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2013年6月7日金曜日

南蛮宣教師のころの話・・2題。

題: 南蛮宣教師の頃のはなし・2題。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
その1: 南蛮のキリスト教宣教師たちが日本に来てた頃、
 キリスト教徒になって最初にヨーロッパへ行った日本人が2人
いました。
 1人は、行ってからの生活環境の違いの影響からか、直ぐに
亡くなってしまいました。
 もう1人は生存しましたが、結局は、同じ様に亡くなってし
まうのですが、その一人は、スペイン(イスパニア)国王に、
直接、進言した事柄がありました。
 国王からの返事は有りませんでしたが、当時、スペインは、
すでに中南米の征服・殺戮は終わった段階で、その殺戮の蛮行
し放題をした艦隊は太平洋に派遣されていました。
 日本の近海にも居たと考えられます。
 このヨーロッパへ行った最初の日本人(この人は、キリスト
教宣教師と東南アジアやインドなどのあちこちを、同一行動を
して、その経験・経過を経てから、ヨーロッパへ行っています)
は、この様な状況を当然知っていたのでしょう、『 日本の征
服はしないように 』・・と、国王へ進言をし、頼みました。
 当時の日本に対するヨーロッパ人の見聞は、マルコポーロに
よる東方見聞録に記された「黄金の国・ジパング」でした。
 ジパング探索のエネルギーが、結局、アメリカ発見になった
ということなのですが、スペインの征服者と同行したキリスト
教宣教師たちが中南米で奪った目的もこの黄金でした。
 彼等は、当然、日本との交易に対しても同じ目的・目標があ
り、またそれに加えて、当時、日本産の銀の世界へ流出量は、
その多くが日本産の銀が占めていったという、日本産の銀の産
出量の多さの事情もありました。
 これ等の事は、彼らの探検欲・征服欲・交易による儲け・利
潤欲を駆り立てました。
 当時のスペイン艦隊の行動状況は、スペイン勢力下のメキシ
コとフィリピンを往復するという行動状況でした。
 このスペイン艦隊と日本との間で、血生臭いトラブル・事件
が発生する可能性は、起こり得る事でした。
 惨劇が起こり得ないとは予想されず、そして、まったく予想
されないという状況は、その様相から、ありませんでした(発
生が予測されたので、そこでその日本人の国王への進言となっ
た訳でした)。
 これ等の事が、これから、日本の鎖国政策へとつながってい
く遠因の一つとなったのでした。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
その2: また信長の時代のはなし、インドから、キリスト教
の布教を強力に進めるため、『カブラル』という宣教師が、日
本に派遣されて来ました。
 彼は、『布教長』という日本で一番偉い指導的立場になりま
した。
 このカブラルの日本人観は、「彼等(日本たち)は、自尊心
の高い国民であるから、厳しく取り扱わねばならない」との考
えでした。
 また、カブラルは、日本人を『黒人で低級な国民』と呼び、
その他、侮辱的な表現を用いたりしました。
 (これは、キリスト教の教義から、現地人は、南米でもアフ
リカでも、人間ではないとか黒人と蔑(さげす)められました)
 カブラルは、しばしば日本人に向かい、『とどのつまり、お
前たちはジャポンニス(日本人)である』というのが常で、
 彼等(日本人たち)に対して、彼等が「誤った低級な人間」
であることを理解させよう・・としました。
 この様な態度を、日本人がどれほど嫌悪したことか。
 日本人修道士との間に不一致が招来したのは、当然のことで
した。
 カブラル布教長は、また、日本人を「われらの(ヨーロッパ
人の)習慣にしたいと考え、逆に、ヨーロッパ人を彼等(日本
人たち)の習慣にさせるべきではない・・としました。
 彼によれば、日本人は黒人であり、まったく野蛮な風習を持
っているというのでありました。
 従って、カブラルは、日本の風習には順応しませんでした。
 カブラルは、常に、日本の風習は親しみ難(がた)いものだ
と思い、これを悪しざまに言いました。
 日本の風習を覚えようとはせず、休息の時、またその他の機
会にこれを嘲笑し、自分たちの風習を優れたものと思い込んで
いました。
 この考えは、日本人を立腹させました。
 カブラルは、日本人修道士が知識を持たないようにもしまし
た。
 日本人修道士がポルトガル語を覚えることを許さず、
 彼らの中から司祭が出ぬようにとラテン語も学ばせず、
 学問をさせませんでした。
 カブラルは、日本人は高慢不遜と思いました。
 カブラルは、日本人は悪徳に走る傾向があると言い、
 日本人のための神学校を建てることに反対しました(その様
なレベルの人間ではないと言いました)。
 カブラルは、日本語は難解な言語なので、日本語で外国人は
説教できるわけがないと考えました。
 事実、カブラルは、13年の間、日本布教長として日本で過ご
しましたが、その間、日本語をほとんど学ぼうともしませんで
した。
(あまりに腹ただしいので、以下を略します)(本:「南蛮資
料の発見」・中公新書)をお読みください。
 (私の感想)キリスト教は、プロパガンダ(嘘宣伝)で、あ
まりにも彼ら・宣教師やキリスト教を美化して宣伝し過ぎてい
ます。本文はその実態を伝える1例です。

2013年6月6日木曜日

それを、宣教と称した。

 題:それを、宣教と称した。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 朝鮮へ軍隊を派遣するぐらい「充実した軍隊を持っていた豊
臣秀吉」。
 この様な、強大な軍事国家だった日本だからこそ・・、
 殺戮と占領の「キリスト教徒およびキリスト教聖職者たち」
の蛮行を受けずに済んだ。
 織田信長という不出生の戦略家は、宣教師たちと積極的に接
触した。
 そして、進んだヨーロッパ・キリスト教国の「先進的な武器」
を手に入れ、使いこなすこと」に専念した。
 先進的な知識摂取を優先した彼は、宣教師たちと積極的に接
した。
 有名な戦いであった「勇猛な武田軍に対した戦い」、不利な
立場だった中小企業軍団の織田軍が、勝利し・破った「長篠の
戦い」。
 キリスト教宣教師たちと接して得た先進的武器の鉄砲を、
「鉄砲隊」として使うというアイデア、
 そして、「弾込め」に時間がかかると思えば、複数の隊列を
時間差をもって用いるという戦術・戦略家が、キリスト教宣教
師たちを驚かせた。
 これらの行為・状況が、日本をキリスト教徒とキリスト教宣
教師たちの蛮行から、日本を救い、そして、蛮行を起こすこと
を防いだ。
 南蛮人・キリスト教宣教師たちに、その偉大さを示していた
からこそ、南蛮人に南米の様な殺戮と占領を起こさせなくて済
んだ。
 殺戮を受けた南米・中米・北米メキシコ、及び、その離島の
人たち・インディオの方たちは、
 「武器らしい武器を持たない平和な民」だった。
 持っていると言えば、木製の「投げ槍」程度で、
 コロンブス達が初めて上陸した時、かれらが武器を持ってい
なくて、また当然、武器らしい武器が無いから、攻めることも
しないことにびっくりしている。
 また、彼らの信仰が、運悪く、「天から素晴らしい人が来る」
という信仰であった。
 そして、この純心な、そして、純真無垢な人たちは、「南蛮
人を歓迎する心をもって、警戒心の欠片(かけら)も持ってい
ない、今で言うリスクを感じない対応をした。
 逃げることは逃げるが、すぐ、人なつこく寄って行った。
 外敵の経験がまったくなかったからで、(ある戦闘的な部族
は居たらしいが)、そして、幸い、コロンブス達が、「物を交
換するという態度」で接し、国へ帰って行ったから良かったが、
 彼らは結局、このコロンブスの後に、この地へ来たキリスト
教徒とキリスト教聖職者たちに、このインディオの方達は、殺
され、駆逐されてしまった。
 その悲惨な行為は、筆舌につくせぬ状況で、本『インディア
スの破壊についての簡潔な報告』に記されている。
 欲の塊(かたまり)のキリスト教徒とキリスト教聖職者たちは
黄金を手に入れたいという本心に猛進し、(キリスト教聖職者も
積極的にこの行為をしている、また、王へ献上すべき黄金を渡さ
ず、私腹を肥やしたとの事)、
 そして、誰も居なくなった地に教会を建てた。それを宣教と
称した。

2013年6月4日火曜日

アフリカの人々が奴隷にされないために介入し、(奴隷貿易をしたのだ)

題: アフリカの人々が奴隷にされないために介入し、(奴隷貿易をしたのだ)
....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 アフリカの方々を奴隷として、
 数えきれない人数の方々を、
 「奴隷狩り」という非人道的な言葉がある如く、
 そして、
 「奴隷海岸」という悲しい名の地がある如く、
 アフリカの地から狩り出された多くの方々。
 『歴史に残る・・人類の大汚点』。
 狩り出し行為をしたのは、
 ヨーロッパのキリスト教国の諸国と、
 やはり、キリスト教国のアメリカ合衆国。
 キリスト教の聖書は、
 「自分の民族のみ」に利する教義に満ちているが、
 「自民族に利すればよい」という教え・教義の行為を、キリ
スト教の神が率先して行う。
 キリスト教の神は、「神の義があるから攻めよ」と、
 そして、叫ぶ、「奴隷にせよ、奴隷にせよ」・・と。
 「人道的見地から、行動は躊躇します」などという面は、
 おくびにも無い、毛の先ほども無い。
 (参考)おくびにも出さない:物事を深く隠して、決して口に出さず、それらしいようすも見せない。おくびにも見せない。
 アフリカの方々を奴隷に狩り出し、
 「奴隷貿易で人を家畜同様に扱う『人家畜商売』。
 人を家畜同様に売買し、利益を欲しいままに得るキリスト教
国。アフリカの方々を人と見ないキリスト教の教義に洗脳され
て行なう事。
 運搬船も、人として取り扱っていないため、4人に1人以上と
いう死亡率の状態。非常に多くのアフリカの方々が、運搬中の
船の中で亡くなった。
 この様な蛮行をし、
 利益を欲しいままに得ている行為に対し、
 次の様な屁理屈論理で、自分たちの悪行為を正当化しようと
してる。
 「アフリカの植民地を分割し、その行為に加わり、そして、
侵略もしましたが、アフリカを、ヨーロッパに隷属させようと
する侵略ではありません。
 その土地で行なわれて来たアラブ商人による奴隷売買の悪習
を止めさせるという正義のための介入でした」・・と主張した。
 「外からの力を加えること無しには、アフリカの人々が自分
たちの生活を救い出す事は出来ない、
 アフリカの人々が奴隷とされないようにするためには、
 ヨーロッパ諸国の介入が必要だったのだ」・・という主張。
 中世の何も知らない、また、知らしめられない民とは、現代
人は違うのです。真実を知っています。
  (追伸)
 ヨーロッパ諸国は、植民地で、砂糖、コーヒー、綿花、タバ
コなどの農作物を農園で作り出した。
 しかし、労働者の不足に悩まされた。
 ヨーロッパ諸国は、インディアンを奴隷化した。
 そしてまた、これと同じ時期に、アフリカ大陸の大西洋沿岸
にも進出し、現地のアフリカ諸部族の黒人有力者から黒人を買
い取り、南北アメリカ大陸に輸出するという非人道的な『奴隷
貿易』をやった。
 そして、更なる悪行をした。『死の商人』である。
 『進んだ火器』を渡し、黒人の方々と交換した。
 日本の戦国時代のキリシタン大名が、その時代の必要性から、
進んだキリスト教国の武器『進んだ銃火器』を欲しがったのと
同様に、そのキリスト教国は、黒人の諸部族に自分たちの『進
んだ武器』を与え、その土地の黒人の方々を『奴隷』として連
れ去った。
 
 また同時に、当時進出していたインド産の木綿をアフリカ諸
 国の黒人有力者に売った。
 初期の奴隷貿易は、カリブ海地域および中南米が圧倒的であ
った。
 アメリカ合衆国では、インディアンの方達が奴隷化されてい
た。(18世紀)、もっぱらサウスカロライナ州を中心に、イン
ディアン奴隷の売買が盛んであった。
 アメリカ合衆国の黒人奴隷の方達は、プランテーション経営
が盛んになるに従って、多くの黒人の方々の安い労働力を多量
に必要としていた時から盛んになった。
 奴隷制度によって維持されるアメリカ南部の広大なプランテ
ーション農業が盛んになったのは、19世紀に入ってからである。
                (参考:wikipedia)

生まれによって賤(いや)しい人となるのではない。

題: 生まれによって賤(いや)しい人となるのではない。
.....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 
 仏教以前の宗教(例えば、バラモン教など)には、
女性の出家者が許されてなく、女性出家者は居なかった。
 しかし、
 
 仏教には女性出家者(尼僧)が居た。
 佛教が出来ての最初の女性出家者は仏陀の養母でした。
 (仏陀の実母は仏陀を産んですぐに亡くなられている)。
 この女性出家者の存在は、はるかヨーロッパのギリシャ人に
とっても驚きの先進的状況でした。
 このことは、シリア王の大使でギリシャ人の「メガスティー
ネス」が、インドの王のもとに来た時の見聞録に記録されてい
ます。
 その記録によれば、
 「尼たちが居て、そのうえ難解な事を男僧と共に、男女が分
け隔てなく議論していたことが、インドの驚くべきこと」とし
て記されています。
 その点、キリスト教は、現代の今時点においても、女性は聖
職者になれないなどの女性蔑視・男尊女卑をしています。
 そして、キリスト教の一番偉い地位であるキリスト教法王が
「女性は男の骨から出来ているのだし」と、女性聖職者が誕生
できない理由を、キリスト教の教義によっていることを述べて
います。近代においても、前近代的宗教の状態に置かれていま
す。
 仏教の基本の考え方は、この例の様な男女の平等性はもちろん、
 
次の仏陀の言葉によって分かります。
   「 生まれによって賤(いや)しい人となるのではない。
      生まれによってバラモン(高位者)となるのではない。
       行為によって賤しい人ともなり、
 
        行為によってバラモン(高位者)ともなる」。
                   (仏典:スッタニパータ)

2013年5月31日金曜日

わたげのゆめ

「わたげのゆめ」 (アリフ みらちよ)
     埼玉県富士見市つるせ小6年 
           (読売新聞2013・5・30)
     わたしはタンポポ
     わたしのゆめは
     はやくわたげになること
     タンポポはかれるとわたげになる
     わたげは風にのってとんでいく
     風がやむとわたげはおちて
     またうまれかわる
.
  可愛い詩です。心が温まります。
  可愛いみらちよさんが目に浮かびます。
  これから大人になっても、可愛い詩人でいるのかな。
  または、何かなりたい希望があるのかな。
  心温まる詩をありがとう。

2013年5月30日木曜日

空恐ろしくなる、話・・・。

 題:空恐ろしくなる、話・・・。
....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 イエスは、大工のヨセフの息子だという話は有名です。
 そして、イエスも大工をしていたのだろうとされています。
 お父さんの仕事の後を継いだ長男。親孝行な息子です。
 イエスが、福音書に出て来るのは、書かれている最初は、
洗礼者ヨハネの所に行って、洗礼を受けた時の話からです。
 洗礼者ヨハネは、イエスの従兄弟と言われています。
 イエスは尊敬していたのかもしれません。
 「是非、貴方に洗礼をして戴きたいのです」と言っている。
 後に、洗礼者ヨハネの集団にいた人たちが、洗礼者ヨハネの
刑死の後、イエスに従っています。と言うより、洗礼者ヨハネ
の死後、イエスは、その後も続けて継いで、一緒にやっていた
その運動をしています。
 イエスが、宗教に完全にはまった瞬間だったのでしょう。
 この時、イエスは35歳ぐらいでした。
 イエスは、37歳ぐらいで刑死し、イエスの活動の期間は、1
~2年とされています。
 洗礼者ヨハネの所に行った年齢は35歳ぐらいだったと考えら
れます。だから、イエスは、大工を35歳くらいまでしていて、
それから、洗礼者ヨハネの死も経緯し、活動に入っていったの
だろう。
 当時のイエスの大工の仕事は、「家具や農具の製作や修理」
だったと考えられています。
 この仕事は、遊行しながらもできるので、大工をしながら遊
行していたのだろうと言われています。(参考)ゆう‐こう【遊
行】 [名](スル) 1 遊び歩くこと。「外国に―して一時歓娯
を極むるに似たれども」〈織田訳・花柳春話〉 2 さまようこと。
 イエスは、宗教家を目指していたのではないことが分かって
います。そして、「托鉢をしていたのではない』。「托鉢をし
ていた」とは伝えられていません。
 時々、大工仕事をして食べていたのだろう。
 イエスは、当然、「教団を作ろうとも考えていなかった」。
 弟子達は、イエスが死んだ後、教団の様な似たものを作った
が・・・。
 イエスが、弟子と称する一連の人たちと行動を共にしたのは、
最後の1~2年は弟子らしく振る舞ったが、近所の仲間という感
じで、幼い頃からの友だちも居て、大工で近隣を歩いて居る時
に知り合った人も居て、元々は遊び仲間というか、行動を共に
していた人たちで、弟子という訳ではない集まりから弟子と呼
ばれる、また、弟子とされる人たちが生まれて行ったと考えら
れます。
 また、イエスは、最後は、弟子たちに「ラビ(ユダヤ教の聖
職者の呼び名)」と呼ばれている。当時、ユダヤ教の聖職者に
なるのが一番安定した職業であった。
 母・マリアも子供のために、裕福でない家計からラビの学校
へ行かせたのかもしれない。
 イエスの父・ヨセフは、マリアの妊娠について、ずいぶんと
悩んだようだが、そのヨセフは早世した。そのため、マリアの
苦労は人一倍その肩に掛かっただろう。
 イエスの親族は、母・マリア、兄弟は「ヤコブ」「ヨセ」「
ユダ」「シモン」だった。そして、イエスには姉妹も居た。
 弟子達には、漁夫も居た。
 イエスの出生地は、海岸から離れた地・ガラリアで、比較的
肥沃な地で農業が発達していた。
 また、交通の要衝で、異邦人も比較的多く居た環境から、イ
エスの異邦人に対する開かれた考え方は、
 (キリスト教は「異教徒は殺せ」であるが・・)
 ここから、この環境から生まれたのだと考えられる。
 海岸線に居住する弟子が比較的居た、そして、子供の頃から
の遊び仲間と、大工として、近隣のあちこちに行って知り合っ
た仲間たちであった。弟子たちの頭のレベルは、どうも低いと
しか言えない状態であり、
 パウロは、この弟子たちを含め、イエスの一切の「言葉」や
「行動」を無視しているが、
 この様な事は、弟子たちにパウロは、イエスの死後、会って
知っているから、その時の弟子達の人品・人望と、イエスのこ
とを弟子達から聞いて知っていたからかもしれない(また、パ
ウロはイエスたちと対抗する宗教・ユダヤ教の要職していたか
ら情報は多く持っていたのだろう)。
 パウロは、はっきりと、イエスのその様な言葉や行動は、無
視すると文で残している。
 パウロが、この様に、無視するイエスは、頭の回転は比較的
良かったようだ。ただ、怒りっぽい性格で、「怒った」と聖書
のアチコチに書かれている。
 また、弟子達を「叱った」ということも、聖書のアチコチに
書かれている。
 この様な怒りっぽさは、他の宗教の基本に居る人・創設者た
ちには無い。イエスは、人間的に、人間性に、満点は与えられ
ない。満点とは言えない。
 イエスと弟子たちは、よく意見が違い、そして、弟子達は叱
られている。
 聖書に記されている事だが、弟子たちはどうしようもないく
らいの低レベルだなと感じさせるものの1つに、
 イエスが、少しよい地位に就くかもしれないとのうわさ・話
題になった時、弟子たちははしゃぐ、そして、弟子たちの中で、
誰が一番最高の地位に就けるかなどで、言い争っているという
下らない話がある。
 この様な話題に興じている弟子たちを、イエスは叱るのだが、
叱るのも仕方ない面があるとも思える。
 弟子たちとエルサレム神殿の店や神殿前の両替商を壊したり
して、暴れ回ったりしているが、イエスが、すぐ頭に来る性格
はこの様な聖書の記述からも、あちこちで、すぐ分かり、裏付
けられる。
 また、イエスの性格で言える事は、「皮肉っぽくものごとを
考える性質(タチ)で、素直でない」ことである。
 後世のキリスト教の聖職者たちが、頭をひねって、何とか美
しくカバーしないとと努力しているが、素直に考えても、
 そして、どこから見てもおかしいところが多い聖書の記述内
容であり、また、状況である。
 聖職者が必死に正当化に苦労している所である。
 キリスト教は、その様に、四苦八苦して正当化された砂上の
楼閣のような論理・話を教義とした宗教と言える。
 例えば、下記の様な1例がある。
 一番最後に仕事にやって来て、「終礼のベルが鳴る間際に来
て、たいして働かなかった人と、朝から真面目に一生懸命働い
て来た人も、同じ給料を払うのだ。それが正しい」という話が
ある。
 そして、最後に、雇った人は「わたしの金だ。どう払おうが
わたしの勝手だ」と尻をまくって話が終わる・・という、
 おかしいのではないかと、正した人もぎゃふんの話だが、イ
エスも、待ってましたとばかり「その通りだ。平等だ」という。
 この話についても、キリスト教聖職者の方達は、必死に、イ
エスを正当化にしようと努める。
 この様な輩、遅刻よりもっと悪い、「仕事が終わりますのベ
ル」が鳴る間際に会社に来て、今・現代、この様な輩ばかりが
会社に居たら「会社はつぶれます」。
 会社は趣味でやっているのでない。
 社会にこの様な輩が充満したら、社会に居たら、社会は破滅
します。社会の機能が働かない。
 どこから見ても正しくない話をキリスト教は正しいという。
 キリスト教徒の方たが、ならばと言うのなら、貴方も明日
から、その様にしてみたら分かります。聖職者は「日曜以外は
日曜日ですから、聖職者の方たちには分からないでしょうが」、
絶対に、キリスト教の教義だとは言え、貴方はできないでしょ
う。キリスト教とはこの様な宗教なのです。屁理屈で成立して
いる宗教なのです。社会に通用しません。社会に害悪を流して
います。
 キリスト教の教義どおりにしたら、あなたも、社会も、会社
も成り立たないのです。
 この様な話に浸っている毎日を過ごしていると、キリスト教
徒は、洗脳されて来ると、社会からはみ出す結果となります。
 正常に思考できるようになる努力をしてください。

