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2012年7月10日火曜日

感受性の強い子供の心を、結果的に、弄(もてあそ)ぶような事が起きています

題 : 感受性の強い子供の心を、結果的に、弄(もてあそ)ぶ
       ような事が起きています

 今、キリスト教のお祭り「ハロウィン」が、日本で、無邪気に
行われておりますが、
 そして、この魔女が関連するこのお祭りに、小さい子供が参加し
ていますが、
 また、小学校では「国際感覚を身につけよう」という美名のもと
に、公的小学校も含めて「ハロウィン」が行なわれ、
 キリスト教系の学生が喜々として駆けつけ、一緒になってやって
いますが、これは美名の下の「キリスト教の巧妙なる伝道行為」で
す。
 アメリカでも問題となり、裁判事例の多い「巧妙なる伝道」です。
 そして、この魔女が関連しているこの事例で、子供たちに何が起
きたか?、影響したか?という事例です。
 キリスト教には「神を恐れよ」という教義があります。
 魔女事件の場合、キリスト教はこの教義によって権威を得ようと
しました。
 また、教勢を拡大したいとしました。
 その為に、「魔女は生かしておいてはならない」の教義がある
キリスト教は「死も辞さない」という姿勢でした。
 「死も辞さない」と言っても自分ではなく、相手を死に至らしめ
る行為でもって権威を得ようという行為です。
 この結果、キリスト教は、周りに死の影や戦争が満ち、まとわり
付いた歴史となりました。
 魔女事件の場合、年端(としは)の行かない3歳・5歳・7歳・12
歳の子供達が憑依(ひょうい)しました。
 悲しい事です。
 これは広がりやすい性質を持っていました。
 17世紀、キリスト教司教領で、子供だけでなく、地域全体が憑依
するという事件となって起きました。
 魔女だと言われた女性が、自(みずか)らキリスト教聖職者の居
る魔女委員会に申し出て、「多くの人々の体内に悪霊を祈り込んだ」
と言いました。
 すると、町に憑依した、憑(つ)かれた主婦や子供達、大勢の群
れが、この司祭領や隣接する地域にさ迷い出て来ました。
 憑依した人たちは未成年者が多い状況でした。
 町は混乱しました。
 飛び火しやすいこの現象は飛び火して行きました。
 スウェーデンの場合は、プロテスタントの村でした。
 憑依した子供たちが現われました。
 子供達は意外と大人が何をやっているかを知っていました。
 大人たちの言動から魔女とはどういうものかを見聞きし、よく知
っていました。
 日頃から、キリスト教聖職者は魔女の定型を話をしていました。
 怖い事に感受性の強い子供達は、特に、憑依しやすい状況で、親
たちは自分たちで救う事を断念するくらいでした。
 親たちは、当局へ原因の魔女の撲滅をする様にと押しかけるとい
う騒ぎ。
 国王の調査委員会が取り調べるという事になり、騒ぎはますます
拡大して行きました。
 また、多くの他の村々へ伝染して行きました。
 憑依した魔児は無数の大人たちを告発しました。
 「魔女の踊りをしていた」「悪魔のシナゴーグへ行ったりしてい
る」、それを見たと。
 ある村は、70人の女性と15人の子供が火炙りとなりました。
 これは、国境も越えて広がって行きました。
 ドイツで起きた事例では、ほとんどが10歳以下の子供でした。
 子供達は、キリスト教の教義と魔女を自己流に織りなして語りま
した。
 想像力の強い子供達は「魔女のサバト」「天国の幻視」「最後の
審判と地獄の使者」を語り、告げるという状態でした。
 驚くことに「デーモン(悪魔)との性交渉」の詳細な証言に裁判
官(キリスト教裁判所の聖職者の裁判官)もびっくりしている状況
でした。
 (参考)とし‐は【年端/年歯】 年齢のほど。年齢。としのは。
「―のいかない子」
 (参考)ひょう‐い【憑依】 [名](スル) 霊などがのりうつるこ
と。「悪霊が―する」 」

2012年6月19日火曜日

日本を救う、救いたい(その3・完) ・・・大学教授の言葉・・・

題:日本を救う、救いたい(その3・完)・・・大学教授の言葉・・
         岩田規久男氏(学習院大学教授)の言葉

 日本では、
 日銀と多くのエコノミストが、
 この金融政策の波及経路を理解していないため、
 「日銀がおカネをばら撒いても、人々は買いたいものがないから
買わない」とか、
 「日銀が貨幣を増やそうとしても、資金需要がないため、銀行貸
出が増えないから、貨幣を増やすことはできない。
 したがって、
 金融政策ではデフレから脱却できない」といった
 誤解や神話が横行している。
 著者は、こうした誤解と神話を打ち砕くために、
 何年もの間、
 著書や論文などを発表してきたが、
 いつまでたっても、
 日銀と多くのエコノミストは、
 まるでオウムのように、右の様な誤解と神話を繰り返すだけであ
る。
 しかし、
 本書で示す様に、
 日銀の金融政策のレジーム(金融政策のスタンス)を
 「デフレ・ターゲティング」から「おだやかなインフレ・ターゲ
ティング」に転換させれば、
 インフレ予想が形成され、
 デフレと超円高から脱却することができる。

 読者に是非理解していただきたい点は、
 デフレと円高から脱却する上で、
 銀行の貸出が増えて、
 貨幣が増える必要はないことである。
 日本は、
 デフレのために、
 家計も企業もモノやサービスへの支出を控えており、
 金余りだからである。
 金融政策によってインフレ予想が形成されると、
 家計や機関投資家は、
 今まで眠らせていたお金を、
 株式投資や外貨投資に振り向けるようになる。
 これにより、
 株価が大きく上昇して、
 デフレで痛んだバランス・シートが改善され、
 為替相場は円安になる。
 予想インフレ率が上昇すると、
 予想実質金利が低下するため、
 これまでは有利でなかった設備投資の採算が取れるようになる。
 そこで、
 企業は余っているお金で設備投資を始める。
 同様にして、
 家計は余ったお金で耐久消費財を買い始め、
 さらに、
 それに借入金を加えて、住宅投資を開始する。
 このようにして、
 これまで眠っていたお金(貨幣)が取引を媒介するようになる。
 これを貨幣の流通速度が速くなるという。
 デフレと超円高からの脱却過程では、
 しばらくの間は、
 銀行貸出と貨幣は増えずに、
 貨幣の流通速度が速くなって、
 活発化した取引を媒介するのである。

 つまり、
 「銀行貸出と貨幣が増えなくても、インフレ予想が形成されて、
おだやかなインフレが始まり、円安への転換が始まる」という点こ
そが、「おだやかなインフレ・ターゲティング」へのレジーム転換
の要諦なのである。

 銀行貸出と貨幣が増え始めるのは、
 貨幣の流通速度の加速化が限界に達するほど、
 経済取引が活発化してからである。
 著者は、
 本書によって、
 一人でも多くの読者が、
 日銀が流布している金融政策に関する誤解と神話から目覚めて、
 日銀をまともな中央銀行に返る運動が高まり、
 それによって、
 日本経済が1日も早く、
 デフレと超円高から脱却して、
 人々の生活が安定すること願っている。
 ーー略ーー 
             2011年1月31日 岩田規久男
☆教授の主な著書に:『金融入門新版』『国際金融入門新版』(岩
波新書)、『経済学を学ぶ』『日本経済を学ぶ』『世界同時不況』
(ちくま新書)、『景気ってなんだろう』(ちくまプリマー新書)
、『インフレとデフレ』『日本銀行は信用できるか』(講談社現代
新書)などがある。

2012年6月18日月曜日

日本を救う、救いたい (その2) ・・・大学教授の言葉・・・

題:日本を救う、救いたい(その2)・・・大学教授の言葉・・・ 
         岩田規久男氏(学習院大学教授)の言葉

 こうした企業行動により、
 雇用はますます減少し、
 増えるのは非正社員雇用ばかりになってしまう。

 日本は少子・高齢化が急速に進み、
 生産年齢人口が減少する時代に入った。
 そうであれば、
 本来、
 労働市場は人手不足で、
 「売り手市場」になるはずである。

 ところが、
 実際に起きているのは、
 就職氷河期に象徴される「買い手市場」で、
 大量の就職浪人の発生である。

 いったい、
 どうしてこんな馬鹿げたことがおきるのであろうか。
 たまたま、
 高校や大学を卒業した時が不景気のために、
 正社員になれなかった人の多くは、
 セカンド・チャンスがほとんどないため、
 一生、
 非正社員として働かなければならない。
 正社員と非正社員の生涯所得には
 約2.5倍もの格差がつく
             (2009年年次経済政報告による)。
 以上の様な雇用状況では、
 多くの人が将来不安から、
 財布のひもを締めて、
 支出を控える。
 その支出の抑制がデフレを促進する。
 特に、
 若い人には希望がなく、
 かれらが内向きになるのも当然である。
 菅直人首相は
 「一に雇用、ニに雇用、三に雇用」といって首相になった。
 しかし、
 政府には雇用を増やす手段はほとんどない。
 なぜならば、
 雇用が悪化しているのは、
 デフレと超円高のためだからである。
 そして、
 超円高の原因はデフレである。
 政府にできる事は、
 税金を使って、
 デフレと超円高で悪化する雇用の痛みを和らげることぐらいしか
ない。

 経済界は、
 政府に成長戦略を求めているが、
 デフレと超円高のままでは、
 どんな成長戦略をとってもその成果は望めない。

 それは、
 成長戦略とは、
 規制緩和などによって
 供給能力を増強する政策だからである。

 日本経済はデフレと超円高で、
 大幅な需要不足である。
 需要が大幅に不足している時に、
 供給増強政策をとれば、
 ますます、
 需要が供給に対して不足するようになり、
 雇用が悪化するだけである。

 成長戦略が成果を上げるためには、
 まず、
 デフレを止めなければならない。

 デフレを止めれば、円高も止まる。

 デフレと超円高を止める事が出来る唯一の機関は、
 政府ではなく、
 日本銀行である。

 これを逆に言えば、
 デフレと超円高をもたらしている真犯人は、
 日銀だという事である。

 本来、
 政府が日銀の政策目標を決め、
 その目標達成を日銀に義務付けなければならない。
 つまり、
 本来、
 日銀には金融政策の目標を決定する自由はなく、
 あるのは、
 目標を達成するための手段を選ぶ自由である。
 これが、
 政府からの日銀の独立の本来の意味である。
 すなわち、
 右の意味で、
 日銀は政府の子会社であり、
 親会社の政府の目的に従わなければ、
 国家経営は成り立たないのである。

 ところが、
 1998年から施行された「新日銀法」は
 日銀に目的達成の手段だけでなく、
 政策目標の決定についても政府からの独立を認めてしまった。
 その為、
 それ以後、
 日銀は何らの責任も取ることなく、
 「いいたい放題、やりたい放題」の独善的機関になってしまい、
 子会社の日銀が
 多少とも「デフレ脱却」のポーズをとると、
 親会社の社長や取締役が「ご協力いただいて、感謝します」とい
う始末である。
 親会社が子会社をコントロールできない会社が
 まともな経営をできるはずがない。
 小泉純一郎内閣も
 「デフレ脱却」を掲げたが、
 日銀に対しては何も注文しなかった。
 それが「政府からの日銀の独立」であると勘違いしていたからで
ある。
 そのため、
 小泉元首相はデフレ脱却を果たすことなく、
 郵政民営化の目途をつけるとさっさと政権を降りてしまった。
 小泉元首相に
 デフレ脱却の意図はまったくなく、
 あったのは郵政民営化だけだったのである。
 国民も新聞などのメディアも
 政府や首相をとっかえ、ひっかえしても、
 何も変わらないこと、
 攻めるべき本丸は「日銀にある」ことに気が付くべきである。

 金融政策は分かりにくいといって敬遠するのではなく、
 金融政策こそが、
 雇用をはじめとする、
 私たちの生活の良し悪しを決定する政策であることを
 理解しなければならない。

 この本は、
 日銀の金融政策をどのように変えれば、
 デフレと超円高から脱却して、
 雇用も、財政も、年金も
 大きく改善できるかを明らかにしようとするものである。
 とくに、
 本書で強調していることは、
 デフレ下の金融政策とは、
 人々の間におだやかなインフレ予想の形成を促すことによって、
 デフレと超円高から脱却する政策である、
 という点である。    (つづく)

2012年6月17日日曜日

日本を救う、救いたい (その1) ・・・大学教授の言葉・・・

題:日本を救う、救いたい(その1)・・・大学教授の言葉・・・ 

 岩田規久男氏(学習院大学教授)の言葉:
 「経済界は、
 政府に成長戦略を求めているが、
 デフレと超円高のままでは、
 どんな成長戦略を取ってもその成果は望めない」・・と、先生は
言われる。
 素晴らしい言葉が続く。
 今(2012・6・14)も超円高ですが
 (米ドル79.38、ユーロ99.72)、
 一度は読んでいただきたい本です。
 本:「デフレと超円高」(講談社現代新書)。

 著者略歴:
 1942年、大阪府に生まれる。1966年、東京大学経済学部卒、
 1973年、同大学大学院博士課程修了。1998年、学習院大学経済
 大学教授。この間1976年~1978年までカリフォルニア大学バー
 クレー校において客員研究員を務める。専門は金融・都市経済学。

 (内容抜粋):
 2010年の日本経済は、
 急速な超円高に振り回された1年であった。
 2010年12月30日の円ドルレートの終値は81円50銭で、
 年初(2010年1月4日)よりも14%の円高・ドル安だった。
 2008年9月半ばのリーマン・ショック以降の世界同時不況化で見
ると、
 円の対外相場の急騰は猛烈を極めている。
 すなわち、ドル、ポンド、ユーロ、元、ウォンに対して、
 それぞれ、32%(2010年12月30日終値の2008年9月12日比)、
 51%(2010年12月29日終値の2008年9月12日比。以下同じ)、
 41%、27%、35%もの円高である。
 円は、
 資源国で世界同時不況からいち早く立ち直った高金利通貨国(長
期国債金利は5%台)のオーストラリア・ドルに対してさえも、
 世界同時不況下で5%の円高である。
 実質実行為替相場で見ると、
 円はリーマン・ショック後、
 2010年末までに26.5%も上昇しており、
 その通貨高は突出している。
 この様に、
 デフレに加えて、
 円がどの通貨に対しても軒並み高騰したままでは、
 政府がどんな成長戦略をとろうとも、
 日本経済が安定した成長を達成し、
 それを維持することは不可能である。

 一部には、
 こうした超円高を歓迎すべきであると捉える向きがあるが、
 超円高は、
 日本経済の強さの結果生じたものではなく、
 単に、
 世界中で日本だけがデフレであるために生じているに過ぎない。
 超円高を歓迎する人は、
 日本だけがデフレであることを歓迎しているのである。
 超円高でも、
 2010年9月頃までは、
 日本経済は何とか持ちこたえて来た。
 それは、
 世界同時不況下でいち早く立ち直った新興国経済への輸出が好調
だったことと、
 エコカー補助金・減税と家電エコ・ポイント制が、
 消費の大幅増をもたらしたからである。
 しかし、
 エコカー補助金が2010年9月初めに終了すると、
 10月と11月の乗用車新車販売台数は前年同月比で、
 それぞれ、29%減、34%減となった。
 家電エコ・ポイント制は、
 2011年3月末まで延長されたが、
 予算がなくなれば、その前でも打ち切りになる。
 一方、
 中国などの新興国は、
 インフレ警戒に入っており、
 金融引き締め政策への転換により、
 今後、その成長は鈍化する可能性がある。
 ギリシャやアイルランドなど、
 財政危機を抱えたヨーロッパ経済にも暗雲が垂れ込めている。

 以上の様に、
 これまで日本経済を支えて来た二つの要因が、
 剥落するにつれて、
 今後、
 デフレと超円高の大きな負の効果が本格化すると懸念される。
 デフレと超円高は何よりも雇用を直撃する。
 失業率は、5%台で高止まりしているが、
 失業率がこの程度で止まっているのは、
 企業内が国から雇用調整助成金の支給を受けて、
 必死に正社員の雇用を守っているからである。
 企業内の潜在的失業者は、
 528万人から607万人にも達すると推計されている(2009年度年
次経済政報告による)。
 これは、
 雇用者の10%から12%は
 実質的には失業者であることを意味する。
 したがって、
 企業内潜在的失業者を加えた実質的な失業率は、
 13%から14%にも達することになる。
 さらに、
 雇用は失業率だけでは測れないほど悪化している。
 リーマン・ショック以降、
 正社員は減少し続け、
 増えるのは賃金が低く、
 雇用の不安定な非正社員ばかりで、
 雇用者に占める非正社員は、
 35%(2010年7~9月期。以下同じ)にも達する。
 男性非正社員のうち36%は、
 これからの日本経済を担うべき15歳から34歳の若年層である。
 失業期間は長期化し、
 失業者336万人のうち38%の人は、
 1年以上も失業している。
 デフレが始まって以降、実質賃金も低下した。
 2009年上期と2010年上期の実質賃金(5人以上の事業所)は、
 デフレが始まる前の1997年上期よりも、
 それぞれ、7%と6%の低下である。
 2010年上期の実質賃金は、
 17年も前の1993年と同じ水準でしかない。
 超円高は、
 製造業の海外流出を促進するが、
 いまや、内需型産業と思われていたサービス産業も、
 デフレと超円高で内需が増えないため、
 海外企業を買収して、
 海外事業展開を進め始めた。      (つづく)

2012年5月25日金曜日

「許される悪はあるのか?」 について

題: 「許される悪はあるのか?」について

 書評:慶応大学教授・○○○○氏、
 本「許される悪はあるのか?」
              マイケル・イグナティエフ著、
 書評文(抜書き):
 テロリズムからの安全を確保するためには、
 拘留、拷問、予防的戦争が必要かもしれない。
 しかし、
 この考えを是認すれば「市民の自由が制限される」。
 市民的自由を絶対化すれば、テロリズムを未然に防げない。
 国民の生命を犠牲にするかもしれない。
 この本の著者は、
 中間の立場を選んだ。
 「道徳上の絶対主義にも、
 冷徹な現実主義にも加担しないように努めた」という。
 それは、
 「より小さな悪のモラリティ」という考え方である。ーー(略)ーー
 現在では、
 テクノロジーの進歩と自由の拡大によって、
 「自由な国民」の頭上には、
 大量破壊兵器を用いたテロ攻撃という「ハルマゲドン」がもたら
される危険がある。
 それゆえ、「より小さな悪」を選択せねばならない。
 だがそうであっても、それがより大きな悪へと変化するのを阻止
せねばならない。ーー(略)--
 日本では「道徳上の完璧主義」が好まれるあまり、
 「より小さな悪」という思考が浸透しにくい。
 緊張感溢(あふ)れる現実世界で、
 我々が正しい道を見失わないための、偉大な知的貢献である。」
                 (読売新聞2012・4・29)
(私見):
 「日本が『道徳上の完璧主義』を好む」とは、
 見誤りの見方です。
 「好む」ではなく、「それが正しい」と判断しているからです。
 あなた様は「より大きな悪にならないように、小さな悪を行なわ
せる」とのお考えの様ですが、
 1例として、キリスト教の「魔女事件」は、
 最初からこの様な悲惨な、非人道的な事件ではありませんでした。
 あなた様は「小さな悪=拷問」は許されると言われますが、
 例えば、この人類の負の遺産の魔女事件のどのレベルの拷問まで
許すと考えられているのでしょうか?
 可哀想な女性が沢山おられますが、「鼻そぎ」ぐらいまでなら良
いなどとお考えなのでしょうか?
 このキリスト教の魔女裁判、拷問でいじめ抜かれ、挙句に命を
奪われる女性が大勢いましたから、
 命を奪われるよりましだと・・などと、考えられて居られるので
しょうか?
 「小さければ良い」という「程度の問題ではない」と思います。
 例えば、
 「少人数だし」とか、「小さな拷問だから良いのだ」というお考
えなら「それは絵に描いた餅」「机上の空論」ではないでしょうか。
 「だから、大きくならないように監視するのだ」と言われますが、
今の魔女事件のどの時点で貴方様ならストップをかけられることが
できるとお考えですか?
 このキリスト教が主導した魔女事件の問題も、
 「最後は、ヨーロッパ中が空転する大惨事のレベルまで達し」、
 それが絵空ごとでないことが、この世に現出しました。
 何故、
 このキリスト教の方たちは止められなかったのでしょうか?
 貴方様は、「できる」とそれこそ増上慢になって居られるのでは
ないでしょうか。
 また、別の例で・・・
 またまた、急に、貴方のお宅に、警察が踏み込み、
 「予防的逮捕です」と身に覚えのない拘束を受けたとしたら、
 どう思われますか? 
 素直に納得して従いますか? 予防的逮捕だと・・。
 かつての日本の暗い世情的になるでしょう。「官憲に怯(おび)
える社会です」。
 何もしていないという確固たる安心が存在しない世界なのです。
 予防的範囲で逮捕もありうるのかとの葛藤の中に存在する生活す
る不安定さを意識した生活になるのです。
 それが、
 戦争までの大きな場合もあり得るという論理は 空恐ろしくなり
ます。
 「予防的戦争なんて恐ろしい行為を是認しないでください」。
 (「これからの戦死者を減らすために広島・長崎に原爆を落とし
ました」まで行きます。
 『予防という観点から』現実に悲惨なハルマゲドンが起こされた
のです)
 この様なお考えを考え直していただきたいのです。
(追記):
 必要悪の話は、「ジェノサイド肯定論へ繋(つな)がっていく」。
 より優秀な人種の世界になるためには「劣等な人種を減らすこと
が必要なのだ」となる。
 キリスト教にあるこの様な恐ろしい考え方、過去にあったこの様
な悪行を二度と起こしてはならない。
 (参考)モラル【moral】 道徳。倫理。「―に欠ける」
 (参考)せ‐じょう【世情】 1 世の中のありさま。せいじょう。
     2 世間の人情。俗人の心。せいじょう。

