 2キロ行ったら、3キロ行ってやれ・・、
 何でもひねくれて、やってやれ。
 どうせ、馬鹿馬鹿しい世の中なんだから。
 あちこち戦争ばっかりで・・、
 終末思想が充満している世の中でさー・・。
 この様に、希望も何もなかった中でキリスト教は出来あ
がった。
 そして、このような中で、イエスの言葉もできた。
 ある意味、可哀想な人たち、
 可哀想な時代だった。
 現代の幸せに、達成された幸せに・・感謝せよ!!
 そういう意味でも・・、
 キリスト教は、現代では『無用の長物』となっている。
 次世代に伝えて行ってはならない宗教。
 無駄な労力と、金も無駄にもなる。
 貴重な方々を、キリスト教から救え!
 キリスト教に優秀人材と資金を投入するのは止めよ。
 特に、優秀な人材は、早く、キリスト教から離れなさい。
 アメリカでは、すでに、その行動が始まっている。
 親戚や、近所の手前、その様なことは口にしないが・・
と、キリスト教を離れているという、言葉がある。
 特に、優秀な人から去っているという。
.
 (注):本日は、2通、投稿しています。前もお読みくださ
い。
   (詳しくは、以下のブログへ)
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今、悪い形で『独占の形が現われている』。

 題:今、悪い形で『独占の形が現われている』。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教聖職者は・・、
 言葉に詰まって言う・・、
 『古代だから良かったのだ』・・と、
 キリスト教聖職者は、キリスト教聖書の記述を弁護して、
その様に言う。
 では、古代だから良かったのなら・・、
 現代では・・どうなのですか?
 それが・・質問なのですが・・??
 質問の答えを避け、質問には答えません。
 答えられないのです。
 キリスト教徒とは・・この様な宗教なのです。
 何ら、現代の、今の時点で・・答えることはできません。
 その様な宗教です。ダメなのです。役に立ちません。
 『経時劣化』をしている宗教なのです。
 キリスト教聖職者も・・答えることができません。
 そんなのを、一生懸命勉強したって、また、一生を奉(
ささ)げたって、何の役に・・立つのだろうか?
 現代に通じない宗教を・・。
 キリスト教を、早く、離れなさい。
.
 そして、次の話。
 キリスト教は、偶像崇拝を忌避する。
 その教義だ。
 しかし、この言葉は、「偶像崇拝を忌避することになっ
ている」・・としたい・・その現状なのだ。
 いつもの、キリスト教の『教義の適当さ』なのだが・・、
本当に、キリスト教は『適当な宗教』である。
 キリスト教の紀行文を読んでも、びっくりするぐらい偶
像が出て来る。
 その偶像を、聖像と呼んで、崇拝している。
 偶像崇拝そのもの、適当で、いい加減な宗教だと思う。
 ドストエフスキーは・・、
 キリスト教聖職者の少女姦淫を描いたが・・、
 現代でも、キリスト教聖職者の、少女や少年へのいかが
わしい報告は・・後を絶たない。
 キリスト教聖職者の廻りに、イエスの言葉なんかを無視
して、このたぐいの話がまとわりついている。
 イエスの言葉など、『聖職者が率先して』、何の役にも
立たない言葉にしている。
 それにしても、あのイエスの言葉は、イエス自体にも姦
淫の気配がある、感じさせると言える。
 イエスも、際立って・・このことを、彼の気性の荒さか
ら言葉としたが・・、『女を見たら姦淫だ』
 もっと女性を否定的に見るのでなく・・、
 性悪説的な、後ろ向きに見るのではなく・・、
 気品のある女性とか、高貴なかぐわしさのある女性とか
と・・前向きに、上品に、理知的に想像をしてみなさいと
・・イエスに言いたい。
 卑劣なあんちゃんの・『捨てぜりふ』の様な言い方も、
止めなさい。
 因(ちな)みに、ドストエフスキーは・・、
 カトリックを嫌った、忌避(きひ)し、嫌悪していた。
 ドストエフスキーさん・・正解です。
.
 そして、次の話。
 キリスト教は、権威を欲(ほ)しがった。
 権威を得るためには、あらゆる事をした。
 あらゆる事とは?・・と、世に問うと・・、
 世には・・「殺すことまで?・・殺人まで?」などとい
う声が、話があるが・・、
 びっくりするなかれ・・キリスト教はそうなのである。
 キリスト教は、宗教であるまじき・・殺人までもした。
 人殺し宗教である。
 1例を言えば・・、
 キリスト教の教義に・・「神を畏(おそ)れよ」・・と
いう教義があるが・・、
 キリスト教は、神の権威を得るために・・、
 この『教義の実践』までした・・人を殺し神を畏れさせ
た。
 キリスト教は、人を殺すことまでして、民衆を畏れさせ、
権威を得たいとした、そして、権威を得たと錯覚した。
 また、キリスト教は、権威を得ると共に「金(かね)を
欲しがり」、
 権威を得るとともに・・金と権威の両方を得て・・、
 キリスト教の周りには、その「権威と金と富」が集まる
とともに、人々も群がった。
 芸術家も群がった。唯一の就職先だったから・・、
 信仰心からの芸術ではなかった・・、
 これと同じ様な例、状況が、NHKに起きている。
 半分税金みたいにして、全国から集めた、集まったNH
Kの受信料は・・それこそ膨大な額となる。その巨額な金。
 NHKは、その膨大な受信料を湯水のように使い、
 また、その巨額な金に群がる人々を繰り、また、群がる
企業を繰って・・囲まれている。
 この金に、支配力を働かせている・・NHKである。
 NHKには、今、悪い形で『独占の形が現われている』。
 また、何ら『競争原理』も働いていない。
 何しろ、一般の人の4倍の給料は異常過ぎるな高給であ
る。
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2014年7月2日水曜日

性悪説のキリスト教は、『社会悪をもたらす』。

 題:性悪説のキリスト教は、『社会悪をもたらす』。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の思考形態は、『性悪説』です。
 物事を良く見ようという考え方ではありません。
 このキリスト教の否定的な思考形態の『性悪説』に洗脳
されて行くと、
 思考も、当然、その様になって行きます。感化されます。
 例えば、人間のマイナス面ばかりに、気がとられていく。
 『あの人はいやだわー』、『そう、○○さんもー』・・
と、世の中すべてを、その洗脳された性癖で見て行く傾向・
状態になって行く。
 また、キリスト教は、人間の性のマイナス面ばかりに、
気がとられていく・・「キリスト教的思考形態」は・・、
 どうしてもマイナス方向に囚(とら)われてしまい、
 性のマイナス面ばかりに、目を向けてばかりいる傾向に
陥(おちい)る。
 本当は、キリスト教の、その様な洗脳から逃れて・・、
 もっと性の素晴らしさに目を止めるべきです。世の中の
すべての素晴らしさに目を留めるべきです。
 女性にはこんな素晴らしさが在(あ)る・・と。
 キリスト教は、女性蔑視の宗教です、その様なDNAが、
聖書のあちこちにあり、また、どこらかに潜(ひそ)んで、
子供や女性、そして、人々へ悪影響を与えています。
 今・現代でも、女性の司祭が居ないとか、パウロは、目
を覆(おお)うような女性蔑視の記述をしたとか・・と、
 それらの悪さについて、キリスト教は、目をつぶって、
事実を覆い隠(かく)しているが・・。
 キリスト教は、(特に、女性の)「自己の性の美しさを
見い出す事の出来る人が、輝いている」ということを知ら
ない。
 そして、キリスト教は、「性は神から与えられた」と考
えるため、「男と女以外の存在を認めない」。
 これは、明らかに、「キリスト教の神の見落とし」で、
また、「失敗」なのです。
 キリスト教の聖書に、「キリスト教の神は『男』を作っ
た」と書き・・、
 そして、キリスト教の『男尊女卑』の性格付けとなっ
た記述、「女性が男の骨から作られた」・・と、劣悪な記
述、非科学的な記述に極まる。
 この劣悪な性差別を、堂々と、教義にしている態度に怒
りが沸く。
 キリスト教聖職者は、何とも思わない人々の様だ、洗脳
され、感化されている。恐ろしいものだ。
 この様に、キリスト教の聖書記述は、また、馬鹿馬鹿し
いレベル記述の為、男と女性以外の存在を、今・現代にお
いても『認めていない』。
 また、この様な、差別を、キリスト教は行っている。
 まったく、現代にマッチしない、『送れた宗教』となっ
ている。
 そして、キリスト教の考え方・教義は・・、
 神が作りし「男」と「女」・・、
 そして、その「結婚」は・・、
 『キリスト教の神によって定められた』としている。
 まったく、『限定的な』、『狭い』見方しかしない、で
きない、キリスト教の考え方・教義となっている。
 結婚以外の存在を認めていない。
 結婚以外で存在している方々を・・、
 『キリスト教の神の定めし事をなさない人々』と見てい
る。
 キリスト教は、結婚を最終目標とする宗教。
 だから、その考えの延長線上には・・、
 キリスト教の聖書には・・、
 兄が亡くなったら、その弟が、兄の妻の未亡人と結婚す
る事が記述されている。『その様にせよ』・・と。
 しかし、この様な倫理観の存在の必要性はアウト。
 現代での、この教義の適用は、『笑って否定される』。
 今・現代でも、キリスト教聖書には、堂々と、この様な
事が書かれている。
 聖書を読むことの・・何と時間の無駄なことか・・とな
る。
 この様な倫理観のキリスト教なのである。読む必要は、
 まったくない。
 キリスト教の教義は、これを理想なのだとしている。
 しかし、さすがに、この様な事を、今・現代、『その様
にせよ』とは、さすがにキリスト教も言えずに・・、
 キリスト教は、唯(ただ)黙(だま)っている。黙過(
もっか)である。黙過は罪である。
 『神の意思の無視』である。人間上位になっている。
 キリスト教は、御都合主義で、何ら、『キリスト教の神
を敬ってなんかいない』。
 人に「神を信じよ」「神を信じよ」と、口先で言うが・・、
 適当に存在している。
 また、この様に、古い倫理観の宗教なのです。信じるに
あたいしません。
 何ら現代において、『ためにならない宗教』なのです。
 現代社会に、『悪しかもたらさない宗教』です。
 この様な宗教は、次世代へ伝えて行ってはいけません。
..
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薄氷を踏む様な理屈で出来あがっている宗教=キリスト教