2013年5月28日火曜日

キリスト教の、福音書について・・・。

 題:キリスト教の、福音書について・・・。
.....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の聖書は、何ら深い示唆を与える本ではない。
 まず、非科学的記述に満ちている書物だ。非科学的害毒を流
していると言える。また、非道徳的な記載が驚くほど多い。
 例えば、兄弟で殺し合ったり、息子が父親を裏切ったり、親
切な牧場主をだまして、女房・子供を置き去りにして、逃げ回
ったり、非道徳的な本の極みにある。
 故に、かばった言い方をしても、せいぜい「道徳本」程度の
ものとしか言えない。
 また、聖書記述者のレベルも低かったし、程度も悪かったの
だろう、また、日本語への翻訳も程度が低い状態。
 元々、宗教的意味の無いものだったからだろうが、翻訳者も
苦労したのだと思えるが、記述内容で頭をひねるところが多す
ぎる。聖書と呼ぶが(民族が厳しい砂漠の地で生き抜く『マニ
ュアル』と言うべきもの)。
 キリスト教系の学校へ行っている子供が「辛(つら)い」と
言う。週に、2時間も学習時間があると「嘆(なげ)く」。
 キリスト教の聖書は、福音書を比較したりすると、その悪さ
かげんが分かる。
 前に書かれた福音書を参考にして、後の福音書は、書かれた
というが、前に書かれた福音書の「批判書だ」ということが分
かる。
 「共観福音書」とキリスト教が言うが、プロパガンダ(嘘宣
伝)だ。
 ドロドロしたキリスト教内の『路線争い』を隠している言い
方だ。路線とは「考え方が違う」という意味だ。
 キリスト教の原初の時代、発足時にも、この宗教に、長い歴
史に渡って存在する、今・現代もあり過ぎるほどある路線争い
が、「原初の時代」からあった。「共観」などしていない。
 書く必要性は「前の福音書が駄目だから書いたのだ」と主張
している。
 百歩譲って、書くのは良いとしてあげても、自分の考えと違
って居ると、理由を問わずに、前の書いてある部分を簡単に削
除したり、違う考えを書き込んだり、好き勝手をやっている。
 『改悪』もいっぱいある。「共観福音書」などとんでもない
言い方だ。共観などしていない。
 「マルコ」・「マタイ」・「ルカ」・「ヨハネ」の4つの福
音書があるが、前の3つを「共観」と称しているが、
 「共著」ではない。
 共著と錯覚した感じを持ってはならない。
 これ等の記述者は、各自勝手に書いている。だから、矛盾点
も多い。
 まとまらない性格のキリスト教が形成された原因の1つだ。
 キリスト教はプロパガンダ(嘘宣伝)が得意だが、聖書の呼
び方まで、この様に嘘宣伝している。
 ある教会は、聖書は一人で読むと危険だから『一人では読ま
ないこと』と指導している。聖書とはこの様な書物。聖でも
何でもない。じっくり読んで「味わい」「養われる」というも
のでは無い。
 聖職者が勝手に美しく解釈し、聖職者の独自の宗教観が、自
分の宗教が教会で話されるが、こうしないと、こう話さないと、
成立しない聖書の記述であり、宗教なのである。
 聖書の中に立派な宗教観などない。短い道徳的記述はあって
も、宗教観はない。そのほとんどが、害あって益なしという書
物。
.
(追伸)
 キリスト教聖職者やキリスト教徒が、イエス・キリストの言
葉に「汝の敵を愛せよ」という言葉がありますという。必ず、
この言葉を言う。そう、その通りと思います。良い言葉です。
 しかし、その次の言葉が出て来ないのが現状。
 聖書は全く悲惨な事ばかり書いてある。本当にここまで書く
のですか?と聞きたくなる感じです。
 誰だって、すこしくらい、汝の敵を愛してやってくれ、
 『汝の敵を愛せよ』と言いたくなります。
.
 (参考)共感福音書(Wikipediaには以下の様に書いてある)
 :共観福音書(きょうかんふくいんしょ)は、キリスト教の新
約聖書の四つの福音書のうち、ヨハネ伝を除くマタイ伝、マル
コ伝、ルカ伝のことを指す。この3つには共通する記述が多く、
同じような表現もみられる。聖書学の研究の結果、本文を相互
に比較し、一覧にした共観表(シノプシス synopsis)が作られ
たことから共観福音書と呼ぶようになった。

2013年5月27日月曜日

母・マリアは、イエスを捕えに・・・。

 題:母・マリアは、イエスを捕えに・・・。
.....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 有名な話なので御存じだと思いますが・・、
 お母さんと兄弟姉妹は、一番大切な人たちです。
 ましてや、お父さんが無くなっていれば、特に。
 その様な時、
 お母さんや兄弟姉妹たちが貴方を訪ねて来たとしたら、
 貴方は飛んで行って「会っていなかった空白の時間を埋める
様に話を始めるでしょう」。
 そして、お母さんや兄弟姉妹の健康を気遣い、尋(たず)ね
たりします。
 しかし、次の様な文があります。
 母と兄弟姉妹たちが、訪ねて来て、訪問先の外に立ち、
 そして、人をやって、その訪問を知らせた。そしてその時。
 その人の周りにいた人たちも、「御覧なさい。母上と兄弟姉
妹がたが外で貴方を捜(さが)しておられますよ」と教えた。
 すると、その時、その人は言った。
 「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか?」と答えたという。
 そして、周りに居た人たちを見まわして言ったという、
 「(その人たちは、わたしの母ではない。わたしの兄弟姉妹
でもない)。見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がい
る。神の御心を行なう人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母な
のだ」と。
 つまり、信仰を行なう人が父母・兄弟姉妹なのだと言いたか
ったのでしょう。
 この人の父母・兄弟姉妹が同じ信仰なのにです。
 違う信仰を行なっていたということではないのにです。
 一緒の信仰をしているのに、この様な言い方をした。
 この母と兄弟姉妹たちが、わざわざ訪ねて来たのは、何か大
切なことがあったのでしょう。
 周りの人たちも、そのことを知らせてくれているのに、
 この様な「無視する言葉」「不忠義な言葉」を言う。
 それも、一番大切なお母さん、そして兄弟姉妹に対して。
 この人の人間性に疑問を感じませんか?
 軽蔑する心も起きませんか?
 周りの人に教え導くためだとしても、適切ではありません。
 非常識です。
 温かい人間性を感じる言葉ではありません。
 優しい心の欠片(かけら)もありません。
 このお母さんはマリアです。
 兄弟姉妹と一緒にイエスを訪ねて来た時の話です。
 この話は、キリスト教聖書の(「マルコによる福音書」3・
31)にあります。
 信仰しているあなた達が大切と言いたかったとしても、
まったく適切な言葉ではなく、また、適切行動が取れていない
です。しょうわる(性悪)さがあります。
 人をさびしい、悲しい気持ちにさせる話です。
 この様な話に、毎日、接していると・・、
「自分の人間性もしょうわるに感化されるので、注意が必要で
す」。
 聖書記述者の人間性もこの様に駄目だったので、この様な聖
書になったのでしょう。
 この様な記述は伝承される価値はありません。
 しかし、恐ろしいことにキリスト教はこの様におかしな話で
感化しよう、宣教しようとしています。
 色々な理屈・屁理屈を言って、理由付けをします。
 これは正しいのだと。
 信徒の方達は、最初は変だと思っていても、接しているうち
に、洗脳され、おかしいと感じていたことが、正しい判断がで
きなくなってきます。
 最後は「そうかなー」と思い、自分の母や兄弟姉妹たちにも
同じ様な行動や言葉を言うような人になっていきます。
 キリスト教聖書は「無謬だ」「間違いない」と言い続けられ
ていると・・・、
 だんだん、判断力も低下してきます。
 恐ろしい感化が気付かづに進行して行きます。
 何も正しく判断できない羊がそこに居るという状態になりま
す。
 聖職者はその効果がより上がる様に、壇上に上り、着飾り、
振る舞って言うでしょう。
 イエスの母・マリアは、イエスの従兄弟の洗礼者ヨハネ(イ
エスの母マリアにとっても親族の洗礼者ヨハネ)が、捕縛され
処刑されている。
 それで、イエスの所へ、イエスを気遣って、兄弟姉妹を連れ
て一緒に来たのでしょう。
 ある福音書には「イエスの母・マリアは、イエスが気が狂っ
たと思っていた」と書かれている。
 そしてまた、「母・マリアは、兄弟姉妹と、イエスを捕えに
来たと書かれている。

2013年5月26日日曜日

内村鑑三の言いたい事・・など。

題:内村鑑三の言いたい事・・など。
.....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 内村鑑三の言いたい事:
 「キリスト教は権謀や術数を使い過ぎる。
 何故、それらの権謀や術数が必要なのだ。
 神の真理を証明するのにそれが必要なのか?
 (それを用いなければ神の真理は証明できないものなのか)。
 そんなことをするから、キリスト教の道、神の道が乱れに乱
れているではないか。
 信者を増やそうとして、やってはならないことをしている」。
.
 内村鑑三の言葉:
 「余輩は無教会信者なり」。
 (参考)よ‐はい【余輩/予輩】 [代]一人称の人代名詞。
 わたし。また、われわれ。「此度―の故郷中津に学校を開く
 に付」〈福沢・学問のすゝめ〉
.
 内村鑑三の考え方:
 「人を信者にするのがわれのなしうるところにあらず、
 人に福音を証明するのがすべきところなり。
 われの職責は信者を作るにあらず、
 福音を証明するにあり。
 人が信者となるとならざるは われの関するところにあらざ
 るなり」。

2013年5月22日水曜日

キリスト教の本路線・・・。

 題:キリスト教の本路線・・・。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 死んでくれたという恩義という『義』を、
 信仰のエネルギーにしているキリスト教。
 その様に設定したのは、パウロ。
 パウロは、ユダヤ教のガチガチの聖職者だった。
 キリスト教の旧約聖書は、
 ユダヤ教の正典でもあるが、
 パウロの頭には、
 このユダヤ教の正典が頭にこびりついていた。
 このユダヤ教の正典には、
 スケープゴート(生け贄の山羊)・
 供犠(くぎ)の観念が
 嫌と言うほど書かれている。
 血の供犠である。
 この観念に染まったパウロは、
 十字架上の死の血を供犠とし、
 復活と共に、
 キリスト教の宗教企画の骨格とした。
 また、
 『復活』もユダヤ教正典に出ている一般的な事。
 今、
 パウロが宗教企画したキリスト教が、
 キリスト教と呼ばれているが、
 イエスの流れをくむイエスの弟・ヤコブを教会指導者とする
 イエスの親族方たち、
 及び、
 イエスの直弟子たちのキリスト教の流れは、
 このパウロのキリスト教とは違う。
 このイエス親族の本路線と、パウロの路線があり、
 今、キリスト教は、
 パウロ路線のパウロ・キリスト教と言える。

2013年5月21日火曜日

仏教の求めるものの1つに・・・。

 題:仏教の求めるものの1つに・・・。
....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 仏教は多様な考え方を柔軟にする。
 その仏教が求めるものの1つが、下記の言葉の中にある。
 「
  まとめれば、直接的にであれ間接的にであれ、
    私の母である総べての衆生に、
       幸福と益をともに捧げることが出来ますように、
         彼らを苦しめるもののすべてを、
          密かに私が引き受けることが出来ますように
                            」
 
(ゲシェ・ランリ・タンパの『心を改造するための八つの詩頌』)
の一つ・・とある。
 仏教は、総べての人々・衆生へ、私の母である衆生の人々へ、
 直接であってもいい、間接的であってもいい、
 どんな方法ででも、
 衆生の皆様・人々に、幸せと豊かさを捧げることができます
ように、そしてまた、
 愛する彼らが苦しめられない様に、
 たとえ彼らが苦しめるられているのなら、その苦しめるもの
すべてを、密かに私が引き受けますから、引き受けることが出
来ますように・・・仏教には、
 既に、この様なキリスト教が求める様なものは既にあった。
 仏教は、幅広く思考を巡らして来た宗教であるが、標記の様
な教義・考え・思想もあった。
 キリスト教の様な1つの範囲ではない。
 仏教は、幅広い総べての人々・衆生への思い遣り・愛を示し
たのに対し、そして、深い愛であるのに対して、
 キリスト教は、「キリスト教の信徒に対して、十字架上の血
で贖(あがな)った」としている。
 キリスト教は「人々・衆生」ではない。その他の人々は、キ
リスト教とは違う宗教を持った人々だとして見る。
 異教徒として見る。
 そして、「異教徒は殺せ」の教義に思考が支配される。
 どうしても、人々を、キリスト教以外を信仰する民と見るキ
リスト教の教義から限定されたその思考に支配される。
 異教徒へは嫁にやるなという教義もある。

2013年5月19日日曜日

キリスト教の伝道活動について

 題:キリスト教の伝道活動について
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教の実体が判らなかった明治維新は、
 西洋のすぐれた学問などの知識を得たいの機運から、
 日本人の優れた特性「進取の精神」から、
 西洋の学者や教師を招いて『何でも学ぶ時代』だった。
 何でもかんでも勉強しよう、学ぼうの日本の民だった。
 その様な時代は、「西洋の総べてが良い」の気運で、
 その時代の想いからキリスト教もよいと思った。
 それ故、進取の思考の明治の学究の徒の人たちは、キリスト
教も一生懸命に学んだ。
 そして、まだ、よく分からない内にキリスト教化した人もい
た。
 しかし、今現在、キリスト教の事が、種々、分かってきた時
点において、
 また、最近の聖書学などのキリスト教研究において、
 それらの研究成果の情報から、キリスト教の問題点が、
種々、分かり、明らかとなって来た。
 しかし、それ故、キリスト教は、プロパガンダ(キリスト教
は素晴らしいという嘘宣伝)に専心している。
 その為もあり、その悪さ加減が隠されているけらいがあった。
 今、西洋・ヨーロッパは、脱キリスト教が、大分、進んでいる。
 アメリカにおいても、知識層は、特に、脱キリスト教の状況と
なっている。
 それ故、キリスト教側も、教勢の維持の行動を強く行なって
いて、例えば、学校などの場でのキリスト教教育について、問
題が多発し、裁判事例も多い状況となっている。
 その多くで公正な宗教教育が大義である事により、キリスト
教側の敗訴が続くという状況の中にある。
 その様な現状の世界の中で、日本においても、活動や働き掛
けがある。
 例えば、NHKを利用したキリスト教の巧妙なる伝道行為が
多く見られる。
 以下は、その事例の1つ。
(参考)しん‐しゅ【進取】 みずから進んで物事に取り組むこと。
「―の気性に富んだ人」
(参考)がっ‐きゅう【学究】 もっぱら学問の研究に携わること。
また、その人。「―の徒」「―肌の人」
.
ーーー1事例ーーーー
題:NHK、キリスト教に偏する放送をし続けている。
.
 拝 啓、
 御仕事、ありがとうございます。
 下記はNHKへ送信した文です。
 NHKは、何度、申し上げてもキリスト教に偏しています。
 (キリスト教の美化行為と他宗教の侮蔑行為)をする放送を
し続けています。
 キリスト教の『巧妙なる伝道』行為となっております。まっ
たく改まりません。
 是正するように促していただけないでしょうか。
 よろしくお願い申し上げます。         敬 具
 ーーー(NHKへの送信文)ーーー
 題:NHK、キリスト教に偏する放送をし続けている。
.
 2013・5・18、NHKラジオ第一、am4:05~、番組名:「ラ
ジオ深夜便、明日への言葉・ハンサムに生きる」、話者:佐伯
順子氏(同志社大学大学院・教授)、アナウンサー:中村宏氏
(NHK職員、明治学院大学卒)、
 NHKは、キリスト教に偏する放送をよくしますが、今まで、
その数々の行為を指摘させてきましたが、改まりません。
 本日の標記の番組も、この類いの放送でした。
 内容は、NHKが、日曜日の大河ドラマと銘打ってNHKが力を
入れて放送しているドラマの主人公の「八重」を絡め、キリス
ト教を美化する、偏した放送内容でした。
 結局、放送内容は、「キリスト教の巧妙なる伝道行為」と
「NHKの番組宣伝」でした。
 NHKは、キリスト教系の大学教授を話者にして、「キリスト
教の巧妙なる伝道行為」を放送することが非常に多い状況です。
 本番組もそうですが、この様な行為、NHKという絶大な影響
力を持つ公器を、あたかも私物と化し、
 キリスト教の伝道行為をするNHK職員もキリスト教系の大学
を出身とするNHK職員が多い状況です。
 「キリスト教を美化し、その他の宗教をを卑下する放送」。
まったく一面的な見方を、さも正しい様に言います。
 その様な話を大学教授という話者に話させる。
 キリスト教は愛の宗教、キリスト教以外の宗教の愛は、女性
の立場を認めていない。
 他宗教は女性を抑え込んでいると言う。
 まったくキリスト教だけを美化する偏した言い方だ。
 キリスト教聖書を読めばわかること、キリスト教でも兄弟で
殺し合い、親を裏切るなど、「愛あるべきところに愛がない」
という記述などが一杯ある。
 「キリスト教の愛だけが正しい愛だ」と断言する話者。まっ
たく酷い偏った言い方だ。
 まったく洗脳的にNHKの放送媒体を利用して伝道する。
 「平等のキリスト教だ」と美化・宣伝・伝道行為の話が続き、
その類いの話に満ちている。
 仏教にも「平等院」という建物があるのを1例の様に,平等を
説く。
 他の宗教を、この話者は「全くない」と断言し、卑下し放送
する。まったく偏っている。
 他宗教は、あたかも古来の愛だ、駄目なのだという悪印象を
植え付けようとしている。
 キリスト教に関しては素晴らしいの話ばかり。
 他宗教は封建的だという言い方。献身の愛だというが、キリ
スト教もこの愛は説いている。
 キリスト教以外の他宗教は、それが虐げられているという印
象を与える言い方。
 他宗教は古いという印象を与える言い方。
 押し付けられている愛だとは、まったくの言い過ぎ。
 虐げられた愛だとは全くの言い過ぎ。
 他宗教は、キリスト教より劣っているのだと思わせ、洗脳する
言葉。
 キリスト教だけが平等で正しいのだとの独善の話。
 NHKの公共放送で呆れる内容。
 NHKも編集すべき、カットすべき内容を、そのまま放送電波
に乗せてしまったという内容。
 だから八重はキリスト教に引かれたのだと何度も言う。
 NHKの偏頗なキリスト教美化の放送はよくあり、仏教など他
宗教の話は全くない偏した放送状況にあります。
.
(追伸) 明治の人が維新の時、西洋から学んだ事が、今の学問か
ら見れば、悲しいかな陳腐化している。これは止む得ないこと。
 同様に、明治のキリスト教研究も同じことが言える。同様な
レベルなのです。