(蛇足的なことなのですが)ーーー: 
 ①:そんなことを言う貴方様こそ危険人物になることが予想され
ます、なので「予防的拘留をしますよ」・・・と、伝えて下さいと
いう方が居られました。
 ②:より大きくならないように見張り・監視する・・「貴方の様
な人こそ、見張らなければならないと感じます」。・・との意見も
ありました。
 ③:貴方様の意見は、「一々小さな事にとやかく言うな」という
悪漢と通じます。少しくらいの悪なら許してくれよー、少しは世間
のためになっているところもあるんだからさー。・・の意見も。
 ④:小さい子供を持つお母さんの言葉:小さなことでも、悪いこ
とをしていれば、少なくとも1回は言わなければならないでしょう。
悪いことを悪いと教えるのが正しいのでしょう? 貴方様の意見で
は、それをやってはいけないという悪もある・・・と、聞こえます
・・という、意見です。
 ⑤:より大きな「電車内の女性に対するいやらしい行為」を防ぐ
ため・・・より小さな悪は許す・・・「ケツ触るぐらいいいだろう」
になりますが? そのくらいでも駄目なのでは?・・この意見も記
させて戴きました。
(参考)だ‐そく【蛇足】 《昔、中国の楚(そ)の国で、蛇の絵をは
やく描く競争をした時、最初に描き上げた者がつい足まで描いてし
まったために負けたという「戦国策」斉策上の故事から》付け加え
る必要のないもの。無用の長物。
(必要悪をインターネットで調べると)ーーー:
1、ない方が望ましいが、組織などの運営上また社会生活上、やむ
をえず必要とされる物事。悪いこと、悪い人は本来あってはいけな
いことですが、あったほうがいい悪もあるということです。現代社
会で言うと「ヤクザ」さんの中の暴力団さんたち。暴力振るったり、
拳銃持ち歩いていたりと何かと悪いことばかりする暴力団の方々で
すが、この人たちが借金取り立てないと、平気で借金踏み倒す不届
き者が後を絶えません。社会からはみ出してしまった人たちも、ど
こかの組に属していれば、親分の目が光っていますから、堅気の人
にめったやたらに迷惑などかけないわけです。
2、違法若しくは倫理・商習慣・習慣上問題があるものであっても、
当該人・物・状態が存在しなければ、更に違法若しくは倫理・商習
慣・習慣上好ましくない人・物・状態が発生するような場合、より
悪くならないために存在する人・物・状態のことを必要悪という。
3、最悪の事態にならないように 歯止めとして存在するもの。たと
えば風俗産業など。
4、必要悪の教会(ネセサリウス)【元ネタ】 ラテン語。necessari
us:避けられない。 【解説】 イギリス清教第零聖堂区。 魔女狩り・
宗教裁判と言った『対魔術師』の技術に特化した人材が多く見られ
る。 解りやすい例では、ステイルやインデックスあたりがまさしく
ソレ。 そもそも「魔術は穢れたモノ」と見なされている渦中にいて魔
術を習得しているこの部署は、 異端中の異端たる「汚れを一手に引
き受ける」機関。故に「必要悪」とよばれる。 なのだが、それは同
時に最も力を持つ部署ということでもあり、 いつしかイギリス清教会
全体の実権を握ってしまった。 某魔術師曰く「最近はとある少年の
影響か、随分と角が取れてきている」との事。 国家宗教の関係組織
に所属しているため、公務員級に安定した収入がもらえる。
(喫煙神父でも) なお、給料は国から支払われている(イギリス国
民の血税で賄われている)ようだ。
5、道徳的・法的に悪であるが、それが存在しないとより大きな無
法状態や混乱を招いてしまうために超法規または見て見ぬ振りで存
在を許されている道徳・法・人・物事・物体。
6、ひつよう‐あく 〔ヒツエウ‐〕 【必要悪】 よくないことではある
が、組織や社会などにとって、やむをえず必要とされること。

2012年5月22日火曜日

今、国は緊急事態なのです。

題 : 今、国は緊急事態なのです。

 「官僚は駄目だ、駄目だ」と、
 スケープゴートするが、

 そして、
 官僚の改革が民への増税の前にしな
ければならないこと・・・との論理で、
 民への増税を先延ばしにする。

 国の緊急事態を知りながら、
 民への半分ゴマスリもあるのだろうと
思えてしまう発言。
 緊急に救わねばならない国の救う道の
一方を封じる。

 官の改革・官をスリムにするは、
 遠の昔から叫ばれて来たこと。
 それが出来なかったから
 今がある。
 これは「政治家の責任」。
 それを「官が悪い」と官のみに原因が
ある様に言い、
 自分自身の責任に気付かない様に思
える。
 増税を含む救国の手立てを封じるは
 間違っている。

 発言者も含め政治の怠慢で、
 若しくは、
 能力不足で、
 今に至っている。
 ここに来て、
 官の改革の後では、
 間に合わない。

 故に、
 同時並行策しかない。
 救国策の総動員を、政治家の皆様の意見として戴きたい。
 
(追記)(読売新聞2012・5・11)によると、「国の借金960兆円 2011年度末」の表題で、[内容]:財務省は10日、2011年度末の国債と借入金、政府短期証券を合わせた「国の借金」が、前年度末より35兆5907億円増えて959兆9503億円となり、過去最大を更新したと発表した。今年4月1日時点の推計人口(1億2765万人)で割ると、国民1人当たりの借金は約752万円となる。「国の借金」全体の約7割を占める普通国債の残高は33兆5558億円増え、669兆8674億円。

2012年5月17日木曜日

真に民を憂える、強い意志のリーダー

題 : 真に民を憂える、強い意志のリーダー

 フランス・ギリシャの選挙を話題にする新聞。
 それを考えると。
 「欧州連合(EU)などが求める緊縮財政に
 民はどの様な断を下すか?」が
 ポイントとなる。
 現状、
 民は財政拡大に支持を送る。
 それとは逆に、
 増税や歳出削減には背を向けている。
 緊縮財政は不支持なのだ。
 つまり、
 財政の健全化につながる路線を
 否定していると言える。
 この路線を否定し続ければ、
 ユーロ圏は崩壊すると知っている
 ・・・「が、しかし」なのだろう。
 それとも、民は、全く、何も知らないのだろうか? 
 民の多くが選択を否定している健全化路線と呼ばれる路線を
回避しても、民が大切にしたいと考えているだろうユーロ圏は、
崩壊しないという衆の知があるのだろうか? 
 専門家は、
 少なくとも1~2年は大丈夫だが、
 それ以後、
 破壊的状態に陥(おちい)るとしている。
 専門家の目からは、
 「それが確実なのだ」の声である。
 その、近未来に
 確実に崩壊するとの専門家の声に対し、
 民の選択は逆にある。
 キリスト教発祥地の古代の民は、
 この様な時、
 飢餓に苦しんだ時、
 隣の国の富を神の正義として奪い取りに行った。
 または、流離(さすら)った。
 流浪の民となった。
 現在、
 日本も似たような状況に置かれている。
 しかし、今まで、
 政権与党も野党も
 共に
 民へ甘い施策を示し勝だった。
 この様な経済不安の時、
 過去に、
 危険な路線に入って行って、
 辛酸をなめた時があった。
 そして、
 より辛い歴史を刻んだ。
 今は、
 真に民を憂える 強い意志のリーダーが 望まれる時である。

2012年5月10日木曜日

インディアスの破壊についての簡潔な報告・・・

本:「インディアスの破壊についての簡潔な報告」は
 キリスト教徒とキリスト教聖職者たちが行なった史
上最悪の愚行(南北アメリカ大陸などの卑劣な殺戮)
を記した書であが
・・・その49頁に・・・
 キリスト教徒等に、300人のインディオを分配され
て、3か月のうちに、
 そのうちの270人が鉱山労働で死んでしまい、
 生き残ったのは30人に過ぎなかった。
 3か月か4か月の間に、約7000人以上の子供が
 餓死した。 
 両親が鉱山へ連れ去られてしまったからである。
 また、
 私(キリスト教聖職者)は、
 そのほか数々の身の毛がよだつような出来事を
目撃した。
 (この聖職者は何らインディオを助けようとしなかっ
た悪漢)
 その後、インディオ達を狩り出しに行くことになった。
 結局、
 キューバ島を荒廃させ、全滅させてしまった。
 総督は、無慈悲で無分別で、
 (今さら、インディオたちが死んでしまった後、こんな
ことを言ったって、この聖職者は殺すがままにさせて
いた悪漢)
 彼の行った忌まわしい行為は、それまでのものを
ことごとく凌いでいた。
 (他人に悪さを転嫁するな、誰もいなくなった荒れ地
に教会を建てただろう)。
 金も非常に豊かであった。
 それまでは、地上にそんなにも多くの金があろうとは
思いつかなかった。
 金の在所(ありか)を白状させ、
 数々の新しい虐待や拷問の方法を考え出した。
 (止めろとも言わなかったキリスト教聖職者、今頃、
弁解したって死んでしまったではないか)。
 その聖なる使命をいつもないがしろにしていた。
 (おまえさん、キリスト教聖職者が聖ではないのだ)。
 全世界に行ってすべての人々に福音を述べ伝えよ。
 (福音じゃないよ、殺しに行っただけではないか、総
べてを殺して)
 さもなくば、妻子ともども生命をも失なうことになるで
あろう。
 盗賊と変わらない部下たちを先に派遣し、
 われらは神とローマ教皇、それに、この地の君主
であるカスティーリャの国王についてお前たちに知ら
せにやってきた・・・云々。
 さもなければ、われらが即刻、戦さを仕掛け、お前
たちを殺したり捕えたりすることになると心得よ。
 夜の明けそめる頃、大半が藁造りのインディオ達の
家に火を放った。
 (キリスト教聖職者は止めもしない)、
 殺戮をほしいままにし、彼らに奴隷の焼印を押した。
 火勢が弱まるか、火が消えると、彼らは焼け落ちた
家の中にある金を探しに出かけた。
 官吏たちとて例外ではなかった。
 キリスト教の司教も、その御利益にあずかろうと
側近の者たちを派遣した。
 (ほら見ろ、キリスト教聖職者も欲にまみれた悪漢
だったのだ)。
 数人の無法者の総督が引き続きその地へ赴いた。
 生きのびたインディオ達を暴虐的な奴隷状態へ陥
れ、挙句の果てに殺害した。
 また、彼らは部下たちが同じように振る舞うのを認
めていた。 (キリスト教聖職者も同罪)・馬鹿め。
 (これらの行為はキリスト教の教義から来る行為
です・・・キリスト教はこの様な宗教なのです・・・)

2012年4月15日日曜日

NHKの、まったく私的な『思想操作的』な放送行為について

題:NHKの、まったく私的な『思想操作的』な放送行為について

 NHKは、「頑張るな」というキャンペーン放送を、長期の間、
放送をし続けました。
 そして、NHKは、あらゆるNHKの放送番組でこの主張を企画し
ました。
 NHKがキリスト教に偏することは、ずーっと指摘させて戴いて
まいりましたが、NHKの討論番組においても、NHKが招聘した
国際基督教大学の先生は、NHKの主張とまったく同じ「頑張るな」を
主張し続けました。
 討論番組としては論理の拡がりは全く無く、「頑張るな」を、
ただ教示的に同じ発言を言い続ける討論番組でした。
 この討論番組に出席されていた、当時の文部科学大臣に
『頑張っている方が、社会から感謝され、報われていく社会でなけ
ればならない』との御発言(正論)がありました。

 過去に、キリスト教は、異端審問という死刑にすることができる
制度を使って、思想統制をしました。
 ネオプラトン主義には「人は存在の連鎖を上昇して行くことによ
って神に到達できる」という考え方がありました。
 キリスト教は、「ネオプラトニズムは被造物崇拝につながるもの
であり、多神教に手を貸すということになる」と主張し、キリスト
教会は、ネオプラトニズムを異端として危険視し、取り締まり対象
にしました。

 キリスト教は、神を頂点にして、下位に位置する人間は、神からの
上意を下達してもらい、それで神の意思を窺(うかが)い知るという
宗教です。
 それ故、キリスト教の神には到達できないもの、「隔絶の上に
位置する神」という教義で成立させている教理です。
 人側から言えば、努力しても神へは至れない、故に、常に受動的に
神の意思を知るという行為を続けなければならないという考え方の
宗教です。
 そこで、人は努力しても神に至れない、努力してもしょうがないに
なります。神のみぞ知る、だから、「頑張るな」のキリスト教になり
ます。

 NHKは、このキリスト教の「頑張るな」をキャンペーン放送を
しました。
 社会から重く糾弾されるべきNHKの汚点の1例となっています。
 重大な罪ある放送行為となっています。
 努力すべき行為を否定する主張をキャンペーン放送するという
反社会的行為の1つの例です。
 しかし、NHKは、この重大なこの罪の反省の弁は今だにしていま
せん。それ故勿論、その様な弁も公表していません。
 この様な、思想操作的な、宗教(キリスト教の教義)の洗脳的
放送行為の再発の危険性は残されたままになっています。
 NHKの超強力な放送媒体を使ってこの様な私的な思想(キリスト
教の教義)の洗脳放送行為は厳に二度とさせない体制を作るべき
です。
 NHKは、まったく私的な思想操作放送をし続けています。

2012年4月7日土曜日

TPP : 戦争直後の 日本とアメリカの姿が ダブる

題: TPP :
     戦争直後の日本とアメリカの姿がダブる。

 このTPPの加入の検討に湧く
 『今・現在』と、
 連想される過去の時
     =『第二次世界大戦後の日本』。
 日本がアメリカによって
 占領政策がなされている頃。
 それは、
 「戦勝国(アメリカ)に絶対的に従うという
 従属政権を日本に樹立する」という
 基本的考え方が存在した頃である。

 今・現在、
 アメリカに新しい安定のための
 基本政策がある。
 それに
 日本が協力することを必須としているアメリカ。

 それ故、
 日本がTPPに参加し、
 協力しなければならないと
 している。
 日本のTPPの不参加の選択肢は
 ないとしている。

 日本の不明確さに
 アメリカは苛立(いらだ)っているとのこと。

 (参考)ダブ・る [動ラ五]《名詞「ダブル」の動詞化》 1 二重になる。重複する。同じ物事が二つ重なる。「字が―・って見える」「昨日は会合が二つ―・った」 2 落第して同じ学年を二度する。留年する。「卒業単位が足...
 (参考)いらだつ【苛立つ】 [共通する意味] ★思いどおりにいかないので気持ちがたかぶる。[英] to be irritated[使い方]〔じれる〕(ラ下一)〔苛立つ〕(タ五)〔苛つく〕(カ五)[使い分け]【1】「苛立つ」...
 (参考)キリスト教は、隣国でさえ、(キリスト教の)神の義があればという大義名分を与え、その富を奪いに行く。キリスト教の聖書・申命記をお読みください。

2012年3月28日水曜日

(続報) 世界の若者から 見捨てられる 日本

題 : (続報) 世界の若者から 見捨てられる 日本

(追伸)
 フジテレビ系(FNN)で、
 3月27日(火)の0時48分に配信されたニュースによると :

 『看護師の国家試験で、
 EPA(経済連携協定)に基づいて
 来日した
 インドネシア人とフィリピン人の
 2012年の合格者は、
 47人となった。

 2011年までの3回の試験での合格者は、
 あわせて19人しかおらず、
 大きな上昇となったが、
 合格率は11.3%と、
 依然として低い水準となっている。

 厚生労働省では、
 2013年以降の試験で、
 試験時間を延長するなどの
 対策をとることにしている』

 ・…と、報じている

 これを検討すると、
 外国の方達が、
 2009年~2011年の3年間で
 475人が受験し、
 19人が合格し、
 合格率が4%だった。
 本ブログは
 この極端な低率を批判したものだった。

 そして、今回の、
 このブログ記述後の
 2012年度の合格者は47人となった。
 合格率は11.3%との事。
 このことから
 受験者数は416人だったことが分かる。
 しかし、まだまだ、
 日本人との格差は大きい。

 そして、
 2009年~2012年の今年までの4年のすべてで、
 外国人の方は891人が受験し、
 66人の方が合格し、
 合格率は7.4%だということが分かる。

 まだまだ、
 外国人に門戸を閉ざしている日本と
             言える。

2012年3月27日火曜日

戦勝国の 「リンチ・私刑」

題 : 戦勝国の 「リンチ・私刑」

 アメリカ連邦最高裁判所の
            W・O・ダグラス判事の言葉:
 「極東国際軍事裁判所は、
 裁判所の設立者から法を与えられたのであり、
 申立人の権利を、
 国際法に基づいて審査できる自由かつ独立の裁
判所では無かった。

 それ故に、
 パール判事が述べたように、
 同裁判所は、
 司法的な法廷では無かった。

 それは、
 政治権力の道具に過ぎなかった」。

 (参考)
 申立人とは、
 極東国際軍事裁判序の被告たち
    (いわゆる日本の戦犯と言われた人たち)。
 この被告たちは、
 東京裁判の判決が下された1948年11月、
 アメリカ連邦最高裁判所に、
 再審請求を申し立てた
       (本:世界がさばく東京裁判、64頁)

 ・・・この裁判は、
 法的に成立していませんと
          ダグラス判事は言っている。
 法的に成立していない裁判、
 いわゆる
   戦勝国による「リンチ・私刑」だと言っている。

 故に、
 正式な裁判ではないので
 「再審請求も成立していない」として
 「再審請求は却下されます」と
                  言っている。

 ・・・と、いうことは、
 『戦争犯罪人』という言い方も正しくない。
 ましてや、
 刑は執行されたが、
           刑の執行も正しくない。
 戦勝国の横暴と言える。

 どの様な法で
 裁かれたと
 はっきりしているのなら、
 敗戦国だけの裁判だけではないはず、
 だが、
 戦勝国は「お咎めなし」となっている。

 (追記)
 W・O・ダグラス判事は、
 裁いた法は、
 裁判所の設立者が法を与えられたのであり、
 この法は、
 完全に、私(わたくし)の法であり、
 「私の見解(公のものではない)」で裁いている・・・と、
                       言っている。

 故に、裁判所の態をなしてない。
 裁判所でもなく、裁判でもない・・・と、
                       言っている。 

 (語彙説明)
 とがめ【咎め】 犯した罪や過失を責めること。
 また、それに対する罰。そしり。非難。叱責(しっせ
き)。「お―を受ける
 (語彙説明)
 てい【体/態】 [名] 1 外から見た物事のありさま。
 ようす。「満足の―」「そしらぬ―」 2 見せかけ。体裁。
「―のいい返事」 [接尾]名詞・人代名詞などに付いて、
そのようなもの、そのようなようすなどの意を表す...

2012年3月25日日曜日

日本政府の 原爆投下に対する 抗議

題 : 日本政府の 原爆投下に対する 抗議


 カッセーゼ教授は、

 日本政府が、広島に原爆投下に対して、

 「それは不必要な苦痛を与える非人道的兵器の使用を禁ずる国際法原則に違反する」との理由で、

 スイス大使館を通じてアメリカ政府に抗議を行った事実に触れ、

 短文の通諜ではあったが、

 立派な主張を提示したと述べている。

        (本:世界が裁く東京裁判、41頁)

 (参考)
 つう‐ちょう【通牒】 [名](スル)
 1 書面で通知すること。また、その書面。
 2 「通達1」の旧称。
 3 国際法上、国家の一方的意思表示を内容とする文書。「最後―をつきつける」

2012年3月23日金曜日

世界の若者から 見捨てられる 日本

題 : 世界の若者から見捨てられる日本。
     日本を目指さなくなっている世界の若者?