 題:薄氷を踏む様な理屈で出来あがっている宗教=キリスト教
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖地は、エルサレムである。
 この事は、動がし難い事実なのだ。
 そしてまた、キリスト教は、このエルサレムの地の宗教
なのである。
 このエルサレムで、キリスト教は歴史を刻んで来た。
 この砂漠の地・エルサレムの宗教なのである。
 『何で、ここまで言わなければならないか』という話が
ある。
 この砂漠の地の宗教だと言われることを嫌う、キリスト
教徒の富岡幸一郎・関東学院大学教授が、無理な話の展開
をする。
 砂漠の地の、奪い取りの地の宗教だということを嫌って
いる。
 氏の様な、知的なポジションにいる人が、屁理屈を言い
出していることは、大いに反省をして戴きたいところだ。
 キリスト教には、この事例の様な、「嘘に近い話」から
「まるっきり嘘」という話が、本当にたくさん、多く存在
する。
 富岡教授は・・
 「イエスは、ガリラヤの生まれで、ガリラヤは、緑豊か
な地で、この様なキリスト教もあり・・」と話をはぐらか
す。
 誠実な話の言い方を展開していない。
 だからって、はっきり事を、最後まで説明していない、
中途半端に、うやむやに、話をはぐらかす・・、
 つまり、砂漠の地の様な宗教を嫌い、砂漠の地のエルサ
レムのキリスト教を、富岡氏は否定している。
 これとはまた別に、イエスには、聖書から来る「救世主
が生まれる地のベツレヘム」で生まれなければならないと
いう縛り(しばり)があり・・、
 『イエスは、ベツレヘム生まれだ』という「くだらない
説」もある。
 イエスを、聖書通りの救世主にしたいだけの話である。
 ところが問屋がおろさなかったという話の結末になって
いる。キリスト教学者の努力のたまものだ。これも動がし
難い事実、ガリラヤなのだ。
 富岡教授の話は、また、聖書の記述は、逆に、イエスは
救世主ではないと証明するという結果になっている。お粗
末な話だ。
 イエスは、富岡教授の言う通りガリラヤ生まれで良いの
だ。イエスは、救世主が生まれる地のベツレヘムではない。
 富岡教授は・・、
 この事も言ってしまった・・という事に結果なっている。
 キリスト教は、エルサレムであり、エルサレムの宗教で
ある。富岡氏が何と言おうと・・。
 だから、キリスト教は、その地・エルサレムの砂漠の地
の宗教である。
 そのエルサレムを、聖地として・・奪還する話が、キリ
スト教の歴史に大きく関係して来る。
 だから、故に、富岡教授の話は、ただ事を惑(まど)わ
すだけの話なのだ。
 事を良く知らない人を、惑わし、誤認させるだけの話な
のだ。
 イスラム教徒から聖地を取り返すという話で持ち上がっ
た十字軍は、エルサレムの奪還(だっかん)の話なのだ。
 だが、しかし、名目通りエルサレムに行った十字軍は、
二桁の数ほど行われ、組織された十字軍の内、1回しかな
いというテイタラクだった。
 なんと、誠実にエルサレムを目指したのは、第一回の十
字軍だけだった。
 あとは、エルサレムを目指すという名目で、実際、彼ら
が、十字軍が、やる事は、沿道の人々の富の略奪だった。
 十字軍は、強盗団の『烏合の衆(うごうのしゅう)』だ
った。
 信仰心より、物取り(ものとり)が・・目的だった。
 そもそもが、人集めが、信仰心より、財産の無い二・三
男の不満対策にあった。
 そのため、当然の、成り行きだった。
 キリスト教は、この様な、体たらくな十字軍を「美しく
プロパガンダ(嘘宣伝)」した。
 聖なる軍なのだと・・、
 そんなことは、程遠い状況だった。
 最近、ローマ法王は、この十字軍の悪行について『謝罪
のミサ』をした。
 エルサレムの巡礼が難しくなったために・・、
 イエスの弟・ヤコブの骨だとして発見された骨を・・、
 スペインへ運び、墓を作り・・、
 その墓の上に、聖堂を、いつもの如く・・キリスト教は
建てた。
 これが、スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステラ」
である。
 そして、ローマ法王が・・、
 ここへの巡礼は、エルサレムの巡礼をしたのと同じ「あ
りがたさ」が、「御利益」があるとした。
 御利益宗教=キリスト教の面目躍如である。
 この後、スべインの地への巡礼が行われる様になった。
 教会も、あちこちに建てられた。
 エルサレム巡礼の代わりとしてスタートし、ローマ法王
がエルサレムと同じ「ありがたさ・御利益がある」との御
託宣(ごたくせん)が・・功を奏(そう)した。
 イエスの弟・ヤコブが、イエスと同等の「ありがたさ・
御利益がある」という話となった。イエスと同じにしてい
いのか??
 また、キリスト教に偏するNHKが、仏教の墓を憎み、
キリスト教徒の日野原重明氏が提唱している森林葬を、キ
リスト教に偏するNHKは支援した。
 その支援する意味から、仏教の墓を攻撃した。
 そしてまた、蔑視放送を盛んにした。
 また、「千の風になって」の歌を盛んに放送した。
 「お墓の前で泣かないでください、私はいません」と、
 NHKは、あらゆる方法で、仏教攻撃を、盛んにした。
 プロパガンダした。
 しかし、このスペインの、ヤコブだという骨を見つけて、
埋葬して、墓を作ったこの話には、NHKは何ら同様な放
送はしていない。
 「ヤコブは居ません」・・と、
 NHKに、放送しなさいと言いたい。キリスト教に偏す
るNHKよ! この事を放送せよ!・・と。
 そして、このヤコブの『骨をありがたがる』、この様な
キリスト教会は、ヨーロッパのあちこちにある。
 『マリアの乳だ』というのまである。イエスが飲んだ乳
である。「聖遺物」だと称している。
 キリスト教に、馬鹿さ加減もいい加減にしてくれと言い
たい。
 それこそ、この様な事を、NHKは放送せよ、マリアの
乳を・・。
 この様に、キリスト教に偏し、巧妙なる伝道放送行為を
しているNHKよ! 大いに反省せよ! 
 NHKのこの様な事例は実に多い。
 そしてまた、キリスト教は、次世代に伝えてはいけない
宗教です。また、信仰する方々は早く離れて下さい。
..
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2014年6月30日月曜日

その民も、多くの果(み)を結び・・そして、その再生も無限に続いて行く

 題:その民も、多くの果(み)を結び・・そして、その再生も無限に続いて行く
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教 ヨハネ伝に・・、
 「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯(ただ)一つにて
在るらん、もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし」・・
とある。
 ・・・が、・・しかし、
 これを読んで思うことは・・、
 「キリスト教が、パレスチナの地に、イスラエルの地に
落ちて、西欧の地に伝え広まらずにおれば・・
 唯(ただ)一つの地の民も、殺されずに・・、滅するこ
ともなく、幸せな時を持てたのに・・と、思う。
 数々の無念の死もなかったのに・・と・・、
 しかし、広まりて・・、亡くなりし民、極めて多く、
 泣く母、また、極めて多し・・、
 そして、キリスト教、その母の命をも、また奪いし」。
 「誓うべし・・、亡き多くの民に誓うべし・・、
 その誓うべきこととは・・、
 キリスト教を次の世代に、伝え行くことを『断つること』
・・を、誓うべし・・、
 そして、亡くなりし多くの民のことを思い・・祈れ、そ
して、涙せよ」
 「そして、また思う・・、
 その民の一人でもが・・、
 その無念の死に・・キリスト教によって至らされたその
死に、その民の一人でもが・・、
 その民の一粒でも、無念の死から逃れ、死なずば・・、
 唯(ただ)一つにて在らん・・、
 もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし」・・と。
 そして、この様な再生が・・ある様に・・、
 キリスト教も言いし『この様な再生』がある様に・・、
 もの事は、すべて次なるものへ、再生され行くもの、こ
れが理(ことわり)なり。
 『初め』と思いしことも・・、
 『始め』と思われし時も・・、その理(ことわり)から
再生され、そして、出(いだ)されしもの・・、
 故に、再生されしものの『前が在りし』が理(ことわり)。
 その『始まり』は・・極めて遠くの以前に辿(たど)り
行きて・・、
 そして、無始となり・・、
 また、尊(とうと)い再生も・・、
 『終わり無く続きて』・・
 無終となれり・・、
 無始無終となれり・・。
 これが、真。
 佛教の理(ことわり)なり。
..
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同じ民族と・・同じ信仰をする者だけの・話

 題:同じ民族と・・同じ信仰をする者だけの・話
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、愛の宗教ではありません。
 愛についてなど、ほとんど言っていません。
 そのほとんどが、選民だとして自画自賛した民族が、生
き残ることと、戦争のことです。
 キリスト教は愛の宗教と言いますが・・嘘です。
 愛の宗教へ「逃げ込まざるを得ない状況」だから、その
様に、必死になって言っているだけです。
 キリスト教がよく言う嘘となっています、プロパガンダ
(嘘宣伝)です。
 キリスト教の聖書に、僅(わず)かに、愛を言っている
ところがあります。
 キリスト教の聖書に、「愛する者たちよ、愛し合おうで
はないか」と、愛し合おうと呼びかけています。
 キリスト教は、声を大きくして、「キリスト教は、愛の
宗教だ」と言いますが、キリスト教学者でさえ・・、
 「そうではない」ということを、示しています。
 キリスト教学者は、キリスト教の根幹の教義を説いてい
ますが、愛など、ほとんどないことを示しています。
 キリスト教学者は、キリスト教の教義の根幹・考え方を
説明する中で、愛の話から遠く離れた「キリスト教神学A」
とか、「キリスト教神学B」だとかと説いています。
 キリスト教が、その愛の宗教だなんてことを、まったく
説明していません。
 そして、そして、最後の方になってやっと・・、「僅(
わず)かだ」という表現を使って説明しています。
 『キリスト教には分量は多くなく(僅か)」・・として、
キリスト教の愛の話の僅かなことを示し、キリスト教の愛
の説明をする。義理を果(は)たすかのように・・。
 キリスト教は、今、「キリスト教は、愛の宗教だ」「愛
の宗教だ」と言いますが、これは、一般の方々を完全に惑
(まど)わす言葉となっています。
 誠実なキリスト教ではありません。
 人々に誤認混同(ごにんこんどう)を起こさせています。
 このキリスト教学者が、キリスト教の愛の宗教の事例だ
と例示した僅かな事例なのが、それが・・、冒頭の「愛す
る者たちよ、愛し合おうではないか」の言葉です。
 キリスト教が、あれほど『愛の宗教だ』と言うのなら、
キリスト教の聖書の「あちこち」に、愛のことについて書
かれているのかと思われるでしょうが・・、まったく違い
ます。
 キリスト教の聖書に書かれていることは、先にも言いま
した「民族生き残りと戦争のこと」です。
 キリスト教が、民族の生き残りを祈る宗教ですから当然
なことです。
 愛の宗教は、それこそ「キリスト教という宗教が、宗教
として、生き残りをかけて、前面に持ち出した」だけのこ
とです。
 キリスト教の、そのわずかな愛の話も、「愛する者たち
よ、愛し合おうではないか」の言葉の様に、キリスト教の
神が愛し合おうと呼び掛けただけに過ぎません。何ら深い
話でも何でもありません。
 キリスト教の有名な「隣人愛」の話も、「同じ民族」で、
しかも、「同じ宗教を信じている人」への愛です。
 その狭い・偏狭(へんきょう)な愛なのです。
 キリスト教は、都合が悪いので、このところは、ひた隠(
かく)しにしています。近頃は、その言葉「隣人愛」は、
あまり言いません。
 キリスト教は愛の宗教ではありません。
 キリスト教は、プロパガンダ(嘘宣伝)で、愛の宗教の
様に思わせているだけです。
 キリスト教の基本的スタンスは、「愛し合おうと呼びか
けても、愛さない者は神を知らない者だ」とするスタンス
です。聖書に記されています。
 これは、神の救いがおよぶ人は、キリスト教の神を信じ
る者だけだと同じスタンスです。
 結局、キリスト教の神は、キリスト教の神を信じない者
を「異教徒」として、キリスト教の教義の「異教徒は殺せ」
と殺されるスタンスの中に存在する・・と同じ様に、そし
て、異端として、異端者として存在すると同じ様に・・、
 愛についても同じことになります。キリスト教の神を知
らない者となります。
 キリスト教は、キリスト教に博愛がある様に言いますが、
とんでもないのレベル。
 キリスト教には、博愛の精神はまったくありません。
 そしてまた、キリスト教の基本的スタンスは、「人には、
生まれながらの原罪がある」と、人を性悪に捉(とら)え、
信じない異教徒は殺せと、『愛も同じく』、愛さない者は
神を知らない者として排除をする。
 こんなのは愛でも何でもありません。
 勝手に、まったく勝手に、神の愛によって、ひとり子を
この世につかわしたと・・愛がある様に『作り話』を、言
うが、信がなければ排除する様に、愛さないものも排除す
るに帰結(きけつ)します。
 キリスト教には、否定者を受け入れる大きな度量(どり
ょう)はありません。
 大きな度量を持たない宗教、まったくない宗教。逆に、
排除・殺す宗教。
 異端者として排除し、異教徒として排除し、愛さない者
として排除する。愛とはほど遠い宗教というのが真実。
 付け焼刃で作られた「キリスト教の愛の神学」は、底の
浅い付け焼刃です。
 「愛し合うなら、キリスト教の神は私たちの中にどとま
る」。すべて、この考えにとどまり、これ以上になれない
キリスト教の教義の愛。
 博愛のかけらもない。
 愛さない者は、見捨てられ、切り捨てられる。挙句(あ
げく)の果ては殺される。
 同民族的の中の愛の話。
 そして、愛さない者は、永遠の生命は持てないと、罰の
話を持ち出し、脅(おど)し、精神的な、卑劣なストレス
を与える宗教次元。低次元のキリスト教。
 この様な宗教は、次世代に引き継いではならない。また、
キリスト教徒のあなた方も・・幸せにはなれません。
..
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2014年6月27日金曜日