2013年5月17日金曜日

イエスの救済・・当然、パウロとは違う。

題:イエスの救済・・当然、パウロとは違う。
...(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教で、最初に書かれた聖書は、「マルコによる福音
書」である。
 紀元50年代に書かれ、70年代に全体がまとまった。
 因みに、それに続く「マタイによる福音書」は、「マルコに
よる福音書」を下敷きにして、紀元80~85年代に書かれた。
 そして、同じく、「マタイによる福音書」を下敷きにした「ル
カによる福音書」が続き、「ヨハネによる福音書」へと続く。
 (注)このヨハネは、後述する「洗礼者ヨハネ」とは違う。
 このキリスト教の最初に書かれた福音書・「マルコによる福
音書」に、最初に書かれていることは・・・。
 イエス・キリストの事を記述したと言われるキリスト教聖書。
 この福音書における、記述の初めは、いきなり、イエスの洗
礼から始まる。
 イエスは、活動を開始するに際して、まず「洗礼者ヨハネ」
の所へ行った。そして、彼から洗礼を受けた。
 30歳代、前半の歳だった。遅い活動開始だった。
 これ以前のことは、何も書かれていない。
 ・・・ということは、書く必要のない年月が流れたと、「少
なくとも」言える。イエスは、子供のころは優秀だったという
話はある。また、「洗礼者ヨハネ」は、イエスの従妹との話も
ある。
 洗礼者ヨハネと呼ばれる男は、当時、イエスに先駆けてパ
レスチナで「神の国運動家」として活動していた。
 彼は、イエスの親戚の中で、世間に知られている人だった。
 彼は、(「マタイによる福音書」3・4)によれば、
 「ラクダの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯を締め、
 イナゴとの蜜とを食物としていた」とある。
 洗礼者ヨハネも、イエス・キリストも、ユダヤ教の「エッセ
ネ派」という共通の背景があったと言われている。
 イエスは、ヨハネから洗礼を受け、一緒に「神の国運動」の
活動をした。
 当時、エルサレムには、この類いの活動家や預言者が、大勢
居て、公的な地位の預言者も居るくらいだった。
 しかし、そのほとんどが、エルサレムの傀儡(かいらい)政
権から取り締まられ、捕えられ、命を落とした。
 洗礼者ヨハネも捕えられ、殺された。
 イエスは、洗礼者ヨハネが殺されると、一人になっても彼と
の活動だった「神の国運動」を続けた。
 洗礼者ヨハネと同様に、「時が近づいている」、「歴史の終
わりの時だ」、「終末の時だ」・・と告げた。
 そして、「悔い改めよ」と人々に言った。
 「罪の許しを受けよ」・・と。
 そして、イエスは自分の活動も加えたりした。
 イエスが、洗礼者ヨハネの死後、彼の運動を継続したその内
容は、「赦し」と「救い」を中心にして、
 前記の様に「神の愛を信じて悔い改めよ」と強調した。
 イエスは、パウロの様な「救済」とは違った。
 イエスは、パウロの様な「十字架上の血の神への供犠(くぎ)」
ではなかった。
 そして、「復活」するという、
 強烈なユダヤ教徒だったパウロが採用するだろう、また発想
するだろう旧約聖書(ユダヤ教正典)での救済とは、当然、イ
エスは違った。
 今、キリスト教は、「パウロ・キリスト教」と呼んでもよい
位のパウロ路線の教義となっている。
 また、現在、この様なパウロ路線を選択しているキリスト教
は、
 キリスト教の聖書に、
 路線が違った「最初に書かれた聖書・マルコによる福音書」が
最初の福音書だとはっきりしているのに、
 パルコ路線に合う「マタイによる福音書」が、
 さも、初めに書かれた聖書の様な順番で記載されているから
注意を。
 この様な事までするキリスト教。
(参考)く‐ぎ【供犠】 神に、いけにえを供える宗教的・呪術
的(じゅじゅつてき)儀式。また、そのいけにえ。きょうぎ。
 (参考)かい‐らい【傀儡】 自分の意志や主義を表さず、他
人の言いなりに動いて利用されている者。でくの坊。

2013年5月16日木曜日

今は、・・「三位一体神」。

題:キリスト教の信仰対象の神は、今は、「三位一体神」。
.......(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 ヨハネには、「三位一体神」など、頭に、まったく、なかった。
 三位一体神と言ったら、即座に「それ何?」と、返事が返って
くるだろう。
 (「ヨハネの手紙1」2・22)を読んでみて下さい。
 完全に、彼は、2神の考えです。
 「御父と御子」です。
 その文は・・
 偽り者とは、イエスが「メシアではない」とイエスを否定する者
ではなく、「御父と御子」の(2神)を否定する者」・・・と、
言っています。
 「この(2神の)御父と御子」を認めない者は、「反キリスト」
です・・・とも言っている。
 完全に、信仰対象のキリスト教の神は、2神です。
 キリスト教の最高の会議である「公会議」でも、
 「御父と御子」の2神が、キリスト教の神だと決定したことと
符合(ふごう)する。
 時代が経っても、なかなか「聖霊」を神としなかったが、
大分、時が経た後、すったもんだの挙句に、
 「異端だお前は」の暴挙・暴言が出る大荒れの中で、
 「聖霊」が、キリスト教の神に加えられた。
 そして、「三位一体神」とされた。
 異端とされた者は去っていった。
 「御父と御子」の2神の時も、
 一神教ではないではないか?・・という事が引っ掛かって、
気になっていたのだろう。
 「聖霊」を加えて3神になっちゃうの?というところで、
 「三位一体神」の解釈が出た。
 また、イエス・キリストは、別の神概念を持っていた。
 調べて見て下さい。
 色々と、一番、大切な神概念が変遷するキリスト教なのです。
 貴方の、今、祈っているキリスト教の神も、
 これから変わる確率は高いのです。今までの様に。
 キリスト教は、その様な宗教。

2013年5月15日水曜日

戸惑いの中の教え・・・。

題:戸惑いの中の教え・・・。
....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教という宗教は、矛盾が多く、
 信徒の方達の心は、戸惑いの中の信仰となっている。
 この信徒の方々の戸惑いは、仕方のない「必然の理由」が
あり、この原因は、キリスト教がこれまで辿(たど)って来た
経緯の中にある。
 イエスが亡くなり、エルサレムに出来た教会の中心、その指
導者は、イエスの弟の『ヤコブ』であった。
 (教会と言っても、神殿の中に居たという報告がある)
 そのヤコブのグループは、イエスの弟のヤコブの他、親族、
そして、イエスの直弟子達によって形成されていた。
 そして、この他にもグループがあった。
 この複数のグループが、原初のキリスト教に存在し、今現在
のキリスト教にその影響が、色濃く投影されてキリスト教が
出来ているところに、今、キリスト教徒の方達が戸惑う原因が、
ここから発生している。
 その複数のキリスト教の原初のグループは、相いれない状況
にいた。
 そして、その相いれない、それらのグループの宗教思想が、
現代まで尾を引いている。
 その他の一つのグループが、パウロのグループだ。
 パウロは、昨日まで、ユダヤ教のバリバリの活動家だった。
 そして、その昨日までが、キリスト教徒を殺すような輩だっ
た。
 パウロは、活動していたユダヤ教のグループ内の出世問題が、
パウロ離脱の本当の原因なのだろうと言われているのだが、
 今しがたまで、盛んに対抗していたキリスト教のグループに
入ってくる。
 「天からのイエスの声が聞こえた」とか、
 「失神するぐらいの襲撃を受けた」とかと、
 劇的な回心を説明するが、
 急な心変りと言われても、否(いな)めない状況だった。
 パウロが、キリスト教に入ってきたからといって、
 「イエスの弟のヤコブ達のグループ」と考え方や行動が、総
べて一致するという訳ではなく、
 パウロは「生前のイエスの言葉や行動」に、(イエスの言葉
に、まったく理解を示さなかったと言われても仕方ない位に)
まったく触れなかった・・と言うより、無視した。
 イエスの「十字架上による死」と「復活」を取り上げて、
 自分なりの宗教企画を作った。
 パウロが作った『宗教企画のこの形』は、
 パウロが初めて作ったという「オリジナル企画」という訳で
はなく、
 昨日までガチガチのユダヤ教活動家のパウロが、
 この「十字架上のイエスの死、血による生け贄(にえ)」は、
ユダヤ教に、既にある供犠の話であり、
 また、「イエスの復活」の話も、ユダヤ教に既にある話だっ
た。
 これ等を取り上げて、パウロは活動を開始した。
 これ等をギリシャなどの伝道において、ギリシャに馴染む
ように変えたりした。
 そして、このパウロの路線上にある福音書「マタイ」「ルカ」
を作り、これによって伝道した。
 この様な経緯の中で、マルコは、パウロの「生前のイエスの
無視行為」に対抗して「マルコによる福音書」を作った。
 「マルコの路線」である。
 このマルコと「マタイ・ルカの路線」の複数路線の福音書が
出来た。
 現在のキリスト教には、この様な重複路線があり、
 この他にも、御存じのように「ヨハネによる福音書」の別な
路線があり、原始キリスト教のヤコブ達の流れがあり・・とい
う、キリスト教の原初にも複雑な路線問題が存在した。
 時代経過の中でも、この複雑な路線問題は、際限なく繰り返
され、広がり、撲滅されたりを繰り返しているのがキリスト教。
 一本、しっかりした本筋が無く、相矛盾する教義が多い宗教
という状況となっている。

2013年5月14日火曜日

節操無く・・・変化すること。

題:節操無く・・・変化すること。
(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 パウロに、イエスを神と崇(あが)める気持ちは、
あったのだろうか?
 パウロは、ガチガチのユダヤ教徒で、
 偉い地位にも居た。
 その躓(つまづ)きなのか?
 エポックメイキングな出来事があったという事で、
キリスト教徒となった。
 回心したのだと彼は言う。
 彼は、イエスを「イエスの贖罪」という観点のみを、
強調的に捉(とら)え、
 当時の誰でもが知っている「血による贖(あが)い」
という観点のみから取り上げている。
 だから、生前のイエスの「言葉」や「行動」について
は、まったく触れていない。
 彼のタブー?と言いたいくらい。
 また、当時の人々のよく知る「復活」と共に、
 イエスがおくびにも考えていなった「宗教企画」が
パウロによってなされた。
 パウロは、イエスとも会ってもいないし、
 イエスについては、「そこまでだ(生前のイエスは
無視)」と考えていた。
 事実、パウロは、(「コリントの信徒への手紙1」
2・2)で、「なぜなら、わたしはあなた方の間で、
イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト
以外、何も知るまいと心に決めていたからです」と言っ
ている。
 イエスを神格化しようとする意識はないし、その
行為もない。
 何百年も経た後の「キリスト教公会議」で、
 「イエスを神とするか?どうかで、大もめの末に
決定された」。
 それも、1回で決まったわけではない。
 それほど、イエスは神かどうかの影が薄かった。
 イエスの神格化は、後の、キリスト教が「ヘレニズム
世界」に入って行ってから始まったのだ。
 イエスが、次第に「主」(ギリシャ語で「キューリ
オス」)と呼ばれ始めた。
 そして、この言葉と共に、イエスの神格化が促(う
なが)されて行った。
 また、ヘレニズム世界には、偉大な人間を「神が
受肉した者」、あいは、神々の「化身」として見ると
いう風潮が広く見られた。
 ローマ皇帝を、神として崇める風潮が、特に、東方
に顕著に見られ、ローマ皇帝もキューリオスと呼ば
れた。
 イエスが、当初、パウロによって「贖罪感覚」を
付けられたが、
 この贖罪感覚と共に結び付けられて行ったのが
「ヘレニズム世界」での『神が受肉した者』であり、
 唯一絶対のメシア観」であった。
 キリスト教は、この「ヘレニズム世界」でヘレニズム
世界に流布されていた事と、くっつきながら装飾されて
行った。
 また、ヘレニズム世界でのユダヤ教徒が、彼らの神
 「ヤハウェ神」を、既に、「主」と呼んでいた事が、
 キリスト教は影響されて、イエス・キリストを
「主」と呼ぶようになった。
 また、この行為、キリスト教がイエスを「主」と
呼ぶようになり、
 ユダヤ教は融合して居たキリスト教徒(正確には後の
キリスト教徒)を疎(うとま)しくなり、
 呪いをもって追放し、「追放決定」が下された。
 最初、パウロなどの伝道は、地方に、既に広まって
いたユダ教の会堂(シナゴーグ)で行なわれていたほど
ユダヤ教徒と融合していた。
 世話になったユダヤ教に、後ろ足で砂を掛ける様な
事をしたキリスト教だった。
 ちなみに、今のキリスト教は、正しく言うとしたら、
 「ヘレニズム化したパウロ・キリスト教」という事
になる。
 これから、まだまだ、キリスト教は、ヨーッロッパ
大陸に入って行くに際して、節操なく、恥ずかしい位に、
現地の宗教と習合していく。
 これが唯一絶対と信じるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの
宗教の節操のなさだった。適当宗教状態だった。

2013年5月13日月曜日

その様な感情があるところには、友情は育たない。

題:その様な感情があるところには、友情は育たない。
......(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教徒は、主イエスの御業に驚きます。
 しかし、ファリサイ派には怒りを表します。
 それは、キリスト教徒が神を真に礼拝することを妨げるから
です。
 ファリサイ派の人々は、その様な罪人なのです。
 ・・・キリスト教は、この言葉の様に、ファリサイ人を咎
(とが)めます。
 ファリサイ派というファリサイ人は、非常に狭い一地域の人
でした。
 ある極端な一点を「非」として攻め、
 そして、自派については
 結局、キリスト教聖職者が、「イエスの給食の奇跡」を例に
言う様に、
 「給餌されつ羊」に例える様に、
 「飼い主によって愛され、養われることを喜びなさい」と説
く。
 動物・羊に例えられたキリスト教徒が、
 神に愛され、
 天から「天の国の養い」を分けて、与えられて、
 喜ぶという宗教が=キリスト教なのである。
 そして、
 天を仰ぎ、
 天を讃美するのが「良き信徒」とされる宗教なのである。
 5000人に給食したとか、
 その様な話ばかりの宗教。
 何ら示唆する言葉が少ない宗教。
 生活保護宗教。
 「慈悲」「寛容」という人間性来の性質と善い心を実現しよ
うと、精進や修業を大切にする仏教と大きく違う。
 キリスト教は、多いに仏教に学ぶべき必要性が存在する。
 自分の信仰だけの、固執した探究(本当は、探求と思ってい
たが、本当は探求にはなっていない)に留まっている。
 それではいけない。
 ましてや、自分の信仰だけを偏頗(へんぱ)に歌い上げてい
るだけだが、それではいけない。
 ましてや、キリスト教は、他宗教に対し「異教徒は殺せ」の
教義の様に、排他の心が強く、
 その様な排他の態度ではなく、他宗教に対して「共感」と
「敬意」をもって、
 開かれた態度が取れる様でなければならない。
 現代では、特に、この要素が必須の要素である。
 キリスト教に強い「裏切り」や「冒涜」の意識(聖書には
その記述が非常に多い)と、
 それに対する非情な「それを処す行為」は、排除すべきで
ある。
 人は「生来、善良である」という仏教に対し、キリスト教の
性悪説の視点から、キリスト教は変わるべきなのである。
 そして、性善説の「自分をより良くしてくれる」という視点
になるべきなのである。
 性悪的に「すべて敵だ的な考え方・視点」を変えるべきなの
である。
 「他と分け合う、そして、分けあうことの友情」を、キリス
ト教は学ばねばならない。
 キリスト教の聖書で教える「(キリスト教の)神の義があれ
ば」という『免罪符」を、我が民族へ与えて、
 我が民族が食べる糧を、奪い取りに行くことを『是だ』とし
て教えるキリスト教の聖書は、大間違いなのである。
 全面的にキリスト教に流れる、キリスト教の心底に流れてい
るこの様な性悪の観念の宗教であるキリスト教は、
 「他人と分け合うことの友情」を強く説く宗教に変わらなけ
ればならない。
 聖アエルドは言う、キリスト教にあるものは「相手の持って
いるものを奪い取ろうという欲望」や「他人への憎しみの感情」、
 そういうキリスト教にあるもの「その様な感情があるところ
には、友情は育たない」と言っている。

2013年5月10日金曜日

神の義だ、それでよいのだ。

 題:神の義だ、それでよいのだ。
.....(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 キリスト教は、卑劣な行為をよくするが、
今現在も行っている1事例。
 アマゾン地域において、
まだインフルエンザ・ウィルスの抵抗体を持っていない方々
(現地人)に対し、
 ヘリコプターで上空から、
インフルエンザ・ウィルスを染み込ませた毛布をまき散らし、
 それを使ったインディオの方々が次々とインフルエンザに罹
患していく。
 現地には、
 今まで蓄積した知識から、
 たいていの病気は治してしまう知恵を持った呪術師が居るが、
今までにない、また罹患率が高く、
 強烈なインフルエンザ病原菌に対しは、
 なすすべがない。
 そこへキリスト教の宣教師がやってきて、
 抗生物質を処方する。
 自分の力だと、
 さも言う様に。
 たちどころに熱が下がり、
 自分たちの土着の神々よりも、
 キリスト教の神の方が『偉大だな神だ』と思わせ、
 吹き込まれ、
 説き伏せられてしまう。
 そして、
 インディオの方たちが改宗したのを確認した後、
 クリスチャンを名乗る権力者たちが入り込み、
 共同体組織に入っていく、
 そして、土地の権利を収奪して行く。
 権威と権利の独占を始める。
 アマゾンの原住民の生活が培(つちか)い、
 育んだ、
 文化と原生林の破壊が始まる。
 「キリスト教の宣教さえすればよいのだ」との行為が、
 いにしえもそうだが、
 現代の今も行なわれている。
 そこには、
 現地の方たちを未開人とみなし、
 見下し、
 自分たちだけが立派で良いのだ、
 正しいのだとの一方的な思い込みから、
 「総べて破壊」の暴力的行為がなされていく。
 その為になす不当な手段も
 「神の義だ」、
 「それでよいのだ」としている。
 インディオの方々が、
 その長い歴史に培った宗教や文化は、
 過去のものと消え去っていく。
 この卑劣さは、
 キリスト教徒には見えない。
 傲慢な行為が神の義として大手を振って
 まかり通って行く。
 この様な蛮行が、即刻、中止されますように、御協力をお願
い致します。

2013年5月7日火曜日

TPPにも、この様な予感が・・・

題:TPPにも、この様な予感が・・・
.......(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 「9・11テロ」は、確かに酷(ひど)い「テロ行為」だった。
 しかし、このテロに対抗し、戦争を起こすということが、
 国際的に認められた、賛同を得たということは、
 極(きわ)めて異例だった。
 テロに対抗するため、空爆を行なうということが、
 国際的に認められるということは、
 これまでにはなかった。
 どれほど酷い被害、大きい被害であってもである。
 テロ行為は、『刑事司法の領域』で解決されなければなら
ないのである。
 領域の問題が厳然と存在し、
 そして、領域の問題として捉え、
 その枠外へ行くことを問題とし、
 戦争によって解決しようとの判断は、
 「間違っている」「問題なのだ」としなければならなかった
のである。
 どの様な状況であっても、「戦争によって解決すべき問題で
はない」のである。
 戦争による対抗は、「正当ではない」のである。
 アメリカは、『不正義』な戦争による対抗手段を選択したの
である。
 その軍事行動が、国連から権利を与えられていないのなら
なおさら、
 この時、国連の授権や決定を度外視した。
 これでは、なおさらの事である。
 「アメリカ議会の承認を得ている」と大統領は口にした。
 アメリカは、自分の意志のみにとどまり、
 国際的な協調的態度は皆無だった。
 そんなアメリカに、世界は追随した。
 まずあったのが、アメリカの世界世論無視だった。
 アメリカの意志のみの独善的行為であった。
 非民主主義的状況にあった。
 民主主義を標榜(ひょうぼう)しているアメリカは、その資
格がない状態だった。
 感情的な暴力的な行為が、世界の王道をまかり通った『怖い
時間が存在』した。
 多分に、キリスト教的な宗教的な判断に影響された行為だっ
た。
 大統領の言葉に「イエス・キリストの夢を見たから(開戦を)
決断した」や「悲劇のうちにも・・悲劇の時にこそ・・
(キリスト教の)神はそばにいるのだ」・・がある。
 一般市民が大量虐殺の様に亡くなり、
 アメリカの若者達も大勢亡くなった。
 大国意識で世界を押し切る姿があった。
 ボスの周りに群がっているという世界だった。
 そうしなければ怖い世界があった。
 TPPにも、この様な状態が予感される。
 そして、
 ドイツは、「農業」と「水」を大切にしていると聞く。
(参考)意志:なし遂げようとする心

