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2015年2月2日月曜日

(増補版)6A:気になった事柄を集めた年表(紀元前1万年~紀元前1200年)

 題:(増補版)6A:気になった事柄を集めた年表(紀元前1万年~紀元前1200年)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
紀元前8000年、マンモスの絶滅は未確定であるが、有力な
 仮説として氷河期末期の気候変動に伴う植生の変化を原
 因とする説がある。
  約1万年前に氷河期が終わり、高緯度地域の気温が10℃
 程度上昇した。
  この温暖化に伴って湿潤化し、1年の半分は大量の雪が
 降り積もる植物の生育に適さない大地へと変貌した。
  マンモスの食料となる草木は激減した。
紀元前7500年、この頃、縄文人は多くの貝塚を残す。
  縄文遺跡出土は、彼らが多種の貝類のほか、イノシシ・
 シカをはじめとする獣類や魚類・鳥類・爬虫類など数百
 種の動物を、食用その他に利用していたことを示す。
  縄文中期の土器には、ベビ類の呪力を意識したとみら
 れるデザインのものがある。
  縄文後期に、イノシシの飼育が行われとみる説が有力
 である。
紀元前6000年、およぞ8000年前から人類は、農耕の生活
 を始めた。
  世界の各地で、異なった作物を栽培するようになった
 と考えられている。
  その作物から、世界の農耕文化の原形は、根栽(こん
 さい)、サバナ、地中海、新大陸の4つの系統に大別さ
 れるとする説がある。
紀元前6000年、最古級の人為的埋葬の可能性の発見が、沖
 縄の遺跡であった。
  沖縄は、アルカリ土壌であるので骨が残っていた。
紀元前5500年、メソポタミア文明:チグリス川とユーフラ
 テス川の周辺に栄えた古代文明。
  この頃から、両河川流域に、徐々に、灌漑組織が発達
 し、集落が形成された。
紀元前5500年、縄文時代早期の丸木舟が発掘された。
  千葉県市川市の雷下(かみなりした)遺跡で。
紀元前5000年~紀元前4000年、黄河文明:中国大陸の黄
 河中流域で農耕(畑作)が始まったと推定されている。
紀元前5000年、人類の人口は、増加し、この頃は、1億人
 になっている。
紀元前4600年、エジプトに、ピラミッドが出来た。
紀元前4500年、縄文中期の、北海道と沖縄を除く日本列島
 の人口は、26万人で、その96パーセントが東日本に集中
 していた。
  人口密度は、東日本が、1.7人/平方キロメートルで、
 中でも関東は、3人/平方キロメートルと最密集地帯だっ
 た。
  一方、当時の西日本は、総人口が、1万人以下で、人口
 密度も、実に、関東地方の50分の1の0.06人/平方キロメ
 ートルという超過疎地帯だった。
  生活は、狩猟・採集生活である。
  縄文中期には、平均気温が、現在より2度近く高かった。
  イノシシ・シカ・川魚・貝類は、東日本、西日本とも
 獲れる。
  緯度の低い西日本の方が温かく、住み易そうに思える
 のに何故なのか?