そのスペインの地を通して、ヨーロッパの地へと流れて行った。

 題:そのスペインの地を通して、ヨーロッパの地へと流れて行った。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 南米などに居られたインディオスの方々・・、
 そのインディオスの方々は・・スペイン人のキリスト教
徒とキリスト教聖職者たちに・・殺された。
 その殺されたインディオスの方々の『金(きん)』は・
・何処へ行ったのか・・??
 今、何処にあるのか?
 当然の如く、その奪われた金は、その卑劣な殺戮者たち
の本国・・スペインへ運ばれた。
 奪い取った者とスペイン王との『山分け』という事だっ
たが、奪い取った者たちは『誤魔化していた』。
 歴史家は、その悪事を、白日のもとにした、その悪行為
が明らかとなっている。私腹を肥やしていたという。
 何処までも悪いことをする奴らだ。
 キリスト教徒とキリスト教聖職者たちは、50年間も・・
インディオスの方々を殺戮して廻わり・・、そして奪い取
り、得た・・金(きん)を・・、
 キリスト教聖職者のラス・カサスは・・、
 『このままでは天に召されない』と・・、
 50年間、さんざん殺しまくった後に、罪の意識に苛(さ
いな)まれ、本国のスペイン王とその臣下及び関係者たち
に報告した。
 聞いた王様たちも、あまりの惨(むご)さに、そのすべ
てを聞けなかった。
 そして、簡潔でよいから報告書にまとめよ・・と言った、
 そう言って出来た報告書が・・今、岩波文庫の本『イン
ディアスの破壊についての簡潔な報告』・・となっている。
 最近、『世界大百科事典』などに、嘘の記述があるので
注意を要する。
 『世界大百科事典』も、そのあまりのひどさに・・、
 真実が書けなかったという事なのか???
 たが、嘘の記述が多いという事は、誉められたことでは
ない。
 殺された方たちの、『無念の心・気持ち』までもを、握
りつぶそうという事なのか? 卑劣の極みである。
 例えば、卑劣な行為をしたキリスト教聖職者のラス・カ
サスについて・・、
 『ラス・カサスが、インディオスの自由と生存を護るた
めに精力的に活動した』と記されている・・が、酷(ひど)
い嘘だ。まったくの嘘の記述だ。
 ラス・カサスが、『キリスト教徒』と呼んだスペイン兵
と・・、
 ラス・カサスたちのキリスト教聖職者たちが・・、
 一緒になって、殺されたインディオスの家へ行って、出
向いて、『金を奪っている』ことも、この報告書に、はっ
きり記されているのだ・・。
 また、目の前で、インディオスが殺されているのを、助
けようともしなかったキリスト教聖職者ラス・カサス司祭
なのだ。責任は免れ得ない。綺麗に書くどころではない。
 この殺戮を始める前に、ラス・カサスは、本国のキリス
ト教に問い合わせをしている。
 その時、本国のキリスト教からの返事には・・、
 インディオスの方々を、「人ではない」という、返事を
返信し、ラス・カサスは、その様な見解を貰っている。
 この様なキリスト教からの見解・返事も影響し、殺戮行
為が、あまりにも惨い、殺戮行為となったと言える。
 遊びの様にインディオスの方々を殺している。
 赤ん坊を・・岩に叩きつけたり・・、
 インディオスの方々を・・並ばせて、立たせて・・、
 槍で、何人を突きとおして殺せるか? などということ
を、ラス・カサスの目の前でやっている。まだまだ惨い事
がこの記録には数々が書かれている。
 キリスト教聖職者ラス・カサスは、何も言わずに見てい
た。もしかすると、一緒になって、何かをしていたかもし
れない・・。
 キリスト教には、古代にも、アフリカの方々を、「人間
ではない」と言っている記録がある(この時はエチオピア
の方々)。
 キリスト教聖職者ラス・カサスは、褒美(ほうび)とし
て、インディオスの人々を奴隷として貰っている(「エン
コミエンダ」と言われている)。
 この悪漢・キリスト教聖職者ラス・カサスは、ありがた
く貰っている。
 これがキリスト教聖職者かと、憤りが心底から沸く。
 ラス・カサス自身も言っている・・、
 「キリスト教の布教の活動をするより、世の中の、世俗
の利益に目がくらんで、その利益の追求に心を奪われ、専
念した」・・と。馬鹿めと言いたい、また、『世界大百科
事典』は、どこを見ているのだ・・。
 とんでもない野郎たちだ、そして、キリスト教聖職者だ。
 この様にして奪い取ってきた金は・・、
 当然、受け取ったスペイン王からスペインの地へ、
 そして、そのスペインの地を通って、ヨーロッパの地へ
と流れて行った。
 そして、そのインディオスの呪いの込められた金は、殺
されたり、そして、騙(だま)されたりして、取られた金
などは・・、
 キリスト教の大聖堂や、王の宮殿を飾る、装飾に使われ
た。
 キリスト教に偏するNHKは、それを『綺麗だ、綺麗だ』
と、NHKの放送媒体を使ってよく放送する。
 キリスト教国に偏するNHKだ。
 表面的には、綺麗に見えるキリスト教大聖堂も、無念に
殺された『インディオスの方々の金』なのである。
 その無念の死を、そのきれいな大聖堂の向こう側には、
その卑劣な事実が存在するのだ。
 NHKよ! その事実を、インディオスの方々の無念の死
を、知れ、思やりなさい、思い出しなさい、そして、祈っ
て差し上げなさい。
.
(資料1)エンコミエンダの成立:エンコミエンダは、ス
   ペイン王室が、スペイン人入植者に、その功績に対
   する王室からの下賜として、一定地域の先住民を「
   委託する(エンコメンダール)」という制度であり、
   エンコミエンダの信託を受けた個人をエンコメンデ
   ロと呼んだ。征服者や入植者にその功績や身分に応
   じて一定数のインディオを割り当て、一定期間その
   労働力を利用し、貢納物を受け取る権利を与えた。
..
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2014年6月26日木曜日

キリスト教の心底に流れているものは・と、神の失敗・・、

 題:キリスト教の心底に流れているものは・と、神の失敗・・、
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 五木寛之氏が、本「神の発見(キリスト教司祭との対談)
」の5頁で・・、
 「(市場原理の自由競争に)その経済のシステムを土台
で支えるのは、『見えざる神の御手』に対する深い信頼が(
西洋・欧米文明に)ある」と言う。
 そして、氏は、その結果を記してないが・・、
 その結果は、市場は、『散々(さんざん)』だった。
 『神がコントロールする』とされたが、コントロールさ
れるどころか、ある時から『暴走し始めた』。
 キリスト教の神は『居ない』のである。
 キリスト教の神の『嘘の証明』の1つの事例となった。
 その嘘の露呈で・・株価は大暴落した。
 この様に、コントロールされずに、乱れに乱れ、世界の
経済は大きなダメージを受け、経済的打撃を世界は大きく
受けた。
 先端知識のある人たちには、この様な事は、既に、分か
っていたこと、この様な混乱が起きることは、既に、当然
に、起きることとして、予測されていた。
 神の見えざる手があるというのは『幻想だ』・・と。
 キリスト教、及び、キリスト教関係者は、この様な嘘の
マジックを、世にばらまくから困ったものだ。
 また、この本の5頁で、「民主主義の土台である人権は、
天賦(てんぶ)の人権と呼ばれる・・と。
 天とは何か。それは神が与え給うた権利であり、デモク
ラシーが神の意識なしに成立しない」・・と言うが、
 「民主主義はキリスト教では成立しない」。このことに
関し、本ブログに記しているので参照されたい。
 そして、司祭の森氏も言う(23頁)「キリスト教会は、
誕生当時から、男尊女卑、男性優位でした。指導者のパウ
ロは、いま読むと女性が怒りだしかねない、すごい書簡を
書いています」・・と。
 嘘情報で飾られて来たキリスト教の『内実を正直に言って
くれた1事例』となった。
.
 (参考)てん‐ぷ【天賦】 天から賦与されたもの。生まれ
   つきの資質。「―の才能」「運否(うんぷ)―」
.
 そして、次の話。 
 キリスト教に、「主の嘆きの教会」というキリスト教会
がある。
 それは、ユダヤ教のファリサイ派が、イエス生存の当時、
エルサレムで予言者の多くを殺していた・・、
 その事について、イエスの言葉だとされる言葉がある。
 (現在の研究では、そのほとんどがイエスの言葉ではな
いとされているそのイエスの言葉だが・・)。
 ユダヤ教を信仰していたイエスは、これを嘆いて・・、
 『エルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、自分に
遣(つ)わされた人々を石で打ち殺す者よ』(「マタイに
よる福音書」23・37~39)。
 キリスト教は、この言葉を、キリスト教の聖書におさめ、
自分たちの殉教の様に言うが・・、
 これはキリスト教の殉教の話ではない。
 ユダヤ教の事。被害者もユダヤ教徒であり、加害者もユ
ダヤ教徒である。
 キリスト教は、逆に、殺人者となっている、殺人宗教と
なっている。
 本当に、キリスト教は、人を殺して来た、インディオの
方たち、アボリジニの方たち、アフリカの方たちと、枚挙
にいとまがない、『卑劣な宗教』に堕落している。
 自分たちの殉教は僅(わず)か、それを過大にでっち上
げ、殉教宗教の様に見せているが、嘘のプロパガンダ(嘘
宣伝)をしているが、その不誠実さは、無反省さは・・
 唾棄したい。次世代に伝えてはいけない宗教である。
.
 そして、次の話。 
 キリスト教の心底に流れているものは・・、
 「選民という」感覚。
 我々は、神より選ばれし民だ・・と、
 そして、「異教徒は殺せ」の教義がある如く・・、
 選民たる我々以外は・・「駆逐(くちく)する」・・
 「排除して良い」・・と言う。その様な排他の精神。
 そこに、キリスト教の『神の義がある』のだ・・と言
う。
 その神の正義の存在を「祀(まつ)り上げ」までする。
 いやいや・・その様なことはない・・と、キリスト教は、
プロパガンダ(嘘宣伝)し・・、その心底を覆い隠してい
るが、そのDNAまで変えられずに、世に悪さをしている。
 キリスト教の周りに戦争が多いのが、その1例。
 最近においても、「現代の十字軍だ」と言って、イラク
に攻め入った大統領が、キリスト教徒で、キリスト教に支
持母体を持って立った大統領だった。
..
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2014年6月25日水曜日

なる訳は・・なかった・・、

 題:なる訳は・・なかった・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の生まれた地、カナンの地、イスラエルの地、
パレスチナの地・・、そのカナンの地は・・、
 その地は、僅(わず)かに存在する砂漠地帯の沃野(よ
くや)であった。
 「甘い蜜が流れる」と表現されている地で、その沃野に
・・、あまりにも多くの民族が、関(かか)わっていた。
 民族の生存のためである。
 生き残りのためである。
 また、砂漠地帯であるため、降雨量も少なく、砂漠の地
であるが故の、農耕にはほど遠い地・・、
 「農耕はできず」であった・・、
 わずかに生える草、その草を追い求めて・・
 僅かな草を食(は)む羊などの家畜を追う産業しか・・
営(いとな)まれないという土地だった。
 すべての貧しさは・・貧困は・・この環境から始まった。
 この環境が『すべてを』性格づけた。
 生産量は、降雨量に比例していた。
 僅かな降雨量、僅かな生産量に、人々は飢えた・・、
 その飢えは、人々の心まで・・食(は)んだ・・
 人々は、その地の『天の僅(わず)かな恵み』を求め・・
さ迷い、彷徨(ほうこう)した。
 多民族の上に、その多い民族が・・彷徨し・・天の恵み
を追い求め、歩かねばならない産業に・・拘束されていた。
 民族の軋轢(あつれき)は、当然、生まれ、
 抗争も頻発した。
 そして、その抗争は・・拡大し、しばしば戦い戦争が・・
多発した。
 キリスト教は、この様な状況・環境から、強く
 『性格付けされ』・・た、
 その戦いの、『戦勝を祈る神』の居る「民族の宗教」と
して生まれた。
 しかし、実際、戦いに勝つことは少なかった。
 この様な中で出来た、キリスト教の教義・掟などが・・
 普遍性のある・・世界的なものに・・、
 『なる訳は』・・『なかった』・・。
 その宗教が、世界に伝搬して行ったところに・・、
 『世界の民・人類』の・・
 『悲劇』が・・あった。
 この様な性格付けがなされたキリスト教は・・、
 パレスチナの地と同様なことが・・、
 その性格から・・必然的に起きた・・
 数々の悲劇に・・多くの人々が・・『泣いた』。
 パレスチナの地では・・、
 その多くの戦いは、負けた人々を皆殺しにしていたが・・、
 この性格も・・キリスト教は・・、
 『卑劣にも引き継ぎ』・・、
 規模が拡大した悲劇が・・世界的規模に広がった・・そ
のキリスト教が・・
 世界の各地で・・現地の人々を、泣かせ・・皆殺しにし
た・・、
 現地人の方々を・・『人と見ないキリスト教の教義』か
ら来る見方で・・あたかも動物を扱(あつか)う様に・・
 人々は・・皆殺しにされた。
.
 そして、次の話。
 『悲惨な数字』を・・本を読んで知った・・、
 2008年4月に、ランドコーポレーション(ランド研究所、
アメリカ合衆国のシンクタンク)が発表した調査結果によ
ると・・、
 イラクとアフガニスタンから生還したアメリカ軍兵士の
 『2割近く』が、
 PTSD(心的外傷後ストレス障害)か、
 重い『うつ病』に苦しんでいるという・・、
 帰国後に十分なケアが受けられず、戦争後遺症の苦しみ
と、生活苦から自殺する兵士の数は・・、
 『1日平均18人』になるという。
 一方、イラクの方々の死者数は、『100万人を越え』・
・、国外へ逃れた難民の方々の数は、『500万人以上』と
いう。
 そして、『イラク帰還兵反戦の会』は・・、
 イラクの石油資源搾取(さくしゅ)の放棄、
 軍事基地の閉鎖、
 及び、
 全占領軍の即時無条件撤退を要求した。
 だが、この声は・・、
 アメリカの大手メディアは・・取り上げなかった。
 無視した・・、
 それは・・、
 アメリカ政府が、大手メディアを使って、国民向けに、
『戦争プロパガンダ』を流し続け・・、
 情報操作していたからであった。
 『イラク帰還兵反戦の会』は、それと闘うため、ネット
やライブで・・情報を流し続けた。
 少しづつだが、理解者が増え始めたという。
 入会希望者も殺到したという。
 アメリカには、「愛国者法」という法律があり・・、
 戦争に反対する人を・・テロ容疑の名目で・・、
 いくらでも、逮捕が出来るようになっているという。
 反戦運動をしている人に、「身の危険は無いですか?」
と聞くと、「無いと言えば嘘になる」・・と、返事が返っ
てきた。そして、
 「しかし、心に決めたのです・・、
 人生を・・、多くの若者たちの未来を救おう・・と、
 政府や軍に動かされる人生では・・無い・・と、
 自分の人生、自分で選ぶ・・と、
 自分の人生、自分で自分を誇れる事をしたいのです」・
・と。
 アメリカの声に、
 「アメリカは、キング牧師の日に、国中でパレードをす
るが、一方、
 兵隊を確保するために、アメリカの貧困地帯に・・生活
苦から軍へ入隊する人たちをターゲットに・・、
 軍が・・戦車とリクルーター(勧誘員)を送り込んでい
ることを続けている」・・と・・。
..
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2014年6月24日火曜日