ギリシャと日本、彼我の差を同じ新聞の中で目にして思う。

題:ギリシャと日本、彼我の差を同じ新聞の中で目にして思う。
......(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 ギリシャが、第二次世界大戦の賠償をドイツに対し、改めて
求めることを検討中とのこと(読売2013・5・1)。
 ドイツは、1980年代以降、ギリシャに対する積極的な援助拠
出国でもあるが、
 1945年のパリでの賠償会議で、主に現物で保証をしている。
 また、
 1960年に、これ以上の賠償は認めないという条件で、
 ナチス犯罪の被害者個人への賠償として、ギリシャへ、1億
1500万ドイツ・マルクを支払っている。
 ギリシャは、今、所得が減り、失業率が27%へと上がり、
倒産も相次いでいる、
 厳しい緊縮策に国民はへとへとで、
 そうしたのはドイツだとの見方が強い。
 このギリシャにしろ、似た様な国の状態に陥っているヨーロ
ッパ(EU)の国は、スペイン、ポルトガル、イタリアであるが、
 いずれの国も,キリスト教が根強い国だ。
 キリスト教には『頑張るな』の教義があるが、
 ギリシャの財政危機を伝える報道でも、ギリシャの「頑張ら
ない状況」が伝えられたが、
 「頑張り、そして、頑張る人が正当に評価される社会でなけ
ればならない」
 日本は、「勤勉な国民」と言われてきている。
 日本人の宗教は、ほとんどが、日本神道と仏教徒。
 キリスト教徒は、僅かな1%という少数。
 日本神道や佛教は、修業を旨(むね)とする宗教。
 修行や努力することを大切に考える。
 頑張らないことや怠けることを卑下する。
 (2013・5・1)の新聞では、
 安倍政権の経済政策「アベノミクス」への期待が、
 実体経済に波及し始めたと伝えている。
 個人消費が上向いているとのこと。
 また、企業の生産活動が、穏やかな伸びを続けているとのこ
と。
 また、雇用情勢も改善しているとのこと。
 景気の好循環が現われ始めたと伝えている。
 ギリシャと日本、彼我の差を同じ新聞の中で目にして思う。
 追記:今(2013・5・7)、ラジオでも、スペイン・ギリシャ
などの失業率がさらに悪化して厳しいと伝えている。

2013年5月6日月曜日

オバマ大統領は言った「私は、愚かな戦争に反対する」と。

題:オバマ大統領は言った「私は、愚かな戦争に反対する」と。
 ...... (悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
 アメリカ、ブッシュ(子)大統領の時、
 イラク戦争が企画され、
 アメリカは事前の予告通り「イラク戦争を開始」した。
 そして、イラク戦争を勝利した時、
 イラクの中心街に建っていたフセイン・イラク大統領の銅像
が倒される映像・シーンが印象深く、何度も、世界中の報道機
関から放送された。
 しかし、この報道に疑惑が持たれている。
 フセイン大統領の銅像が倒されて行くアップの映像に続いて、
倒されたフセイン大統領の銅像が、引かれて行く銅像の頭を、
子供が、履(は)いていた靴で、フセイン銅像の頭を叩くシー
ンが続いた。
 このシーンを見た世界の人たちは、「フセイン大統領は国民
の支持を得ていなかったのだなー、フセイン政権が倒されて良
かったのだ」と感じた事だろう。
 しかし、この映像・シーンには、
 仕組まれ、作られたという疑惑が生まれている。
 それは、この一連の映像の最後の短いシーン・映像を見て、
「おや?」という疑惑のシーンが続いて居たからだった。
 そのニュースの映像・シーンの短い最終映像は、
 画面映像が引かれて行って、短い時間であるが、このフセイ
ン大統領の銅像を倒し、騒いでいる群衆、
 大統領の頭を叩く行為をしていた人々は、
 フセイン大統領の銅像の周りだけに居る集団だったのだ。
 フセイン大統領の銅像が立つ、町の中心街で、
 そのフセイン銅像を倒す行為をする集団は、
 アップの映像で撮られて居たため、
 てっきり、
 その集団の周り中が、イラクの人たちで溢れ、群れ、
 フセインの銅像は、その中で倒されているのだなと、
 あまりにもアップ映像だったために思い込まされていた。
 この最後の短いシーンが無ければ、そう思って居ただろう。
 何と、短い時間のシーンだったが、引いた映像には、フセイ
ン銅像の周りの集団以外、誰も写っていなかった。
 先入観で、皆が、群衆たちが湧く中で、てっきりフセイン銅
像は倒されていると思い込んで居た。
 実際は、
 周りには誰も居ず、フセイン銅像を回るロータリーを走る車
が1・2台だけしか写っていなかった。
 想像していた群集・人々は、一人も居なかった。
 群集が居るものと思い込んでいた私も、教えられるまで気付
かなかった。
 しかし、今は、はっきりした疑惑を持っている。
 世界の世論操作のため、作られた映像だと感じている。
 イラクのフセイン大統領を倒した事を、「イラク国民は待ち
望んでいた事なのだ」と思わせ、そして、作られたニュース映
像だと感じている。
 その様に、世界に思わせる事で、立場が良くなる人が仕組ん
だニュース映像と感じている。
 そして、ブッシュ(子)政権は、政権の考え方を明確にする。
 「フセイン政権は、大量破壊兵器を保有している」と。
 そして、「国連の安全保障理事会の決議が無くても、米国議
会の武力行使の容認決議があるから、イラクへの戦争の開戦が
出来る」と。
 そして、更に言った、
 「無慈悲さに於いて並ぶもののない(フセイン)体制の終焉
を祝福するイラク人の様子が示される中で、イスラーム世界に
見られる反米感情は減少する」と。
 しかし、ブッシュ(子)大統領の後に、アメリカ大統領にな
ったオバマ大統領は、イラク戦争に反対の立場を鮮明にした。
 「イラク戦争の占領の必要が、明白な理論的根拠も無く、国
際的な強い支持も取り付けずにイラクに進行すれば、中東の火
を煽り、最悪の衝動を煽り、アルカイダの力を強めるだけだ」
と。
 そして、さらに言う。「私は、愚かな戦争に反対する」と。

2013年5月3日金曜日

・・そして、キリスト教となった。

題:・・そして、キリスト教となった。
(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 「・・必ず不義の者」が居る。
 イエスの説く愛は、この形の中で説かれている。
 イエスの愛は、絶対の愛の中では説かれていない。
 キリスト教は、呪いの中で説く宗教である。
 「絶対の愛」という形は、存在し得ない環境の中にあった宗
教である。
 そして、愛を説いたイエスが、汚(けが)らわしい者たちと
罵(ののし)りながら、
 神殿で商売をしていた物売りの人たちの店を叩(たた)き潰
す。
 「金利を取ってはならない」との宗教理念があるからといっ
て、両替の店を叩き潰すことはないだろう。
 鳩屋の店も、滅茶苦茶にすることはないだろう。
 イエスの愛の実践なんて、こんな浅はかレベルなのだ。
 愛想よく隣の店の人と語らいながら、商(あきな)いをして
いた町の人々の中に、
 自分の宗教理念を揚げて、
 何の権利を持たないイエスが、
 暴力三昧をふるう。
 「お前達は強盗だ・強盗の巣だ」と蔑(さげす)み叫びなが
ら。
 似た様なことが、最近でも起きている。
 「世界の警察官だ」と。
 「イエスの夢を見た。決断した」と。
 最新兵器で、イラクを攻撃したキリスト教徒の大統領。
 アメリカの多くの若者が死に、
 また、まったく戦争と関係の無いイラクの多くの方達が亡く
なった。
 戦争を、やっと、生きて帰れたアメリカの若者も心を病み、
 ニューヨークのホームレスの5人に1人は、
 この戦争で心を病んだ若い者だと、報道で知る。
 罪深いキリスト教の宗教理念、
 そして、自分が信じているのだと、
 キリスト教の理念で戦争をやり始めたキリスト教徒の大統領。
 キリスト教の聖書、申命記7・1に
 「ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ぺリジ人、ヒ
ビ人、エブス人を貴方の前から追い払い、
 貴方の意のままにあしらわせ、
 貴方が彼らを撃つ時は、
 彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。
 彼らと協定を結んではならず、
 彼らを憐れんではならない。
 (「詩篇」137・8)には、
 「いかに幸いなことか・・(バビロンの)幼子を捕えて岩に
たたきつける者は」。
 これと同じことを、南米・中米・北米メキシコ、及び、その
離島で、インディオを全滅・殺戮したキリスト教徒と同行した
キリスト教聖職者たちは、
 このキリスト教の聖書が説き知らせることと同じこと「幼子
を岩に叩きつけ殺しをしている」。
 それも面白半分に。
 本「インディオスの破壊についての簡潔な報告」ラス・カサ
ス著をお読みください。
 キリスト教聖職者のラス・カサスは、「このままでは、天に
召されない」と、本国の王へ報告し、
 この本を書いた。
 もう悪行のし放題を、50年した後だった。
 「この馬鹿聖職者め」と言いたい。
 殺す前に気付け・・と。
 殺した人は生き返ってこないではないか・・と。
 (「詩篇」139・19~22)「どうか神よ、逆らう者を討ち滅
ぼして下さい。
 ・・主よ、貴方を憎む者を、私も憎み、貴方に立ち向かう者
を忌むべき者とし、
 激しい憎しみをもって彼らを憎み、
 彼らを私の敵とします」。馬鹿聖書め!
 キリスト教には、自分たち信仰者を「正義とし」、
 その信仰を受け入れない者を「不義とし、敵視し」、
 愛の対象より駆逐するものとの考え方・教義がある。
 イエスも、この二律背反の思考形態となっている。
 というより、イエスにあったが故、キリスト教が、この様な
宗教の形となった。
 歴史に多くの殺戮の影を重ね、戦争の歴史を刻んだキリスト教
となった。

2013年5月1日水曜日

アメリカとは・・・? 「湾岸戦争の場合」

題:アメリカとは…? [湾岸戦争の場合]
 (悲惨な戦争を無くせないのでしょうか?)
.
 ソ連が崩壊し、
 社会主義が崩壊し、
 「市場経済」原理を導入し、社会主義体制を存続させようと
の動きのある中で、
 アメリカは「資本主義の勝利」だ。「新自由主義」だと湧い
た。唯一の超大国と増長した。
 そして、市場経済や民主主義を世界に普及させるのだと燃え
た。そして、「グローバリゼーション」だと。
 わが世の時流が正しいから、やって来たんだと独善的に言っ
た。
 しかし、次の例でも分かる通り、アメリカの民主主義と言っ
ても、そこには世論工作に腐心する「不誠実なアメリカ」があ
る。
 クウェート人の少女が、
 「イラク兵が病院で保育器の赤ん坊を投げ捨てるのを見たの」
との発言を、マスコミに大々的に報道させ、
 後で、この少女が、クウェート人の少女どころか、「駐米ク
ウェート大使の娘」のアメリカ人と判明した。
 第二次世界大戦の戦端が開かれる前に、日本を悪くしたいと、
宣伝工作のやりたい放題をしたアメリカが、
 イラク戦争前にも、同様な、「反イラクキャンペーンを繰り
広げ」、
 アメリカ国民の方々の公正な考え方を繰(く)るという悪行
をした。
 この様な社会に、
 公正な民主主義が、醸成される訳が無く、
 国民の方々を間違った判断に導いて行く社会だった。
 そして、
 アメリカは、国民世論が○○%になった。
 だから国民の支持が得られたのだとして、世界に対し、蛮行
を行使して行く国に成り下がった。
 安保理も繰るアメリカ。
 世界中に電話を駆け回り、世界中がファッショの様に熱にう
なされ、判断を誤って行く。
 世界を煽った貴方が悪の根源です。
 「フセインは中東のヒトラー」などの例のように、
 感情的なアジ標語まで繰り出し、声高に叫び煽る。
 開戦支持率が63%になったと、国民の多数意見だと。
 キリスト教の神が『戦争の免罪符を与えた』様に、
 作られた国民の多数意見を免罪符にして、
 戦争を始めるアメリカ。
 議会も煽られ、
 「大統領に権限を付与する」という議決をする。
 形だけの民主主義だ。
 そんな民主主義で、戦争が行なわれて行く。
 アメリカの青年の方達が亡くなる。
 また、戦争とまったく関係の無いイラクの方々が亡くなる。
 こんなのは民主主義ではない。
 ベトナム戦争の北爆をヒントに、空爆ばかりする。
 この湾岸戦争で、終戦までに、何と、9万回もの空爆をした。
 一般人には被害が及んで居ませんと、
 アメリカは、コンピューター技術を駆使したという「軍事技
術革命(MRA)」を見せる。
 その映像には、ピンポイントに軍事施設だけが攻撃できるの
だとの、鮮明な印象的な軍事施設の爆破された姿があった。
 一般人・民間人には犠牲が及ばないのだと強調された。
 しかし、見せられた報道陣さえも作られた、意識的に選別さ
れた人々だった。
 一部の大手マスコミに限定した。
 取材にも制限を加えた。
 取材方法も自由にさせなかった。
 徹底した報道管制の下に行なわれた、独裁政権がよくやるや
り方と同様だった。
 報道陣の多くが、トマホーク・ミサイルやスマート爆弾が目
標物に良く当たるシーンに釘づけにされ、目を丸くした。
 そして、「超近代兵器」の神通力に洗脳された。
 そして、世界の人々も、このアメリカが仕組んだシナリオど
おりのシーンを、テレビを通じて頭に焼き付けさせられた。
 世界の人々は、後で分かることだが、完全に本当の真実と違
うイメージになって行った。そうされた。
 しかし、イラクの人々は、この時、卑劣な攻撃に曝(さら)
され、喘(あえ)いでいた。
 真実は、トマホークやスマート爆弾などは、非常に高価なた
め、実際に投下された爆弾の僅か『7%』にしか過ぎなかった。
 93%というほとんどが、見せられたものと違うものだった。
 アメリカが恣意的に編成したマスコミ陣が見たものは、真実
とかけ離れたもの、真実とは違ったものだった。
 世界の人々も洗脳され、真実とかけ離れたものを事実と思う
状況だった。
 アメリカに繰られたマスコミと世界の人々だった。
 93%という数字が示す通り、アメリカが使用した爆弾は、そ
のほとんどのものが、命中率25%という代物だった。
 攻撃されるイラクの方々が悲惨だった。
 攻撃されるイラクの民間人には危害が及びませんという話は
『嘘』・『絵に描いた餅』だった。
 厳しい言い方をすれば、イラクの民間の方々の命を守るため
に、お金を掛けて居られませんという、「アメリカの本音」が
見えた。
 イラクの方々は、命中率の悪い爆弾を、それも8万8000トン
という膨大な爆弾を、頭から浴びせかけられていた。
 自分勝手な論理で攻め込んで、
 この様な非人道的な事をするアメリカ。
 イラクでは、15万人もの方々が亡くなった。
 また、イラクの方々の総人口1700万人の30%の500万人の
方々が家を破壊されたり、仕事を失ったりの戦争被害を受けた。
 実際は、この様に、非人道的で、猛爆撃だったのだ。
 作られた真実に繰られた世界のマスコミだったのだ。
 真実を知らないという世界だった。
 アメリカ主導の多国籍軍の損失は、239人だった。
 ブッシュ(父)大統領が行なった事だった。
 彼は、第二のベトナム戦争にはならなかった。泥沼化になら
なかったと自画自賛した。
 戦後、報道管制が無くなって、
 イラクの民間の方々が、こんなに大勢、亡くなっていた事を
世界は知った。
 そして、投入された米兵70万人のうち、3%の2万人もの方々
に悲惨な「湾岸戦争症候群」が発症した。
 心を病むアメリカの若者達が、可哀想な状況におかれる事と
なった。
 また、メディアの間には、アメリカに好きに繰られていた事
が分かって、「メディアは敗北した」との声に満ちた。
 『真実は伝えられなかったのだ』との敗北感が広がった。
 真実を伝えるという大切な行為ができない、
 卑劣なメディア操作の悪行為だった。(作られた偽真実)