  この人口の差は、東日本と西日本の森の違いであった。
  縄文時代の東日本は、ブナやナラなどの落葉樹林が広
 がっていた。
  落葉樹林は、秋から春に景色が開け、森に深く入り込
 め、狩りやキノコ狩りも出来る。
  だから、東日本の縄文遺跡は、大地一帯に展開していた。
  これに対し、西日本の縄文文化は、「川筋や海岸べり」
 の森が切れたあたりに発達した。
  西日本は、シイやカシ、クスノキなど照葉樹林のおお
 われていた。
  木は、高く生い茂り、冬も葉を落とさず、地面は、じ
 めじめして奥まで入れない。
  だから、縄文遺跡は、川筋や森の海岸沿いの点在した
 だけであった。
  ところが、3000年~4000年前の縄文後期から、縄文
 遺跡は、全国的に減り、関東地方でも遺跡がばったりと
 出土しなくなる。
紀元前4000年、黄河文明:この頃のヤンシャオ文化で彩陶
 が注目される。
紀元前4000年頃、エジプト・メソポタミアにオリエント文
 明が起こった。
紀元前4000年、この頃、オリエント青銅文化が起きる(ス
 メル文化の初め)。
紀元前3500年、メソポタミア文明:生産の発達に伴い、こ
 の頃以降に、多数の都市が誕生する。
紀元前3000年、この頃、黄河流域に新石器文明が起きた。
紀元前3000年、エジプト第一王朝の時代。
  エジプト文明:ナイル川流域に発達し、メソポタミア
 文明に次いで興った古代文明である。
  都市文明への進行過程では、メソポタミアよりやや遅
 れていたが、ナイル川の特殊地理事情のため、帝国の出
 現は、メソポタミアより早かった。
  この頃に、既に、古王国が成立。
  「神の子」と称する国王が神権政治を行い、その権力
 が大きいために、スケールの大きな構造物が多く建設さ
 れた。
  キリスト教のイエスより、3000年も早く、「神の子」
 と称する人間は、出現していた。
紀元前3000年、インドに青銅文化が起きた。
紀元前3000年、メソポタミア文明:シュメール人がこの頃
 から都市国家の時代へ入る。
  その後、戦争を経て、領土国家へ拡大し、バビロニア
 など種々の帝国が建設された。
紀元前2750年、この頃、アッド人がスメール人を征服した。
紀元前2600年、ピラミッド:エジプト国王の墳墓であり、
 巨大な石造建築である。
  初期のピラミッドは、比較的小さかったが、この頃か
 らのクフ、カフラー、メンカウラーの三王のピラミッド
 が、にわかに巨大になった。
  底辺の正方形の各辺は、正しく東西南北に向いている。
  最大のクフ王のピラミッドの高さは、152メートル。
  平均2トン半の石材が、230万個も使用された。
紀元前2500年、地図(バビロニア所領図)が出来た。
紀元前2500年、黄河文明:続いて、この頃の竜山(ろんさ
 ん)文化では、技術水準の高い黒陶が生産されていた。
  その延長上に都市文明が開花する。
紀元前2500年、紙に似たものがエジプトで使われた。
紀元前2500年、インダス文明:インダス川流域を中心に、
 紀元前2500年頃より、紀元前1800年頃まで展開した都
 市文明。
  モエンジョ=ダーロ、ハラッパーが、代表的な都市で
 ある他に、ロータルなど地方都市も発見されている。
  都市は、すべて計画都市であり、整備された上下水道、
 焼成煉瓦を豊富に用いた建築物などが特徴である。
  文字は、インダス文字が使用されていた。
  洪水・塩害など、文明を取り巻く環境の変化により滅
 亡した。
紀元前2500年、エーゲ文明:オリエントの影響を受けて、
 この頃から、東地中海のエーゲ海周辺に、ミノア文明が
 栄えた。
  河川流域の農耕によって誕生した文明とは異なり、オ
 リエントのとの交易によって勃興した文明である。
  特に、クレタ島に栄えた『クレタ文明』が注目される。
  クレタ島に迷宮の名で知られる宮殿がある。
  その壁画から、当時の島民の社会生活を知ることがで
 きる。
  オリエント:本来の意味は「太陽の昇るところ」「東
 方」。
  古代ローマ人が、メソポタミアとエジプト周辺を指し
 て名付けた。「文明の発祥地」である。
紀元前2000年、4000年~3000年前の縄文後期から遺跡は
 全国的に減り、関東地方でも遺跡がバッタリと出土しな
 くなる。
紀元前2000年、古バビロニア王国、クレタに青銅文化が起
 こる。
紀元前2000年、バビロニア:この頃に、シュメール人が建