 人手不足に悩む介護の現場。

 介護福祉士の不足に悩む政府は、
 助けをインドネシア・フィリピンに求めた。

 インドネシアは、
 幸い第二次世界大戦による「対日感情は悪化せず」、親日の国であった。
 インドネシアを独立に導いたスカルノは、
 宗主国のオランダ軍との戦闘において、
 日本の残した武器と残存日本軍将校の助けにより独立を達成できた。
 この様な事もあって、
 親日の国となったインドネシア。
 このインドネシアの方々の心は大切にしなければばならない。

 これらのこともあって、
 日系企業は、幸い、インドネシアで発展している。
 そのインドネシアの心もあって、
 介護士不足の日本に若い方達が大勢駆けつけてくれた。

 しかし、
 日本経済新聞によると、
 2011年の看護師試験の『日本語のテスト』で外国人の合格率が僅か4%であったという。
 96%のほとんどの外国人を『不合格にした』との事。
 (因みに日本人は9割超が合格)。
 この格差を『杓子定規に判定した』との事。
 「合格して妻を呼び寄せ、日本で働きたい」と新聞記者に語った若者は、
 果たして合格したのでしょうか?
 不明なのですが、
 「確率的には不合格の確率が高い」という結果を、
 『日本の判定者は出した』ということです。

 不合格で
 『夢破れて帰国する方が多い』という。
 これはどう見ても『おかしい』のではないでしょうか。
 外国人と『承知で呼んで』、
 日本人と同じ土俵の上で
 「当然、日本人だけが有利な日本語」というジャンルでテストをし、
 当然、
 外国の方に、不利な結果が出る。
 そこを、杓子定規に判定する。
 4%は異常過ぎる低率。
 日本人の90%超との『格差は異常』過ぎる。
 この数十倍もの落差は矯正・修正して判定すべきが『常識』です。
 出題問題に問題があるとも言える。
 漢字書き取りテスト的との批判も聞くが、
 この日本語だけで落ちた優秀な外国の若者たちも帰国しているのは『正さねばならない』。
 優秀な外国の若者はどんどん日本に来てもらうのが『本筋』だ。
 若い時、日本に来て勉学をしたなどで、親日の外国政治家になり、日本が助けられたという例が多い。
 それでなくても、
 今、
 中国の若者はアメリカを目指し、
 日本は眼中にない状況となってきている。
 この様な見捨てられる日本にならないよう、
 外国の優秀な若者を大切にしたい。
 語学の問題は、一時的な問題なのだ。
 優秀な方は全てが基本的に優秀なのだ。
 その様な視点でなければ日本は活性化せず、復興もままならないだろう。

 (参考)そうしゅ‐こく【宗主国】 従属国に対して宗主権をもつ国家。
 (参考)そうしゅ‐けん【宗主権】 他国の内政・外交などを支配・管理する権能。植民地などが独立する過程で、本国がその植民地に対してもつ例が多い。
 (参考)スカルノ(Sukarno、旧正書法ではSoekarno、1901年6月6日 - 1970年6月21日)は、インドネシアの植民地時代(オランダ領東インド時代)から民族主義運動、独立運動において大きな足跡を残した政治家である。Sukarnoでフルネーム。独立宣言後、同国の初代大統領となり、雄弁な演説とカリスマ性によって、大衆の民族意識を鼓舞した。1965年の「9月30日事件」によって失脚した後は不遇の晩年を送ったが、いまなお国民には「ブン・カルノ」(カルノ兄さん)と呼ばれ、国父として敬意をもって愛され続けており、現在も10万ルピア紙幣に肖像が描かれている。

2012年3月22日木曜日

湯川秀樹の言葉

湯川秀樹の言葉 : 

      「素粒子の研究に、

          ギリシャ思想は全く役に立たないが、

              仏教には多くを教えられた」

 湯川 秀樹(ゆかわ ひでき : 
  1907年(明治40年)1月23日 ~ 1981年(昭和56年)9月8日)は、
  日本の理論物理学者である。京都府京都市出身。

  原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の
  媒介となる中間子の存在を
  1935年に理論的に予言した。

  1947年、イギリスの物理学者セシル・パウエルが
  宇宙線の中からパイ中間子を発見したことにより
  湯川理論の正しさが証明され、
  これにより1949年(昭和24年)、
  日本人として初めてノーベル賞を受賞した。

  京都大学・大阪大学名誉教授。
  京都市名誉市民。
  1943年(昭和18年)文化勲章。
  位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。
  学位は理学博士。

2012年3月21日水曜日

アインシュタインの言葉

アインシュタインの言葉 :
      
     現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものがあるとすれば、

                それは仏教です。

 (参考)アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein 、
     1879年3月14日 - 1955年4月18日)は、
     ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者。
     特殊相対性理論及び一般相対性理論、相対性宇宙論、
     ブラウン運動の起源を説明する揺動散逸定理、
     光量子仮説による光の粒子と波動の二重性、
     アインシュタインの固体比熱理論、零点エネルギー、
     半古典型のシュレディンガー方程式、
     ボーズ=アインシュタイン凝縮などを提唱した業績により、
     20世紀最大の物理学者とも、
     現代物理学の父とも呼ばれる。
     特に、
     彼の特殊相対性理論と一般相対性理論が有名だが、
     光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって
     1921年のノーベル物理学賞を受賞した。

2012年3月19日月曜日

ニーチェの言葉

ニーチェの言葉 :
 仏教は、
   キリスト教に比べれば、
       100倍くらい現実的です。
 仏教は、
   歴史的に見て、
   ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と
             言っていいでしょう」。

(参考)
 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、
 ドイツの哲学者・古典文献学者。

 ニーチェは、
   仏教を絶賛している。

 仏教ほど
  理知的で現実に正面から向き合っている
   宗教はないと言い、
 真に幸福のための具体的な道しるべを示し、
              実行しているという。

 ニーチェは、また、
  仏教の素晴らしいところを
   「仏教のよいところは『問題は何か』と
 客観的に冷静に考える伝統を持っているところです」
                とも言っている。
 そして、
 ニーチェは、
  キリスト教は
   「生存することの不快や苦悩を
 来世の解決に委ねてしまう悪癖がある」と
           キリスト教を否定しています。

 そして、
 「キリスト教は、
   恨みという負の感情(ルサンチマン)によって
        突き動かされている宗教」といい、
 「このルサンチマンこそが
    キリスト教の苦悩の原因である」と
                 いっている。

(語意解説)
 ルサンチマン【(フランス)ressentiment】
 強者に対する
  弱者の憎悪や復讐(ふくしゅう)衝動などの感情が
    内攻的に屈折している状態。
 ニーチェやシェーラーによって用いられた語。
 怨恨(えんこん)。遺恨。

2012年3月18日日曜日

未来の宗教は・・・

題 : 未来の宗教は・・・

ジョーゼフ・キャンベルの言葉 : 
    「未来の宗教はどうしても仏教に近づいていくだろう」。

(参考)ジョーゼフ・キャンベル(Joseph Campbell)、
       1904年3月3日 - 1987年10月30日)とは、
 アメリカの神話学者、文学者、講師である。
 比較神話学や比較宗教学でよく知られる。

 彼の作品は広大で、人間の経験に基づく多面的なものである。
 彼の人生観は、しばしば「至上の幸福に従え」という一文に要約
される。

 1924年キャンベルは家族とヨーロッパを訪れた。
 船に戻った時、彼はジッドゥクリシュナムルティと遭遇した。

 彼らはアジアの哲学について議論した。
 そのことがキャンベルの長い人生の中でヒンドゥーとインドの思
想について興味を持たせるきっかけとなった。

 この旅行の直後、彼はカトリック宗教の活動をやめた。

 (すでにラテン語を流暢に話せた彼は、彼の言語の幅を広げるため、
日本語を身につけるつもりであった)。

2012年3月2日金曜日

皆様、再開しました。宜しくお願いします。

何かの事情で、アクセスできなかったと思いますが、再開できました。
これからも宜しくお願い致します。

2012年1月5日木曜日

あのころはよかったなー・・・

☆題: 《あのころはよかったなー・・・》: 

 青物町商店街の狭い路地。
 40メートル先のどんづまりに商店街の守護神、お稲荷さん
がある。
 カブ・ニンジン・バナナ・そして尾頭付きの金目鯛が三方
に載せられお供えされている。
 小さなキツネの焼き物が飾られている社殿。
 1坪ほどで小さいのに「正一位半田稲荷大明神」とたいそう
な神社。

 10月10日。ここで秋の例祭があった。
 12人が、社殿の向かいにある自治会館に集まり、お神酒を
交わした。
 ほとんどが70代。
 にぎやかな語り「葛飾の半田稲荷から江戸時代に分かれたの
だろう」
「昔は初午(はつうま)の前に、みんなでお参りにいったもの
だ」。
 昭和期の例祭には露店も出た。
 子供達もたくさん、駆け回っていた。
 映画館も商店街のはずれにあった。
 「人通りが多かった。小さい子は父親に肩車をしてもらわ
なければ歩けなかったもんだよ」。

 昭和46年に商店街にアーケードが完成した。
 今はさびが目立つが。
 工事をした人が言う「昔はもうかって、芸者を上げて一晩に
百万使ったこともあった」。
 花街は、青物町の隣の宮小路。
 いま、地方都市の高齢化と過疎の波が青物町商店街をも襲う。
               (参考:朝日2010・11・9)

2012年1月4日水曜日

国家や正義の名の下での・・戦争による大量死が・・無くなる時代は、いつ、来るのだろうか・・・

☆題 : 《 国家や正義の名の下での
     ・・戦争による大量死が
     ・・無くなる時代は、何時、来るのだろうか・・・》:
 
 書評:東京大学名誉教授・本間長世氏、「戦死とアメリカ
     ドルー・ギルピン・ファウスト著」(抜き書き)。

 米国の南北戦争は、
 建国後1世紀足らずで国家が分裂し、
 4年間にわたる戦争の末、
 北軍が南軍に対して勝利をおさめ、
 連邦の統一が回復され、
 反乱軍が鎮圧された内戦として記憶されている。

 この戦争の記憶は、
 アメリカ人の間で生々しく受け継がれてきている。

 南北戦争の戦死者の総数は、62万人。

 訳者(黒沢眞里子氏)も注目している様に、
 本書の章立ては、
 「死ぬこと」、
 「殺すこと」、
 「埋葬すること」など 動名詞を使い、
 動的な切り口で叙述を進める事で、
 主題の重苦しさが救われている。

 北部人も、南部人も、
 同じキリスト教の神に祈ったが、
 神自身の目的をうかがい知ることはできないと述べた。

 20世紀は戦争の世紀だった。

 今世紀において、
 破壊兵器はますます精度を高め、
 無差別テロの恐怖は各地に広がっている。

 歴史の教訓は生かされていない。

 国家や正義の名の下での大量死が、
 なくなる時代は何時来るのだろうか。 
               (日経2010・12・19)

(小生:「(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良
い」の教義では、必然的に戦争は多くなる)

2012年1月3日火曜日

戦争開戦前に、徹底的に現状分析がなされたが・・・幻の報告書

題 : 戦争開戦前に、徹底的に現状分析がなされたが
                    ・・・幻の報告書
☆《 戦争開戦前に
 ・・現状を詳細に分析した報告書が存在した
 ・・しかし、現状認識を封印し、戦争は始められた
 ・・その結果は悲惨そのものだった・・・ 》:

 70年前の日米開戦前に、
 日本の国力を正確に予測しながら、
 葬り去られた幻の報告書が存在した。

 1939年9月、
 関東軍参謀部で、満州国の建設主任から急きょ帰国した陸軍
中佐の秋丸次朗は、
 「戦争経済研究班」を取り仕切って、
 その報告書を作成した。
 同班は「秋丸機関」と通称され知られた。
 秋丸は、英米との戦争に耐えられるかどうかの分析を命じら
れ、
 東大教授の有沢広巳、
 後に一橋大学学長になる中山伊知郎らの学者を集め、
 徹底的に調べた。
 20~30人の研究チームだった。
 調査対象は、人口・資源・海運・産業など広い分野に及んだ。
 資料収集に苦労を重ねた。
 経済封鎖の日本。
 軍需産業育成にどれだけ力を注げるのか。
 英米との力の差は・・。
 分析が進んで行った。

 調査開始から1年半後の1941年半ば、
 12月8日の日米開戦まであと数カ月の時期に、
 陸軍首脳らに対する報告会が催された。

 秋丸は意を決して言った。
 「日本の経済力を1とすると、
 英米は合わせて20。
 日本は2年間は蓄えを取り崩して戦えるが、
 それ以降は経済力は下降線をたどり、
 逆に、英米は上昇し始める。
 彼らとの戦力格差は大きく、
 持久戦には耐えがたい」。
 これが秋丸機関の結論だった。

 列席したのは杉山元参謀総長ら陸軍の首脳約30人。
 じっと耳を傾けていた杉山がようやく口を開いた。
 「報告書はほぼ完壁で、非難すべき点はない」と報告書の
分析に敬意を示し、
 そして続けた
 「その結論は国策に反する。
  報告書の謄写本はすべて燃やせ」。

 会議から帰って秋丸は、報告書を焼却した。
 有沢は直ちに活動から手を引くように命じられた。
 秋丸機関は、ほどなく解散し、
 現状認識を封印した戦争が始まった。
 結果は、悲惨そのものであった。

 報告書の一部が秋丸の死後、
 遺品の中から発見された。
 詳細を極めた報告書であった。
               (参考:日経2011・1・3)

2012年1月2日月曜日

野田さ~ん! 40年国債って、40年後の子供たちからおカネを借りて・・・

題 : 野田さ〜ん!、40年国債って、40年後の子供たちから
    おカネを借りて・・・

☆《野田さ〜ん!・・・》: 
「 野田さ〜ん!、40年国債って、40年後の子供たちからお金
を借りて、今の子供たちにお金を配るという事ですか???
・・・この国債、金融機関に賛成意見が多いという話があった
ので・・との声が聞こえて来たのですが???・・金融機関に
は0に近い超低金利の日銀からお金が流れていますが・・その
お金? 」
 
☆《これから日本に出て来る人からおカネを借りる・・・》:
 野田さんの政治というのは、「未来の人たちからお金を借り
て、お金を配って評判をとる・・言いかえれば、お金で評判を
買う的な政治」なのですか???・・違いますよね?
・・40年国債は無節操でしょう?・・恥ずかしいことをしてい
るなと思うべきでしょう・・今、居ない人=これから日本に出
て来る人から勝手におカネを借りちゃうんですよ・・帳簿上
そうしちゃうのでしょ・・・ 」

☆《デフレから脱却したいからといって・・・》: 
 デフレ脱却したいといったって・・40年もの先の人達まで巻
き込むのはおかしいでしょ・・また、財布を潤したいといった
って、「自分だけ良ければよい」の姿が見えますよ・・何か
変?・・40年先に急浮上する国債・・??・・「40年先の人た
ち、逃げられない借金に」「えーっ、俺たちが払うの〜」って、
言うだろう・・なら、野田さん、やるのなら100年にする?
・・もう、ここまで行ったら、貰ったも同然です・・冗談は、
止めにしましょう・・利子は払ってるんだからなんて大きな
顔はしないで下さい・・借りまくりの姿です・・」
 
☆《ニチギン!・・・》: 
 日銀、お主も悪よのう。・・結託してるでしょう?・・・
「40年もの先に浮上する霞みの国債」は、「繰り上げて償還す
るように・・そして、止めなさい」との意見で振舞って下さ
い・・「こんな先の未来の人たちにまで世話になるのかい・・
これはないおカネです・・」と、言って下さい。 

☆《無利子に近い金利で日銀がお金を貸してくれたら
・・外国がほとんど買ってくれない日本の国債・・しかし・・・》: 
 外国がほとんど買ってくれない日本の国債。
 小泉さんが日本の国債の格付けが下がって目をむいたが・・・。
 中国が半年や1年という超短期で買ってくれる時も(危なくて
長期は・・との意か?・・)。
 それでも国内・日本人が買ってくれたから良かった。
 ゆうちょ銀行などが必死に買っている。
 しかし、日経新聞(2011・1・3)に「国債の国内消化危うく」
との記事があった。以下その記事:
・・日本の公的な債務残高がGDPの2倍に達しても、国内では
「日本はギリシャにはならない」と財政危機論に否定的な声が
ある。
 家計の金融資産が国債残高を上回っており、『 当面は 』
国債を国内消化できる事情があるためだ。
・・だが、エコノミストの間では、金利の上昇で国債の利払い
費が増え、財政運営難に陥る悲観シナリオがある。
 少子高齢化で家計の金融資産増加は鈍っている。
 国債残高の上昇ペースのが速い。
 みずほ総合研究所「いずれかの時点で長期金利が急上昇する
リスクは否定できない」と指摘する。
・・今後、海外投資家に頼るようになれば低金利では買い手が
つかず、金利が急上昇する懸念も出てくる。
・・(読後のひとりごと:もしあなたが低金利で日銀がお金を
貸してくれたら・・低金利とはいえ、それ以上の金利が戴ける
日本の国債を買いますか? 利ざやはありますよ・・とのヘン
な声が聞こえる。うらやましい)

☆《政治が逃げている・・歴史に残る今、何故なさぬのか・・》: 
 政治が逃げている
・・本来、与野党の枠を超え、論じるべき課題から政治は逃げ
続けている。
・・30年も前から・・「少子高齢化で、立ちゆかなくなる」と、
指摘されていた。
 政治経済学者の故村上泰亮氏が「新中間大衆の時代」で27年
前に、「最近の日本社会は例外的な楽園(状態)である。
 町を歩く若い世代の日本人ほど無防備な表情をしている若者は
ほかにいない。
 古い世代の日本人も、ようやくたどりついた豊さにすがり
つこうとしている」。
 村上氏はすでにこの時「現在の日本の豊さは、つかの間の幻影
に終わる可能性も大きい」と書いている。
 (政治家よ、今、この時、2011年、処方箋を実行にうつしな
さい。実行にうつさない限り、悲惨な淵へ・・今は実行ある
のみ・・)。       (参考:日経2011・1・3)

2011年12月31日土曜日

木銃で下から敵を撃滅せよ・・弾も出ない木の銃で子供に何をさせようとしたのだろうか・・・

題 : 木銃で下から敵を撃滅せよ・・弾もでない木の銃で
      子供に何をさせようとしたのだろうか・・・》:

 私の履歴書:
        商船三井最高顧問・生田正治氏(抜き書き)
・・1944年7月にはサイパン島守備隊が玉砕し、
 本土への空襲激化は時間の問題となったため、
 主要13都市で学童疎開が開始された。
 毎朝10時以降に警戒・空襲警報が出れば、
 昼の給食用の芋や代用食のドングリでこしらえたコッペパンなど
を受け取り、
 地域ごとに走って帰宅することになった。
 10時以前だともらえないので、
 毎日10時になってすぐに警報が鳴らないかと、
 不届きなことを願う日々だった。
 家に帰っても遊び道具はボール一つなく、
 もっぱら道路で仲間と軍艦ゴッコなどの戦争遊びや、
 高射砲弾の破片集めに興じた。

 父に2度目の召集令状が来たのは1944年の夏頃だったろう。
 近くの東横線都立高校駅まで見送り、
 せみ時雨の中で敬礼をして乗車していく父の後ろ姿に手を振った
のが別れになった。

 1945年2月になると縁故疎開先もなく、
 まだ東京にいる全学童に強制集団疎開命令が出た。

 5年生以上約100人は、
 数人の先生に引率されて4月早々、
 山梨県・小渕沢に向かった。
 当時の小渕沢は文字通りの寒村だった。
 私たち男子約50人は駅前の「寿旅館」に、
 女子は近くのお寺にお世話になることになった。
 朝早く起きて近くのお宮の庭掃除と、
 荒削りの木銃での厳しい軍事教練。
 何でも米軍は九十九里浜上陸に合わせて甲府盆地に落下傘部
隊を降下させるので、
 その時はこの木銃で下から敵を撃滅せよとの命令だった。

 弾も出ない木の銃で子供に何をさせようとしたのだろうか。
 毎日午前中は自習だった。
 本を読んだり手紙を書いたりしてなんとなく過ごし、
 午後は勤労奉仕で山に枝払いや薪取りに行かされた。
 いつも腹をすかせていた。

 主食は大豆が8割で、
 残りの2割が米、麦と雑穀。
 炊くと大豆は膨らむので、
 見た目には大豆だけのようだった。
 下痢をする者が多かったが、
 申告しても薬はない。
 決まって絶食療法を言い渡されるのがわかっているから、
 食べ盛りの私たちは誰もがギリギリまで我慢した。
                    (日経2011・1・4)

2011年12月30日金曜日

(キリスト教の)神の義によれば、人を誅してもよい・・・について

題 : (キリスト教の)神の義によれば、人を誅してもよい
                       ・・・について

 こんにちは
 キリスト教は「(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても
良い」との教義があります。
 どこにこの教義はあるのでしょうか。
 勉強したいです。
 よろしくお願いいたします。