2013年4月22日月曜日

国民の税金が本当に生きて来ることになります。そして、その様にして戴きたい。

題:国民の税金が本当に生きて来ることになります。そして、その様にして戴きたい。
(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 『鉄骨製が○○年、コンクリート製が○○年』と橋の耐用年数
についてテレビで報道していた。
 法隆寺の木造は1000年以上であるというのに、鉄骨やコンクリ
ートは何でこんなに短いのだ・・・? 極端に短いではないか。
 それは木という性質とは違うからだ(材質の違いだ)・・・と
言うが、本当にそうなのか?
 放送されていた耐用年数は、真実の様に聞こえるが、作られた
年数なのではないのか?
 だから、その年数になったら壊して、造り変えなければならな
いのか?
 以上の様な耐用年数は、国民の方々は呪文のように言われ、頭
に詰め込まれて来ている言葉となっている。
 しかし、ある意味、「洗脳されている」とも言える。
 そして、このテレビ番組において、この社会資本の橋の管理者
の方が言っていることは、「20年以上前に点検しましたが・・
・」の公共機関の管理者の声が流れる。
 これは、1事例ではありますが、実態を示しています。
 これでは、管理ではありません。放置です。
 この事例の、公共施設に使われている構造体の鉄というものに
ついて深く申し上げさせて戴くと、
 ご存じの様に、鉄は、鉄と酸素と水があれば酸化鉄の発生(錆
る)となります。
 その様な状態の事が起きないように、保護塗膜が塗られます。
 錆るという性質の鉄を使用している構造体・鉄と接するところ
には、まず、防錆塗料が塗られます。
 そして、下層・中層・上層と3層の塗膜が塗られます。
(この塗膜層数は多くなる場合もあります)。
 最上層の塗膜層は、太陽光を直接受けますので、紫外線による
劣化(化学変化)を受けることになります。
 それため、より紫外線劣化に耐える塗料が選ばれ(耐候性の良い
塗料)、塗られます。
 この様な、構造体の鉄部の保護塗膜の劣化は、上記した様な太
陽光の紫外線による化学変化の劣化や、
 鉄部の年における気温変化による伸び・縮みにより、塗膜の追
従性との関係で、細かい塗膜のひび割れが発生したりの劣化が起
きています(繰り返し劣化)。
 経年において、これ等の劣化作用による塗膜劣化が、
 鉄と酸素と水が一緒になって起きる酸化という劣化が起きない
よう(錆ないよう)にしているのですが、
 構造体の鉄部の一部分に劣化因子が達し、条件を満たすと、こ
こから錆発生が開始されます。
 最初の錆は、小さなピンポイントの錆として発生します。
 この時が、重要なサインとなっているのです。
 塗膜の保護機能が、『一部分で破れましたよ』と知らせている
のです。
 このピンポイントの錆を発見した時こそが、重要なメンテナン
ス時点という認識を持っていなければならないのです。
 「防錆が破れたというサインを送って来ているな」と判断し、
メンテナンスを行なえば、最適なメンテナンスを行なったと言え
るのです。
 当然、簡単な塗装で済み、安価なメンテナンス費用で済みます。
 上層塗膜の上に補強保護塗膜を、もう1回塗って、塗膜層数を
加えるだけで十分だからです。
 しかし、この様な、最適メンテナンス時期にメンテナンスを
している公共施設をほとんど見たことがありません。
 「そんなに早くする必要が無い」と思っているからなのでしょ
う。
 それでも5年~7年の時は流れています。
 これは無駄な工事なのではありません。
 しかし、この時期に、メンテナンス工事を行なわない、やらな
いという事が、税金の無駄遣いをしないでいるという意識・認識
からなのか?
 また、早すぎるという自分が作ったメンテナンスサイクルの
思い込みからなのか?
 誰かに思い込まされているメンテナンスサイクル年数が頭に
あるからか?
 公共施設では、ほとんど、この時期のメンテナンスが行われて
なくて、メンテナンス最適時期を逸しています。
 そして、その後の、大変なお金と手間がかかる時期にメンテナ
ンスを行っています。
 本当に無駄なこと、勿体ない事をしています。
 ピンポイントの錆発生時に何もしないで、放置するとどうなる
のでしょうか?
 ピンポイント的に最初に達した酸素と水は、鉄部表面に錆を発生
させます。
 そして、その錆は体積膨張をしますから、構造体(例えば、鉄
橋などの公共施設)の鉄部表面のその錆は、(塗膜内部の構造体
の鉄部表面で)、周囲の保護塗膜を膨張により持ち上げます。
 周辺塗膜は持ち上げられるから、塗膜と構造体の鉄部との間に
隙間が出来ます。
 隙間ができれば、当然、より多くの水と酸素が入り、そして、
入り易くもなります。
 持ち上げられた塗膜と鉄部の間の隙間に入った酸素と水は、今
度はピンポイントではなく、より広い面積範囲を発錆させて行き
ます。
 こうなっていくと錆範囲は急速に広がっていきます。
 塗膜は、どんどん広い範囲に拡大し、持ち上げられ、錆も鉄部
の深層へと入って行きます。
 そして、最初に発生した部分などの経過時間の長い、より劣化
した所の塗膜は、剥落するようになります。
 この様に急に拡大して進んで行く鉄部の錆による劣化。
 テレビなどで見た公共施設の鉄部の場合、ほとんどが放置状態
です。
 まったく劣化の進捗状況が頭に入っていないか、または、無視
している状態です。
 テレビに出演していた1事例の公共機関の責任者の方は、「20
年前に点検しました」と言っていましたが、まったく点検をして
いないというレベルです。
 日本の公共機関の当事者の意識はこのレベルであろうと想像で
きます。
 この放送事例は、特別な例ではない、一般的な事だと、経験か
ら想像できます。
 「放置していれば、何でも駄目になります」。
 公共施設・社会資本の管理者の方々の意識は、保護塗膜が錆色
になり、保護塗膜に剥落が見られる様になった時に、やっと、「
そろそろメンテナンスをしなければなー」と思うらしく、完全に、
適切なメンテナンス時機を逸しています。
 それでも、メンテナンスをやる方はいい方です。
 日本はもっとひどい事例が本当に多い状態です。
 構造体の鉄部に欠損が見られるほど駄目になっている事例が珍
しくありません(構造耐力の欠落なのです。大きな問題です)。
 時期を逸して、塗膜の剥落が見られる様になった場合のメンテ
ナンスは大変です。
 大変な手間がかかり、費用も急拡大します。
 構造体の鉄部と保護塗膜の間に少しでも錆があるケ所は、完全
に除去・削り取らなければなりません。
 なぜなら、少しでも錆を取り残した場合、その鉄部の錆が隣の
鉄部の錆を誘発するからです。
 不十分に、錆の除去を完全にできなかった場合、すぐに、短い
期間に、再びメンテナンスが必要となります。
 また、費用がかかり、最悪です。
 故に、いかに丁寧に鉄部と保護塗膜の間にある錆を落とすかに
メンテナンスの丁寧さに、その品質が、かかっているのです。
 何故、こんな大変な時期まで、メンテナンスしないで放って
おいたのか・・と、言いたくなります。
 サンダー(グラインダー)で丁寧に鉄部の錆をとる事がメンテ
ナンスの生命線です。
 しかし、十分にやるということは難しいのです。
 どんな狭いところまでサンダーは入りません。
 時期を逸すると、この様な仕打ちが待っています。
 手間がかかります。
 金がかかり、税金が無くなります。
 しかし、日本の現状は、この時期にすら、やらない事が多いの
です。放棄としか表現できません。
 耐用年数が来たのなら『造り変えればよいのだ』の思想です。
 「だから放っておけ」とお考えなのでしょうか?
 これでは「税金がいくらあっても、足りなくなります」。
 『これからの公共施設の造り変えをどうしていくのだ』との声
も聞こえます。
 放ったらかして置いたら、何でも造り変えになります。
 メンテナンスを重要視しない悪弊が日本にあります。
 メンテナンスをしない状況を・・・税金の無駄遣いをしていな
いと思い込むという「間違った思い込み」が日本にあります。
 造り変えになれば、ゼネコンは喜びます。
 ゼネコンは、壊して造ってもらえれば、仕事も増えるので有難
いという業態の企業です。
 日本は、メンテナンスの重要さを認識する管理者教育が、大変
に大切であり、
 また、メンテナンス工事を専門に、効率的に、そして、技術的
に行なえる専門業者や業界を育て、
 官民の研究機関が協力し、その業態・業界・業者を応援し、育
て、そして、若者を投入して行くべきです。
 そして、育った日本の技術を持った専門業界・専門業者・専門
技術者・専門研究者の方々は、その技術で世界へ向けて行動を興
して行って戴きたい。
 ゼネコンではなく、この専門業界・専門業者・専門技術者・専
門研究者を『陽のあたる名誉を与え、育てて、大切にして行く必
要性があります。
 そして、ゼネコンと健全な競争ができる様にして戴きたい。
 そして、日本の公共施設は当然のこととして、日本に限らず世
界に、開発し習得したその技術を示していく、行動していくこと
が、大変重要なやるべきこととなっています。
 そして、その大切さ重要さに気付くべきです。
 ゼネコンと競争する業界・業者・体制をつくることが大きなメ
リットを生みます。
 上記で、鉄構造について、細かい話をしましたが、コンクリー
トの場合も同じです。
 コンクリートの場合でも、日本の現状・実体は、今、話した鉄
構造体と同じ現象が起きています。
 本当に実体を知っているのだろうかという実態です。
 コンクリートの場合も、事を知らないし、放ったらかしにして
いるという状態です。
 点検も、「遠くからの目視点検で済ませていました」と言う。
 最近になって、やっと、点検対象物の構造体自体に直接触れて、
各種の点検をするようになって来た様ですが、まだ、このレベル
です。
 メンテナンス技術を日陰の技術にしない様にして下さい。
 研究者を表彰し、業者を表彰し、名誉を与えてやってください。
育てて下さい。
 その育った方達によって、厚い技術陣が構成されるようになれ
ば、また、より高い次元へ技術を磨いて行くこととなります。
 技術は、以前より、より細かく詳細に分析したり、また、より
深い点検により知った「詳細なデータ(悪さ加減のデータ)」に
より、どの様に修復し、初期の耐久性を維持するか?、また、回
復させるか?と進歩の繰り返しの技術発展となります。
 現状でも、日本には十分な技術がありますが、より高度な、幅
広い数々の技術が進展して行くでしょう。
 公共施設の耐用年数は、一律に何年と決めるものではありませ
ん。面倒見が良ければ長持ちします。
 逆に言えば、メンテナンス技術を適切に使っていないという問
題が大きいのです。放っておけば短い耐用年数となります。勿体
ないことです。
 コンクリートも、鉄構造物と同じ様に長い耐用が期待できるの
です。
 アルカリ性の付与をして、構造主体の鉄筋の錆発生を防ぐとか・
・・。高度なメンテナンス技術も開発されてます。
 レインボーブリッジも、木更津へ行ける様になった便利な公共
施設も、数十年で造り変えるのでしょうか?
 違います。そうしてはならないのです。
 レインボーブリッジは、メンテナンス計画がしっかりある様
です。長い年数の耐用年数が期待できます。
 公共施設に於いては、特に、管理責任者に、「造り変えまで何
年だ」の年数を想念させるのではなく、長い耐用が可能なのだと
教え知らせ、そのための「しっかりしたメンテナンス計画書」を
作らせ、それを一つ一つ丁寧に実行する大切さを認識させて行く
べきなのです。この事が大切なのです。
 国民の税金も、本当に生きて来ることになります。
 テレビでは、鉄橋の最悪状態を映し出していました。
 それは、橋桁の鉄構造物(H型鋼)が錆びて、あの厚い鋼材の
エッジ部分が欠損しているのです。
 あまりにも酷い放置です。無為無策です。
 しかし、この大切な橋の公共施設も、一流の建築士事務所など
に補強対策を検討させ、補強工事をし、供用に耐えていく様に
すべきです。
 造り変えではなく、適切な補強工事で、長い使用に耐えること
が出来るのです。壊して造り変えてはいけません。
 別のある橋についての報道では、使用している年数が長くなり、
劣化が進んだから、自動車の交通を止めていますとの内容の放送
があったが、あまりにも酷い事例です。
 建設時の目的を達していない公共施設。メンテナンスや適切な
補強工事を怠ってきたということ。そして、現在、この事態が起
きているということです。
 「だから造り直すのだ」の声が出て来るのだろうと予測できま
す。この場合、適切な補強工事をして、公共施設の目的を、常に
達する様に、維持して来るべきだったのです。
 安易な造り変えの案を実行し、造り変えの多額な税金の無駄使
いは絶対にしないでください。
 補強工事を多用し、メンテナンス工事を大切に実行し、「長く
使って行くのだ」との方向で行くべきですし、また、その方向の
技術の経験と蓄積をしていくべきです。
 そして、日本で培ったその技術で、世界の社会資本をも、日本
の技術と経験で、修復し維持して行くという、修復・維持技術の
先端に立って行って戴きたい。

2013年4月18日木曜日

アメリカとは・・・?

 題: アメリカとは・・・?
(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか?)
.
 ベトナム戦争では、何と、120万人~170万人もの多くのベト
ナムの方々が戦死した。
 これに対し、アメリカの戦死者は5万人だった。徴兵拒否者は
約21万人。不名誉除隊者は56万人だった。
 アメリカは、枯葉剤やクラスター爆弾など民間人にも多数の
被害が出る兵器の使用を強行した。
 民間人に多大な被害が出る事を知って使用するという非人道
的行為をあえてした。
 これ等は被害が戦後の人体や自然環境にも及ぶ「ジェノサイ
ド」や「エコサイド」的兵器である。
 マクナマラは、戦後、自らを「全能」と錯覚し、「自身のイ
メージ」を相手に押し付けた結果、ベトナム人の「ナショナリ
ズム」を過小評価したため・・・と、反省を表明した。
 ベトナムの人々を鼓舞するナショナリズムがこんなに強いと
は思って居なかったと。
 マクナマラの「ベトナムの人々のナショナリズム」を正当に
評価すべきだったと反省するマクナマラの言葉は、ベトナム民
族の「統一」を求める心情の正当性を認めて居なかったという
事で、アメリカの論理的破綻を認めた形となった。
 アメリカは、ベトナム戦争の発端の頃、フランスに多額の軍
事援助を与えており、東南アジアの天然資源が欲しいとの意識
を持っていた。
 そして、西側陣営に属する南ベトナム政府を「共産勢力」の
攻撃から「防衛」する事を戦争目的とし、戦争に介入していっ
た。
 1954年のジュネーブ協定で、2年後の統一選挙をやろう、実
施しようと認めたにも拘らず、ホー・チ・ミン(北ベトナム最
高責任者、主席)が、非常に高い確率で当選すると予測される
や、アメリカは調印を拒否し、南ベトナムに親米的なゴー・ジン・
ジェム政権を強引に擁立した。
 この自分さえよければ良いの独善的な増上慢行為は、戦後の
1995年に、マクナマラの回顧録が発表されるや、アメリカ国内
に批判の嵐が巻き起こった。
 この様な事を、何故、ベトナム戦争中に行なわなかったのか?
と。
 何故、今頃、言ううのか?と。
 また、悲惨な戦争の「泥沼化」を、何故、未然に防がなかった
のか?の声だった。
 公然と強盗的行為の「対外介入する」事を正当視する独善アメ
リカ。
 国内の声は、このオコガマシイ独善行為に向かっていた。
 TPPも合議の形をとっているが、アメリカが牛耳る独善が見え
る。
 北ベトナムの首都のハノイやハイフォンを、厚顔無恥に堂々と
悪びれず爆撃を強行し、カンボジアまで戦線を拡大したり、
 中国の南部を核攻撃しようとのアメリカ首脳の声も聞こえて来
たりして、人類存亡のリスクまで秤にかけ、人類を危うい状況に
追い込んで、勝手な振舞いのアメリカの態度だった。
 アメリカは、自分の信じる自由主義が何しろ一番なんだとし、
それ以外は何をおいても排斥すべきだとの、拘(こだわ)った
狭い視点で、実力排除の強引な行為のごりごりの状態だった。
 キリスト教の教義にも、考え方の違う者・異教徒は、殺して
しまえの「異教徒は殺せ」の教義がある。
 キリスト教が「(キリスト教の)神の義」を絶対視したように、
アメリカも「自由主義」を絶対視した。
 非人道的にも、アメリカは、第二次世界大戦に投下した爆弾の
3.5倍もの大量の爆弾を狭いベトナムの地に投下するという行為
までしでかした。
 ニクソンは、1985年に出した本で、「我々のベトナムでの愚行
は、多くのアメリカ人に、力の行使についての疑念を生じさせて
しまった」と吐露した。
 そして、宣戦布告も無しに戦争を始め、そして、戦争を拡大し
て行ったアメリカ。
 キリスト教の教義には、「戦争を行なう前には、相手に勧告
せよ」との教義があるが、アメリカをそれさえもせずだった。
 なし崩しに戦争をする、最悪のアメリカだった。
 そして、第二次世界大戦の場合、戦勝国・アメリカは、敗戦国
を占領し、戦犯裁判を実施して、戦争責任を追求し、処罰し、
賠償の支払いを命じてるが、
 このベトナム戦争の場合は、敗戦国・アメリカは、その逆の事
を一切行なっていない。
 アメリカは、謝罪や賠償をどこ吹く風で、まったく無視をして
いる。
 自分たちの悪さ加減について、まったく認識してないという
無視状態にいる。
 アメリカという国は、この様な国だ。
 自分たちに都合が良い時には、一見、理屈の通った様な、自分
たちに都合の良い理屈を言って、相手を従わせ、
 自分達が都合が悪くなると、どこ吹く風と無視する。
 アメリカ国民も、「ベトナム戦争は正義の戦争だと答えた人は、
僅かに25%」との実態で、
 ほとんどのアメリカ国民が、ベトナム戦争は「不正義の戦争だ
」としている。
 アメリカは、この様な国民の意思を、誠実に、国際社会に表明
していない。
 そして、それに対応した行動もしていない。
.
 (参考)枯葉剤:ベトナムで使用された枯葉剤のうち主要な
ものは、2,4-ジクロロフェノキシ酢酸(2,4-D)と2,4,5-トリ
クロロフェノキシ酢酸(2,4,5-T)の混合剤であり、ジベンゾ-
パラ-ダイオキシン類が含まれ、副産物として一般の2,4,5-T剤
よりさらに多い2,3,7,8-テトラクロロジベンゾ-1,4-ジオキシン
(TCDD)を生成する。このTCDDは非常に毒性が強く、動物
実験で催奇形性が確認されている。ベトナム戦争帰還兵の枯葉剤
暴露とその子供の二分脊椎症の増加についてはこのTCDDとの
関連が示唆された。なお、2,4,5-Tはアメリカ合衆国や日本では
散布使用が許可されていない。ダイオキシン類が作用する分子
生物学的標的は内分泌攪乱化学物質と同一のものであり、動物
実験で催奇性が確認されている。
 (参考)クラスター爆弾:ベトナム戦争では、ケースに野球
ボール大の子爆弾を300個ほど内蔵し、その子爆弾ひとつの炸裂
で600個ほどの金属球を飛散させる『ボール爆弾』が使用された。
 この子爆弾は手榴弾や指向性の無い散弾地雷のように、炸裂
周辺の人員や通常の車両など、非装甲標的に被害を与えるもので、
加害面積は親弾の炸裂高度によって変化する。
 (参考)ジェノサイド(英: genocide)は、一つの人種・民族
・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為をさす。
 (参考)エコサイド【ecocide】 《ecologyとgenocideとの
合成語》環境および生態系の破壊。
 (参考)ホー・チ・ミン(1890年5月19日 - 1969年9月2日)
は、ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からベトナム戦争
まで、ベトナム革命を指導した。初代ベトナム民主共和国主席、
ベトナム労働党中央委員会主席。
 (参考)ゴ・ディン・ジエム(1901年1月3日 - 1963年11月
2日)は、ベトナムの政治家、ベトナム共和国(南ベトナム)初
代大統領(在任1955年10月 - 1963年11月)。熱心なカトリッ
ク教徒。
 (参考)おこ‐がまし・い【痴がましい/烏滸がましい】 [形]
[文]をこがま・し[シク] 1 身の程をわきまえない。差し出
がましい。なまいきだ。 2 いかにもばかばかしい。ばかげてい
る。.
.
(追記)
 大量に人を殺す道具を持っていて、
 宣戦布告も無しに、
 次第にその戦争を拡大して行って、
 核兵器を使っちゃおうかの話をし、
 戦争が終わった後に、
 過ちだったと分かっても、
 謝りもせず、
 他人(ひと)には謝れ、賠償せよと言いたい放題をしたのに、
 自分の事となると「ホッカムリ」。
 駄々っ子ではあるまいし、
 自分の国の若者を、可哀想に、大勢、死に至らしめ、
 また、相手の国の人々も、戦争とまったく関係ない方々をも
死に至らす、
 責任者は、間違っていたと言ったって
 「死んでしまった方達は帰って来ない」、
 そして、この様な事を何度も繰り返している。
.
 私の町は人口10万だ、
 この町に住む人たちが、皆、死んで、
 隣のおじいさんも、きのう、挨拶したお母さんも、皆、死んで、
 どこの家も、誰も居ない、もぬけのから、
 こんな誰もいない町を20もあっちこっちにつくるほど、人々
を殺して、「学んだ、反省した」はないでしょう・・・。

2013年4月11日木曜日

キリシタン宣教師、戦国の世に暗躍、大いに軍事活動に拍車をかけていく。

題: キリシタン宣教師、戦国の世に暗躍、大いに軍事活動に拍車をかけていく。
................(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか?)
.
 『大曲記』には次の様に記す。
 「南蛮船よりきりしたん宗とてめつらしき仏法僧わたりけり
・・・かの宗ていに成るほとの者には過分の珎物をとらする間
しさいもしらん物ハ皆よくにちうして成物おおし」・・・と。
 これは、キリシタン宣教師が、「南蛮の珎(珍)物」と引き
換えに、キリスト教徒の獲得に努めていたことを伝える内容。
 つまり、珍しい南蛮の物を餌に使って、釣って、キリスト教
徒にしていたということを表している。
 「南蛮の珎物」とは、中国産の生糸や絹織物類をはじめ、ジ
ャコウ、白檀(びゃくだん)などの香薬類、鉛や硝石それに火
器などの軍需品であった。
 これらの国内非自給物資(国内では手に入らない品々)に、
当時の日本人たちがおおいに興味を抱いたのはやむを得ないこ
とだった。
 特に、戦国の浮き沈みの大きい世の中において、中小の大名
たちは家の浮沈がかかっていた。
 当然、キリシタン宣教師も、南蛮船舶載品に示した日本人の
強い「入手欲」を知り、それを利用し、キリスト教に勧誘した。
 日本の布教にあたって、布教先の政治実権者から『布教許可』
を獲得し、宣教・改宗活動を行っていくため、「南蛮の珎物」
を布教の許可を得るための手段として、懐柔する品として大い
に利用した。
 ザビエルも、日本人が武器を非常に大切にして、尊重し、「
よい武器を持っていることが何よりも自慢」としていることを
知り、「私はこれほどまでに武器を大切にする人たちをいまだ
かつて見たことがない」と書き残している。
 キリシタン宣教師たちは、鉄砲や大砲、硝石や鉛などの軍需
物資をもたらしていた死の商人であった。
 これらの軍需物資は、その入手が極めて困難であったため、
鉄砲などの場合、「長崎古事集1」には・・・
 「其頃日本ニて鉄砲と云うもの不見馴重寶(宝)なる物とお
もひ、しハらくハ其名を重寶(宝)と名付」と言及されている。
 日本では「見馴れない物」であった。
 戦国動乱の激動期にあって、南蛮船の領内誘致を志向してい
た九州地方の大名たちは、「配下の中小領主の勢力のバランス
の上に自己の領国を支配し、周囲の大名相互の政治的確執ない
し抗争に対処せねばならなかった」。
 そして、そのためにも領国の富国強兵化を図らねばならなか
ったし、怠(おこた)ることのできない必須の努力目標であっ
た。
 その方策の一つが、南蛮船のもたらす硝石や大砲による、異
国の軍事力の獲得であった。
 新しい威力のある武器の獲得である。
 キリシタン大名である大村純忠の、南蛮船舶載軍需物資に対
する認識について、「長崎港草」には、
 「大村民部少輔純忠福田ノ地頭福田左京ニ申越シケルハ彼黒
船ハ鉄砲西洋砲ナドモ積乗セ来レバコレヲ他所ニヤルべカラズ
諸ノ軍器多シト云ヘドモコレニ勝ル者アルコトナシ」と言及し
ている。
 「他所へは絶対やるな。ワシのところへ持って来い」である。
 また、「豊薩軍記」巻之一には、田村紹忍が軍需物資の威力
について大友宗麟に対し力説している。
 「鉄砲石火矢を放ち掛は假令何十萬騎の敵なりとも退治は何
ぞ難からん・・・鉄砲石火矢は差て力らの勝劣にも依らす誰か
放かけたりとも如何なる鉄城石郭なりともなとか破らて有へき
と辦に任せて云ちらす」。
 キリスト教宣教師(イエズス会)は、軍事活動に拍車をかけ
ていく。
 キリシタン宣教師の行為は、本国の海外版図拡大事業の一環
として編入されていたことは紛れもない事実であった。
 そして、キリシタン宣教師たちは、本国の王から支援の金を
受け取っていた。
 日本への布教が、本国の国家事業(海外版図拡大事業)に包
含されていた。
 また、キリシタン宣教師の報告に、時の施政者が待遇良く遇
してくれたと記している書簡があるが、この書簡は、脚色され
ている。
 本国への報告の体裁を付けるべく美化した記述となっている。
 そして、よくあるキリスト教のプロパガンダ(嘘宣伝)とな
っている。
 真の、実態を表した報告書簡がある。
 それは以下の様な記述となっている。
 「我々は皆、(コレジオを)建設することよりも、どこに逃
げることができ、また我々が当地に擁しているこのわずかな(
キリスト教徒)をどこで救うことができるのか、ということの
方を考えることに忙殺されている」。
 そして、
 「日本で起こっている絶え間ない戦争と変動が原因で、我が
イエズス会員の生命と資産は、いつ滅亡に瀕するかもしれない
という大きな危険にさらされている」・・・と、訴えている。
 また、
 キリシタン宣教師たちは、キリシタン大名から南蛮船が入る
と関税を欲しがられたり(軍資金をせびられたり)、
 種々のいきさつから居留地の生活の地をいつ奪われるかを恐
れていた。
 その為、一定地にずーと居ることができない生活状況であっ
た。(処々を転々と移動した。南蛮貿易で得た利益を隠す理由
もあった)。
 しかし、肝心の保護すべきキリシタン大名(大村氏や有馬氏
など)は、有事の際に、キリシタン宣教師たちを保護・救済す
るどころか、逆に、キリスト教会からの保護と救済を受けねば
ならない様な状況だった。
 (キリシタン宣教師たちは、軍資金や食糧・武器の援助など
を与えたが、その費用は、彼らの年間経費の20~25%にも相当
する費用が充てられていた。
 キリシタン大名の有馬晴信は、竜造寺隆信と交戦中であった
時、特別援助金を要請し、特別援助として、彼らの年間経費の
10%に当たる額を特別出費してもらっている。
 キリシタン宣教師らの収入は、南蛮貿易の他、国王からの給
付金、ローマ教皇からの年金、インドの土地などの不動産など
から得ていた。
 しかし、収支は赤字であった。
 この様な事態において、彼らに、安全な場所を得る大きな必
要性が存在した。
 最も安全な場所・避難所として長崎が選ばれた。
 長崎の地は、自然の地の利も良かった。
 そして、彼等は、長崎を軍事要塞化して行く。
 キリスト教宣教師たちは、暴力による強制総改宗を行なって
いた。
 しかし、逆に、彼らに、宣教活動に不当な暴力を加えられた
場合、実力行使によって、戦争によってその不当を防御する行
為も行っていた。
 非常に戦闘的であった。
 そうして、そうする権利があるとして、武装集団化もしてい
た。
 教会内に武器も備えていた。
 そして、それは、大村氏や有馬氏が、援助を与えている割に
保護能力・保護行為が低かったからだった。
 そのため、彼等は、キリシタン大名の保護を見限って、自衛
の方向へ行った。
 この様なことからも、長崎の軍事要塞化への必要性が生まれ
た。
 塁壁や木柵を設け、長崎港の岬の一部を切り開き防御的に整
えたりした。
 そして、弾薬、武器、大砲を供給した。
 そして、妻帯した南蛮人を多く住まわせた。
 そして、兵士を配置し、全員に兵器を持たせた(武装兵士化)。
 長崎住民も兵士化し、塹壕を掘り、稜堡を作った。
 一重・二重の柵でも囲った。
 砦も築いた。
 船も持った。
 長崎住民の3万名に銃を持たせることができたという。
 (しかし、この3万名は眉唾との研究者の報告がある)。
 スペイン兵の日本派兵も要請した。
 また、この備えた武器を、戦時の時に、キリシタン大名に供
与したりしている。
 大砲などを供与して戦勝させた例もある(有馬氏と肥後領主
との戦い)。
 秀吉がキリシタン宣教師の追放令を出した後に、キリシタン
宣教師たちは、本国に「日本に国王の要塞」を持つ必要がある
と説いている。
 そして、国王は国王配下の200~300名の兵士によってそれ
を掌中にすることができると言っている。
 キリシタン宣教師たちは、本国の兵と積極的に関わり、日本
に要塞を作ろうとした。
 スペイン・ポルトガルに対日軍事進出を強く勧告している。
 秀吉のキリシタン宣教師の追放令は、公的にしたこの態度は、
キリシタンとのこの絶縁の意思は、ことの問題性を大きくして
行った。
 秀吉の意思に従うということではなく、逆に、キリシタン宣
教師たちの本国と日本との武力衝突の可能性を高めていった。
 キリシタン宣教師たちも、より大きな軍資金などの諸費用を
必要としていった。
 本国と強く関わらざるを得ない、拡大方向へ、事は動いて行
った。
 そして、キリシタン宣教師たちは協議し、フィリピンのスペ
イン総督へ兵の派遣を要請することになった。
 国家間戦争の容認と要請行為である。
 キリシタン宣教師たちは、「スペイン・ポルトガルの国家の
方針である『絶対主義的植民政策の尖兵』の性格」を如実に示
していた。
 殺戮のし放題だった南米・中米・北米メキシコ、及びその離
島の蛮行もこれだった。
 本国の力を頼りに日本の長・秀吉に盾突(たてつ)いて行っ
た。
 本国の軍事力を利用する悪漢の心根・心底が見せられた状況
となった。日本征服という顔を見せていた。

