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2013年10月27日日曜日

空なのだ・・・。

 題:空なのだ・・・。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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 古代の世に・・、
 ある1つの民族(イスラエルの民)が生き残るために、
 できた宗教が・・、
 何の拍子からか・・、
 伝道が始まって世界へ広がった。
 しかし、
 その生まれの血は争えない。
 脈々とその中に巣くっていて残った狭い宗教概念が、
 その所から、人類の悲劇が、多く生まれた。
 多くの世界の人々が、無念の死を遂げた。
 その宗教性のあまりにも卑屈さ劣悪さに、
 人類のためには、
 この宗教は、今後、残ってはならないが、
 図らずも、
 そのことを記した言葉が、このキリスト教の聖書の中に
ある。一抹の光となっている。自虐である。
 そして、この書が、あまりにも過激なため、
 その書を省いて、キリスト教の聖書だとしている聖書も
あるが、
 その文書「伝道の書」の、一部を以下に記す。
(「伝道の書」1・2)に、
 「空の空、空の空、いっさいは空である」とある。
 いっさいのものは空である、確かなものは1つもない、と
いうことを言っている。
 学問とか、芸術とか、あるいは、この宗教でさえも実際
は空であると言っている。
 そして、(「伝道の書」2・11)に、
 「そこで、わたしは、わが手のなすすべての事、および
それをなすに要した労苦を顧みたとき、見よ、皆、空であ
って、風を捕えるようなものであった。日の下には益とな
るものはないのである」と。
 この宗教を信じたのだが、なしたすべての事、なすに要
した労苦、皆、空であって、
 益になったこと、黒字になったものは何もない。
 赤字ばかりだ。
 世の中は悲惨的である。
 そして、(「伝道の書」3・20~21)に、
 「みな1つ所に行く。皆ちりから出て、ちりちりに帰る。
だれが知るか。人の子らの霊は上にのぼり、獣の霊はくだ
るかを」と。
 キリスト教の聖書の創世記に、キリスト教の神は、人間
をチリから造ったというが、その神が造った人間だから、
死ねば天に上るとは限らないのだ。
 人間であっても、獣であっても、死ねば同じだ。
 同じく地にくだるのだ。
 そして、もとのちりに帰ってしまうという点において同
様なのだ。
 そんなところに、人間と動物の区別なんかあるのではな
い。
 人間が、人間として自分で自分の価値を見い出している
と思っているかもしれないが、しかし、それはただ空想に
しか過ぎないということだ。
 キリスト教の神を信じることもまた空想なのだ。空なの
だ。宗教それ自体が空なのだ。一切は空なのだ。
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     (詳しくは、以下のブログへ)
URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
URL: http://32983602.at.webry.info/

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