 ビオラさんへ 
 はじめまして、ご質問を戴きました事に関しまして下記に書かせ
ていただきます。

 (キリスト教の聖書の1例)
  ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を
勧告しなさい。
 もし、その町がそれを受託し城門を開くならば、
 その全住民を強制労働に服させ、
 あなたに仕えさせねばならない。
 しかし、
 もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。
 あなたの神、主は、その町をあなたの手に渡されるから、
 あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。
 ただし、
 女、子供、家畜、および町にあるものすべてあなたのぶんどり品
として奪い取ることができる。
 あなたは、あなたの神、主が与えられた敵のぶんどり品を自由に
用いることができる。
 このようになしうるのは、遠くはなれた町々に対してであって、
次に挙げる国々に属する町々に対してではない。
 あなたの神、主が 嗣業として与えられる諸国民の民に属する
町々の息のある者は、
 一人も生かしておいてはならない。
 ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、
あなたの神、主が命じられたように
 必ず滅ぼし尽くさねばならない。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 ☆自分の利のために他人を殺せと教えるキリスト教の神の教義。
  そして、
  この殺戮の悲惨な時点においても 
 「奪い取れ、奴隷にせよ」 と
 色々と指図するキリスト教の神の教義。
  この類の記述は 聖書の中に 種々多い状況。
  また、
  聖書において下記の示唆もある。
  ラテン語:talio:タリオ:被害者が受けたのと同じ害を加害者
側に加える制裁。 local limit : local一定の空間を占める、
limit限界点 : 現代のキリスト教徒の困惑となる一例。
 モーゼの時代には戦争をして相手を殺し、場合によっては奴隷に
せねばイスラエル人(選民思想の民族)が殺される時代であった。
 この状況から生まれた教義が、「 当時の状況と当地の状況 」と
全く変わっている現代の「 他の地域や多くの時を経た今 」に
おいてでも 同じ教義・同じ考え方で 存在している。
 TPOというものの見方がありますが、TPO的にも全くアウト。
 このキリスト教の教義から多くの悲惨な戦争が起きています。

 ☆与謝野晶子
     嗚呼、弟よ、君を泣く。   君、死に給うこと無かれ。 
     末に生まれし君なれば。  親の情けはまさりしも。
     親は刃を握らせて。     人を殺せと教えしや。
     人を殺して死ねよとて。   二十四までを育てしや。

     堺の街のあきびとの。    旧家を誇る主にて。
     親の名を継ぐ君なれば。  君、死に給うこと無かれ。
     旅順の城は滅ぶとも。    滅びずとても何事ぞ。
     君は知らじな、商人の。   家の掟に無かりけり。

      (後略)

☆『 相手のかたにも正義があるのに 』 との女性の小さな声が
耳に印象的に残った。 そうですね。その通りと思います。私は答
えた。
 神という衣を着せて「正義なのだから」と、「こちらは間違って
いないのです」と。 争いは、どの様な場合もそのようになって居
ります。
 宗教で、その形を是と教義すれば争いの多い状況になるのは必然
です。 
 このキリスト教の教義は変えなければならないのです。
 これから未来を受け継ぐ若い方たちのために、人類の未来のため
にも。
 NHKは、昨年、義によって争う大河ドラマを日本中に放送し、洗脳
した。 『 正義だ、やってしまえ 』 的ドラマを。 
 この大切なことが分かって戴いているのか? 
 影響力の強い放送媒体だけに心が痛む。 
 実に、この様な事例が多い放送局です。

☆非が全くないという事ではないのに、すべて相手が悪いと相手側へ
すべて問題を転嫁し、
 なお且つ、
 良否判断の理性が全く入る事の出来ない宗教教義に規定する。
 キリスト教教義
 「(キリスト教の)神の義があるのだ、やってしまえ」をつくる。
 紛争の地が展開され、その歴史が連綿と続く。
 民は泣く。 キリスト者はその罪を知っているか? 
 自分の勝手な・独り善がりな「正義」に真っ向から対立するからと、
 そして、独り善がりな・勝手な宗教教義で「邪悪」だと「 決め
つける 」。
          「 そんな宗教 」は否。

2011年12月10日土曜日

麻生元首相の発言 「 やられたらやり返す 」 について

題 : 麻生元首相の発言「やられたらやり返す」について

 麻生さんと聞くと、
 大平さん以来の 久方振りのキリスト教の首相。

 ソマリア沖の海賊問題の時のご発言に 
 「やられたらやり返さなければならないのではないか」 と目を
大きくして発言されたのが 印象的でした。

 小生は 「アッ! 目には目を・・・かっ」 と思いました。
 キリスト教的な発想だなと思いました。

 東京のテレビなどでは、「思考熟成度が低い」と言われていました。
 また、強硬姿勢の思考形態が 「北朝鮮のキム・ジョンイルと同じ」
との批判の声もありました。

 また、「強硬サイドにしか梶が取れない思考」 「選択肢も固定し
狭い思考」 「頑固な固執思考経路しか持っていない」・・・など 
浅薄さを露呈した 1事例となってしまいました。

 「リスク指数」というのがあれば、 レッドゾーンのアウトですね。

 何しろ、 キリスト教は
 「(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い」 との
教義があります。
 また、それに輪を掛けて 「王権神授説」という教義があります。

 そこで、 国の長の戦争行為を是としています。
 思考形態は狭くなります。 
 全て正しいのは自分だ、 正義だ、 やってしまえになります。
ーー
☆ (若い方達へ)
 キリスト教は贈り物とか、讃美歌とか、外見上は優しく見えますが、
若い方達は特にご注意ください。
 虐殺や戦争の事例が実に多い宗教です。
 それは『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い』という
教義から来ております。
 他人を絶対にあやめてはいけません。間違った宗教に幸せな未来は
ありません。

 キリスト教の罪悪の一例である、ヨーロッパの30%もの方々が
亡くなった戦争事例がどの様なものかをお調べ下さい。 
 そしてまた、この%の異常さをお感じ下さい。 
 どの宗教も同じという話は無くなると思います。
 やはり、教え・教義からくる悲惨な結末なのです。
ーー
☆( キリスト教の教義の根幹をなす エゴ(自我)から争いへ )
 個人のエゴ・・人間が生きていくうえで、エゴは必要悪なのである。
 自己のエゴをそのまま是認してしまえば、堕落が始まる。
 教養と問えば、 剥き出しのエゴに多少とも磨きをかけ得る品性の
ことと言える。
 我々は、
 おのれのエゴの醜さを恥じ入り、
 それを少しでも控え目にさせることによって、
 辛うじて
 人の道を踏み外さずに
 生きていくことができるのであろう。・・・

 時に、
 エゴは、
 存在感を高めたり、
 自己の目的達成のために、
 しばしば宗教を利用する。・・・

 強烈なエゴを持った人物が、
 そして、
 強欲な人間が
 狡猾にも宗教を利用し始めると、
 その被害は甚大なものになる。・・・

 (ナチスの例)・・・
 特定の民族や集団は、
 長期間にわたって抑圧を受けると、
 その屈辱感が心的外傷となって、
 幾世代にもわたって
 集団の心理的DNAの内部に留まることになる。・・・

 それが、
 特定の条件下におかれると、
 眠っていた集団的記憶が蘇り、
 爆発的な力を発揮する。・・・
 その典型的な例がナチス・ドイツである。・・・

 ナチスは、
 あえてキリスト教と
 ドイツ民族の優越性を唱え、
 約600万人の異教徒ユダヤ人に対して
 ホロコースト(『完全に焼き尽くす」という意味)をやってのけた
 (キリスト教法王は
 ナチスに反対しないどころか、
 なびいていた)・・

 デマゴーグの最重要任務・・
 きわめて巧みに
 過去の歴史の古い敵を、
 現在の紛争の相手にすり替えてしまう・・・

 エゴが
 人前に現れる時、
 たいていは「正義」という名の
 美しい仮面をかぶっている・・・

 「正義」の名の元に
 制裁(争い)が起き、
 一種の「魔女狩り」が始まれば、
 とめどないものになる可能性は
 十分にある・・・

 「正義」とは
 誤謬(間違えること)であると
 断言してもよいのではないか・・・

 争いは「正義」の主張から起きることがほとんどではなかろうか・
....(参考文献:「なぜ宗教は平和を妨げるのか」 講談社α新書より )

☆キリスト教の「人間は生まれながらにして原罪がある」という教義と、
 「天に召されることを喜びとし、目的とする」という信条から、
 現実の人生に於ける生きる意味も目的も見失い、
 現実活動や社会建設の意欲を失い、また、
 そのような活動に励むものを見ても喜びを感じなくなったとの声も
聞く。
 この様な方の救済もせねばならない。

☆ダグラス・アダムズを追悼して
  「庭が美しいことさえ分かれば十分じゃないのか? 
     花の下に妖精がいるなんて信じなくても」 
        〔『銀河ヒッチハイク・ガイド』第16章より〕

2011年12月9日金曜日

近代の最先端科学は、『 キリスト教の間違い 』 を証明した。

題 : 近代の最先端科学は、『 キリスト教の間違い 』を証明した

☆地上に神は存在しないというキリスト教の教えは、
 近代思想の基礎を築いた。
 近代の思想家たちは、
ヒエラルキー・統治・闘争の必要性を唱えるキリスト教の教えを
 受け継ぎ、それを科学的に証明した。
  しかし、21世紀が近付くにしたがって、そうした思想には欠点が
 あるばかりか、科学的根拠も薄いことが分かってきている。
       (キリスト教暗黒の裏面史212頁 徳間文庫)
 (注)ヒエラルキー:ピラミッド型階層性・序列 

☆キリスト教のヒエラルキーは、
  神を頂点として、組織の構成要素すべてに優劣をつけて分類する
 という考え方である。
  しかし、近代哲学者の思想は、現実は、たわいもない偶然の出来事
 から成り立っているのであって、大きな意識によって意図的に
 生み出されたものではない、という考え方である。
 (当然、キリスト教の創造神の創造ではない)
  多くの者は、今ではこう考えるようになっていた。
  神の意志に目を向け、それを理解しようとしても、真理は見つ
 からない、と。
  機械的な宇宙の小さな要素を分析してこそ審理は見つかるのだ、と。
  宇宙が、神の干渉を受けずに動いていることが科学的に証明されて
 いる(同 214頁)

☆キリスト教は、自然界に神聖なものはないと考えている(神の居る
 天のみが神聖である、と)。
  キリスト教のイデオロギーから生まれ、近代思想家によって証明
 されたさまざまな思想は、20世紀末を迎えた今では、科学的根拠に
 欠けることが分かってきている。
  キリスト教の教義に関わった古典物理学には宇宙観を語れるほどの
 知識がなかったことが明らかになった。  (同 223頁)
  1例として、ニュートンは、十分な情報を与えられれば、出来事の
 結果を正確に予測できると思っていた。
  だが、量子力学によって、人間に分かるのは結果の「確率」に
 すぎないことが明らかになった。
  矛盾のない物理学を打ち立てようとしてきた科学者たちは、現実の
 すべての物事について論理的に説明するのは不可能だと、自らの発見に
 よって認めざるを得なくなった。
  波動関数の研究をしていた科学者たちは 物質界が「心的」でもあり、
 また「物的」でもあることを発見した。
  キリスト教の天地分離説を裏付けるものとして、古典科学者たちは
 精神と物質が分離していることを証明してきたが、それは科学的な真
 実ではなかった。        (同 224~5頁)
 (キリスト教の間違いを確認する結果となった)

☆『量子力学の理論が正しいとすれば・・文字通りの物質界などという
 ものは存在しない。
  この結論は、それが存在しないかもしれないというような、あや
 ふやなものではなく、その存在をきっぱりと否定するものである。
                   (同 224~5頁)

☆近年の科学者たちの功績によって、(ニュートンなどの)古典論が
 科学的根拠の薄いものだったことが分かってきたのである。
  近代の科学的方法、すなわち、構成要素を細かく分析して、キリ
 スト教的なヒエラルキーに当てはめるという方法も、今では考え
 なおされている。
  近年の科学によって分かってきたことがある。
  それは、要素を分析するだけではなく、要素の全体的なつながりも
 あわせて考えれば、真理により近づけるかもしれない、ということだ。 
                   (同 226~7頁)
 
 ( 仏教は全くすごい。仏教の教義が、最先端の近代科学で正しい
 ことが証明されて来ている。仏教の教義の一つを例に、『一切衆生、
 悉有佛性:(いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)・・・
 この世のあらゆる生きとし生けるものは、ことごとく皆、佛性(佛の
 性質、佛と成り得る資質)が備わっている。そうした生きとし生ける
 ものでもって宇宙は構成され、すべて(万物)が繋がり、時は流れて
 いる。そのつながりの中で育んで行く』・・・この定義されている
 仏教の考え方・教義が上記の近代科学の考え方と全く一致している。
 そして、キリスト教の教義・考え方は間違っている事が分かってきた
 と言われている)

☆今まで私たちは、キリスト教の恐ろしい歴史を見過ごしてきた。
  キリスト教の教えをさまざまな角度から検証する事もなかった・・
  気づくだろう。神は恐れと絶対服従を求める存在だ、と。
  教え込むことは、人間の精神を繰ることにほかならない、と。
  性差別主義・民族主義・全体主義の根底には、
 唯一至高神への信仰がある。   (同 238~9頁)

☆多様性や自由、人間の尊厳を重んじる世界へと突き進んで行け。
  そうすれば、人類が自由に人道的に生きていくという理想を揚げ、
 夢に向かって羽ばたくことができる。   (同 238~9頁)
 (方向性は多神教にある事が確認され、それが正しい方向性だと
 分かってきた) 
 (また最近、次の確認をした。来日された前パリ・ソルボンヌ大学
 総長が上記考えと同じ発言をされていた。
  多様性の中に人類の未来があり、各多様性さの中に神聖さがあり、
 オリジナリティがある・・・など)

2011年12月8日木曜日

武士は食わねど高楊枝

題 : 武士は食わねど高楊枝

☆「 武士は食わねど高楊枝 」 
            おお、君たちは良く言うた・・・
 
 地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏 : 十界

 君たちは、餓鬼界を 脱っしていたのか・・・

 文明の発達が相手より 少し遅かったという、
 ほんの少しの理由が・・・・
 嗚呼・・・

 反抗する手立てを 持たない人たちの
 南米という地において、
 降って湧いた様な ことに、
 とまどいと驚きの人たちに 対し、

 自分たちの欲を 達成しようと、
 欲情を 露骨に 現わし、
 他人の富、
 痩せた土地を耕したりして、極貧の中をやっと貯めた富、
 その富を 横取りする、

 さまよう 餓鬼界から、
 収奪の心をおこし、
 殺戮の限りを 実行してしまう、
 奪い取りの 地獄界へ 落ちていく、

 言語を 絶する、
 表現手段もない 極悪の極の 行為を、
 長い間、反省なく、
 何十年も、
 その 地獄界を、
 ばっこし、
 彷徨し 続け、
 全てを 殺して、
 やっと 自分を、取り戻す 者たち・・・キリスト教聖職者ら。

☆是非、岩波文庫の
  「南米の愚行・インディアスの破壊についての簡潔な報告」
                 ラス・カサス著     
                     をお読みください。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
☆後日談、
   ・・・本当につらくなる後日談を この本を読んだ後
                         見つけた。
 収奪した金などは、
         そのすべてを王たちへ出さず、
 私のものとして 持ち去り・・・・
          私腹を肥やして、優雅な生活をしたとの事。

2011年12月7日水曜日

「 風の生まれる地 」 の できごと

題:「 風の生まれる地 」の できごと

☆「 キリスト教の蛮行 」 
 「風の生まれる地」 と言われる
 南米最南端の地に居る 小民族は、
 かつて6000人いたと 言われているが、・・・

 この地球最南端の 僻地の 原住民・
 この様な 小民族にまでも、
 『 インカ文明の人々を絶滅させた
   キリスト教徒 と 
   彼らと行動を共にした キリスト教聖職者達 』 が
 やって来ていた事を、
 テレビで 確認した。

 インカなどの南米はおろか、
 中米、
 北米・メキシコ 
 および 周辺離島など、
 あらゆる場所で、
 やりたい放題の 殺戮を しまくった
 キリスト教徒の 極悪な虐殺・
 殺戮行為が、
 今・現在、この民族に

 「 絶滅 」という
 復活の不可能な
 状況に置いている。

 生き残った方たちだけでは、
 民族を維持し、
 かつ、
 かつての様に復活する事が
 できないという状況で
 推移してきて、
 絶滅寸前に
 なってしまった という事。

 民族最後の方が、
 「 母から
 私たちは
 日本から来たと
 教えられていました 」
 という言葉が・・・・・。
    (平成22年1月3日、テレビ朝日、
              番組名:地球の目撃者・風の大地へ)

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
☆ キリスト教の犯した罪・蛮行について、
 もっとお知りになりたい方は、

 「南米の愚行・インディアスの破壊についての簡潔な報告」
          岩波文庫  ラス・カサス著  を。

 殺戮の限りを尽くした キリスト教徒と 
行動を共にしたキリスト教聖職者が
 「このままでは天に召されない」 と
 老齢になって やっと
 本国に報告した書 です。
 時はもう 50年を経ていました。
 殺戮をしまくった 後でした。
 南米・北米・中米そして離島の各地は
 絶滅の状況、
 その驚嘆の 殺戮人数などが
 記されています。

 報告を受けた
 本国の王 および その関係者などは
 絶句、
 すべてを 聞けずに、
 まず報告に マトメなさいが
 本書。

2011年12月6日火曜日

悲惨な戦争を無くせないのでしょうか。切なる希望について。

2009年8月13日(木)13:00  毎日新聞
 ◆被爆者が生きている間に、核兵器が廃絶される日を見せてあげたい。井田薫(仮称)

「原爆投下の良かった面を考えよう」

 早稲田大4年、井田薫(仮称)さん(22)は6年前、留学先の
米ミシガン州の高校で、アメリカ史の教師が出した課題に耳を疑った。
 幼少期を長崎市で過ごし、毎年8月9日には静かに祈る人たちの
姿を見てきた。
 「広島と長崎の悲劇は世界に共有されていると思っていたのに」。
 頭の中が真っ白になった。
 他の生徒たちが「戦争を終わらせた」「祖国の防衛になった」など
と答えるのを聞きながら、「違う」と思った。
 だが、その一言が言えない。
 沈黙するしかなかった。
 帰国して大学に進み、祖父の妹(80)宅に下宿した。
 そこで、亡き祖母が長崎で被爆したことを知った。
 自分が被爆3世だということも。
 ある夜、祖父の妹が涙を流しながら被爆した時のことを語って
くれた。
 焼けただれて助けを求める人たち、空襲警報のたびに防空壕(ごう)で
震えた記憶……。
 「同じ苦しみを味わわせたくない」。その言葉が胸に響いた。
 2年前、再び米国に留学した。
 「今度は自分の思いを伝えよう」。
 小さな決意を秘めて向かった留学先の大学で、原爆を扱った映画の
上映会を開いた。
 学生から「原爆の苦しみを教えてくれてありがとう」という言葉が
返ってきた。
 「伝えれば伝わる」と思えた。
 今は、ジャーナリストを志し、中東向けのニュース配信会社「パン
オリエントニュース」(東京都港区)で「修業中」だ。
 いつか、自分の記事で世界に発信したい。
 「良い戦争なんてない」と。

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(悲惨な戦争を無くせないでしょうか。切なる希望について。)
拝 啓
 下記は、番組を提供された企業様とその番組に出演された女優様へ
送信したメールです。
 是非、御一読 賜りたくお願い申し上げます。
 尚、下記において、番組提供の企業(○○と標記)と出演された女優
(☆☆と標記)、及び放送した放送局(□□と標記)は匿名とさせて
戴いて居ります。
                              敬 具
     《 記 》 
 ○○株式会社様
 拝 啓
 下記は、貴社提供のテレビ番組(□□チャンネル、地球街道「長崎
街道、憧れの教会」)について、☆☆様へ送信したメールです。
 御多忙とは存じますが、是非、御一読 賜りたく お願い申し上げ
ます。               敬 具
        記
 ☆☆ 様
 拝 啓
 御活躍のご様子、何時も拝見させて戴いて居ります。
 本日(10月18日)午後10時30分からの□□チャンネル「地球
街道(長崎街道、憧れの教会)」を拝見させて戴きました。
 この番組は、今回の様に、「キリスト教徒によるキリスト教を美しく
見せる番組」を度々放送しております。
 これに比較して、仏教関係は皆無の状況です(公共放送として公平性
の無い偏した現況です)。
 また、キリスト教は『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても
良い』との教義から「人をあやめる行為」を残念ながら行って来て居り
ます(この悲惨な事例は、いにしえから長い歴史と共に数知れずあり
ます)。
 近年では、ブッシュさんがイラクで(多くのアメリカの青年が亡く
なっております。また、本戦争に関係のないイラクの多くの方々も
亡くなられております)。
 そして、次期米国大統領候補の方々は、いずれの方もイラクの悲惨な
この戦争の中止を意思表明して居ります。
 ブッシュさんの支持母体のキリスト教徒の希望により行われた(上記の
教義の論理から行われた)この戦争は「悲惨な結果」をもたらしただけ
でした。
 ブッシュさんのお父さんも、中近東の湾岸戦争で、今回と同様に、
支持母体のキリスト教徒の希望により同じ行為をして居ります。
 キリスト教は、いにしえの古代の十字軍もそうですが、上記の教義に
より、可哀想な多くの方々を残念ながら作ってまいりました。
 この教義は間違っておりますという声を、是非、上げて戴きたく
お願い申し上げます。
 また、キリスト教に偏する番組作りをしている本番組へ、公共放送
として公平性のある番組作りになる様、お力をお貸し戴ければと
お願い申し上げます。               敬 具
ーーー(以上を送信させて戴きました。以下は御参考として付記させて
戴きました)ーーー
(参考)テレビに於ける公開討論において、米国大統領候補のいずれの
方も、直ぐ撤退するか、否かの意見の違いだけで、両候補とも撤退の
意見となっております。
 ☆ 己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。
 ☆ 以和為貴・・・(和をもって貴しとなす)。
 ☆ 一切衆生、悉有佛性 :
  (いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)・・・この世のあらゆる
生きとし生けるものは、ことごとく皆、佛性(佛の性質・佛と成り得る
資質)が備わっています。
 そうした生きとし生けるものでもって宇宙は構成され、すべて(万物)が
繋がり、時は流れています。
 そのつながりの中で育んで行きましょう。
 [ 参考比較 ] キリスト教の人間生来の 原罪 : 原罪(げんざい)
とは、エデンの園において人類の始祖であるアダムとイヴが最初に犯したと
される罪、およびその罪が人間の本性を損ね、あるいは変えてしまった
ため、以来人間は神の救い・助けなしには克服し得ない罪への傾きを
持つことになったという、キリスト教の多くの教派において共有される
思想。
 (ここを原点として、信じなければ救いを拒否し、切り捨てるという
キリスト教がある)
☆ 真実の声 :
 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。
 己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。   
             ・・・ 仏典『ダンマパダ』より