同民族を・・強く意識する宗教・・、

 題:同民族を・・強く意識する宗教・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は、『同民族を強く意識』する『民族宗教』
の態を持っている。民族宗教です。
 そしてまた、キリスト教は、諭(さと)し、教える宗教
ではない。「駄目なら殺す」の宗教である。
 「ソドム」と「ゴモラ」もこれ、
 堕落したから殺すしかないと滅ぼされてしまった。
 本国のキリスト教から、人ではないと言われ殺され、全
滅の憂き目に合うインディオスの方々は、筆舌につくせぬ
多くの人々が殺された。
 キリスト教は、この様な宗教。「愛はごまかしである」。
 キリスト教聖書の(「創世記」19)をご覧いただきたい。
 これにも酷(ひど)い話が記されている。
 キリスト教の神は、神に「救ってください」と祈ったも
のだけを助けている。
 祈らない者は、「異教徒は殺せ」と同じ、殺して良いの
だのキリスト教の論理・教理である。この様な考え方であ
るため、それ以外の人は殺す。
 惨(むご)い話、惨いことに、広島・長崎の人々を殺し
たのは、早く戦争が終わってアメリカ兵士が救われたの論
理である。何ら戦争に関係のない方々の命を奪い取り、
戦争に従事している人の命と引き換えにする。卑劣なキリ
スト教の論理である。
 キリスト教の聖書には、この様な話がいっぱいある。読
んで何らためにならない。人殺し論理が、曲がった論理が
いっぱい書いてある。
 その1例。キリスト教の神は、その祈った者を救うために、
町の人々の上に火を降らした。しかし・・、
 事もあろうに、キリスト教の神は「ソドムとゴモラ」を
殺そうと、祈った者たちも殺した。
 「ソドムとゴモラ」も死んだが、何ら関係のない町の人
々もお構いなしに、キリスト教の神は極悪行為をした。
 キリスト教の神へ祈る行為をしてない町の人々もいただ
ろうが、その町の人々の命を無視した。
 虫けらの如(ごと)くに考えた。
 命を大切にしないキリスト教、虫けらの様に殺される人
々がキリスト教聖書のあちこちに記されている。
 子供たちが、この様な話に洗脳されることを恐れる、心
が痛む。
 「広島の原爆」「長崎の原爆」、これによって戦争が早
く終わって「アメリカ兵士」が死なずに済んだと、キリス
ト教の神に祈る人の少ない人々という観念で広島・長崎を
見ていた。今・現代でも、この見方だ。
 キリスト教以外は悪だと・・。
 そう言う、キリスト教こそ悪だと言いたい。
 今・現代、日本の企業はこの呪いの言葉におびえている。
 今・現代でも、この筋の通らない論理を言っている。
 広島・長崎の人々は、キリスト教の神には、配慮外の人
々、目の中に入らない『他の民族の人々』だった。
 創世記に記されているキリスト教の神も、卑劣にも、草
木もろとも、人々を滅ぼしてしまった。
 あちこちに惨(むご)い記述の聖書、そのキリスト教の
論理に洗脳されて、戦争が無くなる訳がない。
 次世代に残してはいけない宗教、人類は救えません、
 あなた方も幸せにはなれません。
.
 そして、次の話。
 熱心なキリスト教信者の作家・加賀乙彦氏は・・、イエ
スについて言う、
 「俗世の中に出て行き、無一物となって他人のためにお
のれをむなしくして尽くした」・・と、美しく言う。
 作家らしく美しい文となっている。
 しかし、イエスは無一物ではない。
 イエスの生まれ故郷の人が『うらやむほど』の物持ちで
あった。
 加賀氏は、熱心のあまり「言い過ぎて、結果、嘘となる
事をよく言う人」だが・・、
 イエスは、金銭的に恵まれた富裕者だった。
 日本の行脚(あんぎゃ)の仏教の聖人の様な、『本当の
無一物』で行脚した日本の聖人、宗教人とは全く違う。
 エルサレムの人々からも、「大酒飲み」とか、「大飯食
らい(おおめしくらい)」とかと、蔑(さげす)み言われ
ていた人だった。無一物の姿はまったくない。
 加賀氏も、この事を知っていて、よく言うものだと思う。
 イエスは、エルサレムの人々が羨(うらや)むほどの恵
まれた生活をしていた。
 また、イエスの幼少の頃からを知る故郷・ガリラヤの人
たちは・・イエスの事を・・、
 「予言者とは、うまい事をやってるな」と言っている。
 当時、エルサレムには、収入が多く得られる職業だった
予言者が多く居た。イエスもその一人だった。
 イエスの収入は恵まれ、優雅な生活だった。弟子たちと
の最後の晩餐風な会食はよくやっていたのだろう。外食を
喜ぶ子供ではないが・・、
 また、街の富裕層の人、裕福な生活をしている取税人の
家に上がり込んで飲み食いし、エルサレムの人からの上記
の様な罵声(ばせい)となっていた。
 キリスト教研究者によれば、イエスはやせ細った姿に、
今・現代、印象付けられているが、実際は太っていただろ
うという。
 イエスは、宗教家としての行いもしない、托鉢もしない
人だった。
 逆にいえば、宗教家の行もしない、恵まれた状況に居た
人と言える。
 しかし、キリスト教は、この一切を隠し、嘘の美化まで
して、イエスを偶像化している。
 キリスト教が忌み嫌う「偶像化」をしている。
 キリスト教は偶像崇拝宗教と言える。
..
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嘘を言っても・・変えたい宗教・・、

 題:嘘を言っても・・変えたい宗教・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の熱烈な信者である、作家の加賀乙彦氏・・、
 氏は、キリスト教を「砂漠の地で生まれた宗教」と言わ
れる事を嫌っている。
 それで、砂漠の地の宗教ではない、そうではないと言っ
ている・・が、嘘である。
 加賀氏が、砂漠の地の宗教と言われることを嫌う理由は、
 「砂漠の地の宗教が、『民族の生存』を祈った宗教」で、
その為の「民族生存のための殺戮が多い」という理由から
であった。
 しかし、古代の砂漠の地は、飢餓から逃れ得ない地であ
り、飢餓が、たびたび襲(おそ)った。
 当然、民族の生存を賭(か)けた、し烈な戦いが、果て
しなく繰り広げられる地という状態であった。
 また、少ない面積となっている『豊かな沃野』が、奪い
取りの『争いの地』となった。
 甘い蜜の流れる、花咲く沃野。カナンの地もその1つで
ある。
 キリスト教は、この沃野・カナンの地の『奪い取りの歴
史の物語』の宗教とも言える。
 その豊かな地の『奪い合いの戦い』が頻繁(ひんぱん)
に起きていた。
 また、隣国の、『異邦人の富への奪い取りの戦い』も頻
繁に起きていた。
 この地に生まれたキリスト教は・・必然・・、
 その地の民族の『生存をかけた戦い』の『戦勝を祈る宗
教』となった。民族宗教。
 加賀氏は、明らかにある、存在する、キリスト教の『こ
の様なDNA』を・・指摘されるのを・・嫌った。
 キリスト教の根拠地は、砂漠の地・エルサレムというの
は動かし難い事実なのだ。イエスの沃野の論理は排除され
ているのだ・・。
 加賀氏が、何と言おうがが、これは変わる事はない、変
わる事が出来ない。
 加賀氏は言う、「イエスもフランシスコも緑豊かな自然
の中にいた」・・と、加賀氏はそう言いたいのだろう。緑
豊かな地に生まれた宗教・・と、キリスト教がそうだと言
いたいのだろう。
 確かに、緑豊かなガリラヤの地に、イエスは生まれ育っ
た。
 しかし、キリスト教を、事実上、作った人=パウロは、
 その沃野に生まれ育った地のイエスを棄てた。
 パウロは、「イエスの刑死の血」と、「イエスの復活」
だけを使った。そして、エルサレムの宗教がキリスト教と
なった。ガリラヤの沃野の宗教ではない。仏教の様な沃野
の宗教と違う。
 加賀氏が言うところの、「緑豊かな自然の地・ガリラヤ
に生まれ育ったイエス」の、その「イエスの言葉」や、「
イエスの行動」を、パウロは棄てた。
 パウロは、事もあろうに、イエスを食い荒らした。
 今・現代のキリスト教は、このキリスト教である、パウ
ロ・キリスト教なのである。
 加賀氏の言葉は、「詳しく知らない人々」を繰(く)る、
マインド・コントロールるする。
 特に、キリスト教が、異邦人の地に入って行く時・・、
 異邦人の国・ヨーロッパには、「イエスが死んで復活し
たという出来事の使信(パウロの手紙など、使徒の言葉な
ど)を中心とする教義に変容され、これはイエスが、キリ
ストとして、この世に支配する死・罪・悪霊諸力に勝利し
た出来事と解された」。
 そして、イエス・キリストという名前を持ってすぐれた
意味の救済者であるとなった。
 パウロのキリスト教となった。
 キリスト教には、この加賀氏の様な、キリスト教の本当
の事を知りながら、「嘘を言って、不都合なところを繕(
つくろ)う輩が多いから、注意を要する。
 この加賀氏の他にも、関東学院大学の富岡幸一郎教授が、
これと同じ嘘を言っている。
.
 そして、次の話。
 キリスト教には「目には目を」という教義がある。
 「同罪報復」という教義である。
 例えば、目を潰(つぶ)されたら、潰した相手の目を潰
すという・・同罪を、相手に与えて、報復してよい・・と
いう教義である。
 イエスが、十字架刑となって死ぬが、その後、ユダヤ民
族は、キリスト教から、イエスを殺したと、「主殺し」だ
と、長い歴史、あらゆる場所で、殺戮され続けている。
 キリスト教の「目には目を」の、同罪報復の教義だとは
言え、その殺されたユダヤ民族の方々の数は、非常に多い
卑劣さとなっている。
 イエスの死と同罪と言うことなのだが・・、
 同罪どころか・・その熾烈さは・・キリスト教に弁解の
余地はない。
 卑劣な教義を持つキリスト教の・・その執念深さは・・
低劣の極みだ。
 また、その陰湿ぶりは・・筆舌に尽(つ)くせない。
 2000年間、キリスト教は、ユダヤ民族の方々を殺戮し続
けている。
 この他の、この様な事例も、キリスト教は多い。
 次世代に残してはいけない宗教、継いではいけない宗教。
 また、皆様も幸せにはなれません。
..
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2014年6月20日金曜日