2013年4月9日火曜日

私達は人々を開放するのだと思っていたが、実際は、私達は開放したのではなく征服した。

題: 私達は人々を開放するのだと思って居たが、実際は、私達は開放したのではなく征服した。
(真を求めて、皆様と共に幸せになりたい)
.
 新しいキリスト教国家を作ろうと、新天地アメリカに渡った
キリスト教徒のピューリタンたちは、キリスト教的な考え方・
教義に染まり切っていた。
 これまでの数々の歴史的に行なって来た悪行の史実も示して
いる様に、ここアメリカに於いても現地人・先住民を異教徒と
見て、駆逐の対象とした。
 キリスト教の「異教徒は殺せ」の教義である。
 南米・中米、そして、それらの離島などで繰りひろげて来た
殺戮に継ぐ殺戮の行為と同様に、北米・アメリカにおいても、
先住民・インディアンの方々を殺戮のし放題をした。
 「フロンティア・スピリット」と自らは美化して言うが、イ
ンディアンの方々の土地を次々と奪い、「西へ、西へ」とその
欲望の留まる所を知らぬ悪行為をして行った。
 そして、とうとうその欲望は、インディアンの方々を駆逐し
切ってしまった。
 他人の涙なんかまったく感じないキリスト教徒、自分さえ良
ければ良いという「キリスト教聖書」にも記されるている事と
まったく同様な様相だった。
 (民族宗教のキリスト教は、自分たちの民族の利のみにしか
教義がおよばない。御調べください)。
 行き着く所の太平洋岸に至っても、その欲望の留まる所は無
く、ハワイ併合や中米の運河地、ミッドウェー島の領有宣言、
ハワイ王朝を武力で倒し、中国が欲しいと、その足場にと、フ
ィリッピンを攻め、スペインと戦争をする。
 そして、スペイン領のフィリピンと同時にキューバも奪う。
 フィリピンでは、「完全独立させるから」と空手形を切って
いたアメリカ。
 フィリピンの植民地化の下心がばれて、フィリピン独立勢力
と、またまた、戦争を始めるアメリカ。
 アメリカは、「善意の同化をしてあげているのだ」などと自
分勝手な論理展開をする。
 今、TPPで日本に自分勝手な論理を押し付けているが、これ
とまったく同じ。
 そして、このフィリピン・ゲリラには「戦時国際法は適用し
なくても良いのだ」と、勝手な自分にだけに都合の良い論理展
開をし、「捕虜への保護義務を放棄」し、残忍なゲリラ平定戦
争をする。
 それも、徹底した非人道的やり方で。
 アメリカ軍は、捕虜を拷問したり、殺害したりし、民間人を
虐殺したりした。
 そして、無差別な焦土作戦で焼けつくしたりした。
 この考え方は、ベトナム戦争に於いてもまったく同じであっ
た。
 この状況を伝える兵士の手紙「戦闘が行なわれたマイパホの
村には、5000人が住んで居たが、今では重なり合った石ころと
て一つも無いと言うありさま。その荒廃ぶりは人々の想像を絶
するものとなっている。地獄より酷(ひど)いという状況だ」

 そして、この状況を知った作家のマーク・トウェインは「私
達は、フィリピンの人々を開放するのだと思って居た。私達は
開放したのではなく、征服したのだ」。
 恐ろしい事に、アメリカ国内では、マスコミ操作、世論操作
がなされ、「対先住民戦争に似た『人種戦争』なんだから、手
段を選ばないでやって良いのだ」という論理が高まった。
 大統領運動中のセオドア・ローズウェルトは、「野蛮との戦
いなので(良いのだ)」と強調した。
 フィリピンの人々を「ニガー」と蔑む呼び方をしたり。
 アジアの方々を蔑称する「グーク」と呼んだり、自らの残虐
行為に対する自制心をまったく失っていた。
.
[追記]:
 アメリカ国民は、アメリカの建国の理念が、はっきりと『海
外植民地を否定』しているのに関(かか)わらず、アメリカ国
民の多数は、海外領土の領有を欲(ほっ)した。
 米比戦争に於いて、20万人ものフィリピンの民間の方々が犠
牲となり、フィリピン兵士の2万人を大きく上回った。
 これに対し、米軍の犠牲は4千人だった。
 戦後、アメリカ軍による様々な捕虜への拷問や虐待が明るみ
に出たり、数々の不名誉な行為の米軍だった。
 また、フィリピンの民間の方々を強制移住させたりとの弾圧
の実態が明らかとなっりした。
 (アメリカ先住民のインディアンの方々を虐げたやり方とま
ったく同じ)。
 セオドア・ローズヴェルト大統領は、「未開と野蛮という暗
い勢力に対した、文明の勝利」だと発言し、自画自賛した。
 その後、アメリカは、フィリピンの独立に際し、「米軍基地
と通商上の特権」をフィリピンに認めさせたりした。
 以後、アメリカは、海外基地の確保による「政治的影響力の
保持」と「経済進出」をセットにするようになった。
 アメリカ国内でもこの戦争は「不名誉な戦争」とのレッテル
が貼られている。

2013年3月24日日曜日

矢来の外に逃げられる様にしていた・・・

題: 矢来の外に逃げられる様にしていた・・・ 
(真を求めて 皆様と共に幸せになりたい)
.
 江戸時代初期の頃のルソン(フィリピン)。
 キリスト教聖職者のルイス・フローレスは、
 長い間、
 現地の人々に布教活動をしていたが、
 それほど成果が上がらないため、
 許可を得て、
 マニラの修道院に来て、
 「祈りと読書」の生活を送っていた。
 その様な時、
 日本で、宣教師が捕えられたというニュースに接した。
 その時、彼は、
 日本に行って同じ様な事をしたいと思った。
 「労苦を重ね、そして、死を味わいたい」と。
 管区長も許可を出し、
 「日本にある聖遺物(殉教した人の死体)を手に入れたい、
そして、手に入ることを喜んだ」。
 日本は、キリスト教の禁教令が出ていて入国してはいけない
時代だった。
 管区長もその事は知っていた。
 この頃の長崎奉行は、幕府の方針に厳格と言っていいほど、
忠実だった。
 幕府の方針は、『棄教をする者の命は奪わない』という方針
だった。
 奉行は言った「キリシタン(信仰)を棄教するなら、自らは
将軍様から権能と職権とを与えられている故、その名によって、
誓って生命は助けよう」と。
 これを、キリスト教は「甘い言葉で棄教を勧めている」とし
た。
 さらに、奉行が「棄教さえすれば釈放するだけでなく栄誉や
利益を与えよう」とも言ったが、この言葉も無視した。
 死に憧(あこが)れていた。
 殉教願望である。
 キリスト教の教え・教義、そして、その洗脳に縛られていた。
 幕府は「むやみにキリシタンを殺したくない」との姿勢であ
ったのにである。
 キリスト教の報告文には、死刑を宣告された場合、「喜悦を
表した」とある。
 しかし、これは、報告書の作成者がキリスト教の聖職者であ
ったので、本国への報告記述の美化があったと考えられる(識
者指摘)。
 また、キリスト教が、殉教をこの上なく美しく洗脳したため
とも考えられるが、日本からの報告公開するにふさわしい様に
美化したことは十分に考えられるとされている。
 いずれにしても、
 「嘘で美化したもの」か、「過剰な洗脳」かである。
 また、キリスト教は殉教される時、「身動きせぬまま死亡す
る様に」と言っていた。
 また、殉教者以外の者は、「殉教した時に、奇蹟が起きたと
言う様に」と言われていた。
 また、「殉教者の死体は聖遺物だ」と言われていた。
 あまりにも、キリスト教が、殉教を讃美し、刷り込みをする
ため、殉教場所に「子供を連れて来る殉教者」も居た。
 「殉教に与(あずか)ることができますように」と。
 幕府は、殉教者を縛り付けている縄目を、ゆるくして、
 火刑の場合、耐え難く思えば、縄を抜け、矢来(囲い)の外
に逃げられる様にもしていた。
 キリスト教のプロパガンダ(嘘宣伝)で、悲惨な印象が形成
されているが実態はこうであった。
 キリスト教は禁教であっても、最初、江戸幕府は、キリシタ
ン(信仰)は黙認していた。
 キリシタンの摘発をしようとはしていなかった。
 秀忠が家光に将軍位を譲って後に、キリスト教の信仰が禁じ
られる様になった。
 世の中は、宣教師の従者が、褒美欲しさに訴え出るという様
になった。
 また、江戸の町人は、キリシタンが近くに居ることを恐れた
りするようになった。
 また、旅籠屋では宗旨が尋ねられる様になった。
 一方、キリスト教は、殉教にあった場合、火の中でも決して
身体をくねらせたり、曲げたりせず、
 また、悲鳴を上げたりせず、
 苦痛の表情を浮かべるなとの教えていた。
 識者は、これもキリスト教の報告書の記述の関係もあるため
実態がこうであったかは分からないと言う。
 学術的に、キリスト教のこの類(たぐ)いの報告書は、歴史
的資料としての価値・品位は低く扱われている。

2013年3月22日金曜日

東日本大震災。復興策は、総べて、同時進行で。安倍さん、お願いします。

 題: 東日本大震災。復興策は、総べて、同時進行で。
.......(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 東日本大震災。
 本当に大変な災害が起きてしまいました。
 小生も大きな衝撃を受けました。
 しかし、復興が思わぬことで進まないとかと聞く・・・。
 例えば、
 堤防が出来てから・・とか、
 土地を埋め戻して、敷地が高くなってからとか・・と、
 家も建てられないし、
 復興もままならないという報道。
 待って居られない方は、
 自費で山留めを作り(役所の指導らしい)、
 その中に土を自費で埋め戻しということをされている。
 なんとまあ、足を引っ張る的な感じを受ける。
 昔から高床式という方法がある。
 土地を埋め戻しても敷地がしっかり落ち着くまでに数年が必
要。
 (つまり、土地を埋め戻してから家を建てるという方法は、
 合理性が低いと思えます)。
 今すぐ、コンクリートで束を建て、出入り口のところだけは
階段を数段作るという方法で、
 どんどん、
 建築許可を出すべきだ。
 そしてまた、
 復興の方法が、直列式の工程で対処しているように感じられ
る。
 平行する工程で、
 どんどん、出来ることをしていくべきである。
 堤防が出来てから→土地を埋め戻して→そして、家を建てる
・・では、
 遅すぎる。
 総べて、同時進行でしなさい。
 埋め戻しても、厳密に言えば、しっかりしていない土地に、
 家など建てられない。
 復興を合理的な工程で、
 短期に復興でき、
 復興を促進する具体的検討を
 どんどんするべきと感じます。 
.
(追伸)
 関東大震災の時、
 知り合いの方は、関西から東京に出て来たという事です。
 この方は職人さんで、震災で東京に仕事があるということで
友達と一緒に東京を目指し、東京に出て来たとの事。
 その方は、その後、
 東京に住みついて、
 家庭を持って、子供達もでき、
 幸せに暮らしたとの事。
 今回の東北もこれです。
 『東北へ行って、東北の方々と共に幸せになる』・・です。
 日本全国から東北を目指す・・という方向へ・・施策も、す
べてが、向かうべき、向けるべきです。
 東北へ行って幸せになる。
 東北の方々と一緒に幸せになる。
 これが復興の本筋で、するべき事です。
 デフレ脱却が安倍政権の一番の仕事、
 ならば、東北はして戴きいこと=『需要』が山ほどあるとい
う事。
 この需要を満たしていくという事が、
 安倍政権の第一の仕事だし、
 日本国民の目指すことであるし、
 デフレから脱却して景気も良くなるという三方一両得ではな
いでしょうか?

2013年3月21日木曜日

属国度が増していくのか?・・TPPに思う。

題: 属国度が増していくのか?・・TPPに思う。
(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 TPPは、日本の主権を失う貿易交渉だ。
 日本の主権を奪う条約となる。
 TPP賛成派は、「日本は貿易立国だからTPPをするのが正しい」
と言う。
 この論理は、誰もが正しいと思える論理に隠れて、自分の論理や
立場が正しいのだ思わせる主張だ。
 自分の不都合な不合理な所を隠している論理展開だ。
 だから、国民を馬鹿にした論理展開と言える。
 誰でも分かっている事を言って、本当の真実は、隠している
という行為だ。
 本当は、TPPではなくて、『EPAで貿易交渉をするのが正しい』
のだ。
 TPPの仕掛けを見破らなくてはいけません。
 「日本は貿易立国」、だれもが認める事。
 だから、貿易交渉が大切である。当り前。
 「だからTPPだ」と言うところが作為的。ごまかしである。
 (この評論家め、もうテレビに出るな!・・・と言いたい)
 TPPではなくて、EPAなのだ。
 TPPは、恵まれた国体のアメリカが得する、アメリカに有利な
貿易交渉方法なのだ。
 つまり、もう不合理・不平等が生まれているのだ。
 アメリカは言う「すべての条件を無くすことが平等なのだ」と。
 「聖域なき関税撤廃」である。
 「条件を無くすという条件を付けている」のだ。
 それを平等と称している。
 本当に、平等なのか?
 さも、平等のように感じさせて、不平等がある論理なので、
本当は「不平等貿易条約方法」なのである。
 故に、貿易立国の日本は、TPPではなく、本当の平等性を検討
できるEPAで貿易交渉をしていくべきなのである。
 あらゆる国々は、どんどんEPAでどんどん条約締結して行く
べきなのである。
 アメリカだってEUとEPAをやる(始める)と言っている。そう
でしょう。
 だが、ここだけTPP。
 EPAで、しっかり研究も加えながら討議し、交渉を重ねていく
のが正しいのである。
 だから、故に、「日本は貿易立国だからTPP」というテレビの
発言者は正しくないし、責任ある発言をしようとする意思がある
なら、「EPAはダメで、TPPでなければならないのだ」という論理
の説明をすべきなのである。
 それをしないで、「日本は貿易立国だからTPPだ」の論理だけ
の話の展開は、国民をごまかしている。
 不誠実だ。
 例えば、TPP的に、Aという人とBという人を、二人を土俵に
上がらせて、平等な状態なのだからと言って、決めて、相撲を
取らせた場合、本当に平等なのか?
 Aはアメリカ、Bはベトナム、Cは日本、Dはチリ・・・と、誰が
優勝するか?
 「同じ状態だから平等なのだ」という論理なのだ。
 相撲を稽古していた人は有利だし、体格が良い人は有利だし、
病弱な人は不利だし・・・、そして、相撲だけで決めちゃうの?
という問題もある。何で相撲なの?
 相撲での優勝者が、「すべて総取り」なの?という事である。
 関税のすべてを撤廃して、ガチンコで勝負して、強いものが
どんどん弱い者を食べて行く。
 そうではないでしょうー。
 富む国はどんどん富んで、貧しい国はどんどん貧しくなって。
 そうではないでしょう。
 どことでも五分と五分で勝負ができる国どおしなら、まだしも。
 「弱者を救済しようという目がない」でしょう?
 無くてもいいのだ、それでもいいのだと言うのがTPP。
 相手の国(アメリカ以外)の都合など全く考えていない。
 こちら(アメリカ)の国の都合のみ。
 結局、「アメリカン・スタンダードが一番すぐれていて正しい
からこれにせよ」となる。
 「違うのは悪なのだ」になる。
 「何でお前に合わせなければいけないのだ」の反論ができな
い、きかない。
 結局、TPPで経済の面で、アメリカ連邦制に組み込まれる的な
第一歩となる。
 相手の主権なんてあったもんじゃない。
 安倍さんが「完全なる聖域撤廃なら日本は参加しませんよ」と
言ったらしいが、かつて流行った言葉で言えば、「蜂の一刺し」
でした。
 自民党の公約「国益に反するところがあれば撤退する」は、
日本は自主独立の国です、ですから、日本の国の国益・主権が損
なわれたら撤退しますという、国体は考えているが、果たして、
巨人のアメリカと五分で相撲が取れるのか?
 属国度が増していくのか?
.
(追伸) 
 安倍さんが『戦後レジームから脱却したい』と言ったのは
これでしょーっ?
 ある意味、TPPは戦後占領政策の延長でしょうー? 
 TPPは、ほとんど、日米の二国間の比重がほとんどで「日本
がターゲット」なんですよね? 
 だから、安倍さんは「戦後レジームから脱却したいと言った
のでしょっ?
(参考)
 レジーム論(レジームろん、Regime theory)は、
 国際制度あるいは国際レジームが国家(や ほかの国際的ア
クター)の行動に影響を与えると論じる国際関係論(国際政治
経済学)のリベラリズムの理論である。
 アナーキーな国家間システムにおいて強調が可能であり、
レジームが国際協調の事例であると仮定する。
 国際レジーム論とも。
.
(追伸の追伸)
 素晴らしい首相だ。
 本当に、独立した国家になりたい。
 女の子が話していた、「A子ちゃんともう決めたんだから、もうダメ。2対1だし」
.
 (追伸の追伸の追伸)
 刀を振り回すような奴を、家に入れないようにしたら「不公
平か?」。
 不公平ではないでしょう。
 自衛権行使でしょう。違いますか?
 何が言いたいかと申しますと、食糧安保のために「日本の食
の安全のために、関税などで保護する」。
 これは自衛権の行使なのです。
 刀を振り回すような奴に、日本の食の安全をズタズタにされ
たくないのです。
 そして、食糧安保とは何なのでしょうか?
 あの戦後、農家の方たちが居られて、お米をストックしてく
れていて、さして必要でもなかったであろう着物と交換して(
持って行った方には思い出がある貴重な品・着物であったので
しょうが)、その品と町から来た人たちに、農家の方にとって
も、当時、貴重だったお米を分けてくれる心の広さがあった。
 この様な食糧安保の心は、これからも、維持されていくので
しょうか?
 今、まだ、そしてこれからも、戦後の様な、この様な心の昔
のままでいられるのでしょうか?
 これに対して・・・(つづく)

2013年3月20日水曜日

この言葉を、すべての英霊へ、捧げます。


 題:この言葉を、すべての英霊へ、捧げます。
.
 戦わざれば亡国、
  戦うもまた亡国であれば、
   戦わずしての亡国は身も心も、
    民族永遠の亡国である。
 戦って死中に活を見出し、
  護国の精神に徹するならば、
   たとい戦い勝たずとも、
    護国に徹した、日本精神さえ残せば、
     我らの子孫は必ずや、
      再起、三起するであろう。(永野修身元帥海軍大将の言葉)
.
 ある玉砕兵の吐露した言葉:
 もし玉砕して、
  そのことによって、
   祖国の人達が、
    少しでも、
     生を楽しむことができればと、
      せつに祈るのみである。・・・
.
 特攻は終戦の日まで続き、
  特攻作戦の戦死者数は5845名、
   みな前途有望な若者達だった。・
.
 約10万人の学徒達が、
  ペンを捨て銃剣をとり、
   戦地に赴いた。
 敗色濃い前線で彼等が投入されたのは、
  あらゆる種類の「特攻」作戦だった。
.
 今の日本の繁栄は、
  先人達の犠牲の上に成立っている。
 私達が生きている今は、
  先人達が命懸けで守ろうとした、
   「未来」なのだ。
         ・・・YouTube:大東亜戦争【不屈の武士道精神】より 
.
 この言葉を、総べての英霊へ、捧げます。

2013年3月19日火曜日

その後の秀吉・・(バテレン追放令、以後は?)