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(若い方達へ)

 キリスト教は贈り物とか、讃美歌とか、外見上は優しく見えますが、
若い方達は特にご注意ください。
虐殺や戦争の事例が実に多い宗教です。
 それは『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い』という
教義から来ております。
他人を絶対にあやめてはいけません。
 間違った宗教に幸せな未来はありません。

 キリスト教の罪悪の一例である、ヨーロッパの30%もの方々が亡く
なった戦争事例がどの様なものかをお調べ下さい。
 そしてまた、この%の異常さをお感じ下さい。
 どの宗教も同じという話は無くなると思います。
 やはり、教え・教義からくる悲惨な結末なのです。

2011年12月5日月曜日

エルサレム: 歴史に旅する人たちの交差点でもあった・・・

題: エルサレム:歴史に旅する人たちの交差点でもあった...
          (仏教とイエス・キリストの共通性)

☆エルサレムは交通の要衝。
  東西南北、歴史に旅する人たちの交差点でもあった。

  インド仏蹟のストゥーパ(塔)からは
    ギリシア人の奉仕の証が見られ、
      インドとギリシアの当時の交渉の確証の一つにも
                      なっている。

  仏教は
    「一切衆生の 誰もが、
        仏になる仏性というものを持っている」と
                      教えている。
  また、
   ユダヤ教各派の中でも、
      仏教の教えに理解を示すグループに
            イエス・キリストは、属していた。

   イエス・キリストの言葉に
             上記と同系思想の、

    「誰もが 神の子として 平等だ」 と、
         上記の仏教の教えと
                同系の教えを語っている。

   イエス・キリストに 
      仏教の教えと相通じる面が見られる
                      1つである。

   だが、  弟子達は、イエス・キリストの死後、
       「イエスが唯一の神の子」 と
                     してしまった。

   この事からも 次の事が分かる。
   キリスト教の中央集権的なヒエラルキー(神を頂点とす
  る序列)が、強調され、
   イエス・キリストの意志の一つである「平等性」の心が
   配慮されない
        欠落の状態に置かれてしまった。

2011年12月4日日曜日

イエス・キリストに「 三位一体神 」の考えは 無かった

題 : イエス・キリストに 「 三位一体神 」の
      考えは無かった

  イエスに、キリスト教の根本教義の一つである「三位一体神」の
考えは、無かった。

☆ヨハネによる福音書の10・34〜36に、下記の様に書かれている。
 10・34
 イエスは彼らに答えられた、
 「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と
 書いてあるではないか。
  10・35
 神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、
 (そして、聖典は無視できない)
 10・36
 それならば、父によって聖化されて世に遣わされてきたわたしが、
 「わたしは神の子である」と言ったからとて、
  どうして神を冒涜したと責められるのか。

・ これは、イエスが、神は一神ではなく神々(多神)の存在である。
 それは、貴方たちの聖典・律法に神々(多神)と書かれているでは
 ないか、
だから、
  わたし(イエス)は、神々・多神である神を冒涜していることには
ならない。
  つまり、
  『父なる神』から遣わされて来て「わたし(イエス)は『神の子』
である」と言っても
  神々・多神の存在の中において、
 神々・多神の冒涜にはならない(貴方達も私も、聖典・律法は無視
 することはできない)・・・と主張しているのである。

  イエスには、「三位一体神」などという考えはなかった。
  あくまで一つ一つの神々、つまり多神と考えていた。
  神々・多神の中に、『父なる神』や自分自身も『神の子』としても考え
 ていた。
  貴方達の聖典にも書くかれていて、私も信じるその聖典に書れて
 いる神々・多神の存在を守らなければならない。
  その教義・論理を根拠として、「わたし(イエス)は、神々・多神の
冒涜をしていないと主張しているのである。
 貴方達の神を否定し、また排除して「神の子」と言っているのではな
 く、多神・神々の中の「神の子」と言っているのです、と言っている。

☆テルアビブ大学 ゼエブ・ヘルツオグ考古学教授の 言葉:
  「 (キリスト教の)『唯一の神』という一神教の概念についても、
  生まれたのは 今から2000年余りさかのぼるに過ぎない 」
              (1999年10月3日、朝日新聞夕刊)
  キリスト教(ユダヤ教)が生まれた最初から
 「 一神教である 」としてきた世界の常識が
  間違いであったことが証明されている。

☆ 多様性や自由、人間の尊厳を重んじる世界へと突き進んで行け。
  そうすれば、
人類が自由に
人道的に生きていくという理想を揚げ、 
 夢に向かって
羽ばたくことができる。  
    (キリスト教暗黒の裏面史 238〜9頁 徳間文庫より)
 ・方向性は多神教にある事が確認され、
           それが正しい方向性だと分かってきた。    
 また、最近、次の確認をした。
 来日された前パリ・ソルボンヌ大学総長が
上記考えと同じ発言をされていた。
  『多様性の中に人類の未来があり、各多様性さの中に神聖さがあ 
 り、オリジナリティがある』・・・など。
 小生の日記、
 「近代の最先端科学は『 キリスト教の間違い 』を証明したを、
  ご覧ください。

2011年12月3日土曜日

戴いたコメントにお答えします・・・二宮政吉さんの『同じ気持ちです』について

題 : 戴いたコメントにお答えします
     ・・・二宮政吉さんの『同じ気持ちです』 について

 差出人: 二宮政吉さん
 日付 : 2011年05月19日 17:50
 件名 : Re:同じ気持です

 メールありがとうございます。
 ご指摘のことは、部分的には同意します。
 ヨーロッパ北欧のキリスト教とは、土着宗教の影響が色濃く
あります。
 キリスト教の布教活動により、土着宗教(迷信宗教)を信じ
ていた民族がキリスト教に改宗させられていったからです。
 ハロウィンについては、ケルト民族の土着宗教と、カソリック
中世暗黒時代における布教活動が重なったところから発生した
文化でしょう。
 現代では、ニューエイジの影響が強いようです。
 中世の暗黒時代における布教とは、このケルト地方のアングロ
サクソン人の改宗から始まりました。
 当時、ヨーロッパは南方からのイスラム教勢力の侵略に脅か
されつつあり、教会を守るために、北方への布教を強いるように
なったのです。
 その流れの中で、迷信深い北方民族のキリスト教への改宗は
必須でした。
 迷信深い土着宗教にキリスト教が妥協せざるを得ない時代で
した。
 その中に、ハロウィンの起源もありそうです。
 日本のキリスト教も、明治初期は、武士道(思想精神ですが)と
深く結びついたものでした。
 迷信宗教は、キリスト教にとって、コンピュータのバグのような
ものです。
 歴史の反省とともに、除去することが必要です。
 現代では、ハロウィン(カルト的祭典)を記念日とするキリスト
教派は、カソリック含め、ありません。
 また、中世の暗黒時代、宗教裁判があり、多くの人が、残虐な
死を遂げていることも事実であります。
 力の理論と「あなたの敵を愛せよ」というキリストの愛の教え、
いつの時代にも教会が悩む課題です。
 プロテスタントの歴史は、その罪を背負ってきたカソリックの
歴史(中世暗黒時代)の反省から出発しています。
 では、そのプロテスタントの時代になって、力の理論は消えて
なくなったのだろうか?
 ブッシュの戦争主義を支えていたのが、プロテスタントである
福音派と呼ばれるキリスト教原理主義の団体と批判されてきま
した。
 ここにも力の理論は存在しています。
 では、そのような力の理論を、私達は賛成しているんでしょ
うか?
 力の理論は、キリスト教の教えではないのです。
 全く正反対であります。
 ただ、聖書を読んでいると、新約聖書の他に、旧約聖書という
ものがあり、そこに侵略的文献があります。
 ですが旧約聖書は、直接はユダヤ教の教えであります。
 しかし、その旧約の中に、イエスキリストの預言が含まれて
いるので聖書の一部として採用しているのです。
 「目には目を、歯には、歯を」とは、旧約聖書に書かれている
ものです。
 新約聖書には、書かれていません。
 むしろ、新約では、「右の頬をぶたれたら、左の頬も出しな
さい」と書かれているのです。
 カソリックの暗黒時代の反省に立ったプロテスタントと同じ
ように、旧約聖書の暗黒の反省に立った新約聖書と言えます。
 ブッシュ政権を支えていたキリスト教原理主義者たちは、旧
約聖書を利用して、悪を征伐する、力の理論を採用したのです。
 ですが、それは間違いであり歴史が証明するでしょう。
 もし彼らのなしてきたことが認められるのではあれば、多くの
キリスト者の殉教は、なんの意味もない犬死です。

 ただ、政治世界では、9・11事件を解決するには戦争する
しか選択肢はなかったように思えます。
 世界の表舞台(政治、経済)がキリスト教主流世界であるため、
多くの人が、キリスト教と戦争を結びつけ考えるのもやむ負えま
せん。
 麻生前首相がクリスチャンだと言っても、本当に信じているのか
私には分りません。
 名目クリスチャンは、腐るほどいます。
 名目クリスチャンが天国に行けるのではありません。
 イエスキリストの、いのちを受けた者のみが天国に行けるの
です。
 それから、キリスト(聖書)を利用した、カルト宗教も多くあり
ます。
 エホバの証人(ものみの塔)などは代表的な宗派です。
 多くの歴史的過ちと、聖書理解の誤解が今のキリスト教に対する
偏見となっています。
 今の時代、幸せ病が蔓延しており、神様の目から物事を見る
ことのできるクリスチャンや教会は少ないと思われます。
 その様な幸せ病の牧師や信者が聖書を読んでも、「論語読みの
論語知らず」となりましょう。
 ただ言えることは、人とは、良心があり、何が間違いで、何が
正しいのか、自分の力で判別する能力を持っています。
 多くの素晴らし信仰者たちが今まで輩出され、それを受け継ぐ
キリスト者達がいることも事実だからです。
 参考になったかどうか分りませんが、後日に譲ります。

私の返事:
 二宮政吉さんへ コメントありがとうございます。
 同じ気持ちですと言って戴き ありがとうございます。
 ハロウィンとキリスト教とのかかわりなどの記述、キリスト教が
布教に際し、ヨーロッパの多神の宗教と、よく言えば融合、悪く
言えば妥協が、大分、起きたところです。
 魔女と関わるところなどキリスト教も無関係とは言えないところ
です。
 キリスト教系の学校でも喜々として行っているところでもあり
ます。
 また、ハロウィンがキリスト教と無関係とするのなら、日本での
行事化についても 明確に反対姿勢・行動を示して欲しいところ
です。
 ブッシュ政権に関することは同感です。この行為は間違いです。
 貴方様のおっしゃる「何が間違いで、何が正しいのか、自分の
力で判別する能力を持っています」とのお言葉には大賛成です。

 私は、神の言葉を戒・律・掟というかたちで伝えるというキリ
スト教の『他律戒』の在り方は良くない(間違い)と思います。
 あなた様のこの記述の様に「何が間違いで、何が正しいのか、
自分の力で判別する」が正しいと思います。

 自分で判断し 自分で何が正しいかを決める…です。
 『自律戒』です。

 キリスト教はこうではありません。
 「神の言葉を与える」・・です。
 キリスト教徒に判別力があると信じて、そして、キリスト教徒に
判断させるという、キリスト教は教義設定にしていません。
 キリスト教徒の判断能力に関し、無能力者のごとくに扱って
います。
 全て神の言葉を信じ、そして従う・・・です。
 また、それを 『 よし 』 としています。
 また、イエスキリストが旧約聖書と全く逆である点(あなたも
おっしゃっておりますが)を整合させていないという問題点を、
回避し、キリスト教は御都合主義的に振舞っていると言われても
仕方ないところもあります。
 正反対の教義が共存しているのです。
 都合のよい時には右と言い、都合が悪くなると左と言う。
 これが問題を大きくしています。ブッシュさんの例のように。

 [ 添付 ]
 ☆ 己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。
 ☆ 以和為貴・・・(和をもって貴しとなす)。
 ☆ 一切衆生、悉有佛性 :
  (いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)・・・この世の
 あらゆる生きとし生けるものは、ことごとく皆、佛性(佛の性質・
 佛と成り得る資質)が備わっています。
  そうした生きとし生けるものでもって宇宙は構成され、すべて
 (万物)が繋がり、時は流れています。
  そのつながりの中で育んで行きましょう。
 [参考比較] キリスト教の人間生来の 原罪 : 原罪(げん
 ざい)とは、エデンの園において人類の始祖であるアダムとイヴが
 最初に犯したとされる罪、およびその罪が人間の本性を損ね、ある
 いは変えてしまったため、以来人間は神の救い・助けなしには克服
 し得ない罪への傾きを持つことになったという、キリスト教の多く
 の教派において共有される思想。
 (ここを原点として、信じなければ救いを拒否し、切り捨てる
 というキリスト教がある)

☆ 真実の声 :
 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。 
 己が身にひきくらべて、
  殺してはならぬ。
  殺さしめてはならぬ。    
             ・・・ 仏典『ダンマパダ』より

2011年11月26日土曜日

げに仏陀は 百劫(ひゃくごう)にも 会うこと難し 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 13」

題 : 「げに仏陀は 百劫(ひゃくごう)にも 会うこと難し」
                五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 13」

ナレーション: 悟りを開いてから45年の間、苦しみの海に沈む人々
     を導き続けた仏陀。
      病と如何に向き合い、老いをどう受け入れ、そして、死に
     どう臨むのか、仏陀は、最後の旅で身をもって示しました。
      仏陀の遺体は、クシナガラで荼毘にふされました。
      その遺骨は、仏陀にゆかりの深い8ヶ所に分骨され、それ
     ぞれストゥーパに納められました。
      大パリニッバーナ経は、この様に締めくくられています。

        その遺功によって、
        この豊かな大地は、
        最上の供養物をもって飾られているのである。
        この様に、
        この眼のある人(=ブッダ)・仏陀の遺骨は、
        よく崇敬され、
        種々に、
        いとも良く崇敬されている。
        最上の人々によって、
        この様に供養されている、
        合掌して、
        彼を礼拝せよ。
        「 げにブッダは 
             百劫(ひゃくごう)にも
                     会うこと難し 」
                              (完)

(参 考)五百塵点劫: (ごひゃくじんてんごう)とは、法華経
     如来寿量品で、釈迦の成道の久遠をたとえた語である。
      正しくは五百億塵点劫である。
      法華経の如来寿量品第16に、「今の釈迦牟尼仏は、
     釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に座し
     て阿耨多羅三藐三菩提を得たりと思えり。
      しかし、われは実に成仏してより已来(このかた)、無量
     無辺百千万億那由他劫なり」とあり、
      続けて「たとえば、五百千万億那由他阿僧祇の三千大千
     世界を、仮に人ありて抹(す)りて微塵となし、東方五百千万
     億那由他阿僧祇の国を過ぎて、すなわち一塵を下し、かくの
     如く、この微塵が尽きんが如き(無くなるまで)、東に行くとし
     たら、この諸々の世界の数を知ることを得べしや、不(いな)や」
     と弥勒菩薩に質問している。
      これは、化城喩品第7にも同様の記述がある。
      「たとえば、三千大千世界のあらゆる地種を、仮に人ありて
     磨(す)りて墨となし、東方の千の国土を過ぎて、乃ち一点を
     下さん。大きさ微塵の如し」
      この化城喩品のたとえ話を三千塵点劫と称される。
      これに対し、寿量品(本門)の「五百千万億那由他阿僧祇」
     を、五百(億)塵点劫と称して、化城喩品(迹門)の三千塵点
     劫よりもはるかに長遠であるかが示されるようになった。
      法華経における釈迦成道は「われは実に成仏してより
     已来(このかた)、無量無辺百千万億那由他劫なり」と
     説いており、経文の記述に素直に従うならば、この五百
     塵点劫はあくまでもたとえ話として出されただけであって、
     釈迦が成道した時ではない。
      また化城喩品の三千塵点劫も、たとえ話として持ち出され
     た話に過ぎない。
      しかし日蓮は、『釈迦御所領御書』などで、「過去五百塵点
     劫より、このかた、この娑婆世界は釈迦菩薩の御進退の国土
     なり」などと、五百塵点劫の言葉に開近顕遠の意味を持たせ
     たことから、釈迦が本当に覚った時と解釈されるようになった。
      なお一般的に、釈迦はインドで生まれ菩提樹下で成道した
     とされる。
      これを伽耶始成、また始成正覚というが、法華経においては、
     釈迦はそのようなインド応誕の仏ではなく、本当は遠い過去に
     成道していた、と打ち明ける。
      これを久遠実成をという。
                      (Wikipediaより)

     字幕:NHK 第一集 ブッダ最後の旅 インド
     語り:高橋美鈴
     朗読:長谷川勝彦
     資料提供:『ブッダ最後の旅」中村元訳
           増上寺
           文芸春秋
           中本徳豊
     ディレクター:正岡裕之
     制作総括:  山本辰也
           菊池正浩

2011年11月25日金曜日

破壊さるべきものであるのに、それが破壊しないようにという事が、どうしてあり得ようか 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 12」

題 : 破壊さるべきものであるのに、
         それが破壊しないようにという事が、
             どうしてありえようか 
                  五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 12」

映 像:  涅槃堂への道を歩く五木さんに涅槃堂の鐘の音が響く。
ナレーション: 敷地内には、沙羅双樹の木が、代々、植えられ涅槃
     堂を見守り続けております。
     (涅槃堂に入っていく、五木さん、そして、涅槃像の前で座り、
     祈る、五木さん)
ナレーション: 仏陀が入滅したときの姿を顕す大涅槃像。
      死を間近にした仏陀の周りには、多くの弟子や信者が集まっ
     たと言います。 
      大涅槃像の台座には、25年もの間、仏陀と共に歩んできた
     弟子・アーナンダの像が刻まれています。
      今にも訪れるであろう師との別れを悲しみ号泣する・アーナ
     ンダ。
      仏陀は、アーナンダを呼び寄せ、こう、諭しました。

        止めよう、アーナンダよ。
        悲しむな
        嘆くな
        私は、あらかじめ、この様に、説いたではないか。
        すべての愛する者
        好む者からも
        別れ
        離れ
        異なるに至るという事。
        およそ、
        生じ
        存在し
        つくられ
        破壊さるべきものであるのに
        それが破壊しないようにという事が
        どうしてありえようか 」。

ナレーション: 仏陀は、死の間際まで、この世に残される者たちを、
      励まし続けました。
映 像:  涅槃堂から出て行く五木さん。出口のところで手を合わせ、
      静かにあたまをさげる。
ナレーション: 五木さんの仏陀を辿る旅は、ここが終着点です。
      (大きく鐘の音が響く)
五木さん:(五木さんにとって、理想的な死と言うものがあるのでしょ
     うか・・の、問いに、五木さんは) 
      それは、僕・個人の事は、旅の途上で消える様に、死んで
     行ければ幸せだと思いますね。
      あのー、子供の頃から、ずーっと、小学校は4回転校し、中
     学校は3回変わり、ほとんど自分の家というものを持たずに、
     転々と過ごして来ましたから、ずーっと自分の人生は旅だと
     考えて来ましたのでね。
      生涯の終わりというものも、何かの形での旅の途中で、世を
     去るというのは本当に理想な終わり方ではないかと思います。
      その意味で、仏陀の旅は、本当にうらやましい、齢80を重ね
     て、大変な旅だったでしょうけども、旅の途中で、しかも豪華な
     都や宮殿の中でなく、美人の中でもなく、そういう寂しい寒村の
     林の中で亡くなった、
      そういう仏陀の姿に、本当に共感と言いますか、憧れと、尊敬
     というか、そういうものを感じます。
      人間の死に方と言うのは、その様なものだろうと感じます。
ナレーション: 仏陀は、自分が死んだ後、いかにあるべきかについて、
     修行僧たちに説きました。
      そして、最後に聞いておくべき事はないかと、三度、訊ねます。
      修行僧たちは、己のなすことを充分に理解し、黙っていました。
      そこでアーナンダは、この様言いました。