「予言」:「心理療法」:「遊行」・・、

 題:「予言」:「心理療法」:「遊行」・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教のイエスの弟子たち・・、
 大(おお)らかな人たちだったとも言えるが・・、
 悪いけれど、程度は良くない・・悪かったようだ・・、
 この人たちが演ずる・・キリスト教の聖書・・、
 いくら綺麗(きれい)に話そうとしても、そこには限界
でる・・そこで、嘘や、オーバーな表現が入る事になる。
 キリスト教に嘘が多いのは、このところに、原因の1つが
ある。
 ひたすら、オーバーな美化や表現になるのも、ここに原
因がある。キリスト教の嘘やオーバーな美化表現の原因と
なっている。
 釈迦の弟子たちより・・『はっきり劣る』、
 理知的だった釈迦の弟子たち、『自ずと』そのやり取り
には深みが出て来る。
 キリスト教の様に無理に作り上げなくても、そのやり取
りに、自然と深さが醸(かも)し出されてくる。
 後世の頭の良い人たちが、ああだこうだと、美しくしよ
うとしないでも済む。嘘をつかなくても済む。
 この差が、これがイエスの死後に、また、大きな差とな
って表れる。
 キリスト教が、一生懸命、あの弟子たちは、後(あと)
になって良くなった、良くなった・・と、誉(ほ)めるが
(これは、さすがにキリスト教も、最初はダメだったと認
めているという事になるのだが)が、
 『栴檀は双葉より芳し』
 (せんだんはふたばよりかんばし)ともいうが・・無理
なのだ。
 イエス及びイエスの弟子たちの生まれ育ちは、その様な
ものだった。民の店を壊すのが相応という姿の様だ。
 イエスから、何度も何度も叱られた、馬鹿みたいに何度
も叱られた弟子たち、
 聖書を読んでいても、お前たち馬鹿かとしか言えない気
持ちになる。悪いけれど・・、本当に、何度も叱られ
るという、忘れっぽい御仁(ごじん)の「イエスの弟子た
ち」。所詮、それに関して書く側の品も落ちて来る。もち
ろん、それを読んでいる方たちの品も落ちて来る。その様
な中に・・すべてが存在することに・・、
 チャーチル・英国の元首相の息子が、イエスの弟子たち
の事を教えられた時、「この豚野郎」と怒ったというが、
 イエスが刑場の露と消える直前、イエス捕縛(ほばく)
の人たちが迫(せま)っているという大切な重大な時、
 この時は最低だった・・、
 イエスが祈っているという時に、この様な時に、眠って
いたというイエスの馬鹿弟子たち。
 大らかさもあったのかもしれないが、その馬鹿な程度は、
この様な時になんだと・・二の句が継げない気持ちだ。
 その弟子たちの中でも、少しは頭が良いという、会計を
イエスから頼まれ、やらされていた「ユダ」。
 多分、他の弟子たちは、計算が不得手と言うより、出来
なかったのだろう。数の「たし引き」ができない、そのレ
ベルの御仁だったのだろう。
 その中の男・ユダが、銀30枚でイエスを裏切る。金銭的
にも『心貧しき行為をした人』である。このレベルである。
 少しの金にも目が光った人たちだったのであろう。
 キリスト教は、どこを見ても裏切ったり、殺したり、騙
(だま)したり、本当に程度の低い、精神的に、倫理的に
最低。『最低な書』だと思う。ためになる話は『本当にな
い』。
 『性悪説に染まった思考』で『暗展開思考』をするから、
そこから出て来る思考も良い訳がない。こんなことが分か
らない。
 それにしても、銀30枚ぐらいで、売られるイエスも安く
見積もられたものである。
 何故、銀30枚くらいで裏切るのであろうか?不思議な領
域だ。その領域で悪行為をする人たちの領域の話のレベル
の『キリスト教聖書』。
 裏切った「ユダ」も悪いが、ユダ側だけに責任のすべて
があると断定し、判断していいのか? そうではない。
 そこに、イエス側の責任も皆無とは言い切れない、
 イエスに全くない、皆無とはできないという所が・・厳
然として存在しているということを知らねばならないし、
分からねばならない。
 キリスト教の聖書は、その様には説かない、避けている。
 説けないからだ。そこが、宗教の立場の弱点となってい
る。『その面が学べない』キリスト教徒となっている。
 分かる事が、知る事が出来ない人たちを作っているキリ
スト教となっている。
 偏頗(へんぱ)な人を作っているキリスト教となってい
る。
 しかし、キリスト教はこの点を、いつもの通り、『無視
をしている』、分からない事にしている。
 キリスト教は、この点に気付いているのであろう、さす
がに・・、だが、目をつむって、キリスト教信徒を『マイ
ンド・コントロールしている』。
 繰(く)られた信徒も、純真に・純真にと、事前に十分
に洗脳され、マインド・コントロールされているから、そ
のまま通り過ぎて行くのだろう。こんなもんだと・・。怖
いものだ。
 何しろ、キリスト教は、信徒の方々に『考えるな』『考
えるな』と洗脳している。ただただ導かれるが良い・・『
さまよえる羊たちよ』・・と、
 この様なマインド・コントロールは、本当に『怖いので
ある』。この怖さに・・気付いて居(お)られない。
 キリスト教側は、当然、都合がいいので、その点の是正
をするわけが・・ない。
 よくテレビで、社長が頭を下げている姿が『あれはあれ』
と見ているのであろう。
 ユダの件は『もう少しうまく』聖書に記すべきだった。
 本来は、イエスもユダのことで頭を下げるべくところが
あるのだ。気付かないだろうが・・、
 イエスも責任は逃れ得ないという面に気付くべきなのだ。
 キリスト教は、この不祥事のこの責任を不問にして、綺
麗にしている。当然、信徒のかたたちへは説明しない。
 キリスト教は、自分たちの都合が悪いことは遠慮なく変
える。事実も曲げる。そして、表面をきれいに繕(つくろ)
う、そのやり方を過度(かど)に行って来た。
 プロパガンダ(嘘宣伝)が酷過(ひどす)い。
 社会的公正さも、まったくといってない。
 そして、このところの怖さを認識していない。
 この様な近代的なセンスはない。古い体質の宗教となっ
ている。古い体質のキリスト教のセンスを守っているだけ。
 この様にしてできているイエスの姿は偶像である。
 この偶像を崇拝している宗教と言えるキリスト教。
 キリスト教の聖堂には、武力で他国を攻め滅ぼし・・、
 その地の偶像を奪い、持ち帰り、自国のキリスト教聖堂
の外壁に張って、飾っている姿があるが・・、
 この様な目に見える偶像崇拝の姿以外にも、
 先に記した様な目に見る事が出来ない、作られた偶像も
・・・キリスト教には・・・一杯ある。
 キリスト教は、偶像を崇拝する宗教である。
 その偶像も、その作られ方も含めて質がよくない。
  銀貨30枚で、ユダが、イエスを裏切ったが、また、こ
のイエスだけでなく、仲間たちも裏切った「ユダ」だが、
 この金銭に関わる事、イエスたちの活動資金は・・、
 ある時は働き、ある時は会合で資金を募(つの)り、そ
の生活していた。当然、今・現代の言い方では、定職を持
った人たちではない。
 職業欄には、「遊行」とは書けなかったから、事実上の
状態の「無職」に○を付けるのだろう。
 故郷の、イエスの幼少の頃を、イエスの生い立ちを知っ
ている人たちが、イエスに・・、
 「予言者とはうまい事をやっているな』と言ったが、
 当時、エルサレムにはこの予言者という職業の人たちは
多かった。公的な予言者も居たが、イエスは個人的な、私
的な予言者だった。
 故郷の人たちは、それを「うまいことをしている」と見
ていた。結構収入はあったのだろう、大勢の人もやってい
る様なので。
 また、イエスは、イエスを故郷の人たちから「ぺしゃん
こにされた」ということを吐露(とろ)している。
 神通力が、故郷では効かないとも、イエスは言っている。
 イエスは、何しろ決まった事を職業的にするのではなく、
父・ヨセフの職業・大工をイエスもしていたようだが、そ
のヨセフは、早くに亡くなった様なので、イエスは長男だ
から、また、兄弟姉妹も多いようだったから、イエスは、
父の変わりに「家計を支える」という大切な責任があった
が、その責任は「放棄した状態」となっている。
 予言者として、故郷の人が言う様に「うまく、飯が食え
る立場には居たこと』は、確かだ。
 しっかりしたイエスの収入が、確保されていたのだろう、
その様子が、故郷の人たちが、うらやましがる『言葉ひと
つでも」分かる。
 弟子たちは、イエスを「ユダヤ教の聖職者の『ラビ』の
名で呼んでいる」ので、その遊行の職が根に付いている事
が分かる。遊行的に大工もやり、エルサレムでは、ラビ風
な予言者として収入を得て、金を得ていたと考えられる。
 イエスは、たびたび、エルサレムと故郷・ガリラヤを往
き来している。
 イエスを偶像的にし、想像し、美化して、キリスト教が
忌み嫌らう様な偶像化をしてはいけない。偶像を作っては
いけない。偶像崇拝宗教になってはいけない。それこそ、
他ではなく、キリスト教は自らの真実を見よ。
 また、イエスは、街中では、商売柄、顔見知りも多かっ
たのか、その顔の広さから、ときどき、会堂での人を集め
るイベントも開けたと考えられる。
 そこでは、今現代でも医学的に、診療的に、効果がある
と認められている手を触れるだけで直すという行為をして
いた。
 この現象は、イエスだから出来たという現象ではなく、
 誰にでも起きるものと、現代でも、医学的に証明されて
いる。何ら奇蹟的な現象ではない。キリスト教は奇蹟・奇
跡と言うが・・。
 イエスも霞み(かすみ)を食べて生きていた訳ではない、
 金銭を必要とする生活をしていた訳なので、今で言う治
療費と言う金銭は徴収(ちょうしゅう)していたと考えら
れる。これも、故郷の人たちが「うまいことをしているな」
と羨(うらや)ましがっていた。
 イエスは、宗教家としての托鉢(たくはつ)行為は、し
ていないので、その面から宗教家に属するジャンルの人で
はない。その様な・・人、
 「予言者」兼「心理療法をする人」兼「遊行者」。
.
 (参考)栴檀は双葉より芳し:白檀(びゃくだん)は発芽
   のころから香気を放つ。大成する人は幼少のときか
   らすぐれているというたとえ。
..
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2014年6月19日木曜日

神話とする良さ・史実とする問題の発生点・・実は神話なのに

 題:神話とする良さ・史実とする問題の発生点・・実は神話なのに
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の根幹の「キリスト教の聖書」・・、
 ここに記されている事は、キリスト教は「史実だ」と言
います。ここに問題が発生しています。
 日本神道は神の実在を漂(ただよ)わせながら、それを
記す古代の文書は神話だという態度を明示しています。
 この態度の違いが大きいのです。
 キリスト教は、おとぎ話の様な話の連なりでできていま
す。実は・・。
 「神話」ですよねと言えば、神話ではない、実話ですと
キリスト教は言う。
 そう言いたいのでしょうが、どう見ても神話ですから、
神話として、信徒の方々への「話の基本姿勢とされたら」
と言っても、そうはできないという。
 実話だとして話を進め、説くところに、『キリスト教に
罪がある』ということを、キリスト教は認めません、認識
もしていません。目をつむる・・。
 その罪を、「犯し続けている」というキリスト教です。
 古事記・日本書紀は神話とされ、それに連なる宗教も、
キリスト教の様な『かたくなな嘘』は言っていません。
 ここは大切な立脚点の基本です、根本です。
 だから、キリスト教は、説かれた内容の受け取り方から、
殺戮行為へ繋(つな)がって行く道が濃いのです。
 武力を是認する教義の実力行使事例が多いのです。
 これが、キリスト教の問題の1つです。
 キリスト教関係者が、「パウロはイエスの弟子だ」とい
う嘘を言う。この様な嘘が、また、実に多いキリスト教で
ある。キリスト教は簡単に嘘を言う宗教という態を示して
いる。
 パウロはイエスの弟子ではない。イエスたちを捕まえて
殺していた人である。
 ペトロはイエスの弟子である。
 ペトロは、イエスが生まれ育ったガリラヤの地の、イエ
スと初期からの知り合いである。ペトロはガリラヤ湖で漁
師をしていた。
 だから、狭い村のガリラヤの地の、イエスと同年代の幼
なじみという関係。遊び仲間でもあったと言える。
 イエスは救世主だと言いたい人たちによって、ユダヤ教
正典(キリスト教旧約聖書)にある言い伝えなどを守りた
いと、その様に事は進んだのだと言いたいと、イエスを
「ベツレヘム生まれだ」と言いたがっている・・が。
 救世主はベツレヘム生まれでなければならないという決
めがあるからだ。その様なキリスト教の決め・約束事・律
法にもなっている。キリスト教の立派な『律法』。律法を
棄てたというが、律法を捨てきれないキリスト教。嘘の態。
 ペトロはイエスの弟子だと言われている。一番最初の一
番の親友なんだろう。何でも子供の頃から言い合ってきた
仲間なんだろう。
 だから、キリスト教の聖書にも、ペトロはイエスを馬鹿
にしている言い方をしている。そんな仲なんだろう。イエ
スを批難をしている。
 ペトロは、イエスの死後、エルサレムを中心に宣教した。
 一方、パウロはサウロと称した。パウロ(サウロ)は、
宣教者・ステファノの刑の執行に賛成した。
 パウロ(サウロ)は、離散したユダヤ人で、トルコで生
まれた。
 そして、ローマの市民権を持つテント職人だった。
 ヘブライ語とギリシャ語に堪能で、ユダヤ教正典(キリ
スト教旧約聖書)に精通していた。
 熱烈なユダヤ教徒で、ファリサイ派に所属した。
 キリスト教徒の迫害を率先してやっていた。
 パウロは、イエスの弟子たちを脅迫した。殺そうとした。
 ある時、その事についての「大司祭の許可」を得るため
にダマスコへ向かった。
 その途中、突然、天から彼に光が射し(言い伝え、これ
は眉唾話)、パウロ(サウロ)は地に倒れた。
 声がした、
 「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」と。
 「誰ですか?」
 「わたしは、あなたが迫害しているイエスです」と。
 その時から、パウロ(サウロ)は、3日間、目が見えなか
ったという。
 盲目状態のパウロ(サウロ)が、ダマスコに来れたのも、
その『イエスだという声に導いて貰(もら)った』からと
言うことだった。
 「そこを右」「もう10m行ったら左に」
 「石があるからつまずくなよ」
 「ロバを連れた人が来たよ、ぶつかるなよ」・・などと
の道案内の声が聞こえたということだ。
 「おい、行き過ぎてしまったではないか、少し戻って、
そして、右だ」・・とかとか・・なんて・・。
 イエスも盲目の人への道案内、大変だったと思う。
 そして、行き違った人たちも、誰も、パウロ(サウロ)
を助けなかったのだろうか? 平気かな? 何してんのか
な?・・などと思ったりもしても、見ているだけだったの
か??
 急に盲目になったら、慣(な)れのある人と違い、一歩
も歩けないわけだから、声だけで導くとしても、頻繁(ひ
んぱん)に、常に、声をかけていなくてはならなかっただ
ろうから・・、
 イエスをねぎらいたい。
 そして、3日間、パウロ(サウロ)は飲食もできなかった
ということも紹介されている。
 何しろ、パウロ(サウロ)は嘘付きなのだ。前科がある
のだ。イエスに会ったこともないのに、会ったことがある
と言ったり、これは研究者の功績だ。パウロが嘘をついて
いると指摘した。
 パウロ(サウロ)は、声がしたとき、「誰ですか?」と
聞いている。イエスの声を忘れたのか?
 会ったこともないので知らなかったのか?
 多分、後者であろう。研究者の言う通り、イエスに会っ
てもいないし、イエスの声も知らなかったのだろう。
 パウロ(サウロ)は、ダマスコに居たアナニアと言う人
が、イエスの命令でパウロ(サウロ)に会いに来て・・、
 (アナニアが、イエスからどのように命令されたのか?
の具体的記述は、まったくない。イエスもいろいろと大変
だ)、
 その人が、パウロ(サウロ)に会うと、パウロ(サウロ)
の目から鱗(うろこ)が落ちて、目が見える様になったと
いう。
 そして、洗礼を受け、食事もし、元気を取り戻したとい
う、そして、それから、パウロ(サウロ)はキリスト教徒
になったというパウロ(サウロ)の話だ。
 パウロ(サウロ)が、予測も予想もしない、突然、不意
打ちでイエスの光が射し、そのイエスの光の衝撃で(そん
な強い光を出すなよとパウロ(サウロ)は怒りたかっただ
ろうが・・)被害を受けたパウロ(サウロ)が、イエスの
命令で来た人に目が見えるようにされたという話。そして、
キリスト教徒になりましたという話。
 キリスト教は神話にしたくないという話。
 真実との感覚との落差に心を痛める人も多いだろう・・、
 また、
 この事例の様な類いの話で、戦争につながる話も実話だ
とキリスト教は言う。
 この様なキリスト教から離れなさい。
..
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2014年6月18日水曜日