題 : その後の秀吉・・(バテレン追放令、以後は?)
(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)

.

 1549年に、フランシスコ・ザビエルが、キリスト教を伝えて、

38年が経過した後の1587年に、

 豊臣秀吉は、バテレン追放令を出した。

 そしてまた、その25年後の1612年に、家康が、キリスト教禁

教令を出した。

 そして更に、その12年後からの寛永年間(1624~1644年)

の20年間のキリスト教の弾圧の厳しい時を経て、

 キリスト教は、「隠れキリシタン」以外は、明治の1867年ま

で壊滅した。

 その壊滅期間は223年に及んだ。

 この道に至るきっかけの所に、秀吉の『バテレン追放令』が

ある。

 当時、キリスト教は、まったくの増上慢で、

好き勝手なことをしていた。

 その時、日本は戦国時代を経て、秀吉という日本の統一直前の

最強の人・強い統一者が、偶然、居たから幸運だった。

 日本の大村純忠・大友宗麟・有馬晴信らのキリシタン大名は

完全にキリスト教宣教師に牛耳られていた。

 これ等の弱小のキリシタン大名は、国の存続のためにキリシ

タン宣教師が供給する武器・弾薬が貴重で、

頭が上がらない状態だった。

 秀吉が居なければ、日本も南米・中米、そして北米メキシコと

それらの離島のように、

 その何百万人の殺戮の様に、

 同じ運命となっていた可能性は高い(同じ、キリスト教イエ

ズス会が日本に来て牛耳っていた)。

 また、南米などの駆逐が済んで、その悪漢の艦隊は、

 ルソン(フィリピン)とメキシコの両攻略中のニ国を行き来

する太平洋に居た。

 日本の最高位の立場の人が、キリスト教拒絶の態度を示した

のは、秀吉の「バテレン追放令」が最初であったが、

 そして、その秀吉に、

 キリスト教宣教師たちは、南米などでもしたのであろうが、

日本においても、キリスト教宣教師たちは武力で駆逐しようと

行動した。

 それが、「バテレン追放令」の反動となって表れた。

 バテレン追放令の1587年の3年後の1590年には、秀吉は、

南蛮貿易の必要と利益から前言を翻(ひるがえ)した。

 長崎のキリスト教会の再建を許し、

 10名のキリスト教聖職者の滞在を許し、

 バテレン追放令の「法の主旨」を有名無実化した。

 秀吉は、フィリピンのキリスト教徒の総督に

 「秀吉(日本)に服属するようにと要求した」。

 が、

 その返事を持った使節が2年後の1593年に来日した。

 その使節のキリスト教宣教師に「キリスト教の布教再開」を

要求された。

 そして、京都に、キリスト教の布教のための修道院と聖堂が

建設され、布教が再開された。

 再開されるやキリスト教の各宗派が来日し、布教活動を始め

た。

 すると、その各宗派の間に、トラブルが発生するようになっ

た。

 例えば、イエズス会は南蛮貿易で豊かで、贅沢な暮しをして

いたが、清貧を旨とする托鉢修道会を「貧乏人」と呼び軽蔑し

差別した。

 また、「フランシスコ会は、日本から退去せよ」と命じたり

した。

 しかし、フランシスコ会は「教皇と国王の命令があるのなら

まだしも・・・云々」との態度で紛争・トラブルとなった。

 その様な折りの1596年に、

 高知に難破船が漂着した。

 船名をサン・フェリーぺ号と言った。

 そして、事件が起きた(サン・フェリーぺ号事件)。

 この事件を起因として「二十六聖人殉教事件」が起きた。

 そして、秀吉の態度が、180度転換して行く。

 秀吉政権は、

 難破船船員の取り調べを行い、

 世界情勢として知っていたので、そして、気になっていたの

で問いただした。

 「キリスト教徒などの南米などでの蛮行や国を奪う行為」は

どうなのか?・・・と。

 その結果の答えは、

 「我々は、世界中との取引を行なっている。相手が好意的な

らば味方と判断する。しかし、我々に歯向かえば、国・領土が

奪われるということになる」・・・だった。

 そして、その先鞭として「キリスト教宣教師が来日している

のだ」と答えた。

 この事件は、それまでの、キリスト教徒とそれに同行している

キリスト教聖職者たちの行為・世界の国々を奪っていく行為を

明白に示していた。

 当然、秀吉の方針は180度転換した。

 キリスト教宣教師は捕えられた。

 そして、キリスト教が言う「二十六聖人殉教」へとなった。

 この殉教の結果を、別な言い方をするとすれば、

 「南米などで、キリスト教が、キリスト教の教義の通り『異

徒を殺せ』と、何百万人もの人々を殺戮し、聖職者も加わっ

て行ったこの悪行為・国をも奪う行為に下された・・『正義』

だと言える。

 なお、卑劣な事に、

 キリスト教は「誘導尋問からこの様な事を言わされたのだ」と

言い、プロパガンダ(嘘宣伝)している。

 しかし、世界史の史実を見れば明らかなこと。

 そして、キリスト教聖職者が、あまりに卑劣なこの行為を、

長い年月(としつき)にして来たとこの事を、悔い、本国の王

へ懺悔し、吐露している動かぬ事実の記述もある。

 その事実をも曲げようとのキリスト教の卑劣さは、恥の上塗り

的でさえある。

 弱い者いじめで、卑劣な殺戮のこの行為は、もっと糾弾される

べきである。

 秀吉は、事実を知って、配下の者たちに、キリスト教宣教師

たちの行動を調査させ、

 また、徹底的に「キリスト教が何を企(くわだ)てているかを

調べさせている」。

 その結果からの秀吉の判断であって、

 一時的な判断ではない。

 秀吉は、心の底からキリスト教の本性を知り、

 「キリスト教の禁教を宣言した」。

 刑の執行は、1597年に、長崎で行われた。

 処刑場所などは、キリスト教宣教師たちの希望を受け入れて

あげた。

 秀吉が、この事件に至る前、キリスト教の各会派の宣教師たち

は、互いに争って秀吉に取り入ろうとしていた。

 そして、「より上級の品級に叙(じょ)して貰おう」としたり

した。

 そして卑劣にも、各会派は「その取り入ろうとする行為の足の

引っ張り合い」を演じた。

 その様な、取り入りを演じるキリスト教の劇の中で事件は起

きた。

 この事件により、1597年、秀吉は、

 「キリスト教宣教師の再追放令」を発令した。

 自業自得。もともとの極悪が露呈しただけ。

 その極悪の罪の「刑の執行」であった。

キリスト教の布教を許可する朱印状を出した秀吉が、何故、バテレン追放令を出すに至ったか?

題:キリスト教の布教を許可する朱印状を出した秀吉が、

  何故、バテレン追放令を出すに至ったか? 
(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)

.

 キリスト教の布教の許可の朱印状を与えた秀吉が、

 キリスト教宣教師へ問うた、

 「何故、穏やかにできぬのか?」と、

 また、

 「何故、寺社を破壊し、危害を加えたりするのか?」と。

 そしてまた、

 キリスト教宣教師に問う、

 「何故、日本の女性たちを買い、彼の国へ売り渡したり

するのか?」と。

 この他、

 宣教師たちは「肉は食習慣だから食べているのだ」と答えた

りしているが、

 『自分たちだけの勝手な論理』を展開するだけだった。

 本国の利益のためだけで行っていた日本人売り渡しの奴隷貿

易など、

 まともに答えられなかった。

 キリスト教宣教師は、フィリピンの総督へ「兵の出兵」を

要請したり、

 「キリシタン大名たちに、武器・弾薬や金を提供するから秀吉

を倒せ」と言ったりした。

 秀吉に「日本の法に反する行為を数々行っている、有害であ

る」と言われている。

 また、

 「(善意の)日本人を誤らせている」とも言われている。

(今でもそうだが・・・)

 そして、

 「日本から立ち去れ(死罪ではない)と言われた。

 キリスト教宣教師たちは、反抗した。

 フィリピン総督へ出兵を要請した。

 そして、

 キリシタン大名たちへ武器・弾薬の提供と資金の提供をする

から秀吉と戦えと言った。

 そして、秀吉を暴君と呼び、キリシタン大名たちを奮い立た

せた。

 また、一方、

 「秀吉が満足するものを与えよう」との卑劣な懐柔策も出た。

 キリスト教宣教師たちは、本国の軍事的な支援を受けたり、

 貿易の利益もあったり(結構、悪どい行為をしていたので

資金力があった)、

 経済的にも恵まれていたので、その経済力をも使って不公正な

行為をした。

2013年3月10日日曜日

今後の日本国家はどうあるべきか(1)