        尊い方よ。
        不思議であります。
        珍しい事であります。
        私は、この修行僧の集いを
        このように喜んで信じています。
        仏陀に関し
        あるいは、法に関し
        あるいは、集いに関し
        あるいは、道に関し
        あるいは、実践に関し
        一人の修行僧にも
        疑う疑惑が起こっていません。

ナレーション: 満足した仏陀は、最後の言葉を口にします。

五木さん:  さー、修行僧たちよ。
        お前たちに告げよう
        もろもろの事象は
        過ぎ去るものである
        怠ることなく修行を完成なさい 」

      ・・・と。
      こう、言った訳ですね。
      仏陀の生涯・悟った法というもの、まあーダルマと言いますか、
     宇宙・自然・人間存在の真理というもの、それを最後に一言で、
     もろもろの総てのものは過ぎ去るものである、変化しないもの
     はない。
      こういう風に最後まで、修行僧たちへ告げて、そして、怠る
     ことなく、その真理というものを学びなさいと、こういう風に、
     あたかも自分達の同胞・友達に向けて語る様に、語りつつ、
     仏陀は、ここで生涯を終える訳です。
      仏陀を考えて見ますと、仏陀は、求道(ぐどう)の人と同時に、
     そして、偉大なる求法(ぐほう)の人、あるいは、伝道の人であ
     った。
      死の直前まで、人々に向かって自分の悟った真理というもの
     を語り続けようとした。
      ここに、仏陀の宗教者としての存在、それから、人間としての
     魂のやわらかさ、そういうものを感じないではいられません。
      体制の保持者である王とも語る、貴族とも語る、財界や商人
     たちとも語り合う、それでいて、差別された人々とか偏見を持
     たれた人々に対して、まったく率直に、そういう人々の立場に
     立って、ものを考え、法を説くという、こういう事を考えますと、
     仏陀の持っている現代性といいますか、こういうものの大きさを
     改めて感じたことでした。仏陀のイメージが随分変わりました。
                            (つづく)

2011年11月24日木曜日

供養の食べ物を食べて・・ニルヴァーナの境地に入られた 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 11」

題 : 供養の食べ物を食べて・・・ニルヴァーナの境地に入られた 
             五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 11」

五木さん: 気持ち良さそうだねー。
映 像:  水浴びをしている水牛を見ている、五木さん。
字 幕:  カクッター川
ナレーション: パーバ村とクシナガラの間に流れる、このカクッター川
     のほとりにさしかかった時、仏陀は、ついに耐え切れなくなり
     ます。
      ここで袈裟を敷いて腰をおろし、アーナンダに水を汲んで来
     るように頼みます。
五木さん: 仏陀は、弟子に対して、こういう風に語る部分があります。
      非常になんか こう、人間味のあるエピソードなんですけどね。
      それは その、もしも自分に何かあったならば、そのことで
     自分に供養の食事を出した鍛冶屋の子の責任が、問われる様
     なことになりはしないか、彼はけっして悪くないんだと、彼が
     その事で自戒の念に悩まされ、自分に悪徳がないのではない
     のかと、こういう風に考えない様に、彼によく言って聞かせて
     くれと、当時の鍛冶屋と言いますと、芸能人とかその他の職業
     と同じ様に、いわば当時は、カーストの外にあった、大変こう、
     大きな差別を受けていた階層の人たちですね。
      そういう人たちの供応を喜んで受け、そういう人々に心を配る
     という、そういう遊女だ、あるいはアウト・カーストの人だという
     人々にも、全く平等に、自分の思いを伝え、接することを、日常
     の事としていた、仏陀の偉大さというものを、今の、近代を超え
     て来た私達、人権なんていう事をですね、改めて学んでいる
     私達以前に、仏陀は、自ら、率先してその事を教えてくれたよ
     うな気がして、感動しないわ訳にはいきません。
ナレーション: 仏陀は、アーナンダに、今夜、クシナガラにある2本並
     んだ沙羅の木の間で、自分は死ぬだろうと予言をしました。
      そして、こう続けました。

        アーナンダよ、
        鍛冶工の子・チュンダの後悔の念は
        この様に言って、取り除かねばならない
        『 友よ、
        修行完成者は、
        最後の供養の食べ物を食べて
        お亡くなりになったのだから
        お前には利益(りやく)があり
        大いに功徳がある。
        友・チュンダよ、
        この事を尊師から
        目の当たりに聞き、承った 』。

ナレーション: 仏陀が、35歳の時、悟りを開いたのは、供養の食事が
     きっ掛けでした。
      自らの死のきっ掛けとなるチュンダの食事も、それに劣らない
     ほどの功徳があると、仏陀は言います。

        この二つの供養の食べ物は、
        正に等しい実り、
        正に等しい果報があり、
        他の供養の食べ物よりも、
        はるかに優れた、
        大いなる功徳がある。
        その二つとは何であるか?
        修行完成者は、
        供養の食べ物を食べて、
        無常の完全な悟りを達成したのと、
        及び、供養の食べ物を食べて、
        煩悩の残りのない、
        二ルヴァーナの境地に入られたのとである。

ナレーション: クシナガラに達した仏陀は、もはや、動くこともままなら
     ず、頭が北向きになるように、床をしつらえさせ、病み、疲れた
     身体を横たえました。
      大パリニッバーナ経は、仏陀が横になると、沙羅双樹に変化
     が現れたとしています。

        さて、
        その時、
        沙羅双樹は、
        時ならぬのに花が咲き、
        満開となった。
        それらの花は、
        修行完成者に供養するために、
        修行完成者の身体に、
        降りかかり、
        ふりそそぎ、
        ちりそそいだ。
        また、
        天のマンダーラヮ花は、
        虚空から降って来て、
        修行完成者に供養するために、
        修行完成者の身体に、
        降りかかり、
        降りそそぎ、
        ちりそそいだ。
        天の楽器は、
        修行完成者に供養するために、
        虚空に奏でられた。
        天の合唱は、
        修行完成者に供養するために、
        虚空に起こった。

ナレーション: 仏陀、入滅の地、クシナガラ。
      今も尚、仏陀の死を悼み、参拝に訪れる人が絶えません。
      町の中心には、仏陀・入滅を祈念する涅槃堂が建てられて
     おります。                    (つづく)

(参 考)ニルヴァーナ: サンスクリット語の仏教用語で、涅槃
     (Nirvana) のこと。
(参 考)利益: (りやく)仏教の言葉。ためになること。法力によって
     恩恵を与えること。自らを益するのを功徳(くどく)、他を益する
     のを利益という。

2011年11月23日水曜日

転悪成善(悪を転じて善と成す)・・初めて他者への憎悪や責める心から解放される 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 10」

題 : 転悪成善(悪を転じて善と成す)・・
           初めて他者への憎悪や責める心から解放される 
              五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 10」

ナレーション: 霊鷲山を出てから、半年になろうとしていました。
      仏陀は、熱心な信者が居るパーバ村へ向かっていました。
五木さん: ナマステー。
ナレーション: 当時、この一帯にはマンゴー園が広がっていました。
      持ち主は、パーバ村の鍛冶屋の子・チュンダ。
      以前、仏陀が、パーバ村を訪れた時に帰依した敬虔な信者
     です。
      チュンダは、仏陀を歓迎するために、貧しいながらもできるだ
     けの準備をととのえ、首を長くして待っていました。
五木さん: 燃料に使う、牛糞ですか?
      あれなんか、積み重ねているところなんかも、何千年も同じ
     様に、燃料に使っているわけなんですね。
案内の方: 牛糞に、藁を混ぜて・・・。
五木さん: あっ、そのままでなくてね。
      あ、そうか、そのままでは燃えないのだ。やっぱり。
      あーそれじゃー、一応加工している訳なんだね。
      えー、だけど、昔の村らしい村ですねー。
      ナマステー。
      (加治屋さんのところに来て)
      あー、ふいごですね、昔のねー。
      あのー、なんか、鍛冶屋さんと言うにはあまりに素朴なー。
      でも、こんな風にして、農機具とか色々を作るのでしょうねー。
      (あるインドの方へ)ナマステジー。
      あのー、仏陀が最後の旅の中で、この村で病気をしたと、聞
     いたのですが?
インドの人: この村で言い伝えられてきた話によると、仏陀は、仙人
     に姿を変えて南から 来たそうです。
      日が暮れ始めていたので、仏陀は、この村に泊まることに
     しました。
      村の誰かが、夕飯を用意したそうです。
      いろんな言い伝えがありますが、豚肉料理を出したという説
     と、ククルムタと呼ばれるキノコ料理を出したという話がありま
     す。
五木さん:(手を合わせて)ナマステジー。(お礼を言って立ち去る、五
     木さん)
     (鍛冶屋さんの映像、鞴・フイゴを手でこいで風を送っている)
ナレーション: 仏陀は、チュンダが用意してくれた食事を、快く受け入
     れました。
      しかし、口に入れて直ぐ、それが、食べてはいけないものだ
     と分かりました。
      ここで、仏陀は、チュンダにこう告げます。
        チュンダよ、
        残ったキノコ料理は、それを穴に埋めなさい。
        神々・悪魔・梵天・修行者・バラモンの間でも、
        また、神々・人間を含む生き物の間でも、
        世の中で修行完成者(=仏陀)のほかでは、
        それを食して完全に消化し得る人は見出せません
        ・・・と。
        「かしこまりました」と鍛冶工の子・チュンダは、尊師に
       答えて、残ったキノコ料理を穴に埋めて、尊師に近づい
       た・・・。
       近づいて尊師に敬礼し、一方に座した。
       チュンダが、一方に座した時に、尊師は、彼を教え・諭し・
      励まし・喜ばせて、出て行かれた。
ナレーション: その時、仏陀は、激しい腹痛に見舞われていました。
      仏典には、こう記されています。

        さて、尊師が、
        鍛冶工・チュンダの料理を食べられた時
        激しい病が起こり
        赤い血がほとばしり出る
        死に至らんとする激しい苦痛が生じた。
        尊師は、
        実に、正しく思い
        良く気を落ち着けて
        悩まされる事無く
        その苦痛を堪え忍んでいた。
        さて、尊師は、
        若き人・アーナンダに告げられた
        『さー、アーナンダよ、
        我々は、クシナーラーに赴こう』・・・と。

ナレーション: 80歳の老いた身に、血が出るほどの激しい下痢。
      立っていることさえままならない身体を、引きずるようにして、
     仏陀は、自ら終焉の地と思い定めた、クシナガラを目指しまし
     た。
      パーバ村からクシナガラまでは、およそ20キロの道のりです。 
                            (つづく)
(参 考): クシナーラー = クシナガラ
(解 説):チュンダは、釈尊への尊崇の念で食事の供養をしようとして
     珍味のキノコ料理をさし上げたが、結果、釈尊の死を早めるに
     至った。
       釈尊は、チュンダが後悔して嘆くであろうし、また、まわりの
     者たちがチュンダを責めるようになるであろうと、チュンダに
     同悲され、「私の生涯で二つのすぐれた供養があった。
      その供養は、ひとしく大いなる果報があり、大いなるすぐれた
     功徳がある。
      一つは、スジャータの供養の食物で、それによって私は無上
     の悟りを達成した。
      そして、この度のチュンダの供養である。
      この供養は、煩悩の全くない涅槃の境地に入る縁となった。
      チュンダは善き行いを積んだ」と仰せになった。
      最初のスジャータの供養とは、釈尊がさとりを開かれる前、
     極限にいたるほどの苦行をされていたが、極端な苦行は悟
     りへの益なきことを知り、それまでの苦行を捨て、村娘のス
     ジャータから乳粥の供養を受けられた。
      それによって体力を回復し、菩提樹の下に座り、「悟りを開
     くまではこの座を決してはなれない」という決意でもって坐禅
     瞑想に入られた。
      そして、この上ない悟りを開かれたと伝えられている。
      スジャータの供養は、悟りに至る尊い縁になったのである。
      そして、このスジャータの供養の功徳とひとしく、このたびの
     チュンダの供養は、大いなる涅槃に至る尊い縁となると、釈尊
     は、チュンダの食物の供養を讃えておられる。
      チュンダがさし上げた特別のキノコはどうやら食用に適さな
     かったようある。
      しかし、チュンダは自分のせいで釈尊を死に至らしめたとい
     う後悔をするだろうし、また周りの僧俗がチュンダを責めるで
     あろうと釈尊は思われ、チュンダの嘆きに寄り添って、「チュン
     ダは大いなるすぐれた功徳を積んだ。
      チュンダの供養で、私は煩悩の残りなき大いなる涅槃に入
     ることになった。
      「チュンダは善いことをした」と、チュンダの供養をほめ、起こ
     るであろうチュンダの嘆きと周りからの責めをあらかじめ取り
     除かれたのである。
      ここに釈尊の慈悲の深さ、同悲のお姿が伺われる。
     仏教で言われる慈悲の行いとは、具体的にどういうものなの
     かがよく示されている。
      しかも釈尊のチュンダへの言葉は、無理にチュンダを慰めて
     いるというものではなく、ご自分の死を「大いなる涅槃に入る縁」
     と見られてのものである。
      ご自分の死んでいくことに対して、不幸ともいわず、嘆きもせ
     ず、静かに受け止められるばかりではなく、煩悩が全く消滅す
     る大涅槃に入る尊い縁として見ておられるのである。
      そういう背景があってチュンダの供養を讃えておられるので
     あって無理にチュンダを慰めているのではなかろう。
      このことによって教えられることは、自分にふりかかるどのよ
     うな〈災厄〉をも、転悪成善(悪を転じて善と成す)で、善き縁で
     あると受け止める智慧があって、初めて他者への憎悪や責め
     る心から解放されるのであろう。
      もし、自分は内心で嘆いているけど、人を悲しませてはいけ
     ないという愛情であれば、それはそれで尊いとしてもなお暗い
     ものがある。
      このように釈尊は、ご自分の死を大涅槃の悟りに至る機縁と
     見られたが、この釈尊の死の意味は、浄土の教えを信じる者
     における死の意味と重なるものであろう。
      自らの死を大涅槃界である浄土に生まれる縁といただいて
     いる念仏の信心と、釈尊における死への智見とは、内面的に
     連なるものがある。
      真実の信心は、死をも浄土へ生まれる縁であるとの智見を
     生むのである。
                    (寺報「草菴仏教」より)

2011年11月22日火曜日

諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 9」

題 : 諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい 
                  五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 9」

五木さん: ある時、アーナンダに向かって、仏陀は衝撃的な言葉を
     述べます。
      それは、「自分は、もう、3ヶ月後には、この世に居ないだろ
     う」という、そういう予言です。
      アーナンダは、さぞかし、もう、驚愕し絶望したに違いありま
     せん。
      しかし、余命は、もういくばくもない、自分は3ヵ月後に、この
     世を去る。
      自分の言っていることは、決して間違いない。
      こういう風に、仏陀は、断定します。
      おそらく、仏陀の80年の生涯の中で、自分の人生の終わり
     というものを、すっきりと予感した。
      そういう瞬間だっただろうと思いますね。
      ・・・で、仏陀は、アーナンダに、「自分はこの世を去る、去る
     前に、自分が、色々、言っておきたいことがある。
      だから、「修行僧達を沢山集めなさい」 こういう風に、アーナ
     ンダに命じます。
      そして、アーナンダが、集めた大勢の修行僧を前に、仏陀は、
     この様に言われたという風に、経典には書かれています。

        そこで尊師は、
        修行僧達に告げられた
        さあー、修行僧達よ
        私は、いま、お前達に告げよう
        諸々の事象は過ぎ去るものである。
        怠ることなく修行を完成なさい。
        久しからずして
        修行完成者は亡くなることだろう
        これから3ヶ月過ぎた後に
        修行完成者は亡くなるだろう・・と、

        尊師・幸いな人、
        師はこの様に説かれた。
        この様に説いたあとで
        さらに、
        次のように言われた
        我が齢は熟した。
        我が余命はいくばくもない。
        汝らを捨てて、私は行くであろう。
        私は自己に帰依することを成し遂げた。
        汝ら修行僧たちは、
        怠ることなく よく気をつけて
        よく戒めをたもて。
        その思いをよく定め統一して
        おのが心をしっかりと守れかし
        この教説と戒律とに務め励む人は
        生まれを繰り返す輪廻を捨てて
        苦しみも終滅するであろう・・と、

      物事は、移り変わるものだという様な事を、いくら口で言って
     も、どんなものでも流転するという様なことを、自分の身をもっ
     て、みんなに語ろうとしているんではないでしょうか。
      例えば、仏陀という人が、尊敬され、そして、その教えが、広
     がれば広がるほど、その人を、偶像化して、永遠に戴いて崇
     拝していこうという気分というのは、強まってきますよね。
      どっかで自分は、もう、如何に仏陀といえども、自分も涅槃に
     入るんだという事を言って、それで、その時、突然、自分が居
     なくなって、周りが大混乱するよりも、あと3ヶ月というこの日々
     を、周りの修行僧やアーナンダ達が、しっかり心に刻んで、あと
     1日、あと1日という風に、大事にして生きるようにという、生き
     るもの・残されたものへの配慮だという風に、思いますけどね。
     ・・・・・。
      あのー、僕自身はね、余命ということを考えないんですよ。
      むしろ、天命という考え方、で、自分が何時まで生きるとか、
      何時死ぬとか、そういうことはね、ほとんど考えたことは無い
     んです。
      あのー、出来れば長く元気で生きられれば良いと思います
     けれども、人間の天寿というものは、あらかじめ決まっている
     んじゃないかなーという事を考える事がありましてね。
      その天寿を全うしたい、ですから、世の中というのは、すごく
     不合理なもので、30歳の天寿の人も居れば、10代で亡くな
     る人も居る、90歳、100歳まで生きる人も居る。
      ですから、僕は自分の人生と言うのは、ある時期から、「い
     つでも」と言うのは、おかしいのですけれども、「もういいよ」と
     いう、声なき声が、聞こえてきた時が、自分の寿命の尽きる
     時だと思っていますし、寿命が尽きると言うことがですね、何
     か終わるとか、無くなるとか、そういう風に考えていないので
     すね。
      ですから、何か新しい出発と感じもしますし、とりあえず、与
     えられた、今日一日、明日の一日、仏陀の言葉の様にですね、
     元気を出して、苦しみに耐えてという風に思ってますね。
      ですから、寝る時は、もう、明日は目が覚めないかもしれな
     いという風に思いますし、起きた時に、「あー、今日一日あった
     な」と思いますし、あまり、そういう風に先の事を考えたことが
     無いですね。
ナレーション: 自らの死を予言した仏陀。
      別れを惜しむ人々が、数多く後を追ってきました、しかし、仏
     陀は、彼らに戻るように説き、形見として自分の托鉢の鉢を
     渡しました。
インドの仏教歌: 
        金のお皿でご飯を
        食べて貰いましょう
        仏陀に乳粥(ちちがゆ)を
        差し上げましょう
        金の台の上に
        席を用意しましょう
        仏陀にお願いして
        座って貰いましょう
        ここで仏陀に
        静かに休んで貰いましょう
        私は、みんなに仏陀が
        来ていることを知らせます
     
映 像 : 長い汽笛を鳴らして走り、そして去っていく列車

2011年11月21日月曜日

直径123メートルの 巨大ストゥーパ 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 8」

題 : 直径123メートルの 巨大ストゥーパ 
              五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 8」      

インドのお坊さんの経: 
        お釈迦様が、
        ヴァイシャリーにいるときは
        いろんな処に
        仏教が広まっていきました。
        お釈迦様は、
        何事も正直に話すようにと
        繰り返し語っていきました。
        お釈迦様は、
        ヴァイシャリーの人々を
        誰よりも愛してくれました。
        お釈迦様が、
        クシナガラのサーラの森に行くときは
        老若男女、みんなが泣きました。