時代を超越すると存在に耐え得ない・・、

 題:時代を超越すると存在に耐え得ない・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は言う、「信じなさい」・・と。
 そして、「信じれば、そこに神の救いがある」と言う。
 そしてさらに言う、「1+1=2の様な理屈ではない」・
・と。「だから、信じて見なさい」・・と。
 だがしかし、キリスト教にそう言われてみても・・、
 今までのキリスト教を見て来て、まったく信用できると
いうころが、無いという、キリスト教が・・そこにある。
 誰が見ても、キリスト教には、誤謬(ごびゅう)・卑劣
さ・悲惨さ・脆(もろ)さ・劣悪さなどがある。
 その様なことは、冷静に考えれば、誰でもすぐ分かる事、
キリスト教は、すべてが駄目なのだ。
 キリスト教の歴史だけを見ても、人を殺してばかりいる。
 それも、半端(はんぱ)ではない大勢の人を・・、世界
中のあちこちで・・、長い歴史中・・ずーっと・・、
 大罪人を、とうに通り越している、キリスト教の罪状は、
大きく大きく存在している。それも、本当に、長い期間、
殺しまくっている。
 この様な状況からでも、キリスト教のこの悪の行いが、
 これだけとっても・・絶対に駄目・・と、言える。
 そして、聖書が基本と言うが・・この基本だが、「めち
ゃ、くちゃ」で、間違いだらけ、矛盾だらけで、オーバー
に美化しているだけ。
 大げさに、過剰に「キリスト教だけ」が、美化されてい
るだけ。
 だから、教義も最悪になっている。矛盾も多いが・・、
質(たち)も悪い・・殺人指令は、あちこちにあるし・・、
 善良な人でも、これでは『殺人鬼』になってしまう。
 そして、怖(こわ)いところは、その事を悪い事だと思
わなくなる様に仕掛けてあるということ、
 神の義(正義)だから良いのだ・・とかと、
 だから必然、キリスト教に殺人行為が多くなる訳なのだ。
 「異教徒は殺せ」「魔女は生かしておいてはならない」
など、記述内容も、具体的詳細に、悪行為のやり方などを
神が勧(すす)めているなど一杯ある。悪のマニュアル本。
 キリスト教に熱心なキリスト教徒の作家が言う・・、
 (ユダヤ教の)ファリサイ派の人が、イエスに言う、
 「あなたが預言者なら、自分に触れている女が誰である
か分かるはずだ。罪深い女なのに」と言う。
 するとイエスは、罪深い人であるからこそ、多くの罪を
許されるのだと反論し、マクダラのマリアに、「あなたの
信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言った。
 しかし、ここのところを良く考えてみると、このイエス
はユダヤ教徒だ。マクダラのマリアもユダヤ教徒だ。
 これは、ユダヤ教の話なのだ。
 イエスは、「宗教を立てる」「宗教を立宗する」という
意思は、まったく無いので・・、
 ユダヤ教徒のイエスが、そのまま、ユダヤ教徒のイエス
として、この事を言っているという、ユダヤ教のことなの
だ。
 このイエスの頭の中には、「ユダヤ教の事しか」ないし、
 イエスはユダヤ教を信じていたし・・、そして、イエス
の立ち位置は、「ユダヤ教を捨てなくてもよい」、だが、
「ユダヤ教は、直さなければならない」という、立ち位置
だし・・、
 そして、イエスは言う、「わたしは、そのために来た」
・・と。ユダヤ教改革者、その意義を感じていたイエス。
 故に、ここでイエスが、マクダラのマリアに言った事は、
「ユダヤ教を信仰しているあなたは救われる」なのだ・・、
 そしてだから、イエスは言った・・、
 「ユダヤ教を信仰するあなたは、安心して行きなさい」
・・と。キリスト教ではないのだ、イエスが言っているこ
とは・・。
 キリスト教徒の作家は、ここに信仰の核心があるという。
 確かに、このキリスト教徒の作家が言う様に、これは、
すべての宗教に通じる、困っている人にこそ、宗教が必要
なのだ・・という所。
 当り前なのだ。深い話などでも何でもない。
 宗教の目的が、すべて救いなのだから。多く困っている
人はさらに必要なのだ。
 当り前なのだ。
 キリスト教だけの事を言っているのではない。少なくと
もユダヤ教だ。イエスが言っていることは・・。
 困っている人、助けを求めている人、罪深い人などの方
へ、どの宗教も手を差し伸べるのが目的で、立宗されてい
るのだ。
 因みに、先にも書いた様に、イエスには立宗しようとの
意識は完全に無かった。
 ユダヤ教の改革主義者だった。
 キリスト教の作家はここに神の愛を感じるというが・・。
 イエスが生存していたころは「ヤハウェ神」である。
 三位一体神のキリスト教の神ではない。これは誰も口を
はさめないこと。
 今・現代、キリスト教は三位一体神を信仰しているが・
・、その神ではない。
 今・現代にキリスト教徒が信じている神と、イエスの神
は、別なものなのだ。宗教も別なのだ。
 そして、イエスには、「娼婦」は、「娼婦という行為を
している女」は、「罪深い女だ」という意識があった。
 その様なレベルにあるイエスの意識が分かる。差別の意
識があったと言える。
 今・現代、姦淫罪が無くなって・・、
 姦淫罪というと、遠い昔の『封建的な罪だ』という感覚
があるが・・、
 その封建的感覚と同じレベルの感覚・意識が、古い意識
が、イエスにはあったと言える。
 女を見たら、それだけで姦淫だと言ったイエスの感覚だ。
女を見ると色眼で見ているというイエス。『品(ひん)の
いい女性だな』などと・・見てはいけないという話。『知
性の満ち溢れた女性だな』などと見てはいけないという話。
教養がありそうだな・・とか、清楚な方の様だな・・など
など・・など・・など・・。
 女性を見ればすぐ、そちらの方を、すぐ、頭に浮かべる
という話。女性イコール姦淫・・という。イエスの頭の中
はこれだったのだろうが・・現代感覚とは違う、そして色
々な面で、『ずれ』が生じているキリスト教とイエスだが、
『ずれの1つ』がこれ。
 『ずれのある宗教』=キリスト教という一つの例だ。
 キリスト教には、『時代を超越する示唆はない』。その
様な宗教。
 だから、経時劣化をしている。
 『今の時代の中の存在』に『耐えることができない』宗
教。人類は救済できない。皆様も幸せにできない。
..
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2014年6月17日火曜日

キリスト教の『イエスの復活』・・、

 題:キリスト教の『イエスの復活』・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教の『イエスの復活』・・、
 これは、イエスが生きている時から・・、
 『イエスが復活する』と言いふらされていた。だから・・、
 イエスが、復活するのが、イエスが復活したから、復活
が知れた・・というのでは・・『ない』。
 イエスの関係者は、もちろん、『復活の事前洗脳』は、
なされていた、されていた。
 それは、(マタイによる福音書)にも記されているが、
 すでに・・イエスが復活する・・と、
 イエスの弟子たちが、『言いふらす行為をする』・・と
いうことが・・知れ渡っていた。
 早く言えば、「イエスは復活する予定です」となる・・、
 イエスが十字架刑になった翌日に・・、
 ・・という事は、
 3日後に復活すると言っていたので、その復活予定の2日
前に・・、
 すでに、「イエスが復活した」と、言いふらす事が、予
測できていた「祭司長のカイファたち」は、
 「総督のピラト」のところに集まって、その件について
話し合っていた。
 ピラトへ、『イエスの墓の、番兵をさせて下さい』・・
と、頼み込んでいた。
 イエスの弟子たちが、イエスの死体を盗み出して・・、
「イエスが死者の中から復活した」・・などと、人々に言
いふらさないように・・、「墓を見張る事を命令してくれ」
と願っていた。
 ピラト総督は、『最高法院の番兵で見張れ』と命令した。
 そこで・・祭司長たちは、墓を石で封印し、番兵を置い
た。
 しかし、二人の女たちが墓に着いたときに、すでに、石
は転がしてあり、墓の中に入っても、イエスの遺体は見当
たらなかった。
 女たちは、遺体紛失とは思わなかった。
 イエスや弟子たちから『3日後に復活する』と、何度も
聞いていたから、復活したと思った。
 事実は、復活があったから、イエスが復活したという話
ではなかった。事実は、洗脳から予断が入り込んでいた。
 復活があったから、イエスが復活したという話ではなか
った。
 つまり、ここで、逆の思考も成立するということ、逆が
出来てしまうということ・・、
 つまり、イエスが復活した、「嘘だ」と言う人に、積極
的な肯定の話ができないということ・・、
 それは、すべてが、状況から推断(推定からの断定)さ
れているということだからだ。自分の希望の結論へ持って
行ってしまうという思考と行為。理性欠如状況。判断力欠
如状況。
 その様に思い、考える人に、せいぜい、「そう思うだろ、
嘘ではないのだ」・・と、せいぜい、言えるぐらいのレベ
ルの話なのだ。根拠薄弱。
 かねてから、ユダヤ教の正典(キリスト教の旧約聖書)
にある『復活の話』を・・、ユダヤ教徒であるイエスや
イエスの弟子たちが、既知のもの(すでに知っているもの)
として知っていて、自分たちも口にしている。頭に充満し
ている希望的状況。
 「3日後に、復活する」と言いふらす、ユダヤ教の祭司
長側も、イエスの弟子たちが、そう言いふらすだろう事は、
十分、予知・予測がなされていた。
 イエス側の資料しかないので、「イエスは復活した」と、
言いふらしたい側の資料しかないので、当然、「イエスは
3日後に復活した」になるのは当り前で当然。
 故に、つまり、ここには公平・公正な状態で、祭司長側
の資料があったならば、「あはは、あれはイエス側の都合
で、ああ言いたかったのでしょう」となる。祭司長側の資
料には、その様な資料があるだろう。そして、結論欄には
嘘ですという事が記してあるだろう。
 当然、イエス側の資料しか見られない状況で、その片方
側の資料で判断できる訳がない。公正さも失われているこ
とは、だれの目にも確か。
 それも、状況が、予断からの推定で復活があったとした
だけという状況。希望結果の発言。
 少なくとも、はっきりと、これだけの事は言えるのだ。
 キリスト教徒の作家も、どうなのですか?と尋ねられた
ら、「説得できる自信はありませんね」と答えている。
 イギリスの聖職者へのアンケートでも、『復活アリ』と
信じるキリスト教聖職者が、「少数側」となっている。
 キリスト教徒の作家も、「そうだと信じるしかありませ
ん」と、匙を投げている。
 キリスト教は、この様な、『話のパーツ』が連なってで
きている宗教。あちこちが、山崩れを起こしている。
 これを含めて『信じろ』としか言えない宗教=キリスト
教。次の話が続かない宗教、すぐに話が途切れる宗教。深
みがまったくない宗教。
 それは、嘘を多く含んでいるからです。嘘が含まれてい
る。
 結局、キリスト教側も、本音は、「信じてくれ」と言っ
ている。それだけ・・。
 本音は、「本人も信じていない」という・・イギリスの
アンケートの結果もある。
 『神は偉大なり』を信じることに、信じらせる事に、精
力を使って来た歴史を持つ宗教、それに、そこに、多くの
命を無駄に、無意味に、殺戮した。本当に憤りがわく。
 あちこちが、崩れる山の、頂(いただき)にいる神。
 多くの嘘を言い、信じることは言わずに、信じることだ
けを要求する。この復活の様に、空威張り的な論理を展開
し、結局は、信じてもらえない。聖職者でさえ・・、当の
聖職者にさえ信じて貰えない、いないという状況。
 ありがたいと自分でねじを巻き、ねじを巻いて、マイン
ド・コントロールされて、ありがたいのかなとなって、軌
道に入って行くのだが、理性は失われていることに気がつ
かない。性悪説の論理の展開の中にも入る。科学的にも駄
目と言われている論理の展開を巡らす。つじつま合わせの
世界に入る。完全に繰られて、暴力沙汰も行う。この事で
も無意味に青年たちが、また、攻め込まれた地の愛する家
族たちが死に、そして、追われ、温かい家庭も無くなる。
 未来の人類を救うことができないDNAを持つ宗教=キリ
スト教。人々も幸せになれない。
..
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2014年6月16日月曜日