YouTube: 今後の日本国家はどうあるべきか【1】西部ゼミ2012年1月1日放送
http://www.youtube.com/watch?v=1gTEwhxLy_4
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
何度も見たり、聴き直しながら作りました。
映像を見ながら、お読みください。
.
 題: 今後の日本国家はどうあるべきか(1)
・西部邁(にしべすすむ):評論家、雑誌「表現者」顧問、19
39年(昭和14年)北海道生まれ、1964年(昭和39年)東京大学
経済学部卒、
・あけましておめでとうございます。
 新しい年がやって来ました。
 昨年は、東日本の大地震とか、
 [東日本大震災の復旧復興、TPP交渉参加の大愚行]、
 TPPの大いなる愚行とか、
 大変なことが日本列島にもありましたが、
 世界中でもギリシャの財政危機、
 [世界に広がる全般的危機、ギリシャ・欧米の財政危機]、
 アメリカの財政危機、その他、大変な事態が、全般的危機と
呼ぶべきしかない状況が進んでいるようであります。
 その間、知識人・ジャーナリスト・評論家・その他が大失言、
大愚行を繰り返して来ましたが、
 [知識人・ジャーナリスト・評論家の失言と愚行の繰り返し]、
 [若い世代に対する期待、保守の若手論客が語る未来]、
 かくなる上は、
 若い世代に期待するしかあるまいという気持ちもありまして、
 今日は元旦でありますが、元旦早々、42万の方々であります
けれども・・・
[中野剛志(なかの たけし)・柴山桂太(しばやま けいた)・
施光恒(せ てるひさ)]、
・お三方を招き致しまして、
 果たして2012年は、どんな年となるか? 
 あるいは、ならせるべきであるか・・といった特別番組を、
1時間半やりたく存じます、御期待下さい。
・・・間奏・・・
<西部邁ゼミナール・今後の日本国家はどうあるべきか>
本:<グローバル恐慌の真相>中野剛志・柴山桂太 共著、集英
社新書
・どうもみなさん、よく集まって下さいました。
 何かねー、来年のことを言うと、鬼が笑うって言うけど、
 昨年の事を言うと、中野君、何が笑うの?
 仏が笑うの? 
 それはともかくねー、
 昨年ね、まっ、簡単に言えば、大地震のことで、科学とか技術
なんて、もともとねー、大異変が来たら、ぶっ壊れるものなのに、
東電の責任だ、何だで大騒ぎして、
 復興策が一向に進まないとか、
 あるいはTPPでねー、
 中野先生・柴山先生、頑張ってくれているのに、
 しくしくと何の議論も情報もなしに、ね、交渉参加決まるとか、
 うんざりなさっていると思うけど、
 最初にね、誰が笑おうとは構わないので、
 いったい、どうしてこんなことがね、こんなねー、
 何というのでしょうかねー、馬鹿騒ぎと言うか、精神の小児病
化と言うか、こんなことがねー、このご時世に起こるのか、
 感想を述べて貰うところから始めましょうか。
 TPPで、ひたすら頑張って居られて、お疲れの極みだと思い
ますけれども、
 元旦どうです、疲れてますか?
・中野剛志:京都大学大学院工学研究科(都市社会工学専攻)
准教授、1971年(昭和46年)神奈川県生まれ、東京大学教養
学部教養学科卒、
・もう、くたびれて、
 あのー、去年、1年は、よく、危機的な状況とか、危機、今、
危機にあるとか言いますけど、ほんとに危機だった訳ですね。
 私は個人的には、かなり危機的状況でしたけれども、最悪で
したけども、で、やっぱり大きいのは、一つは震災なんですね。
 で、
 震災の様な大きな危機があると、
 私はよく、まあ、後で議論になりますけど、
 特に、年配の方々、あるいは、
 [2011年の危機、3.11東日本大震災]、
 私たちは、子供のころから、よく聞いていた話は、
 日本は危機になったら立ちあがるみたいな。
 落ちるところまで落ちたら目が覚めるとか。
 良くそういうことを聞いた訳ですよ。
 でも、1000年に一度の震災が起きたワケですが、
 その間、ズーット、10ヶ月間ぐらい、はっきり言って放置さ
れていたわけですねー、
 [千年に一度の大震災、放置された復旧・復興]、
 だから、
 震災が起きて、危機が起きて、みんなで一致団結して、東北を
救おう、日本ぜんたいで頑張ろうと、
 口では言ってましたけど、全然やって無いんですね。
 でー、
 これだけ大きな震災があって、
 ちゃんと、復興ができないというのは、
 やっぱり、国が、もう、ダメになっている証拠がついに出て
しまったなーというのが、一つあります。
 もう一つ上げるとすれば、
 もうちょっと長い目で、歴史に思いをはせながら言うと、20
11年って、何の年かと言うと二つあって。
 一つは、まあ、どっかでも申しましたが、
 1911年に、小村寿太郎が不平等条約を改正して、ちょうど
100周年なんです。
 それから、真珠湾攻撃から70年。
 ということは、実は、不平等条約を改正して、まともな国に
なってから、たった30年でもう戦争に巻き込まれて、
 ぐちゃぐちゃになっちゃうという。
 たった30年なんですね。
 私、40年、生きてますけど、
 [不平等条約改正30年、真珠湾攻撃が始まる]、
 30年って、
 何か、歴史って長い様ですけど、あっという間に日本って、
そういう事になってたんだなーと思います。
 そうすると1911年から100周年、
 [関税自主権回復100年、真珠湾攻撃から70年]、
 真珠湾攻撃から70年。
 ところが、真珠湾のハワイでですねー。
 不平等条約の交渉に参加するという宣言をした訳です。
 そうすると、
 100周年も、70周年も、もう、ボロボロででしてねー、
 [野田首相がハワイで、TPP交渉参加を表明]、
 何かそのー、
 危機になると立ち上がるだの、
 日本の歴史を、何か作るだの、
 作らないだのー、
 全部、茶番だったと、
 元旦から、何か、悲観的で、視聴者の方がむかつくようなこと
を言って、お目出度い日に恐縮ですけれどもー。
・いやー、いいんですよ、
 比較的ね、多くのお目出度い方々にはねー、少しは言っていい
んですよ。
・てのは、まあ、率直な、実感ですね。
・ところでね、柴山さんね。
 今、中野さんがおっしゃった様に、1000年に1度の危機があっ
ても目覚めない。
 でもね、日本人、考えてみたら、他の国民・民族よりかは、
とりわけて愚かしいとかね、愚鈍だってことは言えないんですよ
ね。
 何かのね、原因があって、かくもねー、愚かしいことが起こっ
ていると、
 勿論、元を正せばねー、切が無いけども、
 近々て言ったって、この50年、100年の話がありましたけど、
教えて下さいよ。
 何で、かくも、愚かしくなることが、可能なのか?
・柴山桂太:滋賀大学経済学部准教授、1974年(昭和49年)
東京生まれ、京都大学経済学部卒、
・いやー、ホントにネー。
 だから、
 不思議なのは、
 これから、国家のビジョンが必要だとみんなが言うのですよ
ねー、
 出て来るビジョンてのは、基本的には自由化しようと、
 まあ、なんですよねー。
 でー、本当は、
 そのー、
 小泉改革があって、その反省があって、民主党が出て来た訳
ですけれども、ところが、民主党も色々やろうとしたのかもしれ
ないけれども、
 [小泉構造改革の反省で、民主党政権が誕生したはずが・・]、
 今、見ると、
 結局、そのー、
 例えば、TPPですよね、
 これはもう構造改革をもっと一層ね、
 そのー、国内では無くて、グローバル、全部含めて、出入り
自由にしようっていう話ですし、
 それから、震災の復興にしてもねー、
 そのー、復興ってのは、
 普通、国家が主体となって、こういう国をつくるんだと、
 そういう話が出るのかなと思ったら、
 そうじゃなくって、
 [復興の主体は国家、官僚と癒着だと東電叩き]、
 まあ、こうなったのは、全部、官僚と、そのー、電力会社と
の癒着が悪いから、これも自由化しようと、
 ついでに復興プランというのも、2011年の6月に出た復興法案
と言うのが、基本的には、
 あれですよね、そのー、
 復興特区というのを作って、被災した自治体に、
 もう、お金を上げるから自由にやって下さいという話にして、
 でー、
 復興自治体は、まあ、何とかしなければいけないっていうんで、
太陽光パネルの、何か、基地を作るとかですねー、
 [国家ビジョンを示さず、混乱に乗じた自由化の実験]、
 ほとんどが、多分、失敗すると
 私は思いますけれども、
 一種の混乱を利用した、なんて言うんですかねー、
 さらに自由化の実験をする様なね、話になっていて、
 それも、どこが国家ビジョンなのかという風な感じがする。
・じゃー、最初は自由についてしゃべりましょうか。
 施さんねー、御存じだと思うけど、
 かつて昔、
 福沢諭吉って、明治維新があって、十数年後かなー、文明論の
概略だから、明治12年ですかねー、その頃にねー、彼は、
 自由は不自由の際(限界)において生ずと、
 [自由は不自由の際(限界)で生ずる、福沢諭吉、明治12年]、
 つまり、
 不自由・抑圧・専制、そういうものがあった時にね、
 しかも、
 そういうものが、道理が通らない抑圧ね、その時にね、
 何で、お前たち、そこまで、威張ってるんだ、押し付けるん
だと・・という時の自由ね。
 つまり、
 自由が輝くのは、抑圧が無きゃいけないんだと、
 明治12年頃に、みんな、そんなことに、常識で解かっていたん
ですけどね。
 何ですか? この自由なんて。
 僕も、子供の時にね、親父が嫌いで、親父から自由になりたい、
学校の先生も嫌いでね、確かに、子供の時にね、そんな事を、
思っていたことがある。
 でも、あん時、考え直したですよ。
 自分自身にネー、自由にやらしておくと、これは、俺はとんで
もない人間かもしれないと。
 でたらめに、しごく自由にやるとかさー、不平不満を述べ立て
るだけの自由とか。
 結構、16・7で、反省したもんですけれどね。
 貴方、社会科学、ずーっとやっていらして、何で、こんな、
自由という言葉が、金科玉条となりおおせたのか。
・施 光恒:九州大学大学院、比較社会文化研究員、准教授、
1971年(昭和46年)福岡県生まれ、慶應義塾大学法学部政治学
科卒。
・今は、あのー、
 非常に単純な想定がある様に思えるんですよね、
 まー、かなり、これは新自由主義の影響だと思えるんですけ
れども。
(参考)新自由主義(しんじゆうしゅぎ)は、「新しい自由主義」
を主張する思想や諸政策であるが、歴史的には複数の用語の日本
語訳として使われている。
 一つは19世紀末のイギリスで興ったニューリベラリズム(英:
NewLiberalism)で、当時の個人主義的で自由放任主義的な古典
的自由主義に対して、自由な個人の実現のためには国家による
社会の改良が必要であるとする思想。
 一般には1980年代から盛んになったネオリベラリズム(英:
neoliberalism)で、ケインズ主義やフォーディズムによる福祉
国家(修正された自由主義)の行き詰まりを、市場原理を中心と
する古典的自由主義で解決しようとする諸思想諸政策(イデオロ
ギー、統治様式、政策)。
 経済的自由主義・自由貿易・自由市場・民営化・規制緩和など、
現代社会における民間部門の役割を拡大させようとすることを指
す。
 またこの用語は、政府の規制緩和と民間の役割拡大を進める
政策に対する批判的な用語としても使われている。ーーー
・なんて言うかな、全部の、あのー、
 [枠組み・土台のない単純想定、新自由主義の影響]、
 枠組みとか、舞台とか、土台というものが無くなって、
 はじめて、人間は、一段と、生き生きと活動できるっていう、
非常に単純な想定がある様に思うんですね。
 あのー、この前、毎日新聞のネットで勝間さんという、あのー
、女性の経済評論家の方が、こういうことをおっしゃっていたん
ですね。
 TPP、勝間さんは基本的に賛成であると、
 何故、賛成かと言えば、各国の間で、アジア・太平洋において、
各国の間で、共通の、コンピューターで言えば共通のOSというの
が。
(参考)OS【Operating System】別名 : オペレーティングシ
ステム, 基本ソフト::キーボード入力や画面出力といった入出力
機能やディスクやメモリの管理など、多くのアプリケーション
ソフトから共通して利用される基本的な機能を提供し、コンピュ
ータシステム全体を管理するソフトウェア。
 ソフトウェアの開発者は、OSの提供する機能を利用することに
よって、開発の手間を省くことができ、アプリケーションの操作
性を統一することができる。
 また、ハードウェアの仕様の違いはOSが吸収してくれるため、
あるOS向けに開発されたソフトウェアは、基本的にはそのOSが
動作するどんなコンピュータでも利用できる。
 パソコン向けのOSとして広く利用されているものにはMicro
soft社のWindowsシリーズやApple社のMac OS Xなどがあり、
企業などが使うサーバ向けのOSとしてはLinuxなどのいわゆる
UNIX系OSやMicrosoft社のWindows Serverシリーズがよく使
われる。ーーーー
・設定されるんであると、(OSって何?)、オペレーション・
システムですかね。
 要するに、あのー、マイクロソフトでしたらウィンドウズ7
とか、何かそういう様な基本ソフトですね。
 基本ソフトが、一番、共通のものが、各国の間であれば、あ
のー、経済活動にしろ、人々の活動にしろ、一番うまくいくから、
 だから、TPPは、あった方がいいんだと、
 加入した方がいいんだという話なんですけれども、
 非常に単純だと思うんですね。
 実際、それは人間が、生き生きと活動するためには、
 それぞれの文化とか、そういう社会的土台というものが、
 必要だと思うのですけれど、
 [枠組み・土台のない単純想定、新自由主義の影響]、
 そういうものを全部、取っ払ったところで、人は、一番、生き
生きと活動できるし、
 経済活動もうまくいくと、
 僕は、そういう風な何もない所で、人間は、一番、うまく生き
られるだという想定というのが、非常に、あのー、なんて言うの
かな、新自由主義の影響で広まっている、非常に単純な見方だと
思えますね。
・しかも、その考え方は、共通のOS、
 つまり、ルールとかを、画一化してしまおうと、
 国ごとに違うと市場が分断されてしまうので、画一化してく
れば、そのー、国境も無くなって、全部、同じルールであれば、
自動車の排ガス規制とかも、全部、国ごとに違うんじゃなくて、
同じにすれば、どんな自動車でも沢山売れるし市場はでかくなる
し、自由になる、・・と、
 こういう考え方なんですけど。
 ま、いくつかと言うか、問題は山ほどありますけども。
 一つ言えるのは、
 そのー、自由が大事って言う人たちっていうのは、選択の自由
が大事だとか言ったり、
 まー、言論の自由が大事で、いろんな意見が表明するのが大事
だと、
 ま、それは、かなり認めるところがある訳ですね。
 いわゆる、言いかえれば、
 多様性が大事だと言うわけです。
 ところがですね、
 同じOS、ルールを一緒にしちゃって、
 そのルールに則ってだけでしか行動できない。
 いわゆる標準化、ルールを画一化する。
 グローバルリズムというのはそういうものなんですけれども、
 これは、大変、抑圧的で、
 [ルールの画一化を進める、抑圧的グローバリズム]、
 ルールの自由とか、多様性とかを束縛するんですね。
・そのことにね、関係して、まー、また、しゃべっちゃうけど
も、ルールの画一、
 多様の問題ですけど。
 例えばね、あっ、こちら、貴方は法科、(あっ、そうです)。
 例えばね、
 法律的に言って、なんて言いますでしょうか、女性差別、
 あるいは幼児虐待をしちゃいけないっていうルールね。
 そういうのに僕、
 そういうのは画一的にやって良いの。
 ところがね。
 女性差別とは何であるか。
 幼児虐待とは何であるかを具体的に述べよと。
 こうなった途端にね。
 それは、中野君が言った様に、各国のね、文化とか、習慣と
か、
 もっと言うと、そういう時の状況にもよるんですよね。
 そうなってきたらですよ。
 画一的なルールは、必ずね。
 ほぼ必ず。
 抽象的な、
 例えば、女性差別とか、幼児虐待って具体化しようとしたらね、
必ず、各国の事情によるでしょ、
 その具体的な事をさらに画一化しようとすると、
 何が起こるかと言うと、
 結局、
 パワーゲームでのね勝者が決める。
 [具体的事例を更に画一化、パワーゲーム勝者が決める]、
 日本が関わっている問題で言えば、
 アメリカがね、ビッゲストパワーだから、
 アメリカが具体的に、数字を決めるわけですよ。
 で、例えば、関税で言えば、撤廃、0(ゼロ)とかね。
 そういうことをね、解からないんだよねー。
 何で、この人たちと。
 誰かかは分かんないけどね、こんな簡単なこと。
・だんだん、その事が、間違っていることが、色々と事実として
出て来ているんです。
 例えば、EUの、今の失敗というのがありますね。
 あれは要するに、EU内グローバルリズムをやった訳ですね。
 つまり、ヨーロッパの何十カ国が、もともと国の文化も違えば
ルールも違った。
 ルールを一緒にしてみたんですよ。
 してみたら、あちこちで色んな問題が出てきて、
 こっちじゃ真面目に働くけれど、あっちは働きたくないと、
 で、こっちはお金が稼げて、あっちは稼げない・・と、いうん
で、
 代表が出て来て、お前はお金をどうすんだという話になって
くる、
 [ルールを一緒にすることで、あちらこちらで争いが起こる]、
 だから、ルールを一緒にしようとすればするほど、あっちこっ
ちで争いが起こっちゃう訳ですよね。
 とすると、今、先生がおっしゃった様に、ドイツとかフランス
の様な力の大きな国が、ギリシャとかに頑張れと、こういう風に
しろと言う訳ですよね。
 同じことが、TPPやっても、同じこと起きるのですよね。
 EUのあの事情を見てて、どうしてまた、グローバルな状況が
良いのか?
・どうしてどころかねー、結構ねー、嘘もつかれててねー、
 去年カナー、僕も、人に教えられて、ちらっと見たんだけれ
ども、竹中平蔵という人が居るのを御存じ?
 知っているかー、(知らなきゃよかった)、
 その人がねー、例えばねー、
 自由貿易っていうのは、アダムスミス以来ね、世界経済の、
言ってみれば、共有されている価値観であると。
 これに逆らうなんていうのは、とんでもない。
 不可能でもあるし、とんでもないみたいな、
 [自由貿易はアダムスミス以来、世界経済の共有された価値観]、
 でもね。
 これね、相当程度、あれなんです、
 [竹中平蔵氏による、自由貿易めぐる嘘話]、
 嘘なんですよね。
 まあ、こういう場で、あまり細かい理論は出来ないけども、
 アダムスミスが考えたのは、あれですからね、
 コモンウエルス、
[アダムスミスが考えたのはcommonwealth英国のための国益]、
 つまり、イギリスのね。
 イギリスの国益になるために、どうすればいいかっていうので、
イギリスにとっての自由貿易、自由理論という経済理論、やった
ことは確かだけれど、
 これね、中野先生の専門で、詳しいことでしょうけども、ほぼ
ね、踵(きびす)を接するようにドイツでは、ティストラ、国民
経済のもとに、
 [ドイツでは国民経済を、国家で保護・管理する]、
 ね、国家で保護なり、管理なり、なんなりしないとね、ダメな
んだという事を言って来て、
 でもね、そんなこと切がないけど、最終的にこうでしょ、
 僕ねー、経済学は35歳のときに、あまり下品な学問だから止
めたんですけどね、覚えてますよ、つまりね、自由貿易が、貿
易当事者にね、それなりに利益を与えるということの条件、い
くつもあるのだけれど、最大の条件の一つはね、生産要素、資本
とか労働がね、簡単に国際的に移動しないという条件がある、
 [貿易当事者に利益を与えるのは、生産要素が簡単に移動しない
事]、
 でもね、今、まさに、世界中にですよー、資本移動でさー、
現地生産で、
 どころか、労働者だって、最近、日本人の労働者は現地採用と
言って、
 例えばね、日本で採用されないから、どこへ行っているのと言
うと、タイと何かに行って、タイの安い賃金で、タイ人と同じ様
な条件で、日本企業に、(条件がタイなんだー、あっ、すいませ
ん)(笑い)、
 そっ、そういう事、
 公然と嘘をついているの、(そうですね)、
・あのー、これねー、でももう、これ結構、欧米の方では、もう、
これはまずいっていう話は出て来ているんですよー。
 そのー、竹中さんと同じ経済学者の中で、あのー、これは、
中野さんの方が詳しいでしょうけど、
 底辺の競争と言うねー、議論があって、レース、トゥー、ザ、
ボトム、(教えて)
・いやー、簡単に言うと、底辺の競争と言うのは、国際競争力で
競争するので、簡単に言うと、
 一番、賃金の低い所に合わせて、みんなが賃金を引き下げなく
てはいけない、
 だから中国に合わせて、みんなが引き下げなくてはいけない、
 [Race to the bottom、低水準(低賃金)へ合わせる競争]、
 ところが、
 中国はベトナムが現われると、引き下げなくてはいけない、
 一番低いところへ揃(そろ)って行ってしまう、
・だから、
 TPP、結んでも、資本の移動が自由だと、日本の企業はどん
どんベトナムに行って、
 で、ベトナムで物を作りますよね、
 すると、日本の労働者は、そのまま失業しちゃうから、日本の
労働基準とかが、ベトナムのレベルに引き下げるという競争が
始まるんですよね。
・しかも、現にねー、テレビでやってるのよー、そういう風に
して海外投資が進むんで、産業空洞化が進むとか、ね、
 それから安い物が入ってきたりね、安い賃金にまで、ボトムに
合わせられるから、日本のね、賃金・その他が安くなって、国内
需要が減ってね、どんどんデフレは進行する。
 こっちで騒いでるのよ、で、こっちで自由貿易バンザイと。
・その通りで、さっき柴山さんがおっしゃった様に、EUってい
うのは、EU内のグローバル化を、すべて失敗したのを、みんな
見ているわけですよ。
 一方で、そのー、今、おっしゃった様な話っていうのは、グロ
ーバル資本主義が進み過ぎて、オキュパイ・ザ・ウォールスト
リート運動というのがありますね。
 ウォール街を占拠せよって、大デモ行進をやっている、
 [グローバル資本主義進み、Occupy the Wall St]、
 それが、世界の流れだと、
 みんなが見ながら、彼等が批判している先の、グローバル資本
主義の延長であるTPPに賛成しない手はないって、
 何を言っているのかが、まったく、理解できない、
 [グローバル資本主義の間違いは明らかである]、
・まさに、その通りで、
 世界の現象では、グローバル資本主義の間違いってのは、かな
り明らかとなっている。
 一方で報じながら、TPPには、やはり、自由貿易が必要だから、
交渉参加した方がいいという話を、延々としていたわけですか
らねー。
・面白いですねー、あのー、日本の首相、野田さんかー、
 僕ねー、去年、テレビ見ていたら、こう言うのですよね、
 みんなが言っていることらしいんですけれども、
 アジアの競争力を取り込むと、
 みんなは、「ふうーん」と頷(うなず)くらしいんですよ。
 ちょっとねー、例が強引だけどね。
 いいですよ、ひとの競争力を習って、取り込むのはいいんだけ
ど。
 例えば、僕、結構、新宿で飲むんですけどねー、
 新宿、最近、歌舞伎町行かないから、暴力団に会ってないけど、
仮にですよ、暴力団に会った時に、僕に、暴力団の競争力を取り
込むなんて、誰も思わないよね、そん時は、知らん顔して通り
過ぎるとかさー、
 例えば、競争力ということは、自由と同じなんですけどね、
言葉があるでしょ、
 言葉から子供っぽく、獏たる雰囲気、えっ競争力?良いことじゃ
ないのー、えっ自由?素晴らしいことじゃないのーっという、
 何っていうのかね、ムード?
・それはありますよ。
 だって、だから、さっき、先生がおっしゃった様に、自由貿易
が成り立つための条件は、資本移動が無いこととか、あるいは
そのー、両国で失業者が居ない事とか、色々あるんですが、
 [自由貿易の成立は資本移動が無く、両国間に失業者がいない
こと]、
 連中は、そういった理屈を、分かってて、分かって無くて言っ
ているのではなくて、自由貿易っていう言葉のイメージで言うの
で。
 もっと言うと、自由貿易って言うとおかしいのではないかと、
じゃー、鎖国すればいいのかと、
 (あー、そういう事)、
 鎖国と自由貿易との差は、随分と差があるんですけど、結局、
その程度というのが一つ。
 もう一つはですねー。
 これは、構造改革とか、新自由主義とか、市場に任せよという
議論と同じなんですけど、こうなんですよ。
 自由貿易をしないで、
 例えば、管理貿易をする、
 鎖国はできないにせよ、ここの分野については守る、ここの
分野については自由にするとか。
 こう政治で決めていくというのは、結構、大変なことなんです
よね。
 ところが自由貿易にしちゃうと、全部、何にも政治はやらない
で、適当にやって、出た結果、勝った者が正しい。
 つまり、責任は負わないんですね。
 で、政治がもう、ものを考えなくてよくなる。
 だから、自由貿易にして何が良くなるということを、彼らが
言っているんじゃはなくて、兎に角、政策を放棄する。
 政治を放棄して、ほったらかしにして、
 出た結果は、みんな、認めなさいというと言っているだけなん
じゃないでしょうかね、
・新自由主義の政策を取る政権と言うのは、長続きするところが
ありますよね。
 これは自己責任だから、別に政治が悪いわけではないってい
う、
 逃げが可能になるところがあるんじゃないかと思います。
 [新自由主義の政策とると、政治が責任負わず長期政権に]、
・サッチャー政権も、レーガン政権も、小泉政権も、このー、
新自由主義的な改革と言うのは、敵を想定してぶったたくので、
さっきの労働組合とかですね、
 (そうか)、
 ところが、
 敵が多いと政権と言うのは長続きしない様に見えるのですが、
実際には、そういう新自由主義の政権は、みんな長生きしている
のですよね。
 今、施さんがおっしゃったように、自己責任と言ったじゃない
か、俺たちには責任がないんだから、
 ということで、その政権の責任は問えなくなる。
・柴山君さー、僕、今、聞きながら思い出したんだけれども、
貴方が、去年、僕に、酒場で教えてくれたエピソード、
 えー、新聞社か出版社か忘れたけれど、
 その名前を上げない限りにおいてさー、あの話、もう一回して
下さいよ、みんなにね、
 保護は良くないけど、管理は良いという話。
・保護貿易と言うと、やっぱり、色々と、これねー、しかし、
それだけじゃなくて、兎に角、昔、そのもっと前には、あのー、
共同体っていうのはねー、僕は、そのー、共同体と言うのは、
まあねー、あまり、堅苦しい言葉ですけれども、この場合は、
常に地域社会と言うねー、つないでいる様な人間関係みたいな
もの、そういうものがやっぱり、地域というのが発展する上にお
いて必要じゃないかと書いたんですよね。
 共同体という言葉は止めてもらえませんかと。
 で、どうしましょうかというと言うと。
 コミュニティーという言葉に変えて下さいと。
 同じコミュニティーっていうと共同体という英語に。
 この間、
 保護主義というのが、まあ、一定程度、この場合は、保護主義
と言うのは鎖国しろと言う訳では無くて、まあ、今、中野さんが
おっしゃった様な、貿易を管理する国家の主体性というのを大事
にしましょうという話だったんだけれども、ま、でも、この言葉
は、ちょっと、あんまりー、言われてしまうとね。
・それで、貴方がでしょ?それで、貴方が管理貿易って書き換え
たら、管理貿易ならいいでしょと言われた。
 これ、ほとんどね、なんて言うんでしょうかねー、なんて言う
んでしょうかね、小学生以下なんですよね、国土が悪くて、管理
ならなんとかってね、ほんとにねー、先ほどから気になっている
のは、ちょっとした言葉のね、ニュアンス、
 あっ、みんなが何か、なんて言うのかな、言葉の仕分けってい
うのがあるんですね、
 何かこれは悪い言葉、これは良い言葉、
 ちょっと、むしろ、保護貿易よりか管理貿易、
 僕ならねー、きついと思うんですけれどねー、
 保護にも保護で色々あると思うんですけど、管理って言った
ら、官僚が出てきて、管理でしょ、マネージでしょ、
 具体的なシステムを使って、具体的な数値を上げて、それが
管理ですもんね。
・生活保護も生活管理、ちょっと、その方がきついですよね。
・環境保護では無くて、環境管理?(笑い)、そっちのが凄そ
う。
ーーー間奏ーーーおわり

2013年3月7日木曜日

豊臣秀吉の頃のキリシタンの行状

 題: 豊臣秀吉の頃のキリシタンの行状について
........(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教宣教師の最高位にいたカブラルは、
 日本人を低く見て居た。
 馬鹿にして居た。
 自分たちの会話が日本人たちに聞き盗られると困ると思い、
 聞き盗られないようにと、
 日本人たちにポルトガル語やラテン語を勉強する事を禁止し
た。
 また、ラテン語やポルトガル語を学んで司祭になる事も禁止
し、
 日本人が司祭になる様な事が無いようにした。
 後に、このカブラルは日本を離れたが、
 そして、秀吉はキリスト教の布教を許可し、
 朱印状を与えたが、
 キリスト教宣教師たちの動静は不穏を極めた。
 九州では、島津氏の勢力が拡大し、
 キリスト教が保護しているキリシタン大名の大友・大村・有
村は劣勢だった。
 キリスト教宣教師らは、秀吉に島津氏討伐を要請した。
 また、九州のキリシタン大名に味方をするようにと要請し、
 軍艦を2隻を提供すると提案した。
 キリスト教宣教師らは、
 キリシタン大名を援助する兵隊の出陣を、
 フィリピンに居た総督に要請した。
 また、
 キリシタン大名の援助のための弾薬や大砲や食糧、資金、船
舶などの要請もしていた。
 また、
 キリスト教宣教師たちは、本国の利益についても画策してい
た。日本の女性などの奴隷売買など。
 島津氏は秀吉によって屈服させられた。
 この時、
 秀吉は、
 キリスト教宣教師たちの技術的に進んだ快速船で長崎から博
多に来ていた。
 キリシタン大名たちは、秀吉の性格を良く知って居たので、
 今までの経過などから、
 「この快速船は秀吉の為に作らせたのだ」と言って、
 秀吉に与える様にと、
 キリスト教宣教師たちに忠告した。
 しかし、
 この忠告に従わなかった。
 その他、キリシタンたちは、破壊的な行動をしていた。
 キリシタン大名城下で、神社仏閣を壊し続けていた。
 キリシタン大名は、キリスト教宣教師に完全に服従した
 (大名を救う武器弾薬・重火器の補充をする宣教師だったか
ら)、
 その大名の服従は驚くほどだった。
 宣教師たちはそれを利用した。
 神社仏閣を破壊して、良いものは自分たち宣教師たちのもの
にしていた。
 また、強制的に民衆を信徒とした、
 この様な行状が秀吉の耳に入った。
 そして、バテレン追放令へと続いて行く。