映 像 : お経を唱えながら、裸足で水に濡れた田の畦道を行く
     仏教僧の映像。
      畦の道に僧の経が流れて行く。
      ・・・。
      悪路を車で進む、五木さん。
      大きく左右にゆれる車。
      警笛を鳴らしながら、乗客を満載したバスと行き違う。
五木さん: イヤー、もう、照り返しがすごいですね。
      イヤー、もうこれは、死にそうだ。
      ナマステー。
      お茶を一杯下さい。
      (お茶の葉を沸騰している鍋に直接入れ、煮て、)
      なんか戦後を思い出すね。
ナレーション: 仏陀の足跡を辿り、連日、悪路を進む、五木さん。
      旅は、まだ、半ばを過ぎたところです。
五木さん: ありがとう。
      あちちっ、・・・旨いですね。
      もう、極楽という感じだな。
      (多くのハエが・・ それを手で払う店の人、周りを飛
      ぶ)
同行者: 五木さん、今までの旅の風情は?
五木さん: イヤー、なんか修行という感じですね。
      前にインドに来た時は楽な旅をしたもんですからね。
      本当は苦行修行の旅なんですね。
      こういう農村を見ないと、インドは分からないという
     のは、本当ですね。
      仏跡は地方の農村地帯に残っている。
      仏蹟探訪の旅 ロマンティックな感じはしますけれど、
      本当は苦行修行の旅なんですね。
      だから観光の積もりできたのでは、もうもたないでし
     ょう。
      お遍路の様な覚悟で、やはりやらなければならない旅
     ですね 苦行の・・・・。
      ナマステ。サンキュー。
      イヤー、またこれはひどい日差しだな。
ナレーション: ヴァイシャリーを出た仏陀は、更に北に向かって
     歩き続けます。
      ヴァイシャリーから北西に、およそ50キロ、当時の
     ヴァッジ国の国境にあたる場所に発掘中の巨大な遺跡が
     あります。
字 幕 : (ケッサリア・ストゥーパ)
五木さん: イヤー、これはすごい。あー。
ナレーション: このストゥーパは、紀元200年〜紀元700年
     の間に建てられたものと考えられています。
      本格的な調査が始まったのは、1998年。
      現在発掘されている部分だけでも、直径123メート
     ル、高さ31メートルにおよぶ、レンガ造りの巨大なス
     トゥーパです。
      さらに、この下にどれ程の遺跡が埋もれているかは、
     まだ、明らかになっていません。
     (遺跡を登り、進む、五木さん)
五木さん: あー、ここに仏陀像があるんだね、あー、
     (頭を下げ、手を合わせる、五木さん)
ナレーション: 大パリニッバーナ経によると、旅の途中、仏陀の
     前に悪魔が現れました。
      悪魔は、今こそ、尊師のお亡くなりになる時ですと告
     げます。
      まだ、その様な時期ではないと退けます。
     (カラスが、ぎゃーぎゃーと鳴いている)
五木さん: カラスがすごい。
ナレーション: しかし、その一方で仏陀は、死に向かう準備を始
     めます。
     (巨大ストゥーパの周りをくるくる歩く、五木さん。何
     匹ものカラスが木にとまり、ぎゃーぎゃーと鳴く)
五木さん: ストゥーパだから、中に入る事はないんだね。
     (ストゥーパの上も、何匹ものカラスが飛び回る)

2011年11月20日日曜日

この世界は美しい、人生は甘美である 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 7」

題 : この世界は美しい、人生は甘美である 
             五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 7」

ナレーション: 病を克服した仏陀は、回復するといつもの様に托鉢
     に出かけました。
      後ろには弟子のアーナンダが従います。
      仏陀の従兄弟でもあるアーナンダは、25年にわたって、
     常に行動を共にして来ました。
      この日、托鉢から戻り食事を終えた仏陀が発した言葉に、
     周りの弟子達はおどろかされました。
      それは、何時も身近に居るアーナンダですら、始めて耳に
     する言葉でした。
画 像 : インドの子供達が、大喜びで水浴びする姿を微笑みながら
     見る、五木さん。
五木さん: アーナンダとの対話 アンバパーリーとのいきさつ、
     そして、仏陀の老いと病と、そういうものが、いくつも
     つき重なった場所なんですけど、この場所で、ある日、
     仏陀とアーナンダの間に、こういう対話があります。
      「仏陀・最後の旅」の中から、とても印象深い対話です。

        さて尊師は、
        早朝に、内衣を付け
        外衣と鉢とをたずさえて
        托鉢の為にベーサーリー市へ行った。
        托鉢の為にベーサーリーを歩んで
        托鉢から戻って食事を済ませた後で
        若き人・アーナンダに告げた。
        アーナンダよ、
        座具を持って行け
        私はチャーパーラ霊樹の元へ行こう
        昼間の休息の為に。
        そこで尊師は、
        チャーパーラー霊樹の元に赴いた
        赴いてから、あらかじめ設けられていた座席に座した。
        若き人・アーナンダは、尊師に敬礼して一方に座した。
        一方に座した若き人・アーナンダに、尊師はこの様に
       言われた。
        アーナンダよ、
        ベーサーリーは楽しい
        ウデーナ霊樹の地は楽しい
        ゴータマカ霊樹の地は楽しい
        七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい
        タフブッダ霊樹の地は楽しい
        サーランダ霊樹の地は楽しい
        チャーパーラ霊樹の地は楽しい。

      これは中村元さんが、パーリー語から訳された言葉なんです
     けれども、あのー、色々ありまして、サンスクリットの方から訳
     されたこのくだりにはですね、非常に印象的な言葉が加えら
     れています。

        この世界は美しい
        そして、
        人生は甘美である

      まあ、こんな風に、サンスクリット語の本の方には書かれて
     いる訳なんですけれども、そこまで本当に、仏陀が、言われた
     かは分かりません。
      この物語を編んだ人が、霊樹の地は楽しいという言葉を、
     さらに、普遍して、その様に自分の思いを付け加えたかもしれ
     ません。
      この辺は分かりませんですけれども、人々が、仏陀にそうい
     う風な言葉を言って欲しいなーという風に、心から思っていた
     ことが伺えるのですね。
      仏陀の信仰と言いますか、法の教えの第一歩は、人生とい
     うものは、苦であるという、いわば、ネガティブ・シンキングと
     言いますか、どん底から出発する訳です。
      この世というものは苦しいものである、そして、生老病死、
     様々な苦しみに満ちている。
      この苦しみの中から人はどのように苦しみに耐えて生きて
     いくか。
      仏陀は、その事を終生、ずーッと追求し続けた人なんですが、
     それでも苦から出発したこの世界、この認識がですね、仏陀の
     最後の旅の「 末期の眼 」の中で、
       『 この世界は美しい、人生は甘美である 』、
      例え、苦の世界であったとしても、こんな風に、最後に、仏陀
     に呟いて欲しいと思った人々が、どれほど居たことなんでしょ
     うね。
      人間というものは、『 決定的な絶望の中に生き続けることは、
     本当は難しいこと 』です。
      そして、私達・弱い人間というのは、どうしてもその様に、物語
     の中で自分達の思いを、仏陀に託して、そして、こういう事を
     言って欲しかったという事を付け加えて、伝承というものが生
     まれてきます。
      ですから、それは、仏陀が、言った言わないとは別に、人々
     が、その様に、苦から出発して、あるいは楽の世界、醜の世界
     から美の世界、辛い世界から甘美な世界へ行きたいという願い
     を抱き続けて、2500年も生き続けて来たという事を表してい
     る訳ですから、それはそれで真実であろうという風に思う所が
     あります。
ナレーション: 若き人・アーナンダに、尊師は、この様に言われた。

        アーナンダよ
        ベーサーリーは楽しい
        ウデーナ霊樹の地は楽しい
        ゴータマカ霊樹の地は楽しい
        七つのマンゴの霊樹の地は楽しい
        タフブッダ霊樹の地は楽しい
        サーランダ霊樹の地は楽しい
        チャーパーラ霊樹の地は楽しい。

ナレーション: 雨季が明け、再び、旅に出る日がやってきました。
      ヴァイシャリーの人々は、何時までも、別れを惜しんだと言
     います。
      町の郊外にあるレリック・ストゥーパは、ヴァイシャリー王に
     よって建立されたと伝えられております。
      小さな半円形のストゥーパからは、仏陀の遺骨の一部を納
     めたシャリ容器が、半世紀前に発掘されました。
      インド人のプッドゥ・バランさんは、このあたりで布教活動して
     いるお坊さんです。
      バランさんは、ここで、毎日、経を上げています。
バランさんの言葉: 今から2500年も前の話になりますが、お釈迦様
     は、好んでこの地で法を説いていました。
      ある日、ヴァイシャリーの人々に、この様に語ったと伝えられ
     ています。

        私は、この地にずっと留まることは出来ません。
        西にあるクシナガラという町へ向かいます。
        名残惜しいけれど、どうか、私を行かせて下さい。
        この物語に基づいた歌を唄いたいと思います。
インドのお坊さんの経: 
        ヴァイシャリーの人々は
        お釈迦様が歩き出すと
        泣き出しました。
        お釈迦様は、クシナガラの
        サーラの方へ出発しました。
        村の人々が、皆、泣き出しました。
                            (つづく)
(補 注): アンバパーリーは、徹夜でご馳走を用意し、翌日、釈迦の
     一行が訪れた時は自ら給仕してもてなしました。
      食事が終わった時、彼女は、釈迦が留まった果樹園を教団
     に寄贈することを申し出て釈迦はこれも受けています。
      最後の場面はこんなふうに伝えられています。

        尊師は法に関する講話をもってかの女を教え、
        諭し、
        励まし、
        喜ばせ、
        座から起って、
        去っていった 。

2011年11月19日土曜日

法を島とし、法を拠り所として 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 6」

題 : 法を島とし、法を拠り所として 
              五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 6」

五木さん: この周辺に住まいしていた時期、ちょうど雨季に入り
     ました。
      そして、雨季というのはもう、往来が困難だし、疫病
     がはやったり、大変な時期なんで、雨安居(うあんご)
     と言って、その時期、旅を休んで瞑想にふけり、思索に
     ふけります。
      ちょうど、その時ですね、仏陀は、思いがけなくも、
     本当に大きな病にかかる訳ですね。
      最後の旅のほんとに途中なんですけれども、その時の
     模様を こんな風に「大パリニッバーナ経」・「仏陀・
     最後の旅」 には書かれています。

        さて尊師が、
        雨季の定住に入られたとき
        恐ろしい病が生じ
        死ぬほどの激痛が起こった。
        しかし尊師は、
        心に念じて
        よく気をつけて
        悩まされることなく
        苦痛を堪え忍んだ。
        そのとき尊師は、
        次のように思った
        「私が侍者たちに
        別れを告げないで
        修行僧達に別れを告げないで
        ニルヴァーナに入ることは
        私には相応(ふさわ)しくない
        さぁ私は元気を出して
        この病苦を堪(こら)えて
        寿命のもとを留めて
        住することにしよう」と

     (参考)ニルヴァーナ: サンスクリット語の仏教用語
         で、涅槃 (nirvaaNa) のこと。

五木さん: つまり大変な激痛が生じてですね。
      本当にもう、耐え難いほどの痛みと苦しみの中で、仏
     陀は、それに耐え忍び、そして、今は死ねないと感じる
     んですね。
      それがまだ自分には残した仕事があると感じていたの
     か、あるいは、自分に与えられた事を最後までやり遂げ
     るために、この旅を続けようという意思なのか、あるい
     は、天と言いますか、目に見えない大きなものの命ずる
     ままに、自分の人生というものを、もう一度、生きてい
     こうという風に考えるのか、その辺は良く分かりません
     けれども、老いと病というものは、まあ、普通に言われ
     るように、生易しいものではありません、人間が最後の
     旅に出る時に、必ず、この老いと病を道連れにして、生
     きていく訳です。
      その最後の旅の中で、仏陀もまた、この病気と苦痛と、
     そして、老いというものを感じつつ、この辺に留まって
     居られたということを思いますと、人間・仏陀、人間で
     はないけれども、人間的なそのような苦しみを、人一倍、
     深く背負った仏陀という存在、そこに、私達人間も、と
     っても同じ様な、親しみと共感、そして、尊敬の念を覚
     えるところがあります。
     ・・・・。
五木さん: 車の中で、ちょっと七転八倒したんですよね。
      朝4時に起きて、ほとんど徹夜のまま撮影をやって、
     それからあの悪路をバスで走っているでしょう。
      でも、昔はね、シベリヤ横断したってなんとも無かっ
     たくらいだったのに、僅かこの位の事で、こんなに苦し
     まなければならないのかという、ほんとに、パトナへの
     道は、地獄への道でしたね。
      ですから あの時、ホントにねー、もう薬を飲んでも
     効かない、水を飲んでもどうにもならない、今にも吐き
     そうでという、その時に、やっぱり、今の体力の衰えと
     いうものをね、今度の、やっぱり、インドの旅では、つ
     くづく感じさせられましたね。
      ですから、実感がとってもありますよ。
      まして、僕はまだ70代の前半ですけどね、齢(いわ
     い)80に達したら、この旅を車なんて文明の利器を使
     わずにしている 仏陀の大変さというのは、おそらく想
     像を絶するものが、あったに違いありません。
ナレーション: 仏陀・最後の旅には、常に苦楽を共にする弟子が
     付き添っておりました。その名は、アーナンダ。
      弟子の中でも、人一倍、心優しく、純粋な人間だった
     と伝えられています。
      病から回復した仏陀の姿を見て、アーナンダは歓喜し、
     こう言います。
      「尊師が病気の間、呆然自失して、方角も教えすらも、
     分からなくなっていました。でも、もう安心です」。
      そんなアーナンダに、仏陀はこう答えました。

        アーナンダよ
        私はもう老い朽ち
        齢(よわい)を重ね老衰し
        人生の旅路を通り過ぎ
        老齢に達した
        我が齢(よわい)は八十となった
        例えば、古ぼけた車が
        革紐(かわひも)の助けによって
        やっと動いていくように
        おそらく私の身体も
        革紐の助けによって
        もっているのだ。

ナレーション: さらに、仏陀は、自分が死んだ後の心構えについ
     て、修行僧達に説きました。

        この世で、
        自らを島とし、
        自らを頼りとして
        他人を頼りとせず
        法を島とし、
        法を拠り所として、
        他のものを拠り所とせずにやれ。
     
        アーナンダよ、
        今でも、また、私の死後にでも、誰にでも、
        自らを島とし、
        自らを頼りとし、
        他人を頼りとせず、
        法を島とし、
        法を拠り所とし、
        他のものを拠り所としないでいる
                     人々が居るならば、
        彼らは、我・修行僧として
                 最高の境地にあるであろう。

五木さん: あのー、非常に文脈としてですね、捉えにくい言葉な
     んですけど、言っていることは一つだと思うんですね。
      自分の尊敬する人が居ることは結構である。
      だけど、大事なことは、そういうことであることより
     も、権威とか、あるいは他人に対する親愛の情とか、そ
     ういう事よりも、もっと大事な、仏教の法というものが
     ある。
      ダルマといいますね。
      そういう仏教の真実や真理、そういうものこそ頼りと
     して、他人の権威・社会の常識、そういうものに囚われ
     ることなく、自分が学んだ仏教の心を心として、そして、
     自分が亡くなった後も、雄雄しく立派に生きて行って欲
     しい、それが大事だぞと、こういう事を最後に言ってい
     る訳です。 
      仏陀の言っていることというのは、私は、決して、自
     分に頼れという風に、自我を強調しているのではないと
     思いますね。
      それよりもっと大きな宇宙の真理というものがある。
      そういうものを自覚して、そして、自分が感じた直感
     というものを拠り所にし、そして、それを、島と言うの
     は例えですけれども、河の中洲という風に訳する人も居
     ますね。
      水が増えてきても没することなく、世の中の激流に呑
     まれる事も無く、大きな永遠不朽の真理というものをし
     っかりと身に付けて、その真理を頼りにして、自分自身
     の道を歩くが良いと、仏陀は、こういう風にここで語っ
     ているんだろうと思います。

        この世で
        自らを島とし
        自らをたよりとして
        他人をたよりとせず
        法を島とし
        法をよりどころとして
        他のものを
        よりどころとせずにあれ。
                       (つづく)
(参考) 安居:(あんご)は、それまで個々に活動していた僧侶た
     ちが、一定期間、一カ所に集まって集団で修行すること。
     及び、その期間の事を指す。
      安居とは元々、梵語の雨期を日本語に訳したものであ
     る。
      本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇など
     の数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)
     をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する
     無用な殺生を防ぐ事である。
      後に雨期のある夏に行う事から、夏安居(げあんご)、
     雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。
      釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝
     来と共に中国や日本に伝わり、夏だけでなく冬も行うよ
     うになり(冬安居)、安居の回数が僧侶の仏教界での経
     験を指すようになり、重要視された。
      現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る
     結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域か
     ら一歩も外を出ずに修行に明け暮れる。
                     (Wikipediaより)

2011年11月18日金曜日

民主主義の国・ヴァッジ国を、仏陀は、こよなく愛していました 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 5」

題 : 民主主義の国・ヴァッジ国を、仏陀は、こよなく愛していました
                五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 5」

インドの仏教歌:金のお皿でご飯を
        食べて貰いましょう
        仏陀に乳粥(ちちがゆ)を
        差し上げましょう
        金の台の上に
        席を用意しましょう
        仏陀にお願いして
        座って貰いましょう
        ここで仏陀に
        静かに休んで貰いましょう
        私は、みんなに仏陀が
        来ていることを知らせます

ナレーション: ガンジスを渡った仏陀は、いくつかの村を経て、
     ヴァイシャリーへと向かいました。
      そこは商業で栄えるヴァッチ国の首都でした。
      仏陀の時代、北インドは、16もの国にも分かれてい
     ました。
      その中にあって、ヴァッチ国は、国の方針をは話し合
     いで決める進んだ国でした。
      大パリ二ッバーナ経には、仏陀が、ヴァッチ国の事を
     賞賛した言葉が記されています。

        ヴァッジ人が、
        しばしば会議を開き、
        会議には多くの人が参集する間は、
        ヴァッジ人には繁栄が期待され、
        衰亡は無いであろう。
        ヴァッジ人が、
        共同して集合し、
        共同して行動し、
        共同してヴァッジ族として
        なすべき事をなす間は、
        ヴァッジ人には、
        繁栄が期待され、
        衰亡は無いであろう。

ナレーション:仏陀は、ヴァッジ国をこよなく愛していました。
      仏陀の一行は、ヴァイシャリー郊外のマンゴー園に留
     まります。
      布教の旅では、決まって町外れに滞在します。
      修行の為には静かな環境が望ましいが、托鉢をするに
     は人の集まるにぎやかな場所が必要です。
      「俗に染まらず、俗から離れず」
      大パリ二ッバーナ経には、このマンゴー園での逸話が
     残されています。
五木さん:イヤー、見事な果樹園ですね。あのー、これは、マンゴ
     ーの木なんだそうです。
      僕は、マンゴーは、恥ずかしながら、畑の中に生ると
     思っていたのですが、こういう堂々たる木の中に、マン
     ゴーが沢山生ってる姿は、想像しませんでした。
      ここは、ヴァイシャリーという所の郊外のマンゴー畑
     なんですけれども、ガンジス河を渡った仏陀は、このヴ
     ァイシャリーの街中ではなく、街からチョット離れた、
     この郊外のマンゴー畑の中に居を定めます。
      そして、しばらくここに滞在する訳なんですね。
      それで、このー、不思議な事に、ここにはとっても華
     やかで人間的なエピソードが一つあるんですが、このマ
     ンゴー畑の所有者といいますか、地主の方が、ヴァイシ
     ァリーの町では大変著名なサロンの女主人公と言います
     か、実は、高級娼婦・遊女と言われている人なんですが、
     遊女と言ってもですねー、ただの遊女ではなくて、一夜
     の値段が、牛何十頭などという、王侯貴族を相手にする
     という様な、しかも教養もあり、音楽もあり、文学も出
     来、詩も詠めるという素晴らしい、高名な女性であった
     らしいんですね、で、そのアンバパーリーという女性な
     んですが、その女性は、自分のマンゴー園に高名な仏陀
     が滞在しているという事を聞いて、そして、教えを乞い
     に仏陀のもとへやって来ます。
      そして、仏陀から様々な話を聞いて大変深く感動して、
     感動したアンバパーリーは、自分の、是非、屋敷に招待
     して一夜の宴(うたげ)を催したいという風に、仏陀に
     申し入れます。
      遊女の申し込みなんで、本来なら、僧がどういう風に
     応対すべきか、ちょっと、分かりませんが、仏陀は、そ
     こんところを非常に快く、つまり、法といいますか、仏
     法というものを尊ぶ心の持ち主ならば、いかなる職業で
     あっても差別しないという、そういう気持ちからでしょ
     うか、仏陀はそれを承諾するんですね。
ナレーション:仏陀が、ヴァイシャリー郊外に滞在していることを
     聞きつけた若い貴族たちが尋ねてきます。
      「自分達も仏陀を招待したい」と申し入れました。
      しかし、仏陀は、既に、遊女・アンバパーリーの招き
     を受けていると、その申し出を断ります。
      貴族達の中には、自分達より遊女を優先するのかと非
     難する者も居ました。
五木さん: ここで遊女という、アンバパーリーという、女性の話
     が出てくるというところがですね、この経典の中での、
     ある種の非常に興味深い所です。
      それは何かと言いますと、やっぱり当時のインドでも、
     女性に対する偏見というのは、今よりもっともっと深い
     ものがあったに違いありません。
      ましてや職業の貴賤ということに関しては、さらに偏
     見が多かったと思うんです。
      そういうときに、例えそれが娼婦であろうと、どうい
     う職業の人間であろうと、分け隔てなく接する、そして、
     「人間は、皆、平等だ」という仏陀の基本的な仏教の考
     え方というものがですね、そのエピソードの中に盛り込
     まれているんじゃないか、今から2500年前、それほど
     の昔にですね、今でも、なお、残っている女性に対する
     蔑視とか、職業に対する差別とか、そういうものを乗り
     越えて最後の旅を続けて行く仏陀の姿に、なんとなく共
     感を押さえる事が出来ません。
ナレーション: ヴァイシャリー郊外に、遊女アンバパーリー縁(ゆ
     かり)といわれる仏教遺跡が、今も残されています。
      後の時代に、インド北部一帯を支配したアショーカ王
     が建立した石柱とストゥーパ・仏塔です。
      仏陀と一人の遊女の出会いが、人々の心を動かし、大
     きな仏教遺跡となって残されたのでしょうか。
      仏陀は、このバイシャリーの地で大きな試練に出会う
     ことになります。
      ここで命をも脅かす様な、重い病を得たのです。
                         (つづく)
(参考)ヴァッジ国:ヴァッジ国(パーリー語 )あるいはヴリジ国は、
     古代インドの国名。初期仏教の聖典『アングッタラ・ニカー
     ヤ』の中で、十六大国のひとつに数えられる。首都はヴァイ
     シャリー。
     位置:現在のビハール州北部にあたり、南北にはガンジ
     ス川北岸から現在のネパールまで広がり、西はガンジス
     川を挟んでマッラ国およびコーサラ国と隣接していた。
     また、東は現在のビハール州と西ベンガル州の州境付近
     を流れるマハーナンダ川近辺、あるいはビハール州を流れ
     るコーシー川までで、アンガ国と接していたと考えられてい
     る。
     民族:ヴァッジ国は、ヴァッジ族、リッチャヴィ族(離車族)、
     ジニャートリカ族、ヴィデーハ族など、8つの部族が連合し
     て形成していたと伝えられている。
     統治機構:ヴァッジ国王は、「ヴァッジ・サンガ」と呼ばれた
     代表議会の議長であったと考えられている。「ヴァッジ・サ
     ンガ」は、各地方からの代表者から成り、国政を取り仕切っ
     ていたものと考えられている。近年、このような古代インド
     の国家をガナ・サンガ国というようになっている。
     宗教:リッチャヴィ族(離車族)は、ジャイナ教を信奉してい
     たが、後に仏教に改めたと、仏典は伝えている。
     実際にブッダは、ヴァッジ国の首都ヴァイシャーリーを
     何度も訪問して説法していたし、仏教の修行者のための
     修行道場が設置されていたという記録がある。したがっ
     て、ヴェーダの宗教に並び、ジャイナ教や仏教も盛んで
     あったと考えられる。(Wikipediaより)