 設したメソポタミアに、セム系のアムル人が侵入し、バ
 ビロニアという強大な国を作った。
  その首都が、バビロンで、メソポタミアの河川の中流
 域にある。
紀元前2000年、中国奥地(ゴビからタクラマカンの奥地)
 の楼蘭(ろうらん)に小さな王国があったが、現在は砂
 漠と化している。
  ここには、ロプノールという湖があったが、千数百年
 前に干上がっていたと思われる。
紀元前2000年、ベーダ:インド古代の聖典。
  紀元前2000年期の中頃を中心に、イラン高原から西北
 インドに侵入したインド・アーリア人は、その後、紀元
 前6世紀ごろまでにかけて、膨大な宗教文献群を作り上
 げた。
  リグ・ベーダ、サーマ・ベーダ、ヤジュル・ベーダ、
 及び、アタルバ・ベーダに4大別されるサンヒターを軸
 に、プラーフマナ、アーラニヤカ、そして、ウパニシャ
 ッドの各文献群を成立させる。
  紀元前8世紀を中心として成立するプラーフマナは、祭
 式万能の時代を、それに続くウパニシャッドは、新思想
 を開花させ、ともに、その後のインド世界に大きな影響
 を及ぼした。
紀元前2000年、アーリア人:インド・ヨーロッパ語族に属
 し、インド・イラン・ヨーロッパ人などの祖先である。
  元来、中央アジアの西方から南ロシアにまたがって居
 住したが、紀元前2000年頃から膨張し、アフガニスタン、
 インド(インダス川流域)、また、バルカン、小アジア
 (ヒッタイト王国)に定住した。
紀元前1800年、バビロニア:この頃、ハンムラビ王の時代
 に、バビロニア全域の統一に成功。
  有名なハンムラビ法典が作られたが、これは、集大成
 された最古の成文法として注目される。
  バビロニアは、約1000年間、メソポタミア文明の中心
 となった。
紀元前1700年、黄河文明:黄河流域の肥沃な黄土地帯に誕
 生した。
  東アジア最古の大文明である。
  都市文明が開花するのは、紀元前1700年以後の殷(い
 ん)文明においてであるが、この地域の農耕文化は早く
 から発達した。
紀元前1700年、殷(いん):紀元前1700年頃から黄河中
 流域で栄えた、中国最古の都市文明。
  殷王朝と言えば、領土の範囲が制限されるが、殷文明
 はより範囲が広い。
  亀甲や獣骨に刻まれた漢字(甲骨文字)、神秘的で迫
 力のある青銅器で有名である。
紀元前1600年、エーゲ文明:バルカン半島を軟化したギリ
 シャ人の一派ミケーネ人が、紀元前1600年ごろ、先行す
 る文明を継承し、やがて、クレタ文明に代わるミケーネ
 文明をギリシャと多くの島に築いた。
紀元前1600年、アーリア人:紀元前1600年頃のイラン高
 原、メソポタミア、エーゲ海、さらに、ヨーロッパなど
 に進出した。
  アーリア人が、多くの地域を制圧できたのは、馬を利
 用し、また、馬の牽引する二輪車(戦車)から矢を射た
 ためである。
紀元前1600年、西ヨーロッパが鉄器時代に入る。
紀元前1580年、エジプト新王国が興る。
紀元前1500年、古代ユダヤ:セム系ユダヤ人(ヘブライ人)
 は、シリアの近くで遊牧生活を送っていたが、紀元前1500
 年以後、ユダヤ人の一部分がエジプトへ移住した。
紀元前1500年~紀元前1000年、縄文時代後期~晩期に、
 環状盛り土遺構が注目されている。
  埼玉県加須市の長竹遺跡が発掘調査が進み、住居や墓
 が密集した集落跡だった。
  関東地方を中心に確認例が続いた。
  環状は、高さ1.8m、幅20mの盛り土が、直径150mの
 C型の一方が開いたドーナツ状に築かれている。
紀元前1370年~紀元前1350年、ツタンカーメンの墓が造
 られた。
紀元前1350年頃、エジプトのツタンカーメンの黄金のマス
 ク。
紀元前1300年頃、パピルスに描かれたエジプト金山図が作
 られた。
紀元前1280年頃、エジプトのルクソール大神殿のラムセス
 2世時代。
紀元前1250年頃、モーゼが居たとされている。
  歴史家は、その存在を否定しているが、そして、この
 頃、このモーゼによるエジプト脱出があったとされてい
 る。
紀元前1200年、周(西周)が興る(中国)。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009

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