適当だなー・・、

 題:適当だなー・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教は『適当だなあー』とまた、改(あらた)め
て強く思った。
 だから、言わせて戴きたい、キリスト教の方は『早く、
離れてください、良いことはありません。離れて冷静にな
って下さい。
 文の初めから失礼しましたが、本当に、このブログをズ
ーットお読みの方は、既に、お分かりと思いますが、キリ
スト教は本当に適当です、駄目です、そして、怖いことが
あります。
 キリスト教の肝心な、中心に位置している神が、また、
駄目なのです、適当なのです。
 これがキリスト教は、これが悩みなのですが、口に出し
ては言えません。
 昔から、キリスト教は『神問題』には悩んできました。
 今・現代もです。
 キリスト教の「イエス」も、『キリスト教の神だ』とは
されてはいませんでした。
 イエスは、キリスト教の最高会議である「公会議」でも、
『イエスは、神ではない』とされていた。
 しかし、それも、「すったもんだ」の末に・・、
 反対する者は、キリスト教の例の「異端だ」と差別する
 キリスト教の常套(じょうとう)文句を使われ・・、
 卑劣なキリスト教なのだが、何ら公会議の「体をなして
ない」過程で、
 反対者は放逐され・・一部は殺されたりして・・、
 中国に逃げた「景教」も、キリスト教ではないとされ・
 キリスト教の公会議が『景況は、キリスト教ではないと
した』。
 イエスもその様な、劣った『蛮』の公会議で討議され、
 神ではなかった。
 4世紀の頃、その様な、経過の中でイエスは神なれた。
 イエスが死してから400年という長い年月が流れての後
のことだった。
 キリスト教は、晴れて、「父なる神」と「子なる神」の
『2神』となった。
 名実ともにキリスト教は『多神教となった』。
 実際は、『多神教の歴史は長い』キリスト教なのだが・
・。
 キリスト教を、事実上、作ったパウロも、イエスに関し
ては、「イエスの刑場での死の血」と「イエスの復活」だ
けを使った。イエスのすべてを使わず、イエスを食い散ら
かすパウロだった。
 そして、今・現代、神の座にある「聖霊」、これも神だ
とはされてなかった。
 パウロは、(「コリントの信徒への手紙Ⅰ」7・40)で、
「そのままでいなさい」とサンザン言った後・・、
 「わたしも神の霊を受けていると思います」と、あやふ
やな言い方だが聖霊の事を言っている。『霊』であり、
『聖霊』でないことに注意。
 富岡幸一郎・関東学院大学教授が、「キリスト教の神は
絶対神だ」と言っているが、事実でない事を言って、嘘を
言って、皆様を洗脳している教授だが、『何処が絶対神な
のですか?』と問いたい。
 キリスト教の神は、色々な人が、色々に神を形作(かた
ちづく)っている。
 キリスト教はその様な宗教なのです。
 だからこそ、キリスト教の最高会議である公会議で議論
する必要があったのです。
 それも、『色々な意見があった』ので、長い間、すった
もんだしたのです。その様に、すったもんだする、問題が
多い、キリスト教の神だったのです。富岡教授だってその
くらいのことは知っているはずです。
 しかし、富岡教授は嘘を付きました。
 キリスト教を『巧妙に宣伝したい』からです。
 キリスト教、その姿は、もちろん多神教ですが・・、
 その姿は、「キリスト教・多神教A」とか、「キリスト
教・多神教B」とか、「キリスト教・多神教C」とか、と
いう姿です。
 そして、これではとなって、キリスト教の最高会議の公
会議が、やっとの決着点で・・『三位一体神』というマジ
ックを使いました。
 「父なる神」と、「子なる神」と、「聖霊」とを神とす
る・・と。しかし、一神教にしたいのだと・・。
 だから、今まで神とされて来た神は・「位格の神」とし
よう・・となった。そして、キリスト教は言った、「三位
一体神という神で、一神として下さい」と、そう考えて下
さいと・・。
 これで、キリスト教は一神教になれたと、キリスト教は、
頭に刷り込みされていた『一神教になれた』と、思った。
 しかし、実体は、3つの神々に、プラスされること、取り
まとめに使った「新しい神」が、増えた・・という実態と
なった。
 キリスト教信徒の方々の頭の中には、使い分けしなけれ
ばならないことが、また、1つ増えた。
 また、キリスト教の『都合から生まれた新しい神』によ
って、また新しいストレスが、ルールが生まれた。ルール
・約束事・戒・律法がキリスト教に増えた。
 もう、神をいじる事は止めなさい。
 キリスト教には、それでなくても、整理しなければなら
ない『神々』がいっぱい居るのです。
 さすがに、キリスト教は、説明しきれないので黙ってい
ますが、キリスト教の旧約聖書には、色々な預言者(予言者
)が作った神々が居て・・、
 その各預言者という(神から言葉を受けて、預言された
という者)が神を作っていて・・、
 キリスト教は、収拾がつかない状態なのです。
 本来は、棄ててしまわなければ、ならないのですが、棄
ててしまったら、キリスト教には、何も残らないという状
態になってしまいますので、キリスト教は、そのままにし
ています。
 預言者ですから、自分の言葉を神の言葉としています。
 ですから、多神教=キリスト教という状態となっていま
す。名誉一神教のキリスト教という状態となっています。
 パウロの様な好き勝手は、キリスト教のDNAなのです。
 預言者と言われる「あまたいる預言者たち」が、パウロ
以前から、『パウロの様な好き勝手』をやって来ているの
です。
 キリスト教に、齟齬(そご)・矛盾・食い違いが多いのは
当り前なのです。収拾は付きません、その様な宗教なので
す、キリスト教は・・。
..
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2014年6月14日土曜日

虚・ろ・な・る・立・脚・点・・うつろなる立脚点

 題:虚・ろ・な・る・立・脚・点・・うつろなる立脚点
...(信を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 イエスは刑によって死した・・
 それを、キリスト教は・・
 「イエスが、我々の救済のために死に、そして後、復活
した」・・と言う。
 これが、キリスト教の原点なのだ・・と言う。
 このことを信じることが必須なのだ・・と言う。
 これをまず信ぜよ・・と言う。
 イエスが死に、復活したから人間は救われる・・である。
 使徒(イエスの弟子)たちが、イエスの復活を見たのだ
・・と言う。
 使徒が証人だ・・と言う。
 イエスの復活の事は、この証言によってのみ語られ、知
られた。
 イエスの復活に立ち会うことが、当然、出来ない使徒以
外の、その他の人々は、我々も含めて・・その使徒の言葉
を信ぜよ・・とも言われている。
 あのイエスの刑場から逃げた使徒と言われる弟子たちが
言うことを・・。
 もうこれは理解の問題ではない。理解を越えたものであ
る。信ぜよを求められる。
 そして、「そう信じない者は滅びる」と脅(おど)され
る言葉も言われる。
 そうして、信じない者は、また、切り捨てられる。
 故に、お分かりだと思いますが、使徒の言葉だけを中心
にして、使徒だけの言葉を中心に置いて、キリスト教は、
その言葉の状態だけに権威を与えている。中心なのだから。
・・というより、当然、キリスト教の道は、権威のあるも
のという位置に置かざるを得ない状況となっている。
 故に、キリスト教は、ここを中心に、絶対性を強調し、
誇示している。
 故にまた、当然に、その絶対性は『強力に排他』の状況
となり、絶対を主張する。また、主張をせざるを得ない宗
教の形態となっている。
 イエスの復活は、その様なものであり、キリスト教の中
心に置いたパウロという人間の思考・思惑は、まず、信を
と思考し、信を要求するところからスタートする。
 そして、なぜ、イエスの弟子たちが、イエスが復活した
などと言い出したのか? 
 イエスの墓に「イエスの肉体(死に殻)」が無くなった
と・・。
 そして、モーゼが神に会う場面は、燃える柴だけが見え、
神は声だけが聞こえたが・・、
 イエスの場合は、服を着たイエスが現われたと・・、そ
して、話をしたと・・、そして、その後の時代には、イエ
スは現れていない。
 そして、ある画家の絵には、服を着たイエスが、天に登
るという絵があるが、画家は、当然、聖職者から言われ、
想像して描いた絵なのだが、本物は、この画家と言えども
見ていない。
 絵を見る人たちは、「さも、あったように」錯覚に陥(
おちい)るが・・。モーゼの神の場合とは大きく違う。
 このモーゼの芝は、今・現代でも燃えているという。
 そこにはキリスト教会が建ち、金を取って燃えている柴
を見せているという。
 故に、イエスの復活は、弟子たちだけが見ている。
 しかし、弟子たちは、イエスの昇天は見ていない。
 当然、当時の、これ以外の人たちも何も誰も見ていない。
 エルサレムの話題にもなっていない。
 エルサレムの人たちも、イエスが死ぬ所は見ているが、
復活も見てなければ、昇天するところも見てないし、エル
サレムの街で話題にもなっていない。
 それは、真実でないから。デッチアゲなのだ。
 考えれば、罪作りな話だ。この話から、何人の方々が死
ななければならなくなったというのか?
 過去に、色々な有名な研究者が、ここの所を研究してい
るが・・、語っているが・・、偉大な新約聖書学者と言わ
れる「ブルトマン」と言う人は、イエスの墓が空になった
のは「伝説だ」と断定的に言う。
 端的に言えば、キリスト教の聖書の記述は、ブルトマン
も嘘でデッチアゲだと言っている。
 そしてさらに、ブルトマンは、復活したイエスが、使徒
(弟子)に現れたのは「(実際あったのではなく)幻覚だ」
と、これもまた断定的に言う。幻覚・・『虚(うつ)ろ
なる根拠』しか持たない宗教=キリスト教なのだ。
 空想立脚点宗教=キリスト教。
.
 そして、次の話。
 キリスト教聖職者は、信徒の方達へ言う・・、
 「キリスト教信仰とは、聖書の言葉を無批判・無理解の
まま真実として奉(ほう)ずることだ」・・と。
 そしてまた言う・・、
 「キリスト教信仰の立場は、人間理性の立場とは違うの
だ」・・と。だから、考えるな・・と言う。
 信徒の方々へ、「考えるな」とびっくりする様な事を言
っている。
 『キリスト教信仰の立場は、人間理性の立場とは違うの
だから、考えるな』という意味。
 そして、「信仰とは・・聖書の言葉を、無批判・無理解
のまま真実として奉ずることなのだ」と、信徒の方々が考
えて、そして、人間らしく思うことを批判されている。
 ただただ、無批判・無理解に奉(ほう)じ、奉(たてま
つ)る。
 真実なのだから・・と、それがキリスト教の信仰なのだ
と、そして、無批判・無理解の人を善(よ)き人と讃(た
た)え、ひたすら、無批判に純心に仕(つか)える人を讃
える・・それがキリスト教信仰と。
 キリスト教で繰り返すその様な行為から、洗脳され、マ
インド・コントロールされ、無批判で・・、
 理性で理解しようとする行為もしなくなり、心が、だん
だん、閉ざされて行き、心があっても無きが如くの、批判
のできない人間が出来上がって行く。
 心の働きが無くなった、無機質な心の人間が出来上がっ
て行く。
 キリスト教を信仰していると、この様に作り上げられて
行く。
 そこには心の働きが無い・・、批判もするが、切磋琢磨
して、喜びもあり、奮(ふる)い立つ心もあり、感動に沸
き、喜びに歓喜し、そして、涙する時もあり、笑う時もあ
る日常が・・その様なキリスト教のその洗脳行為によって
奪われて行く。
..
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2014年6月13日金曜日