2011年11月17日木曜日

どの様にして、涅槃、すなわち煩悩から解き放たれた理想の境地にいたるか 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 4」

題 : どの様にして、涅槃、すなわち煩悩から解き放たれた
        理想の境地にいたるか 
               五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 4」
 
映 像: ガンジスの河の上を舟に揺られる、五木さん。
五木さん: あのー、私自身も、河というものについて、非常な思い
     入れがありました。
      ちょうど子供時代。小学校の頃は、今のソウルで過ごし
     たんですね。
      京城(ケイジョウ)といいます。
      京城には、ハンガン(=漢江・かんこう)という、当時は
     漢江と言いましたけれども、ハンガンという、実に大きな
     流れがありました。
      そして、中学時代を過ごした、ピョンヤン(=平壌)という
     町には、ケドンガンというのですが、大同江(ダイドウコウ)
     という名前で私達は呼んでいたんですが、
     ここにも楽浪郡時代からの大きな流れがありまして、
     その河の流れを往復しながら、学校に通っていました。
      いつも、その大同江の岸辺に立って、数千年の歴史、
     あるいは人生、自分の将来、いろんな事を空想したもんで
     す。
      ・・で、敗戦になって、
      私達、外国からやってきて、その国を支配していた人間
     は、その国を去らなければならないわけです。
      引揚者と言いますか、難民となって、
      私達は、ピョンヤンから去る訳ですけれども、その引き
     上げが始まるまでの1〜2年の間に、本当にたくさんの
     人々がそこで亡くなりました。
      夏ですと、どこか目立たないところに穴を掘って、火葬が
     できるんですが、冬は零下20度、30度という寒さに
     なります。
      もう地面もツンドラの様に凍ってですね、ツルハシも
     立たないほどなのですね。
      そこで仕方なく、火葬にすることも出来ず、土葬にする
     ことも出来ず、テンドンガンという凍りついた厚さ1メートル
     以上も氷が張っている河の、魚を釣るために、あちこちに、
     ぽこっ、ぽこっと穴が開いているんですが、
     毛布に包んで、その穴から流して弔うということが、
      しばしばありました。
      母も昭和20年の敗戦から1ヶ月後に亡くなったんで
     すけれども、遺骨を持ってくることが出来ませんで、ほん
     の一束だけ、髪の毛を切って、遺髪を持って来て、ずーっと
     戦後50年くらい、持ち歩いていたんですが、
     ある時、奈良の小さなお寺に、父の遺骨と一緒にお預け
     しました。
      ただ、気持ちとしてはですね、そういう河に流したかった
     という気持ちの方が、本当は自分の心の中に自然に
     感じられていたんですね。
      ですから、今度、御縁があって、ま、突然インドに来る、
     そして、ガンジスの河も渡る、こういう機会を得た時に、
     何か、ちゃんとした弔いも出来なかった、その母の思い
     入れを、この川岸に残して行きたいという風に思って、
     遺髪の中から、1本か2本、持って来たんですが、もう、
     細く、枯れてしまってね。
      髪の毛と言えるようなものでは無かったですね。
     (そして、お母さんの髪の毛を焼き、インドのガンジスの
     河の流れに流す、五木さん。
      五木さんの顔が可哀想で見ていられない感じ)
映 像: 五木さんがお母さんと撮った幼少の写真。
      ・・・お父さん・お母さん・兄弟と幸せそうな写真。
      ・・・幼少の五木さんが、お母さんと手をつないでいる
       写真・・・)
ナレーション: 五木さんは、昭和7年、九州の山村で教師をして
     いた両親の元に生まれました。
      生後まもなく、一家は新天地を求め、当時、日本の支配
     下にあった朝鮮半島に移住。
      12歳の時、ピョンヤンで終戦を迎えました。
      その時から、一家の運命は暗転します。
      愛する母親の非業の死。
      絶望する父。
      2年後、日本へ引き上げて来ますが、父親は立ち直る
     ことなく、この世を去りました。
      何故、自分は生き残ったのか。
      その思いは、五木さんを仏教の世界へと強くひきつけて
     行きました。
      49歳の時、作家活動を中断、大学で仏教を学び始め
     ます。(龍谷大学時代の勉強する五木さんの写真)
      4年後、再びペンを手にしてからは、「人々の苦悩に
     仏教は答え得るのか」という視点で、作品に取組んで来
     ました。

        その時、
        ガンジス河は水が満ちていて、
        水が渡し場の所までおよんでいて、
        平らかであるから、
        カラスでさえも水が飲めるほどであった。
        ある人々は船を求めている。
        ある人々は大きないかだを求めている。
        また、ある人々は小さないかだを結んでいる。
        いずれも
        彼方の岸辺に行こうと欲しているのである。
        そこで、
        あたかも力士が屈した腕を伸ばし、
        また伸ばした腕を屈するように、
        まさにそのように僅かの時間の内に、
        こちらの岸において没して、
        修行僧の群れと共に向こう岸に立った。
        ついで尊師は、
        ある人々が船を求め、
        ある人々はいかだを求め、
        ある人々はいかだを結んで、
        あちらとこちらへ
        行き来しようとしているのを見た。
        そこで尊師は、
        この事を知って、
        その時、
        この環境の言葉を一人つぶやいた。
        『沼地に触れないで橋を架けて、
        広く深い海や湖を渡る人々もある。
        木切れや、つた草を結びつけて、
        いかだを作って渡る人々もある。
        聡明な人々は、
        既に渡り終わっている』

ナレーション: ガンジス河を如何にして渡るか。
      それは、どの様にして、涅槃、すなわち煩悩から解き
     放たれた理想の境地に至るかという事の例えだとされて
     います。
      仏陀は、いともたやすくガンジス河を越えました。
                          (つづく)
(訂 正): 「ブッダンサラナンガッチャーミ、ダンマンサラナ
     ンガッチャーミ、サンガンサラナンガッチャーミ」と三
     度唱え、仏教の三宝に帰依する。

2011年11月16日水曜日

人生の大河を越える・・彼岸の岸へ行こうと欲している人々 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 3」

題 : 人生の大河を越える・・・彼岸の岸へ行こうと欲している人々
                 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 3」
 
ナレーション: インドの聖なる河・ガンジス。
      ヒマラヤの山間部からベンガル湾に至るその長さは、
     およそ2500キロ。
      インド最大の大河です。
      仏陀が目指したパータリ村は、このガンジス河のほとり
     にある小さな村でした。
      現在のパトナ市。ビハーレ州の州都です。
      人口は、およそ140万。
      米を中心に、農産物の集散地として賑わっています。・・・。
      パトナ市内、ガンジス河のほとりにある市場です。
五木さん: (市場に来た、五木さん) 
      この辺は、昔のパトナ村という、村だけあって、なんだか
     野菜のバザールの様になってますね。
      ジャガイモあり、たまねぎあり、インゲンあり、ニンジンあり、・・・。
      あー、大根もありますね。
      えー、それにしても、大変な賑わいだ。
      ナマステー。
      僕は九州・福岡の出身でね、八女という所で、両親の
     古里が、みかんを作っていたんですね。
      みかんとお茶なんです。
      だから、みかんを見て、ふと、懐かしくなったんです。
      さて、どんな味がするんでしょうね。
      ・・・酸味があって、本当に「みかん」らしいです。
      戦後、僕らがみかん畑で働いて時のみかんは、こんな
     感じだったですね。
      うん、これは旨い。・・・。
      (ガンジス河へ向かう、五木さん) 
      ・・・。
      アー 見えてきたなー。 これが ガンジスかー。
      (河辺に来て) あー 涼しい。
      ガンジスの流れというと、何か、こう、黄色く濁った
     流れだけを想像したんですけれども、この辺の水は青い
     ですね。
      対岸の方には、ずーっと青い草が見えて、真っ白な洲
     があって・・・、
      ・・・あー、こんなにガンジスが、美しいとは。
      ナーランダの村を通過して、そして、このパトナ村へ
     やって来て、仏陀は、ここからガンジス河を超えるわけ
     ですね。
      おそらく、ここまで70〜80キロか、90キロ。
      まあ、どの位あったんでしょう、途中で休み休み色んな
     ところに寄って来る訳でから、ずいぶん掛かったと思い
     ますけども、この河のほとりに立った時に、おそらく、
     仏陀は、単に、物理的に川を越えるっていうだけではな
     くって、何か人生の大河を越えるという、非常に大きな
     感慨を抱かれて、この河の流れを御覧になったに違いあ
     りませんね。・・・・・・。
      仏陀は、生涯に、さまざまな形で、河を越えてきている
     人だと思います。
      信仰の河、思想の河 人間の河、 ・・・。
      その仏陀が、このパータリ村から河を超えて、対岸に
     渡る有様を 古い古いお経の「ダイパリミッダーナ経」
     という、日本では「大般涅槃経」として知られるお経の
     経文の中に、仏陀の旅のガンジス河のあたりの風景が、
     短く描かれています。 
  
        ついで尊師は、
        ガンジス川に赴いた、
        その時、
        ガンジス河は、
        水が満ちていて、
        水が渡し場のところにまで及んでいて、
        平らかであるから、
        カラスでさえも水が飲めるほどであった。
        ある人々は船を求めている。
        ある人々は大きないかだを求めている。
        また、ある人々は
        小さないかだを結んでいる。
        いずれも、
        彼方の岸辺へ行こうと欲しているのである。 
        そこであたかも力士が、
        屈した腕を伸ばし、
        また、伸ばした腕を屈するように、
        まさにその様に、
        僅かの時間のうちに、
        こちらの岸において没して、
        修行僧の群れと共に、
        向こう岸に立った。

     (参考):『大般涅槃経』(だいはつねはんぎょう、サンスク
      リット:Mahāparinirvā?a Sūtraマハ−パニルヴァ−ナ 
      ス−トラ 、パーリ語:Mahaaparinibbaana-suttanta、
     タイ語:mahǎprinípphaanásùttantàは、釈迦の入滅(
     =大般涅槃(だいはつねはん)を叙述し、その意義を説く
     経典類の総称である。
      阿含経典類から大乗経典まで数種ある。
      略称『涅槃経』。大乗の涅槃経 は、初期の涅槃経とあ
     らすじは同じだが、「一切衆生、悉有仏性」を説くなど、
     趣旨が異なるので、相互を混同してはならない。
      パーリ語で書かれた上座部経典長部に属する第16経が
     大般涅槃経と同じものである。
      漢訳の、長阿含第2経「遊行経」および「仏般泥洹経」
     (2巻)、「般泥洹経」(2巻)、「大般涅槃経」(3巻)が
     これに相当する。
      釈尊の晩年から入滅、さらに入滅後の舎利の分配など
     が詳しく書かれている。これらに基づいて大乗仏教の思
     想を述べた「大般涅槃経」という大部の経典もある。

2011年11月15日火曜日

教えを請うものなら誰であろうと・・ 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 2」

題 : 「教えを請うものなら誰であろうと・・」 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 2」
         (齢80の仏陀は、ただひたすら歩み続ける)

ナレーション: 出発点・霊鷲山から旅の終わりとなったクシナガラ
     までの道のりは、およそ400キロ。
      この道を、80歳の仏陀は、ひたすら歩き続けました。
      仏陀が最後に歩んだ道を、74歳を迎えた五木寛之さんが、
     辿ります。
      霊鷲山から北西に16キロ。

      仏陀は、ナーランダ村に立ち寄っています。
      行く先々で、仏陀の元には多くの人々が、集まってき
     ました。
      王侯貴族からカースト街の差別を受けている人たちまで、
     さまざまな階層の人々です。
      仏陀は、教えを請うものなら誰であろうと分け隔てなく、
     法を説いたと言われています。
      仏陀・最後の旅は、いつもと変わらぬ、布教の旅として
     始まりました。
五木さん: あーなんだか、もう本当に夢の様な幻想的な風景です
     ねー。
      木があって、なだらかな丘があって、その向こうに 
     また木陰に白い塔がある、
      村の人たちが、三々五々、ここに座ったり 腰掛けたり、
     子供達が走り回ったりしていますが、自然の中に、
     こんな場所があるなんて、何と贅沢なことなんだろうと
     思います。
      『ナマステジー。・・ナマステジー』
      (一つの堂に来た。あたりを見渡す、五木さん)
      えーっ、暗くて見えませんけども、この中にあるのは
     仏陀の坐像ですね。釈迦牟尼坐像。
      ナマステジー。
      あのーチョット伺いますけれども、この塔の中にある
     仏像は・・・?
インドの住民: 仏陀の像です。お釈迦様の像です。
五木さん:   何時ごろからあるものなのですか?
インドの住民: むかしむかしからあります。
五木さん: 昔々というと、おじいさんの代からですか、もっと昔
      ですか?
インドの住民: 祖父の親の前から さらに前から。
五木さん: すごい、これは驚きました。
      ほー、この丘の上の小さな祠の中に、・・・いやー、
     まさしくこれは仏陀の坐像です。
      ほーっ。・・・イヤー驚きました。
      素晴らしい仏像ですけれども、相当古いものだと思い
     ますが、とにかく立派なのですよね。
      シルエットといい、バランスといい それにしても、
     この右手とお顔の損傷というのは実に生々しい。
      インドの歴史のありようを感じさせてくれる様な気が
     します。
ナレーション: ナーランダに心行くまで留まった仏陀は、ある日、
     弟子のアーナンダに こう告げます。
      『さー、アーナンダよ、パータリ村へ行こう』
      仏陀は、三つの袈裟と托鉢用の鉢一つだけをだずさえて
     パータリ村を目指し歩みを進めます。
      その後ろには、仏陀を慕う多くの修行僧がつき従って
     いました。
インドの祈りの歌: 私は仏陀に帰依します。
            私は仏法に帰依します。
            私は僧伽(そうぎゃ)に帰依します。
     (参考)僧伽:〔仏〕〔梵 sagha の音訳〕仏教修行者の
      集団。僧侶の集団。広義には、在家を含む仏教教団
      全体をいうこともある。

      和合衆。和合僧。僧祇(そうぎ)。
ナレーション: ナーランダからパータリ村までは、およそ90キロ
      の道のりです。
映 像:  (悪路で自動車の中で大きく揺れる、五木寛之さん)
                              (つづく)

2011年11月14日月曜日

汚れからの「まったくの解脱」 五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 1」

題 : 汚れからの 『まったくの解脱』

              五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 1」


 以下は、You Tubeを聞き書きしたものです。
 何度も何度も、映像を止めたりして、文章化していきました。
 そして、聞き取りにくいところなど何度も聞き、また、種々調べ
たりして完成しました。

 題 : 汚れからの 「まったくの解脱」
               五木寛之さんの「ブッダ最後の旅 1 


映 像 : 霊鷲山(りょうじゅせん)の映像。
     インドのビハール州のほぼ中央に位置する山。
     仏陀(釈迦佛)が無量寿経や法華経を説いたとされる。

ナレーション: 誰にもやがて訪れる死。
映 像: ハーハーと息を弾ませながら霊鷲山の階段を登る
                          五木寛之さん。
ナレーション: 人生の旅路の最後で、人は、老いや死と、どの様
     に向き合えば良いのでしょうか。
      およそ2500年前、その問いに一つの答えを出した
     人が居ます。
五木さん: あー。もう少しだ。・・・。アー見えた。
ナレーション: その人の名は、ゴーダマ・シッタールダ(パーリ語形。

     釈迦。仏教の開祖)。
      人々からは目覚めた人・仏陀と呼ばれました。
五木さん: 最後の階だ。・・・。アー・・・。
    ナマステ。ナマステー。

     (遠くから、経を上げる声が聞こえる)。

    (参考)ナマステ: サンスクリット語、インドやネパールで

        交わされる挨拶の言葉。
ナレーション:生きること、老いること、病(やまい)、そして死。
     人生は苦しみに満ちている。
     仏陀は、その苦しみと、「 共に生きること 」を説き
    続けました。
    (キリスト教は「人は生まれながらに原罪がある・救って
    貰う」とは違う)
五木さん: 「仏陀、さらまんがっちゃーみ」。「仏陀、さらまん
     がっちゃーみ」。・・・
      「何という静かな場所なんだろう」。
ナレーション: 作家・五木博之さん。

      仏陀が、最晩年に至るまで教えを説いたこの霊鷲山を

     初めて訪れました。
五木さん: ちょうど、齢80を迎える頃に、この霊鷲山に滞在し
     ていた仏陀は、そこから山を降りて、そして、大変困難
     な旅、ガンジスを超えて、北へ北上するという、6ヶ月・
     数百キロにおよぶ旅に出発する訳です。
      そして、その最初の出発点がこの霊鷲山。
      一体、仏陀が80歳になって何を感じ、そして、大変
     困難な旅に出発する、その最初の動機は何であったんだ
     ろうというふうに勝手に想像するんですが、人間という
     ものは、ある時期に達すると、自分の人生というものを
     振り返ってみながら、そして、その自分の人生の締めく
     くりという様なことを 否でも応でも感じない訳にはいか
     ない訳ですね。
      自分自身も、この70歳を超えて、仏陀が死を迎える
     死への旅である、そして、最後の旅である その仏陀の
     死の旅の足跡を、自分自身で歩いてみるということを自
     分の人生に重ねてみますと、何とも言えない不思議な感
     じがします。
      (霊鷲山にある仏像に手を合わせる、五木さん)
ナレーション: 悟りを開いて45年。常に布教・伝道の旅にあっ
     た仏陀。80歳で、ここ霊鷲山を立ちます。
      それが最後の旅になりました。
      苦難に満ちた旅の中で、仏陀その人は、いかに老いを
     受け入れ、病(やまい)に耐え、そして、どの様に死を
     迎えたのでしょうか。
      およそ2500年前、釈迦族の王子として生まれなが
     ら、出家し、苦行のはてに悟りをひらいた仏陀。
      その教えは、時を越え、多くの人々の中に広まって行
     きました。
      人は、何故、苦しむのか、苦しみと如何に向きあうの
     か。
      仏教2500年の歩みは、その問いかけの歴史でもあ
     りました。
      21世紀を迎えた今も、人々は変わらず多くの苦しみ
     を抱いています。
      その中にあって仏教は何をなし得るのでしょうか。
      シリーズ・21世紀・仏教への旅。第一集。
      作家・五木博之さんが 仏陀・最後の旅をたどります。
字 幕: 第一集 ブッダ最後の旅 インド
ナレーション: さまざまな伝説に彩られ、なぞに満ちた仏陀の生
     涯。しかし、その晩年については克明な記録が、いくつ
     かの経典として残されています。
      大般涅槃経や、ダイパリミッパーナ経。
      そこには仏陀の死と、最後の旅の様子が記されており
     ます。霊鷲山から旅立つ前、仏陀は弟子達を集め、悟り
     に至る道について次のように説きました。
        戒律と共に修行して
        完成された精神統一は 
        大いなる果報をもたらし、
        大いなる功徳がある。
        精神統一と共に修養された智慧は、
        偉大な果報をもたらし、
        大いなる功徳がある。
        智慧とともに修養された心は、
        もろもろの汚れ、すなわち、
        欲望の汚れ、
        生存の汚れ、
        無明の汚れから
       『 まったく解脱 』 する。 (つづく)