少数の邪悪な見識・・

 題:少数の邪悪な見識・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 世界の人口が、2011年10月31日に70億人を越えたと
いう。アメリカの国勢調査局が推計した。
 そして今、1分間に137人が増えているという。
 それは、1日にすると、20万人が増えている事になり、
1年間に7000万人の人が増えているという事になるという。
 また、因みに、世界で、1年間に約6000万人の方が亡く
なり、1億3000万人の人が生まれているという。
 そして、キリスト教の信者数は約20億人(29%)と言
われている。()内の数字は、世界の人口に対する比率で
ある。以下同様。4人に1人強ぐらい。
 そして、イスラム教徒約11億人(16%)、ヒンズー教徒
10.5億人(15%)その他(40%)である。
 そして、キリスト教の内訳をみると、カトリック約10.8
億人(53%)である。()内の数字は、キリスト教徒全数
に対する比率である。以下同様。
 そして、プロテスタント約3.5億人(17%)、正教会約
2.2億人(11%)、その他教派3.9億人(19%)である。
 一番多いカトリック教徒は世界の全人口の15%である。
7人に1人ぐらいである。因みに、日本におけるキリスト教
徒の比率は1%である。
 故に、以上で見た様に、キリスト教を信仰して居るとい
う人が一番多く居ると言っても大多数ではない。1/4だ。
 故に、世界の多くの人々は、『キリスト教の神は居る』
というキリスト教徒ではない。
 また、キリスト教徒であっても、マザー・テレサさんの
様に、一生涯、キリスト教の神の存在に疑問を持ち、キリ
スト教の神は居ないと、感じていた人も居る。
 彼女の死後、この事が公表されたが、彼女が一生涯、死
ぬまで、『キリスト教の神は居ない』と思い、感じていた
という正直な話だ。彼女の真実への誠実さを感じる。
 キリスト教徒でさえ、この様に感じている状態なのであ
る。しかし・・、
 キリスト教の教義は、その神が居るものだとして、そし
てさらに、その神の『正義を錦の御旗だとして』、『異教
徒は殺せ』の教義の神の声を持ち、異教徒を殺して来た。
 あまりにも多くに人々を殺して、その悪魔の教義『異教
徒は殺せ』のキリスト教の教義の通りにしてきた。
 世界の人の『多数の人の見識ではない』、また、『多数
の人の賛同の意見でもない』、故に、少数の邪悪な見識と
言っても良い、そのキリスト教教義で、大多数の人々を殺
してきた、殺戮してきた。
 キリスト教の神の義があるから、人を誅しても良いのだ
と、キリスト教徒は、悪びれずに、悪行為をし続けて来た。
 この様なキリスト教について、富岡幸一郎・関東学院大
学教授は、赤子の手をひねる様なやり方で論をひねくり廻
している。正直な話ではない。
 富岡教授は「キリスト教は一神教だ」と言うが、キリス
ト教は三位一体神で無理に一神教的にしている、実態は多
神教です。
 エルサレム大学教授も言っているが、キリスト教はその
ほとんどが多神教の歴史なのです。
 そして、富岡教授は、美しくキリスト教は「世界宗教だ」
と言っていますが、戦勝を祈った神で『民族宗教』です。
 そして、絶対神なんかではない。
 神は変遷に次ぐ変遷で変わり、今、三位一体神です。そ
して多神教です。
 イエスの時に変わったと言われるのでしたら、富岡教授
の論理は破たんするわけですが・・、
 イエスは、ユダヤ教徒でユダヤ教改革者です。
 イエスの頭の中には、『同民族で、同宗教の人々』が対
象の宗教観で、ユダヤ人の幸福だけが頭にあった人です。
 その後のパウロの時に変わったというのならば、さらに、
富岡教授の論理は破たんを極めるのですが、
 パウロだって「ローマ信徒の手紙」において、
 「神はユダヤ民族を選び(選民思想)、これと契約を結
び、律法を与えた」と言っている様に、民族宗教の域を出
ていません。
 近年でさえ、ローマ教皇が銃弾に撃たれた時には・・
 「黒マリア様の御蔭で銃弾がそれてくれた」と言った様
にキリスト教にはマリア信仰もある。三位一体神ならぬ四
位一体神のマジックをまたしなければならない現況です。
 氏が、「イエスがガリラアの比較的緑豊かな地に生まれ
育った」と言うのは生まれた地だけであって、キリスト教
はエルサレムの砂漠の地の、その環境が反映して宗教が出
来ています。これも、知らない人を騙(だま)す言い方で
す。イエスの生まれた地についてもベツレヘムだと言った
り、色々都合のいい言い方を言いまわしています。
 ブロURL,http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009/を
参照下さい。
尚、富岡教授の発言を確認される方は下記を参照下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=m-hl1X8R6V0
 富岡幸一郎・関東学院大学教授は、「多神教のモンゴル
人だって人を殺した』と言う。そして、「バビロニアだっ
て多神教で人を殺した』と言う。
 しかし、キリスト教という宗教は、その教義からして『
人を殺せ』という殺人指令が、聖書のあちこちにあるでは
ないか。「魔女は生かしておいてはならない」などなど・・。
 宗教の本質から生じていることに目を向けて下さい。
 キリスト教の重鎮の方の中に・・、
 「わたしもキリスト教のそこだけは・・』と、キリスト
教の殺戮に対して不同意されて、明言されていた方が居た
が、この方の様に、言われるのが人間としてのあり様では
ありませんか?
..
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2014年6月12日木曜日

あまりにも・・プロパガンダ(嘘宣伝)されている。

 題:あまりにも・・プロパガンダ(嘘宣伝)されている。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 エルサレム神殿の民の店は・・
 暴力団の様に・・イエスと、その弟子たちの群れによっ
て破壊された・・暴力をふるわれた。
 被害者は・・立場としては・・『民であり』、『弱者で
ある』。
 現代においても・・その良否判断を行っても・・、それ
は、悪行為であり、当然、『暴力行為』で、『逮捕される
べき行為』である。
 この法的以外の・・判断においても・・『弱い者いじめ
の行為だ』・・この批難からは逃れられない。
 イエスが・・、
 『正義に訴える』と主張するなら・・暴力をふるう相手
は、同じ事をするなら(本当は悪い行為なのだが)、
 少なくとも、『強い者へ』、その行為を向けるべきだ。
 完全な『弱者いじめ(弱い者いじめ)』の態をなしてい
る。
 イエス、及び、イエスたちは、『卑怯にも』この強い権
力を持つ者への暴力は逃げ、行わず、弱者の民へだけ、暴
力をふるった。卑怯者の態である・・。
 現代においても、『当然であるが』、暴力行為をしたイ
エスとイエスの弟子たちは・・逮捕されるべきで・・、イ
エスだけが捕えられ、イエスの弟子たちは逃げてしまった、
そして、逮捕を逃れた、免れた。
 何らためにならない話が、聖書という本には続く。
 まったく卑怯なことをする弟子たちである。
 後ろめたいところが無いならば、堂々とするべきなのだ
が・・、
 やはり『悪いことをしたという意識があった』のだろう。
 町の暴力を振るうアンチャンの様に逃げた。
 同じ様に「お縄になるべき」ところを、逃亡したのであ
る。逃亡罪も加味される結果となった。
 以上の様に、この一部始終は、『町の愚連隊のあんちゃ
ん』というところの状況を呈した。
 イエスは、エルサレムの『民衆の怒りを買っていた』。
 当然である。民は怒ったのである。今までの鬱積(うっ
せき)もあったのであるが、今回の弱者をいじめたからで
もある。
 故に、イエスは、救われる道までも『自ら閉ざした』。
 イエスは、強盗とどちらかを助けるかという時にも、イ
エスは民から選択されずに、救われる道があったのを『民
からの選択はなされなかった』。
 『ここまで憎まれていた』のである。『その様な行為を
していた』のである。
 裁判も行われ、それまでのイエスの行為によって、刑が
執行された。
 アメリカの第二次世界大戦の後の『東京裁判』の様な
『形式的な裁判』とも言えるが・・。
 『偽(いつわ)りの正義』の様な裁判であったが・・、
 でも、イエスの裁判には、一応、『民の意見を聞く』と
いう『民主的な側面』があった。
 アメリカの東京裁判は、戦勝国だけの狭い人員で『広い
ように見せかけてはいるが』・・その『リンチ(私刑)の
状況』の中で・・事は・・行われた・・。
 イエスの気性の『短気から起きた大暴れ』の結果が、
『直接原因』であった。
 民からも、『救うべき点が無い』、『救うべき理由が無
い』と判断された。『東京裁判にはない』民主の意見を問
うというところは・・存在した。
 イエスに、民の支持は全くないという状態。
 尋問において「お前は、メシアなのか?」とイエスは問
われ、イエスは肯定しているとされている。
 キリスト教の聖書は、後から、多くの者によって、追記
されたり、書き換えされたりしているので、真実はどうで
あったかが不明だが・・。
 それにしても、メシア意識を持つ人間が、その『メシア
の到来を願う民衆』へ、暴力をふるう行為をするというの
か?
 同じ暴力を振るうという行為をするのであるなら、まず、
イエスも怖(こわ)かったのであろう、恐れたのであろう、
その暴力をふるうなら、まず、権力者へ向かうべきだ。
 その点の意識が・・少なくとも、イエスは、強く思って
いなかった・・と言える。
 メシア意識、救済意識がある人であるならば・・弱者へ
は絶対、絶対に向かわないはずだ。救済すべき相手に向か
わないはずだ。
 まったく、暴力団レベルの判断だ。『力で解決する』と
いう。相手がだれであろうと・・という。
 イエスは、刑の執行の時、「神よ、なんで、お見捨てに
なったのですか?」と言っているが・・、
 民衆からも『選択されず』に見放されたと思い・・、
 また、神からも『見放された』と思っていた。
 そして、肝心な・・その神からの・・『応答もなかった』。
 その点について、キリスト教の聖書には『何も記されて
いない』。故に確実に『無かった』としか判断はできない。
 この点について・・これから後、誰かが追記するかもし
れないが・・、書き換えるかもしれないが・・、キリスト
教聖書は『その様な書』で、歴史を経て来た書である。
 キリスト教は、後世に、次世代に、残してはいけない宗
教なのです。キリスト教の方々は、早く離れて下さい。
.
(追伸)
 実は、1人、弟子の12人全員が逃げた訳ではなく・・、
 1人だけが・・イエスがどうなるかを見に来ていた弟子が
居た。
 しかし、女性に、「この人、イエスの関係者です」と言
われたら・・「おれは、違う」・と、否認したという。
 まったく人の川上(かわかみ)にも置けない野郎だが、
 そしてまた、別の女性に指摘されると・・、またまた、
 「おら、違う」・・と、言ったという。
 そしてまた、兵士に咎(とが)められると、またまたま
た、「おら。違う」と、三度目も恍(とぼ)けたという。
 そして、鶏が鳴いたという。
 この事をイエスが予言していたという。
 なんと、「三度否認」して、そして、「その時、鶏が鳴
く」・・と、数と鶏が鳴くところまでも予言したという。
 そして、当たったという。
 それ程、将来予測ができるのなら、その後についても、
正確な予測をして貰いたかった。そして、予測ができると
いうものだ。
 そうしたら、弟子たちもこんな恥ずかしい行動は、取ら
ないだろうし、こんな悪結果にもならなかったはずだ。
 しかし、イエスは刑場で『神に訴えた』。心の中では、
『こんなはずじゃない訳だ』と思っていた。
 ここは、イエスには予測はできなかった事だった。読み
落としだった。
..
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